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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
今週後半、朝ドラに大河ドラマ『新選組!』の土方副長がカメオ出演(……でいいんだよな?)が予定されています。ちょうど出張中なのでリアルタイム視聴できるかどうかわかりませんが、留守録はスタンバイできてます。

宮城
旧仙台藩士の奮闘紹介 亘理伊達家当主が講演
 旧仙台藩士が現在の北海道伊達市に入植し、テンサイ栽培を始めた歴史に焦点を当てた講演会「北の大地で砂糖を作る-仙台藩士の甘い企て」が11日、仙台市青葉区の東北大片平さくらホールである。「朝敵」の汚名をそそごうと奮闘した武士集団の野望。そのてんまつは-。

 講師は亘理伊達家の第20代当主で伊達市噴火湾文化研究所学芸員の伊達元成さん(36)が務める。亘理伊達家は戊辰戦争に敗れて領地を没収され、家臣ら2700人を従えて1870(明治3)年以降、北海道有珠地方に集団入植した。
 当時の北海道は稲作ができず、寒冷地に適したテンサイの栽培を始めた。札幌農学校にいたクラーク博士の勧めもあったという。
 屯田兵のように国から給与が支払われることもないため「早く商品作物を生産し、利益を上げ続けなければならなかった」と伊達さん。馬に引かせた耕運機など当時としては最新だった西洋技術の導入を図ったが、「武士の商法」で苦境に陥った時期もあった。
 現在では、全国で生産されるテンサイのほぼ全量が北海道で栽培されている。2014年には356万トンを出荷。道内では精糖会社3社の計8工場が稼働する。
 伊達さんは「北海道に渡った彼らに、古里へ帰るという選択肢はなかった。砂糖生産を成功させ、仙台藩の功績として内外に認めさせようとした」と話す。
 入場無料。午後4~5時。連絡先は東北大東北アジア研究センター022(795)6009。

福島
元白虎隊士・山川健次郎の直筆書簡発見
 元白虎隊士で、東京帝大などの総長を歴任した物理学者山川健次郎(1854~1931年)の自筆の書簡が見つかった。寄贈を受けた山川健次郎顕彰会(宗像精会長)によると、山川の直筆の文書は珍しい。
 会津藩士の家に生まれた山川は、戊辰戦争(1868~69年)当時、白虎隊の隊士だった。明治に入って米エール大で学んだ後、東京帝大理学部で物理学を教え、東京、九州、京都各帝大の総長を務めた。
 見つかったのは、水戸学の第一人者である深作安文東京帝大文学部教授に宛てた手紙やはがきなど計5点。8月に福島市のデパートで開かれた骨董(こっとう)市で販売されていた。顕彰会副会長の武田修若松ガス社長が30万円で購入して会に寄贈した。
 1916年の毛筆の手紙では、旅行で不在のため、深作の見送りをできないことを伝えている。このほか、深作が自著を送ってくれたことに礼を述べたはがきや、大正天皇の大嘗祭(だいじょうさい)を祝うため、皇室に送ったとされる印刷物の文書もある。
 今後、同市の観光・研修施設「会津藩校日新館」に展示する予定。山川健次郎顕彰会の森武久事務局長(71)は「気持ちの優しさが感じられる字。会津に先生のような偉人がいたことを多くの人に知ってほしい」と話す。
 顕彰会は31日午後2時から会津若松市の会津若松ワシントンホテルで「山川健次郎顕彰フォーラム」を開催。会員や小学校教諭ら専門家が書簡の内容を解説する。入場無料。連絡先は森さん090(2279)1795。

二本松の菊人形開幕 幕末維新テーマ 平成27年11月23日まで
 第61回二本松の菊人形は平成27年10月10日、福島県二本松市の県立霞ケ城公園で開幕した。
 二本松菊栄会(会長・新野洋市長)の主催。「幕末維新伝」をテーマに「文明開化」「池田屋騒動」など8場面で構成され、幕末や明治維新の有名人物が菊人形で表現されている。千輪咲きなどが並ぶ菊花展ゾーンやガーデンゾーンもあり、色とりどりの計3万株の菊が飾られている。
 初日から多くの来場者でにぎわった。郡山市から家族で訪れた岩沢ゆみ子さん(54)は「久しぶりに観賞したが、規模に驚いた」と話していた。
 会期は11月23日まで。入場料は一般700円。中学生以下無料。問い合わせは菊栄会事務局 電話0243(55)5122へ。
(2015/10/11 09:38カテゴリー:愛でる)

群馬
長沢理玄:生誕200年 幕末に種痘接種、天然痘根絶の先駆 館林に顕彰碑、市民ら寄付募り /群馬
 幕末期に天然痘の種痘を上州で初めて施し、多くの命を救った館林藩医・長沢理玄(りげん)(1815〜63年)の業績をたたえる顕彰碑が館林市本町に建立された。館林出身のデザイナー、田中茂雄さん(63)=東京都=が歴史に埋もれていた名医に再び光を当てようと寄付を募り、生誕200年の今年、建立にこぎつけた。【阿相久志】

 山形出身の理玄は、藩主・秋元家の国替えとともに館林に移った。江戸で種痘接種法を学び、1851(嘉永4)年、館林で種痘を実施。当初は牛痘法への理解が進まず受け入れられなかったため、山形で種痘を広めた後、翌年になって藩主の協力の下、館林で本格的な種痘接種を始めた。

 理玄は約9000人に種痘を施し、うち山形で1500人、館林では7500人に上ったという。天然痘は1980年に世界保健機関(WHO)が根絶を宣言したが、幕末期にはまだ感染力が強く、死亡率も高い感染症として恐れられ、民間信仰で長く「疱瘡(ほうそう)神」があがめられていた。

 田中さんは館林城再建を目指す活動の中で理玄を知ったが、「館林に育ちながら子どものころ習ったこともなく存在を知らなかった」と驚いた。2012年に調べ始め、理玄の苦闘を小説「疱瘡長屋の名医」(02年)に描いた地元の作家、石村澄江さん(77)と出会った。

 石村さんを会長に顕彰会が発足。勉強会を重ね、14年5月に企画展を開いた。理玄に関する資料を保管していた館林市邑楽郡医師会や地元経済界の協力も得て、建立が実現した。

 顕彰碑は、理玄が歩いた幕末期の城下町の道筋をとどめる道と、東武館林駅と市役所を結ぶ幹線道が交差する角地に建てられた。碑の正面は、理玄が自費で建てた病院の跡地を向いている。碑には理玄が初めて種痘を藩家老の子どもたち4人に施す様子を再現した彩色画をはめ込んだ。田中さんは「文字だけだと子どもが読んでくれない。学校教育にも生かしてもらおうと絵を入れた」と話す。

 4日の除幕式には長沢博さん(64)、滋さん(59)の兄弟をはじめ長沢家の子孫たちも参列。地元で商店を経営する博さんは「館林が歴史遺産のまちであることでも有名になってほしい」、小学校教諭の滋さんは「社会科の学習で使える大きな資料となる」と顕彰碑の完成を喜んでいた。

島根
幕末の津和野伝える百景 日本遺産センター11日オープン
 島根県津和野町は9日、「津和野百景図」に基づく歴史文化ストーリーの日本遺産認定に伴い、同町後田に11日オープンする「津和野町日本遺産センター」の報道関係者向けの内覧会を開いた。実物の百景図やパネルを展示し、津和野の歴史や文化を伝えている。
 同センターは、町出身の浮世絵研究家・永田生慈さんから無償で譲り受けた旧葛飾北斎美術館を改修した。
 センター内には、栗本里治(さとはる)(号・格斎)が、江戸末期の津和野藩の風景や鷺舞(さぎまい)などの伝統行事、人々の暮らしを描いた津和野百景図の一部を展示。百景図全100枚の絵を解説付きパネルで紹介している。
 同じく里治が幕末期の城下を描いた絵図のパネルや、津和野の魅力を四季、自然、歴史文化、食文化の4テーマで紹介するコーナーも設けた。
 入場は無料で、開館時間は午前9時~午後5時。町商工観光課の米本潔・歴史まちづくり推進係長(47)は「多くの人に寄ってもらえる新たな観光拠点になればうれしい」と話した。

長崎
江戸ー幕末期の城下町・大村 キリスト信仰の名残り色濃く
キリスト教弾圧の哀史の遺跡

ORCを使った「しま旅」の時間調整に便利な歴史のまち・大村は、肥前大村藩2万7千石の城下町。中世から江戸時代を経て、明治維新に至るまで大村地方を治めてきた大村氏に関わる観光素材が点在している。

日本で最初のキリシタン大名となった大村純忠は、大友宗麟、有馬晴信と共に「天正遣欧少年使節」をローマに派遣したことで知られる。

大友純忠終焉の居館跡は「大友純忠史跡公園」として整備され、泉水の庭園跡も残っている。「本教寺」は大村藩初代藩主・大村喜前がキリスト教禁止後に建てた日蓮宗の寺院。歴代藩主を祀った6メートルを超す巨大な墓塔が立ち並び、その大きさには驚かされる。キリスト教から改宗した後も密かに信仰を続け、墓所のすべての石垣には十字架がつくなど大村藩の宗教政策がよくわかる。

「旧楠本正隆屋敷」は幕末に活躍した楠本正隆の屋敷だったところ。建物を含め石垣、庭園、家財道具に至るまで当時のまま残る貴重な施設だ。

このほかにも城下町の佇まいを残す本小路、上小路、小姓小路、草場小路、外浦小路といった武家屋敷通りあり、今でも重厚な石垣が風格を漂わせている。なかでも色とりどりの海石を漆喰で固めた大村地方独特の「五色塀」は見ごたえがある。

四代藩主の純長が創建した「円隔寺」の庭園は江戸時代初期様式の石組み庭園で、東西50メートルの斜面を利用し、400個以上の石を組み合わせた造りは雄大だ。

豊臣秀吉から始まり江戸時代まで続くキリスト教弾圧の哀史の遺跡は、現在でも市内各地に数多く残っている。

コラム
かなりの画力の高さ!幕末の浮世絵師「尾形月耕」桃太郎を鬼のアングルから描いた作品も
 主に明治時代に活躍した浮世絵師 尾形月耕(おがたげっこう)。まったく名前も知らずノーマークだった絵師なのですが、尾形月耕による作品集「月耕随筆」の中の1枚を見て秒速で大ファンになってしまいました。
 その1枚というのがこちらの「龍昇天」。

尾形月耕「月耕随筆 龍昇天」

これはかっこいいですね!龍が天に昇る姿というのはよく描かれる題材だとは思うのですが、尾形月耕がかなりの画力を持っていることがうかがえる作品ではないでしょうか。

浮世絵師 尾形月耕は安政6年に江戸に生まれ、本名は名鏡正之助。独学で絵を学んだ後に絵師 菊池容斎に教えを受けました。提灯屋を営みながら絵を描くことは続け、明治10年には錦絵を自費出版して見事ヒットすることとなります。

尾形月耕と同時期に活躍した絵師としては月岡芳年が有名ですが、尾形月耕の絵のテイストは月岡芳年にどこか似ている気がします。月岡芳年が描く男性はとても男臭く好きなのですが、尾形月耕の描く男性もまた男らしさが溢れていて素敵ですよ。

尾形月耕「月耕随筆」
尾形月耕「月耕随筆 桃太郎」

鬼、めちゃくちゃかっこよろし!主人公にしてもいいレベルですw
鬼のアングルから桃太郎御一行様を見下ろした作品というのはなかなか見ないのでとっても新鮮。昔話を主人公ではない別の視点から描くっていうのはなかなか面白いですね。

最後に月耕随筆より作品を幾つかご紹介します。繊細な線の使い方や力強さなどその画力の高さを堪能してみてください。

画像出典: 古典籍閲覧ポータルデータベース 資料番号MM0629

日本の文化と「今」をつなぐ – Japaaan

作品集「月耕随筆」の中でもう一つ好きな作品があるのですが、それがこの桃太郎。
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