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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 江戸検の受験票が来ちゃった……あっ、何も勉強してないっ(汗)。

岩手
竜馬の精神、地域に勇気 一関で全国ファンの集い
 全国の坂本竜馬ファンが集う第22回全国龍馬ファンの集い岩手一関大会(全国龍馬社中主催)は10日、一関市大手町の一関文化センターで開かれた。東北で開催されるのは今回が初めて。パネルディスカッションや岩手・高知両県知事による近江屋対談、大交流会には多くの市民が参加し、全国の竜馬ファンと交流した。

 全国龍馬社中(橋本邦健会長)の全国大会には竜馬ファンの40団体約200人が参加。橋本会長が「竜馬は眺めているだけではいけない。追い付き追い越すことに意義がある。今回は初めて知事2人が参加した。地域に何ができるか竜馬の精神で考え実行していこう」とあいさつ。次期開催地の高知市に大会旗が引き継がれた。

 全国大会に引き続き行われたパネルディスカッションには市民を含め約600人が参加。長崎龍馬会龍馬楽校の柴崎賀広(よしひろ)校長が「竜馬の死後、戊辰戦争が起きた。竜馬が生きていたら戦争のやり方は変わり、東北の農民が兵士に駆り出されることもなかったかもしれない。そういう意味で竜馬と東北の関係を考えた」と話し会場が沸いた。

 達増知事と尾崎正直高知県知事の近江屋対談は、5月の高知開催に続き2回目。

 前回確認した高知と岩手の頭文字を取った「KI(かい)援隊」交流連携について、達増知事は「両県共同の物産展や赤べこフェアの首都圏開催を企画していきたい。優れた地域資源を生かし県民の所得に結びつけなければならない」と強調。尾崎知事は「高知県は人口減少し経済規模が小さくなっている。地産地消にとどまらず『地産外商』を進めていきたい」と答えた。

 夕方から開かれた大交流会には「岩手の味」が並び、全国の竜馬ファンと一般参加者らが交流を深めた。また、前日に開かれた役員会では仙臺(だい)龍馬会の設立を承認した。

【写真=「四つの龍馬伝」と題し議論する(左から)坂本登さん、小美濃清明さん、柴崎賀広さん、片岡幸嗣さん】


宮城
斗南藩の歴史たどる 「先人の偉大さ痛感」 みやぎ会津会
 戊辰戦争後に移封された会津藩士らによって現在の青森県三沢市などに築かれた「斗南藩」の苦難の歴史をたどろうと、宮城県在住の福島県会津地方出身者でつくる「みやぎ会津会」が2日、「ふるさと訪問ツアー」として三沢市などを訪れた。
 会員15人が参加し、「斗南藩記念観光村・先人記念館」を見学。戊辰戦争後に会津から移り住み、1872(明治5)年に日本初の民間洋式牧場「広沢牧場」を開設した斗南藩士、広沢安任(1830~91年)の写真や刀、文献など、ゆかりの品々を見て回った。
 会長の須佐尚康東洋ワーク社長(福島県金山町出身)は「会津から見知らぬ土地に移り住んだ苦労は並々ならぬものだっただろう。先人の思いと偉大さを痛感した」と感慨深げだった。
 一行は青森県十和田市も訪れ、「十和田会津会」のメンバーと交流を深めた。
 みやぎ会津会は2008年に設立され、会員は約160人。会津藩ゆかりの地を巡り、会津出身者同士や地域間の交流活動を続けている。


福島
河野広中の遺品が一堂に/三春で企画展
 三春町出身で自由民権運動先駆者の河野広中が受けた勲一等旭日大綬章の勲章や河野家に伝わる名刀などを集めた企画展「遺品展」は、9日から12月5日まで三春町歴史民俗資料館内の自由民権記念館で開かれている。
 明治23(1890)年に第1回帝国議会が開かれて120年目を迎えるのを記念。
 昨年11月に広中の孫河野広明さん(千葉県松戸市)が町に寄贈した遺品約335点のうち50点を公開している。
 広中が愛用した筆やすずり、帽子のほか、大正天皇即位の儀式「大正大礼」の文書などを展示した。
 資料館内には、広中が戊辰(ぼしん)戦争時に着ていた陣羽織などもある。
 入場料は大学生・一般300円、高校生以下150円、時間は午前9時から午後4時までで、月曜日休館だが、祝日の場合は開館し翌日休館となる。
問い合わせは同資料館電話0247(62)5263へ。


58年の歴史初! 会津まつり藩校行列中止の裏で…
 会津まつりは、例年9月に行われ、「提灯行列」を皮切りに、「会津磐梯山踊り」「会津藩公行列」「日新館童子行列・鼓笛隊パレード」の諸行事が3日間に渡って繰り広げられる、会津の一大行事だ。

 メインイベントの「藩校行列」は、市民らが歴代の藩主や戊辰戦争を戦った白虎隊、娘子隊などに扮して、市内を行進する行事である。
 58年の歴史を持つ会津まつりであるが、会津藩校行列が台風の影響による大雨の為、58回目にして初めて“中止”となってしまった。
 しかし、会場には侘しいムードが漂うばかりと思いきや、雨天の中行われた「先人感謝祭」においてサプライズが待っていた。
 今回の出演者には1986年の年末時代劇スペシャル『白虎隊』において白虎隊士の一人、伊東悌次郎役で出演した、歌手・俳優の岸浩太郎が一般公募枠より参加し家老・田中土佐役としてゲスト出演した。
 岸は挨拶の席で、『白虎隊』並びに会津へ対する想いを述べると共に、劇中で白虎隊氏が壮絶な自刃を遂げるシーンにおいて、歌い上げた詩吟を実に23年ぶりに披露した。
 参加に際して、岸は「まさか、私のゲスト回に中止にならなくても…藩公行列において、岸の次席家老“田中土佐”を観て頂けなかったのが残念です」とのコメント。

(※伊東悌次郎:安政元年(1854年)生まれ。会津藩士・伊東左太夫の次男。白虎隊に入隊できるのは16、17歳の少年たちであったが、15歳の悌次郎は熱心に志願し、しかも身体が大きかったことから入隊を許された。飯盛山で自刃した19士の一人。
※田中土佐:文政3年(1820年)生まれ。次席家老として会津藩主・松平容保に仕えた。戊辰戦争では、主戦派のひとりとして新政府軍と戦い、会津城下の戦いでは甲賀口の守備を担当。このときの戦いで畳を銃弾を防ぐ壁にしてまで奮戦したといわれるが、重傷を負ってしまい、最期は同じく主戦派の家老である神保内蔵助と共に会津藩の医師・土屋一庵の屋敷で刺し違えたという。享年49。)


千葉
文化審答申:重文に「旧吉田家住宅」 主屋は1854年建造--柏 /千葉
 幕末に建てられ、下総地方の豪農の屋敷の建築様式を残す柏市花野井字原の旧吉田家住宅が、国の重要文化財に指定されることになった。国の文化審議会が15日、文部科学相に指定を答申した。指定は12月ごろの見通し。

 旧吉田家住宅は、主屋と書院、新座敷、長屋門など計8棟からなる。かやぶきの主屋は日米和親条約が結ばれた1854(嘉永7)年に建てられ、3間(げん)四方の居間や5畳の仏間など広い部屋が配されている。

 吉田家は43代続く名主で、04年に柏市に寄贈する数年前まで実際に人が暮らしていた。柏市は一帯を旧吉田家住宅歴史公園として整備し、昨年11月から無料公開している。市教委の友野雅和文化課長は「市民が柏の歴史を知り、親しめる場所として今後も保存・管理していきたい」と話している。

 国の重要文化財(建造物)は県内で計29件となる。【早川健人】


静岡
家康の遺徳をしのび 静岡・久能山東照宮で秋の大祭
 久能山東照宮(静岡市駿河区根古屋)で17日、秋季大祭が開かれ、合わせて弓道同好会「清康会」による、弓の神事、奉射大会が行われた。社殿が国宝に指定されることになったこともあり、県内外から多くの観光客が訪れ、建物や景色に見入った。
 幕末から明治にかけて活動を始めた清康会による奉射大会は今年で136回目。この日は15人が一人につき12射を行った。
 また、家康が幼少期に駿府(現・静岡市)で人質として暮らした臨済寺(同市葵区大岩町)の僧侶が訪れ、家康の遺徳をしのんで供養祭も行った。



京都
勤王隊列 最多168人 実った!時代祭地道なPR
 京都三大祭の最後を飾る時代祭(22日)で、先頭を行く維新勤王隊列に、今年は例年より約40人多い過去最多の168人が参加する。隊士を演じる中高生の確保が、少子化などでしだいに困難になる中、「幼い頃から関心を」と地元小学校で続けてきたPR活動が花開いた形だ。関係者は「例年以上に力強い行列にしたい」と意気込んでいる。

 隊列は、新政府軍と旧幕府軍が争った明治の戊辰(ぼしん)戦争で新政府に加勢した山国村(現・右京区京北地区)の隊士がモデル。笛や太鼓を演奏したり、鉄砲を携えたりした羽織袴(はかま)姿の80人の隊士と、役員ら計129人が例年の人員となる。

 隊士になると、祭の1か月前から連日、演奏の練習があるが、少子化に加え、部活動や塾などがあって集まりにくい状態が慢性化。7、8年前には応募が60人を下回り、過去の参加者に“応援”を求めて80人に近づける苦労が続いた。

 危機感を持った隊列の維持組織「平安講社第8社」が、2006年から地元小学校で衣装や笛などに触れる機会を設けたところ、応募者は増加に転じた。今年の隊士は、昨年より16人多い96人で、うち43人は初参加。ここに役員ら72人が加わる。衣装の不足分は、古いものをクリーニングするなどして補うという。

 隊士は、6節ある行進曲の練習に励んでおり、役員の太田興さん(48)は「広報活動が、今年になってようやく実を結んだ。学校を訪れると、実際に道具に触れた子どもたちの目が輝いているのがわかる」と話す。

 祭の行列は全体で約2000人で、市内の大学から募ったアルバイトも多い。宮野巳代次(みよじ)・平安講社副理事長(75)は「アルバイトの確保は、授業を欠席しにくいなどの事情から難しくなっており、地元からの参加が重要だ。第8社の取り組みは、ほかの講社にも参考になる」と話している。

(2010年10月16日 読売新聞)


和歌山
小梅日記:ゆかりの地を歩く 生誕地など50人が見学--和歌山 /和歌山
 幕末から明治にかけ日常生活を克明につづった「小梅日記」で知られる川合小梅(1804~89年)ゆかりの地を訪ねる「小梅日記ゆかりの地ウオーク」が16日、和歌山市内であり、地元の主婦や小学生など約50人が生誕地などを見学した。

 住民グループ「小梅日記を楽しむ会」(辻健会長)が主催。この日は、会が約1年かけて製作した「小梅日記ゆかりの地マップ」を手渡し、3時間余りかけて市内約4キロを散策。参加者は、市語り部クラブの山本隆造さんの説明を受けながら、小梅が度々まんじゅうを購入した和菓子店の「駿河屋」や、火縄銃を製造していた「出来助本店」などを巡り、明るくユニークな性格だった小梅の姿を思い描いていた。

 初めて参加した市内の主婦は「以前から参加したいと思っていました。マップは分かりやすくて便利ですね」と話していた。

 マップは、和歌山と海南、紀の川の3市67地点を抽出し、計15ルートの散策コースを紹介している。【山中尚登】


愛媛
幕末の蝦夷地図 初公開
「北海道」名付け親が作製 宇和島で30日、シンポも

「北海道」の名付け親で知られる幕末の探検家、松浦武四郎(1818~88)が作製した北海道の地図「三航蝦夷(えぞ)全図」が30日、所蔵する宇和島伊達文化保存会(宇和島市)によって初めて公開されることになった。公開に合わせ、武四郎と宇和島藩主・伊達宗城(むねなり)との交友秘話などを紹介する歴史シンポジウム(宇和島歴史文化研究会など主催)も宇和島市住吉町の市総合福祉センターで催され、関係者は「宇和島に伝わる貴重な史料を多くの人に知ってほしい」と来場を呼び掛けている。

 武四郎は三重県松阪市出身。少年時代から全国各地を旅し、28歳の頃から幕府に命じられるなどして計6回、北海道に渡った。

 3回目の渡航後に描いた三航蝦夷全図は昨年12月、保存会の所蔵品の中から見つかった。14枚の和紙をつなぎ合わせると、縦3・4メートル、横2・5メートルの北海道が描かれた1枚の図になるというもので、1854年のペリー来航の際、宇和島藩がペリーの動向調査を武四郎に依頼しており、この時に宗城に献上された。

 樺太(サハリン)や国後島、択捉島なども描かれているが、実測されたものではなく、北海道自体は縦に押しつぶしたようないびつな形になっている。しかし、宇和島歴史文化研究会や松浦武四郎研究会(北海道八雲町)によると、全国で7点現存している武四郎作製の蝦夷地図の中で、地名など詳細な凡例が自筆で添えられているのは、宇和島伊達文化保存会所蔵の1点だけという。

 地図は14枚のうち一部を30日正午から、武四郎の書簡などとともに総合福祉センターで公開。シンポジウムは同日午後1時から、「松浦武四郎の北海道と宇和島」をテーマに、松浦武四郎研究会の高木崇世芝(たかよし)さんや宇和島歴史文化研究会の近藤俊文会長らが秘話を紹介する。入場無料。問い合わせは同研究会の水野浩一事務局長(090・8970・6252)。




広島
老中阿部正弘の功績を紹介
 福山市西町の広島県立歴史博物館が16日、江戸幕府の老中を務めた幕末の福山藩主・阿部正弘(1819―57年)をテーマにした講演会を開いた。11月23日まで開かれる企画展「幕末の動乱と瀬戸内海」を記念して企画し、210人が参加した。

 明治維新に詳しい東京大大学院の三谷博教授(日本近代史)=福山市出身=が講演。日本に開港を迫る米国のペリーの来航や江戸城の相次ぐ火災など、阿部が老中を務めていた時代の状況を解説した。

 三谷教授は、阿部が自らの政策を途中で鎖国から開国に変えた点に触れ、「長期的な視点で日本の国益を考えた柔軟性と戦略性の高い判断」と評価した。

 企画展では、阿部が吉備津神社(福山市新市町)に奉納したと伝えられる「ペリー来航図」も展示。30日午後2時からは東京大大学院の安達裕之教授が「幕末・洋式船の登場」と題して講演する。

【写真説明】阿部正弘の政策などについて話す三谷教授(右)


幕末の動乱展 いろは丸の絵初公開 福山・県立歴史博物館
 瀬戸内海を舞台にした幕末111件期の事件や、ゆかりの人物を紹介する企画展「幕末の動乱と瀬戸内海」が15日、広島県福山市西町、県立歴史博物館で始まった。

 絵図や古文書などの史料約110点を6つのテーマに分けて展示している。坂本竜馬率いる海援隊を乗せ、同市鞆の浦沖で沈没した蒸気船「いろは丸」の絵は、県内初公開。長崎市歴史民俗資料館で展示されていた洋式船の記録書に絵があることが7月に確認され、話題になった。煙を上げて航行する姿が細かく描写されている。

 竜馬関連では、故郷の土佐への生涯最後の帰省を前に、土佐藩士に宛てた直筆の書簡も目を引く。

 新政府軍の長州藩と徳川幕府の譜代大名だった福山藩との和平交渉のやりとりを伝える古文書、福山藩の尊王(そんのう)攘夷(じょうい)派の重臣・安藤織馬が着用したとみられる甲冑(かっちゅう)など、郷土関係の史料も並ぶ。

 11月23日まで。一般700円、高校・大学生520円、小中学生350円。月曜休館。問い合わせは同博物館(084―931―2513)。


長崎
大浦慶所有の龍馬ら写真を初公開 あすまで長崎歴文博
 幕末の長崎で活躍した女性商人・大浦慶が持っていたとされる坂本龍馬の写真が15日、長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で開催中の「実録・坂本龍馬展」(長崎新聞社、NHK長崎放送局主催)で公開された。公開は17日までの3日間限定。

 この写真は、大浦慶の縁者に当たる長崎市在住の個人が保管。昨年存在が明らかになり、県はことし8月、同時期に撮影されたとみられる洋装の男性の写真と合わせて250万円で購入。今回初めて公開した。

 2枚はいずれも名刺サイズ。龍馬の写真は、長府藩士三吉慎蔵が龍馬から譲り受けた写真と同じ構図で、体を左に向けて、いすに座っている。三吉家所蔵の写真に比べ画像がややぼやけており、長崎歴文博は龍馬暗殺翌年の1868年ごろに複写されたものとみている。洋装の男性は、類似の格好をした写真が残されている海援隊士沢村惣之丞の可能性があるという。

 観覧した山口県下関市の会社員、植杉祐哉さん(31)は「長崎で新たに龍馬の写真が見つかったとは知らなかった。龍馬ファンなので本物の写真を見て感動した」と話した。








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