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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 足下が冷えると思ったら、雨が降ってきました。来週の週末は月末……速っ(汗)!!
 NHK杯を見ています。15才でシニアデビューし、4回転を成功させ、堂々4位をとった羽生選手、これから先が楽しみです。優秀した高橋大輔選手の演技はこれから放送ですが、昨日見たラテンのSPは王者の貫禄でした。

北海道
「箱館奉行所」入場客数14万5000人突破
 国の特別史跡・五稜郭跡内に復元された「箱館奉行所」は14日、函館市教委が当初見込んだ初年度の入場客数14万5000人を超えた。入場者数は同日現在で14万7541人。関係者は「冬場に入り観光客が減る可能性もあるが、今の勢いを保ち続けてほしい」と期待を寄せている。
 箱館奉行所が7月29日にオープンして以降、1日平均2000人を超える人が訪れている。お盆の近くには同4000人近くに膨らみ、9月16日で入場者数10万人を突破していた。同奉行所の沼崎孝男副館長は「好天が続いたのと、9月の大型連休のおかげで集客数を伸ばせた」と分析。
 現在はオープン当初の勢いはないものの、平日でも1日平均1300人前後が訪れ、人気を堅持。同奉行所ではアンケートを取っており、来場者の94%が「満足した」と答えるなど、好評価を受けている。
 主要な来場者は道内外の観光客だが、沼崎副館長は「イベントなどを企画し、市民も気軽に足を運べる場所にしたい」と話す。この日に訪れた市内の主婦川田怜子さん(63)は「奉行所ができて五稜郭も華やかになった。また友人と来たい」と笑顔を見せていた。


龍馬像 函館に建立へ 北海道坂本龍馬記念館1周年記念
 開拓への思い、函館の龍馬像で全国に発信―。昨年11月15日にオープンした函館市西部地区の新たな観光名所「北海道坂本龍馬記念館」(末広町8)の開館1周年を記念した「坂本龍馬像」が、同記念館向かいに建立されることが決まった。「函館に坂本龍馬像を建てる会」(坂本登同実行委員長)も発足し、製作・準備を進めている。除幕式は11月14日に行われる。

 建立計画は今年1月、同記念館の理事会での「北海道開拓を夢見て、志半ばで散った龍馬の遺志を銅像で後世に伝えたい」との要望をもとに、同会が発足し具体化。像の制作は、長崎市の龍馬像も手掛けた彫刻家の山崎和國さんに依頼した。
 像は台座部分が2.5メートル、銅像部分が3.5メートルの計6メートル。右手は天を指差し「たとえ一人でも開拓を…」という強い思いを、左手には国際法律書「万国公法」を持ち、常に先を見据えて行動した龍馬を象徴するようなデザインにした。また、像の周辺は小公園として整備し、休憩や記念撮影に対応するという。
 1700万円に上る建設費用は、個人や企業などからの建立基金や同記念館内に置かれた募金箱への寄付でまかなわれる。基金への賛同者は、像の後ろに設置される石碑に名前が刻まれる。
 函館市都市デザイン課によると、銅像の建設地区は20メートル以上の建物については届け出の必要があるが、像は6メートルのため届け出の必要はなく、都市景観条例上問題はないとしている。
 同記念館の三輪貞治館長は「函館の新たなシンボルとなってくれると思う。多くの人たちに銅像を通じて、龍馬の北海道開拓にかけた思いを感じてもらいたい」と話している。
 同館では引き続き、基金賛同者を募集している。詳しくは同館TEL0138-24-1115まで。

掘り出しニュース:蝦夷地開拓目指していた 龍馬像を函館に建立
【北海道】坂本龍馬(1835~67年)の北海道初の銅像が11月14日、函館市の西部地区に建立される。函館ゆかりの幕末の志士といえば土方歳三や榎本武揚が有名で、龍馬は足を踏み入れていないが、「蝦夷地開拓を目指していた」というのが理由。建立に携わった人たちは「志半ばで凶刃に倒れた龍馬の遺志を伝えたい」と話している。

 企画したのは昨年11月にオープンした「北海道坂本龍馬記念館」を運営するNPO法人メンバーら。同館の向かいに建てられ、制作を他でも龍馬像を造っている長崎市の彫刻家、山崎和国さんに依頼した。高さ6メートル(本体3・5メートル、台座2・5メートル)で、右手が天を指しているポーズ。龍馬は何度か北海道渡航を計画していたとされ、「たとえ独りでも開拓を進める」という意志を表現したという。

 函館では元町の二十間坂上に設置された「自由の女神」像が景観論争になり、8月に撤去されたばかり。今回の龍馬像は市が指定する都市景観形成地域外で、通りにも面していないため、市都市デザイン課は「特に問題はない」としている。

 龍馬記念館の三輪貞治館長は「銅像は力強く、顔の表情もいい。開館1周年に当たる来月14日の除幕式には大勢の人に来てもらいたい」と話している。

 約1700万円の費用は寄付金を募集中。問い合わせは龍馬記念館(0138・24・1115)。【近藤卓資】

 ◇7都県に18体 直接縁ない場所も
 歴史上の人物の中でも特に人気が高い坂本龍馬の像は、全国にある。高知県立坂本龍馬記念館によると、昨年までに把握できる範囲で▽高知▽香川▽愛媛▽長崎▽熊本▽鹿児島▽東京--の7都県で18体が建立され、今年の大河ドラマなどでのブームで、さらに増えているという。

 中には、立ち寄っただけの場所や、龍馬と直接の縁はないとみられる土地もあるが、同館は「それだけ国民に愛されている証拠で、記念館としては構わない」と話している。


岩手
「三閉伊一揆」の先人に光 岩泉・安家中が創作劇
 岩泉町安家の安家中(佐藤雄心校長、生徒6人)の生徒は24日の同校文化祭で、盛岡藩で起きた国内最大級の一揆「三閉伊一揆」の中心人物とされる安家村俊作を描いたオリジナル劇を上演する。生徒らが地元出身の先人の足跡を学ぼうとゆかりの地を訪ねるなどして脚本を練った。俊作の生誕200年に当たる今年、地元の歴史にあらためて光を当てようと生徒のけいこにも熱が入っている。

 オリジナル劇の取り組みは、地元の先人を学ぼうと俊作について4月から総合的な学習で取り組んだのがきっかけ。

 生徒は俊作ゆかりの地元の観音堂や一揆関連資料を展示する田野畑村民俗資料館を7月に訪問。本紙で「幕末維新を駆けた男たち 南部三閉伊一揆」を連載する民族芸術研究所(秋田県仙北市)の茶谷十六(ちゃだに・じゅうろく)さん(69)に8月、話を聞くなど俊作の生涯に触れた。

 生徒と教諭が協力して脚本を9月に完成。主なキャストはいずれも3年生が務め、俊作を小路一基君、妻のきんを水野唯さん、一揆の中心人物の一人、淀屋敷の忠太郎を向川戸さやかさんが演じる。

 小路君は「安家は小さな目立たない地域だと思っていたが、俊作について学び、誇りに思える人がいる、自信が持てる地域だと感じた」と語る。

 1年生の大下堅司君、高井悠太君、中村江里奈さんの3人は一揆側の農民と防ぐ役人の両方を演じる。同校の6人の生徒が、1万人以上が加わったとされる一揆を表現するだけに、お面を使ったり、一揆勢の姿を絵で表すなど工夫。水野さんは「6人全員が出演し、せりふは多いが充実している」と語る。

 本番に向けて向川戸さんは「一揆について地域でも知っている人は少ない。先人の行動を知り、安家に誇りを持つきっかけにしてほしい」と呼び掛ける。

 安家村俊作とは 1810(文化7)年、安家(現岩泉町安家)に生まれた。三閉伊一揆は盛岡藩の度重なる重税に耐えかね、1847(弘化4)年と1853(嘉永6)年に沿岸地方の民衆が決起。俊作は弘化の一揆では盛岡藩への願書案文を執筆するなど中心的な役割を果たした。弘化の一揆後は、捕らえられて下北半島に流された。嘉永の一揆後は解放され、北海道に移住した。


宮城
感激ルーツ探しの旅 亘理伊達家旧家臣の子孫が親類と面会
 戊辰戦争に敗れ、北海道に屯田兵として移住した亘理伊達家旧家臣の子孫3人が「先祖のルーツを知りたい」と18、19の両日、亘理町を訪れた。地元の郷土史家らが調査した結果、曾祖母の親類を突き止めることができた。子孫らは「故郷とのつながりが確認できうれしい」と喜んでいる。

 訪問したのは北海道千歳市の無職斉藤興二さん(70)といとこ2人の計3人。斉藤さんは、曾祖父常吉さん(生年不詳―1885年)が亘理伊達家の旧家臣で、亘理郡長瀞村(現亘理町)から1875(明治8)年、屯田兵村として有名な札幌市西区琴似地区に入植したことを伝えられてきた。
 斉藤さんは「ひいじいさんが亡くなったのは祖父が5歳の時。入植の経緯などが伝えられなかった」と語る。斉藤さんの亡父が二十数年前にも訪問調査を行ったが、手掛かりはなかった。
 この話を知った亘理郷土史研究会(小野敏男会長)の会員と町郷土資料館が調査。斉藤家の戸籍の記載から、常吉さんの妻キヨノさん(生年不詳―1914年)が亘理郡高屋村(現亘理町)の「陰山家」出身であることを手掛かりに調べた。同町逢隈高屋柴地区に、姓は違うがキヨノさんの妹の子孫が住んでいることが分かった。19日に子孫と面会した斉藤さんは「書の大家を出した家柄と聞いた。うちの祖父も達筆だったため、親類の血筋の証かもしれない」と推測する。
 研究会会員の月田秀吾さん(76)は「先祖の故郷を知りたいと北海道から来る人は多いが、親類と面会できるケースはまれ。分かって本当によかった」と喜ぶ。
 斉藤さんは「郷土史会の皆さんのおかげ。成果を基にさらに曾祖父の手掛かりを探りたい」と話している。連絡先は斉藤さん、0123(24)5471。



東京
幕末の志士の姿でパレード 世田谷
 東京都世田谷区で24日、「幕末の志士+奇兵隊パレード」が行われ、志士や新撰組などにふんした人たちが世田谷区役所前から幕末の思想家、吉田松陰の墓所がある松陰神社まで練り歩いた。
 パレードは、23日から開かれた「第19回 萩・世田谷 幕末維新祭り」のハイライト。若林小学校児童による鼓笛隊の先導で、幕末の志士らの姿になった国士舘大生や地元の中学生ら約80人が歩を進めた。
 松陰の門人、高杉晋作らが発案し組織された奇兵隊の役を担った面々は、隊長の命令できびきびと行軍。鉄砲ややりなどを携えた様子は迫力満点で、集まった人たちを楽しませた。
 松陰役を演じた人は「多くの人に歴史好きになってほしい。松陰神社や商店街のことも知ってもらえればありがたい」と語った。


『松陰眼鏡ふき』祭り盛り上げに 世田谷みやげに指定
 幕末の思想家・吉田松陰にちなんだ「眼鏡ふき」を、世田谷区の松陰神社通り商店街にある時計・眼鏡店「美松堂」が作った。区の指定する「世田谷みやげ」にもなった。今年は松陰の生誕百八十周年。店主の佐藤勝さん(57)は、二十三、二十四日に神社周辺で開かれる「萩・世田谷幕末維新祭り」の盛り上げに役立てようと、意気込んでいる。
 眼鏡ふきは二十センチ四方。古典的な柄の地に、松陰の肖像画のシルエットと、松陰が松下村塾に掲げた漢詩をあしらった。「労を惜しまずたくさん本を読んで人の役に立ちなさい」とする解説文を添えた。松陰没後百五十年の昨年、祭りの土産用に作ったところ、「歴女」たちの人気を呼んだ。価格は、七百三十五円。
 松陰神社は松陰亡き後、高杉晋作や伊藤博文ら門人が改葬した墓所に、松陰を祭って建てられた。神社直近の商店街は地域活性化のため十八年前から命日(十月二十七日)に近い土日曜に祭りを開催。各店で松陰にちなむ菓子などが開発され、佐藤さんも約五年前から土産作りを検討していた。神社は学問の神で「受験生のお土産にも最適」とアピール。世田谷みやげで認知度をアップさせ、「今後はネット販売もして松陰ゆかりのまちのPRにつなげたい」と話す。
 祭りでは、松陰が登場する幕末野外劇や、松陰に関する歴史講演会、松陰ら幕末の志士と奇兵隊のパレードが行われる。
  (松村裕子)


日米「桜」交流100年 記念のリキュール、足立できょう発売
 明治時代初期、現在の足立区北部の荒川堤に植えられ、日米交流の象徴としてワシントンにも贈られた「江北の五色桜」にちなんだ桜色のリキュール「あだち五色桜物語」が誕生。新たな足立みやげとして二十四日、同区内で発売される。サクラによる交流の歴史を次の世代に残したいと、地元の人たちが開発した。 (井上圭子)
 「五色桜」は明治維新で大名たちが江戸屋敷を去る際、庭に残していった珍しい品種の桜を、江北村(現・足立区江北)の人々が荒川堤に移植したのが始まり。全長六キロにわたり七十八種三千二百二十五本の濃淡さまざまな桜が咲き乱れ「五彩にたなびく雲のような景観」と称賛された。
 一九一二年、当時の尾崎行雄東京市長が、この桜を接ぎ木した苗三千本を米国へ寄贈。毎年ポトマック河畔を彩ってきたが、本家の五色桜は荒工事や伐採により絶滅。戦後、復活の機運が高まり、八二年に苗木が区内の舎人公園に米国から里帰り。現在、荒川堤で平成の五色桜づくりが進む。
 二〇一二年の寄贈百周年に先立ち、区立郷土博物館の元職員でNPO法人「五色桜の会」理事長の大久保美智子さん(67)が「百年にわたる桜の交流物語を後世に伝えたい」と桜にちなんだ酒の開発を企画。区内十人の若手酒店主でつくる「酒千会」(成田一司会長)に呼びかけ商品化した。
 麦焼酎ベースのリキュールで、水を注ぐと朱色から、透き通った桜色に変わる様子が“五色桜”を思わせる。味わいは「甘くてまろやか」(成田さん)。
 七百二十ミリリットル入り千五百円、三百六十ミリリットル入り九百円。いずれも千住地域にある、「酒千会」加盟十店舗で販売する。問い合わせは成田酒店=電03(3881)6056=へ。


石川
年中行事は娯楽の場 「武士の家計簿とその時代」シンポ
 金沢学院大リレーシンポジウム「武士の家計簿とその時代~幕末維新を生きた家族の物 語を読む~」(本社、学校法人金沢学院主催)の第2回は23日、金沢市の北國新聞20 階ホールで開かれた。同大教授ら4氏が幕末の住宅事情や食生活などを解説し「年中行事 は儀礼だけでなく、娯楽の場でもあった」などと、人付き合いの濃い先人の暮らしを掘り 起こした。
 映画「武士の家計簿」(北國新聞社、アスミック・エース、松竹製作)の12月全国公 開を記念したシンポジウムで、今回のテーマは「百万石城下 金沢の暮らし」。見瀬和雄 教授が進行役を務めた。
 石崎建治准教授は映画で描かれる加賀藩士、猪山直之の勤務形態を紹介。藩主の御(お )次(つぎ)執筆役(しっぴつやく)(書記官)時代は毎日出勤し、ほかの武士に比べ激 務だったことを指摘した。
 馬場先恵子教授は、金沢市片町2丁目にあった猪山家から黒門前緑地にあった御算用( ごさんよう)場(ば)まで、直之の通勤路を推察し「西外惣構堀(にしそとそうがまえぼ り)に架けられた香林坊橋など、城の防御施設をまたいで通勤しており、気が引き締まる 思いだったのではないか」と話した。
 儀礼や行事を重んじた武家の暮らしにも触れられ、陶智子教授は「子どもが丈夫に育つ ことを願う人生行事は家が代々つながることを意味し、非常に重要だった」と解説した。 宴席で出される料理については「金沢らしく食材が多彩。親せきが集まって食をともにす る大きな楽しみもあっただろう」と語った。
 藏角利幸金沢学院短大教授は、主に町人や農民がたしなんだ俳句を武士も楽しんでいた ことを示す貴重な史料の存在を指摘し「俳席を通じた武士と町人の交流が、経済活動にも 結び付いていた可能性がある」と説明した。
 最終回の第3回は11月20日に「幕末~明治、嵐の中の金沢」をテーマに開く。




京都
龍馬逃走、隠し廊下に興味 向日で歴史ウオーク
 向日市文化資料館(同市寺戸町)が主催する歴史ウオーク「幕末の西国街道を歩く」が23日、同市向日町や上植野町などで行われ、参加者が地域の幕末の歴史にまつわる社寺や建造物をめぐった。
 同資料館は年1回、歴史ウオークを催している。今年は11月28日まで開催中の特別展「幕末・維新の乙訓をゆく」に合わせ、同時代にゆかりのある場所を訪れることにした。
 この日は、乙訓2市1町や大阪から約30人が参加。西向日公園を出発し、上植野町の寺や橋、中小路家住宅、さらに向日町の町並みを見て向日神社へと、約4キロを歩いた。
 うち向日神社では、鳥居そばにあり普段は見られない社司六人部(むとべ)邸を見学。六人部是継(よしつぐ)宮司が説明に当たり、邸宅は江戸中期に建てられ、幕末には宮司の是香(よしか)が国学者平田篤胤(あつたね)に師事した関係で多くの志士が邸宅に出入りしていた、と話した。「坂本龍馬が逃げたとされる隠し廊下がある」と案内すると参加者が一斉に詰めかけて、興味深そうに眺めていた。


桓武天皇・龍馬・紫式部…仮装2千人 京都・時代祭
 秋の古都を彩る、京都三大祭りの一つ・時代祭が22日、京都市内で始まった。市民ら約2千人が「千年の都」を象徴する歴史上の人物に扮して、都大路を練り歩いた。

 平安遷都当時の桓武天皇と、東京に首都が移る直前の孝明天皇を祭った輿(こし)「鳳輦(ほうれん)」を2基連ねた「神幸列(しんこうれつ)」が午前9時、平安神宮(左京区)を出発し、京都御苑(上京区)へ。正午からは、幕末の志士・坂本龍馬や戦国武将・織田信長のほか、平安期の「源氏物語」作者の紫式部、「枕草子」の清少納言らの行列が京都御苑から平安神宮へ向かった。(竹田真志夫)


峯山藩主の肖像画並ぶ 京丹後で特別展
 江戸時代の峯山藩について紹介する特別展「峯山藩主京極氏と峯山藩の世界」(京丹後市教委主催)が、同市丹後町の丹後古代の里資料館で開かれている。11月28日まで。

 峯山藩は関ケ原の合戦後、丹後国に封ぜられた京極高知の没後、養子の高通が約1万石を得て成立、明治維新まで12代続いた。

 会場には、高知から10代高景まで京極家の藩主らの肖像画12点をはじめ、領内の庄家が公務を書き残した永代帳や、藩が領民に発令した45カ条のおきてを記した文書などを展示している。有料。

 23日午後1時半からは峰山総合福祉センターで、峯山藩と近世の丹後との関係を考えるセミナーがあり、府立大の水本邦彦名誉教授らが講演する。


大阪
大阪ええトコ再発見
大阪城公園

豊かなドラマ映し出す
 戦国の世で天下統一を果たした豊臣家の繁栄と滅亡-。幕末期には諸外国との外交の舞台となり、太平洋戦争時には軍事拠点として米軍の標的にもなった。
 日本の歴史に残る数々のドラマを今に伝え、大阪を代表する観光名所として国内外からの観光客でにぎわう大阪城公園。その一方で、緑豊かな四季折々の景観の中、ランニングや散策にと気軽に利用され、多彩なイベントが開かれるなど、訪れる人が絶えない。
 大阪城天守閣の北川央研究副主幹は、国内に残る城に比べ、「珍しいものが残っている」と指摘する。
 地上の大阪城遺構は、江戸時代の徳川家の再築以降に造られたもの。徳川幕府の金貨や銀貨の保管庫だった「金蔵(きんぞう)」や、外壁から内部まで花こう岩を敷き詰めて頑丈に造られた火薬庫「焔硝蔵(えんしょうぐら)」などは貴重な建物だ。この2棟を含め、計13棟が国の重要文化財に指定されている。
 また、石垣に巨石が多く使われている城として、全国の城郭の中でも抜きんでた存在。
 城内最大の「蛸石(たこいし)」は高さ最大5・5メートル、横11・7メートルで、重さは推定約130トン。再築工事への参加を命じられた大名は、石高に応じて石垣の長さを割り当てられ、出来栄えを競い合わざるを得なかったとみられている。自分の担当区域を誇示するかのように家紋などの刻印が掘り込まれている例も多いという。
 北川研究副主幹は「大阪城ほど豊かなドラマが残る城はない。目に見えないものを頭に浮かべながら歩いてもらえれば」と呼び掛けている。


兵庫
はばタンと学ぼう:川本幸民って何した人? /兵庫
<兵庫県マスコット>

 ◇ビール醸造や写真撮影--日本近代化学の祖
 今年のノーベル化学賞に鈴木章・北海道大名誉教授ら2人の日本人が受賞しました。この「化学」という言葉を日本で最初に使ったのが、三田藩出身の蘭(らん)学者、川本幸民(1810~71)です。ビール醸造やマッチの試作、写真撮影など、日本初となる技術を数多く成功させ、「日本近代化学の祖」と言われます。実験や試作を繰り返して確かめることを大切にした「科学者」です。

 藩医の三男に生まれ、9歳で藩校・造士館に入学。漢方医の塾で西洋医学の本に出合い、蘭学を志すようになりました。江戸で当時最高の蘭学者・坪井信道の塾「安懐堂」に入門します。後に適塾を開く緒方洪庵とも親交を深めました。

 結婚してまもなく、酒に酔って同僚を刀で切りつける事件を起こしました。順風満帆の人生が一転しますが、5年間の謹慎中に西洋書の翻訳や物理学の解説書などを執筆します。

 こうした才能を薩摩藩主・島津斉彬に見いだされ、薩摩に招かれます。幸民が講義の合間に話した科学余話を薩摩藩士がまとめた「遠西奇器述(えんせいききじゅつ)」には、蒸気機関車や電信機など西洋の最新機器や学問が解説されています。黒船来航で騒然とする中、ペリーが運んできたビールを研究し、日本で初めてビール醸造に成功します。試飲会には桂小五郎らも参加したとされます。

 幕末の動乱期を駆け抜けた幸民。その生涯を描いた演劇「ええお日和(ひより)やなぁ」(毎日新聞阪神支局後援)が23日、三田市総合文化センター・郷の音ホールで上演されます。幸民さんに会いに行ってみてください。【粟飯原浩】


銅像:兄と間違えられ上野公園に33年 初代オランダ領事胸像、神戸へお帰り /兵庫
◇日蘭友好の礎 没後120年、ゆかりの地に
 神戸港の開港直後の明治初期に初代の在神戸オランダ領事を務めたアルベルト・J・ボードワン(1829~90)の胸像の除幕式が23日、中央区港島2のポートアイランド北公園であった。胸像は東京・上野公園創設者の兄と間違われ33年間にわたり同公園に設置され、撤去後は行き場を失いオランダ大使館に眠っていた。没後120年を迎えた今年、ゆかりの神戸に戻った。【井上梢】

 アルベルト・J・ボードワンは幕末にオランダ貿易会社の日本代表として長崎に来日。1868年の神戸港開港直後、初代在神戸オランダ領事に就任し、貿易面から日蘭友好の礎を築いた。

 同氏の胸像は1973年、上野公園に同園創設者で医師だった兄アントニウス・F・ボードワン博士(1820~85)の像として設置されていた。弟の写真を兄と取り違えたのが原因とみられ、指摘を受け06年に兄の銅像が再建されたが、弟の像は撤去されてオランダ大使館に収蔵されたままとなっていた。

 日蘭通商400年の昨年、在大阪・神戸オランダ総領事館が神戸市に寄贈を申し出て、没後120年の今年に像の設置が決まった。

 除幕式にはマルガリータ・ボット在大阪・神戸オランダ総領事や矢田立郎神戸市長らが参加した。

 ボット総領事は「この島から港と素晴らしい神戸の街並みを眺められ、居心地はいいはず」と話し、矢田市長は「140年を超えて神戸におかえりになった。最初の西洋文化を持ち込み、ビジネスの拠点として活躍してもらった。これからの神戸も見守ってくれると思う」と像を眺めた。


兄と間違われ33年 オランダ人胸像、神戸で第二の人生
 東京・上野公園の「生みの親」として公園内に33年間も飾られていた1人のオランダ人の胸像が、神戸市に移された。26年前に兄と間違えられていたことが判明。その後も兄として公園に居続けていたが、4年前に兄の胸像が新設され、行き場を失いかけていた。関係者の尽力で、ゆかりの地・神戸に落ち着くことになった。神戸港を望む公園で22日午後、除幕式がある。

 弟は幕末に来日したアルベルト・ボードワン(1829~90)。1868年の神戸開港とともに、在神戸オランダ領事館の初代領事に就任した。

 兄は、東京・上野公園の「生みの親」として知られるアントニウス・ボードワン(1820~85)。江戸幕府の招きで来日。長崎・出島や大阪仮病院(現・大阪大医学部)で教えた「日本の西洋医学の祖」の一人だ。

 37年前、オランダ政府は、上野公園の創設100年を記念して、公園の生みの親である兄の胸像を制作し、東京都に寄贈した。

 ところが、11年後の1984年、胸像のモデルが実は弟だったことが明らかになる。医学史を研究していた岡山県の医師が、オランダの大学教授から教えられ、新聞紙上で指摘した。

 在大阪・神戸オランダ総領事館によると、胸像制作の際にオランダ政府から写真提供を依頼された親族が、間違えて弟の写真を提供したらしい。ジュリアン・リクード報道文化部担当官は「若はげだった弟の方が年上に見えたんでしょう」と推測する。

 しかし、取り違えがわかった後も、弟の胸像は兄として公園に飾られ続けた。

 さらに21年たった2005年、今度は大阪市中央区の法性寺(ほっ・しょう・じ)の住職を務める山本信行(しん・ぎょう)さん(63)が取り違えを知った。

 兄は1869(明治2)年から約1年間、寺に下宿していた。写真をもとに建てた顕彰碑が境内にあり、山本さんにはひと目で別人とわかったという。
「これはいかん」

 その年はくしくも兄の没後120年。「許可さえいただければ、建て替え費用は全部こちらで集める」。東京都やオランダ側を説得。全国から集めた約400万円の寄付金で、翌年、造り直した兄の胸像を設置した。一方、弟の胸像は、オランダ大使館の倉庫にお蔵入りしてしまった。

 「第二の人生をどこかで歩ませたい」。オランダのディルクヤン・コップ前総領事が昨年2月、神戸市の矢田立郎市長に手紙で訴え、神戸市は神戸港を望むポートアイランドの公園に迎えることにした。

 最近になって、寺には弟も立ち寄っていたことがわかった。「制作から37年。やっとのことで安住の地が見つかり、本当にほっとしました」と山本さん。除幕式に参列し、胸像の前途を市長や総領事とともに祝う予定だ。(日比野容子)



香川
幕末の若者思い、咸臨丸ゆかりの曲聴く 多度津で演奏会
 塩飽諸島の若者が乗り込んだ幕府軍艦「咸臨丸」の渡米150年行事の一つとして、多度津町立資料館で23日、舞曲ポルカの曲「トミー・ポルカ」の演奏会があった。この曲は咸臨丸とともに航海した米軍艦に乗っていた使節団の若い随員にちなんで作曲された。参加した人たちは音楽を通じて幕末に生きた若者たちに思いをはせていた。
 この随員は立石斧次郎。当時17歳。通訳見習いとして使節団に加わった。「トミー」と呼ばれて現地の女性たちに親しまれたことから、米国の音楽家が作曲したという。
 演奏者は音楽家の野田純子さん。電子ピアノで曲を弾き始めると、訪れた約50人の人たちは特徴的なリズムに合わせて首を振って聴いていた。演奏時間は3分ほどだったが、善通寺市の大学院生白井澄さん(33)は「聞いたことがあるようでない、親しみやすい曲でした。自由で活発な人柄が目に浮かぶようでした」と話した。
 ポルカの由来や塩飽の水夫について説明した県地域振興アドバイザーの竹内守善さんは「日本語の詞をつけたい。当時の日本人は個性あふれ、たくましかったことを知ってもらえて良かった」と話していた。


本島で顕彰碑除幕式/咸臨丸渡米150周年記念
 咸臨丸の渡米150周年を記念し、乗組員として活躍した塩飽諸島出身水夫35人の功績をたたえる顕彰碑が、香川県丸亀市本島町の本島港に完成。24日、同所で除幕式が行われた。

 顕彰碑建設は、「島びと自身による島おこし」を合言葉に、地元住民らで結成した咸臨丸渡米150周年記念事業本島実行委員会(吉田智彦委員長)が企画。島民や島出身者らから寄付を募ったところ、約400人の賛同を得た。

 顕彰碑は高さ約1・5メートル、幅約3・3メートル、厚さ約0・3メートル。表面には水夫35人の名前や咸臨丸の写真、「世紀の大業に活躍した塩飽水夫の名をとどめ、その功績を永(なが)く讃(たた)えんとする」などとした碑文を記した。裏面は寄付者の名前を刻んだ。事業費は約300万円。

 式典には新井市長、高木副知事をはじめ、地元住民、関係者ら約250人が出席。吉田委員長は「維新216件前後の歴史に、塩飽水夫の大いなる貢献があったことを後世に長く伝えたい」とあいさつした。

 来賓が顕彰碑にかけられた白い幕を落とすと、出席者から一斉に拍手が沸き上がった。席上、完成を祝うとともに塩飽水夫の冥福を祈る法要も行った。

 この日は本島小学校で、郷土史家の入江幸一さんによる講演も実施。150周年記念事業は11月30日まで、展示会や講演などを島内各地で行う。



山口
育英塾:正座で論語、幕末体験 児童18人参加--萩・須佐歴史民俗資料館 /山口
 萩市須佐の須佐歴史民俗資料館「益田館」で22日、第18回幕末体験「育英塾」(須佐公民館主催)が開かれた。地元の育英小、弥富小の6年生18人が着物で参加し、正座で論語などを学んだ。
 毛利藩永代家老で須佐領主の益田家が、地元に子弟教育ための郷校「育英館」を開設。藩校・明倫館とともに幕末の教育を担った。授業風景を再現し、当時の歴史や志士たちの意気込みを知ってもらおうと毎年開いている。
 授業は、育英館時代の講義、書道、剣術で合計1時間40分。郷土史研究会の西村武正副会長(82)と須佐剣友会の豊田盛さん(61)が指導した。西村さんは「江戸時代はコピーなどなく紙も貴重。真っ黒になるまで書いて勉強した。先生を敬い、自分を磨くのに一生懸命だった」と当時の勉強の環境などを話し、須佐地域の歴史、論語を唱和した。児童たちは、慣れない座り机で正座をしての勉強で、足をしびれさせながらも、熱心に耳を傾けていた。【川上敏文】


平和祈念祭:志士しのび 子孫ら「万骨塔」で慰霊--長府 /山口
 下関市長府川端の市立長府博物館で20日、明治維新を中心に日本のために命を懸けた人たちに思いをはせる平和祈念祭があった。博物館そばに建つ、幕末の有名無名の志士たちの霊石が安置された慰霊塔「万骨塔」前に約50人が集まり、平和への思いを新たにしていた。

 万骨塔は1933年、志士の顕彰と慰霊のため建立された。高杉晋作や西郷隆盛、坂本龍馬を支えた盟友・三吉慎蔵、戊辰(ぼしん)戦争で集団自刃した白虎隊などの霊石が安置され、地元・長府博物館友の会(金田満男会長)が毎年慰霊を続けている。

 この日は、三吉慎蔵のひ孫、三吉治敬さん(72)=長野県上田市▽白虎隊士で唯一生き残った飯沼貞吉の孫、飯沼一元さん(67)=東京都世田谷区=らが塔の前で手を合わせた。

 三吉さんは「先人たちの志、そして平和の尊さを若い人たちに伝えていくことが大切」とし、飯沼さんも「会津と長州は複雑な関係だが、東西問わず義に生きた人たちをまつり、白虎隊の霊石を安置しているのは非常に意義あることだ」と語った。【松田栄二郎】


萩ものがたり:「浪漫陶々」、「長州ファイブ物語」を市内書店などで販売 /山口
◇27・28冊目発行
 萩市のブックレット・シリーズ「萩ものがたり」の27冊目「浪漫陶々(ろまんとうとう)」(80ページ、800円)と、28冊目「長州ファイブ物語-工業化に挑んだサムライたち」(64ページ、600円)が発行された。各A5判。萩市の歴史や文化、人物など後世に語り継ごうと、4、10月に各2冊を発行している。

 「浪漫陶々」は、陶芸家・12代三輪休雪氏が新聞に連載した、エロス(愛)やタナトス(死)をテーマした50回シリーズの随筆。「伝統の根源は革新である」という作家の信念と、学生時代の思い出話や作品完成の舞台裏などを写真入りでつづっている。県立萩博物館・浦上記念館陶芸館開館記念出版。

 「長州ファイブ物語」の著者は、萩博物館の道迫真吾主任研究員。幕末に欧米列強を追い払う海軍術を学ぶため英国密航した伊藤博文ら5人が、西洋文明を学ぶことで欧州諸国に劣らぬ強い国をつくることを決意。帰国後、日本の工業化に挑戦するさまを紹介している。井上勝没後100年記念出版。

 市内の萩博物館や書店、道の駅などで販売。問い合わせは事務局の萩市役所広報課(0838・25・3233)。【川上敏文】



佐賀
佐賀の遺産で歴史を学ぼう 世界遺産フェア
 佐賀藩の近代化産業遺産をテーマにした「世界遺産フェア2010」が24日、佐賀市川副町の佐野常民記念館と佐野記念公園で開かれる。講演会や複製蒸気機関車の走行実演などがあり、楽しみながら佐賀の歴史に触れる。
 
 幕末佐賀藩の功績を顕彰する佐賀伝承遺産研究会(土師俊資会長)と佐賀市の共同事業。会場となる公園は、世界遺産登録を目指す九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産の一つ、三重津海軍所跡にある。
 
 記念館では午前9時20分から、長野暹・佐賀大名誉教授と前田達夫・佐賀市教委世界遺産調査室長が日本の近代化に果たした佐賀藩の功績や海軍所跡の発掘状況などについて講演。午後1時からは精煉(せいれん)方製作の蒸気機関車を基に復元したレプリカの走行実演がある。公園では諸富、川副両中吹奏楽部による合同演奏会や消防車などの展示、バザーなども行う。
 
 世界遺産登録には市民の盛り上がりが欠かせない。土師会長は「今まで興味がなかった人も現地に一度足を運んでもらい、佐賀藩が誇る近代化遺産に関心を持って」と来場を呼び掛ける。問い合わせは土師会長、電話090(4515)9717。


タウンたうん:24日に「世界遺産フェア」--佐賀 /佐賀
 24日に開かれる「世界遺産フェア2010」のPRで、佐賀伝承遺産研究会の土師俊資会長らが佐賀市役所を訪れた。

 幕末遺産の三重津海軍所跡の世界遺産登録機運を盛り上げるイベントで、佐賀市川副町の佐野記念公園で開催。公園前の佐野常民記念館で午前9時20分から発掘状況などについて講演がある。

 築地反射炉跡などのパネル展示のほか、佐賀藩が製作した蒸気機関車のレプリカを走らせるなど、親子で楽しめるイベントも。

 近くの「ミゾタ川副事業所」に駐車場を設け、無料シャトルバスを運行する。【姜弘修】


長崎
中岡慎太郎の写真ガラス原板公開 24日まで長崎歴文博
 坂本龍馬の盟友で、薩長同盟実現に奔走した幕末の志士、中岡慎太郎の写真のガラス原板が22日、長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)で開催中の「実録・坂本龍馬展」(長崎新聞社、NHK長崎放送局など主催)で公開された。24日までの3日間限定。

 写真は、龍馬と共に暗殺される1年前の1866年11月に京都で撮影。ガラス原板は今夏、慎太郎が京都で下宿していた書店の子孫=富山市在住=宅で見つかったばかり。慎太郎の故郷・高知県以外では今回が初公開となる。

 原板は縦約8センチ、横約10センチ。照れ笑いのような表情を見せてくつろぐ慎太郎が非常に鮮明に写っている。佐賀市の会社員、高野健一さん(40)は「高校生の時、京都への修学旅行で慎太郎の墓参りをしたことを思い出した。きょう、ここで出会えてよかった」と感動の面持ちで写真に手を合わせていた。


ブックレビュー
【書評倶楽部】古美術鑑定家・中島誠之助 『幕末明治傑物伝』 紀田順一郎著
抑え込まれていた能力噴出
 幕末明治という激動の時代を生きた人々の話は坂本龍馬や土方歳三(ひじかた・としぞう)のように倒幕や維新を彩った英傑ばかりが世に知られているが、開港地・横浜を舞台に活躍した先人たちのことは知られていない。
 嘉永6(1853)年の黒船来航を契機にして開かれた横浜は幕府の権力や攘夷(じょうい)派の騒乱が及ばない日本の白地図であり、外国人の治外法権がまかり通る土地であったことが、この本の登場人物たちの重要なポイントになる。
 冒頭を飾る伝道医師ヘボンの業績は誰しもヘボン式ローマ字の創始者だとは知っていても他になにを成したかは知られていない。人気の歌舞伎役者を救った大手術の成功者であり、日本人の可能性を信じた教育者であったことを知る人は少ない。本名のヘプバーンを当時の人たちがヘボンと聞き「平文」と表札を出したことも意外である。
 通行人が店の前を鼻を押さえて駆け去る牛鍋屋を開いた事業家の苦心とそれを応援した福沢諭吉の先見や、横浜に文化財を集めて文化に寄与した生糸商・原三渓の事跡。
登場人物の多彩さも各界にわたる。製パン業や初期の洋画家や新聞の創始者などなど、さらにけた外れの相場師・天下の糸平や易断で豪商一代の高島嘉右衛門などなど、郵便事業の先覚者・前島密(ひそか)やハヤシライスの語源などなど。人間模様の面白さは読者をして幕末の新開地に誘い込む。
 幕末から文明開化を迎える時期の横浜は武士も町人もない実力本位の世界で、身分の差で抑え込まれていた人々の能力が一気に噴出したのだ。そしてそれを可能にしたのは封建時代に培われた各藩の高い教養だったのだ。
 巻末には外人墓地に葬られているイギリス人噺家(はなしか)・快楽亭ブラックが登場する。来日して庶民の中に生きた喜びと哀(かな)しみを横浜生まれの著者は慈愛の筆で結んでいる。(平凡社・1785円)
                   ◇
【プロフィル】中島誠之助
 なかじま・せいのすけ 昭和13年生まれ。東京・青山の骨董通りの名付け親。著書に『ホンモノの人生』『骨董屋からくさ主人』ほか。







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