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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 アップしきれなかった記事を追加します。

北海道
掘り出しニュース:函館開港150周年:ペリーから発案「夢弁当」 調理師学校が創作
【北海道】函館開港150周年を記念し、地元の海産物をふんだんに盛り込んだ「函館夢弁当」を、地元の調理師専門学校などが創作した。「黒船来襲」で知られ、幕末に函館にも来航した米ペリー提督からイメージを膨らませた和風・洋風の2種類。一部は市内と近郊で11月1日まで販売される。

 企画したのは、いずれも函館市にある函館短大付設調理師専門学校とコンビニエンスストアチェーンの「ハセガワストア」、コミュニティーFMの「FMいるか」。地域住民らに地元食材の魅力を知ってもらおうと、02年から毎年共同で創作弁当を期間限定で企画・販売しており、今年は「開港150周年」をテーマに取り組んだ。

 和風は、ペリー提督が地元の水産資源にも関心を寄せていたという逸話を基に、北海道近海のさまざまな魚介類を使用した。地場のホタテを使った「帆立シューマイ」や「帆立の子の茶碗(ちゃわん)蒸し」のほか、「秋鮭サラダ焼き」「サバの南部揚げ」を提供。ご飯は、話題の道産米の新品種・ゆめぴりかを使い、「キノコご飯」や「ゆかりご飯」など4種類の味が楽しめるようにした。

 洋風は、ペリーの出身地である米ロードアイランド州近郊の郷土料理をベースに構成。白花豆と豚の塩漬けを煮込んだ「ボストンべークドビーンズ」や「ベーコンのローストバーボンウイスキー風味」など、オードブル風に仕立てた。

 洋風はすでに予約完売しているため、販売は和風のみで1折780円。函館市内と近郊のハセガワストア14店で受け付ける。問い合わせはハセガワストア本部(0138・54・5731)へ。【昆野淳】


今夏公演の名シーンふんだんに 野外劇カレンダー4日に発売
 NPO法人市民創作「函館野外劇」の会(フィリップ・グロード理事長)は、「2010年版カレンダー」(B3判、8ページ)を11月4日から発売する。今夏公演の名シーンがふんだんに盛り込まれており、野外劇ファンに幅広く人気を集めそうだ。

 同会では資金確保の目的で、写真家、野呂希一さんが撮影した写真を使ったカレンダーを10年前から毎年作製している。

 今年は表紙に戊辰戦争の激しい戦闘シーン場面を配置。2カ月単位、全6ページのカレンダー部分には、例年は劇のストーリーを追った遠景を使用しているが、今年はより多くの出演者の表情を楽しんでもらおうと、一人一人の息づかいが伝わるクローズアップ写真を多用している。また最終8ページ目には、劇全体の構成と流れが一目で分かるように各場面の写真と解説が並んでおり、野外劇の観賞ガイドとしても活用できる。

 同会の坂上正治広報部長と演出コーディネーターの石川泰隆さんは「多くの市民の手によって野外劇が作られていることが伝わってる内容に仕上がった」と自信を見せる。例年カレンダーの半数以上を企業や団体が購入することから「一般の方は早めに申し込んで」と呼びかけている。

 価格は1部1000円(税込み)。発行部数は2000部。30部以上まとめて購入すると、企業名や団体名を無料で印刷するサービスもある。注文は電話のみで、郵送の場合は別途300円がかかる。問い合わせは同事務局℡0138・56・8601。


秋田
横手市史:秋田藩の家臣団や、幕末維新の激動扱い 「史料編 近世2」を刊行 /秋田
 横手市の市史編さん室は、初の通史「横手市史」(全10冊と普及版1冊)の7冊目で、近世史料編としては2冊目となる「史料編 近世2」を刊行した。

 秋田藩の家臣団編制や武士の本質「武芸」を詳述した第1編「横手給人と文化・社会生活」▽幕府命令による2度の蝦夷(えぞ)地出兵と、戊申(ぼしん)戦争(1868年)で横手盆地が戦場と化した第2編「幕末維新期の横手」の2部構成。

 白眉(はくび)は城下町の武家社会を動乱の渦に巻き込んだ幕末維新史で、編さん室の高本明博主任(29)は「この地の武士が(激動の)幕末維新期にどうかかわってきたのかを明らかにしたかった」と話した。

 編さん室は「通史刊行は普及版も含め11年度完了予定で、フィナーレが見えてきた」としている。変形A4判ケース入り786ページ(別に口絵カラー16ページ)で、1000部を発行する。3500円。問い合わせは市史編さん室(0182・35・5722)。【佐藤正伸】


栃木
草雲弟子の作品初公開 足利・草雲美術館で特別展
【足利】緑町2丁目の草雲美術館で、開館40周年を記念した特別展「草雲の継承-翠雲・柳渓・魯牛-」が12月20日まで開かれている。田崎草雲の作品が並ぶほか、個人が所蔵する弟子の小室翠雲と、岸浪柳渓の作品を初めて公開。雄渾な山水画など18点が掲げられている。

 今回初めて公開された草雲の弟子の翠雲作「周茂叔愛蓮図」は雄大な山並みが描かれている。一方、同じく初公開の柳渓作「松上孔雀図」は孔雀の羽根を繊細に表現。対照的な趣があり、両作品を見比べるのも面白い。ほかに草雲の作品など計18点が展示されている。

 本県を代表する文人画家、田崎草雲(1815~98年)は足利藩の武家の子として江戸で生まれ、幕末から明治初期にかけて活躍し、幕末には民兵組織「誠心隊」も結成。明治維新の直前に足利へ移住した。

 同館は地元の医師から寄付を受け1969年に開館。草雲の名画と遺品が年間を通じて公開されており、市外から訪れる人も多い。

 休館は月曜日(11月23日は開館)と11月4、24日。入館料は一般210円、中学生以下無料。問い合わせは同美術館電話0284・21・3808。


静岡
近代化産業遺産群シンポを開催=静岡県伊豆の国市
 10月31日と11月1日の両日、静岡県伊豆の国市の韮山時代劇場で、「近代化産業遺産群シンポジウム」が開かれる。造船、製鉄、鉱山など、幕末から明治にかけてわが国の産業の近代化に大きく貢献した施設を歴史遺産として保存し、地域活性化にも役立てようとする地域の関係者が集まり、意見交換などを行う。
 シンポでは、歴史作家の加来耕三氏が基調講演を行うほか、伊豆の国市や山口県萩市、佐賀市、長崎市など、経済産業省認定の「海防を目的とした技術導入の経緯を物語る遺産群」がある自治体の関係者を集めたパネルディスカッションも開催。遺産を活用した地域振興策などについて話し合う。
 シンポジウムと同時に、関係自治体の首長らによるサミット会議も行う。韮山代官として反射炉の建設などを進めた江川太郎佐衛門の代官所跡「江川邸」を会場に、遺産の保全や活用方策などについて事例報告をするほか、相互に協力したまちづくりのあり方などについて話し合う。【もぎたて便】(2009/10/27-09:00




京都
龍馬ゆかりの史跡や名所を歩こう
京都市が幕末観光マップ

 来年1月に始まるNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、京都市は坂本龍馬ゆかりの幕末史跡・名所を歩いて巡る観光マップを作成した。

 薩長同盟締結の舞台となった薩摩藩邸跡や京都御所を巡るコース、壬生付近の龍馬と妻・お龍が会っていたとの伝説の残る武信稲荷神社周辺を歩くコースなど5コースを紹介している。

 当時に思いをはせながら散策できるよう霊山歴史館(東山区)の学芸員が監修し、龍馬の生涯と幕末史も簡潔に紹介している。A4判8ページ、30万部発行。11月2日から市観光案内所などで無料配布する。


山口
吉田松陰の遺品など展示、宝物殿が開館
 幕末の思想家、吉田松陰の没後150年の命日にあたる27日、山口県萩市椿東の松陰神社境内に完成した宝物殿「至誠館」の開館式が行われた。

 式では、二井知事や松陰の兄、民治の子孫にあたる杉治彦さん(神奈川県鎌倉市)らがテープカット。上田俊成宮司が「ここを拠点に松陰先生の思いや行動を全国に広げていきたい」とあいさつした。

 同神社が松陰没後150年を記念して建設。鉄筋コンクリート平屋の522平方メートルで、総事業費は3億5000万円。収蔵する約1000点の資料類のうち、塾生らに書いた遺書「留魂録」や、江戸送りになる時に塾生の松浦松洞が描いた肖像画に松陰自らが思いを書いた「自賛肖像」など36点を展示する。

 一般公開は28日午前9時からで、最初の入館者には「松陰神社所蔵宝物図録」を贈る。年中無休。一般500円、中高生250円、小学生100円。

 問い合わせは同館(0838・24・1027)へ。

(2009年10月28日23時22分 読売新聞)


松陰の資料一堂 至誠館開館
 萩市出身の幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)の150回目の命日に当たる27日、同市椿東の松陰神社境内で、松陰ゆかりの資料を集めた「至誠(しせい)館」の開館式があった。28日から一般公開される。

 鉄筋平屋約520平方メートル。安政の大獄で処刑される前に、松下村塾の塾生にあてた遺書「留魂録」や、塾で使っていた原稿用紙の版木、父や兄らに送った最後の手紙「永訣(えいけつ)の書」など36点を展示。同館は書や掛け軸など約千点を所蔵しており、展示品を入れ替えながら公開する。

 総工費は約3億5千万円。寄付を募り松陰神社が新設した。

 開館式で、二井関成知事や松陰神社の上田俊成宮司たち14人がテープカットした。

 入館料は一般500円、中高生250円、小学生100円。開館時間は午前9時~午後5時で、年中無休。


維新の父・吉田松陰の命日に「至誠館」オープン 萩・松陰神社
 明治維新の原動力となった幕末の思想家、吉田松陰をまつる山口県萩市の松陰神社に27日、ゆかりの資料や遺品などで業績をたどる宝物殿「至誠館」が開館した。

 松陰がいわゆる「安政の大獄」で刑死して今年が150年になることを記念し、松陰神社が5年がかりで建設。松陰の命日に当たるこの日、地元保育園児たちの鼓笛演奏や関係者らのテープカットでオープンを祝った。

 城下町・萩にふさわしい大屋根や白壁があり、所蔵する宝物は処刑前に門弟にあてた遺墨「留魂録」など約1000点。松陰の生涯や思想を解説するパネルもある。

 松陰神社は「時代を超えて人々の心を揺り動かす松陰先生の国家観や教育観などの『志』に触れてほしい」と話している。


県有形文化財:松陰の絶筆、肖像画など754点を指定へ 実像に迫る貴重資料 /山口
◇没後150年
 県文化財保護審議会は26日、幕末の思想家、吉田松陰や吉田家にまつわる書状、肖像画など県文書館所蔵の資料754点を、県の有形文化財に指定することを決めた。松陰の生涯にわたる資料が、時代的に偏ることなく含まれている点が評価された。【諌山耕】

 資料の目玉は肖像画と、処刑直前の絶筆。肖像画は松陰が主宰した私塾「松下村塾」の門下生が1859年に絹地(縦99センチ、横35センチ)に描いたもので、絵の上部に、松陰が自らの思いをつづっている。絶筆は同じ年の10月、安政の大獄で処刑される直前、手元にあった紙(縦33センチ、横24センチ)に「嬉(うれ)しかりける」と、処刑への充足感をしたためた。

 資料は吉田家が1954年、県に寄贈。県立山口図書館での整理を経て、県文書館が05年度に形状などを調査。松陰の没後150年に合わせて文化財登録を諮問した。

 幕末期にまつわる歴史資料の県文化財指定は初めて。社会教育・文化財課は「江戸遊学中の費用録(家計簿)など、日々の行動が詳細に分かる資料も含まれており、松陰の実像を知る意味で貴重」と話している。

 肖像画と絶筆は11月1日まで、山口市後河原の県文書館で特別公開される。入館無料。問い合わせは同館(083・924・2116)。

〔山口版〕



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(34)東大教授・山内昌之 大久保利通
■大義 親(しん)を滅す

 他人に対する優しさは、人間の情緒を豊かにする上でも欠かせない。しかし、思いやりも度が過ぎれば、個人の自助努力や向上心を妨げることにもなりかねない。民主党中心の連立政権は日ごとに“優しさのバラマキ政権”という印象を強めている。

 担当大臣が首相に直談判すると、母子加算が要求項目の内容も精査せずに認められるというアバウトさには呆(あき)れた。子ども手当や高校授業料無償化など民主党マニフェストに列挙された“優しさのバラマキ”は、自民党とは違った質のバラマキ・オンパレードになる危惧(きぐ)を予兆させる。

 民主党閣僚のなかで一味変わっているのは、前原誠司国土交通大臣である。八ツ場(やんば)ダム計画の見直しや羽田空港のハブ国際空港化の提唱に見られる思い切った政治信念の披瀝(ひれき)は、与党に転じると、概算要求で官僚の言いなりになる大臣も多い中で異彩を放っている。何よりも、関係者に対する態度は丁重を極めながら、政策の主張ではぶれないのに好感をもつ人も多い。目標を定めて政治信念を実現するには、周到な準備もさることながら、周囲の圧力や雑音にめげずに毅然(きぜん)として意志を通す一貫性が必要なのだ。

◆近代国家への道筋に足跡

 この点で明治以来の政党政治家が理想とした先人は、まず大久保利通であろう。大久保の政治キャリアは、志士個人の力よりも集団で一糸乱れずに突出する方を有効と見て、保守派と目された藩主の実父、島津久光に接近し、挙藩一致を“国策”とさせることから始まった。久光に京都や江戸への率兵遊説(ゆうぜい)を勧め、幕府を見限って薩長同盟から倒幕に舵(かじ)を切る薩摩藩の基本政策は、大久保の緻密(ちみつ)な頭脳と鍛え抜かれた意志力がなければ成功しなかったに違いない。

 維新後も内務省をつくって内治に責任をもっただけでなく、岩倉使節団の一員として外遊に出る大胆さがないと、明治新政府はもろくも瓦解していたかもしれない。極端な暴力的独裁もなしに、日本が封建国家から近代国家に転換できた道筋のそこかしこには必ず大久保の足跡が見られる。

 ◆友情も顧みない鉄の意志

 しかし、孔子も書いたとされる『春秋』の解説書『春秋左氏伝』にいう大義親(しん)を滅すということもある。まさに大久保は、国家の大事をはかるためには、旧主の恩義や旧友との友情も顧みない鉄の意志をもっていた。廃藩置県のせいで島津久光と決別した大久保は、征韓論をめぐって無二の同志だった西郷隆盛と対決することになった。まさに、西南戦争にいたる2人の確執は、政治のドラマだけでなく、人間社会の悲劇を見る思いもする。

しかし、大久保には、旧友との別れの責任を自らの命であがなう潔さもあった。寡黙かつ威厳にあふれた理論家の大久保に面と向かって異論を吐けるのは、西郷くらいであった。若い頃(ころ)に、「人斬(き)り半次郎」と仇名(あだな)されたさしもの桐野利秋も、大久保に相対するとまともに話もできなかった。明治海軍の建設者で勇猛な山本権兵衛でさえ、大久保の前に出ると、意見を素直に述べられないほど威圧感があったという。大久保が内務省に登庁すると職員らはすぐに私語をやめ、庁舎も水を打ったように静まり返ったというのは有名な話である。

 ◆国の赤字を私財で補填

 しかし、大久保は家族思いでありながら、国の予算赤字を私財で補填(ほてん)したために死後に大借金を残し、家族が生計を営めないほどの清貧を誇った。

 いま友愛や優しさを本当に語るなら、使い切れないほどの資産に恵まれた一部の政治家は、大久保を見習って母子加算や保育園充実の一部を浄財で負担するくらいの太っ腹な仕草(しぐさ)を見せてほしかった。これ以上に自民党に政権奪還を諦(あきら)めさせる痛撃もなかったはずなのに、民主党支持者には残念なことではないか。(やまうち まさゆき)



【プロフィル】大久保利通

 おおくぼ・としみち 幕末、明治の薩摩藩士、政治家。旧名、一蔵。西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と呼ばれる。文政13(1830)年生まれ。島津久光に認められて小納戸役となり、藩政に参与する。西郷、岩倉具視らとともに討幕運動の中心となり、明治政府を樹立。木戸らと廃藩置県を実現する。明治4年、大蔵卿となり、岩倉遣外使節団副使として欧米を巡回。6年に参議となり、西郷の征韓論を退け、内務卿を兼任、事実上政府を指導する立場となる。佐賀の乱、西南戦争などを鎮圧した後、地租改正に取り組み、元老院、大審院、地方官会議の設置による立憲制の樹立を目指した。明治11(1878)年、東京・紀尾井坂で石川県士族らに暗殺された。享年49。
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