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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 ばたばたしてて、大江戸検定の受験勉強がまったくできてません(汗)。公式読本は途中までしか読んでません。明日は当たって砕けてきますわ^_^;。
 この時期、静岡県伊豆の国市韮山で上演される、江川坦庵公を題材にした舞台があるのですが、多忙につき見に行けないのがちょっと残念。

北海道
「箱館奉行所」復元、来夏に一般公開へ
 北海道函館市で復元工事が進められていた五稜郭跡内の「箱館奉行所」の外装部分がほぼ完成した。外壁を保護する覆いがはずされ、140年ぶりに幕末当時の姿があらわになった。現場では観光客らが早くもカメラを向けるなど、新たな観光スポットとして期待が高まっている。現在は内装などの工事中で、来年7月に一般公開される予定。

 江戸幕府が北方警備などの拠点として建設した城郭、五稜郭内には、1864年(元治元年)に箱館奉行所が完成し、蝦夷地統治の中心的役割を担った。1868年(明治元年)に旧幕府軍の榎本武揚や土方歳三らが占拠し、箱館戦争の舞台となったが、新政府軍に明け渡され、1871年(明治4年)に奉行所などの建物が解体された。

 復元工事が進む奉行所は木造平屋で広さ約1千平方メートル。中央部には5層からなる「太鼓櫓」があり、高さは約17メートルに及ぶ。外壁は一部が漆喰塗りの下見板張り、屋根は瓦ぶきで太鼓櫓は銅板ぶきとなっている。

 函館市が2006年から、発掘調査の結果や古写真、文献史料などをもとに、宮大工や左官職人らを集め、当時と同じ場所に忠実に復元を進めてきた。総工事費は石垣の一部修復も含めて約27億円。現在、壁の塗装や建具の取り付けなどの内装工事に入っており、来年6月末には完成。展示物を整備して7月29日から一般公開される。

 地元の観光関係者は、「夜景と並ぶ函館観光の最大の目玉になる。多くの人に幕末のロマンを感じてもらいたい」と、新しい観光拠点の完成に期待を寄せている。



岩手
高野長英墓前祭:40人が冥福祈る--水沢・大安寺 /岩手
 水沢出身で幕末の蘭学者、高野長英(1804~50年)の命日にあたる30日、墓前祭が奥州市水沢区東町の大安寺境内で営まれた。約40人の参列者が焼香し、没後100年祭の時に作った「高野長英頌歌(しょうか)」を唱和し、長英の冥福を祈った。

 高野長英顕彰会(平塚均会長)が主催した。高野家の墓の前で住職の読経が響く中、参列者が一人ずつ焼香し手を合わせた。

 長英は幕府の鎖国政策を批判して投獄された。その後、脱獄し6年間逃亡。江戸・青山百人町に潜伏中にとらえられ、非業の死を遂げた。平塚会長は「まだ長英については分からないことも多い。足跡をたどって長英の実像に迫りたい」と話した。【湯浅聖一】


栃木
江戸後期の書画集めたびょうぶ 画家や思想家の作品一堂に 2、3日 大田原の龍泉寺で公開
【大田原】住吉町1丁目の旧家・高瀬家に保管されていた、幕末の志士や文化人ら6人による書や絵を集めたびょうぶが2、3の両日、山の手2丁目の龍泉寺(植木盛雄住職)で一般公開される。解読を担当した黒羽高の大沼美雄教諭(52)は「当時の知識人、文化人の作品を一度に鑑賞できるびょうぶで珍しい」としている。

 びょうぶは縦175センチ、横360センチで、書と絵画各3枚を連ねている。もともとは別の作品をびょうぶに仕立てたものとみられ、各作者の没年などから150~200年前のものと推定される。

 2月、同寺の檀家を介し同家から寺への寄贈が決定。今月下旬までに修復を終えた。内容や作者は、歴史に詳しい大沼教諭が特定。同家では「尊皇の志士たちの作品」とだけ言い伝えられているが、持ち込まれた理由や詳しい経緯は分かっていない。

 作者はいずれも、江戸時代後期から幕末に活躍した。頼三樹三郎は、尊皇攘夷志士に影響を与えた「日本外史」の著者・頼山陽の息子。びょうぶの詩は、中国の故事に出てくる薊子訓を題材にした内容だ。宇都宮藩士の大橋正順も尊皇の志士で、唐の詩人杜牧の詩「独酌」を書いた。

 また、びょうぶで風景画が見られる三浦梧門と木下逸雲は、「長崎三大家」と呼ばれ高く評価された画家。儒学者の菅茶山の詩と、南画家の浜田杏堂の南画も収録されている。

 植木住職は「歴史的資料なので大切に保管したい。公開日にはぜひ見に来てほしい」と話している。無料。公開時間は午前9時~午後4時。問い合わせは同寺電話0287・22・2978。


足利学校製の幕末の刀を寄贈
刀工の子孫が市に 美術館で公開へ
 幕末期の刀工源景國(みなもとのかげくに)が足利学校で作ったとされる県指定文化財の刀が30日、子孫の足利市本城、小林英二郎さん(92)から同市に寄贈された。

 寄贈された刀は刃渡り約75センチで、表に「晴雲斎(せいうんさい)源景國」と銘がある。元治2年(1865年)に足利学校で作ったとされている。ほかに市指定文化財の刀(刃渡り約87センチ)と、短刀(同約27センチ)も寄贈された。

 小林さんは「個人で楽しむだけでなく、大勢の市民に見てもらいたいと考え、市に寄贈した」と話した。大豆生田実市長は「由緒ある貴重な刀を寄付して頂きありがたい」とし、今後は市立美術館で保管、企画展などで一般公開予定という。

(2009年10月31日 読売新聞)


志士の屏風発見 11月2、3日に龍泉寺で公開 栃木
 尊皇攘夷運動に大きな影響を与えた宇都宮藩の儒学者、大橋訥庵(とつあん)(1816~62)ら尊皇の志士の漢詩や水墨画で仕立てられた屏風(びょうぶ)が、栃木県大田原市の旧家で発見された。訥庵と交流が深かった儒学者、頼三樹三郎(らい・みきさぶろう)(1825~59)の漢詩もあり、尊皇攘夷に情熱を燃やした2人の文人としての一面を知るうえでも貴重な資料だ。

 屏風は、同市の高瀬家が所蔵。「幕末の尊皇の志士の作品」と言い伝えられていた。6曲1隻で、訥庵や三樹三郎のほか、長崎三大家として知られた南画家の木下逸雲(いつうん)(1800~66)ら6人の漢詩や山水画が描かれている。黒羽高校の大沼美雄教諭(52)が漢詩の解読を行った。

 訥庵の書は中国の唐代の詩「独酌」をそのまま書写。三樹三郎は人生の意味を中国の故事を踏まえて表現している。いずれも直筆で、2人の精神的な内面をうかがわせる。

 訥庵は上野国(群馬県)の兵学者の子として生まれ、江戸・日本橋で私塾(思誠塾)を開いていたが、その後、宇都宮藩に招かれた。「坂下門外の変」を企てるなど過激な尊皇攘夷派として知られた。

 三樹三郎は、思誠塾を通して訥庵と交流があったとされる。安政の大獄で処刑された三樹三郎の遺体は、埋葬もされずに打ち捨てられていたが、見かねた訥庵は遺体を棺に納め、埋葬したとされる。また、南画家の逸雲は三樹三郎の父、頼山陽と交流があった。

 この屏風が、どのようにして高瀬家に伝わったかは不明だが、訥庵と三樹三郎の漢詩などであしらった屏風は全国的にもまれで極めて貴重という。

 屏風は、高瀬家の親戚の増渕五郎さん(89)や藤原林次郎さん(76)らを通じて、同市山の手の「龍泉寺」に寄進された。屏風は傷みがひどかったが修復され、寺の開創1050年記念の寺宝展にあわせて、11月2、3の両日、本堂で公開される。

 増渕さんは「披露できて感無量。期間限定なので多くの方に見てほしい」。植木盛雄住職も「幕末の歴史を伝える貴重な資料。大切に保存していきたい」と話した。問い合わせは龍泉寺(電)0287・22・2978。


千葉
日蘭交流400周年で市民展覧会
 日蘭交流400周年を記念し、千葉県の佐倉市教育委員会などは11月29日から市立美術館で、「市民のオランダ展」を開催する。佐倉市は幕末に佐倉藩が蘭学を積極的に取り入れたのが縁で、オランダと交流を重ねている。

 展覧会では佐倉市民による写真や絵画のほか、かつてKLMオランダ航空機内誌で連載していた画家、安野光雅さんのオランダ風景画も特別展示される。

 12月23日まで。月曜休館。問い合わせは同市教委文化課(電)043・484・6191。




神奈川
江戸時代の賑わいを再現
11/1(日) 第16回大磯宿場まつりを開催

 第16回『大磯宿場まつり』が11月1日(日)に開催される。会場は、大磯町山王町旧東海道松並木。時間は午前10時~午後3時。主催は大磯宿場まつり実行委員会。

 かつて東海道の交通の要所として栄えた江戸時代の大磯町。「大磯宿場まつり」は、江戸時代の賑わいを再現するイベントで、大磯町内に残る松並木や史跡など、これらの財産を次世代に受け継ぎながらまちづくりに活かそうとおこなわれている。当日は、毎年、地元はもちろん近隣地域からも多くの観光客が集まり賑わいを見せる。

 会場となる通りは、茶店や各出店も江戸時代さながらの風景に様変わりする。地元の有志で結成された新撰組ならぬ旧撰組によるキツネの紅葉狩り道中や、今年は平塚法人会初参加による江戸長屋(エコながや)と題し江戸とエコをかけたブースを出店、アンケートに答えると先着1,000名にエコ箸プレゼントもある。その他にも、大道芸、和太鼓、大磯宿場寄席、津軽三味線、沖縄三線、かっぽれ、大磯吹奏楽団による演奏ほかたくさんのイベントが予定されている。

*駐車場の用意はないので、各交通機関を利用しての来場を。


吹奏楽演奏会:東京芸大生が来月2日 550組募集 /神奈川
 東京芸術大音楽学部の学生による吹奏楽の演奏会「トワイライトコンサート」が11月2日、関内ホール(横浜市中区)で開かれる。入場無料で、先着550組の申し込みを受け付けている。

 31日から同区の馬車道通りで始まる「馬車道まつり」(馬車道商店街協同組合主催)の一環。

 プログラムは▽みなと横浜:海にちなんだ音楽▽幕末の横浜の人々が聴いた吹奏楽▽ジャズの街、横浜--と、横浜にちなんだ3部構成で、「海の男たちの歌」(スミス)や「シチリア島の夕べの祈り序曲」(ベルディ)、ジャズの名曲「シングシングシング」などを披露する。指揮は、元ベルリン交響楽団ホルン奏者の守山光三・同学部教授。

 午後6時半開演。申し込みは馬車道まつりホームページ(http://www.bashamichi.or.jp/home.html)から。【山衛守剛】


幕末~明治期の貴重な資料、スイス使節団員の日記翻訳進む/横浜
 幕末から明治にかけ、スイス通商使節団の一員として横浜で活躍したカスパー・ブレンワルドの日記を翻訳する作業が続いている。同時代の横浜を記録した資料のほとんどは、関東大震災や横浜大空襲で消失。史実を追う研究者も資料集めには苦労していた。日記の翻訳が進むことで「空白の時期の横浜について分かることがたくさん出てくる」と、期待が高まっている。

 ブレンワルドは1862年、使節団の商務部責任者として来日。66年には商社「シーベル&ブレンワルド」(現在のDKSHジャパン社)の社屋を横浜に構えた。同社は生糸貿易を扱い、横浜屈指の存在に成長した。

 日記が書かれたのは、62~78年。この間に起こった日瑞通商条約締結(64年)などの政治的出来事や、当時の社会状況、生糸・茶などの貿易取引などについて記録されている。

 これまでの作業で、同条約締結を翌年に控えた63年、スイス連邦議会から江戸城に最新型特注消火ポンプが提供され、在日スイス大使と外国奉行が話をやりとりしている様子が判明。締結へ向けた具体的な交渉の一端が示された。

 翻訳は、DKSH社が横浜の開港150周年を機に「歴史的発見に貢献できれば」と発案。スイスのブレンワルドの一族や同国連邦公文書館が保管していた日記の翻訳に、井川克彦日本女子大教授や横浜開港資料館などが協力して昨年3月、着手した。

 作業にあたっている開港資料館の西川武臣主任調査研究員は「この時代のことを調べるには、生糸産地で横浜からの手紙を探すか、海外の資料をあたるしかなかった」と振り返る。今回の翻訳については「スイス系商社は、生糸貿易に大きな役割を果たした。日記を通して、開港期の商社の活動や、居留地社会の具体的な様子が分かれば」と話している。

 完訳、分析が終了するには、あと3年ほどかかるという。終了後は、開港資料館で日記を公開する予定だ。


岐阜
“歴女”御用達の武将グッズ店
 時は歴史ブーム。県内では珍しい戦国武将や幕末の志士の関連商品を集めた専門店「サムライ本舗」が可児市下恵土にオープンし、間もなく3カ月を迎える。客層の8割は若い女性といい、店内でも「歴女(れきじょ」)の存在感が際立っているようだ。

 代表は「お館(やかた)様」こと渡辺茂治さん(43)=同市土田。20代前半から織田信長の関連本などを読み出し本格的な歴史好きに。機械メーカーの下請け会社の経営者でもあるが、昨秋のリーマンショック以降、注文が激減。会社の先行きが不透明さを増す中、「半ば勢い」で好きなことをやる決心をし、店を開いた。

 店内には、甲冑(かっちゅう)のミニチュアや、若者の歴史ブームの火付け役といわれる人気ゲーム「戦国BASARA」の登場人物のフィギュアなどが並ぶ。オリジナル商品では、戦国武将の伊達政宗らをモチーフにしたTシャツのほか、「人間50年…」で知られ信長が好んだという舞「敦盛」の一節をつづった扇子も。

 8月1日のオープンから約3カ月。この間、客層は中高生を中心に若い女性が目立ち「本当に驚いた」。武将の家紋をあしらったクリアファイルや携帯電話に張るシールなど身近な品がよく売れ、政宗、真田幸村、関ケ原の戦いで敗れた石田三成らが人気だという。

 同店では11月22日、店前で愛好家らが武将姿にコスプレし、グッズを販売する計画。渡辺さんは「この地域は戦国武将の出生地も多く恵まれている。可児から発信していきたい」と歴史ブームを地域に根付かせるつもりだ。火曜日定休。問い合わせは同店=電0574(62)9387=へ。

 (島将之)


富山
合掌民家のルーツ講演
富山民俗の会代表佐伯安一さん
 南砺市の五箇山と岐阜県白川村の世界遺産・合掌集落の民家を50年以上にわたって調査している富山民俗の会代表の佐伯安一さん(79)(砺波市)が28日、南砺市で講演し、「江戸中期以降に建てられた合掌民家や小屋は、北陸地方の大工の独壇場で、幕末になってようやく岐阜県高山の大工らも進出した」とルーツを説明した。

 南砺市と白川村などの住民で作る市民団体「GS暮らしっく」が主催した。佐伯さんは、残存する合掌家屋や神社の棟札、普請帳などから建物の年代を調べた結果を報告。旧利賀村(現南砺市)で発掘された掘っ立て小屋の住居跡(16~17世紀)を「合掌造り家屋の祖先タイプ」とした。

 また、江戸時代に氷見市を中心とした北陸地方の大工が活躍したことについて、加賀藩が大工を同市に集め、橋や陣屋造りなどに従事させていたものの、「大きな仕事が少なくなったため、五箇山地域の人を頼って合掌民家を建てたのではないか」と推論を述べた。

 佐伯さんの調査によると、白川村、五箇山地域の合掌家屋29棟(他地域への移築も含む)は北陸地方の大工が、白川村にある国重要文化財「和田家」などは岐阜県高山市の大工が建築したという。

(2009年10月30日 読売新聞)


滋賀
直弼と幕末の群像/きょうから彦根城博物館
【重文文書など展示】
 幕末の彦根藩主で幕府大老の井伊直弼と、同時代を生きた政治的人物を取り上げた「政治の時代 井伊直弼と幕末の群像」が、30日から彦根市の彦根城博物館で始まる。国の重要文化財「彦根藩井伊家文書」、国内初公開となる「孝明天皇勅諚〈ちょくじょう〉(叡慮〈えいりょ〉氷解)」など146点を展示する。
 政治家としての直弼にスポットを当て、〈1〉彦根藩主〈2〉幕府の溜詰〈たまりづめ〉大名〈3〉大老・・・の各時代の直弼と〈4〉直弼以後の4期に分けて構成。14代将軍・徳川家茂や薩摩藩主・島津斉彬、尊皇の志士・吉田松陰らの画像や書状など、日本各地から作品や史料を集めて展示する。
 「孝明天皇勅諚」は、幕府が勅許を得ずに日米修好通商条約に調印したことを激しく怒った天皇が、直弼らの説得でわだかまりを解いたことを示す幕府あての勅諚。将来諸外国を退け、鎖国に戻すことが条件だったため、公表することができなかったという。
 このほか、直弼が大老就任直後に幕府に提出した誓詞の控え(自筆)や、1835年に高島秋帆が造り、海岸警備で配備された日本初の洋式砲「モルチール砲」(全長59.5センチ、口径20センチ)などが展示される。
 11月29日まで。無休。観覧料は一般500円、小中学生250円。

 モルチール砲の展示が気になります……実物だったら見てみたいなぁ、高島流砲術を習った江川坦庵公も触られたかも知れないし(爆)。

京都
龍馬に会いたい:/番外編 土佐藩邸跡
◇出身志士らの根拠地
 京都市を流れる高瀬川は、桜並木で知られる。川沿いの木屋町通には居酒屋が建ち並び、昼と夜とで風景は一変する。通を北上すると、レトロな雰囲気の建物が見えてくる。1928(昭和3)年に建てられ、今は廃校になった立誠小学校だ。この建物が建っていた辺りに、土佐藩(高知県)の藩邸があった。

 藩邸は、藩の京都連絡事務所で、江戸時代に建てられた。西側には土佐藩邸の鎮守社だった土佐稲荷・岬神社がある。藩邸は、神社参詣人のため、一般に通り抜けを許していたという。

 薩摩藩(鹿児島県)、長州藩(山口県)とともに、土佐藩は幕末政局の一角を担った。坂本龍馬のほか、武市半平太(瑞山)、中岡慎太郎、後藤象二郎ら志士を多数輩出。藩邸は土佐出身志士たちの京都の根拠地でもあった。龍馬は脱藩して、長崎で亀山社中(後の海援隊)を設立したが、京都の土佐藩邸には顔を出していたという。

 藩邸は、龍馬が殺害された近江屋からも近い。土佐藩邸跡をさらに北上すると、長州藩の軍師・大村益次郎が殺害された跡、新選組が襲撃した池田屋の跡もある。ごく狭い地域にさまざまな石碑が建つ京都。幕末・維新当時、いかに混とん、殺伐とした地だったかが、碑をたどると伝わってくる。


「龍馬が食したカステラも」
佛大生、上京に幕末カフェ

 坂本龍馬が食べたカステラをどうぞ-。佛教大の学生たちによる期間限定「幕末カフェ」が30日、京都市上京区中立売通七本松西入ルにオープンした。

 来春の佛教大の歴史学部開設などにあわせ、北野商店街内のコミュニティーキャンパスを使い、日本史を学ぶ8人が企画した。幕末をイメージして店内に明治期の錦絵を飾り、学生が和服で接待する。

 看板メニューの「龍馬カステラ」は、龍馬関係文書に残る当時のレシピを参考にして再現した。飲み物付きで300円。11月1日までで、営業時間は午後1時~7時。


大阪
わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/140 清水坂 大阪市天王寺区 /大阪
◇四天王寺へ、石垣迫る参詣道 清水寺、3条の「玉出の滝」は市内唯一
 大阪星光学院の南側の道に回ると、「きよ水」という名の喫茶店がある。まっすぐ行けば清水(きよみず)坂。石段を下りる。端は自転車用のスロープになっている。右側は星光学院のグラウンドの、左側は清水寺の墓地の石垣が迫り、なかなかに趣がある。

 もとはコンクリートで固められた変哲のない坂だったが、大阪市が景観を主眼に改修した。坂の途中、清水寺の石垣に、ひときわ大きな石が組み込まれているのを見付けた。文字が刻まれている。「以他力造立」「発起 肥前屋久兵衛」「取次 美濃屋喜八」「万延」などと読み取れる。なんだろうか。

 てんのうじ観光ボランティアガイドの松村基さん(72)に尋ねた。「清水坂は四天王寺参詣のメーンロード。船場などから松屋町筋を渡って大江神社の前を右に曲がって坂を上る。料亭浮瀬(うかむせ)も清水坂と共に大きくなったんです」。往来が多い坂だったと。

 で、あの石は? 「私の仮説ですが」と前置きして、「万延は幕末の1860年で、寺の造立はそれより200年ほど前だから、石垣を造った顕彰でしょう。石垣は、坂道を歩きやすくするための修繕と、寺領拡大のためだったと思います」。

 松村さんによれば、発起の肥前屋久兵衛はたぶん船場あたりの商人で、金を出したスポンサー。取次の美濃屋は寺とスポンサー、石工を取り次ぎ、計画を進めたのだろう、という。「以他力造立」は、「他力を以(もっ)て造立す」、つまり「自分の力だけで造ったのではない」という、浄土宗の他力本願を表す言葉だそうだ。なるほど、腑(ふ)に落ちる。

    ◇

 坂を下り、細い道を左に進めば、街路灯の脇に、「たき道」と彫られた小さな道標がある。左手に折れると、坂の名前のもとになった清水寺だ。大阪の清水さんは「新清水」と呼ばれるが、四天王寺の支院で、直接、京都の清水寺と関係はない。江戸時代の1640年、京都・清水寺から、聖徳太子作と伝わる十一面千手観音像を移し本尊としたため、という。

 大阪案内人の西俣稔さんが言うには「ここに清水の滝があるんです。大阪市内でたった一つの滝」。京都の音羽の滝を模した「玉出の滝」がそれ。境内を奥へ進むと、石垣から樋(とい)が3本突き出ていて、細い水が流れ落ちている。静寂に包まれた境内に、水の音だけが響く。

 岩壁を落ちていく白水、といった滝のイメージからはちょっと遠いが、お寺の縁起に、四天王寺の池から流れ出る霊水が源、とあるのを見れば、清冽(せいれつ)に感じられてくる。

 昔は滝の流量はもっと多かったようで、江戸時代の錦絵「浪花百景」には、音を立てそうなほどの3条の滝が描かれ、水ごりする人々も見える。また、境内にはカエデが茂り、秋ともなれば紅葉が見事だったという。

 さらに、清水の舞台もある。その昔は淡路島まで見通せたという。戦災でコンクリート製に変わり、いま目に入るのはビルや高速道路といったコンクリートの塊ばかり。その陰から通天閣がのぞいていた。【松井宏員】

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 ◇毎日文化センター「古地図で散歩する大阪」受講生募集
 大阪案内人の西俣稔さんの解説で、古地図を片手に大阪市内を歩きます。毎月第4日曜午後2時から。コースは、近松ゆかりの蜆川(しじみがわ)跡▽文人ゆかりの天王寺七坂▽偉人ゆかりの天満かいわい▽昭和が残る新世界▽京橋から大川沿い▽江戸・明治・大正の建築物が残る船場。

 11月22日~来年4月の計6回。受講料は9650円。申し込みは毎日文化センター(06・6346・8700)。



兵庫
奥深き「食」文化 芦屋市立美術博物館で絵画展
 大阪の「食」をテーマにした絵画展「うまいもんと大坂画壇-浪花くいだおれの系譜」が兵庫県芦屋市伊勢町の市立美術博物館で開かれている。幕末・大坂のグルメガイド本「花の下影」などで当時の食の実相を伝えるとともに、料亭に飾られながらはぐくまれた絵師たちの姿を、大阪・北浜の老舗料亭「花外楼」が所蔵する作品などで紹介している。約90点。12月13日まで。
 「花の下影」は1985年に芦屋の旧家で発見された3冊の画帖(じょう)。316件の飲食店を楽しげに描写しており、今ものれんを守る「大源味噌(みそ)」や「おきな昆布」なども掲載されている。同展では画帖の現物や、その内容をパネルにして展示している。

 また、幕末・明治期の政治家たちが足しげく通ったことで有名な「花外楼」からは、床の間を飾る掛け軸など約30点の提供を受け、大阪を代表する画家、森琴石や菅楯彦らの作品が並ぶ。大阪では、老舗料亭で飾られることが画家の評価につながった一面があるという。
 地域の市場や祭りなどの風習をはじめ、魚介類を生き生きと表現するなど、公の展示会場ではなく料亭で飾られる作品ならではの画風が披露されている。
 明尾圭造学芸課長は「大阪の文化の奥行きの深さを再認識してもらえれば」と来場を呼び掛けている。
 午前10時~午後5時。月曜休館。入場料一般500円。問い合わせは電話0797(38)5432、同館へ。


香川
龍馬、躍動の舞台に/4日、ミュージカルオペラ
 幕末の志士、坂本龍馬を主人公にした「ミュージカルオペラ龍馬」(公演実行委主催、四国新聞社など共催)が4日、香川県高松市玉藻町のアルファあなぶきホール大ホールで開かれる。オペラとミュージカルを融合させた躍動感あふれる舞台で、時代を切り開いた快男児の生き方を、混迷の現代にドラマチックに提示する。

 日本の舞台芸術界を代表するキャストとスタッフによる豪華なステージ。龍馬役は二期会会員のバリトン平良交一、勝海舟役は歌手の野口五郎が務めるほか、元宝塚娘役トップの森奈みはるや、「水戸黄門」の飛猿役でおなじみの野村将希も出演する。脚本はジェームス三木。演出は江守徹。

 龍馬が暗殺されるまでの3年間を描いた物語。土佐勤王党の一員として改革運動を続けていた龍馬は、勝海舟の思想に影響を受け、薩長同盟や大政奉還などの事業を次々に成し遂げる。総勢約40人が登場し、華麗な歌とダンス、演技で日本が近代国家へと生まれ変わる激動の時代を表現する。

 鳩山邦夫元総務大臣を最高顧問に、高知県内の政財界関係者ら約60人で実行委をつくって4年前から準備。10月24日から同県内7カ所を巡回した後、四国各地と東京などで公演を行う。10年に大阪や札幌など、11年にはパリ、ニューヨーク、サンフランシスコなどへの進出も計画している。

 香川公演は午後6時開演。入場料はSS席1万円ほか(学生割引あり)。問い合わせは龍馬高知オフィス、電話088(833)0301。


岡山
洋学の地「グルメ」で脚光 岡山・津山(つやま)
 珈琲(コーヒー)、酸素、細胞、圧力……。これらの言葉、実はこの地と縁がある。幕末の洋学者・宇田川榕菴(ようあん)(1798~1846年)によって当て字、あるいは翻訳造語が考えられた。

 榕菴は津山藩医から、江戸幕府天文方の蕃所和解御用(ばんしょわげごよう)に取り立てられ、同じ洋学者で養父の玄真、養祖父の玄随らと、津山洋学と呼ばれる一大洋学の地を築いた。

 彼らが巣立った津山藩の城跡は、市内の鶴山の頂にある。眼下にはかつて、高瀬舟でにぎわった吉井川。川と平行して走る旧出雲街道には古い城下町が残り、町並み保存地区に指定されている。

 その町並みのど真ん中に、蕃所調所(しらべしょ)教授職として、国内初の教授となった洋学者・箕作阮甫(みつくりげんぽ)(1799~1863年)の古民家風の旧宅がある。箕作もやはり蕃所和解御用を命ぜられ、ペリー(米)やプチャーチン(露)来航の際には、外交文書の翻訳に携わった。来年3月には、すぐ隣に引っ越した津山洋学資料館が新装オープンする予定。約6700点もの洋学資料は、研究者ならずとも貴重なものばかりだ。

 「宇田川、箕作が相互に影響を与え合い、資料や人脈の面でも都合が良かったのでは」と、同館の下山純正館長は、山間の地で洋学が盛んになった理由を話す。

 また、江戸時代の出雲街道は京都・大阪へ向かうメーンの道路であり、吉井川の水運ともあわせ、交通の要所にあったことも見逃せない。

 ご当地グルメの祭典「B―1グランプリ」で3位に入賞した津山ホルモンうどんも実は、この交通事情と関係がある。戦後、大阪方面に牛肉を出荷した帰路、当時、食用でなかったホルモンを持ち帰り、旧出雲街道沿いで安価におすそ分けしていたのが、ホルモンが身近なものになった由来といわれる。

 ホルモンとうどんを鉄板で焼く、至ってシンプルな料理だが、グランプリ翌日には、市内に100店舗以上あるホルモンうどんを出す店に全国から客が殺到した。老舗の一つ、橋野食堂の4代目・橋野弘(こう)さん(58)は「常連だけの店で、『今年こそやめよう』と思っていたのに……。ただ、小さい店なので待たせず対応できるかどうか不安だ」とうれしい悲鳴をあげる。

 近代以降の交通の雄・鉄道のファンも、この地域に熱い視線を注ぐ。JR因美線沿線には、ファンが保存に尽力した転車台がある美作(みまさか)河井駅をはじめ、見応えのある駅がズラリ。毎年、春と秋に「ディーゼル気動車キハ28―58」がスローライフ列車として運行する。市観光振興課の小坂田裕造課長(50)は「『テッチャン(牛の大腸)&鉄ちゃん』で街づくりをしたい」と目を輝かす。

 ネーミングのセンスは、約200年に及び、脈々と受け継がれているようだ。(鷲見一郎、写真も)(次回は北海道・小樽)

 ●あし 東京から新幹線でJR岡山駅まで3時間25分、同駅で快速ことぶきに乗り換え、津山駅まで1時間10分。

 ●問い合わせ 津山市観光協会=(電)0868・22・3310。



広島
11月3日に音楽劇「鞆千年絵巻」 リーデンローズ(福山・松浜)
 瀬戸内の景勝地「鞆の浦」を舞台に、万葉の時代から幕末までの歴史物語を繰り広げる創作劇「鞆千年絵巻」が11月3日、福山市松浜町のリーデンローズで披露される。公募で選ばれた小学4年〜60代の市民31人が出演。晴れ舞台に向け、「潮待ちの港として繁栄してきた鞆の魅力を伝えたい」と張り切っている。

 リーデンローズの開館15周年記念事業として、運営するふくやま芸術文化振興財団などが企画。官妓(かんぎ)と接待官の悲恋物語「ささやき橋」や、鞆沖で沈没した坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」など、鞆の浦にまつわる史実やエピソードを10〜15分の8つの小話で構成し、チェロの音色とともに、1つの“絵巻物”として紡ぎ出す。

 東京の劇団で舞台監督を務め、脚本・演出を手掛ける北村謙二さん(59)=同市東川口町=は「龍馬のような有名人だけを取り上げるのでなく、鞆で普通に暮らしていた人々の生き生きとした姿を描きたい」という。

 出演者は7月のオーディションで選ばれ、9月初めから週に3回ほどのペースで発声や芝居を練習、宝塚歌劇団出身の原田由乃さん(46)=同市御門町=も演技指導に一役買ってきた。18日にはチェリストの遠藤益民さん(31)=東京都荒川区=を招き通しで稽古(けいこ)。「声をはっきりと」「間を取って」と北村さんの指摘を受けた。

 午後3時開演で入場無料。


「鞆の浦」将来像見えず
裁判長期化、住民対立に拍車

 高さ約7・5メートルの常夜灯前で、観光客らが記念撮影の順番を待っていた。近くでは、カップルたちが階段状の港の遺構・雁木(がんぎ)に腰掛けて、瀬戸内の穏やかな海を眺めていた。

 江戸時代の風情を残す、福山市・鞆の浦の町並みを楽しむ人波は、鞆の浦の埋め立て・架橋事業への免許交付を差し止める地裁判決が出た今月1日以降、さらに増加している。

 幕末に鞆町を訪れた坂本龍馬ゆかりの品などを展示する「いろは丸展示館」は今月に入り、いつもの2、3倍の人が来館。ボランティア観光ガイドが案内した団体客数も前年同期の1・5倍のペースだ。このため、週末は町中心部の狭い県道が対向できない車で渋滞し、路肩に避けたまま立ち往生する歩行者も目立つ。

 県道近くで商店を経営する男性(68)は「週末の客の入りは3、4倍に増えた」と歓迎する一方で、「住民が安心して歩けないし、観光客の印象も悪くなる。何とか改善策を探れないものか」と嘆く。



 事業は、鞆町中心部の交通渋滞緩和などを目指し、鞆港の沿岸約1・9ヘクタールを埋め立て、駐車場やフェリー桟橋を整備、港湾を横切る長さ179メートルの橋を架ける。反対派住民らが起こした訴訟で、地裁は「事業が景観に及ぼす影響は重大。県の調査、検討も不十分」と、知事による埋め立て免許交付の差し止めを命じ、県は判決を不服として控訴した。

 事業反対の動きは住民だけでなく、映画監督の大林宣彦さんら文化人らにも広がり、鞆で映画「崖(がけ)の上のポニョ」の構想を練った宮崎駿さんも否定的な見解を示す。世界遺産候補地を調査するユネスコの諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)も事業中止を求める決議を採択した。

 訴訟原告団の大井幹雄団長は「次の知事は高い見識で状況を見極めて控訴を取り下げ、話し合いの場を設けてほしい」と求める。



 一方、15日に控訴を発表した、県の大野宏之土木局長は「景観保全最優先の判断基準では、鞆の浦に限らず瀬戸内沿岸の全地域に話が及ぶ。官民問わず、すべての工事や事業に影響を与えかねない」と、判決が与える影響を懸念し、控訴の正当性を強調した。

 23日に鞆町の公民館で開かれた会議で、事業に賛成する住民が多数を占める鞆町内会連絡協議会の大浜憲司会長が「判決は、(交通渋滞など問題の解決に)何ら効果がない」と、県や市の担当者に訴えた。

 訴訟の長期化は、住民間のあつれきが続くことを意味する。

 「住民同士のいさかいにストレスを感じるし、今のままでは鞆の将来の青写真も見えない。何とかならないものか」。鞆町で飲食店を営む女性(64)はこう言ってため息をついた。(終わり)

 (この連載は澤本浩二、平井宏一郎、野中明子、小井国春、石原敦之、向井友理が担当しました)

(2009年10月30日 読売新聞)


長崎
シーボルト サムライ気分? 家紋入りの裃見つかる 31日から長崎で初公開
 幕末の長崎・出島でオランダ商館医を務め、日本に西洋医学を伝えたシーボルト(1796-1866)が日本であつらえた裃(かみしも)がオランダの博物館で見つかり、31日に長崎市の長崎歴史文化博物館で開幕する日蘭通商400周年記念の企画展「阿蘭陀(おらんだ)とNIPPON」(同博物館、西日本新聞社など共催)で国内初公開される。

 裃は絹製で、表地は灰色、裏地は濃紺。ドイツ医学界の名門・シーボルト家を象徴する「メスを持った手」の描かれた家紋が、肩衣(かたぎぬ)の両胸と背、袴(はかま)の腰板の4カ所に入っている。家紋はシーボルトが愛した日本人女性楠本タキと娘のイネゆかりの着物や「螺鈿合子(らでんごうす)」(国指定重要文化財)などにも施されている。

 1823年に来日したシーボルトは、商館医として働く一方、「鳴滝塾」を開いて西洋医学を日本人に教えた。しかし29年に国外追放となり帰国。37年にオランダ王立骨董(こっとう)陳列室に日本から持ち帰った数千点の品を売却した際に裃も含まれていたとみられる。同博物館と交流があり、日本関連資料約1万5千点を所蔵しているオランダのライデン国立民族学博物館で見つかった。

 長崎歴史文化博物館の平岡隆二主任研究員は「武士の最礼装だった裃を特注で作らせたのは、日本文化を愛した証拠。実際に着て外出したとは考えにくいが、こっそり袖を通してみたことだろう」と話している。


コラム
こんなところに池田屋が?新選組ゆかりの京都幕末スポットを回ってみた
 歴史をモチーフにしたゲームやアニメが人気を集め、「歴女」という言葉も登場するほどの歴史ブームの今。中でも根強い人気なのが、新選組など「幕末」を舞台にした作品です。京都には当時の歴史にまつわる史跡がたくさんありますが、意外と「あれ、こんなところに?」と思うような場所に、そういったものが残っているのをご存知ですか?今回はそんな意外な歴史スポットや、人気アニメゆかりのスポットを巡ってみたいと思います。
(以下略)


ビジネス
ユーエム・サクシード 歴史サイト第2弾 「幕末のすべて」携帯で学ぶ
 携帯電話向けのコンテンツ制作会社、ユーエム・サクシード(東京都渋谷区)は、明治維新や新撰組など幕末期の出来事や人物などを紹介した携帯サイト「幕末のすべて」=写真=を制作し、サービスの提供を始めた。時代小説や史跡などが注目を集めるなか、若者から中高年層まで幅広い層の利用を見込んでいる。

 サイトは、新撰組にまつわるエピソードや坂本龍馬、西郷隆盛などの人物伝、諸藩の事情や明治政府の政策を分析したコラムなどで構成。出版社「学研パブリッシング」の歴史群像編集部の全面協力を得て、読み応えのある内容に仕上げている。

 このほか、人物や用語、武器・兵器、艦船などに関するデータベースも充実させた。

 来年1月からNHKの大河ドラマ「龍馬伝」が始まることもあり、この時期のサービス開始を決めたという。

 ユーエム・サクシードでは、「歴史愛好家から初心者までが楽しめる本格的なサイト」とPRしている。

 サービスはNTTドコモ、au、ソフトバンクモバイルの各携帯電話の端末で利用できる。利用料金は月額315円。

 ユーエム・サクシードはこれまで主にスポーツ関連の携帯電話サイトを制作してきたが、今年4月、初の歴史モノとして「三国志のすべて」を開設。「幕末のすべて」は第2弾となる。
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