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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 すみません、忙しさにかまけてサボってました^_^;。

青森
弘前市立博物館が開館30周年企画展
津軽出身作家中心に日本画など150点数

 今年、開館30周年を迎える弘前市立博物館は、今年度の企画展第3弾として「動物へのまなざし」を3日から開く。津軽出身の作家を中心とした動物をテーマにした日本画、洋画、彫刻、民芸品など約150点を展示するもので、12月24日まで。
(中略)
 日本画は、幕末から明治の津軽を代表する日本画家平尾魯仙の虎のついたて、馬の絵で知られる野沢如洋の弘前市初公開のびょうぶ「柿に烏」、野沢と須藤聖馬合作の馬が描かれたびょうぶのほか、さまざまな動物が描かれた掛け軸など。


福島
棚倉城追手門:幕末に焼失、CGで復元 当時の威容よみがえる /福島
 棚倉町教育委員会が、幕末の戊辰(ぼしん)戦争で焼失した「棚倉城」の追手門を、コンピューターグラフィックス(CG)画像で復元した。発見された礎石を基に、専門家の復元図をCG化したもので、当時の威容がよみがえった。
 同城は1625(寛永2)年に、初代白河藩主でもある丹羽長重(1571~1637)が築城し、1868年の戊辰戦争で焼失した。追手門は城の正門とされ、1887(明治20)年の東白川郡役所建設に伴う盛土のために、場所が不明となっていたが、05年の文化財調査で、礎石を発見。並び方から、当時城の正門としてよく用いられた「高麗門」様式だったことが分った。礎石には「白河石」が用いられていた。

 白河城での戦いでは、確か新選組も守りについたと記憶しています。土方さんがまだ負傷中で、斎藤さんが隊長だった時だったかと。


神奈川
未来へつなぐ先人の足跡
藤間柳庵の「太平年表録」を発行した
藤間 雄蔵さん
柳島在住 74歳

 相模国高座郡柳島村(現在の茅ヶ崎市柳島)の名主として激動の幕末期・明治維新期を生きた藤間柳庵。彼が記録した当時の社会的情報を「太平年表録」として「文字・活字文化の日」である10月27日に発行した。


「近代産業遺産」に認定へ/箱根の富士屋ホテル
 箱根町宮ノ下にある老舗の宿泊施設の富士屋ホテルが、経済産業省が本年度に創設した「近代産業遺産」に認定される見通しであることが四日、分かった。認定授与式は三十日に開かれる。
(中略)
 近代産業遺産は、有識者でつくる同省の「産業遺産活用委員会」で、幕末から戦前にかけての産業遺産の中から、「産業創出」「地域貢献」「イノベーション(技術革新)貢献」「歴史転換の原動力」といった四つの観点に着目。産業遺産が持つ地域史と産業史を軸とした三十三のストーリーに取りまとめた後、事前調査を経て認定される。


長野
350年前の諏訪地方 諏訪市博物館で「御枕屏風」展
 諏訪市博物館の「御枕屏風(おまくらびょうぶ)」展が12月2日まで同館で開かれている。高島藩3代藩主の諏訪忠晴が約350年前に作らせたといわれる御枕屏風(六曲一双、市有形文化財)を展示。諏訪地域のほぼ全域が俯瞰(ふかん)的に描かれ、江戸前期の村落配置や高島城と城下町などの様子をうかがい知ることができる。
(中略)
 屏風は貴重な資料のため、このほど複製を作成し、併せて展示した。屏風が作られた時代と比較してもらうため、幕末期の諏訪の城下町図も展示している。



愛知
岡崎城 巨大規模だった 家康の生誕地 強固な二段式石垣発見
 徳川家康が誕生した愛知県岡崎市の岡崎城の「大林寺郭(くるわ)堀」跡で、安土桃山時代末期に築かれたとみられる2段になった防御用の強固な石垣が見つかった。関ケ原の戦い(1600年)以前の城郭では高さと長さで類を見ない総石垣造りの上、石垣は天守から500メートルも離れ、日本の城としては江戸城、大坂城、姫路城に次ぐ4番目に巨大な城だったことが証明された。3日に現地を視察した城郭研究の第一人者で広島大大学院の三浦正幸教授(53)=文化財学=は「近年まれにみる大発見」と注視している。
(中略)
<メモ>岡崎城 1452(享徳元)年ごろ、三河守護代の西郷頼嗣(よりつぐ)が築城。1531(享禄4)年、徳川家康の祖父松平清康が城主となり、本格的な城郭を持つ城に改修。42(天文11)年、家康が城内で誕生し、幼少期に人質として駿河で過ごした後、70(元亀元)年まで岡崎城に居城、天下統一への基礎を固めた。江戸時代は「神君出生の城」として重要視されたが、明治維新後、城郭の大部分が取り壊された。


三重
東海道関宿街道まつり:初公募の市民も思い思いに仮装--亀山 /三重
 亀山市関町の古い町並みを仮装行列などが練り歩く「東海道関宿街道まつり」が4日行われ、約2万3000人(主催者発表)の人出でにぎわった。
 まつりは、関宿が1984年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことを受け、地元観光協会などが毎年開いている。
 メーンの宿場大行列で行われた呼び物の「仮装時代行列」は、初めて参加者を公募して行われた。地域団体や有志グループなど市民11組が「江戸火消し」「新撰組」などを題材に、思い思いの仮装をして古い町並み約1・8キロを練り歩いた。その後ろを手作りみこしが元気に続いた。


石川
心も打った弓曳童子 9代目玉屋さん実演
 からくり人形師の九代目玉屋庄兵衛さん(53)=名古屋市北区=が四日、金沢市大野町の大野からくり記念館で、「茶運び人形」や「弓曳(ひき)童子」など、からくり人形の実演を行った。
 玉屋さんは「茶運び人形」の衣装を取って内部を公開。「日本は季節によって湿度差が大きいので、最も湿度の高い六月に組み立てます」と説明した。
 「弓曳童子」は幕末に東芝創業者としても知られる田中久重が考案。十一本の糸と歯車で動く人形が、矢を的に向かって次々と放つと、会場から大きな拍手がわき起こった。玉屋さんは人形に象牙や金が使われていることを示し、「日本のからくり人形では最高傑作」と述べた。


福井
緒形さん純愛紡ぐ 坂井でひとり舞台
 日本を代表する俳優・緒形拳のひとり舞台「白野」の嶺北公演(福井新聞社主催)は6日夜、坂井市のハートピア春江で上演された。名優の研ぎ澄まされた演技が、満員の観客を魅力的な舞台の世界に引き込んでいた。
 男の純愛と悲しみをテーマにしたエドモンド・ロスタンの仏戯曲の名作「シラノ・ド・ベルジュラック」を原作に、舞台を幕末に置き換えた作品。自分の鼻にコンプレックスを持ち、そのために恋をあきらめる「白野」は、同じ女性を愛する親友のために、美しい愛の言葉を紡ぎ出していく。


ヒメコケムシ新種発見 小浜で 保科福井大准教授
 福井大教育地域科学部の保科英人准教授(35)は、小浜市の内外海半島から昆虫ヒメコケムシの新種を発見し、同大の研究紀要「日本海地域の自然と環境」(1日発行)に論文掲載した。小浜出身の幕末の志士、梅田雲浜にちなみ「ウンピンヒメコケムシ」と命名。ヒメコケムシの中で世界最小クラスという。


城下町の風景展:見取絵10メートルを初公開--福井・郷土歴史博物館 /福井
 幕末から明治初期にかけての福井市の様子を伝える資料を一堂に集めた企画展「城下町の風景」が7日、福井市立郷土歴史博物館(同市宝永3)で始まった。1月14日まで。入場は一般210円、小中学生以下は無料。


滋賀
井伊直弼の「大老料理」再現 タイの塩焼きやカモ肉など
 幕末の大老で、十三代彦根藩主の井伊直弼が幕閣を邸宅に招いた際、自ら書いたとされる献立を再現した「大老料理」を味わうイベントが一日、彦根市馬場一丁目の滋賀大講堂で開かれた。


秋空さわやか、江戸時代絵巻 彦根で城まつり
 彦根市の秋を彩る「小江戸彦根の城まつりパレード」が三日、彦根城など市街地一帯で繰り広げられ、江戸時代の衣装などにふんした総勢約一千百人が練り歩いた。
(中略)
 城まつりは幕末の大老で十三代藩主の直弼公をしのび、誕生日の十月二十九日前後に開かれており、ことしで五十五回目。


イベント:幕閣招いた「大老料理」再現 「豪華な材料」120人舌鼓--彦根 /滋賀
 13代彦根藩主で幕末の大老・井伊直弼が幕閣を招いた際に出した料理を“再現”するイベント「大老料理を食べよう」が1日、彦根市馬場1の滋賀大経済学部講堂で催され、市民ら約120人が江戸時代をしのびながら食事を味わった。
 「国宝・彦根城築城400年祭」の協賛事業。料理は直弼が自筆で書いた献立を料理方に作らせ、幕閣をもてなしたとされる。同大学彦根地区生協の調理師ら6人がこの献立を基に材料や調理方法、味付けなどを推測し、現代風の「大老料理」に仕上げた。
 お品書きは、▽鶏の煎(い)り煮▽鴨(かも)▽鯛(たい)の皮付▽キスの蒸しもの▽蛤(はまぐり)の吸い物――などの6種類。幕の内の弁当風にした。


ひこにゃん:人気で“延命” 著作権持つ実行委、グッズ販売を認める /滋賀
 「国宝・彦根城築城400年祭」の人気キャラクター「ひこにゃん」グッズについて、著作権を持つ同祭実行委は9日、同祭閉幕の25日以降も来年1月15日までは過渡期に使用を認めることを決めた。ひこにゃんが来年度に開かれる「(仮称)日米修好通商条約締結150周年」記念事業のキャラクターになることも決定。業者に新たに使用申請を求めることにした。
 ひこにゃんは昨年4月にデビューし、人気が急上昇。実行委は同祭PRのため、申請があれば、「閉幕まで」の条件付きでグッズなどへの使用を無料で認めてきた。キャラクターやロゴのグッズなどの使用申請は1000件以上になるが、先月25日付で実行委会長名で「使用期限」の厳守を通知。在庫を持つ製造元や販売業者だけでなく、ファンからも「何とか延命を」との声が出たため、実行委が検討していた。
 その結果、閉幕後の26日からは400年祭のキャラクターとしては使えないが、過渡期措置として「ひこにゃん」グッズは来年1月15日まで販売を認めることにした。
 その後、日本を開国に導いた幕末の大老で十三代彦根藩主・井伊直弼を顕彰するため、来年7月29日の「日米修好通商条約締結150周年」を中心に記念事業を企画。そのキャラクターとして「ひこにゃん」グッズなどへの使用を認めることが了承された。
 150周年事業の日程や内容は今後、新たに実行委を立ち上げて練るとともに、グッズの承認基準も早急に決める方針。

 ひこにゃんのファンとしては、とても嬉しいだよ……(^^)。

京都
特別展:京都の歴史、サムライを焦点に--京都国際マンガミュージアム /京都
 中京区の京都国際マンガミュージアムで秋の特別展「マンガでよむ京都第1巻『サムライKYOTO~戦国から幕末へ~』」が開かれている。同館は9月末に入館者20万人を突破。今後はマンガを通じて京都の歴史に触れる特別展をシリーズで開催していく。


非公開文化財特別拝観:秋の行楽シーズン本格化 きょうから市内17カ所 /京都
 秋の行楽シーズン本格化に合わせ、日ごろは非公開の神社、寺院などを一般公開する秋の「非公開文化財特別拝観」が、1日から市内の17カ所で始まる。京都古文化保存協会が毎年春、秋に実施しているもので、現地では大学生ボランティアの案内で、珍しい建物や仏像、絵画などを見ることができる。今回は、尊勝院(東山区)の本尊元三(がんざん)大師坐像、米地蔵尊像▽東福寺(同区)法堂▽下鴨神社(左京区)神服殿「開かずの間」▽廬山寺(上京区)の本尊元三大師坐像が初公開。一部を除いて11日まで。
(中略)
 下鴨神社の「開かずの間」は幕末、孝明天皇が使用した。


新選組ゆかりの壬生寺に幅約30メートルの幽玄な障壁画
 新選組ゆかりの京都・壬生寺で、友禅染の手法を応用した障壁画が完成し、本堂に納められた。岡山県の画家あだち幸(さち)さん(63)が現世や極楽浄土を表現した。


京のベンチャー見参! 左京で「テクノ新選組」、事業をPR
 京都市が支援するベンチャー、中小企業が参加する「テクノ新選組!!京都中小企業展」が8日、京都市左京区のみやこめっせで始まった。地元企業を中心に84社・団体がブースを設けて自社製品や事業内容を紹介した。


兵庫
=旅好き=豊岡市出石町
 そば香る城下の小京都

 兵庫県北部の豊岡市出石町。「山陰の小京都」といわれ、しっとりと落ち着いた“癒し系”の街である。城下町の雰囲気を残し、その中でいただく名物のそばの味は格別。少し足をのばせば、放鳥で脚光を集める「コウノトリの郷公園」、コンクリートへの工事が進むJR山陰本線の名物「余部(あまるべ)鉄橋」がある。但馬の里は見どころ満載である。
(中略)
 山手の方には白い建物が。「出石城跡」だ。「出石藩は佐幕派だったので、明治維新に城は取り壊されました。昭和43年に本丸跡にヤグラが復元され、平成6年には登城門や登城橋が復元されました」

 桂小五郎が素性を隠して潜伏していた出石の荒物屋跡が紹介されていないのが、とっても残念。私の記憶が正しければ、幾松さんとの恋愛美談の陰に、ここで偽装(?)結婚していた妻の存在が隠されているのではなかったっけ。

広島
福山藩主・阿部正弘をテーマに講演会 福山市
 日米和親条約を締結した、江戸幕府老中首座で福山藩主の阿部正弘(1819~57年)がテーマの講演会が4日、広島県福山市内で開かれた。講師の青野春水・広島大名誉教授は正弘について「政治的リアリストとしての優れた能力を発揮した」と評価した。
 正弘を扱った特別展の記念講演会として、福山城博物館などが開いた。
 藩校・誠之館の開校など教育に尽力した正弘だが、政治家として「優柔不断」の評価も残る。
 これに対し青野名誉教授は反論。鎖国時代、海外列強の迫るなか正弘は「戦争をすれば負ける。国を守るために開国を」との考えを貫いたと強調。立場上、開国は主張できず、攘夷派の有力大名らから敵視されないよう「表面的」に海防政策を行った点などを挙げた。

 自分は『風雲児たち 幕末編』の阿部正弘のイメージが定着しています。

高知
龍馬検定、よくやったぜよ?!…セット通信販売
 幕末の志士・坂本龍馬に関する知識を認定する「坂本龍馬検定セット」=写真=の通信販売が2日、始まった。解答を郵送すると、正答率に応じた1~4級の認定証が、龍馬の生誕地・高知市にある龍馬郵便局の消印で送られる。


竜馬の身長は169センチ?
 幕末の志士、坂本竜馬の身長は169センチ、武田信玄は162センチ? 肖像画などで人物とともに描かれている着衣や所持品をヒントに、解剖学的に身長を推定する手法を、北里大の平本嘉助講師(解剖学、10月死去)と山梨県甲州市の郷土史研究家、矢崎勝巳さんが5日までに開発した。
 2人は、ほとんどの和服の襟幅が当時から6センチか6・5センチのいずれかであることに着目。竜馬の全身写真で身長を計算したところ、156-169センチとなった。竜馬はかなり身長が高かったともいわれているが、平本さんが計算した江戸時代の男性の平均160センチ弱より、やや高い程度だったようだ。


竜馬169センチ、信玄162センチ 山梨の研究家ら着衣で推定
 幕末の志士、坂本竜馬の身長は一六九センチ、武田信玄は一六二センチ? 肖像画などで人物とともに描かれている着衣や所持品をヒントに、解剖学的に身長を推定する手法を、北里大の平本嘉助講師(解剖学、十月死去)と山梨県甲州市の郷土史研究家、矢崎勝巳さんが開発した。

 土方さんが167センチで、龍馬とも遜色ないんですよね。幕末期の男性の平均身長(おそらく商人や農民なども含めてだと思いますが)が155センチだったでしょうから、それでも立派な長身の部類です。
 小柄ながら美剣士だった伊庭八郎は、確か153センチぐらいじゃなかったかしら……うぅ、中学高校時代は低い方から3番目ぐらいであった私ですら、伊庭八よりでかい^_^;。


山口
岡部嶺男展:呈茶席、来館者が一服楽しむ--萩美術館・浦上記念館 /山口
 萩市の県立萩美術館・浦上記念館で開かれている「岡部嶺男展――青磁を極める」(同館、NHK山口放送局、毎日新聞社、tysテレビ山口など主催)で4日、呈茶(ていちゃ)席が設けられ、来館者が一服を楽しんだ。
 茶道裏千家淡交会萩支部の維新青年部4人が、漆芸家の古伏脇(こふしわき)司さんのオブジェが展示された茶室で萩焼の茶わんを使ってもてなした。訪れた広島市の主婦、藤村久美子さん(56)は「どうしても展覧会を見たくて、夫に連れて来てもらった。力強い作品ばかりで感動しました」と喜んでいた。


萩出身の木戸孝允は「ビール」好き?…書簡を博物館に展示
 明治維新の元勲で、萩出身の木戸孝允(1833~1877年)は明治初期、ビールに親しみ、故郷で友人たちと飲み交わして旧交を温めていた――。萩市の萩博物館で現在開催中の企画展「長州男児の肝っ玉 松門四天王と桂小五郎」展(12月16日まで)で、このような史実を証明する木戸の書簡が展示されている。
 書簡は1874年(明治7年)8月に萩に帰省した折、山口の友人に書き送ったもので、山口の別の友人のところに「ビール」を残しているので送ってほしいと頼んでいる内容だ。
 木戸は、明治新政府で参議という要職につき、薩摩の大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑と並び称された。しかし、当時、新政府内で独裁的に権力を強めてきた大久保と対立。特に台湾出兵について推進する大久保に反対したが、大勢は大久保に傾き台湾出兵が実現される。書簡所有者の萩市特別学芸員、一坂太郎さんは、木戸の帰郷を「大久保との対立で形勢が不利になった木戸が失意し、故郷に癒やしを求めたのでは」と推測する。

 ビール腹な木戸孝允……を想像してみる(笑)。

調査委が世界遺産化へ再提案
 山口県文化財等活用調査研究委員会は8日、県庁で会合を開き、文化庁に提案する岩国市の錦帯橋と萩市の萩城下町の世界文化遺産の暫定リスト入りをめざす県などの提案書の主題を了承した。萩市はエリアを絞り込んで城下町を強調。岩国市は架け替え技術の継承などを詳細にする。2件は昨年度に継続審議となり、今回が再提案となる。萩市の提案では、昨年度の主題「明治維新」は国内に類似の資産があるため外し、提案名を「萩城下町」に変更。武家屋敷などの建築物、街路、水路が当時のまま残り、国内では最も城下町の特性があると強調する。


産業遺産に田川の二本煙突など追加(07.11.07)
 世界文化遺産の登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」の候補となる遺産について検討する「九州近代化産業遺産研究委員会」(西村幸夫委員長、12人)の会合が6日、福岡市の県吉塚合同庁舎で開かれた。既定の13件に加え、新たに北九州市八幡東区の「八幡製鉄所旧修繕工場」や福岡県田川市の「二本煙突」、山口県萩市の「松下村塾」など11件を追加、計24件を遺産群とすることを了承した。

 九州の記事なんでこんな見出しですが、松下村塾跡が産業遺産群に指定されたことが幕末ファンとしては嬉しいですね。

福岡
柳川出身の政治家由布惟義 企画展で活躍を紹介 古文書館
 柳川市出身で、幕末から大正期にかけて活躍した政治家由布惟義(これよし)(1849‐1925)を紹介する企画展「政治家由布惟義‐由布家の歴史と惟義の遺品」が、同市隅町の柳川古文書館で開かれている。12月16日まで。入場無料。
 柳川藩士の家に生まれた惟義は、新政府軍側の将兵として戊辰(ぼしん)戦争に従軍。その後は県会議員を経て衆院議員を3期6年務めた。その間、多くの企業設立にも携わった。


川上音二郎の業績に光 ふるさと博多で再評価機運
 明治時代に痛烈な社会風刺の「オッペケペ節」で一世を風靡(ふうび)した俳優、川上音二郎(1864-1911年)の業績を再評価する機運が、ふるさとの福岡市博多区で盛り上がってきた。



宮崎
都城島津家史料は重文級、古文書や甲冑充実
 都城市が目録を作成している約1万点の都城島津家史料群の全容が次第に明らかになり、国の重要文化財に指定される可能性が高まっている。
(中略)
 史料には、幕末に活躍した25代当主の島津久静(ひさなが)が、元服など人生の節目で使った装束が晩年のものまで残っている。12歳の元服で使った「黒麻地大紋」や、京都御所の警備についた時に着た「緋羅紗陣羽織(ひらしゃじんばおり)」などがあり、成長に合わせて上下(かみしも)のサイズがだんだん大きくなっていく様子もうかがえる。男性の衣装がまとまって残されている例は珍しいという。


鹿児島
西郷さんに着せたい大島紬のマント
 鹿児島市中心部に立つ西郷隆盛の銅像に着用させたいと、近くで呉服店を営む能勢明博さんらが巨大マントを作製し、1日、鹿児島県庁で公開した。長さ3.8メートル、すそ周り6.9メートル、重さは8キロ。



各地域
地域間の「ゆかり」紹介  観光振興に交流事例集
 山形県庄内地方と鹿児島県は西郷隆盛が縁でつながりがある-。国土交通省は1日までに、歴史や文化、人物などの「ゆかり」を通じた地域間の交流事例を紹介する冊子を作製した。都道府県に配布し、観光振興のアイデアにつなげてもらう。
 過去の交流事例も含め、同省のアンケートに回答した33都道府県の467例を紹介。
 庄内地方と鹿児島のつながりは、戊辰戦争で庄内藩が降伏した際、新政府軍の司令官だった西郷隆盛による処分が寛大だったのがきっかけ。山形県酒田市には西郷隆盛をまつる「南洲神社」があり、神社関係者らが相互に訪問する交流をしている。


近代化産業遺産のマーク発表=30日に450カ所認定へ-経産省
 経済産業省は9日、地域活性化を目指して、幕末から戦前にかけて日本の近代化に貢献した旧鉱山や工場、鉄道跡などを認定する「近代化産業遺産」のロゴマークを発表した。30日には札幌市のサッポロビール博物館や北九州市の八幡製鉄所東田第一高炉跡など、全国約450カ所の産業遺産が「第一号」として認定される。

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