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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 ここのところ朝方に目覚めて寝付けないことが続いているので、ヒーリングCDを買ってきました。今試聴していますが、目蓋が重くなってます(苦笑)。
 今日の注目ニュースは、篤姫側近の日記が発見されたことですね。一般公開は今日明日だそうです。

北海道
土木遺産に奥沢水源地水道施設など認定
 優れた歴史的な土木構造物を土木学会が選定する「選奨土木遺産」に、今年は道内から定山渓発電所施設(札幌市)と奥沢水源地水道施設(小樽市)、聖台ダム(美瑛町)の3施設が選ばれた。土木遺産は、幕末から1945年の間に作られたダムや橋などが対象だ。優れた土木構造物を文化財として残そうと、同学会が2000年から毎年選んでいる。



東京
嫁ぐ道中、将軍死去の報…「篤姫」側近の日記公表
 天璋院篤姫(1836~83年)の警備を担当していた薩摩藩士・仙波市左衛門の日記が見つかり、東京古典会が13日、東京都内で公表した。

 発見されたのは、日記など8冊で計約2000ページ。嘉永6年(1853年)に篤姫が江戸に向かう道中で、嫁ぐ相手の徳川家定の父で、12代将軍の家慶が死去したことが分かったことも記されている。この時点で篤姫は将軍の妻になることになった。

 仙波は藩主・島津斉彬の側役(そばやく)も務めた。娘が篤姫の輿(こし)入れに付いて江戸城に上がるなど、篤姫とは近い間柄だった。「きの」という名前の娘が大奥勤めをするにあたり、「さか」と改名するなど、当時の女性が身分に応じて名前を変えていたことも記述されている。

 山本博文・東京大学史料編纂所教授(日本近世史)は「薩摩藩の記録については、幕末から明治にかけ焼失しており、大変貴重。女性についての記録は当時少なく、珍しい史料だ」と話している。

 日記は14、15日、東京都千代田区の東京古書会館で一般公開される。


篤姫こし入れ記した日記 公開
 幕末から明治にかけて波乱の生涯を送った天璋院篤姫が徳川家にこし入れする際の様子などを書いた家臣の日記が、14日から東京で一般に公開されることになりました。この日記を含む古文書は、東京・神田の東京古書会館で15日まで公開されます。

 この日記は、幕末の薩摩藩主、島津斉彬の側役を務めた仙波市左衛門という藩士が記したもので、全部で8冊あります。日記には嘉永6年、1853年に篤姫が島津家から徳川家にこし入れしたときの様子も書かれており、鹿児島の鶴丸城を出た8月21日の天気は晴れで、篤姫の一行は午前8時から準備を整えて出発し始め、篤姫のかごが城を出るまでに2時間かかったことが記されています。また9月16日の日記には、篤姫の夫となる徳川家定の父親の12代将軍・家慶が亡くなっていたことがわかったと書かれており、専門家によると、篤姫が江戸に向かう道中で将軍の妻になるみずからの運命を実感したことがうかがえるということです。篤姫に関する史料は幕末に江戸の薩摩藩邸が焼き打ちにあったために現存するものは少なく、史料の鑑定に当たった東京大学史料編纂所の山本博文教授は「篤姫のこし入れの様子を通して当時の武家の暮らしぶりなどがうかがえる貴重な資料だ」と話しています。
 この日記を含む古文書は、東京・神田の東京古書会館で14日と15日一般に公開されます。


嫁ぐ道中、将軍死去の報…「篤姫」側近の日記公表
 天璋院篤姫(1836~83年)の警備を担当していた薩摩藩士・仙波市左衛門の日記が見つかり、東京古典会が13日、東京都内で公表した。
 発見されたのは、日記など8冊で計約2000ページ。嘉永6年(1853年)に篤姫が江戸に向かう道中で、嫁ぐ相手の徳川家定の父で、12代将軍の家慶が死去したことが分かったことも記されている。この時点で篤姫は将軍の妻になることになった。
 仙波は藩主・島津斉彬の側役(そばやく)も務めた。娘が篤姫の輿(こし)入れに付いて江戸城に上がるなど、篤姫とは近い間柄だった。「きの」という名前の娘が大奥勤めをするにあたり、「さか」と改名するなど、当時の女性が身分に応じて名前を変えていたことも記述されている。
 山本博文・東京大学史料編纂所教授(日本近世史)は「薩摩藩の記録については、幕末から明治にかけ焼失しており、大変貴重。女性についての記録は当時少なく、珍しい史料だ」と話している。


戊辰戦争ゆかりの地特産販売
 特定非営利活動法人(NPO法人)地域交流センター(田中栄治代表理事)が企画し、140年前の戊辰(ぼしん)戦争で敵対した萩市、鹿児島市と福島県会津若松市、新潟県長岡市の特産品の詰め合わせを、16日に東京都江戸川区で開く地域交流イベント「江戸川かっぱ市」で販売する。
 萩市の「しそわかめ」など4地域でまちの駅づくりに取り組む関係者が選んだ乾物、生菓子、米菓子を箱詰めにして販売する。また、各地域の住民や、首都圏に住むゆかりの人たちが集まり、交流会も開く。
 萩市の隣の阿武町出身の田中さんは「地域内外の人がコミュニケーションを深める場所を」と、地域の交流拠点である「まちの駅」づくりを提唱している。4地域は全国でもまちの駅の活動が進んでいる場所であり、「歴史の因縁を越えたネットワークを築こう」と共同の取り組みを発案した。


戊辰戦争で敵対 会津若松など4市、特産品で融和
 リンク先は、河北新報サイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
 戊辰戦争140周年に合わせ、旧幕府軍や新政府軍として敵対した福島県会津若松、新潟県長岡、鹿児島、山口県萩の4市の有志が16日、都内のイベント会場に集い、地元の銘菓などをパック詰めした商品を販売する。戦争の歴史を乗り越え、新たな友好関係を構築するのが狙いだ。
 企画したのはNPO法人「地域交流センター」(事務局・東京)。全国各地に交流拠点「まちの駅」設置を呼び掛けるなど、地域間のネットワークづくりに取り組んでいる。16日に江戸川区の公園で交流イベント「江戸川カッパ市」を開くのに合わせ、萩市出身で代表の田中栄治さん(65)らが、戊辰戦争で戦った地域同士の融和をアピールできる企画を考えた。
 4市に住む仲間や在京の出身者らと相談し、それぞれの地域の“自慢の逸品”をセットにして販売することに。会津若松市の「会津武者煎餅(せんべい)」、長岡市の「米百俵本舗まんじゅう」、鹿児島市の「かるかん」、萩市の「夏みかん菓子」などを一緒に箱に詰め、1箱1000―1300円で販売する。140周年にちなみ、計140箱用意するという。
 当日、会場には4市の関係者計約60人が集まり、イベントを盛り上げる計画。田中さんは「敵対した過去のしがらみを断ち切って友好を深めるきっかけになれば何より。今後も連携し、他地域にも交流の輪を広げていきたい」と話している。


神奈川
広川の歴史:郷土愛深めよう 平塚の研究会が編集 /神奈川
 平塚市北部の広川地区の歴史をまとめた本「広川の歴史」ができた。「広川歴史研究会」(蓑島義一代表)のメンバー約10人が郷土を愛する心を深めてもらおうと、発足から5年間かけて編さんした力作だ。
 同地区にある縄文時代中期の遺跡「五領ケ台」から推測される縄文人の生活に始まり、金目川とともに発展した農業、明治維新以降の近代化の変遷などを時系列でまとめた。



福井
福井ゆかりの絵師の作品紹介 幕末から明治期の16点
 福井市宝永3丁目の市郷土歴史博物館が収蔵する、近代絵画の企画展が同館で開かれている。来年1月12日まで。
 福井藩主だった松平家に伝わる作品を中心に16点を展示。幕末から明治期にかけて地元の絵師が描いた日本画のほか、西洋画の影響を受けた肖像画が並ぶ。
 福井ゆかりの絵師では、1000人近い弟子がいたという福井藩士の島田雪谷(せっこく)の代表作「桜下群禽(ぐんきん)図」を公開。西洋画の手法で描いた油彩の「松平春嶽像」といった写実的な肖像画もある。
 中には徳川慶喜が描いたと松平家に伝わり、後に高橋由一の作品と判明した「真崎稲荷(いなり)社図」など、明治期の洋画技術をうかがい知れる絵画もある。
 中学生以下と70歳以上は無料、高校生以上の一般は210円。午前9時から午後5時まで。12月8、9日と年末年始は休館。
(原田晃成)


岡山
岡山県立博物館で「工芸のあゆみ」展
備前焼、讃岐漆芸など150件展示

 備前焼、讃岐漆芸を中心に岡山、香川両県の伝統工芸を集めた「備讃における工芸のあゆみ―幕末・明治から現代へ―」(岡山県教委、香川県など主催、山陽新聞社共催)が14日、岡山市後楽園の県立博物館で始まった。初日から美術ファンらが訪れ、風格漂う作品に見入っていた。
 2006年度から始まった同博物館と香川県立ミュージアムの交流事業を締めくくる同展。江戸後期の先駆者から現代作家までが手掛けた工芸品約150件を展示している。
 讃岐漆芸の基礎を築いた玉楮象谷(たまかじぞうこく)の「彩色蒟醤(きんま)料紙硯匣(すずりばこ)」(1854年)は、黒漆に朱、緑などの色漆が映える。古備前を思わせる緋襷(ひだすき)に現代感覚を融合した備前焼の人間国宝(重要無形文化財保持者)伊勢崎淳氏の「備前黒角皿」などもあり、新旧の逸品が訪れた人を魅了。
 会期は12月14日まで(17、25日、12月1、8日休館)。


山口
138年ぶり 孔子の祭典復活へ
 明治維新前に地方武士の学問の場だった周南市安田の徳修館で続いていた儒学の祖・孔子をたたえる祭典「釈菜(せき・さい)」が138年ぶりによみがえる。同館創立200年を機に、館の閉鎖で絶えたままだった祭りをもう一度復活させようと地元有志が実行委員会をつくり、準備を進めてきた。16日に同館で披露する。


福岡
東京高牟礼会 130年前に旧久留米藩士入植 郡山訪問、先人しのぶ
 久留米地区の7高校(明善、久留米、久留米商、南筑、久留米大付設、三潴の各高校と久留米高専)の在京同窓生でつくる「東京高牟礼会」(笠伊次郎代表幹事)の約30人がこのほど、久留米市と姉妹都市の福島県郡山市を訪問。130年前に旧久留米藩士が入植したゆかりの地を巡った。
 旧久留米藩士の森尾茂助らは1878(明治11)年、明治政府が維新後に失業した士族の救済策として始めた国営開拓事業に参加。安積(あさか)原野(現・郡山市)に入植し、刀をくわに持ち替えて開墾に励んだ。久留米から585人が移り住み、今も「久留米一丁目」などの町名が残っている。開拓地は現在は住宅地になっている。
 同会メンバーは、旧藩士が使った農具などが展示されている久留米開墾資料館を見学し、森尾茂助らの墓参りを行った。開拓者の子孫や同市役所職員らと交流を深める昼食会もあり、笠代表幹事は「現地を訪れて、私たちの先人が大変苦労したことがよく分かりました」と話していた。
 入植を機に、久留米市と郡山市は1975年に姉妹都市提携を結んだ。また久留米市野中町の石橋美術館では、入植130年を記念して郡山市立美術館所蔵の英国近代絵画を紹介する「ノスタルジア展」を開いている(12月14日まで)。
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