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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 雨がよく降りますねぇ……冷えてきます。龍馬の誕生日・命日があったせいか、龍馬関係のニュースが多いです。

北海道
函館に龍馬記念館
 幕末の志士・坂本龍馬の資料を集めた「北海道坂本龍馬記念館」が、市民有志らによって、龍馬の誕生日で命日でもある15日、函館市に開館した。関係者は「歴史のまち函館の新たな観光資源にしたい」と意気込んでいる。
 龍馬は生前、脱藩浪士らを集め、北海道開拓と防備に充てる計画を立てていたことで知られる。明治時代に龍馬のおいの直寛が高知県で移民団を結成し、北海道に移住。一族から画家・坂本直行(故人)を輩出するなど、子孫が北海道で活躍している。
 記念館には、龍馬と一族の足跡を紹介するパネルのほか、坂本家ゆかりの資料など100点余りを展示。龍馬直筆の手紙2通もある。運営するNPO法人「北海道坂本龍馬記念館実行委員会」の三輪貞治理事長(46)は、「龍馬と北海道とのつながりを知ってもらえれば」と語る。
 開館式典には、坂本家9代目当主の登さん(72)も参加。「坂本の人間として無類の喜び」と話していた。
(2009年11月16日 読売新聞)


龍馬の精神、函館に 記念館がオープン
【函館】幕末の志士、坂本龍馬の足跡を伝える北海道坂本龍馬記念館が15日、函館市末広町8に開館した。
 NPO法人北海道坂本龍馬記念館実行委員会(三輪貞治理事長)が、龍馬が本道開拓の夢を持っていたことや、親族が函館に住んでいた縁から、道内外から集めた寄付などで開設した。龍馬が薩長同盟成立の直前に親族あてに書いたとされる直筆の手紙や、勝海舟や西郷隆盛の書など約100点を展示している。龍馬の記念館は高知市に次ぎ2館目。
 11月15日は龍馬の誕生日と命日。坂本家9代目当主の坂本登さん(72)=東京都=は「若者に龍馬の精神を伝える場になってほしい」と話していた。
 入場料は一般300円、高校・大学生200円、小中生100円。月曜休館。問い合わせは同館(電)0138・24・1115へ。


龍馬記念館、函館に開館
式典や演武披露も
 北海道開拓を夢見た幕末の志士・坂本龍馬や北海道に渡った坂本家の子孫たちの志や業績を伝えようと道内のNPO法人が計画した「北海道坂本龍馬記念館」(三輪貞治館長)が15日、函館市末広町に開館し、多数の見学者でにぎわった。
 午前10時から記念セレモニーが行われた。西尾正範・函館市長は「記念館は龍馬を慕う人たちが思いを込めてつくった。龍馬の志を函館から発信できるきっかけになるかなと大いに期待している」とあいさつした。
 記念館名誉顧問で、坂本家9代目の坂本登さん(72)=東京在住=は龍馬の甥(おい)で北海道に渡った自由民権運動家、坂本直寛のひ孫。登さんは「資料の展示だけでなく、記念館を大きな出会いの場にして欲しい」と述べた。
 記念行事として近くの五島軒本店で龍馬が学んだ北辰一刀流の演武が披露され、龍馬に詳しい京都国立博物館考古室長の宮川禎一さんが講演を行った。宮川さんは北辰一刀流の千葉定吉道場の千葉重太郎について言及。「重太郎は明治5年から開拓使に出仕した。記録から函館に来たのは間違いない」と龍馬の友と函館の因縁について説明した。
 登さんの父で、六花亭の包装紙のデザインでも知られる画家の故坂本直行さんのコーナーも設けられた。近所に住む公務員の及川雅子さん(49)は「六花亭の包装紙の画家が龍馬とゆかりがあると知らなかった」と驚いていた。


龍馬の遺志 今に…記念館オープン
 函館市と青森市のツインシティ提携20周年を記念して行われた「赤い糸プロジェクト」のモニュメント除幕式が14日、青函両市で行われた。函館では悪天候のため、モニュメントが設置された緑の島(大町15)の対岸に位置する市青函連絡船記念館摩周丸で行われ、西尾正範市長や、同プロジェクトに携わった市内の高校生、大学生らが両市の末永い交流を願った。
 同プロジェクトは青函圏域の新たな魅力づくりに向け、青森ゆかりの作家、太宰治の作品にヒントを得て実施。今年6月から両市の高校生、大学生21人が小委員会を組織、公立はこだて未来大の鈴木克也教授らをコーディネーターに進めてきた。
 モニュメントは山形在住の彫刻家、峯田義郎さんが制作し、高さ2メートル30センチ、幅90センチの大きさ。太宰の小説「思ひ出」(1933年)の中で、青森港の桟橋で男女を結ぶ赤い糸について弟と話し合うシーンをもとに「ふたり」と名付けられ、2人の人物が両市の絆(きずな)の深さを表現している。函館では緑の島、青森は県観光物産館(アスパム)裏に設置された。
 函館での除幕式では西尾市長が「新幹線が開通すると青函は40分で行き来できる。新しい交通時代を見ながら、さらにつながりを深めたい」とあいさつ。出席者は緑の島でモニュメントの幕が取り払われる様子を摩周丸から眺め、拍手を送った。
 大学生の小委員会メンバーはその後、緑の島に出向いて記念撮影。公立はこだて未来大3年の伝法谷朋弘さん(21)は「青森出身なので、人一倍思いがあった。プロジェクトにかかわれて誇らしく思う」、函館大2年の矢本千晶さん(20)も「少しでも市のために何かできたことがうれしい。青森を身近に感じられるようになった」と話していた。


坂本龍馬記念館:函館に開設 開拓の遺志、一族が継承 /北海道
◇先取の精神と甥らの足跡たどる
 大政奉還後の北海道開拓を提唱したとされる坂本龍馬(1835~67)の記念館が函館市末広町に開設された。龍馬自身は道内に足を踏み入れることはなかったが、遺志を継いだ一族が道内各地に足跡を残しており、戊辰戦争最後の地・函館で「龍馬の志」を伝える場にしたい考えだ。【昆野淳】
 「エゾ(蝦夷)に渡らんとせし頃(ころ)より、新国を開き候ハ積年の思ひ」。龍馬が暗殺される9カ月前に親しい長府(山口)藩士に差し出した手紙。現在も残されている直筆の文面には、北海道開拓を真剣に志した龍馬の思いが熱く語られている。
 龍馬の記念館は高知に県立施設があるが、恵庭市で商店を経営していた三輪さんがこうした話を知り、01年にNPO法人を作って道内での設立に奔走。当初は札幌での設置を検討したが、函館が幕末・維新の歴史の残る歴史的な観光地であり、函館に開設することにした。
 記念館では、龍馬の直筆の2通の手紙や愛用の湯飲み茶わんのほか、一族の生涯を紹介したパネルなど約100点を展示している。月曜日休館。入場料は大人300円、小中学生100円。

11月17日朝刊


山形
活動充実と一層の発展誓い合う 米沢有為会の創立120年記念行事
 置賜地方出身の学生を対象にした寄宿舎運営や育英事業などを続けている米沢有為会(本部・東京)の創立120周年記念行事が15日、東京都内のホテルで開かれた。会員ら約220人が出席し、活動の一層の充実を確認した。
 式典で下條泰生会長(米沢市出身)は「先人の志と会員の支えによって事業は継続してきた。次の130周年に向け継承していこう」とあいさつ。名誉会長で旧米沢藩上杉家17代当主の上杉邦憲さんは「厳しい世の中で、ますます米沢有為会の存在が大事になる。発展を祈念する」と祝賀の言葉を述べ、安部三十郎米沢市長も来賓として出席し、祝辞に立った。
 式典に先立ち、会場では「有為会歴史回顧展」と題し、歴代会長の遺影のほか、幕末から明治、大正、昭和にかけて活躍した先人の伝記図書を展示。上杉さんによる記念講演などが行われた。
 米沢有為会は1889(明治22)年に米沢市出身の建築家、伊東忠太氏ら在京学生が創設。都内と仙台市で寄宿舎「興譲館」を運営し、奨学金事業や産業分野の顕彰も行っている。寄宿舎生は計2000人近くに上り、奨学生は360人を超えている。


茨城
【決断の日本史】(6)1645年・黄門さまの向学心
■明治維新生んだ「水戸学」

 越後のちりめん問屋のご隠居が助さん、格さんを従えて諸国を漫遊し、悪代官の不正をあばき、懲らしめる。日本人ならだれもが知っている水戸黄門の勧善懲悪の物語である。
 黄門さんは水戸徳川家2代藩主、徳川光圀(1628~1700年)であり、「黄門」は官位・権中納言の中国風の呼び名であることも、歴史ファンなら知っている。しかし、黄門さんは諸国漫遊はおろか、江戸や日光、水戸近辺しか見たことがなかったといえば、少々意外にも思うだろう。
 「光圀が名君だったことは事実ですが、漫遊記は明治20年代以降に作り上げられたフィクションなんです」
 3年前、『徳川光圀』(吉川弘文館)で新たな光圀像を描き出した鈴木暎一(えいいち)・茨城大学名誉教授はいう。
 光圀は徳川家康の十一男で初代水戸藩主、頼房の三男として誕生した。子供のころは乱暴者だったが正保2(1645)年、18歳のとき司馬遷の『史記』伯夷(はくい)伝を読んで感動し、学問に開眼した。伯夷伝は伯夷、叔斉(しゅくせい)の兄弟が国王の座を譲り合う話である。
 光圀には6歳上の同母兄がおり、兄を差し置いて水戸藩を継ぐことに複雑な思いがあった。のちにこの兄の子を3代水戸藩主に迎えている。
 光圀の向学心は尋常ではなく、30歳で歴史研究のための史局(のちの彰考館)まで開設した。彰考館には全国に伝わる古い文献史料を集めるための専任スタッフも置かれた。その中心人物だった佐々十竹(じっちく)と安積澹泊(あさか・たんぱく)は京都や奈良などを駆け巡り、彼らが助さん、格さんのモデルとなったのである。
 光圀は収集した史料を分析、考察し、膨大な歴史書『大日本史』の編纂(へんさん)に着手した。朱子学の大義名分論の立場に立った歴史観は「水戸学」として大成され、幕末の尊王思想へとつながり、明治維新と近代国家誕生のバックボーンになった。
 「学問に生きる」という決断が歴史を動かしたのである。(渡部裕明)
 

栃木
埋もれた歴史遺産に光 鬼怒川・川治温泉ブランド戦略委 観光商品化へツアー
【日光】ホテルなどの関係者でつくる鬼怒川・川治温泉ブランド戦略委員会は、地域内の埋もれた歴史、文化遺産ツアーの商品化を目指し、首都圏の住民を対象にした初のモニターツアーを18日に行う。鬼怒川温泉から三依まで会津西街道沿いの史跡など10カ所前後を視察。参加者の意見を参考にし、再来年までには商品化を目指す。関係者は「愛される商品にしたい」と意欲的だ。
 この企画は「歴史遺産創造事業プロジェクト」。JTB協定旅館ホテル連盟鬼怒川・川治地区会が、同連盟本部の基金から支援を受け、昨年から3カ年にわたり行っているものの一環だ。
 戦略委は地元の人にも意外に知られていない史跡などが多いことに着目。本や資料で下調べした上で現地調査やホテル関係者による視察を行うなど、数カ月かけ準備してきた。
 ツアーには東京、神奈川、埼玉の5組、13人が参加。野仏群や道祖神のほか、幕末の漢学者大橋静庵終えんの地を示す大橋静庵墓碑、戊辰戦争時の小原沢古戦場跡なども視察する。
 地産地消を意識し、昼食は新そばや山菜の天ぷらを予定。戦略委は今後も地産地消の研究を重ね、歴史遺産探訪と温泉、食を組み合わせることで商品化を図りたい考えだ。
 同プロジェクトの小野真事務局長は「埋もれたものを再確認しようと始めたら、多くの歴史や文化遺産があると分かった。歴史に興味のある人は多く、ヒット商品に育てたい」と話している。


東京
写真でたどる龍馬の生きた時代 1月にフジフイルムスクエアで
 明治維新の原動力となった坂本龍馬(1835~67)の人生を振り返る写真展「写真で辿(たど)る『坂本龍馬の生きた時代』」が平成22年1月16日から2月25日まで、フジフイルムスクエア(東京都港区赤坂)で開かれる。
 龍馬の写真は6点が現存するとされ、靴をはいて立っている有名な写真など複数枚が展示される予定。さらに、龍馬と同時代に活躍した人物や当時の風俗などの写真、龍馬が生前に残した書簡、所持品などが展示される。
 富士フイルムは「幕末は写真技術が伝来した写真文化の幕開けの時代。一枚一枚に込められた当時の人々の思いを体感してください」としている。
 また、同時にNHK大河ドラマ「龍馬伝」展が開催される。22年1月から放送される福山雅治主演のドラマの撮影風景や小道具などが展示される予定。
 いずれも入場無料。フジフイルムスクエア(電)03・6271・3350。


神奈川
横浜ロイヤルパークホテルが期間限定「徳川遊膳」ランチ
 横浜ランドマークタワー内「横浜ロイヤルパークホテル」68階の日本料理「四季亭」(横浜市西区みなとみらい2)は、期間限定の特別ランチ「徳川遊膳」を提供している。
 同ランチは、現在横浜美術館で開催中の展覧会「大・開港展 徳川将軍家と幕末明治の美術」にちなみ企画されたもので、期間中は徳川将軍家の食にまつわるエピソードや、天璋院篤姫の出身地「薩摩(鹿児島)」の名物、篤姫が好んだと伝えられている料理にアレンジを加えたメニューを用意する。
 内容は、先付け「茶碗蒸し」、お造りは将軍家縁の「鯛、イカ、芽物、山葵」、焼物八寸は篤姫好物、将軍家・故郷薩摩縁の「小串、さつま揚げ、胡瓜と薩摩味噌、白インゲン豆栗含ませ」、煮物替は篤姫好物の「揚げだし豆腐べっ甲あんかけ」、小鉢「菊花、青菜浸し」、篤姫好物の「きがら茶ご飯」をアレンジした季節の味ご飯など。料金は3,465円。
 同ランチを始めて以来、横浜美術館の前後に立ち寄る方が多く好評だという。
 横浜ロイヤルパークホテル・営業企画部広報企画課の釜本晴美さんは「このランチは横浜美術館の企画展と連動している事もあり、ぜひお客様に歴史を知る楽しさを味で感じてもらおうと思い企画いたしました。簡単には資料が見つからず、江戸をテーマにした博物館や、文献を多く所蔵する図書館へ行くなど、時間をかけて調査した内容です。お召し上がりいただく際、ぜひスタッフにお声をお掛けいただき、篤姫や将軍家の食についてのエピソードなども聞きながら味わってみてください」と話す。
 開催時間は11時~14時30分(土曜・日曜・祝日は15時まで)。問い合わせはレストラン予約(TEL 045-221-1155)。11月23日まで。
 「大・開港展 徳川将軍家と幕末明治の美術」は、横浜開港150周年記念 横浜美術館開館20周年記念の企画展。封建体制下における政治・文化の頂点に君臨した徳川将軍家に焦点をあてた幕末の将軍遺愛の品々や大奥を彩った調度品から、開港により揺れ動く時代を表す史料、そして開港を経て新しく生み出された美術までを3部構成で展示する。11月16日からは徳川慶喜の騎馬肖像写真が登場する。会期は11月23日まで。


京都
竜馬ゆかりの4県タッグ 鹿児島県などの大阪事務所 京都市で観光PR
 坂本竜馬ゆかりの鹿児島、長崎、山口、高知の4県の大阪事務所が観光客誘致でスクラムを組み「大龍馬恋」と題したPR展を、竜馬の命日にあたる15日、幕末維新の志士が活躍した京都市で初めて開いた。
 「大龍馬恋」は来年1月に始まるNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんだ企画。“大”阪事務所が“恋”(連)合するという意味で、等身大の竜馬像も設置された京都駅前のPR会場には各県の観光キャンペーンレディーやキャラクターの着ぐるみも登場し、市民や竜馬ファンらに観光パンフレットなどを配った。
 霧島ふるさと大使の川畑りえ子さんは「鹿児島は、竜馬が日本人で初めて新婚旅行に訪れた場所。癒やしの旅を味わって」とPRしていた。


大阪
龍馬“174歳”高知で祝う ホテルに「龍」点灯
 幕末に活躍した坂本龍馬(1835~67)の誕生日で命日にもあたる15日、龍馬の偉業を顕彰する催しが、高知市内各地で行われた。来年1月からNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放送が始まり、県内でも「土佐・龍馬であい博」が開かれるのに合わせ、今年は、観光機運を盛り上げるための新たなイベントも開かれ、県内外から訪れた大勢の龍馬ファンが、薩長同盟の橋渡しや大政奉還に大きな役割を果たした、幕末の英雄の生涯に思いをはせていた。
 龍馬の生誕地にある記念碑(同市上町)前では、174回目の誕生日を祝う「龍馬誕生祭」があり、約100人が参加。龍馬の子孫にあたる神戸市須磨区の土居晴夫さん(86)らが玉串を奉納した後、近くの保育園児が鼓笛隊の演奏を披露し、全国龍馬社中の橋本邦健会長らが講話した。
 講話の中で橋本会長は、今後、オランダや台湾など海外にも龍馬会を作っていく考えを明らかにし「我々も龍馬の行動力、先取性を見習い、少しでも近づけるよう頑張りたい」と語った。
 高知市鴨部の江川澄雄さん(78)は「現代の日本も激動の時代を迎えているが、龍馬のような発想の人はいない」と、〈平成の龍馬〉の出現に期待。神奈川県秦野市の会社員女性(29)は「今の時代に、龍馬が生きていたら、宇宙にいこうとしているのでは」と、思いをはせていた。
 一方、「ホテル日航高知旭ロイヤル」(同市九反田)では、ホテルの壁面に「龍」の一文字を夜空に浮かび上がらせた。隣接する立体駐車場の壁面には、龍馬の立像写真をプロジェクターで浮かび上がらせ、坂本雅彦マネジャーは「長崎に負けず、高知も一緒に盛り上げていきたい」と意気込んでいた。
 また、丸の内緑地公園(同市丸ノ内)では「龍馬よさこい冬の舞」が初めて開かれ、有名チームを含む19チームがよさこい鳴子踊りを乱舞。JR高知駅では、龍馬や岩崎弥太郎のキャラクターや肖像画などを車体に描いた特急「南風」の出発式が開かれた。南風は、JR岡山駅と県とを結び、来年いっぱい運行される。
(2009年11月16日 読売新聞)


岡山
異国人の強さ知る 龍馬テーマの講演会
 開催中の岡山城秋季特別展「江戸時代に学ぶ行財政改革 熊澤蕃山から山田方谷まで」(山陽新聞社など主催)に合わせ15日、岡山市北区柳町の山陽新聞社さん太ホールで、幕末の政治史に詳しい一坂太郎・山口県萩市特別学芸員が講演した。
 演題は「龍馬とその時代 黒船来航」。一坂氏は、嘉永6(1853)年のペリー来航のころ坂本龍馬が江戸・品川付近の警備を担当し、自らの意志で西洋の砲術も学んでいたと指摘。「異国人を討ちたいという思いだけでなく、強さの理由を知らなければならないという深い考えを持っていた」と評価した。
 同十日市西町、会社員諸河博さん(37)は「男らしいイメージがある龍馬の思想が、どんな影響を受けて成り立ったのか実感できた」と話していた。
 坂本龍馬に関する一坂氏の講演は来春も同ホールで開かれる予定。



香川
日向市史談会が小豆島で交流 香川
 小豆島(香川県)と幕末の人物史を共有する宮崎県日向市の歴史研究グループ「日向市史談会」の甲斐誠二会長(72)ら17人が16日、小豆島町福田の雲海寺で、幕末の事件「寺田屋騒動」で殺害された田中河内介(かわちのすけ)・左馬介(さまのすけ)父子を顕彰する「田中河内介顕彰会」(小豆島町)と交流し、非業の死を遂げた志士たちを偲(しの)んだ。
 河内介は但馬・神美村(現在の兵庫県豊岡市)の生まれで、後に明治天皇となる祐宮(さちのみや)の養育係だった勤王の志士。文久2(1862)年4月、倒幕急進派の薩摩藩士や諸国の志士らと集まった京都・伏見の寺田屋で公武合体に動く薩摩藩に首謀者として捕らえられる。
 父子のほか、黒田藩家臣の海賀直求や千葉郁太郎、中村主計の志士は海路で薩摩へ護送され、父子は船中で惨殺されて瀬戸内海に捨てられ、残る3人は現在の日向市細島の海岸で殺害されてともに歴史から抹殺された。
 父子の遺体は、足かせがついたままの姿で小豆島の同寺近くの海岸に漂着。地元では手厚く葬り、現在も慰霊と顕彰が続いている。日向市でも同様に維新の志半ばで消えた3人の志士と歴史を顕彰し続けている。
 日向市史談会の訪問は4回目。15日夕方に3人の位牌(いはい)を携えて来島し、河内介らが中心の物語でTVドラマ化された「天皇の世紀」(大佛次郎原作)のビデオを、顕彰会のメンバーと鑑賞して旧交を温めた。
 この日は同寺で合同の法要と墓参をして、歴史談議に花を咲かせた。甲斐会長は「小豆島の会と交流しながら、顕彰を続けたい」と話していた。


高知
「龍馬型」拳銃 20日から公開
 佐川町甲の町立青山(せいざん)文庫は坂本龍馬が京都・寺田屋事件で使ったとみられる拳銃と同型の拳銃を20日から特別公開する。29日まで。
 この銃はアメリカのスミス&ウエッソン社が幕末から明治初めにかけて製造した回転式6連発の「モデル2アーミー」=写真。2年前に県内の民家で見つかった。民家から提出を受けた高知地検が「歴史的な価値があるのでは」と同文庫に移管した。
 龍馬自身が「6連発の拳銃を使った」と語った1866(慶応2)年の寺田屋事件とは製造時期が重なっている。同文庫名誉館長の松岡司(まもる)さんは「このモデルだった可能性が大きい。初物好きの龍馬は拳銃が好きだったようで、懐に入れた手で拳銃を握っていたという見方もある」と話す。
 拳銃は現在でも使用できるため、一般公開には厳重な管理が必要という。同文庫は来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて常設展示するかどうか検討している。問い合わせは同文庫(0889・22・0348)へ。


焼酎の夜明けぜよ
 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、坂本龍馬が幕末に活躍した高知、長崎、京都の3府県にある酒造メーカー3社が、共同で開発した焼酎「龍馬伝」を発売した。
 長崎県壱岐市の焼酎メーカー「壱岐の華」が「龍馬伝の名称で、瓶やパッケージなどが共通デザインの焼酎を造らないか」と、安芸市本町4丁目の菊水酒造と京都市伏見区の酒蔵「北川本家」に持ちかけた。
 菊水酒造は高知産金時芋を使った芋焼酎、長崎は麦焼酎、京都は米焼酎を造った。それぞれサブタイトルとして「土佐 立志篇」「長崎 希望篇」「京都 風雲篇」と名付けた。ラベルには坂本家の家紋を記し、化粧箱には日本地図や龍馬が残した和歌をあしらった。
 菊水酒造の担当者は「ドラマを見ながらそれぞれの地の焼酎を味わってもらえれば、楽しみが倍増するのでは」と話している。
 価格は1本720ミリリットルで立志篇が1600円、希望篇と風雲篇が各1400円(税抜き)。問い合わせは菊水酒造(0887・35・3501)へ。


高知で坂本龍馬誕生祭 ファンらがしのぶ
 幕末の志士・坂本龍馬の誕生日で、命日でもある15日、高知市上町の生家跡に立つ記念碑前で恒例の「龍馬誕生祭」が開かれ、地元住民や県内外の龍馬ファンらが龍馬をしのんだ。
 地元住民らでつくる同実行委が主催。龍馬の写真が掲げられた記念碑の前で近くの神社の神職が祝詞を読み上げた後、神戸市須磨区に住む龍馬のおいの孫にあたる土居晴夫さん(86)ら出席者が碑の前で手を合わせた。
 土居さんは「10数年前から出席しているが、地元の人たちのおかげで誕生祭が続けられることはありがたい」と話した。
 龍馬に関する講話や地元の市立第四小学校の児童による龍馬にあてた手紙の朗読、上街保育園の園児の鼓笛演奏などが行われた。
 誕生祭に合わせて訪れる全国の龍馬ファンも多く、千葉県市川市の会社員、目黒薫さん(40)は「毎年、龍馬の命日のころにゆかりの地を訪れており、今年は高知に来た。龍馬の奇抜な発想や先を見すえた考えなどにひかれファンになった」と話した。


高知 坂本龍馬の誕生祭
 幕末の志士、坂本龍馬の174回目の誕生日にあたる15日、高知市の龍馬の生家跡で誕生祭が行われました。ことしは全国から100人余りの龍馬ファンが集まり、参加者が記念碑に玉ぐしをささげて龍馬をしのびました。



大分
勝海舟と龍馬足跡たどる
街道ウオークに400人

 大分市は14日、幕末に勝海舟と坂本龍馬が佐賀関から大分を横断したことを記念した「愛媛街道健康ウオーク」を市内で開いた。市民ら約400人が参加、鶴崎公園から国道197号(愛媛街道)沿いのコースを通って佐賀関を目指す20キロのコースと、その半分の10キロのコースに分かれ、途中、別府湾などの景色を堪能しながら半日をかけて歩いた。
 市などによると、2人は1864年、英、仏、米、蘭の四国連合艦隊の下関攻撃を中止させる説得交渉のため長崎に赴いた。その際、佐賀関の徳応寺に宿泊した記録が、当時の住職の手で記されている。
 この日、20キロコースに参加した郷土史家の北川徹明さん(75)は「くたびれたが気持ちよかった。小説などでは海路を使ったと描かれることが多かったが、これを機に史実が広まってくれれば」と話していた。
(2009年11月15日 読売新聞)


長崎
オランダ商館付属の遺構 江戸初期、基礎や石垣の一部確認 綱造り工場関連跡か 平戸・横島
 平戸市教委は16日、同市田平町沖の横島で、江戸時代初期、平戸島にあったオランダ商館(1609-41年)の付属施設とみられる建物の基礎や石垣の一部を確認したと発表した。当時の記録にある帆船用のロープ造り作業所(リンバーン)に関連した施設の可能性が高いという。商館付属施設の遺構が見つかったのは初めてで「商館の活動を裏付ける貴重な発見」(市教委)としている。

 市教委によると、横島は、同市大久保町の国史跡「平戸和蘭(おらんだ)商館跡」から北東に約4キロ。1981年から無人となっている。2007年の踏査で、集落跡を広範囲に囲んだ石塀(南側約100メートル、西側約33メートル、高さ約3メートル)の形状が商館時代のオランダ建築と類似していることが分かった。

 江戸初期の丸瓦も見つかったことから今年10月、発掘調査に着手。その結果、石塀内部の敷地から商館時代の建物の礎石が出土、南側石塀の下からも商館と同じ構造の護岸石垣が見つかった。また、西側石塀の一部が商館時代に築かれたものであることも分かった。石塀は幕末ごろまで改修を重ね、近年まで防風壁として島民が利用していたとみられる。

 オランダ商館の商館長日記や仕訳帳には、川内浦など4カ所に付属施設があったことが記されている。横島は「商館の島」と記述され、ヤギやヒツジの放牧地やリンバーン、墓の存在は知られていたが、それらの遺構は特定されていなかった。

 市教委の赤木寛さん(考古学)は「今回見つかった礎石は、リンバーンで働いた作業員の住居跡と思われる。文献にはリンバーンは長さ120メートル以上あったとされており、今後の調査で場所を特定したい」と話す。

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 ●西欧の思想 色濃く反映

 ▼元佐賀県立名護屋城博物館学芸課長の高瀬哲郎さん(城郭史)の話 横島の石塀の構造を見ると、日本古来の築造技術を用いながらも、垂直に石が積まれている。日本の石垣は斜めに積むのが普通で、形状には西欧の思想が色濃く反映されている。

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 ▼平戸オランダ商館 東インド会社が1609年設立。江戸幕府により長崎出島移転を命じられるまでの33年間、敷地内に住宅や倉庫など十数棟が建てられ、鎖国以前唯一の国際交易拠点として隆盛を極めた。平戸市は2011年秋オープンをめどに、1639年築造の石造倉庫の復元工事を進めている。


オランダ商館でロープ作り 長崎・平戸の無人島で跡地判明
 長崎県平戸市の横島に17世紀前半、平戸オランダ商館が設置した航海用ロープ作りの作業場があったことが発掘調査で判明し、同市教育委員会が16日、現地説明会を行った。
 横島は周囲約4キロの離島で、昭和56年から無人島になっている。市教委は海に面した石垣の内側で、17世紀前半の陶磁器の破片を発見。また石垣は積み直されているが、元島民の証言から以前はオランダ建築の名残をとどめていたことが分かり、文献に記録があるロープ作りの作業場と作業員家屋の跡地と特定した。
 無人島になる前、石垣の内側には3世帯が居住。その1人で、説明会に参加した農業、沢井真実さん(72)は「生まれた時から石垣はあったが、オランダに関係するものとは思ってもみなかった」と話していた。



3体目の龍馬像ぜよ 長崎でお披露目
 幕末の志士、坂本龍馬が活躍した長崎市で、龍馬の3体目となる銅像が丸山公園に建てられた。誕生日で命日でもある15日、除幕式が開かれた。
 地元自治会や観光業界、財界などが企画。来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」ブームも手伝って、13日現在、建立費約700万円を超える約1255万円が寄せられた。
 高さは台座も含めて約2.4メートル。制作した市内の版画家・彫刻家、小崎侃(こざき・かん)さん(67)は「手で触れ、肩を並べて写真を撮ってほしい。愛される龍馬になれば」。


亀山社中幕末祭:龍馬の功績しのぶ /長崎
 坂本龍馬の誕生日であり命日の「11月15日」を前に、長崎市伊良林2の若宮稲荷神社などで14日、亀山社中幕末祭(亀山社中ば活かす会主催)があった。
 神社は「勤皇稲荷大明神」とも呼ばれ、幕末には龍馬をはじめ、多くの志士が参詣したという。境内では生誕祭が執り行われ、会員ら約20人が参加した。
 また、今年8月の神社近くの長崎市亀山社中記念館リニューアルに伴って、社中跡から境内に移設された坂本龍馬像の奉呈式も行われた。
 松尾光弘宮司は「今後は神社の宝として末永く保持していきます」とあいさつ。針屋武士・活かす会会長は「来年はNHK大河ドラマ『龍馬伝』が放映され、ここにも多くの観光客が訪れると思う。その盛り上がりを来年以降にいかにつなぐか考えたい」と語った。
 15日午前10時~午後3時には、神社近くの亀山社中資料展示場で、見学者にお神酒、お茶が振る舞われるサービスもある。【蒲原明佳】


社会 
龍馬・武将…歴史モノ人気
■カレンダー2010

 国内外の来年のカレンダー約2500種類を集めた「丸善カレンダーフェア2010」が、岡山市北区表町1丁目の丸善岡山シンフォニービル店表町ギャラリーで開かれている=写真。来年1月11日まで。
 フェアは同店の恒例行事。「中四国最大級」という品ぞろえで、国内では珍しい輸入品をはじめ、風景、アート、花、動物などの分野別に様々なカレンダーが並ぶ。
 同店によると、近年は不況のために自社のカレンダーを作って配る企業が減ったこともあって、「好みに合った商品を自分で選ぶ人が増えている」という。今年は坂本龍馬、新選組、戦国武将などをテーマにした「歴史モノ」が特に人気という。また、エコに配慮して過剰な冷暖房をしないよう液晶温度計が付いたものや、メタボ対策にも役立つ食事記録の記入に適したものもあり、見るだけでも楽しい。


近畿日本ツーリスト、「美甘子と行く坂本龍馬 幕末歴史検定対策ツアー」を発売
坂本龍馬 幕末歴史検定対策ツアー 11月16日から発売開始

~歴ドル・美甘子が講師としてツアーに同行~


 近畿日本ツ-リスト株式会社(本社:東京都千代田区、社長:吉川 勝久 以下、KNT)は、日本出版販売株式会社(本社:東京都千代田区、社長:古屋 文明、以下、日販)と協力し、2010年3月21日に全国4都市で同時開催される「第2回 坂本龍馬 幕末歴史検定」(主催:全国龍馬社中 共催:長崎新聞社、企画・運営:日販)の合格対策ツアー「美甘子と行く坂本龍馬 幕末歴史検定対策ツアー」を「美甘子と行く坂本龍馬 幕末歴史検定対策ツアー」を企画、11月16日から募集を開始します。
 http://biz.knt.co.jp/ryoma/mikako

 テレビドラマ・映画やゲームソフトなどが火付け役となり、歴女(れきじょ:歴史好きな女性)という言葉も流行るほど、現在、幕末や戦国時代が大きなブームとなっています。そんなブームの中、昨年に引き続き来年3月に「第2回 坂本龍馬 幕末歴史検定」が開催されます。当検定のインターネット申し込みが11月16日から先行スタート( http://www.kentei-uketsuke.com/ryoma/ )することに連携し、今回の検定対策ツアーを企画、募集することとなりました。

 ツアーのポイントは、(1)検定対策を3回(高知、長崎、京都)に分けて坂本龍馬ゆかりの地を見学しながら学習する。(2)歴ドル(歴史アイドル)の美甘子が同行、検定対策ポイントを学ぶ。(3)各コースとも検定主催者監修の模擬試験付きとなっており、実力チェックすることができる、などです。

 検定に合格したいと考えている方や、坂本龍馬ファンにとっては、大変魅力的な内容となっております。

 坂本龍馬 幕末歴史検定対策ツアーを実施するのは、旅行会社ではKNTのみとなっています。


 「美甘子と行く坂本龍馬 幕末歴史検定対策ツアー」概要

 ■コース数:
   (1)「高知コース」(2)「長崎コース」(3)「京都コース」の3コース

 ■実施日:
   (1)2010年1/23(土)~24(日)1泊2日
   (2)2010年2/13(土)~14(日)1泊2日
   (3)2010年3/20(土)~21(日)1泊2日

 ■発着地 :
   (1)羽田空港発着 (2)羽田空港発着 (3)京都駅集合、現地解散

 ■最少催行人員:各コースとも30名様

 ■ご旅行代金:(1)49,800円 (2)54,800円 (3)24,800円 いずれも、お一人様代金
   ※検定料金(初級4,300円ほか)は含まれていません。

 ■添乗員:全行程同行します。

 ■コース一例
  (1):1日目 羽田発→高知着 龍馬ゆかりの地を美甘子と巡ります (高知泊)
      2日目 検定に関する講義&龍馬ゆかりの地をめぐります 高知発→羽田着


お問い合わせ先
 KNT 虎ノ門公務旅行支店 「美甘子と行く坂本龍馬 幕末歴史検定対策ツアー」係
 TEL:03-3502-2921 FAX:03-3502-8588 9:15~18:00(土・日・祝休)


コラム
【次代への名言】竜馬がゆく編(3)
■「世の人はわれを何とも云はばいへ わがなすことはわれのみぞ知る」

 引き続き、坂本竜馬を導く観音(女神)さまの話をつづりたい。
 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』には2人の「乙女」が登場する。きのう紹介したお田鶴さまは架空の女性だったが、乙女はともに、実在する観音さまである。
 「志士は溝壑(こうがく)にあるを忘れず(志士は自分の遺体が道端に捨てられることを覚悟のうえで国を救おうとする)」。幕末志士の生涯を象徴する孟子の格言だ。少年・竜馬は姉の乙女から漢籍の素読をまなんだとき、このことばに「ひどく感銘した」(「立志篇」)という。女丈夫(じょじょうぶ)だった乙女は、竜馬にとって「最初の武術の師」というイメージが強いが、志士の魂もまた、授かったことになる。
 「姦吏を一事に軍(いくさ)いたし打殺(ぶちころし)、日本(ニッポン)を今一度せんたく(洗濯)いたし申(もうし)候」。こんな個性豊かな名文の数々は、乙女との文通のなかで生まれている。
 また、冒頭の味わい深い歌、さらに≪文開く衣の袖はぬれにけり 海より深き 君が美心(まごころ)≫といった優美な歌は、乙女の手ほどきに由来する。彼女は、竜馬の文才を引き出した観音さまでもあった。
 さて、もう一人の乙女は江戸っ子である。そして竜馬の許婚(いいなずけ)だったという。(文化部編集委員 関厚夫)





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