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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 10月の初旬まで最高気温が30度を超えていたのが既に記憶の彼方な11月中旬、明日の最高気温は13度とか14度とか(汗)。すっかり寒くなりましたね。関西には冬があるから亜熱帯に分類されることから免れているのだなぁということを、しみじみ感じます(爆)……その関西での暮らしも、年内いっぱいになりそうです。

石川
幕末町人日記がガイド 東山 市民ら歴史ロマン浸る
 幕末に金沢町人が著し、庶民の生活ぶりを今に伝える「梅田日記」と照らし合わせながら、金沢市内を散策するツアーが十七日、同市東山周辺であり市民らが歴史ロマンに浸った。

 日記は、加賀藩の算用所に出入りした町人梅田甚三久(じんさく)が一八六四(元治元)~六七(慶応三)年に記述。日常生活や交友関係のほか、幕末の政治情勢を示す記事もある。甚三久が住んだ東山周辺の寺社も頻繁に登場することから、日記を手掛かりに歩いてみようと、金沢大、金沢星稜大などの共同研究会が企画した。



長﨑
上野彦馬らの子孫が足跡語る カメラ渡来160周年控え長崎大シンポ
 来年のカメラ渡来百六十周年を記念して公開シンポジウム「古写真にみる世界史のなかの長崎」(長崎大付属図書館主催、長崎新聞社など後援)が十七日、長崎市文教町の長崎大中部講堂であり、幕末の長崎で写真術を学んだ上野彦馬、内田九一、冨重利平のそれぞれの子孫が、三人の残した足跡について語った。

 長崎大教授らが、上野彦馬ら三人の業績と経歴を紹介。長崎に生まれ、化学を学ぶ過程で写真術の研究を始めた上野彦馬は一八六二年、日本で最初の写真館を開業。長崎生まれの内田九一と熊本生まれの冨重利平も上野の下で学び、それぞれ東京、熊本に写真所を開業した。上野は坂本龍馬、内田は明治天皇、冨重は夏目漱石の写真などを撮影した。


写真集:日本初のプロカメラマン、彦馬と弟子の84点 長大付属図書館が刊行 /長崎
 日本で最初のプロカメラマン、上野彦馬(1838~1904)ら黎明(れいめい)期の写真家たちが、明治初期に九州各地の名勝、旧跡などを収めた写真が昨年、約130年ぶりに米国から“里帰り”した。大半が未公開写真で、米海軍の軍人が持ち帰ったとされる。現地のコレクターに渡っていたものを、長崎大付属図書館(長崎市)が購入し、全写真を収録した「明治七年の古写真集」として刊行した。同市の百貨店、浜屋で写真展も開かれている。
 写真は、彦馬が長崎で開業した「上野撮影局」と、彦馬の弟子、冨重利平が熊本に開いた「冨重写真所」で活動していた写真家たちが、1874(明治7)年ごろに撮影した計84点。この年、長崎に寄港した米海軍大尉が上野撮影局から購入したとみられている。大尉は帰国後、知人に土産として写真を贈呈。その後、米国内のコレクターの手に渡ったようだ。
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