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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は昨日に比べて冷えましたね。明日はもっと冷えるとか……冬本番ですねぇ。

宮城
【追う】東北人の魂、現代にこそ意義 戊辰戦争140年シンポ
【追う】東北人の魂、現代にこそ意義 戊辰戦争140年シンポ
 奥羽越(東北、新潟)諸藩の軍事同盟「奥羽越列藩同盟」と、薩摩・長州を中心とする明治政府軍が戦った戊辰戦争から今年でちょうど140年。これを記念し、同盟結成の地・宮城県白石市で23日、関係自治体の歴史愛好家らが集うシンポジウムが開催される。“敗者”にとってあの戦争は何だったのか。そして、戦火があぶり出した東北人古来の美徳=スピリット(魂)とは-。シンポに参加する識者2人に語ってもらった。(渡部一実)
                   ◇
 《1867(慶応3)年、15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返還すると、薩長を中心とする明治政府が成立し、全国の諸藩のほとんどが新政府になびいた。しかし東北、新潟の諸藩は会津藩などを一方的に「朝敵」として討伐の対象にした新政府のやり方に反発。仙台、米沢、盛岡など各藩の代表者が白石城に集まり、列藩同盟を結成した》
 なぜ同盟は新政府に対抗したのか。福島県郡山市在住の歴史作家、星亮一さん(73)はこう考える。「(幕末の動乱で)御所に発砲した長州が官軍となり、当時御所を警護していた会津が朝敵とされた。いくら薩長が明治帝を擁しているとはいえ、これではあまりにも理不尽だ。義に厚く、筋を通す東北人は薩長の横暴を見過ごせなかった」。
 《結局、同盟は新政府軍に敗れる。新政府は同盟諸藩の石高を削り、特に会津に対する処分は厳しかった。会津側の戦死者は「賊徒」とされ埋葬することもかなわなかった、と伝えられる》
 こうした“怨念(おんねん)”が尾を引き、今でも薩摩や長州を嫌う東北人は多い。だが、星さんは「東北の将来を考えるなら、薩長を恨むよりも、なぜあの戦争に勝てなかったかを冷静に分析すべきだ」と話す。
 星さんによると、列藩同盟の敗因は(1)幕末に京都や江戸で活躍した志士がほとんどおらず、政局に対する情報収集力が不足していた(2)薩英戦争や下関戦争で外国との戦闘を経験し、幕末の動乱をくぐり抜けた薩長に比べ、実戦経験が少なかった(3)同盟が巨大化するにつれて内部抗争が増え、組織維持にきゅうきゅうとした-ことだ。情報力、実戦経験、内部抗争…。良きにつけ悪しきにつけ、現代の組織も同盟の敗北から得る教訓は多そうだ。
 義理人情や長幼の序を重んじ、ルールに従順な東北人の“美徳”も、戦争には不利に働いたという。「薩摩の西郷隆盛や大久保利通、長州の木戸孝允らは自分たちの殿様を棚上げして藩の実権を掌握。岩倉具視ら公家を取り込んで天皇の詔勅や錦の御旗を仕立て上げ、敵対者を賊軍として討伐した。勝つためには『何でもあり』だった。東北人はそこまで合理的に割り切れなかった」。
 では、美徳を捨てるべきなのか-。そう問うと、星さんは強く首を横に振り、こう言い切った。「勝つためには何でもあり、自分さえ良ければいい、という今の風潮は社会を崩壊させる。こんな時代だからこそ、義や秩序を重んじる東北の精神が日本を再生させる」。
 現在の苦しさに耐え、未来に投資するという「米百俵の精神」。この思想も戊辰の戦火から生まれた。
 《列藩同盟に参加し新政府軍に敗れた長岡藩(新潟県長岡市)は石高を大幅に減らされ、藩士らは窮乏。そこに支藩の三根山藩(新潟市)が救援米を100俵を送ってきた。しかし、藩は救援米を藩士に配らずに売却し、代金を学校建設にあてた》
 「一時のバラマキではなく、将来の人材育成こそが地域の再興につながる。これに気付いていた長岡人には先見の明があった」と、「河井継之助記念館」(長岡市)の館長、稲川明雄さん(64)。
 実際にその後の長岡藩は、東京帝大総長・小野塚喜平次、司法大臣・小原直、海軍元帥・山本五十六ら多くの人材を輩出。「長岡は戦争に負けたことで、新時代を見据えた『頭の切り替え』がスムーズにできた」(稲川さん)という。
 稲川さんは長岡にとっての戊辰戦争をこう総括する。「停戦を請う長岡藩に無理やり戦争を仕掛けようとする官軍をみて、藩の軍事総督・河井継之助は新政府の欺瞞(ぎまん)、危険性をかぎ取った。藩を思えば(天皇を擁し勢いに乗る)新政府と戦うのは愚策だが、国の未来を思えば誰かが流れに抗して『異議』を唱える必要があった。不利を承知であえて決起した継之助らは、歴史に対する責任を果たした、といえる」。
 そしてこう付け加えた。「継之助のような『私を滅して公に尽くす』という自己犠牲の精神こそ、今の日本社会に足りないものではないでしょうか」。
                   ◇
 ■シンポジウム「戊辰戦争と奥羽越列藩同盟の歴史的意義」 23日、宮城県白石市文化体育活動センター(ホワイトキューブ)で開催。午後1時半から作家、歴史家の加来耕三氏が基調講演。同3時10分からのシンポジウムには星氏、稲川氏のほか、秋田大教育文化学部日本史研究室の渡辺英夫教授、仙台市博物館の水野沙織学芸員、米沢市上杉博物館の角屋由美子主任学芸員、会津若松市立会津図書館の野口信一館長らが参加する。問い合わせは、白石市生涯学習課(電)0224・22・1327。


埼玉
個展:「富士山を描く」 神主の息子・伊藤さん、25日から川越御嶽神社で /埼玉
個展:「富士山を描く」 神主の息子・伊藤さん、25日から川越御嶽神社で /埼玉
◇四季折々を色彩豊かに
 川越城の富士見櫓(やぐら)跡地に建つ川越御嶽(おんたけ)神社(川越市郭町)の神主の家に生まれた伊藤大貴(だいき)さん(24)が25日から、ゆかりの富士山を描いた初の個展「富士山を描く」を開く。伊藤さんは知的障害があり、富士山の美しさにひかれ富士山ろくに通い続け、刻々と変化し神秘的ともいえる姿を独自のイメージで写し取ってきた。境内に約50点を展示する。
 富士見櫓は高台に造られたが明治維新後に壊され、その後に神社が建てられ伊藤家が神主を務めている。父の博章さん(59)は5代目。跡地からは今も空気の澄んだ冬の日に、木々の間から富士山を眺めることができる。




東京
113年前の修好条約原本も=外交史料館=史料でたどる日伯展終了=「黄緑色の収納箱に感動」
 【東京支社長=藤崎康夫】ブラジル日本人移住百周年に際して六月二日から十月末まで、東京・港区麻布台の外務省外交史料館別館で特別展「日本とブラジル」が開催された。二十五点の史料に綴られた一世紀余りの流れが分かりやすく展示され、「日伯交流年にふさわしいイベントであった」との来場者の声が聞かれた。
 まず、幕末の一八六七年、オランダより帰国する榎本武揚が乗船する「開陽丸」がリオ・デ・ジャネイロに寄港した際の記録から、日伯間の公式記録は始まる。


神奈川
横浜―ロシア 交流の足跡たどる NPO法人外国人墓地調査進む
 横浜外国人墓地(横浜市中区山手町)にあるロシア人の墓を調査しようという取り組みが進んでいる。来年六月に横浜開港百五十年を迎えるのを前に、横浜との交流にかかわったロシア人の足跡を明らかにしようと始まった。ロシア人墓地を網羅的に調べるのは初めてだ。 (横浜支局・西尾玄司)
 調査しているのは、ロシアやウクライナなど旧ソ連諸国との交流事業を行う特定非営利活動法人(NPO法人)「神奈川県日本ユーラシア協会」(横浜市中区桜木町)。
 横浜外国人墓地管理事務所によると、同墓地にある計約三千基の墓のうち、ロシア人のものは約二百基。ロシア正教の「八端(はったん)十字架」が付くものが多い。
 最初に葬られたロシア人は、横浜開港直後の一八五九(安政六)年八月に、横浜・本町で、尊王攘夷(じょうい)派の武士に殺されたとされるロシア艦隊の乗組員二人で、同墓地で現存する最古の墓という。水産物を扱う貿易商や大学の語学教師らの墓があるが、日本のバレエ発展に貢献したエリアナ・パブロバ(一八九九-一九四一)ら一部の著名人を除き、大半があまり知られていない。
 今年五月の一回目の現地調査では、ロシア語を専攻する大学生や、シベリア抑留経験がある男性(82)など、県内はじめ東京都や埼玉県などの約三十人がボランティアで参加。約百五十基の墓を調べ、ロシア語で刻まれた姓名▽生没年▽出生地、没地▽宗教▽埋葬者-などを読み取り、データベース化した。今月二十三日に追加の現地調査をした後、葬られた人の足跡を調べていく。
 埼玉大教養学部の沢田和彦教授(日ロ関係史)は「一九一七年のロシア革命後に亡命してきた人が多くいるが、著名人以外の足跡はよく分かっていない。大変意義がある調査だ」と評価する。
 県日本ユーラシア協会の柴田順吉理事長(75)は「平成以降の最近の墓が多いことには驚いた。幕末から、ロシア人が横浜に根付いていたことを明らかにしていきたい」と話している。



滋賀
粟津中生、城下町膳所の歴史学ぶ
大津 24日催しでガイド役

粟津中生、城下町膳所の歴史学ぶ 大津 24日催しでガイド役
 滋賀県大津市の粟津中の生徒7人が19日、地元の「歴史ガイド」になるための講習を市民団体のメンバーから受けた。24日の「膳所城下町めぐり」で、まちを歩いて巡る参加者の案内役を務める。
 主催した膳所観光協会などでつくる実行委員会の寺田智次委員長が、膳所城の城下町として繁栄した地域の歴史を説明。幕末に岩倉具視が一時隠れ住み、新撰組が探しにやってきたとされる伝承や、松尾芭蕉の門弟が住み、芭蕉もたびたび句会を開いていたことなども紹介した。
 生徒会長の2年田中秀征君(14)は「地元の歴史への興味が深まった」と話し、3年飯田夏実さん(15)は「学んだことを、きちんと伝えられるように頑張りたい」と意気込んでいた。
 催しは午後1時から4時までで。参加無料。詳しくは膳所観光協会Tel:077(524)2205。


山口
“薩長土肥”の4市長ら集う 下関でサミット 都市連携テーマに討論
 明治維新(1868年)140周年を記念し、近代国家の礎を築いた薩摩(鹿児島市)、長州(山口県下関市)、土佐(高知市)、肥前(佐賀市)の市長らが集うシンポジウム「薩長土肥サミットinしものせき」が18日、下関市であった。
 「維新を成し遂げた都市同士で今後の地方のあり方を考えよう」と下関市が呼び掛けた。“薩長土肥”の代表は大平和久鹿児島市副市長、江島潔下関市長、岡崎誠也高知市長、秀島敏行佐賀市長。4人は都市連携をテーマにパネル討論した。
 秀島佐賀市長は「薩長土肥の明治政府は、財政が厳しい中で産業の振興に努力した。それは今の地方都市の現状にも似ている。4市で情報を交換し、協力したい」と語った。江島下関市長は「維新の英雄を生んだ4市は全国でも知名度がある。21世紀の薩長土肥の連携をさまざまな分野で深めよう」と提言した。
 最後に、4市で「地方分権改革が進む現在、地域のあり方が問われている。新しい国づくりに燃えた薩長土肥の志士たちの情熱を受け継ぎ、互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、地方都市の雄として日本、世界に羽ばたくまちづくりを目指す」と宣言した。


薩長土肥サミット:「平成維新」目指し連携--下関 /山口
薩長土肥サミット:「平成維新」目指し連携--下関 /山口
 志士の情熱を継ぎ、世界にはばたくまちづくりを--。明治維新140周年を記念し、下関市で開催された「薩長土肥サミット」。集まった下関、鹿児島、佐賀、高知の各市長らは「平成維新」とばかりに、本州と九州、四国にまたがる連携事業などを語り合った。果たしてどんな「維新」に結びつくか。
 出席したのは、下関の江島潔市長▽佐賀の秀島敏行市長▽高知の岡崎誠也市長--と、鹿児島の大平和久副市長。サミットでは、各市長らがそれぞれの地域の県民性や食、観光スポットなどを自己紹介。いずれも特色豊かなイベントなどが目白押しで、聴衆も興味深そうに聞き入った。
 市長らのサミット前には、地元下関在住の直木賞作家、古川薫さん(83)が「明治維新140年を振り返って」と題して基調講演。幕末から維新までの薩摩、長州、土佐、肥前の4藩の政治状況などを解説した。4市連携がスタートしたことには「暗いニュースが続く中、かつての雄藩が手を結ぶとは力強い」と期待を寄せた。
 古川さんが脚本を書いた「夢の対談」では、野村忠司・下関市文化協会長らが扮(ふん)した坂本龍馬と高杉晋作が「これからの日本の肝っ玉にお目にかかりたい」とエールを送った。【尾垣和幸】


薩長土肥サミット:明治維新140年、4市長ら連携協議
<薩長土肥サミット>明治維新140年、4市長ら連携協議
 明治維新(1868年)140周年を記念し、かつて薩摩、長州、土佐、肥前の4藩があった4自治体の首長らが地域連携などを話し合う「薩長土肥サミット」が18日、山口県下関市であった。
 同市の江島潔▽佐賀市の秀島敏行▽高知市の岡崎誠也--の3市長と鹿児島市の大平和久副市長が出席。高知、下関、鹿児島を訪れた坂本龍馬の足跡をたどるスタンプラリーなど、維新の歴史を顕彰する観光連携事業について検討した。
 市長らは「志士の情熱を受け継ぐ」などとした4市共同宣言も発表。連携強化を約束した。


<薩長土肥サミット>志士の遺志継ぎ 140年目の“再会”
 明治維新(1868年)140周年を記念し、かつて薩摩、長州、土佐、肥前の4藩があった4自治体の首長らが地域連携などを話し合う「薩長土肥サミット」が18日、山口県下関市であった。
 同市の江島潔▽佐賀市の秀島敏行▽高知市の岡崎誠也--の3市長と鹿児島市の大平和久副市長が出席。高知、下関、鹿児島を訪れた坂本龍馬の足跡をたどるスタンプラリーなど、維新の歴史を顕彰する観光連携事業について検討した。
 市長らは「志士の情熱を受け継ぐ」などとした4市共同宣言も発表。連携強化を約束した。【尾垣和幸】
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