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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 幕末ニュース、続きです。

北海道
地元への貢献たたえる 札幌で道新文化賞贈呈式
 北海道の文化や産業への貢献をたたえる第63回北海道新聞文化賞の贈呈式が5日、札幌市中央区の北海道新聞社で行われた。

 受賞者は、社会部門が幕末の蝦夷地(えぞち)探検家松浦武四郎の研究を40年間続ける秋葉實さん(83)=網走管内遠軽町=、学術部門が有機合成化学の分野で新合成法「鈴木・宮浦クロスカップリング反応」を発見した北大名誉教授の鈴木章さん(79)=札幌市=、経済部門が外食産業を軸に生ごみリサイクルなどの環境保護活動に取り組む株式会社アレフ(札幌市、庄司昭夫社長)。

 贈呈式では、菊池育夫北海道新聞社長が各受賞者に賞状を手渡し、佐藤忠良氏制作のブロンズ像と副賞100万円を贈った。

 秋葉さんは「武四郎を北海道の名付け親から一歩突き進んで、アイヌ民族の救世主として洗い直してみたい」と意欲を語り、鈴木さんは「(鈴木カップリング)反応が医薬、農薬の領域以外でも使われ、幸せに思う」、アレフの中村勝広副社長は「食の安全や環境は企業にとって最大の競争力。着実に活動していきたい」と述べた。


函館の坂本龍馬記念館が15日にオープン
 NPO法人北海道坂本龍馬記念館実行委員会が、函館市末広町に15日オープンさせる北海道坂本龍馬記念館の開設準備が大詰めを迎えている。建物は10月中に完成し、3日からは展示物の搬入が始まる。同法人は「貴重な龍馬の資料を見てほしい」と話している。

 建物は龍馬が京都で定宿にした寺田屋をイメージし、正面には坂本家の家紋を配置した。内部は無料のオープンスペースと有料の展示室に分かれ、二つの場所を高知のはりまや橋をモチーフに「蝦夷橋」「出世橋」と名付けられた橋でつないでいる。

 約210平方メートルの展示室には、龍馬が薩長同盟の成立前夜に書いたという手紙や使っていた茶わんなど100点以上の資料が並ぶ。幕末・維新期の函館や、坂本家子孫にスポットを当てたコーナーも設けられている。

 15日午前10時からは、龍馬が江戸で学んだ北辰一刀流の演武や、京都国立博物館職員の記念講演など記念行事も。展示場の入場料は一般300円、高校・大学生200円、小中生100円。開館時間は午前10時~午後6時で月曜日休館。

 問い合わせは同法人(電)0138・24・1115へ。(伊藤美穂)


東京
山車人形6体並ぶ ちよだ江戸祭にお目見え
 千代田区ゆかりの山車人形を紹介する「ちよだ江戸祭2009」が四日、同区の丸ビルで始まった。東京では約百年ぶりの披露となる群馬県下仁田町仲町の楠木正成など関東四県の六体と同区平河町一の神輿(みこし)が展示されている。八日まで。

 人形はいずれも三層構造で、最上部の人形が上下する江戸型山車の流れをくむ。実物大かそれ以上の大きさで迫力十分だ。

 楠木正成は田代町(現外神田四)で幕末期に活躍した山車造り名人、「だし鉄」こと山本鉄五郎が作り、仲町が一九〇六(明治三十九)年ごろ、浅草の橋場町二から購入した。だし鉄の制作と分かる木札もあわせて展示されている。

 千葉県鴨川市の「神功(じんぐう)皇后」は神田祭、同県佐倉市の「日本武尊(やまとたけるのみこと)」は山王祭で使われたとの言い伝えがある。 (松村裕子)


遊ナビ:美術 /東京
■100年愛される絵本展

 20日まで10時半~19時(20日は15時)、コニカミノルタプラザ・ギャラリーB&C(新宿駅)。荒井良二、あべ弘士、長谷川義史、いもとようこの日本を代表する絵本作家4氏が、講談社創業100周年を記念して書き下ろした作品の原画など約50点を出品。アンケートに答えればポストカードセット(8枚)のプレゼントも(毎日先着30人)。入場無料。電話03・3225・5001

 ■肉筆浮世絵と江戸のファッション・町人女性の美意識

 23日まで10~18時、ニューオータニ美術館(地下鉄赤坂見附駅)。江戸初期から幕末までの美人画を網羅する大谷コレクション肉筆浮世絵と、江戸各期の小袖や小袖模様の見本帳である雛型本などで、江戸ファッションの変遷をたどる。800円。月曜休(23日は開館)。電話03・3221・4111




岐阜
書画展:大垣藩八代藩主・氏庸らの絵や書--市郷土館 /岐阜
 文教都市・大垣の土壌づくりに大きな役割を果たした大垣藩八代藩主・戸田氏庸(うじつね)の日本画を中心に歴代藩主や家老らの絵と書を集めた「氏庸と大垣藩ゆかりの先賢の書画展」が大垣市丸の内の市郷土館で開かれている。12月20日まで。

 氏庸は、学問所を設けて藩学校の基礎を築いたほか、狩野派の流れをくむ本格的な作品を数多く残した。会場には、2対の「養老の滝」や「昇降鯉図」など氏庸の作品18点の他、六代藩主・氏英や七代・氏教(うじのり)、十代・氏彬(うじあきら)の絵や書など計26点を展示。大垣藩最後の家老・戸田鋭之助と幕末の藩政改革の推進者・小原鉄心の書も並ぶ。

 休館日は火曜日と25日。入館料は大人100円。18歳未満無料。【子林光和】


滋賀
江戸時代に思いはせパレード 彦根の城まつり
子ども大名、赤鬼家臣団など
 彦根市の秋を彩る「小江戸彦根の城まつりパレード」が3日、彦根城など市街地一帯で繰り広げられ、江戸時代の衣装などに扮(ふん)した行列が沿道を埋めた約6万人(主催者発表)を魅了した。

 子ども大名行列、井伊の赤鬼家臣団、彦根鉄砲隊などが城東小学校を出発し、城内や夢京橋キャッスルロードなどを通る約3キロを練り歩いた。初代彦根藩主の井伊直政役は、NHKの大河ドラマ「天地人」でも直政を演じている俳優長森雅人さんが務めた。

 城まつりは幕末の大老の井伊直弼をしのび、誕生日の10月29日前後に開催しており、ことしで57回目。

 (伊藤弘喜)



京都
龍馬テーマに訪問着制作
京の若手作家や職人結集

 京都で染織に携わる職人や作家が、坂本龍馬をテーマにした訪問着を共同制作している。京都市産業技術研究所・繊維技術センター(旧染織試験場、上京区)で研修を受けた若手らで、幕末の志士の実行力に情熱を重ね、それぞれの技術を一枚の着物に結集させる。

 本友禅染技術者研修の同窓生でつくるグループ「彩葉(いろは)」有志の男女約10人。友禅染の工程は細分化され、横のつながりが薄くなりがちだが、下絵や糸目、伏糊(ふせのり)、地染め、挿(さし)友禅、刺しゅう、地直しなどの各工程を専門にする人材がそろったため、技術を生かして着物を仕上げてみようと初挑戦した。

 和装業界では廃業や受注減など暗い話題が続くが、「自分の理想を現実にした」として龍馬にあこがれるメンバーが多い。来年のNHK大河ドラマの主人公になることもあり、テーマに選んで7月から制作を始めた。

 グループ名にちなみ、龍馬が創設した海援隊の船「いろは丸」の図案を上前部分に採用。龍馬が姉の乙女にあてた手紙や新政権の構想「船中八策」の文章をちらす。坂本家の家紋「組合角に桔梗(ききょう)」も絵絞りで表現する。

 職人や作家たちがリレー形式で腕をふるい、現在6割程度まで完成。企画した山田智久さん(32)=下京区=は「厳しい環境のなか、若手の作家や職人が高い技術を持って頑張っていることを知ってほしい」と語り、友禅作家の佐伯昭彦さん(27)=北区=は「仲間と着物をつくることが刺激になった。これからも続けていきたい」と話した。

 龍馬の訪問着は27~29日、左京区のみやこめっせで開く「彩葉・第5回作品展」でお披露目する。


香川
ダンスや歌で龍馬描く/高松で公演、800人魅了
 坂本龍馬の活躍を描く「ミュージカルオペラ龍馬」の香川公演(公演実行委主催、四国新聞社共催)が4日、香川県高松市玉藻町のアルファあなぶきホール大ホールで開かれた。ドラマチックな歌やダンスをちりばめた躍動的なステージで、幕末の志士の鮮やかな生き方を現代社会に問いかけた。

 物語は龍馬が暗殺されるまでの3年間が題材。龍馬は世界に目を向けていた勝海舟の思想に影響を受け、薩長同盟や大政奉還など、日本を立て直す大事業を次々に成し遂げていく。二期会のバリトン平良交一さんが龍馬役、歌手の野口五郎さんが勝海舟役を演じた。

 総勢約40人が出演し、ミュージカルとオペラの融合を試みた新しい感覚のステージ。平良さん、野口さんをはじめ、日本を代表する豪華なキャストやダンサーが彩りあふれる舞台を生み出し、高い音楽性とビジュアル感のある演技で観客を引きつけた。

 公演は高知県内の政財界関係者らで実行委をつくって準備。脚本をジェームス三木さん、演出を俳優の江守徹さんが手がけた。この日は約800人が来場した。


山口
吉川重吉氏の石碑建立 岩国
 岩国市ゆかりの先人の言葉を刻んだ「立志の碑」の建立を進める市民有志が、明治期に米国留学して外交官も務めた吉川重吉氏(1859~1915年)の石碑を同市横山に建てた。碑文は重吉氏の子どもへの5つの訓戒。「規律ある習慣を作れ」などと今も通じる深みがある。

 重吉氏は幕末期の岩国藩主、吉川経幹の次男。明治政府の発足間もない1871年、12歳で岩倉具視の欧米使節団に伴って渡米。宣教師の家庭で育ち、ハーバード大卒業後に24歳で帰国した。外交官や貴族院議員を務め、56歳で他界した。

 訓戒の記述は、重吉氏の自叙伝(原文は英語)にある。「規律―」のほか、「誠実にして真摯(しんし)なれ」「他人に親切なれ」などと簡潔に列挙している。

 碑は吉川林産興業の門前に設置。高さ1・4メートル、幅70センチの御影石で、地元の書道家岩見屋錦舟氏が筆を執った訓戒を上側に、重吉氏の略歴を下側に刻んだ。

 1日あった除幕式には「立志の碑」建立委員会の佐古利南代表(67)や、東京から訪れた重吉氏の孫の吉川重昭さん(75)たち約50人が出席した。


伊藤博文が揮毫の萩焼茶碗、萩博物館で公開
 初代首相の伊藤博文が揮毫(きごう)した萩焼の茶碗(わん)が、山口県萩市の萩博物館で開催中の特別展「伊藤博文とその時代」で展示されている。18日まで。

 制作したのは、萩焼窯元の三輪家の8代当主で、幕末から明治時代にかけて活躍した雪山(1840~1921年)。萩焼の人間国宝、壽雪さん(99)の祖父に当たる。

 美しいびわ色の碗の内底にしっかりとした筆致で「寿」としたためられ、博文の号「春畝」が添えられている。青年期を萩で過ごした博文はその後、明治24、32年の2回、萩に帰省しており、このいずれかの際に三輪家に立ち寄って書いたとみられる。

 樋口尚樹副館長は「博文ら松下村塾の門下生たちと、塾の近くに窯を構える三輪家との交流を示す興味深い資料」と話している。


萩の「放れ牛」 晋作の若き日
 高杉晋作は、1839年(天保10年)、萩に生まれた。殿の側近も輩出する高杉家の跡取りとして大切に育てられた。秀才だが、5歳のときに自分の凧(たこ)を踏み破った侍に「土下座しろ」と言ったとの逸話も。自由闊達(かったつ)。あだ名は“鼻輪のない放れ牛”だった。

 生誕地には産湯の井戸などが残る。周囲は武家屋敷町の風情が残る。名産の夏みかんの木もちらほら。維新後、困窮した武家の家計を助けるために栽培されたものだ。

 晋作は、藩校明倫館で学んだが飽き足らず、吉田松陰の松下村塾で久坂玄瑞、伊藤俊輔(後の博文)らと学び、大いに刺激を受ける。明倫館の跡は、現在の明倫小学校。木造校舎からは子供たちのざわめきと給食のいいにおい。敷地内には当時の門や水練場(プール)も残る。武道場には坂本龍馬も訪れたという。こんな環境で勉強できる子供たちが、うらやましい。

 それに比べると、松陰神社の境内に残る松下村塾は小さい。アメリカ密航に失敗し、実家に幽閉された松陰が近隣の若者を教えた私塾だ。晋作の父は保守的で、息子が危険人物の松陰に傾倒することを恐れた。晋作は夜分、高下駄でダッシュして塾に通ったとか。狭い部屋で、身分に関係なく若者たちが議論した。幕末の熱気が伝わってくるようだった。(ペリー荻野 コラムニスト)

(2009年11月4日 読売新聞)


長崎
彦馬撮影と同じポーズ、龍馬の原物写真か 大浦慶の親族・竹谷家保存
 茶貿易の先駆者、大浦慶の親族となる長崎市新戸町の自営業、竹谷浩和さん(49)が保存している坂本龍馬の写真が、印画紙に焼き付けた龍馬の原物写真と見られることが分かった。幕末に活躍した龍馬、慶の具体的な関係を示す資料は乏しいこともあり、歴史研究者は「貴重な写真」と話している。

 大浦家は油屋町にあった旧家で、慶を事実上の最後の当主に没落した。竹谷家は本石灰町の豪商で、大浦家とは親せき関係。竹谷家は代々、慶と龍馬の写真を一緒に保管していたが、龍馬の写真の存在は広く知られてはいなかった。11月1日発行の雑誌「長崎文化」第67号に慶について書いた寄稿があり、龍馬の座像写真が掲載され存在が分かった。

 竹谷家の龍馬の写真は、名刺サイズの大きさで、厚紙に張り付けてある。長府藩士・三吉慎蔵の子孫が所蔵している、上野彦馬が撮影したとされる座像写真と同じポーズ。現在、この構図の原物は1枚しか確認されていない。

 幕末の古写真に詳しい長崎市西山3丁目、堺屋修一さん(82)は「当時は写真を名刺代わりに使っていた」と言い、「大きさから考えても、龍馬が実際に配ったものと推測できる。現在ある写真と比べ、トリミングがされていないのも、判断する上で重要」と複写ではない可能性を強調する。

 長崎市在住の現代龍馬学会員、織田毅さん(47)は「龍馬と慶の距離を縮める貴重な写真。原物と証明されれば、本県で確認された初めてのオリジナル写真になると思われる」としている。

 「長崎文化」に寄稿した東京在住の馬渡美樹さん(49)は「維新の力になった女性、慶は龍馬と面識があったと信じたい」と語り、竹谷さんも「慶は龍馬らとつながりがあったと伝え聞いている。写真は大切に保管している」と話している。


「龍馬伝」焼酎15日から一斉発売 長崎、高知、京都の3社が共同開発
 壱岐市芦辺町の焼酎メーカー、壱岐の華(長田浩義社長)は、幕末の志士、坂本龍馬ゆかりの地の酒造会社2社と共同で、来年のNHK大河ドラマにちなんだ本格焼酎「龍馬伝」を新開発。龍馬の誕生日で命日の15日から一斉発売する。

 新商品は、壱岐の華の「龍馬伝 長崎希望篇」(麦焼酎)、菊水酒造(高知県安芸市)の「龍馬伝 土佐立志篇」(芋焼酎)、北川本家(京都)の「龍馬伝 京都風雲篇」(米焼酎)。

 各銘柄ともラベルに坂本家家紋をあしらった。パッケージには日本地図や龍馬の手紙の一文を記した。いずれもアルコール度数25度、720ミリリットル。価格(税込み)は「長崎希望篇」と「京都風雲篇」が1470円、「土佐立志篇」が1600円。セット販売もする。

 このうち「長崎希望篇」は本県産大麦を原料に使い3年間熟成。口当たりが柔らかく、甘みのある焼酎に仕上がったという。長田社長は「ドラマを見て龍馬の偉業と足跡に思いをはせながら、ゆかりの地で造られた三つの焼酎を味わってほしい」と話している。

 問い合わせは壱岐の華(電0920・45・0041)。


龍馬像建立募金が総額1240万円に 長崎・丸山公園で15日除幕式
 来年に迫ったNHK大河ドラマ「龍馬伝」放映に合わせ、長崎で活躍した幕末の志士・坂本龍馬の銅像を長崎市の丸山公園に建立する「丸山公園に龍馬の銅像を建てる会」(川添一巳実行委員長)は5日、今月15日の除幕式を前に、同市内で最終会合を開催。建立費として10月末まで700万円を目標に呼び掛けた募金は、総額約1240万円が寄せられたことが報告された。

 地元経済人、自治会代表らでつくる同会によると、全国約800の個人、団体から寄付金が集まった。今月に入ってからも寄付があり、金額はさらに増える見通し。

 長崎で活躍する版画家、小崎侃氏がデザインした銅像は、台座を含めた高さが約2・4メートル。除幕式は午前10時から現地であり、長崎検番による祝いの舞や長崎女子高生徒による龍踊りの披露などがある。


HTBに「海」テーマの龍馬伝館 来年2月27日オープン
 佐世保市のハウステンボス(HTB)は4日、坂本龍馬を描いた来年放送のNHK大河ドラマにちなむ展示施設「佐世保・ハウステンボス龍馬伝館-海がつないだ龍馬伝説」(仮称)を来年2月27日にオープンすると発表した。

 HTB宣伝課によると、場内スパーケンブルク地区の空き店舗(約300平方メートル)に2011年1月末まで設置する。テーマは「海」。ドラマ関連のパネルや衣装、製作風景の映像、HTB所有の復元帆船観光丸と龍馬のつながり、県北の観光情報などを紹介。佐世保市と佐世保観光コンベンション協会、HTBでつくる佐世保・ハウステンボス連携事業推進会議が設置主体。

 入館料は大人500円、4歳~高校生300円(ファミリエ会員は割引)。期間中は観光丸内に各種展示をし「幕末帆船クルーズ」(中学生以上800円、小学生400円)や船内無料公開も実施。問い合わせはHTB総合案内センター(電0956・27・0001)。


対馬宗家の2藩主の印発見 朝鮮国王発給の「図書」か
 対馬藩主・宗家の資料を所蔵する長崎県立対馬歴史民俗資料館(対馬市)で4日までに、朝鮮国王が宗家に発給した「図書」とみられる2個の印が見つかった。

 同館の阿比留徳生館長によると、図書は藩主が代わるごとに朝鮮から与えられた銅製の印で、朝鮮側が印影を保管。藩主が朝鮮へ使者を遣わす際、渡航証明書や外交文書に押されていたという。

 今回見つかった2個の印には、幕末の対馬藩主だった13代義章と14代義和の名が刻まれ、いずれも一辺約6・7センチの正方形。高さ約7・8センチのピラミッド形で取っ手が付いている。義和の印は、持ち運ぶための革ベルトが付いた赤い箱に入っていた。

 近世の図書は、最後の対馬藩主・15代義達のものが韓国に現存するだけで、本物なら国内では初めての発見例となる。

 慶応大の田代和生教授(近世日朝関係史)は「代替わりするたびに朝鮮へ返却されていたはずで、本来は日本にあってはならないものだが、義達の図書との類似性から本物だろう。どういう手続きで図書を発給していたかを知る手掛かりになる」と話している。


龍馬熱 日ごと 高まり
 11月15日は幕末の志士、坂本龍馬の誕生日であり、命日。数多くの足跡が残された長崎市では、来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映開始を前に、早くも盛り上がりを見せている。3日は龍馬にちなんだ様々なイベントが開かれ、龍馬ゆかりの亀山社中記念館も多くのファンでにぎわった。


 ◇亀山社中記念館で企画展 書簡や「隠し部屋」公開


 龍馬らが設立し、日本で初めての商社とされる「亀山社中」の跡地に立つ記念館(長崎市伊良林2丁目)では30日まで、「龍馬と下関」に焦点を当てた企画展が開かれている。


 下関の大年寄で、龍馬の支援者の一人だった伊藤九三の子孫が保存していた龍馬の書簡などの一部が紹介されている。また、亀山社中から衣替えした「海援隊」がつくった英語指南書も展示されている。記念館の屋根裏につくられた「隠し部屋」にも今月は入ることができる。広さ6畳ほどで、龍馬たちが秘密の会合を開くか、身を隠す部屋だった可能性があるという。


 展示を見学した長崎市の松永裕文さん(24)は「大河ドラマが始まる前にと思って来ました。長州藩に視点を置いて龍馬を見ると、再発見があっておもしろい」と話した。


 ◇高知からウオーク 完歩した参加者、目頭熱く


 坂本龍馬にゆかりの高知から長崎までを歩く「バトンタッチ友情ウオーク」の一行、約120人は3日午前5時15分、長崎市矢上町の矢上神社を出発。午前6時半に最後の難所、日見峠を越えた。


 午前8時半、ゴールの長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)を目にして、諫早市小野町の中野強さん(61)は目頭が熱くなった。龍馬の脱藩の道中を体感したいと全行程に参加した。高知県安芸市の岩崎弥太郎の生家を10月14日に出発。約500キロを歩き通し、両腕に力を込めてガッツポーズをして門をくぐった。


 博物館では田上富久長崎市長が参加者をねぎらい、「皆さんは自分の故郷を盛り上げようという思いを行動に移してくれた。来年に向けて(長崎を)盛り上げよう」とあいさつした。


 ◇長崎歴史文化博物館で講演会 一風変わった人柄紹介


 長崎歴史文化博物館では、講演会「やさしい龍馬入門」が開かれた。


 長崎龍馬会の加藤貴行さん(38)が講師を務め、龍馬に接した人々の龍馬評を披露。元海援隊士は「顔にほくろが多く、ずいぶん怖い顔じゃった」、龍馬の妻のお龍は「妙な男でして、まるで人さんとは一風違っていたのです」といった回顧談を残していると紹介した。


 龍馬ファン約60人が参加。長崎市の末永浩さん(73)は「龍馬については、わからないことが多いので興味がある。市内のどこを龍馬がぶらついていたのか、解明できればおもしろい」と話した。




コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(35)東大教授・山内昌之 横井小楠
国家ビジョンを描く

 民主党には清新な印象を与える若い政治家が多い。しかし、政権交代による政官民癒着の構造の廃棄を語れば、自動的に新日本の姿が見えてくるわけではない。選挙対策用のマニフェストは、そのまま国のかたちや姿を説くビジョンにならないからだ。党と政府の関係で現在の混迷を招いたのは、新政権に幕末の横井小楠のような人物を欠くからではないだろうか。
 坂本龍馬の「船中八策」や由利公正らの「五箇条の御誓文」の基礎となった横井小楠の『国是七条』や『国是十二条』のスケールは、国の大きな役割を考える上で現代政治にも参考になる。
 参勤交代制度の廃止、人材簡抜(かんばつ)、海軍建設、通商貿易の奨励を幕府に説いた国是七条は、独立による「国是」(国益)の確定、正しい生活様式、賢愚を見抜く自由な言論の保証、学校の振興、士民への慈愛を新たな政治目標とする国是十二条に発展していった。

天下で恐ろしい2人

 熊本藩の細川家では志を得られず、福井藩の松平春嶽(しゅんがく)(慶永(よしなが))に理想の君主像を見いだした小楠は、現実感覚の乏しい水戸斉昭の攘夷(じょうい)論に見切りをつけ、開国に舵(かじ)を切るべく春嶽をかついで京都でクーデターを起こし、一挙に朝廷の論議を変えようとする勇気をもっていた。
 福井藩に提言した国是十二条は、有徳こそ国富の土台になるという主張につながる。勝海舟が「天下で恐ろしい2人」として西郷隆盛と並んで小楠を挙げたのは偶然ではないのだ。
 また、小楠は、日本の政治家や地方指導者に「驕惰侮慢(きょうだぶまん)」になることを戒めた。日本の指導層が安逸と惰眠に満足し、外国の力を侮って慢心する独りよがりをたしなめたのだ。実学と国家経綸(けいりん)との結合が、小楠の思想の特色である。

転機は龍馬との出会い

 小楠の転機は、元治元(1864)年から翌年の慶応元年におよぶ坂本龍馬との3度の出会いで訪れた。勝海舟の紹介で龍馬が小楠に会ったのは、海軍の創設を相談するためであり、龍馬は自分の言葉として有名になる「日本の洗濯」を小楠に説かれたのである。
 また、龍馬は、大久保利通らの「芝居」を痛飲しながら見物すればよく、もし大久保らが行き詰まれば指図してほしいと語ったというのだ。こうして小楠は、岩倉具視や由利公正の推挽(すいばん)で新政府入りをし、明治元(1868)年4月に小楠は参与に命じられた。
 参与の顔ぶれは、木戸孝允、小松帯刀(たてわき)、大久保利通、広沢真臣(さねおみ)、後藤象二郎、福岡孝弟(たかちか)、副島種臣(たねおみ)、由利公正と小楠だったのだから、60歳肥後人の得意や思うべしである。
 しかし、ここから小楠の本領が発揮されるのだ。維新政府は「共和一致」(共に協力すること)や「議事の制」を曖昧(あいまい)にしており、立法・司法を区別しない、と薩長の藩閥政治家にはうるさいことを言い出した。万機公論に徹せずば「富強の法」(富国強兵)も「利害の私事」に陥ると危険を警告したのである。


死後の新政府いびつに

 資本主義になっても、「安佚(あんいつ)」に走らず「経国安民」のための「良心」をもって事に当たる重要性を説いた小楠のセンスは鋭い。
 しかし、歴史や伝統の見直しによる欧化改革の奨励は、キリスト教への加担による国体の否定だと理解する人間も政府の周辺に現れた。この筋と暗殺の悲劇とのつながりには不明な点も多い。
 いずれにせよ、明治維新の改革シナリオの基礎を描き、日本の議会政治の母型を提供した小楠の死は、新政府の性格や進路をいびつにする一因となった。小楠を思うにつけて、大臣はじめ政務三役のリーダーたちが自ら電卓をはたく現政権の姿が浮かんでくる。
 役所の課長補佐や係長のレベルの作業を政治家が果たす姿に、政治主導や国民本位の改革の姿形を見て喝采(かっさい)を送る国民は少ないだろう。万一いるとすれば不幸なことに、日本政治を取り巻くポピュリズムの病はかなり重いといわなくてはならない。(やまうち まさゆき)
                   ◇

【プロフィル】横井小楠 

 よこい・しょうなん 幕末の儒学者、思想家。文化6(1809)年、肥後(熊本)藩士の家に生まれる。江戸に遊学した後、家塾をひらき、実学派の中心となる。越前(福井)藩主・松平慶永(よしなが)に招かれ藩政顧問となり、藩の富国策を指導。慶永が幕府の政事総裁職となると、補佐として参勤交代制の事実上の廃止など幕政改革を進めた。明治政府のもと、京都で参与となるが、明治2(1869)年に暗殺された。享年61。著作に「国是三論」など。
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