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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 どこに置いたかわからなくなっていたメガネが見つかり、気持ちも晴れ、視界もすっきりです……どんどん軽量化していましたので、前のメガネをかけると頭が重かったもので(苦笑)、その点でもすっきりです。

北海道
ロケ撮影:「坂の上の雲」、豊富で エキストラで200人参加 /北海道
◇司馬遼太郎の小説が原作
 29日から放送されるNHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」の北海道ロケが宗谷管内豊富町で行われている。
 司馬遼太郎の小説が原作。明治維新後から日清・日露戦争時代にかけて、日本海海戦で活躍した連合艦隊参謀、秋山真之と俳人の正岡子規らの青春群像を描く。各回90分ごとの全13話を11年まで3部に分けて放送する。撮影は07年11月に始まり、現在第2部から第3部を撮影中。
 豊富町のロケは16日~12月8日で、サロベツ原野が舞台。日露戦争中の1905(明治38)年、「黒溝台の戦い」で、俳優の阿部寛さんが演じる秋山好古率いる旅団がロシア軍の奇襲を受け苦戦するシーンなどの撮影が行われている。
 撮影現場は銀世界だが、昨年のモンゴルのロケで氷点下15度のブリザードを経験した阿部さんは「北海道に来れば、雪はあるだろうと思っていた。雪原のシーンが撮れ、雰囲気の良い映像になっていると思う」と余裕の表情だった。
 撮影には地元の豊富や稚内などから約200人がエキストラとして参加している。厳寒のロケ地での撮影とあって、地元農協や商工会の婦人部も炊き出しのボランティアを行っている。【金子栄次】


山形
新庄の「篤姫」一冊に
∞薩摩から嫁いだ貢姫 研究家・高橋さん描く

「郷土に誇り持って」
 新庄市の郷土史研究家、高橋雄一さん(76)が、幕末の新庄藩を描いた歴史読本「桃令院貢姫(とう・れい・いん・こう・ひめ)と幕末の新庄藩」=写真=を出版した。「若者が、郷土の歴史ロマンを感じて、自分たちの街に誇りを持てるよう、お役に立てればうれしい」と話している。
 新庄藩の研究をしている高橋さんは、昨年のNHK大河ドラマ「篤姫」の人気に触発され、「新庄にも篤姫に似た境遇の姫がいたことを知ってほしい」と幕末の動乱期に薩摩藩の姫から新庄藩10代藩主戸沢正令(まさ・よし)に嫁いだ貢姫の波乱の生涯について筆を執った。
 朝日新聞新庄販売所(ASA新庄)が月2回発行するミニコミ紙「新庄朝日」に、「篤姫と貢姫」と題して掲載したところ、読者の反響が大きく、「前後編のつもりだったが、1年間の長期連載になってしまった」という。
 貢姫にまつわる話のほか、勤王の志士や新撰組(しん・せん・ぐみ)が登場して風雲急を告げる文久3(1863)年、御所警護の役で新庄藩士300人が京に上った話にも触れている。そのことについて、戊辰戦史に1行も記述がないことを高橋さんは残念がる。「歴史にIF(もしも)はないが、薩長の志士らと交流していれば……とつい思ってしまう」
 本職はお菓子屋さん。「新庄の菓匠たかはし」代表として、「あじさい煎餅(せん・べい)」など全国菓子博覧会入賞の常連で、業界では知られた人物。約40年前に編集に携わった小学校のPTA新聞の文部大臣賞受賞に気をよくして以来、郷土誌の編集委員としても活躍している。
 郷土史や文化などについて何冊もの著作を出しているが、すべて自費出版。「菓子屋が本でもうけたら、何言われるか分からない」と笑う。
 「桃令院貢姫と幕末の新庄藩」はA5判44ページ。希望者はASA新庄(0233・23・1950)か、菓匠たかはし(0233・22・4080)へ。

 キーワード★桃令院貢姫 薩摩藩主島津重豪(しげひで)の11女。14歳で新庄藩10代藩主戸沢正令(まさよし)の正室に。篤姫の大伯母にあたる。正令との間に3男2女をもうけるが、正令は31歳で病没(貢姫25歳)、桃令院を名乗る。戊辰戦争で新庄藩は、周囲の幕府軍の攻撃で落城。11代藩主の長男の正実とともに、同じ官軍の秋田佐竹藩に落ち延びる。明治24(1891)年、74歳で死去。


福島
サムライが甲冑姿で観光案内/鶴ケ城
 会津若松市は県の緊急雇用創出基金を活用し鶴ケ城で「サムライ」を雇う。
 甲冑(かっちゅう)姿で観光案内し城の魅力アップを狙う。
 3日開会の12月定例議会に費用192万円の予算案を提出する。
 「鶴ケ城サムライ演出事業」と名付け、来年1〜3月の3カ月間、3人を雇用する。
 サムライは常時2人体制とし、観光案内のほか記念撮影に応じるなど観光客に歴史的な雰囲気を体感してもらう。
 入場者数が落ち込む冬場の誘客につなげる。
 また、天守閣の赤瓦へのふき替え、外壁の塗り替えのための観光施設事業特別会計補正予算案も提出する。
 今年度の費用1億9956万円を計上。
 平成22年度にかけての継続事業で、23年3月までには幕末時の赤瓦が再現される。
 工事により天守閣が作業用足場などで覆われ、見えなくなる時期も出る。


河野広中の遺品を孫が三春町に寄贈
 自由民権運動の先駆者河野広中(磐州)の孫河野広明さん(88)=千葉県松戸市=は25日までに、広中が受けた勲1等旭日大綬章や旧三春藩の藩士だった河野家に代々伝わる名刀など遺品155件約330点を三春町に寄贈した。
 広明さんは「子どもがいないために今後歴史的に重要な品々が分散してしまうことが懸念される。
 すべてを古里三春町に寄贈し有効に活用してほしい」と、妻高子さん(85)と相談して申し出た。
 寄贈品は町自由民権記念館に収蔵される。
 すでに広明さんは約200点の書物や文書、遺髪、戊辰(ぼしん)戦争時に着ていた陣羽織などを町に寄贈している。
 町は広中をはじめ多くの運動家を輩出し、町内には広中を顕彰する銅像や自由民権記念碑が建立されている。
 記念館には元郡山女子大短期大学部教授で自由民権運動研究家の故高橋哲夫氏が収集した貴重な資料も展示されている。



栃木
県内戊辰戦争の攻防本に 宇都宮の阿部さん自費出版
【宇都宮】上戸祭町の会社顧問阿部俊夫さん(67)はこのほど、県内の戊辰戦争史跡をまとめた「維新黎明 慶応四年」を自費出版した。丹念に史跡をたどって写真を撮影し、紹介文と地図を加えた労作。阿部さんは「風化しつつある歴史を伝えたい」と話している。
 慶応4(1868)年3月の梁田(足利)の戦いから同年8月の旧幕府・会津藩軍の横川(日光)撤退まで、約半年間続いた本県での戦い、特に今市周辺での攻防に焦点を当てた。約半年間の出来事を濃密に掘り下げ、既存の書籍には掲載されていない内容も盛り込んだ。
 クマを警戒しながら旧道を探して単独で山中に分け入ったり、当時の話を伝え聞く人を捜し歩いたりと、情報を足で集めた。戦死者の墓の場所の説明では、寺院名だけでなく墓地のどこに墓が配置されているかまで自作の地図で示した。「史跡巡りのガイドブック的な使い方もできると思う」と話す。
 旧今市市出身の阿部さん。3年ほど前に戊辰戦争の本を読んだのをきっかけに「郷里での出来事をもっと知りたい」と思い立ち、調査にのめり込んでいった。個人的なファイルとして記録していたが、その出来栄えを見た知人から出版を勧められたという。
 阿部さんは「本にまとめたことで、新しい情報も寄せられるようになった。これからも調査を続けたい」と話している。本はA4判334ページ。市販はしていないが、問い合わせは阿部さんの電子メールmeribel@amber.plala.or.jpへ。

 これ、読みたいなぁ……。

茨城
水戸開藩400年記念イベントにひこにゃん登場-桜田門外の変の因縁越える /茨城
 水戸藩開藩400年を祝うイベントが11月24日まで水戸市内各所で行われ、メーン会場に彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」が登場。歴史の因縁を乗り越えたゆるキャラの登場に多くの市民が声援を送った。(水戸経済新聞)
 ひこにゃんは彦根の名産品を抽選で来場者にプレゼント。握手したりカメラに収まるなど愛嬌(あいきょう)を振りまいた。全国的な知名度を誇るキャラクターとあって若い女性や家族連れなどからプレゼンを受ける場面もあり、訪れた市民のハートをつかんでいた。
 幕末期に水戸藩は大老井伊直弼の「安政の大獄」を受け、それに対する大老暗殺の「桜田門外の変」が起きるなど彦根藩とは因縁の間柄。過去のわだかまりを捨てるために1968(昭和43)年に両市は親善都市関係を結んでいる。
 今回は水戸徳川家、彦根井伊家や水戸家の分家である高松松平家の子孫も一堂に会しシンポジウムや幕末関係者の墓参、物産展などを開催。加藤浩一水戸市長は「来年は桜田門外の変150年。井伊大老のお墓参りに行きたい」と話した。



東京
ソメイヨシノ観光大使:豊島区観光協会が募集 /東京
 豊島区観光協会は、桜の代表種「ソメイヨシノ」の発祥の地である同区をPRしようと、観光大使を募集している。
 江戸時代、同区駒込染井地域には植木屋が多く、菊やツツジなど四季折々の花を楽しめる名勝地として知られていた。ソメイヨシノは、幕末から明治初期にかけて「染井」の植木屋が全国に広めたことからその名がついたと言われる。昨年から「ソメイヨシノのイメージにふさわしい観光大使」を選出し、区内外でさまざまなPR活動を繰り広げている。
 今回は、来年2月末から2年間の「2代目観光大使」を募集。資格は(1)豊島区に在住・在学・在勤している(またはしていた)人(2)2年間の任期中、留学予定などのない人。締め切りは30日必着。問い合わせは、コンテスト事務局(03・3981・5849)へ。【田村彰子】


【10年前のきょう】日本最古のモールス電信機、145年ぶりに実験成功
□1999・11・26=1面

 郵政省郵政研究所(当時)によって機能修復が行われた日本最古のモールス電信機が25日、東京・大手町の逓信総合博物館で、嘉永7(1854)年以来145年ぶりになる通信実験に成功した。この電信機は「エンボッシング・モールス電信機」と呼ばれるもので、幕末にペリー提督から徳川幕府に献上され、横浜で、アメリカ人技術者の手により通信実験に成功していた。


神奈川
帆船日本丸が「アンベンディング・セイル」-帆の取り外し作業
 日本メモリアルパーク内の「帆船日本丸」(横浜市西区みなとみらい2、TEL 045-221-0280)で11月28日と29日、帆(セイル)の取り外し作業をおこなう「アンベンディング・セイル」が開催される。
 アンベンディング・セイルは船舶としての資格を維持する船体整備を行う為の準備作業で、畳1,245枚分に相当する29枚すべての帆をマスト、帆桁(ヤード)から取り外す。
 当日は、最も高いところで海上から約40メートルあるヤードにボランティアスタッフが登り、手作業で帆を取り外す。作業は11時~16時頃(悪天候の場合は12月5日、6日に順延)。アンベンディング・セイル実施の2日間、帆船日本丸は臨時休館。


富士登山古道を「復刻」
 藤沢市亀井野4丁目の編集者、畠堀操八さん(66)が自分の足で復活させた富士登山道「村山古道」の全経路を記した地図を出版した。03年から2年がかりで踏破した道は、平安時代に修験者らが開いたとされる。人が歩くことで維持される部分があり、「みんなが歩いてくれれば」と期待する。
(山本真男)
 畠堀さんによると、村山古道は富士市・田子の浦の海岸から富士宮市・村山地区を経て、富士山の新六合で一般の登山道と合流し、山頂に至る50キロほどの道のり。歩いて登ると2泊3日かかる。
 一般的な行程だと、初日は田子の浦から標高500メートルほどの村山まで。舗装された道だが、10時間以上かかる。
 2日目は村山から標高2500メートルほどの新六合まで。スギやヒノキの人工林、多様な樹木が生い茂る国有林の間を登る道は雨が降れば水路のようになり、風が吹けば木が倒れてふさがってしまう。登山支援の施設がなく、早朝に出て日暮れに着くかどうか。
 3日目に登頂して可能な場所から車で下山するのがお勧めだという。
 村山から新六合までの道筋には明治維新以降の社会の移り変わりも見てとれる。山岳信仰と密教が融合した山岳修験の僧たちは、村山にある富士山興法寺大日堂から仏像やお堂など様々な仏教施設を沿道に作っていった。
 ところが、維新の際の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で仏教施設は破壊されてしまう。畠堀さんは地元の古老らの協力も得て、施設の跡や打ち割られたままの石像などを探し出している。
 森では高度成長期を中心にして盛んに伐採が行われたらしい。一方で、幹回りが3メートルを超すブナ、カツラ、サクラ、モミ、カラマツなどの巨木が残っている。「中に空洞ができた古木で伐(き)っても値がつかないので放置されたのでは」と畠堀さんはいう。
 縦108センチ、横38センチの地図は国土地理院の2万5千分の1の電子地図8枚をパソコンで張り合わせ、赤線で村山古道を記した。名所や目印などカラー写真50枚もはめ込んだ。間違えやすそうな場所には拡大図をつけ、ホテルや宗教施設、博物館、キャンプ場などの連絡先もつけた。
 3年前には古道復活の軌跡をまとめた「富士山村山古道を歩く」を出版した畠堀さんは今も年に5、6回、ガイドや「パトロール」のため村山古道を歩く。地図は地元の小中学生にプレゼントした。「最近は総合学習の時間で歩いてくれます」と笑った。
 税込みで千円。申し込みは〒252・0813 藤沢市亀井野4の12の44、NPO法人「シニア大樂(だいがく)」・山樂(さんがく)カレッジ(FAX0466・83・1373)へ。


横須賀芸術劇場で「ミュージカルオペラ・龍馬」-歌・ダンス・よさこいが融合 /神奈川
 横須賀芸術劇場(横須賀市本町3)で12月1日、幕末の風雲児・坂本龍馬の生涯を描いた「ミュージカルオペラ・龍馬」が上演される。主催は同実行委員会。10月下旬より高知・東京・横浜で順次上演され、横須賀が最終公演。(横須賀経済新聞)
脚本=ジェームス三木さん、演出=江守徹さん、音楽=小六禮次郎さん、総合プロデューサー=岡本光正さん。キャストは「龍馬」にバリトン歌手・平良交一さん、「勝海舟」に野口五郎さん、「龍馬の妻・おりょう」に元宝塚・森奈みはるさん、「中岡慎太郎」に野村将希さんのほか総勢40人が出演。
 1853(嘉永6)年、浦賀沖に現れたペリー提督率いる米海軍艦隊。「黒船来襲」に騒ぐ武士集団が「攘夷(じょうい)」を叫ぶ。数年後、龍馬は勝海舟との運命的な出会いにより、自らの進むべき道を見つける。幕末動乱の時代を33歳の若さで駆け抜けた龍馬の生涯。歌と踊りと「よさこい」のリズムの中でドラマが展開する。
 岡本プロデューサーは「オペラとミュージカルとダンスとよさこいの融合という、無謀な挑戦」を試みたという。主役にオペラ歌手を起用し、ミュージカル界のトップスターとスガ・ジャズダンス・スタジオのコラボレーションによる舞台は華やかでエネルギッシュなもの。ダンサーたちは舞台から客席へ降りて、「よさいこ」「ええじゃないか」などを踊り回り、観客と舞台とが一体となる。
 同実行委員会は「世界中が元気をなくしているいま、私たち日本人を元気にしてくれる龍馬の物語と引き継いだ夢は世界の人々にも感動を与え、元気づける」とし、「世界公演も視野に入れている」という。
 開演時間は18時~。チケット料金はSS席=12,000円、S席=10,000円、A席=5,000円。問い合わせは「龍馬」東京オフィス(TEL 03-5284-8440)まで。



滋賀
彦根市に金亀会館寄付 講演、学習の場に活用へ
 彦根藩校の現存する唯一の建物で彦根市指定文化財の同市中央町、金亀会館(宗教法人・本願寺金亀会館所有)が市に寄付された。
 金亀会館は1799(寛政11)年に藩校「稽古館」として開講し、のちに「弘道館」に改称した藩校の講堂に当たる建物。木造瓦ぶきの平屋で約260平方メートル。大正期に書院が増築された以外はほとんど手を加えておらず、傷みが激しく、市は2013年度までに保存修理を行い、講演会や学習会の場として活用する方針。
 藩校では儒学や国学に加え、洋学を取り入れるなどして藩士教育が行われ、幕末の大老・井伊直弼も15歳のころから学んだ。教授陣には儒学者の龍草蘆(たつそうろう)、直弼の開国論に影響を与えた中川禄郎や直弼の腹心で国学者の長野義言がいた。
 (伊藤弘喜)


彦根藩校「弘道館」講堂、寄付
西本願寺系寺院から市に

 滋賀県の彦根藩の旧藩校「弘道(こうどう)館」で唯一現存する建物が、所有する西本願寺系の寺院から彦根市にこのほど寄付された。幕末の大老で13代藩主の井伊直弼(なおすけ)も学んだ市指定文化財。市は保存修理の後で「現代の藩校」として再生し、市民向けの講演会や学習会などで活用するとしている。

 ■「教育施設で再利用へ」

 寄付されたのは「金亀(こんき)会館」(彦根市中央町)で、1794(寛政6)年に設立された藩校の旧講堂。幕末には直弼が15歳ごろから通い、後に腹心になる国学者の長野義言(よしとき)や、直弼の開国論に影響を与えた学者の中川禄郎らに教えを受けた。
 建物は、国学や洋学の講義を行った本堂のほか、書院や物置など延べ床面積約290平方メートル。市が11月初旬に建物を引き取り、今後、歴史まちづくり法の認定計画プランに基づいて国から補助金を得ながら、2011年度から3年間で保存修理を進める方針。
 これまでの所有者は西本願寺の直属寺院「本願寺金亀会館」(彦根市中央町)。1871(明治4)年の藩校廃校後、彦根城近くから現在地に移転させて布教に用いてきたが、老朽化で維持管理が困難になったため、市に寄付した。
 藩校は明治維新後に大阪府知事や沖縄県令を歴任した西村捨蔵(すてぞう)、明治の三筆とされる日下部鳴鶴(めいかく)らを輩出している。市は「かつての藩校の歴史を紹介するとともに、地域の教育施設として再利用したい」としている。


和歌山
徳川御三家附家老サミット:新宮市が参加 5市で応援協定を締結 /和歌山
◇大規模災害時に食料、車両を提供
 新宮市は、全国の5市で構成する「徳川御三家附家老(つけがろう)サミット」に参加、大規模災害時の相互応援協定を結んだ。
 サミットは、茨城県高萩市が提唱し、今月7日に同市で初開催された。新宮、田辺、愛知県犬山、岐阜県海津の各市を加えた5市が参加。「附家老の歴史を顕彰し誇りと郷土愛をはぐくむ」などとするサミット宣言を採択し、相互応援協定を締結した。応援の内容は、食料や飲料水などの提供、救助活動に必要な車両の提供など。
 附家老は徳川家康が幕藩体制を強化するため、御三家(尾張、紀州、水戸)の中枢に、側近5人を据えた。これが附家老5家(新宮藩・水野家など)と呼ばれ、明治維新を経て現在の新宮市や高萩市につながる。【神門稔】


兵庫
山田風太郎直筆原稿、新たに3編/但馬
 「忍法帖シリーズ」で知られる旧関宮村(現養父市)出身の作家、山田風太郎(1922~2001)の直筆原稿3編が見つかった。今年10月にも2編が確認されており、相次ぐ発見に地元の関係者は沸いている。
 3編は「人間臨終図巻」(400字詰め原稿用紙180枚)、「笊(ざる)ノ目万兵衛門外へ」(同78枚)、「拝啓奈良本先生」(同7枚)。いずれも東京の自宅の物置から遺族が見つけ、養父市関宮の山田風太郎記念館に寄贈した。
 「人間――」は、歴史上の人物900人の死に様を描いたノンフィクションで、10月にも170枚が見つかっていた。「笊ノ目――」は幕末の坂下門外の変でかつての主君だった老中を暗殺する同心を描いた短編時代小説。72年に月刊誌「問題小説」に掲載された際の全編が残っていた。
 「拝啓――」は、風太郎の旧制豊岡中学時代の恩師で歴史学者の奈良本辰也との思い出をつづった未発表の随想。不良学生だった風太郎の文章を激賞し、励ましてくれた奈良本先生と過ごした1年間を手紙形式で回想している。
 29日まで、同記念館で開かれている特別企画展で展示されている。28日午後1時半からは近くの関宮公民館で推理作家の有栖川有栖氏の記念講演会もある。問い合わせは同記念館(079・663・5522)へ。


山口
「タウン情報Yamaguchi」10年の歴史に幕
 県内全域を対象とした初めての情報誌「月刊タウン情報Yamaguchi」が、25日に発売された12月号を最後に10年にわたる歴史に幕を閉じる。
 発行するザメディアジョン(広島市)によると、同誌は1999年11月、「山口をもっと知りたい、楽しみたい、元気にしたい」をテーマに創刊。県内の観光やグルメ、ショッピングなどの情報を盛り込み、約4万3000部を発行している。部数の減少はないが、不況の影響を受け、広告収入が減ったのが休刊の一因という。
 最終号(通巻120号)は、鍋料理やクリスマスイベントなどの情報のほか、幕末の史跡を巡る「幕末ドライブ」などの過去の特集や企画を通して10年間を振り返っている。
 同社は「新しい媒体などで、今後も山口に良質な情報を発信したい」としている。


奇兵隊の元調練場 祀られる同志391柱
 1864年(元治元年)8月、英仏米蘭4か国連合艦隊17隻が下関を砲撃。雷が一度に百個も落ちたほどのすさまじさだったという。長州藩は多くの犠牲者を出した。
 源平の戦いでも知られる壇ノ浦あたりは激戦地だったが、現在、気持ちいい公園だ。青空と海、周囲の緑が美しい。敷地には長州砲のレプリカが。多くの船が行き交う関門海峡は、思った以上に対岸の九州が近く、潮の流れがとても速い。激動の幕末、この景色を毎日眺めた長州人の中に「自分も何かせねば」という思いが、むくむくとわいてきたのか。
 脱藩の罪で高杉家の座敷牢(ろう)にいた晋作は、藩の要請で家老の養子「宍戸刑部(ぎょうぶ)」を名乗り、連合軍との講和交渉にあたった。300万ドルもの賠償金要求に対して、晋作は、「攘夷(じょうい)は朝廷の意思、責任は幕府にある」とガツンと言ってのけ、支払いを拒否。あまりの迫力に連合軍側から一目置かれたという。
 桜山神社には、奇兵隊が戦死した同志の神霊を祀(まつ)った招魂場がある。ここは隊の元調練場で、招魂場となって後、桜を植えて桜山と呼ばれるようになった。祀られているのは391柱。中央が吉田松陰、両側が高杉晋作と久坂玄瑞。武士も庶民も柱はみな同じ大きさだ。20代の若者が多いことに、時代の激しさを実感した。(ペリー荻野 コラムニスト)



熊本
「横井小楠の平和思想知って」 米大統領あてに冊子 熊本市の徳永さん 首席領事に20冊寄贈
 肥後藩出身の儒学者、横井小楠(1809-69)の思想をオバマ米大統領に知ってもらおうと、熊本市良町の小楠研究家、徳永洋さん(59)が復刻した日英2カ国語の冊子を、在福岡米国領事館のマルゴ・キャリントン首席領事に寄贈した。
 徳永さんは今年、幕末に世界平和を唱えた小楠の思想を紹介するため、県教委が1949年に日本語、英語版で発行した冊子「横井小楠先生を偲(しの)びて」を1冊にまとめて復刻。大統領が今年4月にチェコのプラハで「核兵器廃絶演説」を行ったことから、「核のない世界実現に向けた取り組みの参考にしてほしい」と寄贈を決めた。
 首席領事との面会は県の山本隆生教育長らの仲介で19日、福岡市の同領事館で実現。くまもと横井小楠塾塾長の高宗昭敏・東海大名誉教授とともに、オバマ大統領あての冊子20冊を手渡した。首席領事は「努力します」と答え、日本国内の大使館や領事館でも活用する考えを示したという。
 徳永さんは「世界平和や、国民の利益になる政治の実現を訴えた小楠の思想は、現代でも通用する普遍的なもの。150年前に大統領と同じ思いを抱いていた日本人がいたことを知ってほしい」と話している。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(38)東大教授・山内昌之 山川健次郎
■白虎隊総長の嘆き

 民主党政権の選んだ仕分け人が各省庁予算の無駄を舌鋒(ぜっぽう)鋭くチェックする風景は、大方の国民の喝采(かっさい)を博している。
 しかし、迫力満点の蓮舫参院議員らがスーパーコンピューター予算について、「なぜ、世界一を目指すのか」「世界で2番目ではダメなのか」とやったのには仰天した。聡明(そうめい)な蓮舫氏のことだから、わざと人びとの耳目をひきつけるべく、あえて非常識な問いを発したのかもしれない。
 彼女らの問いは、日本が国として一流である必要はなく、わざわざ苦労せずとも二流であれば、まずまずよいというのに等しい。
 日本に限らず、科学の発展は国や国民を豊かにしたいという学者の夢や抱負から始まった。その結果、地球上に科学が広がっていったのだ。のんきに待ち構えていれば、どこかの国の誰かが最先端技術を親切に教えてくれるという奇特な世界ではない。今でも自助努力をしない国が取り残されるのは自然の成り行きなのである。

◆仇敵同士が補完しあう

 東京帝国大学で26歳の若さで日本人最初の物理学教授になった山川健次郎は、15歳で白虎隊に入った武士(年少で除隊)であり、政治家として国家のために働く理想をもっていた。
 しかし、戊辰戦争でも最悪の“朝敵”と目された会津藩士には政界や官界で成功する道は狭かった。そこで健次郎は、北海道開拓使の黒田清隆に見込まれてアメリカに留学したのだった。薩摩の黒田が会津の若者を引き立てたあたり、仇敵(きゅうてき)同士が互いに長所や才能を補完しあう世界史でも珍しい美点が明治新政府にあったことは率直に認めるべきだろう。
 滞米中の健次郎ら日本の若者は両刀を書物に換えて猛勉強に励み、素行の良さも絶賛された。アメリカ人篤志家がわざわざ援助を申し出た条件は、帰国後に国家のために尽くすというただ一事である。幕末明治の先人たちは総じて国のために尽くすという意識も強く、健次郎も大学や学術が国家のためにあると考えていた。

◆自ら辞職し円満処理

 しかし、これは偏狭なナショナリズムというより「武士のリベラリズム」ともいうべき廉潔さに由来していた。実際、明治36(1903)年の七博士事件で東大の戸水寛人(とみず・ひろんど)教授が休職を命じられたとき、学問の国家性を強調する文部大臣と大学の自治を掲げた教授たちとの間を調停した態度は毅然(きぜん)としていた。健次郎は自ら辞職して問題の円満処理を心がけたからである。
 健次郎は、学問の府への公権力の干渉を排除する信念の人であり、学問の自主性や大学の自治を守る立場の学者の間でも人望の篤(あつ)い人であった。ちなみに七博士は、桂太郎内閣の軟弱をそしり、対露即時開戦を唱え、戸水は満州の占領とバイカル湖以東の露領割譲を強く求めたのである。

◆万事にリアリズム

 健次郎は、日露戦争が起きると、東大総長でありながら陸軍の一兵卒に志願し人事担当者を困惑させたように、個人としては熱烈な愛国者であったが、それで公の判断が依怙(えこ)になることはなかった。古武士が合理主義を尊ぶ物理学者になった感もある健次郎は、物理学者として万事にリアリズムの心を失わず、七博士のように非常識な「対外硬」にはくみしなかったのだろう。
 これは、妹の山川捨松(すてまつ)(大山巌元帥夫人)と違って、彼がキリスト教を受け入れなかった懐疑的立場にもつながるものだ。
 さて蓮舫氏の発想は、中国経済に日本が抜かれても当然という鳩山首相の発言にも通底するのではないか。国家意識が希薄というよりも国家観念の欠如を訝(いぶか)しがられる宰相というのも、世界史上で珍しい。
 健次郎のように戊辰戦争で辛酸を嘗(な)めながら新国家建設に学業面で尽くした先人たちが2人の軽すぎる発言を聞けば、はらはらと落涙して世の移ろいを嘆くに違いない。事によれば激怒して面罵(めんば)さえ辞さないかもしれない。(やまうち まさゆき)
                   ◇
【プロフィル】山川健次郎

 やまかわ・けんじろう 安政元(1854)年、会津若松生まれ。戊辰戦争で白虎隊に加わるが、年少だったため除隊させられる。東京に出て苦学し、明治4年に北海道開拓使から選ばれ渡米、エール大で物理学を学ぶ。帰国後、東京開成学校(東大の前身)教授補をへて東京帝大教授。日本初の理学博士となる。34年に東大総長となり、教育行政に尽力するが、日露戦争の講和政策批判騒動をめぐって辞任。九州帝大総長をへて大正2年に東大総長に復帰。一時、京都帝大総長も兼任。のちに貴族院議員、枢密顧問官も務めた。昭和6(1931)年、78歳で死去。

 毎週楽しみに読んでいる連載コラム。立見鑑三郎につづいて山川健次郎が紹介されるとは嬉しいです。

エンターテインメント
歴女必携?戦国/幕末系の楽曲をハウスアレンジ
 歴女のみなさま、ご機嫌麗しゅうございますでしょうか。まさに貴方のために作られたCDの登場です。その名もずばり、『ANIME HOUSE PROJECT~戦国・幕末MIX~』。戦国・幕末系の楽曲をハウスアレンジしたアルバムなのでございます。
 要は、今話題というべき戦国/幕末に関連したアニメ/ゲーム/ドラマの楽曲をピックアップ、今最も新鮮なハウスミュージックにアレンジしたコンピ作品だ。戦国/幕末関連作品といえば、TVアニメ「戦国BASARA」、TVアニメ「銀魂」、大河ドラマ「天地人」などのテーマ曲。ハウスミュージックにアレンジとはいいつつも、楽曲制作には太鼓や尺八、三味線といった日本古来の楽器を積極的に起用、現代音楽と戦国/幕末感を融合させるべく、個性的な仕上がりとなったようだ。
 制作陣にはトーキョー・クラブシーンをバックボーンに持ち、特定のメンバーを持たない有機的なアート&サウンドプロデュースユニットNORISHIROCKS等を迎え制作された。またジャケットデザインには、携帯電話きせかえサイト「戦国×幕末恋絵巻」で人気ナンバー1のアサヒ氏を起用、美麗な戦国武将が目を引く作品となっている。

ANIME HOUSE PROJECT~戦国・幕末MIX~
オムニバス
『ANIME HOUSE PROJECT~戦国・幕末MIX~』
2009年11月25日発売
ATCD-26001 ¥1,680(税込)
1.JAP/Alice,D-Newt
※TVアニメ「戦国BASARA」OPテーマ
2.ウォーアイニー/NORISHIROCKS
※TVアニメ「銀魂」EDテーマ
3.1/3の純情な感情/Alice
※TVアニメ「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」EDテーマ
4.修羅/NORISHIROCKS
※TVアニメ「銀魂」EDテーマ
5.甲賀忍法帖/NORISHIROCKS
※TVアニメ「バジリスク~甲賀忍法帖~」OPテーマ
6.HEART OF SWORD ~夜明け前~/Alice
※TVアニメ「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」EDテーマ
7.DIVE into YOURSELF/Alice
※PS2ゲーム「戦国BASARA2」OPテーマ
8.天地人~オープニングテーマ/NORISHIROCKS
※大河ドラマ「天地人」OPテーマ

 「戦国/幕末系」って音楽ジャンルがあるんですか(苦笑)。個別には好きな曲が入っているんだけどなぁ……『銀魂』のED『修羅』とか。





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