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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 マイブログリストに入れさせていただいている方々の「福山龍馬」への様々なご感想が面白い昨日今日です。

岩手
戊辰戦争伝える冊子を寄贈 一関の三浦さん
今年で開戦から140年を迎えた戊辰(ぼしん)戦争の様子を伝える冊子が一関市で見つかった。閲覧可能な冊子は国立国会図書館所蔵の1冊のみという貴重な資料。保管していたのは同市弥栄字内ノ目の三浦正さん(76)。7日、市に冊子を寄贈した三浦さんは「それほど珍しい資料とは」と驚いている。
 冊子は旧一関藩士の吉野勘之進が書いた「戊辰羽役戦状(ぼしんうえきせんじょう)略記(りゃくき)」。1891年に一関で出版された。90ページでA5判に近い大きさ。
 戊辰戦争のうち、秋田戦争での一関藩の実戦記録としては最も詳しい資料とされる。武士が記録されることが多い戦争資料で、徴兵された庶民の死者、負傷者の名前まで掲載しているのが特徴だ。
 三浦さんの先祖が死者名簿に入っており、一家が冊子を保管。三浦さんが3日まで市博物館で開かれていた「一関藩の戊辰戦争」展を見て冊子を同館に持ち込んだところ、資料の価値が判明した。
 大島晃一副館長は「一関は水害に見舞われたこともあり、もう残っていないと思っていた。展覧会を開いた最大の収穫だ」と喜んでいる。


宮城
和歌:藩末動乱時の藩主・伊達慶邦作、2首見つかる /宮城
和歌:藩末動乱時の藩主・伊達慶邦作、2首見つかる /宮城
◇「慎みの大切さ」説き、家臣に渡す
 実質的な最後の仙台藩主で、奥羽越列藩同盟の盟主的位置にあった伊達慶邦(よしくに)(1825~74)が、家臣に贈ったとみられる和歌2首をしたためた色紙が見つかった。「栗原平成美術友の会」が今月23日、同市志波姫公民館で開く旧家所蔵品鑑賞会で展示する。2首とも「慎みの大事さ」を説いており、友の会は、戊辰(ぼしん)戦争で敗北後、いとまごいに来た家臣に渡したと推定している。明治維新動乱時に敗れた「東北側の主役」の思いを伝えるものとして、歴史愛好家らの注目が集まりそうだ。
 所蔵していたのは藩政時代に「着座」の格式だった登米市内の旧家。着座は、伊達一家に続く重臣で、子孫の多くは故郷を離れ、同友の会員らが縁あって所蔵品を調査して、確認したという。
 2首は「国民(くにたみ)とあまねく道の奥なれば なお慎みを忘れじの山」「慎みを人の心の根とすれば ことばの花も誠にぞ咲く」と読める。左端の「伊達・楽山様」の雅号は旧家側が記したとみられる。
 色紙を包んだ布に慶邦の名刺大の全身写真が同封されており、旧家の話と合わせ2首とも慶邦作と判断した。
 慶邦は13代藩主で、慶応4(1868)年に新政府軍に敗れて降伏後、謹慎を命じられ、四男宗基が後継として名目的な藩主に据えられた。歌はその当時のもので、自分の心境を込め、教訓的な歌を詠んだのではと同友の会事務局は推定している。贈られた家臣は仙台城下から県北部の在郷屋敷に移住し、色紙を軸装したらしい。慶邦は文人としても知られるが、今に残っている歌は多くはないという。【小原博人】


東京
「福沢精神で未来へ貢献」 慶応義塾創立150年記念式典
 創立150年を迎えた慶応義塾の同大日吉キャンパス(横浜市港北区)で8日、記念式典が開かれ、天皇、皇后両陛下が出席された。小雨がぱらつく空模様にもかかわらず、卒業生や塾生ら約1万人が集まり、創立者の福沢諭吉が提唱した「独立自尊」の精神を今後も貫くことを誓い合った。
 安西祐一郎塾長は式辞で、現在の世界について「(開塾時の)幕末の混乱に匹敵する、地球規模という意味でそれ以上の混迷の時代」と述べ、「福沢の原点に立ち戻り、この節目を新たな出発点として、日本と世界の未来のために貢献する」と宣言した。
 天皇陛下は、「独立自尊」の精神が日本の文化向上に寄与したことなどに触れた上で「今後も国の内外で活躍する人材を数多く育て、送り出すことを期待しています」と述べられた。天皇陛下は皇太子時代、元塾長の故小泉信三氏から新しい時代に即した帝王学などを学ばれている。
 式典には、ライバルの早稲田大学から白井克彦総長も出席。白井総長は早大の創立者、大隈重信と福沢が生涯にわたって良好な関係にあったことを紹介し、「慶応と早稲田は兄弟、姉妹のごとく刺激しあい、切磋琢磨(せつさたくま)して発展し続けてきた」と両校の友情をたたえた。
 終了後は卒業生、塾生らが一体となって応援歌「若き血」を大合唱した。
 慶応義塾は幕末の安政5(1858)年、福沢が蘭学塾として江戸で開塾。明治23年にハーバード大から教師を迎えて大学部を発足させるなど、学問の近代化にいち早く取り組んだ。現在は10学部、14大学院研究科がある。


慶応150年、記念式典 「福沢精神で未来へ貢献」
 創立150年を迎えた慶応義塾の同大日吉キャンパス(横浜市港北区)で8日、記念式典が開かれ、天皇、皇后両陛下が出席された。小雨がぱらつく空模様にもかかわらず、卒業生や塾生ら約1万人が集まり、創立者の福沢諭吉が提唱した「独立自尊」の精神を今後も貫くことを誓い合った。
 安西祐一郎塾長は式辞で、現在の世界について「(開塾時の)幕末の混乱に匹敵する、地球規模という意味でそれ以上の混迷の時代」と述べ、「福沢の原点に立ち戻り、この節目を新たな出発点として、日本と世界の未来のために貢献する」と宣言した。
 天皇陛下は、「独立自尊」の精神が日本の文化向上に寄与したことなどに触れた上で「今後も国の内外で活躍する人材を数多く育て、送り出すことを期待しています」と述べられた。天皇陛下は皇太子時代、元塾長の故小泉信三氏から新しい時代に即した帝王学などを学ばれている。
 式典には、ライバルの早稲田大学から白井克彦総長も出席。白井総長は早大の創立者、大隈重信と福沢が生涯にわたって良好な関係にあったことを紹介し、「慶応と早稲田は兄弟、姉妹のごとく刺激しあい、切磋琢磨(せつさたくま)して発展し続けてきた」と両校の友情をたたえた。
 終了後は卒業生、塾生らが一体となって応援歌「若き血」を大合唱した。
 慶応義塾は幕末の安政5(1858)年、福沢が蘭学塾として江戸で開塾。明治23年にハーバード大から教師を迎えて大学部を発足させるなど、学問の近代化にいち早く取り組んだ。現在は10学部、14大学院研究科がある。


愛知
犬山城主の名品展
市文化史料館 武具や美術品50点
 元犬山城主・成瀬家に伝わる名品計50点を紹介する「犬山城主の武と美」(犬山市教委など主催)が、犬山市犬山の市文化史料館で開かれている。成瀬家から国宝・犬山城や古文書、美術工芸品の寄付を受けた犬山城白帝文庫の創設5周年を記念して企画した。
 2年間の修復で人物の表情などがはっきりした「長篠合戦図屏風(びょうぶ)」(江戸前期)、「小牧・長久手合戦図屏風」(同)のほか、九代藩主正肥(まさみつ)が幕末の戊辰戦争に着用し、甲冑(かっちゅう)から軍扇、弁当箱、わらじまでそろった紺糸威(おどし)具足などの武具が出品されている。


三重
幕末の息吹感じて 桑名で松平定敬 没後百年史料展
幕末の息吹感じて 桑名で松平定敬 没後百年史料展 
 幕末の桑名藩主、松平定敬(さだあき)(1846-1908年)の没後100年に合わせた特別企画展「京都所司代 松平定敬」が桑名市博物館で開かれている。定敬ゆかりの品や戊辰(ぼしん)戦争の風刺画など、幕末の息吹を感じる史料が並ぶ。24日まで。
 定敬は、美濃高須藩主松平義建の8男として生まれ安政6(1859)年、桑名藩主松平家に婿養子として迎えられて藩主に。実兄の会津藩主・松平容保(かたもり)と協力し、京都所司代として活躍した。
 企画展では、定敬が幕末に書いた扁額(へんがく)や葵紋の入った陣がさなどを紹介。1864年に京都で起きた禁門の変を描いた「元治之乱絵図」は、桑名藩士が殺された場所なども詳細に描かれている。
 幕末に大流行した、新政府軍と旧幕府軍の対立を描いた戊辰戦争の風刺画も紹介。一見、子どもが遊ぶ様子を描いているが、桑名藩を象徴するハマグリ模様の着物を着ていたり、会津名産のロウソクが胴着に描かれていたりする。
 ほかに江戸詰の桑名藩関係者が記した「文久日記」、武力衝突を想定して京都にいた桑名藩士に配布された「非常之節心得書」なども展示。杉本竜学芸員は「定敬の生涯を追いながら、戊辰戦争に入っていく桑名藩の様子や世相を感じてもらえたら」と話している。10、17日休館。高校生以上300円、中学生以下無料。
(境田未緒)

 今年は榎本さんの没後百年だけでなく定敬公の没後百年でもあったのですね。私も見に行きたいなぁ……。

旧慶光院客殿を初公開 伊勢
10~12日 遷宮復興に力、重文の尼寺
 伊勢市の神宮徴古館は、重要文化財に指定(2002年12月)されている伊勢市宇治浦田の旧慶光院客殿を10~12日の3日間、初めて一般公開する。
 南北朝時代からの戦乱で、伊勢神宮の正遷宮は120年以上途絶えたが、当時の尼僧が各地で寄付を募るなどし、宇治橋の架け替えや遷宮の復興に尽力。この功績で後奈良天皇から「慶光院」の号を許され、幕末まで15代にわたり、朝廷や将軍家と深いつながりのある尼寺として継承されてきた。



京都
龍馬・慎太郎に「よさこい」ささぐ
京都霊山護国神社で15日披露

龍馬・慎太郎に「よさこい」ささぐ 京都霊山護国神社で15日披露
 幕末の志士、坂本龍馬と中岡慎太郎をしのぶ京都霊山護国神社(京都市東山区)の「龍馬祭」で今年、学生が踊りを披露するイベント「龍馬よさこい」がスタートする。「現代の若者の力を、天の龍馬たちに伝えたい」と企画。15日には学生たちが高知生まれのよさこいに乗せ、若いパワーを発信する。
 同神社は2人の墓所で、毎年龍馬の命日の15日に合わせ、墓前祭が行われている。
 昨年末、氏子らから「龍馬たちが望んでいた豊かな時代を担う若者の姿、力を2人に見せたい」と話が持ち上がった。
 佛教大(北区)のよさこいサークル「紫踊屋(しようや)」が中心となって呼び掛け、京阪神の大学から計16チームの参加が実現。当日は同神社境内を会場に、2人の墓に向けて計約300人が舞い踊る。企画運営に当たる「紫踊屋」の白原真弘さん(21)は「幕末の志士に負けないぐらいのエネルギーを見せたい」と意気込む。
 来年は、龍馬が作ったとされる替え歌を元にしたよさこいで舞ったり、2人の像がある円山公園(東山区)まで練り歩く企画も検討されている。
 同神社の木村隆比古宮司(43)は「龍馬は若い人にも慕われた。若者の力を通じて、今の時代を感じてほしい」としている。
 龍馬よさこいは15日午前11時-午後3時半。引き続き、墓前祭などが行われる。落命時の状況にちなんだ、京都高知県人会によるしゃも鍋の炊き出しなどもある。


長崎
出島の通訳の子孫集合 長崎
 江戸時代に唯一の貿易港だった長崎の出島で活躍した唐通事と蘭通詞(中国語、オランダ語の通訳)の子孫32人が8日、歴史研究交流のため長崎市の長崎歴史文化博物館に集まり祖先への思いを語り合った。主催の長崎史談会によると、双方の子孫が一堂に会したのは初めてという。
 唐通事の子孫からは、国学院大名誉教授の林陸朗さん(83)=東京都世田谷区=が「蘭通詞の子孫と初めて交流できて感激した」と発言。蘭通詞の子孫も、加福共之さん(72)=大阪府豊中市=が「念願の交流がかなった」と話し、名古屋学院大名誉教授の堀孝彦さん(77)=神奈川県鎌倉市=は「家にある史料を持ち寄っての研究や、墓の管理で協力できたら」と提案した。唐通事と蘭通詞は代々幕末まで長崎奉行に雇われ、明治維新以後は外交官や語学教師として日本の近代化に貢献した。
 
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