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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今週もまとめて、ぼちぼちご紹介します。

函館
龍馬の夢 伝える記念館 函館にあす開館
■寺田屋模した外観

 幕末の志士坂本龍馬の誕生日であり、命日でもある15日、函館市末広町に「北海道坂本龍馬記念館」(三輪貞治館長)が開館する。
 龍馬は北海道開拓を夢見たが、暗殺された。その後、坂本家の人々が龍馬の志を継いで北海道に渡った。
 NPO法人が運営する同館では、龍馬の書簡や勝海舟の掛け軸、ペリー提督の書簡など貴重な資料が展示され、龍馬や坂本家の子孫の生涯などをパネルで解説する。坂本家の子孫の山岳画家、坂本直行のコーナーも設けられ、山の道具や作品も展示される。
 記念館は、函館の市電停留場「十字街」前の旧家具店展示場を改築。外観は、龍馬の定宿だった京都の寺田屋を模した。
 初日は午前10時からセレモニーが行われ、坂本家9代目の坂本登さんや西尾正範・函館市長らがテープカットする。記念行事として、近くの五島軒本店で午前11時から龍馬が学んだ北辰一刀流の演舞が披露され、同11時半からは龍馬に詳しい京都国立博物館考古室長の宮川禎一さんの講演「坂本龍馬と北辰一刀流」がある。いずれも入場無料。
 同館の開館時間は午前10時~午後6時(30日から月曜休館)。入館料は一般300円、大学・高校生200円、小中学生100円。初日のみ入館無料。問い合わせは同館(電話0138・24・1115)へ。



山形
庄内藩の歴史、生き方を本に テーマの2冊発刊
 庄内藩をテーマとする本が2冊発刊された。一つは藩の歴史を紹介した「シリーズ藩物語 庄内藩」(現代書館)、もう一つは庄内人の生き方を探る季刊オピニオン雑誌「日本主義 2009年冬号」(白陽社)。いずれも地元鶴岡市では深い関心を持って読まれている。
 「庄内藩」は鶴岡市史編纂(へんさん)委員の本間勝喜さんが執筆した。庄内藩の成立から幕末までの歴史が書かれている。
 酒井家の庄内入部については1622(元和8)年、山形・最上家が改易されたことにより、酒井忠勝が庄内3郡(田川、櫛引、遊佐)13万8000石余を分与された。その後、財政難に見舞われたため、豪商の本間光丘を登用し、財政改革を進めた。1840(天保11)年には幕府が庄内藩主を長岡へ、長岡藩主を川越へ、川越藩主を庄内に移封する命令を下したものの、庄内藩の領民が猛反発し、幕命が覆るという3方領知替えがあったことなどを伝えている。
 「日本主義」では、庄内藩酒井家第18代当主で致道博物館長の酒井忠久さんと小野寺時雄・荘内南洲会理事長、歌人で鶴岡総合研究所顧問の東山昭子さんの座談会が掲載されている。
 戊辰戦争で庄内藩が降伏した後の出来事について酒井さんは「11代忠篤が謹慎処分になったが、酒井は庄内に復帰できた。降伏に際し黒田清隆を将とする官軍が礼に厚い処理をしていた。そこで庄内藩の重鎮・菅実秀がかなりすごい人物がいるに違いないと思っていたら西郷隆盛の指示だということが分かった」と指摘。小野寺さんは「西郷は日本中を見ても庄内藩ほどしっかりした、礼を知っている藩はないと見ていた。新政府から『庄内をあまりにも大事にしすぎる』と言われた時も西郷は『そんなことはない』と言って引かなかった」といったエピソードを紹介した。
 庄内藩に関する本が2冊出たことについて酒井さんは「うれしいことで、こうしたことがきっかけとなって庄内の良き理解者が増え、庄内の活性化につながればありがたい」と話している。
 庄内藩は206ページ。定価は1680円。主な書店で扱っている。日本主義は176ページ。定価は1050円。致道博物館などで販売している。



栃木
「日光修験の道」本に 宇都宮の池田さん
【宇都宮】大通り2丁目の元小学校長、池田正夫さん(71)は「全踏査日光修験三峯五禅頂の道」を出版した。古文書を手掛かりに6年かけ、日光修験の修行ルートを一人で歩いて調査した独自の成果をつづった。日光山興雲律院、中川光熹住職は「四季に入峯し研究する姿は修験僧そのもの。日光修験研究の先駆けとなる」と発刊に寄せている。
 かつて日光山にあった、四季ごとの修験者の修行ルート「三峯五禅頂」は「冬峯」、春の「華供峯」、「夏峯」、秋の「五禅頂」の総称。奥、表日光連山を時計回りに一周する夏峯など、過酷な行程だったという。室町期に全盛期を迎え、幕末まで続いたが、明治の修験道廃止令で途絶えた。
 池田さんは一人で6年間、750日以上かけて、いくつかの古文書の記述を忠実にたどって歩き、日光古道を再現した。道端の石仏や修験僧など、現在の写真も豊富に添えた。
 池田さんは宇都宮大学芸学部(当時)卒後、数学・技術教師となり、小学校長を歴任。中川住職の影響を受け退職後の1999年、日光修験研究を始めた。「それからは3日に一度は日光山中に入った」という池田さん。
 古文書のコピーを携え、朝4時に自宅を出てはGPSや携帯電話、クマよけの鈴や爆竹を持って険しい山中を歩き続けた。地図を頭にたたきこみ、迷わないよう木々に赤いテープを張ったという。
 夏峯の錫ケ岳(2388メートル)では「能々尋可(よくよくたずねるべし)」との記述から、山頂付近を探し歩き、林立する石躰を発見。「神が現れたようだった」と当時の感動を振り返る。
 A5判408ページ。4935円(税込み)。随想舎刊。


埼玉
唐人揃い:あす川越で 津から初参加、20団体350人パレード /埼玉
 江戸時代に友好親善で幕府に派遣された「朝鮮通信使」を模した仮装行列「第5回 復活!唐人揃(ぞろ)い」が15日、蔵造りの街並みで知られる川越市の一番街(県道)で行われる。今回は津市から、通信使など外国の風俗を取り入れた「分部(わけべ)町唐人踊り」が初参加。多文化共生や国際交流をテーマに、約20団体350人が華やかにパレードする。
 唐人揃いは、江戸で使節団の華やかな行列を見た川越の有力商人が地元に伝え、幕末まで行われた。市民団体などで作る「川越唐人揃いパレード実行委員会」(江藤善章代表)が05年に復活させた。
 初参加する分部町唐人踊り(三重県無形民俗文化財)は江戸時代に始まり、使節団とそっくりの帽子に喜怒哀楽を表現したお面をかぶり、「ロッペ」と呼ばれる南蛮風の上着に虎模様のパンツを着用。軽妙な踊りを披露しながら、ラッパや笛、太鼓を奏でる。保存会の林俊一代表(61)ら20人が参加する。
 パレードは午後0時半、仲町交差点を出発し、札の辻交差点までの約400メートルを練り歩く。官衣を着た正、副使ら使節団と唐人踊り、アイヌ民族や琉球の文化を伝承する団体やフィリピンの人たちなどが参加する。その後、各団体が踊りや音楽を披露する。
 雨天は正午~午後2時半、川越小体育館(同市郭町1)で行う。問い合わせは実行委員会の小川満さん(電話090・7422・2002)。【鈴木賢司】



東京
西郷どん役 熱演の誓い 浅草で修業の演歌歌手
 浅草で修業した演歌歌手がオペラで熱演誓う-。十七日から台東区の浅草公会堂で上演される幕末の志士・坂本竜馬を描いたミュージカルオペラ「龍馬」で西郷隆盛を演じる演歌歌手、高瀬一郎さん(44)が上演を前に同区上野公園の西郷隆盛像を訪れた。高瀬さんは西郷と同じ鹿児島県出身。郷里の偉人を前に思いを新たにした。
 「長州藩に御加担つかまつる。我らは同志でござる」。竜馬、西郷、桂小五郎らが顔をそろえ、薩長連合が成立した瞬間だ。公演の二幕目で、やや小柄でやさ男の高瀬さんが、舞台で流ちょうな薩摩弁を操り、堂々たる西郷を演じる。
 十五歳の時、NHKのど自慢で優勝。二年後に上京、レコードデビューした。浅草との出会いは、実力を磨きたいと浅草にある日本浪曲協会の沢孝子会長に師事し、浪花節の修業をしたことだ。
 洋楽のオペラに演歌歌手を抜てきしたのはオペラ歌手で本公演の総合プロデューサー、岡本光正さん(59)。「さまざまなジャンルの人間で一つの舞台をつくり上げているのもこの公演の魅力」
 坂本竜馬をオペラ歌手の平良交一さん、勝海舟を歌手の野口五郎さんが演じる舞台は、すでに竜馬の故郷・高知県など四国公演を終え、東京公演に臨む。
 演技、歌、踊りなどさまざまな基礎を積んできた高瀬さんは「演技ではなく、自然体の西郷隆盛をみてほしい」と話している。
 東京公演は二十三日まで。問い合わせは、龍馬東京オフィス(スガジャズダンススタジオ・東京オフィス内)=(電)03(5284)8440=へ。


静岡
名代官の生涯描く「評伝 江川太郎左衛門」
◆韮山塾開き佐久間象山や桂小五郎育成 
 幕末、現在の伊豆の国市に兵学校「韮山塾(江川塾)」を開き、佐久間象山、橋本左内、桂小五郎らを育てたとされる韮山代官・江川太郎左衛門英龍(ひで・たつ)(1801~55)の軌跡を描いた「評伝 江川太郎左衛門」(時事通信社)が出版された。英龍の一生を描いた本は初めてといい、作者の加来耕三氏は出版記念の講演で「英龍がいなかったら明治維新はもっと遅れ、違ったものになっていたのではないか」とその生き様を振り返った。
 江川家は幕末までの約300年間、世襲で代官を務め、伊豆、相模、武蔵、駿河など7万石余りを差配したと伝わる。代々の当主は太郎左衛門を名乗り、英龍は第36代に当たる。
 韮山塾では高島流砲術などを指南し、佐久間象山らのほか、江戸幕府の勘定奉行・川路聖謨(とし・あきら)、明治政府で陸相や参謀総長を務めた大山巌、日清戦争時の連合艦隊司令長官・伊東祐亨(すけ・ゆき)、首相や農相、枢密院議長などを歴任した黒田清隆ら約4千人を世に送り出したと伝わる。
 また、ペリーら外国船の侵入に備えた品川沖の台場や、伊豆の国市に残る反射炉の建設にも携わった。将兵の携帯食用にパン作りに取り組んだり、種痘を広めて「世直し大明神」と呼ばれたりするなど、様々な分野で活躍。塾は現在の県立韮山高校につながり、同校の「学祖」となっている。
 「評伝」はこうした事跡を当時の時代背景や事件、人々とのかかわりを通じて描き出し、英龍の成長と活躍、滅びゆく側の幕臣としての姿を描き出している。
 本は県東部地区を中心に書店に並びつつある。英龍の系譜を伝える韮山高の横山光男校長は「時代を切り開き、次代を見据えた人づくりをした坦庵(たん・なん)公(英龍)の軌跡があきらかになったのは本当に貴重。特に若者に読んでほしい」と話す。
 加来さんは「幕臣という立場だったため歴史上ほとんど登場しないが、地に足をつけ、時代の荒波を切り開いていった『幕末の巨人』に間違いない。多くの人がその姿に触れてくれれば」と話している。


◆加来耕三氏
 1958年、大阪市生まれ。奈良大学文学部卒業後、同大研究員を経て、「正しく評価されない人物・組織の復権」をテーマに歴史家・作家として活躍。雑誌「歴史研究」編集委員のほか、NHK「その時歴史が動いた」などテレビ・ラジオ番組の企画・構成・監修などにも携わる。主な著書に「将帥学 信長・秀吉・家康に学ぶ人を使う極意」「日本経営者列伝」「坂本龍馬事典〈虚構と真実〉」など。

 おぉ、坦庵先生の評伝ですか!この方の著作で本棚に残っているのは今ないんですが……(苦笑)、とりあえず、入手して読んでみます。

長野
幕末の養蚕技術書、欧州での役割解説
 上田市中央2の「ギャラリーUD」で14日、上田高校OBの元農業生物資源研究所昆虫科学研究領域長の竹田敏さん(60)が「幕末に海を渡ったわが国養蚕技術書」と題し、日本の養蚕技術書が19世紀のヨーロッパで果たした役割について講演。
 竹田さんは、養蚕の起源や蚕の飼育技術などを記した「養蚕秘録」がフランス語に翻訳された1840年代当時はあまり注目されなかったと解説。50年代から60年代にかけ、病気によってフランスの養蚕業が壊滅的な被害を受けてから、日本の技術が注目された-と話した。


大阪
大阪画壇の魅力を再評価 芦屋市立美術博物館
 近世から近代にかけて大阪で活躍した絵描きが、独特の画風で風俗や歴史を伝える「大阪画壇」の魅力を再評価しようという 動きが、“大阪の奥座敷”兵庫県芦屋市の市立美術博物館で進められている。
 同館では、2006年度から計4回、大阪画壇をテーマに企画展を展開。仕掛け人の明尾圭造学芸課長(47)は「きっちり評価されないままではいずれ大阪が困ることになる。この10年くらいが勝負」と危機感を強めている。

  ◇    ◇

 大阪における画壇の特徴は、近世では、煎茶(せんちゃ)や書画をたしなむ町人らの文人意識の中で発展。一方で、伝統形式にとらわれない戯画にも魅力がある。
 独特の土壌が築かれる中、近代では、実業家や料亭らの依頼で作品を描き、しつらいの一環として重宝されるなど、他人の評価よりも篤志家の支援で成り立ってきた一面も。京都や東京など、主要な派閥や官立の美術大系が品評会などで成果を競う世界とは違う形ではぐくまれてきた。
 買い手の要望に応じ、四季折々の地元の景色や風習を描いた作品も多く、明尾課長は「貴重な風俗資料の価値がある」と指摘。
 しかし、コンクールなどでの絶対的評価がない上、個人用で小ぶりの物も多く、絵画の世界では「迫力がない」「洗練されていない」などと批判され、史料価値としては時代考証の困難さから軽視されがちだという。
 「日本では正当な評価をされずに見過ごされてきた作品も多いが、ここ10年ほど欧米の美術館が注目している」と明尾課長。第三者の評価よりも絵の魅力で判断し、いわゆる「大家の作品」よりも安いため買収が進みやすいという。
  ◇    ◇
 なぜ芦屋市で大阪画壇なのか-。同市では、大阪にゆかりのある文化的資料が個人宅などで多く受け継がれているという。大阪で成功した実業家らが同市に移り住んだことなどが影響。床の間を飾る書画や、幕末・大坂のグルメガイド本として知られる全3冊の画帖(がじょう)「花の下影」などが見つかっている。
 こうした縁で、浪速の風俗画家・菅楯彦さんによる軽妙洒脱(しゃだつ)な作品の数々や、京都の四条派の流れをくんだ画人、大阪ならではの文人画など、有名無名の優れた作品を紹介。一方で、下手な役者が大根と一緒に煮られる「役者地獄」などを描いた耳鳥斎(にちょうさい)らの作品など、笑える戯画や、挿絵の世界なども多面的に紹介してきた。
 明尾課長は大阪画壇について「ただ美しさを競うだけではない総合芸術」と表現。集客につながりにくい面は認めつつも「本来、大阪の美術館で身のある展示会を年一度くらいは開くべき。10~20年丁寧に継続すれば資料も残るが作品が流出してしまってからでは遅い」と力を込める。「それが、高い素養を備えていた大阪の文化を啓発することにつながる」。
 同館では、12月13日まで企画展「うまいもんと大坂画壇」を実施。問い合わせは電話0797(38)5432、同館へ。



高知
武市瑞山:不条理さ切々と 獄中からの書状初公開--土佐山内家宝物資料館 /高知
◇獄中から仲間らへ
 土佐勤王党の盟主として知られる武市瑞山(半平太、1829~65)が、獄中から切腹間際に仲間らに送ったとみられる書状が見つかった。初公開資料として、土佐山内家宝物資料館(高知市鷹匠町2)で13日から始まった企画展「土佐藩維新の群像」で展示されている。来年1月25日まで。
 瑞山は土佐勤王党を結成し、一時は土佐藩を尊王攘夷路線へと導いた。しかし、15代藩主・山内豊信(隠居後に容堂、1827~72)の支持で藩政改革を進め、公武合体を唱える吉田東洋(1816~62)を暗殺するなどの罪に問われ、1865年の切腹まで2年近く獄中で生活した。
 書状は山内家から県に寄贈され、約20通の書状などを巻物にした「幕末志士遺墨」の中にあり、取り調べや罪状言い渡しの様子が記されている。病気で寝込んでいた瑞山がふとんを持って出廷する様子や、自らの主張を聞き入れてもらえない不条理さを「実にゝゝゝ絶言語申候」と、「実に」を4度も繰り返し表現。同館の藤田雅子学芸員は「瑞山の強い怒りと絶望がみて取れる」と話す。
 書状は1909年に瑞山を顕彰する「瑞山会」が刊行した「維新土佐勤王史」に一部が引用されているが、原本の所在は分かっていなかった。藤田学芸員は「後からの回想ではないため、内容の信用性が高く歴史研究には格好の素材。当時の尋問もイメージでき、貴重な資料だ」と位置付けている。
 約50点を並べた企画展では他に、土佐勤王党に属した平井収二郎(1835~63)の書状も初公開している。入館料は一般300円、高校生以下無料。問い合わせは同館(088・873・0406)へ。【服部陽】



長崎
海舟の子孫が龍馬をデザイン 「出島の珍駄酒」お目見え
 2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなみ、堀内商事(佐世保市光町、山下功三社長)は、勝海舟の子孫が坂本龍馬の勇姿をボトルに刻んだ「出島の珍駄酒(ちんだしゅ)」を商品化した。
 製造元の梅ケ枝酒造(同市城間町)で14日、発表会があり、「幕末の英雄ゆかりの“コラボ”を味わって」とアピールした。限定5千本で、全国の龍馬関連イベントで販売する予定。
 特製ボトルで発売するのは、鮮やかな赤色の佐世保産ブルーベリー焼酎。山下社長が「江戸時代、出島で飲まれていた赤い洋酒(当時の言葉で珍駄酒)を、龍馬も長崎で飲んでいたのでは」と想像し発案。幕末の写真家、上野彦馬の縁戚(えんせき)で、「海援隊龍馬倶楽部」会長の海保幸康さん(68)=東京都在住=に仲介を依頼し実現した。
 勝海舟のやしゃご(孫の孫)に当たるガラス工芸家の高山みな子さん(47)=神奈川県在住=が、彦馬撮影の龍馬を基にデザイン。坂本家9代目当主・坂本登さん(72)=東京都在住=の承認を得て、龍馬が家族にあてた手紙に残る自署も、砂をガラスに吹き付けるサンドブラストの技法で彫り込んだ。
 税込み2835円(720ミリリットル)。同じデザインが施されたグラスとのセット販売も予定。21~23日には、酒を長崎市伊良林2丁目の亀山社中資料展示場で販売。期間中は高山さんを招き、交流会をする。22日は坂本さんも参加する。問い合わせは堀内商事(電0956・48・6185)。


坂本龍馬之像を奉呈 長崎・若宮稲荷神社で亀山社中幕末祭
 坂本龍馬の業績をたたえる第21回亀山社中幕末祭が14日、長崎市伊良林2丁目の若宮稲荷(いなり)神社であり、龍馬生誕祭の神事や、同神社に移された「坂本龍馬之像」(青銅製、高さ106センチ)の奉呈式が執り行われた。
 11月15日が龍馬の生誕、死没の日であることにちなみ、市民グループ「亀山社中ば活かす会」(針屋武士会長)が毎年開催。龍馬之像は、伊良林3丁目の風頭公園に立つ龍馬像の原型で、彫刻家の山崎和國さんが製作。1991年から近くの日本初の商社「亀山社中」跡に据えられ、今年7月には同神社へ移設、除幕されていた。
 像の前であった神事は、活かす会のメンバーや神社関係者ら約20人が出席。玉ぐしをささげるなどして、龍馬の活躍をしのんだ。引き続き、社務所で龍馬之像の奉呈式があり、活かす会の針屋会長は「来年は(NHK大河ドラマの)龍馬伝も始まり、このかいわいはますますにぎわう。その次のステップも今のうちに考えたい」とあいさつ。奉呈の目録を受け取った同神社の松尾光弘宮司は「像を神社の宝としたい」とお礼を述べた。
 活かす会幹事の黒岩信元さん(72)は「私たちは龍馬を崇拝している。龍馬の在りし日に思いをはせたい」と語った。


熊本
21日に熊本市で国際シンポ 横井小楠生誕200年
 幕末に活躍した肥後藩出身の儒学者、横井小楠(1809-69)の生誕200年を記念した国際シンポジウムが21日午後1時から、熊本市桜町の崇城大市民ホールで開かれる。
 横井小楠は、肥後藩時代に私塾から多くの門弟を輩出し、幕府を支えた福井藩主の顧問として勝海舟や西郷隆盛にも思想的影響を与えたとされる。シンポでは、小楠の思想を分かりやすく朗読劇で解説し、猪飼隆明大阪大名誉教授が「小楠は世界をどのように見たか」と題し基調講演。海外の研究者を交えたパネル討論もある。
 参加費は一般千円、学生無料。“横井小楠生誕200年”記念事業実行委員会事務局=096(381)0283。


コラム
【次代への名言】竜馬がゆく編(1)
■「男は、わが思うおのれの美しさを守るために死をも厭(いと)わぬものぞ」(司馬遼太郎『竜馬がゆく』回天篇から)

 『竜馬がゆく』の何が読者をひきつけて放さないのか。一つには、主人公、坂本竜馬という人間の大きさだろう。
 「天がおれを、この地上の紛糾をおさめるために降した-と自分をそのように思いはじめている。おれがいなければ日本が潰(つぶ)れらァ」。ほらにしても痛快だが、彼はこの言葉通りの生涯を送る。
 にもかかわらず、「おれは日本を生まれかわらせたかっただけで、生まれかわった日本で栄達するつもりはない」という。無欲と無私も彼の魅力である。
 それから、死生観がある。
 「さすがは剣客だな。逃げることを知っている」とは潜伏中の長州藩の志士、桂小五郎を評したことばである。冷笑ではない。幕末という激動期のまっただ中にあっては生きのびることほど貴重なものはない、と竜馬は言っているのだ。
 しかし、冒頭のことばにあるように、彼は死を恐れはしない。もう一つ、旧暦ではあるが、竜馬が生まれ、そして斃(たお)れたきょうという日にふさわしい、こんな一節が『竜馬がゆく』にある。≪「志士とは」とも、竜馬はいった。「すでにその名が冠せられたときに、いのちは無きものとおもっている者のことだ」≫(文化部編集委員 関厚夫)


文化芸能
<幕の内外>ワルのイケメン『色悪』 近代的なキャラクター
ワルのイケメンほど、よくモテる?

 「色悪」は歌舞伎ならではのユニークな役柄。文字通り女性を翻弄(ほんろう)する二枚目で、自分の欲望のためには平然と悪事も行う。
 幕末の退廃的な世相のなか、完成された役柄で、鶴屋南北の作品にしばしば登場。普通の二枚目より複雑な性格で、近代的なキャラクターと言えます。
 白塗りのニヒルな容貌(ようぼう)で、「四谷怪談」の民谷伊右衛門や舞踊劇「かさね」の与右衛門が代表的。自分の妻や恋人を死に追いやる悪人ですが、実は彼らとて、必ずしも最初からそのつもりではないのが、興味深い。
 公金横領のため、妻お岩と離縁させられた浪人中の伊右衛門。未練タップリの彼は、お岩の父を殺し「敵を討ってやるから」とお岩をだまして復縁。そこまでしながら、生活が苦しくなると、彼にひと目ぼれした金持ちの娘にアッサリ乗りかえる。甘ったれた身勝手な性格と言えます。
 与右衛門の方も元は武士。ご法度の社内恋愛の末、身ごもった腰元の恋人と、いったんは心中を決意。実は彼は、恋人の母親とも密通し、その夫を殺したという過去がある。その因果で、恋人の顔が醜く変わったのを見た与右衛門は約束をひるがえし、罪のない彼女まで殺してしまいます。
 両者とも、その場の状況にズルズルと流されやすい性格ゆえに、悪事に手を染めやすい、という見方もできる。罪を犯さなくても、こういう人間は、今も昔もいるのでしょう。
 こんな男の犠牲になる女性は、きまじめな性格のお岩だったり、一途(いちず)でウブな気性の腰元だったりするのも、なにやら現代的です。 (イラストレーター・辻和子)

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