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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 講談社現代新書で『池田屋事件の研究』中村武生が出版されてたのに気づいて買いました。通常の新書の倍の厚さで読み応え十分です。古高俊太郎とは何者なのか、というところから検討していて面白いです。

千葉
多彩な人脈 伊能忠敬の素顔に迫る企画展 千葉・佐原
 江戸時代に日本初の実測地図を作った伊能忠敬を支えた人物やその子孫にスポットを当てた企画展「忠敬の協力者たち-〈江戸〉のクロスポイント」が、香取市佐原の伊能忠敬記念館で開かれている。貴重な書簡など国宝級の資料を展示。戊辰戦争、オランダ、造り酒屋…とさまざまなキーワードで彩られた幅広い人脈をたどり、忠敬の素顔に迫っている。

 企画展は、忠敬の関係資料2345点が昨年6月に国宝指定された記念として開催。テーマを設けて展示替えし、第4回を迎える今回は忠敬と親交の深かった人物を中心に取り上げた。

 書状や日記など、国宝や国宝級の資料を展示している。登場人物は、戊辰戦争で旧幕府艦隊を率いた榎本武揚の父でもある弟子の箱田良助、忠敬の全国測量を支援した幕府若年寄の堀田正敦、測量器具を作製した大野弥三郎、「世直し江川大明神」といわれた伊豆韮山代官、江川英龍の父で忠敬から天文学を学んだ英毅、と地域も地位も多彩だ。

 のちに大野弥三郎の子の規周と榎本武揚が同じ船に乗ってオランダ留学に赴くといった、子孫同士に交流があったことも分かる。

 また、忠敬は造り酒屋の主人だったが酒を口にせず、酒飲みの弟子は破門にするなど厳しかったという。一方で、孫に対しては目に入れても痛くないほどかわいがっていたというエピソードもあり、忠敬の知られざる一面が見られる。

 これらの資料から、同館学芸員の酒井一輔さん(25)は「忠敬の人間味あふれる意外な素顔を知ることができる」と話す。企画展は来年1月22日まで。月曜休館。

 伊能忠敬といえば、志の輔らくご『大河への道』でますます興味を持つようになりました。
 江川英毅が伊能忠敬から天文学を学んだというところに興味が……。

佐賀
北海道開拓の父 佐賀偉人伝「島義勇」発刊
 幕末20+ 件・明治期に活躍した佐賀県の人物に脚光を当てる佐賀偉人伝の第5弾「島義勇」が10日、発刊される。明治初期に開拓判官として北海道に入り、今も“北海道開拓の父”と呼ばれる足跡を書や絵図などを盛り込んで検証する。電子書籍も同時に発売。17日午後1時半からは、著者で札幌市文化資料室の榎本洋介さんによる講演会を開く。
 
 島は「佐賀の七賢人」の一人で、1822年、佐賀城下精(しらげ)小路(佐賀市与賀町)に生まれた。幕末20+ 件、佐賀藩主鍋島直正の命で蝦夷(えぞ)地を調査し、報告書『入北記』をまとめた。維新後の69年、直正は北海道開拓使の初代長官、島は次官に当たる首席判官に就き、未開の大地で開拓者精神を発揮。札幌市庁舎ロビーに銅像が建つなど、札幌の礎を築いた先覚者として今もしのばれている。
 
 榎本さんは「頑固さとしなやかさを併せ持つ人物」と評価。当時、未開の札幌を中心に都市を建設するなど、先見性と卓越した実行力に対して「西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の維新の三傑と比べても何ら遜色ない」とたたえている。
 
 A5判、112ページ。千円。電子版はパソコンのほかiPad、iPhone、アンドロイドに対応する。著者講演会は佐賀城本丸歴史館で。問い合わせは同館、電話0952(41)7550。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)(141)】黒田清隆(下)■開拓長官の志と私心の間 (東大教授・山内昌之)
 黒田清隆は、明治3(1870)年から7年まで開拓次官、7年から15年まで開拓長官を務めた。五稜郭戦争で榎本武揚を助命して武人の亀鑑とたたえられて以来、10年以上にわたり北海道の開拓行政にあたったことは他の政治家に類を見ない。

 ところで、黒田を開拓使長官と呼ぶ向きもあるが、正しくは開拓長官というのである。開拓使の「使」とは、按察使(あぜち)や巡察使といった律令制官職に由来する名称であり、省と同格の中央官庁として、北海道開拓を統一国家の最重要任務とする気概の表れであった。

 大蔵省大臣でなく大蔵大臣と呼ぶように、開拓使長官という官職は存在しないのである。

 黒田と開拓使との深い縁は、樺太よりも北海道の拓殖と国防を重視すべきという建議を出すことで、明治4年8月に10年間1千万円の大規模予算を策定して以来のことだ。これが開拓使10年計画にほかならない。もっとも長官になった黒田は、いわゆる遥任(ようにん)によって札幌には赴かず、東京で執務した。

多数のアメリカ人を招聘

 北海道開拓に尽くした黒田の最大業績は、多数のアメリカ人をお雇い外国人として招聘(しょうへい)し、気候風土のよく似た北米をモデルに北海道で日本近代化の礎を造ったことであろう。

 明治4年に渡米した黒田は、グラント大統領と談判して農務長官ホーレス・ケプロンを開拓顧問に招いた。彼と一緒に来日した技師やその薫陶を受けた専門家には、地質・鉱山学のライマンや酪農家のエドウィン・ダン、鉄道敷設のクロフォードなど、私の小学校時代なら北海道の子供が名を学んだ懐かしい顔ぶれが多い。

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 ケプロンの提言によって創られた札幌農学校の初代教頭として農学、数学、化学を教えた人物がウィリアム・クラークだったことは語るまでもない。ケプロンの指導によって創られた開拓使麦酒醸造所が今日のサッポロビールの濫觴(らんしょう)だったように、78人のお雇い外国人(うちアメリカ人48人)は黒田の期待を裏切らなかった。技術指導だけでなく、勤勉さや人格の面でも日本人の若者たちに大きな影響を与えた人物も多い。

 ともかく黒田は開拓長官として、潤沢な予算を惜しげもなく39ほどの各種官営工場の設立と経営につぎこみ、幌内炭山の開発と石炭輸送のために幌内と手宮(小樽)との間に鉄道を敷設したのだ。

 北方警備と開拓とを兼任させる屯田兵制の開始(明治7年)も黒田の献策に負う点が少なくない。札幌農学校や札幌などの農事試験場も、開拓技術者の養成と洋式農法の導入に大きく貢献した。ビール以外にも、製糖や製麻などの農産加工や各種の製造業や鉱山業などの官営事業を営んだのも黒田の功績である。

民営化で大きく傷つく盛名

 しかし、好事魔多しとはよくいったものだ。黒田の盛名はこの官営事業の民営化で大きく傷つくことになる。

 10年計画の満期が近くなった明治14年に開拓使の廃止方針が固まると、黒田は開拓使事業を継承させるために、部下の官吏を退職させ起業させることを考えついた。問題は、事業には私利で動かない役人出身者を充てるべきだという議論の当否もさることながら、事業が赤字だったことを理由に常識外の安値で部下らに払い下げようとした点にある。

 その対象は麦酒、砂糖などの工場、炭鉱などの鉱山業、農園、船舶、倉庫など広範にわたっている。1400万円の巨費を投じた国家財産をわずか38万円(無利息30年賦)で払い下げるというのだから、強い反対が出ないはずがない。

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 開拓使の大書記官だった安田定則らの北海社が事業経営に当たるとされたが、実際には資金不足のために関西貿易商会(経営者は黒田と同じ薩摩出身の政商、五代友厚)が払い下げを受けるというのは、何にしても醜聞もどきには違いなかった。

 反対する側の動機も、やや腐臭が漂うものだ。三菱の岩崎弥太郎(土佐)と参議大隈重信(肥前)が手を組んで薩摩閥の横暴を許すまじというのだから、明治新政府内外の藩閥の利益配分に絡んでいたのかもしれない。薩摩人でも、村橋久成のような開拓使の若き傑物が辞表をたたきつけて行方不明になる悲劇もこの時に起きたのである。

 黒田の強引さは、明治天皇の勅許まで得て払い下げを決定したことだ。しかし、長州閥の参議伊藤博文としては、共闘する薩摩閥の泰斗(たいと)黒田を失うわけにはいかない。そこで仕掛けたのが明治14年の政変であり、大隈は政府から追放され、世論を抑えるために国会開設の詔勅を出し、払い下げも中止したのである。

 ただし黒田も開拓長官を辞めて北海道の事業から手を引かざるをえなかった。明治維新以降、手塩にかけて育てた北海道開拓の志を捨てざるをえなかったのは、まさに九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)くというものであった。これが政治の怖いところである。

 しかし、北海道への黒田のこだわりと同じほどの思いを、いまの沖縄にもつ民主党リーダーを寡聞にして知らない。せめて10年の単位で沖縄の振興や基地問題に取り組んできた民主党幹部がいたなら、自民党の物故した首相たちや引退した幹事長らに匹敵する信頼を県民から得られたはずである。

 私が子供の時分に受けた教育では、黒田を悪くいう小中学校教師は記憶にない。もちろん払い下げ事件も郷土史の一こまとして習った。マクロの評価を忘れず大局観をもつ先生たちの教えが今更ながらに懐かしく思い出される。(やまうち まさゆき)


エンターテインメント
キャラをデザインする“アキバスタイル”なネイルサロン登場 名シーンが爪でよみがえる!?
 アニメやゲームのキャラをモチーフにした“アキバスタイル”なネイルアートを提供するお店が登場。第1弾として恋愛ゲーム「薄桜鬼 ~新選組奇譚~」とコラボする。
 アニメやゲームのキャラクターネイルを施術する“アキバスタイル”なネイルサロン「あゆみーの」が12月15日、東京・秋葉原にオープンする。あのキャラクターのモチーフ、名シーンがあなたのネイルによみがえる!

 キャラクターをモチーフにしたネイルアートを楽しめる。正式にライセンス許諾を受けたキャラクターを採用しており、第1弾として恋愛ゲーム「薄桜鬼 ~新選組奇譚~」とコラボ。例えば「沖田総司ネイル」は緑の着物をモチーフにスワロフスキーなどをあしらっており、価格は10本で1万3250円。

 場所は東京都千代田区神田佐久間町2-11 小林ビル1F。営業時間は午前11時~午後10時(最終受け付けは午後8時まで)。今後もほかのキャラクターがネイルアートとして続々と登場する予定になっている。

 ネイルサロンのサイトはこちら。ただいま沖田総司ネイルと斎藤一ネイルの写真画像紹介中です。

「Over Drive」安田剛士の新連載は沖田総司の青春記
 本日12月6日に発売された月刊少年マガジン2012年1月号(講談社)にて、「Over Drive」で知られる安田剛士の新連載「黒猫DANCE」がスタートした。

「黒猫DANCE」は沖田総司の青春記を描く剣客時代劇。少年の沖田惣次郎は、自分に「近藤さんも死んだ。新撰組20+ 件は壊滅だ」と語りかける男の夢を見る。そんな沖田が、夢で見た男に出会ったことから物語は展開。天性の俊敏さと剣の才能を発揮する沖田の活躍が描かれる。
(以下略)

 新選組ものはなかなか完結しない作品が多いので(汗)最後まで読めますように期待しております。





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