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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 ここ数日ものすごく寒かったのが、雨上がって陽がさしてちょっと暖かくなった土曜日の午後。

福島
新島八重の資料並ぶ 會津稽古堂
会津若松市の会津図書館所蔵資料展は2、3の両日、市生涯学習総合センター「會津稽古堂」で開かれている。
会津藩士の娘で同志社大の創始者・新島襄の妻となった新島八重に関する資料などが並んでいる。
新島八重は平成25年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公に決定しており、その生涯に注目が集まっている。
会場には昭和3年に撮影した晩年の八重の写真、直筆の和歌や手紙などが並ぶ。
八重の名前が記された明治4年の旧北会津郡役所「各府県出稼戸籍簿」などもある。
八重が戊辰戦争で男装して鶴ケ城に籠城し、西軍と戦ったことや会津若松市にある八重ゆかりの場所なども写真やパネルで紹介している。
来場者は貴重な資料にじっくりと見入り、“幕末のジャンヌダルク”と呼ばれた八重に思いをはせていた。
入場無料。
時間は午前9時から午後5時まで。


東京
幕末の名医、尾台榕堂の記念碑建立
 幕末の江戸で名医として知られた尾台榕堂(1799~1870年)のブロンズ像記念碑が、旧居跡の東京・JR東京駅八重洲中央口近くにお目見えした。

 榕堂は現在の新潟県十日町市に生まれ、江戸で医学などを学んだ。故郷に帰って開業したが、10年後に江戸へ戻り、師の家を継ぐ。著書も多く、日本における漢方医学の基盤を築いた一人とされる。記念碑は、古地図にも記載されている榕堂の居宅に近い「柳通り」沿いにある。台座を含め高さ約1・5メートル。没後140年記念事業の実行委員会が建立した。

FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館 企画展
『幕末・明治の記録 - 日本を紹介した「横浜写真」アルバムより - 』展開催のお知らせ

FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)は、写真歴史博物館にて、『幕末・明治の記録 - 日本を紹介した「横浜写真」アルバムより - 』展を、2011年12月1日(木)から2012年2月29日(水)まで開催いたします。

「横浜写真」アルバムとは、幕末から明治にかけて、日本各地の風景、当時の人々の様子や生活を撮影し、絵師が彩色を施した写真を、蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)を施した漆塗りの木製表紙のアルバムとして商品にしたものです。撮影は来日した外国人写真家や写真術を学んだ日本人写真師が実施し、外国人旅行者や居留地外国人の土産物として販売されていました。外国人向けの商業写真文化が開港都市となった横浜で花ひらいたことから、地名をとって「横浜写真」と呼ばれています。

「横浜写真」は四切サイズ程度のプリントで、多くは鶏卵紙印画によるものです。この写真を50~100枚まとめたものが「横浜写真」アルバムで、その豪華な作りから、西洋の写真文化と日本の伝統工芸が融合した和洋折衷の美術工芸品と呼べます。本展では、「横浜写真」アルバムより、86点を展示します。約150年ほど前の日本の風景、建物、生活、人物をお楽しみください。

※展示作品はオリジナルを忠実に再現した高画質の銀塩写真プリントです。


FUJIFILM SQUARE 写真歴史博物館 企画展『幕末・明治の記録 - 日本を紹介した「横浜写真」アルバムより - 』展の詳細は富士フイルムのウェブサイトをご覧ください。
  ⇒ http://www.fujifilm.co.jp/corporate/news/articleffnr_0583.html?link=n2u


<FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)>
写真を中心とする富士フイルムのフォトギャラリー&ショップ。入館無料で、どなたでもお気軽にご覧いただけます。
クオリティの高いさまざまなジャンルの写真を展示する富士フイルムフォトサロン、写真とカメラの歴史を学べる写真歴史博物館のほか、最新の富士フイルム製品をご体験いただけるコーナーや、テレビCMでおなじみの「ASTALIFT(アスタリフト)」をはじめとするスキンケア・サプリメント商品の販売を行うショップもあり、幅広い層の方にお楽しみいただける施設です。皆さまお誘いあわせの上、ぜひご来場ください。

  FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)
   ⇒ http://fujifilmsquare.jp/index.html?link=n2u


京都
幕末の京、描いた銅版画 宇治で30日から企画展
 京都府宇治市宇治の源氏物語ミュージアムで30日から、企画展「銅版画に見る京名所」が始まる。幕末の京の名所を精巧に描写し、目新しい土産物として注目を集めた銅版画やパネルが並ぶ。

 銅版画は、江戸時代後期にオランダから伝来し、土産物として普及した。縦7~8センチ横14~15センチの絵はがきほどの大きさで、精巧な描写が人気を集めた。企画展では、個人が収集した銅版画を一冊にまとめた市歴史資料館所蔵の資料7点と、拡大パネル40点が展示される。

 描かれているのは、平等院から嵐山、鞍馬、比叡山まで京都一円が描かれた「皇都名勝全覧図」のほか、平等院や清水寺、下鴨神社などの観光名所。また、源氏物語にちなんだ宇治十帖の古跡も展示される。

 来年2月19日まで。入館有料。月曜休館。問い合わせは同ミュージアムTEL0774(39)9300。


岡山
幕末女医の半生紹介 洋学資料館で光後玉江展
 幕末20+ 件から明治にかけて、現在の美咲町を中心に活躍した女医・光後玉江(1830〜1905年)の半生を紹介する企画展が、津山市西新町の津山洋学資料館で開かれている。来年4月15日まで。

 光後が診療を行っていた興禅寺(同町錦織)に伝わる史料約30点を展示。津山藩医・箕作阮甫が光後の医業に影響を与えていたことをうかがわせる手紙や本、愛用の医療器具などに来場者が見入っている。

 中でも1880〜1902年に患者に処方した薬を記録した「処剤録」(19冊)には、漢方薬のほか、サフラン、キニーネなど当時海外から輸入されていた薬も使われており、光後が治療に西洋医学を積極的に使っていたことが分かる。


山口
愛用のシルクハットも 山口・周南で児玉源太郎展
 日露戦争でロシア陸軍を破った名参謀、児玉源太郎の生涯を紹介する「児玉源太郎と近代国家への歩み展」が2日、出身地である山口県周南市の市美術博物館で開幕した。

 児玉源太郎は幕末長州藩の支藩、徳山藩の中級藩士の家に生まれ、戊辰戦争に従軍、陸軍軍人として西南戦争では熊本城を守る鎮台参謀副長として西郷軍の進撃を阻んだ。

 その後日本陸軍の兵制改革を行い、また台湾総督、内相などを歴任して明治政府の基礎を作った。日露戦争での活躍は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で紹介され、広く知られている。

 同展では、児玉ゆかりの資料や幕末明治の世相事件を描いた錦絵、同時代に活躍した政治家、軍人の資料など約140点が展示されている。

 中でも、児玉が使っていた兵学書「仏国歩兵陣中要務実地演習軌典」には、赤ペンの書き込みが多くみられ、勤勉な姿勢がうかがえる。また、愛用のシルクハットの箱には「G・KODAMA」の文字が確認できる。

 児玉は、地元徳山(現周南市)に私財を投じて図書館「児玉文庫」を開設するなど、教育文化育成にも力を注いだ。

 同展は1月15日まで。入場料一般700円、大学生500円(18歳以下、70歳以上、身体障害者は無料)。月曜と12月29日~1月3日は休館(1月9日は開館、翌日休館)。問い合わせは市美術博物館((電)0834・22・8880)。

佐賀
幕末佐賀の海軍所跡、ドッグ奥行き45メートル超
 佐賀市教委は1日、世界遺産への登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」の一つである幕末期の三重津海軍所跡(佐賀市川副町・諸富町)の発掘調査で、船を修理する「ドック」の奥行きが、少なくとも45メートル以上あることが判明したと発表した。10日に現地説明会を開く。

 市教委によると、これまでの調査で、遺構などからドックの奥行きは、早津江川から内陸に約30メートル以上に及ぶことは確認されていた。今回の調査で、遺構などからさらに長いことが分かったという。佐賀藩がオランダから購入した蒸気船の軍艦「電流丸」の全長が45・5メートルだったことから、市教委は「電流丸の修復で使用されたドックとみてほぼ間違いない」としている。ドックは、1861年(文久元年)頃に完成し、船底の銅板の張り替えなどの修理が行われたとされる。

 発掘場所は佐野記念公園内で、10日の現地説明会は午前9時半、同10時半、同11時半の計3回。問い合わせは、市教委文化振興課世界遺産調査室(0952・40・7368)へ。


熊本
幕末・明治の県出身偉人紹介
 幕末から明治時代にかけて活躍した熊本出身の人物を紹介する特別展「熊本城下の青春 幕末・明治編」が、熊本市の熊本近代文学館で開かれている。5日まで。

 九州新幹線鹿児島ルートの全線開業を記念し、熊本の魅力を知ってもらおうと企画した。

 幕末の池田屋事件(1864年)で命を落とした肥後勤王党の宮部鼎蔵(ていぞう)の旅日記、明治憲法、教育勅語などを起草した政治家井上毅(こわし)の書簡、井上の義父でこれまであまり知られていなかった儒学者木下■村(いそん)の遺稿など263点を展示している。

 井上智重館長は「興味深そうに長時間見学する人が多い。熊本が輩出した人物や人脈のすごさが伝わるはず」と話している。入場無料。




エンターテインメント
 あ、実写版の写真きた。
るろうに剣心 : 実写版ビジュアル公開 主演の佐藤健「原作ファン見て」と自信
 俳優の佐藤健さん主演で実写映画化される「るろうに剣心」(大友啓史監督)が、11月21日にクランクアップを迎え、佐藤さん扮(ふん)する主人公・緋村剣心(ひむら・けんしん)のビジュアルが公開された。佐藤さんは「ケガなく無事に撮影を終えることができてホッとしたのと、解放感で思わず『終わったー!』って叫んじゃいました。たくさんの方に見ていただきたいですが、特に原作ファンに見ていただきたいです」とコメントしている。

 8月にクランクインした同映画は、京都府、滋賀県、鳥取県、岡山県、兵庫県、大阪府の2府4県で約4カ月という長期の撮影を行い、各地で延べ1200人のエキストラが参加する大掛かりなものとなった。製作総指揮のウィリアム・アイアトンさんは、世界マーケットへのデビュー、そして海外配給に向け準備を始めているといい、「我々は剣心が世界中の観客に愛されると信じています」と同映画へ期待を寄せている。

 「るろうに剣心」は、94~99年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載され、コミックスは全28巻で累計5000万部以上を発行した大ヒットマンガ。幕末に「人斬り抜刀斎」として恐れられた緋村剣心が、明治維新後「不殺(ころさず)」を誓った流浪人(るろうに)として、さまざまな人たちとの出会いや、宿敵との戦いをへて、新たな時代の生き方を模索していくという物語で、映画では主人公の剣心を佐藤さん、ヒロイン・神谷薫を女優の武井咲さん、剣心を慕う美人女医の高荷恵を女優の蒼井優さん、旧幕府軍・新撰組三番隊組長の斉藤一を俳優の江口洋介さんがそれぞれ演じる。

 映画は来春完成予定。17、18日に千葉県の幕張メッセで開催される「ジャンプフェスタ2012」の会場では、数量限定のジャンプ限定ビジュアル劇場前売り券が発売される。製作はワーナー・ブラザース映画で、12年8月25日全国公開予定。(毎日新聞デジタル)


GREE「幕末志士の恋愛事情」小説第二弾、ドラマCD発売日が決定!発売記念キャンペーン開催
 タイトーは、「GREE」にて配信中のフィーチャーフォンおよびiPhone/Android端末向けソーシャルゲーム「幕末志士の恋愛事情 for GREE」において、ノベライズならびにドラマCDの発売を記念した記念シナリオ配信キャンペーンを実施する。

「幕末志士の恋愛事情」は、幕末に活躍した維新志士たちとの、ピュアで熱い恋愛を楽しむことができる恋愛シュミレーションゲーム。2009年よりキャリア公式サービス向けに登場して以来、2010年8月にはソーシャルゲームとして「GREE」向けに、さらに2011年には小説第一弾が文芸社より発売されている。

 土方歳三がデコだったり、坂本龍馬が純情そうだったり、何かアレ?と思うキャラ絵だと思うのは新選組贔屓だからかなぁ。
コラム
特別記者・千野境子 会津を歩き「災後」を思う

◆避難に戊辰戦争を想起

 今年、地震と津波、原発に風評被害の福島から被災者たちが避難を余儀なくされたとき、連想されたのは維新・戊辰戦争だった。

 敗れた会津藩は解体離散し、遠く太平洋を越え米カリフォルニア州へ農業移住した若松コロニーのその後について、かつて本紙連載「日本人の足跡」で取り上げたことがあったからである。

 戊辰戦争の二の舞いはあってはならないし、歴史は繰り返すわけでもない。会津は東日本大震災で今度は避難の受け入れ側となり、会津若松市には福島第1原発のある大熊町が町ごと移った。浜通りの温暖な町から雪深い会津若松へ。町は原発財源の豊かさゆえ時に羨望の対象でもあった。

 そんな異なる自治体の共生や協働を、未曽有の大震災は半ば強制的に津々浦々に現出させた。会津若松と大熊町は一例にすぎない。そしてこうした緊急避難から、本物の共生や協働が新たに生まれ、社会に定着していくのか否か、答えはまだ見えない。

 ◆風評という妖怪の跋扈

 冬の気配の濃くなった11月半ば、会津若松と近郊を歩いた。鶴ケ城や東山温泉、猪苗代、裏磐梯…東北有数の観光地というのに、賑(にぎ)わいは戻っていない。

 修学旅行も外国人観光も軒並みキャンセル。案内役の塾経営、大谷春之さんは県外ナンバーの車を見かけるたびに「うれしいですね」と喜ぶ。けれど裏磐梯では車自体がまれなのだった。

 長年、冬場はスキー指導員をしてきた大谷さんにスキー学校から早々と断りの詫(わ)び状が届いた。W杯会場にもなった猪苗代の有名スキー場もまだ予約が数件。開業以来の惨状だ。地元客ばかりが目立つホテルは寂しく寒々しい。

 厄介な原発さえ遅々とはいえ工程表をクリアしつつあるのに、風評は収まるどころか妖怪のように跋扈(ばっこ)し、被災者たちを苦しめる。支援に福島産野菜を購入し(放射能汚染が怖いと)食べずに捨てるという信じがたい話まである。

 確かに低線量の人体への影響は専門家の間でも見解は分かれる。しかし産地だけで忌避するのは理不尽だ。放射線への過剰な警戒心が風評を倍加させている現実。しかも支援というオブラートに包まれて。二重に残酷だと思う。

 世界が3・11で日本人に感動したのは、痛みを共に分かち合う姿だったはずなのに、である。

 災害では公助より共助、それにもまして自助が大切と言われてきた。自助なしに復興はない。しかし東北とくに福島の風評被害が自助の域を超えるいま、共助と公助こそ出番だ。瓦礫(がれき)受け入れにつづき、再来年の冬季国体で一部競技を福島県開催にするという東京都を他府県も見習いたいものだ。

 ◆故郷は根っこ、必ず戻る

 重い空気を少し払ってくれたのは仮設住宅で会った大熊町のSさん(86)だ。農業の傍ら福島第1原発の建設にも従事した。

 「(原発に)恩恵を受け、良い思いもした。それが今になって悪口ばかり言っては罰が当たる。でも(原発が)始末ならないものだということもよく分かった」

 人生の一部にも等しかった原発への揺れる気持ちが伝わる。今後について尋ねると、迷いのない口調でこう言った。

 「先が見えないから若い者は第二の生活を求めて去っていくが、故郷は根っこ、厳しくても現実と向き合わねばダメだ。除染し戻りたい。送電線は無事だから今度は再生エネルギーで(社会に)もう一度貢献するのがいいと思う。自分だけでなく、ここ(仮設住宅)にいる多くの者の気持ちだ」

 Sさんの思いに国や県、町は応えられるだろうか。全域警戒区域の大熊町の町長選(11月20日)で「町への帰還」を訴えた現職町長が勝利したのは、多くのSさんがいるからに違いない。

 市立東山小学校に若松コロニー移住の地、カリフォルニア州エルドラド郡の小学校から、義援金や見舞いの手紙、絵画が届いていたのも心和むニュースだった。

 かの地で早世したコロニーの女性、おけいが取り持つ縁で、両校は交流をつづけている。

 学校の計らいで6年生の授業で話をする機会を頂いた。話題は2つ。若松コロニーと88年前の関東大震災について。当時の東京市が編纂(へんさん)した小学校高等科生徒たちの震災記念文集を紹介した。

 復興に一丸となった時代の熱気を映し、文集は大人顔負けの内容で現在の小学生には難しいとは思ったが、彼らにも東日本大震災のことを書いてほしいと思ったからだ。幼くても子供でしか書けない経験や感情を文章に残すことは、本人たちはもとより後世にもきっと貴重な記録となるはずだ。

 皆、一日先生の宿題を忘れないでくれたらうれしいのだが。(ちの けいこ)


【幕末から学ぶ現在(いま)】
(140)東大教授・山内昌之 黒田清隆(上)

毀誉褒貶相半ばする先駆者

 人に毀誉褒貶(きよほうへん)はつきものである。政治家ともなれば、なおのこと敵方から放たれる悪意の矢は、時に心臓を貫くほどに鋭いものがある。

 民主党内から輿望(よぼう)を担って登場した感のある野田佳彦首相でさえ、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)や消費増税の問題をめぐって党の内外から十字砲火を浴びている。

 福沢諭吉の批判を勝海舟がさらりとかわした言葉は、野田氏のような現代の政治家でも心に染み入るのではないか。「行蔵(こうぞう)は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与(あず)からず我に関せずと存候(ぞんじそうろう)」

 そもそも政治家には他人の評価や批判などは気にしない図太さが必要である。野田氏は気配りとともに胆力も十分あるように見受けられるが、大阪市長に当選した橋下徹氏のように大胆な中央突破力もこれからは必要になるだろう。

 市長選挙直前にマスコミから放たれた虚実取り混ぜた“紙のつぶて”はひどかった。それをはねかえした橋下氏のタフさと決心のほどは、政治主張の当不当はともかく、危機と試練の時代に政治家に求められる資質なのかもしれない。この意味でも、今後の橋下氏はますます毀誉褒貶相半ばする政治家として際立つ存在になるだろう。

 他方、幕末維新の政治家に目を転じれば、黒田清隆ほど歴史の評価が分かれる人物も少ない。

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 まず黒田は、伊藤博文の後を受けて第2代の内閣総理大臣となり、大日本帝国憲法の発布当時の内閣首班という輝かしいキャリアをもっている。その割には帝国憲法の制定にあまり関与していなかったらしい。

 そのうえ、憲法公布の翌日に鹿鳴館でおこなった超然主義演説は彼の評判を悪いものとした。超然主義とは、明治政府が議会や政党の意思に制約されずに、独自の政治姿勢を超然と貫くべきだという黒田の主張に言葉の由来がある。黒田は、戦後歴史学のなかであまり評判のよいほうではないのだ。

 しかも、北海道開拓使官有物払い下げ事件に象徴されるように、同郷薩摩人の五代友厚に商益の便宜をはかったという芳しくない風評も根強かった。薩摩の芋づると呼ばれた郷党贔屓(ひいき)が盛んだったことも、彼の人気を低いものとしたのだ。

悪評…妻斬殺の噂まで

 しかも伝説的な醜聞が彼の悪評に輪をかけた。それは、明治11(1878)年3月に妻の清(せい)が死んだとき、酒乱の癖があった黒田が泥酔して妻を殺したという噂がまことしやかに流れたことだ。

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 何にしても、現役の首相が妻を斬殺したとあれば、外聞も悪いだけでない。とくに外国との不平等条約改正交渉を進めていた内閣の最高責任者が、酒をしたたかに飲んでれっきとした犯罪に手を染めたというのは、とても文明国とはいえない。日本で領事裁判権を廃棄するなど時期尚早という印象を欧米各国の政府外交官の間に広めたにちがいない。

 ともかく、同じ薩摩閥の大警視川路利良(としよし)は噂を受けて清の墓を開け、その死因は病死に相違ないと内外に声明を発したほどだというから、封建の時代にも稀(まれ)なスキャンダルといってもよい。

 この事件の少し前に、開拓使の長官当時に商船へ乗ったときにも大失態を演じてしまった。それは、酒に酔った座興で船の大砲を使ってなぐさみに岩礁に狙いを定めながら、誤射で住民を殺害したことだ。これはもはや薩摩人らしい豪放さやチャリ(冗談)ですむ話ではない。

豊かな総合力と大局観

 示談金によって内済ですませたとはいえ、酒を飲めば人格も変わる黒田の性癖に、人びとは不安を感じたにちがいない。それでも、西郷隆盛や大久保利通が不慮の死を迎えた後、薩摩人が政治力や包容力で頼れる人物は少なかった。いきおい黒田は、長州閥の伊藤博文の後を受けて首相に押し出される。

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 しかし、薩英戦争に参加し薩長同盟の実務上の交渉者として、大坂で西郷隆盛と桂小五郎の会見を実現させるなど、周旋の才と豪胆さを見せた黒田了介なのである。明治の政治家になっても酒乱の徒だけであるなら、首相の座に上りつめるはずもなかった。

 幕末から明治新政府にかけての彼の事績を眺めるなら、政治のリーダーに要求される豊かな総合力と大局観に恵まれていたこともすぐ分かるだろう。黒田は北海道開拓の歴史に名を残す政治家であり、北垣国道や田辺朔郎らとともに北海道の原野を切り開いた功労者のパイオニアでもあった。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】黒田清隆

 くろだ・きよたか 天保11(1840)年、薩摩(鹿児島)藩士の家に生まれる。通称は了介。西郷隆盛の下で薩長同盟の成立に尽力。維新後、明治7(1874)年に参議兼開拓長官となったが、14年の開拓使官有物払い下げ事件で世論の攻撃を受けた。21年、第2代首相に就任。しかし、条約改正交渉に失敗し、翌年、辞任した。28年、枢密院議長。33年、死去。











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