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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 たまったポイントカードを買い物券に換えて半藤一利『幕末史』を買うつもりが、店頭になかったのでついついビジネス書を2冊買ってしまいました……『幕末史』は、また少しポイントを貯めてから買うことにします、とほほ(苦笑)。 

東京
大田ゆかりの志士ら紹介
タウン誌編集長が1冊に
 大田、品川の話題を扱うタウン誌の制作会社が、坂本龍馬や西郷隆盛、加藤清正ら、この地域にゆかりの深い幕末の志士と戦国武将を紹介する「戦国と幕末」を発行した。
 執筆したのは、タウン誌編集長の西村敏康さん(61)。大田区の池上本門寺に、加藤清正ら歴史上の人物の供養塔などが数多く残されていることから、歴史に関心を持ち、2年ほど前から取材結果をタウン誌上で20回近く特集してきた。
 「戦国と幕末」は、それをベースに最近のトピックスも盛り込んで仕上げた作品。坂本龍馬が品川にあった土佐藩下屋敷近くで黒船来航時に警備にあたったとされるエピソードや、大田区にある洗足池の風景を愛したという勝海舟が池付近に別荘を構えた逸話などを紹介し、大政奉還から明治維新への流れを作った立役者の1人、薩摩藩家老・小松帯刀については、大田区に住む子孫へのインタビューも掲載した。
 西村さんは「歴史を動かした人物で大田、品川に縁がある人がたくさんいることを知ってもらえれば」と話している。
 112ページで、980円(税込み)。大田、品川区内の書店などで販売中。

(2009年12月13日 読売新聞)

 地元なので今日書店で見かけ、手元に取って買おうかどうしようか迷いました。うーん、戦国と幕末に限定せずにもう少し地元ゆかりの歴史上の人物や史跡を取り上げたらよかったのに……というか、いわゆる歴史ブームが戦国や幕末に限定されていることを意識したつくりというのが、ちょっと不満です。
 そして、品川区の幕末ゆかりの地といえば品川沖のお台場! 行政区としては港区とか江東区だけど、品川の歴史に「お台場」は欠かせないと思うんだけどなぁ……坦庵先生こと江川太郎左衛門の項目がなかったので、ちょっとがっかり。
 源氏が旗を立てたことにちなんだ旗が丘八幡神社とか、洗足池も勝海舟ゆかりの地というだけでなく、日蓮上人が足を洗う時に袈裟をかけたと伝えられる袈裟懸けの松とか、源氏方の名馬池月があらわれたという伝承とか、新田義興が謀略にはめられて自害した矢口渡(平賀源内の歌舞伎『神霊矢口渡』はこの史実をもとに書かれた作品)とか……まだまだ興味深いところがたくさんあるんだけどなぁ。

京都
龍馬葬送の道?巡る
30人、近江屋から霊明神社へ

 幕末の志士・坂本龍馬の遺徳をしのぼうと、NPO法人「京都歴史地理同考会」「京都龍馬会」のメンバーら約30人が、142年前、龍馬が埋葬された日にあたる12日、当時の葬送コースを想像しながら歩くイベントを実施した。
 龍馬は慶応3年(1867年)11月15日に近江屋で盟友中岡慎太郎とともに襲撃され絶命。2日後に霊明社(現・霊明神社)に埋葬された。新暦では埋葬日が12月12日になるため、この日に企画した。
 参加者は近江屋跡地付近(中京区)を出発し、約2キロ離れた霊明神社(東山区)までゆっくりと練った。葬列の経路を示す史料はないが、八坂神社の南門では、京都女子大非常勤講師で歴史地理学者・中村武生さんが「当時からあり、葬列の人たちの目にもこの風景が映ったのでは」などと解説、参加者は当時に思いをはせながら歩いた。
 霊明神社では、村上繁樹神主に代々受け継がれている帳簿などを見せてもらい、勤皇の志士たちが霊明社に神としてまつられた経緯などの説明を受けた。
(2009年12月13日 読売新聞)


竜馬ゆかりの史跡 マップに
木屋町共栄会など企画

 京都市中京区の木屋町通沿いの商店主らでつくる木屋町共栄会(三条―四条間)と上木屋町会(二条―三条間)は、幕末ゆかりの史跡などを通じて、同通を紹介した「龍馬と歩く木屋町マップ」をつくり、11日から配布を始めた。

■舟入や土佐藩邸紹介

 共栄会ではこれまでに2度、マップを作製している。今回は、来年のNHK大河ドラマの主役が坂本竜馬であることから、竜馬にもゆかりの深い木屋町を、より多くの人に知ってもらおうと企画。上木屋町会も参加した。
 マップは現在の木屋町の地図に重なる形で、半透明のトレーシングペーパーに描いた幕末期の木屋町を紹介。現存する絵図や文献などと照合し、9カ所にあった「舟入」や土佐藩邸、商店などの場所も具体的に示した。加えて、両会に参加する125カ所の飲食店やビルの情報を掲載している。A5判で3万部を作り、会員の飲食店や観光案内所、旅行社などで配る。
 この日は商店主らが集まり、完成したマップを眺め「これで木屋町に来る人が増えるはず」と話し、マップの束を抱えて持ち帰り早速、配布を始めていた。


大阪
3枚の「大相撲通券」語る 明治の侠客 救済心意気
小林佐兵衛が興行

「大相撲通券」と印刷された、やや黄ばんだ紙が3枚、手元にある。「通券」とは入場券のこと。セットになった「寄附大相撲御案内書」は、大阪市北区真砂町(現・西天満)にあった、貧困者の収容施設「私立小林授産場」の支援をうたう。言わばチャリティー相撲だ。興行主の名は「小林佐兵衛」。幕末から明治にかけ、大阪で名をはせた侠客(きょうかく)だった。興行や土木請負だけではなく、消防業務を請け負う「消防頭取」を務め、慈善事業を行った。いくつもの顔を持つ、小林佐兵衛の足跡を追った。(関口和哉)

 伝記などによると、1830年生まれの小林は当初、明石屋万吉と名乗り、11歳で任侠(にんきょう)の世界へ。「勤王論」に共鳴して桂小五郎らを助けたこともあり、維新後は米相場で資産を築き、府知事の依頼で73年、消防頭取に就く。
 小林授産場は、地裁などが入る合同庁舎の西側にあった。自宅を開放して火事の被災者や貧困者らを収容、85年には府知事の認可を得て一時は300人以上の面倒をみた。
 寄付相撲は、1901年(明治34年)3月13日から10日間、ミナミで開催。料金は15銭(現在の1500円程度)だった。案内書は開催理由を、「授産場を自費のみで運営してきたが、予算もなく高齢となり、寄付を募って授産場を整理、改良すべしという忠告を受けたため」と説明する。
 16年後に87歳で死亡。その年、船橋半三郎編「小林佐兵衛伝」が刊行された。司馬遼太郎は、小林をモデルに小説「俄(にわか)―浪華遊侠伝―」を著し、そこに描かれた姿は破天荒で痛快だ。


 今では地元でも知る人は、ほとんどいなくなった。授産場があった場所について、西天満周辺に軒を連ねる商店などの人々に聞いても、首を振るばかり。ようやく出会ったのが幕末から続く質屋の4代目、一瀬禎三さん(86)。「直接は知らないが、祖父から店の筋向かいに小林授産場があったと聞いた。祖父は『慈善事業をたくさんして、たいしたもんや』と話していた」
 入場券と案内書は、西天満でそば店を営む高木浩也さん(49)が10月末に、京都市内の古美術商から入手した。高木さんは1909年に起きた「北の大火」の関連資料を収集。小林が大阪天満宮の類焼を防いだ、という言い伝えがあったことから関心を持った。「『東の(清水)次郎長、西の佐兵衛』と呼ばれた大親分だったらしい。地元にこんな人物がいたとは驚き」と言う。
 飯田直樹・大阪歴史博物館学芸員は「小林の実像を知る資料は少なく、入場券や案内書は貴重。行政がすべき貧困者の救済を侠客が行い、相撲という娯楽を利用していたことを裏付けている」と話す。
(2009年12月13日 読売新聞)


兵庫
小野そろばん銀幕デビュー 江戸期の会計用を再現
 来年冬に公開予定の映画「武士の家計簿」(森田芳光監督、堺雅人さん主演)で使う江戸時代のそろばん61丁を、小野市の播州算盤(そろばん)工芸品協同組合や伝統工芸士らが忠実に再現した。映画は加賀藩(金沢市)の会計担当で「算盤ざむらい」と呼ばれた実在の武士が主人公の物語。時代に合わせて上枠に二つ、下枠に五つの玉がある特別製。同組合は「映画を機に、古くからそろばんが果たしてきた役割などを再確認してほしい」と期待を寄せる。(金井恒幸)
 作られたのは、藩の財政などを担った「算用場」用など9種類。算用場用は縦11センチ、横42センチ、高さ3センチと、通常品と比べ1・5倍ほどの大きさで21けたある。時代を感じさせるため木目の明確な素材を使い、玉の色もやや黒くくすんだ感じに仕上げた。
 10月下旬に依頼を受け、同組合役員と伝統工芸士ら11人が、当時の資料などを基に約40日かけて製作した。
 小野市はそろばん生産で全国の6割以上のシェアがあり、年間約15万丁を製造。「播州そろばん」として伝統的工芸品に指定されている。
 同組合の宮永英孝理事長(58)は「映画がそろばんを見直すきっかけになれば」と話している。
 映画は今月、撮影が始まり、来年4月に完成予定。原作は磯田道史さんのベストセラー『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)。


南あわじ市のシンボル「日本水仙」「黒松」に
 南あわじ市の「花」「木」などのシンボル案を、市内の各種団体代表者らでつくる「南あわじ市市民参画のまちづくり委員会」がまとめ、11日、榎本悟朗委員長が中田勝久市長に最終案を提言した。花は「日本水仙」で、木は「黒松」。ほかに市民音頭と市民憲章案も作成し、来年2月に開かれる市制5周年記念イベントで市民に披露する。
 淡路島内3市で唯一、市章以外のシンボルがなかったため、同委員会が約1年をかけ、部会に分かれて議論。シンボルには鳥や魚、野菜、昆虫なども検討したが「多く定めると混乱を招く」などの理由で、花と木に限定した。
 花では梅やツツジも候補に挙がったが、灘黒岩水仙郷が日本水仙三大群生地として全国的に知名度が高く、幕末から特産品であった歴史もあることなどから日本水仙を選んだ。木はユズリハやウバメガシを抑え、名勝慶野松原で保存、管理していく機運を高める狙いも含めて黒松を選定した。
 市民音頭は歌詞を公募し、市内外から集まった42点から、埼玉県の能登濱吉さんの歌詞を選んだ。諭鶴羽山や観潮船、淡路人形浄瑠璃などを盛り込み、5番まで。市内の作曲家がボランティアで曲を作り、子どもから高齢者まで気軽に踊れるような振り付けにした。
 市民憲章は、市民の判断と行動の規範となることや、朗読した時の響きの良さを考慮。旧三原郡4町が合併して誕生した経緯から、前文に「三原郡域を引きつぎ」の文言を取り入れた。
 この日は市中央庁舎別館で、市文化団体連絡協議会のメンバーが中心となって市民音頭も披露。榎本委員長は「市として誇れる立派なものができたと自負している。来年から本格的に市民に周知したい」と話している。
(橋本 薫)



広島
歌川国芳の四十七士展始まる<動画あり>
 「浮世絵で見る忠臣蔵~国芳の四十七士展」が12日、広島市中区のひろしま美術館で始まった。幕末の絵師歌川国芳が、赤穂浪士をいきいきと描いた50点など浮世絵62点が並ぶ。同館、中国新聞社の主催で1月17日まで。 討ち入りがあった今月14日に時期を合わせて開いた。広島市西区の美術愛好家徳井寛二さんのコレクションを中心に展示。美術館の宇田誠館長、中国新聞社の川本一之社長ら5人がテープカットした。
 赤穂浪士が題材の戯曲「仮名手本忠臣蔵」を基に1847年、国芳が描いた。陣太鼓を構える大星由良之助(大石内蔵助)、なぎなたを操る礒合重郎右衛門(磯貝十郎左衛門)など、実在の人物になぞらえた四十七士の勇壮な姿を描いている。

動画はこちら

【写真説明】ひろしま美術館で始まった「浮世絵で見る忠臣蔵~国芳の四十七士展」。個性的な赤穂浪士の姿が来場者を引きつける(撮影・奥村菜穂)


愛媛
【龍馬ゆかりの地を行く】志開いた「脱藩の道」 河辺
 高知との県境付近にある愛媛県西予市野村町の榎ケ峠に、「坂本龍馬の通りし道 武田鉄矢」と記された小さな石碑がある。俳優、武田鉄矢さんが龍馬を慕い、平成13年に訪ねたときのものだ。

 文久2(1862)年3月26日早朝、坂本龍馬は土佐藩の同志、沢村惣之丞とともに土佐の梼原(ゆすはら)村(高知県檮原町)の那須俊平、信吾父子の案内で「宮野々関」と「松ケ峠」の番所を次々と破り、同日昼ごろ、県境にある韮ケ峠(970メートル)を越えた。

 この峠で、信吾は1人で土佐に引き返したが、龍馬、惣之丞、俊平の3人は榎ケ峠を通って、肱川上流の大洲藩河辺郷(愛媛県大洲市河辺町)へ降りたとされる。「龍馬脱藩の道」として語り継がれるルートの一部である。

 榎ケ峠から南西に約2・2キロ進むと、北平という集落があり、谷底の天神社にたどり着く。


×    ×

 天神社は安永2(1773)年創建と伝えられ、参道には長さ約8・3メートル、幅約1・8メートルの屋根付き太鼓橋「御幸の橋」が架かる。橋は神社創建時に併せて架けられ、ケヤキ造りで屋根はスギ皮葺きだ。明治19年に復元され、県の民俗文化財に指定されている。

 梶川吉彦宮司(71)は「橋も周囲の景色も幕末とほとんど変わらないと思います。龍馬さんも、ここでひと休みし、ホッと浮世を忘れたかもしれませんね」と話す。

 御幸の橋の周辺地区は、ダム問題で注目される地区の上流に位置し、深刻な過疎・高齢化に直面、まちの活性化が大きな課題となっている。そんななか、河辺町では「龍馬脱藩の道」を観光文化資源として全国にアピールしようと、平成10年に韮ケ峠を越えて脱藩した龍馬、惣之丞、俊平の姿を描いた銅像「飛翔(ひしょう)の像」を建立。資料館「坂本龍馬脱藩之日記念館」も開設して、龍馬脱藩ルートを写真パネルや精巧な模型などで紹介している。

 地元住民らでつくる「龍馬脱藩の道保存会」も平成元年から毎年9月、河辺町内の龍馬脱藩ルート約15キロを歩くイベント「わらじで歩こう龍馬脱藩の道」を行っており、今年も全国から約300人が参加した。ボランティアで沿線の草刈りや弁当作りも行うなど、龍馬ファンと地域住民が一体となって盛り上がっている。


×    ×

 天神社を出発した龍馬は、再び険しい山道を登って泉ケ峠で1泊し、翌朝、五十崎(いかざき)(大洲市内子町)の宿間にたどり着いた。宿間は当時、伊予国第一の大河「肱川」の支流、小田川の港としてにぎわっていた。龍馬は宿間から川船で約37キロ下り、河口の港町、長浜(同市長浜町)に至った。

 このように、脱藩した龍馬の足跡が随所に残る河辺町周辺。来年にはNHK大河ドラマ「龍馬伝」が放映されることもあって、地元では龍馬ブームの再来に期待が高まっている。

 「来年は御幸の橋の屋根も葺き替え、観光客を迎えたい。訪れる人が増えると地元も元気が出ます」と天神社氏子総代の山本徳平さん(84)。大洲市河辺町支所職員の柴田学さんも「この地は、龍馬さんが新しい国づくりに向けて第一歩を刻んだところ。その志を全国からかぎ取りに来てほしい」という。




 「坂本龍馬脱藩の道」 文久2(1862)年3月24日、同志の沢村惣之丞とともに土佐藩を脱藩し、大洲藩の港町、長浜にたどり着いた坂本龍馬がたどった道程。境界を突破するために出発した高知県檮原町から愛媛県大洲市河辺町の泉ケ峠までの約49キロの旧街道は、「坂本龍馬脱藩の道」として保存されている。道程は標高500~1千メートルの急傾斜の連続だが、龍馬らはたった1日で歩き切ったという。当時の龍馬は28歳。この瞬間から、日本は明治維新に向かって大きく動き始める。(黒河仁朗)


高知
ジョン万次郎:生家復元へ 実行委員会設立--土佐清水 /高知
◇寄付集め来年9月完成予定 10月の「祭り」で市に寄贈
 ジョン万次郎の生家を出身地の土佐清水市中浜に復元しようと「ジョン万生家復元実行委員会」(会長、広田勝・土佐清水商工会議所会頭)が11日設立された。今月から来年6月末を目途に1000万円を目標に寄付を集め、来年9月末までに完成させる予定。来年10月の「土佐清水ジョン万祭り」で市に寄贈する。【真明薫】

 この日、土佐清水商工会議所で設立総会が開かれ、各種団体の代表ら17人が参加。会則や事業計画などについて協議した。詳しい生家の建設場所は未定だが、出身地の中浜には生家跡の碑が残っていることからこの近くに約66平方メートルほどの茅葺(かやぶ)きの民家を建築する予定。
 ジョン万次郎は168年前の天保12(1841)年に漁に出て遭難。米国の捕鯨船に救助され、米国で航海術や英語を学び帰国し、坂本龍馬など維新の立役者たちに大きな影響を与えた。万次郎が米国滞在中に暮らした捕鯨船のホイットフィールド船長の家は、聖路加国際病院の日野原重明理事長の提案で寄付を元に修復され、今年5月に記念館として開館している。
 広田会長は「米国では交流の家ができたのに本家本元に生家がないのは寂しい。全国に呼び掛けて復元をしたい」と話している。



島根
鏝絵見学 石見の魅力再発掘
 古民家や土蔵の壁に飾られたしっくい彫刻の鏝絵(こてえ)を見学するツアーが12日、益田市であった。市内などの18人が参加し、バスで約20カ所を巡った。
 ガイドは大田市の1級建築士渡部孝幸さん(59)。「新築祝いとして施主に贈った職人の心意気があふれる芸術作品です。改築で壊されることも多く、郷土の文化として見直してほしい」と説明した。
 参加者は、躍動感ある竜や鳳凰(ほうおう)などの鏝絵に見入りながら「身近に素晴らしい芸術があるとは知らなかった」などと感心していた。
 幕末から昭和初期に活躍した石州左官と呼ばれる石見地方の職人は、芸術性が高い鏝絵を数多く作り、市内で約70カ所確認されている。ツアーは観光資源として活用しようと、市などが企画。2月に2回開いた。

【写真説明】民家の土蔵に飾られた鏝絵を見学する参加者



山口
2009歳末点描:復興PR「ふくみこし」 護国寺が「大福行列」 /山口
 下関市上田中町、護国寺の年末の風物詩「大福行列」が12日、唐戸商店街やカモンワーフを練り歩いた。今年は商店街の復興が目的。約2時間、歴史ある商店街をPRしながら人々を元気づけた。
 「甲子大黒尊天像」を抱え、「ふくみこし」を担いで練り歩く祭りで29回目。今年は西嶋好文住職(59)が「幕末で商店街復興を」と提案。新たな行列を企画した。
 坂本龍馬が商店街近くの花街「稲荷町」で遊んでいたことにちなみ、「幕末維新村」などと書かれたのぼり約80本を沿道に。また、幕末の奇兵隊の格好をした大学生2人も行列に参加し、「志士の愛した唐戸商店街」をPRした。
 大黒尊天像が通りかかると、みんな笑顔。唐戸商店会の中尾弘明会長(79)は「大黒様をきっかけに、頑張っていきます」と話していた。【尾垣和幸】


佐賀
大河ドラマ「龍馬伝」あやかれ 「佐賀藩丸ぼうろ」発売
 竜馬ブームにあやかれ─。佐賀市の本村製菓が、2010年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんで「佐賀藩丸ぼうろ」を発売した。パッケージに「龍馬もブーツで駆け抜けた、そこが佐賀藩」などのキャッチフレーズを入れて、幕末維新期に輝いた佐賀藩と結びつけている。
 佐賀弁を前面に押し出した企画商品シリーズ「がばい佐賀」の新商品。袋は2種類あり、「維新の魁(さきがけ)こいが佐賀藩」のキャッチフレーズも。駆け出す坂本竜馬の姿と、佐賀藩が作った反射炉のイラストも添えている。
 7個520円(化粧箱入り)で、長崎自動車道上り金立サービスエリアなど3カ所で販売中。デザインを担当した佐賀市の企画会社「ディーズ」は「竜馬の活動拠点は長崎なので、きっと佐賀にも訪れたはずだ。竜馬とともに佐賀藩の功績をアピールしたい」と話している。

【写真】坂本竜馬や反射炉などをほのぼのと描いた「佐賀藩丸ぼうろ」。化粧箱の写真は朝日が昇る佐賀市中心商店街



長崎
わが町さるくマップコンテスト:最優秀賞に伊藤さん 戸町の名所掘り起こし /長崎
 長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」の一環で、小中学生から募った「わが町さるくマップコンテスト」の表彰式が12日、市内であった。応募は5点の中から、「戸町の海のコース、山のコース」で最優秀賞に選ばれた戸町中2年、伊藤大志(たいし)さん(13)は「(マップ作りでは地元の)知らないことばかりで、戸町が好きになりました」と話していた。
 伊藤さんは、祖父武治さん(68)が「さるく」のボランティアガイドで、かつて港町として栄えた戸町地区を夏休みに祖父のアドバイスを受けながら実際に巡った。江戸時代に長崎港を警備した魚見岳台場跡(国指定史跡)などのほか、花街跡や鉱泉の結晶を使った温泉施設「戸町カルルス」跡など埋もれた名所を紹介した。
 また、滑石中の生徒らが地元・滑石地区の被爆遺構をまとめた「滑石平和さるく」のマップが「さるく観光幕末編推進委員会特別賞」に選ばれた。同中は実際に生徒がガイドとなって散策するツアーを、期間限定の「通さるく」として今年10、11月に計4回、開催している。【錦織祐一】




文化芸能
龍馬伝:龍馬の全身写真3日限定で公開 東京など4都市でNHK大河ドラマ記念展
 10年1月から放送されるNHK大河ドラマ「龍馬伝」と連動し、坂本龍馬の写真や書簡などの歴史資料を約180点展示する特別展「2010年NHK大河ドラマ特別展『龍馬伝』」が6月から、東京、京都、高知・南国市、長崎の4都市で開催される。
 東京展では、4月27~29日の3日間限定で龍馬の全身を写した「坂本龍馬オリジナルガラス板写真」(他都市は展示日未定)が公開される。ほかに、龍馬が妻のお龍と新婚旅行に行った際に姉の乙女に宛てた「坂本龍馬書簡」、京都の近江屋2階の龍馬暗殺現場にあった血の付いた屏風(びょうぶ)「近江屋旧蔵『書画貼交屏風』」などの重要文化財が展示される。
 東京展は4月27日~6月6日、東京都江戸東京博物館(東京都墨田区)で。6月19日~7月19日は京都府京都文化博物館(京都市中京区)で、7月31日~8月31日は高知県立歴史民俗資料館(高知県南国市)、10月2日~11月3日には長崎歴史文化博物館(長崎市)で開催される。【服部美央】


JIN―仁:注目のラストへ 高視聴率マーク 現代風の明るい映像で原作マンガも倍増
 マンガをドラマ化した「JIN―仁」(TBS系)が人気だ。物語の面白さもさることながら、時代劇だが現代風の明るい映像で幅広い世代にも受け入れられ、今期のドラマで最高の視聴率22・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録している。撮影が行われた緑山スタジオ(横浜市青葉区)のセットを訪れた。【細田尚子】
 「JIN―仁」は、マンガ誌「スーパージャンプ」(集英社)で村上もとかさんが連載中の医療マンガ。大学病院の脳外科医だった南方仁(大沢たかおさん)が、幕末の江戸時代にタイムスリップしてしまい、満足な医療器具や薬もない状態で大けがをした町民を手術し、コレラが流行した江戸の人々の命を救う。坂本龍馬(内野聖陽さん)や勝海舟(小日向文世さん)、緒方洪庵(武田鉄矢さん)ら実在の人物とも交流し、歴史とかかわりを持っていくうちに、現代に残した恋人・友永未来(中谷美紀さん)の運命に変化が現れる……という物語。中谷さんは吉原のおいらん・野風との2役を演じ、仁の心の支えとなる旗本の娘、橘咲を綾瀬はるかさんが演じている。
 毎週日曜日午後9時の「日曜劇場」枠で放送中で、10月11日の初回の視聴率は16・5%、その後も順調に数字を伸ばし、11月8日放送の第5話で20・3%と秋ドラマで初の20%超えを記録。同月29日の第8話は、世界ボクシング評議会(WBC)のフライ級タイトルマッチ「内藤大助―亀田興毅戦」の直後の放送で22・3%とシリーズで最高の視聴率を記録した。
 また、ドラマのヒットに伴い、現在16巻まで発行されている原作のコミックスも売り上げを伸ばしている。放送前は累計175万部だったが、6月に「ドラマ化決定」という帯を付けて売り出したところ、放送前の9月から売り上げが伸び出し150万部を増刷。現在は累計で360万部を突破している。芳林堂書店所沢駅ビル店の関根俊英さんは「40~50代の普段マンガを読まない層のお客さんが1巻から“一気買い”していくケースが目立った」といい、ドラマを見て原作に興味を持った人も多かったようだ。
 「JIN」は室内のセットはおもに緑山スタジオ、町並みなど屋外は「日光江戸村」(栃木県日光市)や「ワープステーション江戸」(茨城県つくばみらい市)のオープンセットを使用している。
 緑山スタジオには野風がいる吉原の遊郭「鈴屋」や、咲の実家「橘家」の旗本屋敷、仁が開いた診療所「仁友堂」などのセットが組まれていた。目を見張るのは「鈴屋」のセットだ。赤を基調にした2階建てで、ふすまには大輪の花が大胆に描かれている。美術を担当した永田周太郎さんは「吉原のセットを建てる機会なんてそんなにないので気合が入った」といい、2階でも演技ができるよう、しっかりと建てられているセットについて「パッと見たときに華やかな方がいいと思って、全部白木で明るめに作った」と強調した。
 中庭にある「太鼓橋」は竜宮城のようなイメージで設置。橋の色は「赤にしようかなと思ったけれど、黒の方がかっこいいので黒にして、くぎ隠しで金色を使った」と現代風にアレンジした。旗本の橘家は三十石程度の下級武士の屋敷としてつつましく、庭には家庭菜園を置き、だが室内は暗くならないようにした。
 6日放送の第9話では「江戸の大火」の場面で“壊すセット”も作った。「延焼を防ぐのに家を壊すシーンがあって、そこはコントのセットのように家がバターンと倒れるようにした」と工夫も施している。
 スタッフの技術力と熱意、キャストの好演や物語の面白さで高視聴率を続ける「JIN」は、20日放送の第11話でついに完結する。タイムスリップの謎は解けるのか? 残り2回の放送は見逃せない。

 記事は前にも紹介したものと同じような気がします(汗)が、鈴屋のセットの写真画像が沢山あるのが嬉しいです……吉原の大店らしい豪華なセットも、あと少しで見納めとはもったいないなぁ。
 ちなみに、最終回は今日でなくて来週なんですね……スポットCMが今日にも最終回かという感じで大量に流されていたので、今日が最終回かと思ってました(苦笑)。今日は最終回の手前ということを知って、ちょっと落ち着いてみることができます。







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