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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は一日雨ですが、友人とちょっと遠出しました。雨天にもかかわらず、とても楽しかったです。

北海道
歴史カレンダー:函館開港150周年記念、完成 「箱館真景」なども /北海道
 明治から大正期にかけての函館の古地図や写真を複製したカレンダー「時代(とき)をめくる」が完成した。開港150周年を記念し、昨年制作されたものの第2弾。江戸末期の1868(慶応4)年作の函館港の鳥かん図「箱館真景」など、歴史的にも貴重な資料が楽しめる。
 使用しているのは市中央図書館所蔵の資料。同館には幕末から昭和初期にかけての古地図や絵図、古写真の膨大な資料が収集されており、03年度から公立はこだて未来大と共同で、貴重な史料の保存や公開を目的に最新のデジタル技術を使いデータ化する作業を進めている。
 カレンダーは地域アーカイブ事業を手掛ける業界団体「函館マルチメディア推進協議会」(会長、川島稔夫・同大教授)が制作。「箱館真景」のほか▽1854(安政元)年の米ペリー艦隊の函館来航を描いた「蝦夷廻浦図絵」=1919(大正8)年模写▽大正末期の繁華街、十字街の街並みを写真撮影した絵はがき▽25(大正14)年作の市内案内図「函館案内漫画鳥瞰図」の4点を採用した。
 川島会長は「当時にぎわった街の様子をいきいきと感じてもらえると思う」と話している。カレンダーは縦46センチ、横62センチで1セット1000円。函館市末広町の地域交流まちづくりセンターなどで販売する。問い合わせは同協議会(0138・23・1181)へ。【昆野淳】



群馬
タウン:桐生・木工作家3人展 /群馬
 桐生市本町の有鄰館で、県内で創作する木工作家3人の「のんびり・木~古裂(ふるきれ)と木工展」が13日まで開かれている。元酒蔵の小さな空間に、木工作品と世界各地の古布が展示された、ユニークなコラボレーションだ。
 渋川市の旧小学校舎を拠点にする倉金宏行、多田秀美、松土忠の3氏が出品。多田さんは作品と組み合わせるため世界の古布を収集。4世紀ごろのエジプトのコプト織り、400年前のペルシャ錦、幕末の鍋島更紗(さらさ)などが展示されている。入場無料。【塚本英夫】


千葉
常夜灯照らす公園誕生 市川市指定有形文化財 あす旧江戸川堤防に
 市川市指定有形文化財の石灯籠(どうろう)「常夜灯」をシンボルにした常夜灯公園が、同市本行徳の旧江戸川の堤防上にほぼ完成し、十二日に開園する。当日は午後二時から開園式を行い、午後四時半ごろから常夜灯をライトアップ、あんどんを点灯して開園を祝う。 (林容史)
 市と県、浦安市が二〇〇二年にまとめた基本構想で、市川市本行徳-関ケ島間約三百メートルを、堤防の幅を広げる「スーパー堤防」のモデル地区に位置付け、〇六年十月から整備を進めてきた。
 市川市はこの堤防上に約三千五百平方メートルの公園を造成し、あずまややトイレなどを建設。直立護岸だった川沿いも、県が緩い斜面の河川敷に改修、水辺を散策できるテラスを設け、緊急の船着き場として使えるようにもした。本年度中に全体工事を終える。
 開園後は、あずまやで土、日曜日と祝日に軽食や県内の農産物、海産物を販売する。
 市地域街づくり推進課は「行徳地区の寺町めぐりの拠点になる。市内の旧江戸川沿いでは唯一、水に親しめる場所。ジョギングや散歩コースとして市民の憩いの場になれば」としている。
 常夜灯は、行徳特産の塩を江戸に運ぶ「行徳船」の航路安全を祈願して一八一二(文化九)年に立てられ、成田山に奉納された。小松石(安山岩)製で高さ約四・五メートル。一九六〇年、同市の第一号有形文化財に指定された。行徳船は幕末期には六十二隻まで増えたという。



静岡
次郎長の勝負運にあやかり勝札づくり 静岡観光コンベンション協がホビーフェスタに出店
 静岡市の静岡観光コンベンション協会は、同市駿河区のツインメッセ静岡で12、13日に開かれるホビーの一大イベント「クリスマスフェスタ09」に、「手づくりMY勝札(かちふだ)つくりまショップ」を出展する。静岡が誇る幕末~明治のきょうかく・清水次郎長の勝負運にあやかったお守り「勝札」の、装飾を体験するコーナー。クリスマスの“恋の大勝負”を控えた女性たちの注目を集めそうだ。 (美細津仁志)
 同協会によると、勝札は清水区美濃輪町の観光施設「次郎長生家」で販売され、20年以上にわたり根強い人気を誇っている。競馬や競輪、パチンコなどをはじめ、宝くじなどでも「勝つ」といわれ、お見合いを控えた県外者が、勝負運にあやかって郵送で取り寄せた例もあるという。1枚100円。
 イベントでは、同協会は、女性や家族連れをターゲットにした南館の「手づくりホビーワールド」に出展する。通常とは異なる勝ち札(縦13センチ、横9センチ)を使い、七色の台紙が選べるほか、「恋愛成就」「合格祈願」など七種の願いごとシールを準備する。フェルトのシールや、ネイルアートに使われるハートや星形のラインストーンなどでも豪華な飾り付けもできる。
 このほか、姫や旅人に仮装できる写真サービスも実施。その場で写真をシールに印刷し、勝札に張れるようにする。いずれも有料。
 同協会の渡辺一弘事務局長は「ものづくりを掲げたイベントの趣旨に沿う試みになった。自分だけの願い事を書き込んだ勝札を作ってほしい」と話している。
 問い合わせは静岡観光コンベンション協会=電054(254)2212=へ。


兵庫
幕末描く映画で使用、七つ玉そろばんを復元…兵庫・小野の職人11人
 兵庫県小野市の播州算盤(そろばん)工芸品協同組合(宮永英孝理事長)が、激動の幕末、加賀藩の財政に携わった御算用者(ごさんようもの)一家を描いた映画「武士の家計簿」(撮影中)で使われる「七つ玉そろばん」を復元した。
 江戸時代に使われていた上が二つ玉、下が五つ玉のそろばん。来年4月に完成予定の映画で使うため、製作会社の依頼を受けた職人11人が、松竹京都撮影所のスタッフらと相談しながら、40日がかりで仕上げた。
 同市に現在、七つ玉そろばんを作る職人はいないが、枠に使う黒檀(こくたん)や玉の削り方などは伝統技法が生かされており、宮永理事長は「この映画をきっかけにそろばんに興味を持つ子どもが増えれば」と話している。

 播州小野と聞くと、大河ドラマ『新選組!』の松原忠司のセリフ「わしは、小野じゃ!!」が即連想されてしまいます(^^ゞ。

司馬氏の自筆原稿展示へ 小説「峠」、姫路文学館で
 兵庫県姫路市の「姫路文学館」は10日、関係者から寄託された司馬遼太郎氏(故人)の歴史小説「峠」の自筆原稿を、来年1月6日から展示すると発表した。
 幕末の越後長岡藩家老河井継之助の生涯を描いた「峠」は1966~68年に毎日新聞で連載された。ブルーブラックの万年筆で書かれた2144枚の原稿には、赤鉛筆で推敲を重ねた跡が残っており、司馬氏独特の文体が生み出されていく過程がうかがえる。
 寄託したのは同市で生まれた俳人の故赤尾兜子(本名・俊郎)氏の妻恵以さん(79)。兜子氏は毎日新聞学芸部で連載を担当していた。
 司馬氏と兜子氏は大阪外国語学校(現大阪大)の同級生。作家と記者として再会し、ともに「峠」の取材旅行に行くなど交流を深めていたという。
 原稿は連載全543回のうち536回分で、兜子氏が81年に亡くなった後、恵以さんが毎年虫干しして大切に保管してきた。姫路文学館に兜子氏の資料が展示されており、司馬氏の祖父が姫路出身という縁もあることから、恵以さんは同館への寄託を決めた。
 恵以さんは「多くのファンの方に見てもらいたい」と話している。展示は来年3月28日まで。


愛媛
松浦武四郎の蝦夷地図、宇和島で調査 愛媛 
 幕末に蝦夷地(現在の北海道)の地図を作製した探検家、松浦武四郎の調査に取り組む国文学研究資料館(東京)などの研究グループは10日、宇和島伊達文化保存会(愛媛県宇和島市)が所蔵する蝦夷地図について、「地図作製の過程がわかる貴重な資料」と明らかにした。
 国文学研究資料館のほか、北海道開拓記念館(札幌市)と松浦武四郎記念館(三重県松阪市)の専門家ら4人が来県し、8日から宇和島伊達文化保存会が所蔵する地図や日誌などの資料を調査。この日、宇和島市内で本紙の取材に応じ、調査の成果について語った。
 開拓記念館の学芸員、笹木義友さん(60)は、地図が北の樺太から緯度1度ごとに1枚で構成され14度14枚で製作されていることを説明したうえで、「地図は国会図書館も含め6カ所で所蔵されているが、張り合わせたものしか残っておらず、張り合わせていない保存会の地図は、どうやって地図を作ったかがわかる貴重な資料」と強調した。
 また、武四郎記念館の学芸員、山本命さん(33)は、日誌などについて「挿絵に彩色を施した記録は初めて見た。保存状態のよさにも驚いている」と話した。
 松浦武四郎は松阪市出身で、幕末から明治にかけて未開の蝦夷地へ頻繁に足を運び地図を作製した。宇和島藩とも親交が深く、藩主の伊達宗城に蝦夷地図や蝦夷日誌などを献上している。


高知
龍馬の味?「土佐維新バーガー」高知で販売
 高知県特産の土佐はちきん地鶏、米ナス、ユズなどをお好み焼きで挟んだ「土佐維新バーガー」を、土佐電気鉄道(高知市桟橋通)が大阪市のハンバーガー会社と開発し、運営する高知自動車道南国サービスエリア(SA)下り線の売店で11日、販売を始めた。
 同鉄道の関係者らが10日、高知県庁を訪問し、試食した尾崎知事は「佐世保バーガーのように名物になれば」と期待した。
 幕末の志士ゆかりの食材を使っているのが、名前の由来。坂本龍馬の好物でもあったシャモと地鶏をかけ合わせた土佐はちきん地鶏を、メーン具材にした。米ナスは、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の出身地の安芸市特産。中岡慎太郎の出身地、北川村のユズを使ったマヨネーズで味を調えた。土佐の郷土料理によく使われるコンニャクも挟んだ。
 開発には、大阪市や奈良県橿原市などで「和」をテーマにしたハンバーガー店を展開する「大阪バーガー華円(はなまる)」(大阪市中央区)が協力。お好み焼きに挟むのは同社の売り。この日、尾崎知事に新バーガーを勧めたSAの野口和明支配人は「ほかにないご当地バーガーとして売り出せたら」と意欲を見せた。
 尾崎知事は「晩ご飯になるくらいボリュームがあるのに、ユズのおかげでしつこさがない。歴史情緒もたっぷり」と期待した。
 1日50個限定、380円(税込み)で販売する。




長崎
長崎さるく:「英雄編」計画決まる 長崎と龍馬の関係、全国区に /長崎
◇上野彦馬らにスポット
◇マスコットさるく「衣替え」
 長崎市のまち歩き観光「長崎さるく」が、10年放送のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて展開する「英雄(ヒーロー)編」の実施計画が10日決まった。来年1月2日~12月26日のほぼ1年間を通じて展開される。マスコットキャラクター「さるくちゃん」も坂本龍馬や上野彦馬風に衣替えすることも決まり、「ドラマを機に、長崎と龍馬の関係を全国区にしたい」と意気込む。【錦織祐一】
 市は09年、長崎開港150年を記念して「長崎さるく幕末編」を4月23日~11月30日に展開、ガイドツアーの参加者が前年同期比1・5倍以上に急増するなど効果を上げた。
 10年は幕末編をベースに、龍馬ら志士に加えて幕末の長崎で活躍した豪商・大浦慶、写真家・上野彦馬ら「英雄」をクローズアップ。「龍馬と長崎のつながりをアピールすることで、ドラマ放送以降も『長崎ファン』を増やす」(市さるく観光課)ことを目指す。
 ガイドツアー「通さるく」では、グラバー園や大浦天主堂など旧外国人居留地を、龍馬の足跡に焦点を当てて巡るコース「ある晴れた日に、龍馬が夢見た長崎居留地」を新設。期間限定で、亀山社中記念館を目指し坂道「龍馬通り」を登る健脚コースも新設する。さらに、「プレミアム学さるく」として、通常は公開されない三菱重工業長崎造船所の構内を巡り、岩崎弥太郎の足跡をたどるツアーも開催される。


長崎1万人乾杯:来れ「龍馬の道」沿線住民--新年2日 /長崎
 幕末の志士、坂本龍馬の商社「亀山社中」跡付近から旧外国人居留地周辺を結ぶ2・7キロの沿線住民が、中心商店街に集う「長崎1万人乾杯」を来年1月2日に開催すると、商店主ら長崎市民有志が9日発表した。この2・7キロは市が「長崎龍馬の道」と命名。有志も「新年を長崎の『夜明け』に」と一堂に集う乾杯を企画した。
 市民有志は今年1月に「グランドデザイン研究会」を設立し「まちの10年後のあるべき姿」を検討。市街地を貫く2・7キロの一本道を「まちなか軸」と位置付け「交流のなかった住民同士が出会うことで、新しい魅力づくりにつながる」と、「1万人乾杯」を企画した。
 1月2日は中心市街地の初売り。さらに、NHK大河ドラマ「龍馬伝」放映を前に、長崎市が「長崎まちなか龍馬館」を開設するため、この日に決めた。
 午後6時から観光通りアーケードに集合。「まちなか魅力発見宣言」「まちなか軸調印式」の後、一斉に乾杯。参加費1000円で、ドリンクに加え「まちなか龍馬館」に入場でき「長崎龍馬の道」の折り畳みまち歩きマップも贈られる。
 呼びかけ人の一人、安元哲男さん(61)は「この道は開港から使われてきた、長崎の歴史を体現する道。いろんな文化や個性をまちなかに集結させたい」と話す。【錦織祐一】


龍馬らが生きた動乱の時代紹介 シーボルト記念館で幕末展
 同じ時代に生き、日本の将来を憂えながらこの世を去ったシーボルトと坂本龍馬。彼らが生きた幕末の日本にスポットを当てた企画展「シーボルトや龍馬が生きた幕末展」が、長崎市鳴滝2丁目のシーボルト記念館で開催されている。来年1月24日まで。
 同展では、幕末に活躍した人物の肖像画や書、当時の版画などの資料80点で、安政の開国から明治維新に至る幕末動乱の時代を紹介している。
 展示資料のうち、伊藤博文や勝海舟直筆の短冊、当時の武具など約50点は個人の所有物で、今回初公開となる。同館は「龍馬とシーボルトは直接出会ったことはなかったが、ともに日本を憂えていた。本物の資料から、彼らが生きた幕末に思いをはせてほしい」と話している。
 入館料は一般100円、小・中学生50円。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(40)東大教授・山内昌之 秋山好古・真之兄弟
■独立自尊の生きかた

 NHKドラマ『坂の上の雲』が始まった。秋山好古・真之兄弟の貧しくても志の高い青春を知るにつけて、実母からそれぞれ11億円以上の金を“恵贈(けいぞう)”されたと伝えられる鳩山由紀夫・邦夫兄弟の姿がゆくりなくも浮かび上がる。聡明(そうめい)で成功を収めた点では変わりなくても、両兄弟の間には越えがたい溝が横たわっている。
  

食べるために何でも

 佐幕藩の侍として立身出世の道を断たれた秋山兄弟は、藩閥に引き立てられた薩長の若者と違って、独立自尊の生きかたを探さねばならなかった。兄弟は、とにかく食べるためには何でもしたのである。好古は銭湯の釜焚(た)きで家計を助けたし、真之も出面(でづら)をもらうために細々とした仕事を厭(いと)わなかった。しかし、このくらいの手伝い仕事は程度の差こそあれ、1960年代の高度成長以前には日本の津々浦々で間々(まま)見られた光景である。
 秋山兄弟は、なるべくして軍人になったわけではない。いずれも、授業料を払わずにすむ官費の学校で学びたい意欲から、松山を去って大阪や東京に出たのである。官費という言葉も今や死語であろう。教師になるために師範学校へ入るのも、軍人として陸軍士官学校を志すのも、好古にとって格別の違いはなかった。
 また、大学予備門で文学に憧(あこが)れるのも、海軍兵学校に入って軍人を志望するのも、真之には特別の違和感はなかった。「藩」という独立割拠の小さな半国家でなく、「国」という近代統一国家形成のために何事かをなさんという決意をした者に、選ぶべき道は究極で同じ目標にたどりついたからだ。

古典教育と肉体訓練

 彼らの素質や才能は固定したものでなく、その可能性はどこにも開かれていたのである。幕末に生まれた武士の子供たちには、儒学という伝統的な古典教育に加えて、剣道はじめ武道を通した肉体訓練も課せられていた。この自主独立の精神こそ秋山兄弟に生きるたくましさを教えたに違いない。
 好古は日露戦争の戦場、満州で世界屈指のコサック騎兵を相手に貧弱な日本馬を駆って争わなくてはならなかった。好古の偉いのは、決して勝てなくても絶対に負けない戦に徹したことだ。強力なコサック集団が現れると、下馬して陣地をつくり、機関銃という最新兵器で応戦する。
 さながら西部開拓民が先住アメリカ人に襲われたときに、幌(ほろ)馬車を拠(よ)り所(どころ)に抗戦したようなものだ。騎兵が歩兵の真似(まね)とは何事だと昭和のエリート参謀なら文句を言うかもしれない。操典に忠実でも負けたら仕方がない。好古は、彼我の力の差を見て柔軟に戦術を組み替えたのだ。一言でいえば、戦略的に組織化されたゲリラ戦めいており、ベドウィン部族民を率いた「アラビアのロレンス」の機動戦と似たところもあった。

  
統率力で最少犠牲者

 冷静沈着な指揮と統率力によって人びとを集中させ、統一と規律の下におけば、犠牲者は最少で済むことを好古は実証した。すぐ数字をはじく秀才エリートなら、1の力で10には勝てないと考える。
 しかし、何事も実地に出れば1の力で10にあたる状況も出て来る。それを巻き返すには、弱体なほうが常に率先して状況をつくり、それを有利に運用できる場合に限る。昭和陸軍にありがちな匹夫(ひっぷ)の勇や暴虎馮河(ぼうこひょうか)の勇では、犠牲者が増えるだけのことだ。
 好古だけでなく、真之が連合艦隊作戦参謀として日本海海戦を勝利に導けたのも、独自の兵術を編み出したからである。兄弟は、それぞれナポレオンやマハン(米海軍の戦史家)を金科玉条にした硬直したリーダーではなかった。この柔軟性は政治の世界にもあてはまるのではないだろうか。
 海軍中将の真之は若き日に憧れた文学者に戻れなかった。しかし、宗教家めいた悟りの境地で生涯を終えた。陸軍大将の好古は最初の職業だった教師に戻って地方中学の校長として人生を全うする。長男を軍人にせず、尊敬した福沢諭吉の慶応義塾に進ませた。
 そして好古は昏睡(こんすい)状態に陥ったときに同じうわ言を叫び続けたという。「奉天へ」と。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】秋山好古・真之

 あきやま・よしふる、さねゆき 伊予(愛媛県)松山藩出身の軍人で兄弟。兄の好古は安政6(1859)年生まれ。陸軍士官学校卒業後、陸軍大学校第1期生となる。明治20年にフランスに留学し、騎兵を学ぶ。日清戦争で名をあげ、日露戦争では騎兵第1旅団長として出征し、黒溝台の会戦などで活躍。戦後は近衛師団長などを歴任。昭和5(1930)年、72歳で死去。
 弟の真之は慶応4(1868)年生まれ。東京大学予備門から海軍兵学校に転じ、首席で卒業。日清戦争に従軍後、米国に留学し、米海軍を視察。帰国後、海軍大学校教官となる。日露戦争では連合艦隊作戦参謀として死力を尽くし、日本海海戦の「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」など艦隊戦報の多くを起草。その後、海軍中将。大正7(1918)年、51歳で死去した。



文化芸能
まんたんプレス:ドラマ「JIN-仁」が高視聴率 現代風の明るい映像
<サブカルチャーの最前線>

 マンガ、アニメ、ゲームなどのサブカルチャーを紹介する「まんたんプレス」。今回は人気マンガをドラマ化した「JIN-仁」(TBS系)だ。物語の面白さもさることながら、時代劇だが現代風の明るい映像で幅広い世代にも受け入れられ、今期のドラマで最高の視聴率22・3%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録している。撮影が行われた緑山スタジオ(横浜市青葉区)のセットを訪れた。【細田尚子】
 「JIN-仁」は、マンガ誌「スーパージャンプ」(集英社)で村上もとかさんが連載中の医療マンガ。大学病院の脳外科医だった南方仁(大沢たかおさん)が、幕末の江戸時代にタイムスリップしてしまい、満足な医療器具や薬もない状態で大けがをした町民を手術し、コレラが流行した江戸の人々の命を救う。坂本龍馬(内野聖陽さん)や勝海舟(小日向文世さん)、緒方洪庵(武田鉄矢さん)ら実在の人物とも交流し、歴史とかかわりを持っていくうちに、現代に残した恋人・友永未来(中谷美紀さん)の運命に変化が現れる……という物語。中谷さんは吉原のおいらん・野風との2役を演じ、仁の心の支えとなる旗本の娘、橘咲を綾瀬はるかさんが演じている。
 毎週日曜日午後9時の「日曜劇場」枠で放送中で、10月11日の初回の視聴率は16・5%、その後も順調に数字を伸ばし、11月8日放送の第5話で20・3%と秋ドラマで初の20%超えを記録。同月29日の第8話は、世界ボクシング評議会(WBC)のフライ級タイトルマッチ「内藤大助-亀田興毅戦」の直後の放送で22・3%とシリーズで最高の視聴率を記録した。
 また、ドラマのヒットに伴い、現在16巻まで発行されている原作のコミックスも売り上げを伸ばしている。放送前は累計175万部だったが、6月に「ドラマ化決定」という帯を付けて売り出したところ、放送前の9月から売り上げが伸び出し150万部を増刷。現在は累計で360万部を突破している。芳林堂書店所沢駅ビル店の関根俊英さんは「40~50代の普段マンガを読まない層のお客さんが1巻から“一気買い”していくケースが目立った」といい、ドラマを見て原作に興味を持った人も多かったようだ。
 「JIN」は室内のセットはおもに緑山スタジオ、町並みなど屋外は「日光江戸村」(栃木県日光市)や「ワープステーション江戸」(茨城県つくばみらい市)のオープンセットを使用している。
 緑山スタジオには野風がいる吉原の遊郭「鈴屋」や、咲の実家「橘家」の旗本屋敷、仁が開いた診療所「仁友堂」などのセットが組まれていた。目を見張るのは「鈴屋」のセットだ。赤を基調にした2階建てで、ふすまには大輪の花が大胆に描かれている。美術を担当した永田周太郎さんは「吉原のセットを建てる機会なんてそんなにないので気合が入った」といい、2階でも演技ができるよう、しっかりと建てられているセットについて「パッと見たときに華やかな方がいいと思って、全部白木で明るめに作った」と強調した。
 中庭にある「太鼓橋」は竜宮城のようなイメージで設置。橋の色は「赤にしようかなと思ったけれど、黒の方がかっこいいので黒にして、くぎ隠しで金色を使った」と現代風にアレンジした。旗本の橘家は三十石程度の下級武士の屋敷としてつつましく、庭には家庭菜園を置き、だが室内は暗くならないようにした。
 6日放送の第9話では「江戸の大火」の場面で“壊すセット”も作った。「延焼を防ぐのに家を壊すシーンがあって、そこはコントのセットのように家がバターンと倒れるようにした」と工夫も施している。
 スタッフの技術力と熱意、キャストの好演や物語の面白さで高視聴率を続ける「JIN」は、20日放送の第11話でついに完結する。タイムスリップの謎は解けるのか? 残り2回の放送は見逃せない。

 この記事は撮影のために組まれたセットの裏話もあり、ドラマファンには読んで欲しいです。
 原作ファンとしては、最終回の予告映像を見る限りでは、原作から離れたオリジナル要素が多そうでちょっと不安……一方、広げた風呂敷がどのくらい畳まれるか、「この後は映画で」的な引きでほとんど畳まれなかったりするのも嫌だしなぁ(汗)。
 高視聴率に加えて、原作を読んでいない視聴者の方々からも高評価を得て、長いこと原作を愛読してきたファンとしては、有終の美を飾って欲しいのですが。


エンターテインメント
須賀健太が新撰組少年隊士役に挑戦
 TBS系ドラマ「新撰組PEACEMAKER」(水曜深夜0時34分、来年1月20日スタート)の制作発表が11日、都内で行われ、主演の須賀健太(15)D-BOYSの荒木宏文(26)原幹恵(22)新選組リアンの榊原徹士(20)が出席した。累計500万部発売の人気コミックが原作で、これまでとは違ったテイストで新撰組隊士の青春を描く。


名子役から美少年に成長した須賀健太、新撰組隊士への抱負を語る!
[シネマトゥデイ映画ニュース] 11日、セルリアンタワー東急ホテルにて、連続テレビドラマ「新撰組 PEACE MAKER」制作発表会見が行われ、主演の須賀健太、原幹恵、榊原徹士(新選組リアン)らキャスト陣が劇中衣装で登場した。
 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズで天才子役といわれ、映画『釣りキチ三平』で主演を務めるなど、現在15歳ながら順調なキャリアを積んでいる須賀が、ついに連続テレビドラマでも主役を射止めた。土方歳三の小姓という役柄で新撰組の隊士を演じる須賀は「原作ファンの方がたくさんいるので緊張しています」と現在の心境を告白。
 これから撮影を開始するにあたって「主人公は一生懸命な性格なので、自分も同じように演技に取り組みたい。視聴者の方々に次の話も気になると感じてもらえるよう、頑張ります!」と初々しく決意を語った。最後のフォトセッションでは、テレビカメラに向かって自らVサインをしてみせるなど、時折15歳の無邪気な顔をのぞかせていた。
 一方、新撰組隊士たちの世話をする役どころを演じる原は、紅一点着物姿で清楚(せいそ)な色香を振りまき、「着物を着ると、自然と身が引き締まりますね。わたしは本来おしとやかじゃないのですが……着物の力を借りて、そういう雰囲気を出せたら」と謙虚に語っていた。
 「新撰組 PEACE MAKER」は、累計500万部を突破した黒乃奈々絵による人気コミックを原作にしたテレビドラマ。幕末を舞台に、両親のあだを討つため新撰組に入隊した市村鉄之助(須賀)を中心に、新撰組の隊士たちの青春を描く。

連続テレビドラマ「新撰組 PEACE MAKER」はMBSにて2010年1月15日より、TBSにて2010年1月20日より放送


IT
ゼータ ニュースリリース】 第5弾!「iPhone / iPod touch」対応 『i 模試』 にてエンタメ系 「新撰組クイズ」 100問をリリース!
 『i 模試』の「マーカー機能」を使って、エンターテイメント系クイズとして、『新撰組』に、特化したクイズ100問を解説付きでメジャーなモノからニッチなモノまでを提供。
 ・新撰組好きの彼女の前でのウンチクに!
 ・新撰組ファンのあなたなら何問まで解けるかチェレンジ!
などなど・・・
(以下略)

 iPhone持ってないので挑戦できません……(涙)。ただ、新選組は史実的にも異説異論の類が多いので、テスト問題にできるのはコアなファンにはあまり面白みのない部分じゃないかなぁとも思ってしまいます(苦笑)。






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