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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
昨日は母と長話しました。玉木宏、とりわけ『のだめカンタービレ』の千秋様が好きと知って、「この母にしてこの娘《こ》あり」を実感しました(苦笑)。


京都
龍馬ゆかり 伏見に石碑
土佐藩邸跡など6カ所 関係者ら除幕式

 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の放映を前に、伏見観光協会と伏見納税協会青年部会は26日、主人公の坂本龍馬が愛した伏見にある幕末の歴史ゆかりの地6カ所に石碑を建立した。月桂冠情報センター敷地内の伏見土佐藩邸跡で除幕式があり、約30人の関係者が新たな観光資源の誕生を祝った。

 ■大河ドラマ放映前、観光活性化

 石碑の建立は、ドラマの影響で観光客の増加が見込まれる伏見の歴史を掘り起こし、新たな散策コースを作る狙い。京都市のニューツーリズム創出事業の補助を受け、地元で設置に取り組んだ。事業費は約250万円。
 石碑は高さ約1・1メートルで説明板付き。伏見の長州藩邸跡、会津藩駐屯地跡、新選組の近藤勇が銃撃された地、鳥羽伏見の戦いの激戦地(伏見口)、龍馬が寺田屋で襲撃された際に避難した材木小屋の跡地などに建立した。
 月桂冠情報センター前での除幕式では、同観光協会の大倉敬一会長が「年間を通じて観光客を誘致し、伏見の活性化に取り組みたい」とあいさつ。石碑を除幕すると出席者が盛んに拍手を贈った。


山口
【龍馬ゆかりの地を行く】高杉晋作と語る夢 関門海峡
 若くして暗殺されるという短い生涯にもかかわらず、土佐や京都、九州など全国各地に足跡を残した幕末の志士、坂本龍馬。
 そんな龍馬が、下関(山口県)で過ごした時期があったという。龍馬が勇躍した時期を、土佐脱藩から京都で暗殺されるまでのおよそ5年間とみれば、そのうちの通算約半年間を下関で過ごしており、その存在意義は決して小さくない。
 「下関が龍馬ゆかりの場所だったと認識されていないのは、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の影響が大きい」
 こう指摘するのは、幕末維新期に詳しく、「龍馬が愛した下関」の著作もある同県萩市特別学芸員の一坂太郎さん(43)だ。
 龍馬を国民的英雄に押し上げる役割をはたしたという小説「竜馬がゆく」では、龍馬が下関を本拠とした時期には長崎にいたことになっている。
 しかし、「龍馬の最大の功績とされる薩長同盟締結の仲介は、下関を拠点にして進められ、愛妻・お龍(りょう)との結婚生活も、短期間ながら下関で営まれたんですよ」と、一坂さんは言うのである。

×    ×

 JR下関駅近くの国道191号沿い。白石正一郎邸跡が、石碑とともにひっそり残っている。
 「土佐を脱藩した龍馬が、最初に目指したのが下関。荷受け問屋の大年寄、白石正一郎の所を目指したのではないか」
 勤王の志士をテーマにした作品も多い下関在住の直木賞作家、古川薫さん(84)は、こう推測する。
 文久2(1862)年3月、土佐を脱藩し、瀬戸内海を渡ったあとの龍馬の行程は詳しく分かっていないが、「“走りながら考える”龍馬。志士らを支援し、商売柄さまざまな情報も集まる白石を頼った」と、古川さんはみる。

 その後も何度か下関に現れた龍馬だが、慶応元(1865)年5月以降は、薩長同盟締結に向けてさらに頻繁に訪れるようになる。長州藩の桂小五郎と薩摩藩の西郷隆盛の会談を下関で設定したり、薩摩藩の意向を長州藩士らに伝えたりし、下関は日本の運命を決めた同盟締結への「地ならしの地」だったといえる。
 白石邸跡から東へ1キロあまり、昔も今も数多くの船が行き交う関門海峡が見渡せる岸壁に、鋭く反り合う一対の石柱がそそり立つ。
 「『青春交響の塔』。日本の近代史を大きく動かした2人の若者の、海峡沿いでの邂逅(かいこう)を記念し、平成15年に設置されたものです」
 石柱の表面に刻まれた2人の志士のレリーフをなでながら、古川さんが説明する。レリーフに描かれた2人は、龍馬と、長州藩士の高杉晋作だ。

×    ×

 幕末の動乱の中で出会った龍馬と晋作。互いにひかれ合ったのか、晋作は上海で入手したピストルを龍馬に譲ったり、幕府による長州再征に際して長州海軍総督だった晋作の求めに応じ、龍馬が船で加勢するなど、2人の絆(きずな)はどんどん深まっていった。
 その海戦直前の慶応2年6月15日未明、2人は下関の海べりで、戦場となる海峡をながめながら語り合った、という。
「固い友情で結ばれた2人は、互いの志を語り合ったに違いない。きっとこんなふうに…」。古川さんはイマジネーションを膨らませる。
 「高杉さん、間もなく新しい時代がやって来るぜよ」
 「坂本さんの望みは何でありますか」
 「わしは役人になるのは好かんきに、外国を相手に商売をやります」
 「面白そうじゃのう」
 しかし、このあと、晋作は1年足らず、龍馬も1年半でこの世を去る。
 塔の横に鎮座する銘板には、こう刻まれている。
 「天は時代を先駆けたこの両雄に、そのときからわずか一年の命しか与えなかったが、日本史上に輝く足跡をのこすにはすでに充分だった」


 「長州藩」 長門、周防の2国からなり、萩藩を宗藩に、長府、清末、徳山、岩国の4支藩を持ち、下関は長府藩に属していた。幕末の長州は、馬関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)や文久の政変、禁門の変、幕府の長州征伐と、つねに大きな動乱の渦中にあった。雄藩同士が手を組んで倒幕を目指し、やがて明治維新への礎となった薩長同盟は、こうした流れの中で締結された。
(小林宏之)



長崎
長崎歴文博で勝海舟の部屋公開 「龍馬伝館」来月9日オープン
 長崎歴史文化博物館(長崎市立山1丁目)は26日、幕末の志士坂本龍馬の生涯を描く来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせて館内に開設する「長崎奉行所 龍馬伝館」の一部を報道陣に公開した。
 「龍馬伝館」を設置する2階「奉行所展示ゾーン」は1月9日のオープンに向けて工事中で、現在6割ほどの仕上がり。龍馬の師匠・勝海舟の部屋をイメージした「実演展示 勝麟太郎邸」では、15畳の和室に赤じゅうたんを敷いてテーブルやいすを並べ、龍馬と勝に扮(ふん)したガイドが展示解説をする。
 大堀哲館長は、開館5周年記念特別展「岩崎弥太郎と三菱コレクション」(11月19日~2011年1月10日)▽寸劇「三人の龍馬がゆく」上演▽併設レストランの幕末西洋料理再現ランチ(1200円)-など「龍馬伝館」開設期間中の関連行事を発表した。 1月3日は午前10時半から、同館エントランスホールに設置する龍馬と弥太郎像の除幕式がある。


ブックレビュー
今週の本棚・情報:坂本龍馬の“日記”を構成
 新人物往来社は『完本 坂本龍馬日記』を出版した。1835年の誕生から67年に暗殺されるまでの生涯を、111冊の文献や史料に残る記述を時系列に整理。本人の“日記”として再現している。その日、龍馬が一体どこで何をしていたのか、すぐに確認できる構成だ。
 編者は幕末史研究家の菊地明さんと山村竜也さん。512ページ、2万1000円。







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