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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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まだ超歌劇『幕末Rock!』雷舞のストリーミング配信が続いているため、毎日のように視聴しています。ちゃんと覚えていたはずなのに、歌詞が出て来なくなったのは大丈夫か自分(汗)。

高知
幕末の志士 武市半平太 田畑など売却を示す直筆証文発見
尊皇攘夷を唱えた幕末の志士、武市半平太が、後の「土佐勤王党」の一員となる志士などが通った剣術道場を開いたあと、田畑などを売ったことを示す直筆の証文が見つかりました。専門家は「資金を道場の運営などに充てたと見られ、当時の状況を物語る貴重な資料だ」と指摘しています。
武市半平太は、坂本龍馬などとともに「土佐勤王党」を結成し、尊皇攘夷運動を展開しました。

ゆかりの深い地元の豪農の子孫が所有する高知市の蔵を調べたところ、嘉永5年(1852年)に当時24歳だった武市半平太が、田畑や山林を売ったことを示す証文が見つかりました。

「考えるところがあって売ります」という内容が、丁寧な字で記され、高知県の佐川町立青山文庫の松岡司名誉館長が鑑定した結果、直筆で署名と黒い印章も本人の物と確認されました。

この時期は、岡田以蔵など後に土佐勤王党の一員となる志士も通った剣術道場などを建てた2年後にあたるということです。

松岡名誉館長は「売却で得た資金を道場の運営や生活に充てたと見られる。暮らしに関連する直筆の資料が見つかったのは初めてで、当時の状況を物語るとともに、きちょうめんな性格がにじみ出た資料だ」と話しています。

このほか本人が使ったと見られる刃渡り55センチの脇差しや明治以降に描かれた珍しい立ち姿の肖像画なども見つかり、松岡名誉館長は、「本人の息づかいが感じられる貴重な資料だ」と指摘しています。
武市半平太 新たな発見は8点
今回見つかったのは、武市半平太に関係する8点の資料です。

このうち直筆と確認された証文は、嘉永5年、1852年の年末、田畑や山林を地元の豪農に売った際のものです。署名や黒い印章の「黒印」が添えられ、「考えるところがあって、あなた様に売ります」という内容が書かれ、「八十文銭三貫八百目」を受け取ったと記されています。

また本人が使ったと見られる刀は、刃渡り55センチの脇差しです。切腹で生涯を閉じたあと、生活に困っていた妻から買い取ったという話が、代々伝えられてきたということです。
松岡名誉館長は、両家の関係の深さから武市の刀である可能性が高いと見ています。

珍しい立ち姿を描いた肖像画も見つかりました。明治から昭和のはじめにかけて活躍し、坂本龍馬の肖像画をかいたことでも知られる高知市出身の画家、公文菊僊が手がけたもので、縦1メートル15センチ、横40センチで、りんとしたはかま姿が描かれています。
立ち姿の肖像画は初めてだということで、松岡名誉館長は「これまで見たことのない剣士の姿を描いていて、価値の高い資料だ」と話しています。
武市半平太とは
土佐の幕末の志士、武市半平太は、天皇を中心とした新しい国をつくろうと坂本龍馬などとともに「土佐勤王党」を結成し、尊皇攘夷運動に力を注ぎました。剣術の腕前でも知られ、地元で立ち上げた道場には、後に土佐勤王党の一員となった岡田以蔵なども通ったということです。

尊皇攘夷の気運が、一時衰えた際藩内の主導権争いをめぐって切腹を命じられ、明治維新を目前にした慶応元年(1865年)5月11日、志半ばで37歳の生涯を閉じました。出身地の高知市仁井田には、墓と生家が残り、業績を紹介する瑞山記念館が建てられています。地元の人たちは、毎年の命日に慰霊祭を行っています。
武市半平太、田畑売る証文/剣術道場の運営資金か
坂本龍馬らが参加した土佐勤王党を結成した幕末の志士武市半平太(瑞山)が1852(嘉永5)年、田畑などを売ることを示した直筆とみられる証文が見つかったことが7日、分かった。高知市の歴史研究家松岡司さん(74)が筆跡などから鑑定した。半平太は当時、剣術道場を開いており、松岡さんは「運営資金に充てた可能性がある」とみている。

 証文によると、半平太は現在の高知市の生家近くにある豪農に田畑や山林を「思うところがあって」売り、資金を受け取ったとみられる。和紙に毛筆で書かれており、豪農の子孫が掛け軸にして保管していた。
広島
尾道文治謎の落語家 高まる再発見の機運 広島
 幕末から明治にかけ、「尾道文治」の名で知られた落語家、桂文治を再発見する取り組みが終焉(しゅうえん)の地となった広島県尾道市で進んでいる。怪談噺を得意とし、六代目桂文治(1843~1911年)と親しかったともいわれるが、その生涯は謎に包まれている。【渕脇直樹】

 「今夜はしっかり笑ってもらえれば、文治のためになる」。尾道市東土堂町の信行寺で11月26日に開かれた尾道文治をしのぶ落語会で、鶴山豊教住職は約80人の落語ファンに呼びかけた。寺には文治の墓があり、「丹頂文治藝姓桂 享年九十三才」と刻まれている。

 市史編さん委員会事務局の林良司さん(40)によると、尾道文治は現在の尾道市久保1丁目付近に居を構え…
 以下は有料記事です。

島根
浜田城跡に「葵の紋」入り鬼瓦としゃちほこ片発見
 島根県浜田市殿町の浜田城跡で、天守に使われていたとみられる徳川家の家紋「葵の紋」入りの鬼瓦と、しゃちほこの目玉周辺部が見つかった。浜田城は幕末の第2次長州征伐の際に藩主が「自焼退城」し、天守は残っていないため、遺物は往時の城のしつらえを伝える希少な史料。鬼瓦は、藩主が代わった際に瓦替えが行われたことも示している。市は2019年の浜田藩開府400年に向けた機運醸成に活用する考えで、17日に一般公開する。
【詳しくは本紙紙面をご覧ください】
福岡
平田家住宅座敷棟「慶応2年建設」墨書発見 小郡市指定有形文化財 /福岡
 小郡市の市指定有形文化財「平田家住宅」の座敷棟で、建設年代が1866(慶応2)年であることを示す墨書が見つかった。座敷棟は主屋と同じ1879(明治12)年の建設と推定されていたが、10年以上さかのぼることになった。市文化財課は「建設時期を具体的に示す貴重な発見だ」と評価している。

 墨書は座敷棟の玄関部分の壁板から発見さ…(以下、有料記事)
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