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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
茨城
古河で「幕末・明治」展 高札や宿泊日記44点26日まで 戊辰戦争の史料公開
古河市三和地区に残された戊辰(ぼしん)戦争(1868〜69年)や明治黎明(れいめい)期の史料に光を当てた「館蔵資料にみる幕末・明治」展が、同市仁連の三和資料館で開かれている。五榜(ごぼう)の掲示を知らせる高札や、大鳥圭介(1833〜1911年)率いる旧幕府軍が、日光への行軍途中で同地区に宿泊した際を記す日記などが興味を引く。会期は26日まで。

新政府と旧幕府の両軍が激戦を繰り広げた戊辰戦争は、鳥羽伏見の戦いや会津戦争、箱館戦争などが有名。現在の結城市などでも1868年4月16、17の両日、江戸を脱走した大鳥らの旧幕府軍と、宇都宮から駆け付けた新政府軍が4度の戦火を交えた(下野小山の戦い)。

同展はこれらの歴史を地元や県民に知ってもらおうと、来年の明治改元150年を記念して企画された。展示品計44点のうち、多くが初めての公開。

高札は4枚あり、いずれも現在の内閣府に当たる「太政官」の文字が目を引く。2枚は冒頭に永続的な決まり事を示す「定(さだめ)」と記され、徒党や逃散(ちょうさん)、キリスト教の禁止を示したもの。残りは一時的な決定を示す「覚(おぼえ)」と、国際法の順守や許可なく土地を離れることの禁止が示されている。

館蔵資料では、仁連新田の代名主や諸川宿の町名主が記した「当用雑手控書留(とうようざつてびかえかきとめ)日記」「戊辰年(ぼしんのとし)日記」などが並ぶ。小山の戦い直前の旧幕府軍の規模、大鳥らの宿泊の過程、軍勢の様子などが記されており、突然現れた数百人の軍勢に町が混乱する様子がうかがえる。

このほか廃藩置県により、1871年7月から4カ月間だけ存在した「古河県」を示す公文書なども展示した。

同館の白石謙次学芸員(44)は「古河市には当時の貴重な史料が多く残されている。身近にあった戊辰戦争などに触れて、歴史や地域への関心を高めてもらえたら」と話した。

開館は午前10時〜午後6時(入館は同5時半まで)。入場無料。問い合わせは(電)0280(75)1511。

(溝口正則)

県歴博発表幕末の松山・ポルトガルつなぐ時計発見
 県歴史文化博物館(愛媛県西予市)は14日、明治時代初期にポルトガル領事が松山藩知事に贈った懐中時計が見つかったと発表した。松山市の個人から今年3月に寄贈され、調査を進めていた。同館の井上淳学芸課長は「幕末に松山藩が軍艦を購入した経緯や、ポルトガル領事との深いつながりを示す貴重な史料」としている。

大分
解体新書と前野良沢を探る 宝暦年中分限帳など初公開 中津市で特別展 [大分県]
 明治の巨人・福沢諭吉が「文明開化の濫觴(らんしょう)(原点)」と評した解剖書「解体新書」を著した1人で、中津藩医前野良沢(1723~1803)。良沢の活躍を描くNHK正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命編」(来年1月1日)が放映されるのを前に、同市は大江医家史料館で特別展「『解体新書』と前野良沢」を開催中だ。「解体新書」のドイツ語原著をはじめ、今回発見された良沢の名が記された唯一の藩士一覧表「宝暦年中分限帳」など初公開史料4点を含む23点が展示されている。来年2月12日まで。

 良沢は本道医と呼ばれる漢方医。中津3代藩主奥平昌鹿の母親の骨折を、長崎の大通詞(通訳)で蘭方医・吉雄耕牛(1724~1800)が見事に直した技術に衝撃を受ける。「宝暦年中分限帳」の記載では、藩医の3番目に位置。安定した身分が保障されているにもかかわらず、40歳を過ぎてから猛然と蘭学を学び始めた。今と違い、内科主体の漢方医と外科中心の蘭方医との間には明らかな格差があった時代。市教育委員会文化財室の曽我俊裕さんは「格下ともいえる蘭方医の高い技術力を素直に認め、自分のものにしようとした学問への探求心は良沢らしい」と話す。

 昌鹿の庇護(ひご)の元、長崎遊学も果たし、吉雄にも師事。「解体新書」を著すきっかけとなるオランダ語版の「ターヘル・アナトミア」もこのとき入手したとされる。偶然、同書を持っていた小浜藩医・杉田玄白と江戸で死体の解剖を見学したことがきっかけで、同書の正確さに驚き、翻訳を決意する。良沢は、当時、医者の主流だった漢方医に向けた解剖書を目指した。例えば「神経」という用語は全ての生理活動の元を表す「神気」と、気や血の循環経路を表す「経絡」からの合成で、「漢方の考え方に基づく用語の創造は、多くの漢方医に違和感なく理解してもらうためでは」と曽我さん。

 蘭日辞書などない時代。中津藩江戸中屋敷(東京都中央区)で始まった作業は、オランダ語が分かる良沢をしても困難を極めた。今回、展示されているフラソンワ・ハルマ著「蘭仏辞書」も良沢は駆使。訳出困難なオランダ語はフランス語に一度翻訳。それを長崎にいたフランス語にたけた知人の通詞に日本語への再翻訳を依頼する手法で一つ一つつぶしていった。

 それでも翻訳不能な箇所は膨大だったことから問題が起きる。良沢は“不完全な”「解体新書」刊行を渋ったとされる。曽我さんは「完璧主義者の良沢は同書の不完全さを誰よりも熟知し、精度を高めることを主張。出版を急ぐ玄白と対立し、著者名の中に自分の名前を入れることを拒絶したのだろう」と想像する。

 「解体新書」出版後、良沢は表舞台から姿を消す。今回展示されている良沢が著したロシア歴史書「魯西亜(ろしあ)本紀」に、曽我さんはヒントを見いだす。ロシアは18世紀後半から、樺太や千島列島(クリール諸島)への軍事的圧力を強化。江戸幕府は北方対策に追われる。ロシア対策に腐心した老中松平定信とじっこんだった4代藩主昌男を通じて、オランダ語のロシア関連書籍翻訳を指示されたのではないか。曽我さんは「弟子の大槻玄沢も幕府直属の蕃書和解御用(東京大前身の一つ)となり、ロシア関連書籍の翻訳にも当たっている。良沢の晩年は、ロシアの歴史やカムチャツカ半島の地理などに精通しており符合する」と話す。

 同展では、16日午後1時半から、中津の医学史料の研究を行う九州大名誉教授のヴォルフガング・ミヒェル氏による記念ギャラリートークもある。火曜休館。午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)。28日から来年1月3日まで無料開放。一般210円、大学・高校生100円、中学生以下無料。

=2017/12/16付 西日本新聞朝刊=
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