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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 昨日今日の幕末ニュースです。

埼玉
八潮の歴史ひもとく・28日まで「高橋家文書展」
 古文書から知る八潮の歴史「高橋家文書展」は市立資料館で28日まで(毎週月曜日と祝日の翌日は休館)開催中。
 旧大瀬村名主を務めた、高橋家所蔵の全2724点の古文書は、江戸時代から明治ごろまでの市域のようすがわかる貴重な史料として、市文化財保護課で1985年からマイクロフィルム化し、写しを全235冊に製本する作業がこのほど終った。高橋家から文書が市に寄託されたことに伴い、一般公開することになった。
 展示は、クマタカ、オオタカのはく製3点含め47点を展示。大瀬村の生活、将軍様の鷹場、幕末と明治維新を柱に、高橋家に残る最古の検地帳(寛永4年=1627)はじめとした文書で、幕府の直轄地天領で鷹狩場、徳川御三家の水戸家の家臣・森川家の領地であったこと、年中行事、村の使役などがわかる構成。清水の次郎長の子分で有名な大瀬の半五郎が殺害事件を起こしたことを伝える文書も展示されている。2007年度にも第2弾を予定。


川越藩鉄砲隊『いざお台場へ出陣じゃ』
武者役10人を“募兵”

 本格的な甲冑(かっちゅう)姿で演武を披露している「川越藩火縄銃鉄砲隊保存会」が、東京・お台場で四月一日に行う甲冑行列と火縄銃演武「お台場警備と川越藩鉄砲隊」に向け、十人を“募兵”している。同所で火縄銃演武が行われるのは初めてという。
 今年は川越城築城五百五十年と、川越市制施行八十五周年の節目の年。寺田勝広代表(62)はお台場での演武について、「幕末、ペリー来航を機に品川沖に台場が築かれたが、川越藩がその台場を守っていたという史実を知ってもらいたい」と話す。


京都
京で「おばけ行列」
3社寺を練る

 節分会にちなんだ「おばけ行列」の一行が3日、京都市内の社寺3カ所を練り歩いた。鬼やかっぱ、牛若丸など自分の好みの姿に仮装した約70人が、参拝客でごった返す沿道をゆっくりと進んだ。
 昔は立春で年が変わり、大みそかに当たる節分の日に仮装して社寺に参拝して、1年の厄を追い払う風習があったとされる。

 「参加者はインドの民族衣装を着たり新選組や静御前にふんしたほか、ヒイラギの葉とイワシを多数つるしたむしろを身にまとう人もいた」という一文が、検索で引っかかってきました。

佐賀
幕末の種痘記録を新発見 伊万里の旧家から
 伊万里市の旧家に伝わる史料から、幕末期に佐賀藩が全国に先駆けて導入した種痘(しゅとう)に関する記録が見つかった。山代郷立岩村(同市山代町)で藩派遣の医師らが子どもたちに接種した記述などがあり、史料を調べている佐賀大学地域学歴史文化研究センターは「佐賀藩が組織的に導入を進めたことを示す貴重な史料」と話す。
 種痘は1849(嘉永2)年、10代藩主鍋島直正が長男の淳一郎(直大)に接種させ成功したのを機に、全国に広がったことで知られる。佐賀藩は同年、好生館に「引痘方」を設けて藩内で推進したとされてきたが、庶民層への導入経過は不明な点が多かった。

 
鹿児島
維新ふるさとの道、基本計画決定
 西郷隆盛や大久保利通など明治維新の偉人たちを輩出した鹿児島市の加治屋町に「維新ふるさとの道」が整備されることになり、その基本計画がまとまりました。維新ふるさとの道は鹿児島市加治屋町の大久保利通の銅像前から高麗橋にかけての甲突川左岸の緑地帯に鹿児島市が整備する計画です。


文化
「近代産業遺産」選定へ、経産省が産業史関連施設から
 経済産業省は今年10月に、「近代産業遺産」を選定することを決めた。
 近年、日本の近代化に大きな役割を果たした炭鉱や製鉄、造船、製糸などの工場や関連施設の価値について、国民の理解が深まりつつあるのを背景に、地域の歴史遺産を経済や教育の活性化につなげようと企画した。
(中略)
 例えば、「幕末から明治にかけ、九州や山口県で積極的な西欧技術の導入、改良が行われ、世界史的にも類をみないスピードで飛躍的な近代化を成し遂げた」とのストーリーで、北九州市の八幡製鉄所や長崎市のグラバー邸、鹿児島市の尚古集成館などを一連の「遺産」として選定することなどが考えられる。


「近代産業遺産」選定へ…経産省
 内容は上記の記事と同じようです。

コラム
【ひとすじの蛍火-吉田松陰 人とことば】夏編(10)予言
■「幕府は人心を失っています。名医の秘薬でも、すでにこと切れた病人を生き返らせることはできますまい」
 後世に生きるわれわれは、米国東インド艦隊司令長官、ペリー率いる「黒船」が嘉永6(1853)年6月、突如出現し、日本は二百十余年におよぶ鎖国政策がもたらした太平の眠りからたたき起こされた-との印象を持ってしまいがちだが、事実は少し違うようだ。
 この連載でも何度かふれたように、外国籍の不審船は十数年前から日本海、太平洋を問わず、あちらこちらの沿岸に出没している。また、発禁処分となったものの、18世紀末には「海からの侵略」を警告する書物が発表されていた。その提言は語り継がれ、「植民地主義」ということばは使われなかっただろうが、イギリスやロシアなど列強の領土拡大政策やアヘン戦争についての情報はすでに翻訳され、知識人層に読まれていた。
 吉田松陰が「幕府が隠したところで外国船が各地に出没していることはみなしっている」と記し、松陰の師、佐久間象山がペリー来航のさい、「だから言っていただろう」と憤慨したのはこのためである。
 実は、幕府は1年も前からペリーが来航することを知っていた。

 『風雲児たち 幕末編』でも、オランダからの報告を軽視する幕府が描かれてましたね。
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