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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 あれから1年……さまざまな思いがあり、いまだ言葉になりません。14時46分に黙祷しました。

神奈川
連続歴史講座
ふるさと幕末人物伝

 幕末を生きた三浦半島の人物に迫る歴史講座「ふるさと幕末人物伝」が今月末に開講する。主催は三浦半島の文化を考える会。市内郷土史家らが講師を務める。

 日程は、3月31日(土)「浅葉仁三郎―日記から見た人物像」、4月7日(土)「海防期に躍進する小坪の浜名主」、4月14日(土)「浦賀周辺の文人―加藤山寿を中心に」。いずれも時間は午後1時半〜3時半で、会場はヴェルクよこすか。参加費1500円(3回分・資料代)。希望者ははがきに住所・氏名・【電話】を明記し、〒238―0035池上2の1の5三浦半島の文化を考える会事務局(久保木実さん方)。3月24日(土)必着。(問)【電話】046・852・0714


富山
北前船史料1万点寄贈 加賀の大家家
 幕末から明治にかけて北前船の一大拠点だった加賀市大聖寺瀬越町の二大船主の一つ、 大家(おおいえ)家から1万点を超える史料が金沢市立玉川図書館近世史料館に寄贈され 、同館は新年度から整理、調査に乗り出す。北前船で栄えた同町はかつて、日本有数の「 富豪村」とも称され、史料から大家家の北前船主としての規模や各港での取引状況を読み 解く。
 史料は昨年7月、同町の大家家現当主、大家紹嘉(つぐよし)さんから寄贈された。各 港でどんな品物が、どんな価格で売買されたかを記録した「仕切(しきり)帳」が中心で 、北前船での航海や遭難、造船の状況が分かる史料もある。船を任せた船頭や水主(乗組 員)、各港から、船主に取引の指示を仰ぐ手紙も残っていた。

 同館によると、大家家は天保年間、船頭だった二代目の七三郎が船主として独立、幕末 から昭和にかけての四代目、七平の時代に最も栄えた。明治期は蒸気船の登場や鉄道網の 発達などで、北前船主を取り巻く状況は大きく変化しており、史料を整理すれば、石川の 海運業の状況が明らかになる可能性がある。

 古文書の知識がある市民の協力を得て、新年度から整理を始めるが、史料が膨大なため 1年以上かかるとみられる。整理した史料は目録を作成し、一般公開する。同館の袖吉正 樹さんは「北前船は全国に研究者がおり、調査に役立ててほしいというのが現当主の意向 でもある。これだけ多くの史料があれば、新たなことが分かるだろう」と話した。


京都
新撰組隊士が京都をガイド! “薄桜鬼~京都探訪録~二〇一二・春”の販売がスタート
薄桜鬼~京都探訪~二〇一二・春 本日販売開始!
ゲーム「薄桜鬼」公式ツアー発売-新選組ゆかりの地を声優イヤホンガイドで巡る

山口
福島の作家星さん萩で15日に講演
 東日本大震災の被災地を巡った福島県在住の作家星亮一さん(76)が15日午後6時半から、萩市の萩市民館小ホールで講演する。演題は「東北は負けない~会津藩に学ぶ復興の半世紀~」。被災地の苦しい状況を、戊辰戦争後に朝敵とされた旧会津藩の苦難の歴史と照らし合わせて復興への思いを語る。

 萩市や福島県内の歴史研究家らでつくる「萩と会津の友好を考える会」などが企画した。

 星さんは震災後4か月間、福島、宮城、岩手県内の被災地を巡回。高さ10メートルの防潮堤を超えた津波が町を根こそぎ流してしまった光景や、原発事故で多くの人が故郷を離れて地域の共同体が崩壊している様子を目の当たりにした。

 星さんは「東北の人たちは意気消沈していない。以前の豊かな東北を取り戻そうと、不屈の精神で復興を目指している」と見ている。講演では「東北人の魂」を伝え、萩市民が会津若松市などを支援してくれたことに感謝する。

 原発の廃炉などを終えて被災地が復興を果たすためには、旧会津藩が朝敵とされて苦しんだ約半世紀くらいの歳月がかかるという観点で、同藩の歴史に触れる。

 星さんは福島県の新聞社、民放テレビ局勤務を経て作家になった。戊辰戦争研究会代表も務めている。当日先着順で定員80人。無料。問い合わせは萩市企画課(0838・25・3102)へ。

(2012年3月7日 読売新聞)



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(152)東大教授・山内昌之 鮫島尚信

「外交官第一号」の胆力

 尖閣諸島や北方領土の問題といい、「従軍慰安婦」の問題といい、最近の日本外交はいいところがない。外交懸案が生じても、きちんと押し返せないのである。

 沖縄の米軍普天間飛行場の移転問題にしても、政治主導にこだわるあまり当事者間で慎重につめてきたガラス細工のように繊細な合意を一夜にして壊してしまった。最大の責任者が鳩山由紀夫氏であることは論をまたない。日本の外交安全保障の要を毀損(きそん)した人物が民主党の外交担当最高顧問に就くと聞いて絶句した人も多いのではないか。

 知識が少しばかりあっても、物に動じない胆力や健全な愛国心をもたない人間は政治家であれ外交官であれ、国の危機にも鈍感である。反対に、言葉や経験が未熟でも、国のために何をなすべきかと自問した幕末明治人は、まず理屈でなく体が本能的に動いた。慶応元(1865)年に、薩摩藩留学生として森有礼(ありのり)や五代友厚らと一緒に英国に留学した鮫島尚信もその一人である。

 ロンドン大学で1年間学んだ後、森ら5名と一緒に渡米したが、3名が帰国しても鮫島は森らとともに残り、ブドウ園で働きながら学んだ。いくつになっても親がかりの苦労知らずとは違うのだ。

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 帰国した鮫島は、条約改正のための「弁務使」として欧州に派遣されることになり、ややあって明治4(1871)年に政府は「第四等のジプロマチクエゼント(diplomatic agent)」として彼を処遇するように英仏プロイセンの3国に求めた。これを犬塚孝明氏は「外交官第一号の誕生」と呼ぶ。鮫島は、英国では留学生上がりの青二才扱いをされたが、フランスではまずまずの接遇を受けた(『明治外交官物語』吉川弘文館)。

パリでの努力大きく実る

 パリでは、事情通の英国人秘書フレデリック・マーシャルを雇い、情報収集と人間関係の拡大に努めた。鮫島は、ワシントンに派遣された森有礼とともに、外交実務の研究、条約改正の交渉実務、留学生の調査監督、お雇い外国人との契約交渉、在留日本人や渡航者たちの世話にあたったのだ。かれらは「日本にとって不慣れな外交を国際社会が認める水準にまで引き上げた二人の努力を忘れるわけにはいかない」と犬塚氏もいとおしげに述べている。

 鮫島にとってフランスはイギリスよりも穏やかで親切であった。とくに文化交流には熱心で、岩倉使節団が訪れたときも、希望する施設をすべて開放し見学の便宜を与えてくれたようだ。しかし、フランスに限らず欧州各地で使節団らがまごつかなかったのは、鮫島が欧州の外交慣行や儀礼にのっとって、あらかじめ便宜供与や調査協力を依頼していたからだ。鮫島の外交努力や、彼が築いた外交界の人びととの信頼関係、それに積極的な文化交流活動がなければ、岩倉使節団も成果を挙げられなかったかもしれない。

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 また、日本の近代諸法典を指導したフランス人ボアソナードを日本人留学生たちに引き合わせたのも鮫島である。日本公使の熱意にほだされたボアソナードは日本行きを決心し、20年の長きにわたり日本に滞在することになった。犬塚氏は、法学教育を通して日本にフランス文化を根付かせたいという鮫島の熱い思いが、ボアソナードの心を動かしたと考える。鮫島の情熱とボアソナードの善意の共鳴を語る犬塚氏の見方はまことに好ましく、共感をそそられる。そして、鮫島が教育と文化を通して、国際交流を進めていくことこそ、外交官が果たすべき重要職務と考えたという指摘も興味深い。

 鮫島がレジオン・ドヌール勲章オフィシエに叙されたのは当然であろう。いまのように日本人叙勲者が珍しくない時代のことではない。

外国交法案内を執筆刊行

 しかし、鮫島の真面目(しんめんもく)は、後進の若い外交官のためにマーシャルの協力を得た英書『外国交法案内』(Diplomatic Guide)の執筆刊行であった。私はまだ読んでいないが、日本人による最初の外交官心得や外交慣例入門ともいうべき実務の書物である。パイオニアはいつの時代も、どの分野でも偉大である。日本語でなく英語で出したあたりに幕末明治人の心意気と自負心がうかがわれ、現代日本人の向上心をも刺激する。

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 外務大輔(だゆう)(いまの外務次官)となって帰国した鮫島は、再び特命全権公使として渡仏した。条約改正に執念を燃やす外務卿寺島宗則の懇請によるものだ。余人をもって代え難いとはこのような場合に言うのだろう。鮫島は、外国郵便物をすべて日本が扱うことを認めさせるなど着実に不平等の基盤を切り崩していった。それでも、改正交渉は欧州各国の結束で挫折を余儀なくされた。激務と心労の結果、鮫島は明治13年師走に倒れた。意識朦朧(もうろう)となっても国家の行末を思って怒気を発したというから凄(すご)い。肺病だったのだろう。

 35歳の若さで死んだ鮫島は、モンパルナスの墓地に葬られた。大統領名代をはじめ各国大公使も列席した。改正交渉に挫折した鮫島の死は、同情をもって迎えられたはずだ。ここでも犬塚氏の筆は、「ヨーロッパ外交界が純粋な気持で勢いっぱい示してくれた敬意でもあった」とあたたかい。政治家と官僚外交官の敷居をやすやすと乗り越えた維新明治の先人には学ぶべき点が多い。(やまうち まさゆき)



【プロフィル】鮫島尚信

 さめしま・なおのぶ 弘化2(1845)年、薩摩(鹿児島)藩医の家に生まれる。慶応元(1865)年、薩摩藩留学生として英国ロンドン大に学ぶ。同3年、渡米し苦学。明治元(1868)年に帰国し、新政府の外務大輔などを歴任。11年に駐仏特命全権公使に任じられるが、13(1880)年にパリで病没した。


エンターテインメント
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