忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 プリンタがメカ系故障でお釈迦になってしまった(死語?)ので、昨日新しいのを買いにでかけました。
 ついでに立ち寄った本屋で、『うまんが』文庫版第2巻が出ていたので、つい買ってしまいました(リンク先はamazon.co.jp)……『サカモト』といい、『ひまわりっ~健一レジェンド~』といい、毒のあるギャグがツボにはまるみたいです(苦笑)。

東京
写真に見る近代幕開け
都写真美術館でカメラなど250点展示

 幕末から明治期の写真やカメラなどの資料を紹介する展覧会「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」(読売新聞東京本社など主催)が、目黒区の東京都写真美術館(三田1)で開かれている。
 全5回シリーズの第2弾の今回は、中部、近畿、中国地方編。展示は「であい」「まなび」「ひろがり」をテーマにした3部構成になっている。
 1860年に遣米使節団としてニューヨークを訪れた武士が被写体となり、現地の写真館で撮影された写真をはじめ、「兵庫大仏」(撮影者不詳、1890年頃)といった国内各地の名所や旧跡の写真など計約250点が並ぶ。幕末に漆などを使って作られた「堆朱(ついしゅ)カメラ」=写真=の展示も。
 同美術館では、担当者が約2年かけて、西日本の美術館や博物館などに足を運び、出品作を集めてきた。三井圭司学芸員は「写真を観覧する際に、被写体だけでなく、撮影者や時代背景にも思いをはせてもらえれば」と話していた。
 5月10日まで。月曜休館(同4日は開館)。一般500円、学生400円、中高生と65歳以上250円。問い合わせは、同美術館(電)03・3280・0099へ。

NYでの武士や兵庫大仏、「夜明けまえ」写真展第2弾
NYでの武士や兵庫大仏、「夜明けまえ」写真展第2弾
 幕末から明治期の写真やカメラなどの資料を紹介する展覧会「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史」(読売新聞東京本社など主催)が、東京都目黒区の東京都写真美術館で開かれている。
 全5回シリーズの第2弾の今回は、中部、近畿、中国地方編。展示は「であい」「まなび」「ひろがり」をテーマにした3部構成になっている。
 1860年に遣米使節団としてニューヨークを訪れた武士が被写体となり、現地の写真館で撮影された写真をはじめ、「兵庫大仏」(撮影者不詳、1890年頃)といった国内各地の名所や旧跡の写真など計約250点が並ぶ。幕末に漆などを使って作られた「堆朱(ついしゅ)カメラ」の展示も。
 同美術館では、担当者が約2年かけて、西日本の美術館や博物館などに足を運び、出品作を集めてきた。三井圭司学芸員は「写真を観覧する際に、被写体だけでなく、撮影者や時代背景にも思いをはせてもらえれば」と話していた。
 5月10日まで。月曜休館(同4日は開館)。一般500円、学生400円、中高生と65歳以上250円。問い合わせは、同美術館(電話03・3280・0099)へ。

 「1860年に遣米使節団としてニューヨークを訪れた武士が被写体となり、現地の写真館で撮影された写真」を見てみたいかな。

神奈川
篤姫の逸話など紹介、ボランティアによる生涯学習講座/小田原
 リンク先はカナロコサイト(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
篤姫の逸話など紹介、ボランティアによる生涯学習講座/小田原
 リンク先はyahoo!ニュースサイトです。
 小田原市民ボランティアによる生涯学習講座「きらめき☆おだわら塾」が十五日、同市中里のタウンセンター「マロニエ」で開かれた。九グループが歴史や美術、語学などをテーマにそれぞれ講義した。
 十三年前から同講座の講師を務める郷土史家の石井啓文さん(68)は、幕末の戊辰戦争(一八六八―六九年)期の小田原藩の動きや徳川十三代将軍家定の正妻で幕末の動乱を生きた天璋院(てんしょういん)篤姫(あつひめ)について講義した。
 小田原藩と幕府側の遊撃隊が箱根山崎(現在の同市入生田)で戦った史実や、篤姫が一八八〇年に小田原や箱根を訪れ、箱根の温泉場で急逝した皇女・和宮(かずのみや)をしのんで和歌を詠んだ逸話なども披露した。
 市内の男性(74)は「まだまだ知らない地元の歴史があるんですね」などと感心していた。このほか、西洋美術史や英会話、日本文化などについての講座が開かれ、計約二百人の受講者は、ノートを取るなど熱心に学んでいた。


岐阜
二瓢:大垣の清水さん、俳人・一瓢との連句碑を建立 /岐阜
二瓢:大垣の清水さん、俳人・一瓢との連句碑を建立 /岐阜
 大垣市室町、県連句協会常任理事、清水恭太郎さん(75)=号・青瓢(せいひょう)=が、曽祖父で江戸時代の俳人・松尾芭蕉の流れをくむ美濃派獅子門道統二十世の柳庵清水一瓢さんとの連句碑「二瓢」を自宅庭に建立した。15日に俳句仲間約40人が集まり、除幕される。
 句碑は伊予の青石。高さ120センチ、横100センチ、奥行き70センチ。一瓢さんが詠み、京都市の寺の句碑に刻まれている「雪よりも 静な夜あり 春の雨」を受けて、青瓢さんが詠んだ「白梅ほのと かをる坪庭」が刻まれている。「二瓢」は2人の名前から付けた。
 一瓢さんは幕末の大垣藩士で、1901年に76歳で死去。青瓢さんは元銀行員で、東京や大阪、名古屋、京都などへ転勤、転居を繰り返し、仕事中心の人生を送った。俳句を始めたのは50歳を過ぎたころ。ふるさとへ戻ったのを機会に俳句の道へ。現在は一門の道統補佐を務めている。
 青瓢さんは「一昨年に句集・二瓢を出版した記念と、道統だった一瓢への感謝の気持ちを表すとともに、獅子門が末永く続くことを願って建立した」と話している。【子林光和】




三重
古文書研究サークル:戊辰戦争の記録、「艱難実録」翻刻本完成 /三重
◇桑名藩の歴史に貴重な資料--「間遠の会」
 桑名市の古文書研究サークル「間遠(まどお)の会」(藤田光男会長)は、備中松山(現在の岡山県)藩士がつづった戊申(ぼしん)戦争時の記録「艱難(かんなん)実録」の翻刻本(B6判176ページ)を完成させた。桑名藩の歴史を知るうえで貴重な史料と言い「郷土史に関心のある人は、ぜひ読んで」と会員手作りの本を実費2000円で販売している。【沢木繁夫】
 艱難実録は、桑名出身で備中松山の辻家の養子となった辻七郎左衛門忠貞(1827~88年)が戊申戦争の際、藩主・板倉勝静に付いて江戸から函館に赴いた際の回顧録。桑名藩主の松平定敬(さだあき)も途中から同行、定敬が函館へ至る経緯や函館での生活、函館からの脱出の様子などがリアルに書かれている。
 会では、郷土史家の西羽晃さん(72)の指導で03年から、横浜開港資料館に保管の艱難実録の写しを取り寄せ、難解な筆書きの文字一つ一つを解き明かし約4年余り掛けて読み通した。同時に、貴重な史料を活字で残そうと手作りの翻刻本を完成させた。西羽さんは「定敬が、函館では邪魔者扱いされるなど、殿様も一人の人間であることが辛らつに書いてありおもしろい」と話している。問い合わせは藤田会長(0594・21・3172)まで。

 「戊申戦争の際、藩主・板倉勝静に付いて江戸から函館に赴いた際の回顧録」……正しくは「戊辰戦争」です^_^;。それはともかく、内容的には「桑名藩主の松平定敬(さだあき)も途中から同行、定敬が函館へ至る経緯や函館での生活、函館からの脱出の様子」、「西羽さんは『定敬が、函館では邪魔者扱いされるなど、殿様も一人の人間であることが辛らつに書いてありおもしろい」と話している』など、すごーく読んでみたいですね。

京都
【もう一つの京都】皇女和宮の降嫁~幕末に翻弄された数奇な生涯
皇女和宮の降嫁 幕末に翻弄された数奇な生涯
 「篤姫」ブームとともに注目をあびた幕末の御台所、和宮。芯(しん)の強い生き方に多くの女性が共感したが、その生涯は時代に翻弄された実にドラマチックなものだった。
 和宮はわずか6歳で、天皇のおぼしめしにより、有栖川宮熾仁(かるひと)親王と婚約。辻ミチ子著「和宮」によると、有栖川宮家は伏見、桂、閑院の三宮家と並ぶ世襲親王家で、和宮は多くの人から祝福されたという。
 万延元(1860)年の冬に嫁ぐことも決まり、和宮は空殿になっていた桂宮邸に住まいを移し、あとは結婚を待つばかりだった。
 しかし、それから2年さかのぼった安政5(1858)年、江戸幕府の大老・井伊直弼らが、勅許を得ずに日米修好通商条約に調印。怒った孝明天皇が水戸に攘夷を命じる密勅を下すと、井伊直弼は尊皇攘夷を唱える大名や公家に弾圧を加え、吉田松陰らを処刑した。いわゆる「安政の大獄」で、政情は一気に不安定になり、幕府と朝廷の間には深い溝が生まれていた。
 こうした中、国の将来を憂う者たちの間からは、朝廷と幕府の関係を修復し、一体となって国難を乗り切ろうという「公武合体」の考えがわき起こる。その中で浮上したのが「皇女降嫁」だった。
 徳川14代将軍・家茂の御台所に皇女を迎えることで、朝廷と幕府が一体であることを内外にアピールしようという狙い。和宮が桂宮邸に移ったのと同じ年、井伊直弼が桜田門外で暗殺されると機運はさらに高まり、年齢などから白羽の矢が立ったのが、和宮だった。
                  ◇
 すでに婚約を済ませているうえ、京都から一度も出たことのない和宮にしてみれば、遠く離れた江戸で将軍と結婚して生活することなど、受け入れられるはずがない。「たとえ尼になっても参りませぬ」と断固拒否し、兄である孝明天皇も、幕府との関係に気をもみながらも和宮をかばって反対した。
 しかし幕府側は引き下がらなかった。降嫁に特に反対しているのが和宮の母とその兄の橋本実麗(さねあきら)だと知ると、実麗にあてて書状を出した。
 「岩倉公実記」によると、内容はこうだ。「御所様をはじめ、有栖川宮様、九条関白様、その他の御役中もみな承知している。一昨年来、関東と京都の折り合いも悪く憂慮されるなか、この御縁組によって親しくなることができれば天下泰平の基である」
 「有栖川宮様にとっても内輪の事情があって難しく、お断りしたいと思いながら内々にご縁組が整っているので言い出せずにいる」
 天皇は、和宮と幕府の板挟みになり深く悩んだものの、最終的には降嫁を受け入れた。和宮はそれでもかたくなに拒んだが、天皇が自分の代わりに前年に生まれた皇女寿万宮を立て、それでもだめなら譲位するつもりだと知り、しぶしぶ受け入れたのだった。
 結局、和宮は有栖川宮家との婚約を解消し、文久2(1862)年、16歳で家茂に嫁いだ。
                  ◇
 嫁いでからは、夫の家茂が京都に行くたびに道中の安全を願って増上寺(東京都港区)でお百度参りをするなど、和宮なりに懸命に徳川家を支えた。
 しかし、残酷な運命は和宮をなお翻弄する。慶応元(1865)年には江戸に同行した母が亡くなり、翌年には夫・家茂も死去、結婚生活はわずか4年半ほどで幕を閉じた。さらに同じ年に兄の孝明天皇も崩御。和宮は「世の中のうきてふうきを身ひとつに 取りあつめたる心地こそすれ」と嘆いたという。
 やがて徳川家は朝廷に敵対する勢力だと烙印(らくいん)を押され、明治元(1868)年には薩摩・長州を中心とする軍隊に進撃された。この征討軍の最高責任者は、かつての婚約者、熾仁親王だった。
 和宮は悩み苦しみながらも徳川家と運命をともにすることを心に決め、江戸を戦火から救うため朝廷に嘆願を続け、江戸の無血開城に大きく貢献した。
 霊山歴史館の木村幸比古学芸課長は「皇女というプライドから、途中で投げ出すような生き方はできなかった。どんな境遇にも耐え、妥協せずに生き切った女性」と評価する。
 和宮は明治10年、32歳で息を引き取った。遺体は遺言通り、増上寺の徳川家墓所に埋葬された。
 後年、和宮らの墓が発掘・改葬された際、棺の中から若い男性が写った一枚の湿板写真が見つかった。ところが、保存状態が悪かったため発見翌日には膜面が消え、ただのガラス板になっていた。
 一体誰が写っていたのか。謎めいた話をめぐり、かつての婚約者、熾仁親王ではないかとの憶測も流れたというが、現在では、家茂だったと考えられている。(長谷川陽子)

■皇女和宮 弘化3(1846)年、仁孝天皇の第8皇女として生まれる。孝明天皇は異母兄にあたる。有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄し、徳川家茂の正室に。天璋院(篤姫)とは嫁としゅうとめの関係にあたり、ともに江戸無血開城に尽力した。波乱に満ちた生涯から「悲劇の皇女」として知られる。

 胸に抱いてらした写真の像は、家茂様亡き後も徳川家のために朝廷との架け橋になろうとしたという和宮の生き方を考えると、家茂様だったろうと思います……っていうか、夫以外の男性の写真を抱いて埋葬されるって、あり得ないんじゃないっすか^_^;。

広島
虎ちゃん囲碁に小中生出場を
 尾道市因島外浦町出身の幕末の天才棋士、本因坊秀策(幼名虎次郎)にちなむ「虎ちゃん囲碁まつり」が27日、因島土生町の芸予文化情報センターで開かれる。市囲碁のまちづくり推進協議会などの主催で、12回目。
 参加対象は、市内の公民館子ども教室や学校のクラブ員、囲碁を習ったことのある小中学生。対局は、一般の「十九路盤」と普及が目的の「十三路盤」の2クラス。参加者全員に棋力に応じた認定証を贈る。
 参加は無料で、19日までに各公民館、小中学校にある申込用紙に記入する。市囲碁のまちづくり推進協議会事務局=電話0848(25)7366。










PR
この記事にコメントする
           
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
カレンダー
07 2017/08 09
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11
13 14 15 16 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新コメント
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
[12/31 白牡丹@管理人]
[12/31 本が出たようです]
[12/22 白牡丹@管理人]
[12/22 yutaroda]
[10/18 白牡丹@管理人]
[10/18 ゆーじあむ (Yuseum)]
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]