新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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福島
白虎隊士の孫、長州に礼尽くす 養育説を確信、あす山口訪問
戊辰戦争で新政府軍と戦い、集団自刃した会津藩の白虎隊士でただ一人、命を取り留めた飯沼貞吉(1854~1931年)の孫で、東京都の会社社長飯沼一元さん(67)=仙台市出身=が20日、かつての宿敵・長州(山口県)を訪れる。山口には、貞吉が戊辰戦争後の一時期、長州藩士の屋敷で過ごしたとの説が残る。一元さんは自らの調査などで「長州滞在」がほぼ確実だったと考えており、現地の人たちに感謝の気持ちを伝える。
飯盛山(福島県会津若松市)で白虎隊の隊士が自決したのは、1868(慶応4)年10月。生き残った貞吉は戦争後、新政府軍によって東京に送られたらしい。
1872(明治5)年に当時の逓信省の技師になり、下関を振り出しに神戸、東京などで勤務。日清戦争に従軍後、仙台逓信管理局の工務部長を務めた。長く仙台で暮らしたが、会津にはあまり戻らなかったとされる。
一元さんによると、逓信省に勤めるまで数年間の足跡は明確になっていないが、意外にも、今の山口県美祢市で過ごした可能性が高いという。
戊辰戦争で会津に攻め込んだ長州藩士楢崎頼三(1845~75年)が、貞吉を会津から東京に護送し、さらに山口県まで連れて行って自分の家で養育したとされ、楢崎家で働いていた女性の話として地元に伝えられている。事実だとすれば、貞吉の「長州滞在」は1869年前後の約1年半とみられる。
会津では、あまり知られておらず、地元研究者の間では「証拠がない」などと否定する意見も少なくない。
一元さんも以前は「敵の本拠地に行って、世話になることなどあり得ない」と思っていた。2年前に現地で語り継がれている内容を聞いたり、自らも調査したりした結果、今ではほぼ間違いない事実とみている。
一元さんは「貞吉が逓信省に入るまでには、(一人だけ生き残ったという)絶望の淵から立ち直るきっかけが必要だったはず。美祢では勉強の機会も与えられたようだ」と話す。
一元さんは20日から山口県を訪れる。郷土史家らとの公開座談会に参加して会津と長州の歴史などを語り合う。楢崎家の墓参りもするほか、ゆかりの地を訪ねて祖父の足跡をたどる予定だ。
[白虎隊]会津藩が1868(慶応4)年、朱雀、青龍、玄武とともに設けた部隊。武家の16、17歳の男子約300人で構成。本来は予備隊だったが、戊辰戦争で戦った。各隊は身分によって、さらに士中、寄合、足軽に区別された。飯盛山での自決の悲劇として知られるのは士中二番隊。
茨城
まちのおすすめスポット:「桜田門外ノ変」セット /茨城
◇幕末の息吹と撮影現場の臨場感を
水戸藩開藩400年を記念して製作が進む映画「桜田門外ノ変」。井伊直弼襲撃シーン撮影のため2億円以上を投じて作られた千波湖畔のオープンセットが先月下旬から一般公開され、偕楽園の梅まつりと併せて多くの観光客や家族連れでにぎわいを見せている。
江戸城桜田門や周辺のお堀、彦根藩や安芸広島藩などの大名屋敷の町並みを細かく再現した。井伊が襲撃された安政7(1860)年3月3日は、古文書などから雪が降っていたことが確認されている。このため、東京ドームに相当する敷地には真っ白な寒水石を敷き詰めて「雪化粧」が施され、臨場感を演出する。
このセットを使ったシーンの撮影は既に終えた。幕末の息吹と撮影現場の空気を感じようと、休日は1日4000人近い観光客が訪れるといい、一躍人気の観光スポットとなった。セット内には当時の時代背景を説明するボランティアもおり、周辺には屋台も出店している。
セットの公開は来月4日まで。4月下旬には江戸城内のセットを展示館に改装して、リニューアル公開される。今月27、28日両日にはセットを会場にしたコスプレ大会も開催される予定だ。【八田浩輔】
群馬
精巧な建築彫刻 写真で紹介 下仁田町商工会 諏訪神社の冊子を作製
下仁田町商工会は、同町下仁田の諏訪神社をテーマにした冊子「上州下仁田 諏訪神社社殿の建築彫刻」を作製した。町重要文化財に指定される精巧な彫刻を約九十枚の写真などで分かりやすく紹介した労作。一部の執筆や撮影も担当した桜井栄信・商工会事務局長は「町の活性化のため、まずは町民に、そして観光客にも彫刻の素晴らしさを広めたい」と意気込んでいる。
同神社は一八三七(天保八)年から、国重文の建築物を手掛けた名工の一番弟子、信州・諏訪の矢崎善司昭方(一七七二~一八四一年)が中心となって建立した。
冊子に解説を寄せた大河直躬・千葉大名誉教授(日本建築史)によると、竜や獅子、花鳥などの彫刻は精巧な上、大規模で力強く、幕末期の社殿の建築彫刻としては、関東地方の代表作という。
冊子は昨秋から二月までにかけて作製。彫刻部分を拡大した写真に、同町の元文化財保護担当職員だった桜井事務局長が説明を記した。同神社の例大祭で使われる山車や人形の写真、矢崎が属した大隅流の系統図や建造物一覧も付けた。
A4判、三十六ページ。町の補助金も受けて千部刷り、近く町内の教育・公共施設などに無料配布する。希望者には一部五百円(送料別)で配る。問い合わせは同商工会=(電)0274(82)3206=へ。 (菅原洋)
東京
ソメイヨシノ発祥の駒込をPR=東京都豊島区
一斉に咲きそろい、散り際も見事なことから全国で愛されるサクラ「ソメイヨシノ」は、東京都豊島区駒込の「染井村」が発祥の地。それを知ってもらおうと同区では、サクラの季節に向けたPR作戦を展開している。
江戸時代、駒込の染井村には植木屋が多く、幕末から明治にかけ、染井の植木屋が観賞用のサクラとして全国に広めたことなどからソメイヨシノと名付けられたという。
同区では、駒込周辺の見所を分かりやすく紹介したお花見散策マップを作成、地元商店街や観光情報センターなどで配布している。また、撮影地を駒込小学校から半径1キロ以内に限定した「さくらフォトコンテスト」は今年3回目を迎え、4月15日締め切りで作品を募集中。審査委員長に写真家の関口照生氏を迎え、5月中旬に入賞作品が発表される。
このほか、純米吟醸酒「染井櫻」を3月21日から販売する。吟醸酒には秋田県・浅舞酒造製の「淡いにごりタイプ」と鳥取県・江原酒造製の「芳醇辛口タイプ」の2種類があり、岡山県・利守酒造製の純米梅酒と合わせたグラス付きの3本セットでも販売する。【もぎたて便】
長野
「歴史の中の五稜郭」 佐久で井出孫六さんが講演
佐久市出身の作家、井出孫六さん(78)=東京都=が16日、同市田口の田口会館で「歴史の中の五稜郭」と題して講演した。地元住民でつくる「竜岡城五稜郭保存会」の会員ら約150人が集まり、熱心に聞き入った。
竜岡城跡は国内2カ所だけの星形城郭で国史跡。井出さんは約70年前に訪れた時の思い出などに触れながら、江戸時代末期に築城した松平乗〓(まつだいらのりかた)や、竜岡城の歴史を紹介。「150年ほどたった今、一つの欠くことのできない観光資源として生きているなら(築城費用の)約4万両は高くない。歴史は長い目で見るといろいろな意味合いが出てくる」と話した。
佐久間象山など幕末に活躍した人物についても詳しく述べ、「古文書など史料を大切に保管し、勉強会などを開くことがおもてなしにつながるのではないか」とまとめた。
井出さんは講演に先立ち、保存会員の案内で約70年ぶりに竜岡城跡を見学。築城当時の建物で古文書などを保管している「御台所」では時折、会員に質問しながら興味深そうにさまざまな史料に見入っていた。
講演会は保存会の総会に合わせて佐久市が主催。保存会長の細谷繁夫さん(73)は「日本中を歩いている井出さんのお話は観光客などをもてなす参考になります」と話していた。
(〓はごんべんに莫)
愛知
難度6段階、わくわく謎解き宝探しゲーム
明治探険隊Ⅴ 創・世・紀 外・伝
(犬山市・博物館明治村)
「探険の書」に記されている謎や問題を解きながら、村内に隠された財宝を探し出す博物館明治村(愛知県犬山市)の宝探しゲーム「明治探険隊Ⅴ 創・世・紀 外・伝」が家族連れやカップルらの人気を集めている。
同村は明治時代の由緒ある建物や車両など67点を保存、展示。庭園や木々なども豊かで訪れた人らがクラシカルな雰囲気の中、見学や散策を楽しんでいる。
明治探険隊は実体験型ロールプレーイングゲーム。自分が主人公になったつもりで謎を解きながら宝物を見つけるゲーム。探険の書を購入して4つの謎を解読し、「財宝の手がかり」の隠し場所を推理。隠し場所には「ヒントの箱」があり、箱には「財宝」の隠し場所を示すヒントが書かれ、最後は4つのヒントをもとに「財宝」を見つける。児童向けから中高生、中・上級者向け、超難関のコースまで計6種類のコースが用意されている。
探険隊ゲームは宝探しゲーム専門のメーカーが制作し、今年で5年目の実施。昨シーズンは4万8000冊が売れた人気のゲーム。今年は「明治維新の混乱で隠された財宝を探せ」がテーマ。初級コースは2、3時間で財宝を見つけられるが、そのほかは半日以上か、難関コースは1日では無理。このため、年間パスポートを購入して何日もかけて挑むマニアも。初・中級コースに挑んでいた岐阜市のグループも「本当に難しい。答えを教えてほしいくらい」と話しながら、ゲームを楽しんでいた。
案内
「明治探険隊Ⅴ 創・世・紀 外・伝」は7月25日まで。各コース1冊200円~1000円。財宝を見つけると記念品がもらえる。休村日=3月から11月までは無休。入村料=65歳以上1200円、18歳以上1600円、高校生1000円、小・中学生600円 電話0568(67)0314。
岡崎城東隅櫓を再建 27日から内部公開
江戸時代の岡崎城(岡崎市康生町)で東側の防備を担っていた東隅櫓(やぐら)が、往時の工法で再建された。明治維新後に取り壊されて以来約140年ぶりに、優美さと機能性を兼備した姿がよみがえった。
東隅櫓は、望楼式二重櫓と呼ばれる木造2階建てで、白しっくい塗りの壁が映える。入り母屋造りの屋根は、岡崎藩主を務めた譜代大名本多家の家紋「立ち葵」が刻まれた本瓦ぶき。高さ約9・4メートルで、かつて「東曲輪」だった岡崎公園駐車場の南東角に位置する。
詳細な設計図は残っていないため、旧岡崎藩士和田家が保存する1781(天明元)年の「岡崎城絵図」と、松山市に現存する松山城の櫓を参考に、江戸時代の工法を忠実に再現。城内で発掘された石材を使い、石垣も築いた。隣接して同時に整備した長さ約45メートルの城壁と合わせ、総工費は約1億円。
直径60センチ以上の巨大なマツ材の梁(はり)や、ヒノキ材の柱の木組みが見学できるよう、27日から年中無休で内部を公開。公開は午前9時~午後5時で、4月11日までは、特別に2階にも上れる。
担当した岡崎市公園緑地課の加藤栄一主幹(54)は「東海道の名城・岡崎城の雄姿が復活した。市民の誇りになってくれれば」と話した。
(中野祐紀)
滋賀
火縄銃サミット開催! 「全国古式砲術鉄砲サミット in 彦根」
3月20日と21日に、滋賀県彦根市にて『全国古式砲術鉄砲サミット in 彦根』が開催される。
国宝彦根城の大手前公園で行われる本サミット、北は山形、南は鹿児島から総勢320人、23団体が駆けつける。過去の火縄銃サミットの中でも最大級の規模だ。
火縄銃は15世紀末、ヨーロッパで開発された。先込め式で黒色火薬を使用する初期の鉄砲形態の一つで、「マッチロック式銃」ともいう。
日本には1543年、種子島より伝来し、群雄割拠の戦国時代にその威力を大いに発揮した。砲術も初めは10家ほどであったが、幕末近くには200家に及んだという。
それらを再現・伝承している全国各地の火縄銃演武団体らが、甲冑など時代衣装を纏い演武を行う。
20日は京都女子大学教授・母利美和氏による「彦根藩の砲術」の記念講演会や、参加代表者によるパネルディスカッションが行われる。
21日は各隊が午前・午後の部に分かれ演武を行う。午前・午後の最後に各1回開催される一斉演武では、轟音が響きわたること間違いなしだ。
また、当日はシンボルキャラクター「ひこどん」や、今やゆるキャラNo.1の「ひこにゃん」が応援に駆けつける予定だ。
戦国ブーム真っ只中、戦国時代の合戦を変えた火縄銃の迫力を体感してみてはいかがだろうか?
参加団体
1 会津藩鉄砲隊 福島県
2 米沢藩古式砲術保存会 山形県
3 中島流炮術千葉城鉄炮隊 千葉県
4 江戸幕府鉄炮組百人隊保存会 東京都
5 駿府古式炮術研究会 静岡県
6 松本城鉄砲隊 長野県
7 信州真田鉄砲隊 長野県
8 愛知県古銃研究会炮術隊 愛知県
9 名古屋城鉄砲隊 愛知県
10 長篠・設楽原鉄砲隊 愛知県
11 大垣城鉄砲隊 岐阜県
12 国友鉄砲研究会 滋賀県
13 日野筒鉄砲研究会 滋賀県
14 堺火縄銃保存会 大阪府
15 大阪城鉄砲隊 大阪府
16 根来史研究会根来鉄砲隊 和歌山県
17 紀州雑賀鉄砲衆 和歌山県
18 備州岡山城鉄砲隊 岡山県
19 岩国藩鉄砲隊保存会 山口県
20 葦北鉄砲隊 熊本県
21 種子島火縄銃保存会 鹿児島県
22 豊後大友宗麟鉄砲隊 大分県
23 彦根商工会議所青年部古式銃研究会 彦根鉄砲隊 滋賀県
全国古式砲術鉄砲サミットin彦根 http://www.hikone-cci.or.jp/teppou/index.html
(みかめゆきよみ 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou
関西
嵐璃寛:上方歌舞伎名門の息吹 片岡仁左衛門家寄贈の錦絵、500点公開へ
歌舞伎俳優、片岡仁左衛門家が所蔵していた上方歌舞伎の名門、五代目嵐璃寛(りかん)(1871~1920)家の遺品が阪急学園池田文庫(大阪府池田市)に寄贈され、来月展示公開される。保存状態のいい錦絵約500点など、江戸時代から明治期の上方歌舞伎の様子を知ることができる貴重な資料だ。
璃寛家は初代が「大璃寛」と呼ばれるなど名優を輩出した家柄。五代目は女形中心に立役(男の役)もこなし人気があった。
遺品は約35年前、璃寛の遺族が十三代目仁左衛門(94年死去)に贈った。錦絵は、幕末から明治初期までの三、四、五代目璃寛の色鮮やかなもので、4冊の画帳に張られていた。璃寛の錦絵ばかりを集めたのは他に例がないという。
また二代目璃寛(1788~1837)の一代記「橘草紙」は和紙に墨書され、芝居の出勤記録の他、江戸時代の歌舞伎界の様子も描かれている珍しい本。他に、当時のファンクラブ「大手連」が使った袋入りの拍子木、姿見、明治初期の番付27枚も寄贈された。
上方歌舞伎に詳しい梅花女子大教授で池田文庫の荻田清理事は「錦絵は今刷られたかのように保存状態がいい。また、橘草紙によると、二代目璃寛が七代目仁左衛門に非常に可愛がられていたことが初めて分かった」と評価。十三代目の三男で十五代目仁左衛門さんは「多くの人に見ていただく方が(璃寛家にとっても)幸せで、遺品も生かされると思う」と話している。
資料展は4月16日~5月30日。問い合わせは池田文庫(072・751・3185)。【宮辻政夫】
岡山
20日から特別展「幕末の動乱」 岡山城周辺にPRのぼり設置
20日に開幕する岡山城春季特別展「幕末の動乱 会津と長州そして岡山」(岡山市、山陽新聞社など主催)をPRするのぼりが17日、会場の岡山城(同市北区丸の内)周辺にお目見えした。
のぼりは縦1・5メートル、横45センチで、展示品の「会津戦争の図」をプリント。石山公園(同石関町)から岡山城にかけての旭川沿いや内堀に架かる橋に15本を設置した。
同展は幕末に活躍した会津、長州藩や新選組、岡山区長を務めた手代木(てしろぎ)勝任(かつとう)ゆかりの書や刀など約90点を展示。ランニングしていた同奥田西町、藤井正浩さん(67)は「会津や長州をテーマにした展示は岡山では珍しい。歴史が好きなので、妻と見に行きたい」と話していた。
会期は5月9日まで(午前9時〜午後5時半、入場は同5時まで)。入場料は15歳以上800円、5歳以上400円。
おかやま大研Q:奇祭「練供養」 極楽再現、太古のミュージカル /岡山
◇岡山の趣異なる仏教文化
「仏像ブーム」と言われる。仏像関連の展覧会や出版物は数多く、来場者が殺到した阿修羅像の展示会は記憶に新しい。岡山にも、また趣の異なる仏教文化が息づいている。全国でも伝統的に続くのは約30カ所という「練(ねり)供養」。仏像の面をかぶり、通りを練り歩く奇祭が醸し出す“仏教ワールド”に浸ってみた。【石井尚】
□阿弥陀(あみだ)信仰が源□
そもそも「練供養」とは一体何なのか。練供養研究を続ける美術史家の関信子さん(61)=東京都杉並区=によると、練供養は仏教儀式の一つで、弘法寺に残る木版画に記されているように、元々は「踟(ねり)供養」と表記されていた。ゆっくり歩きながら供養するという意味があるという。さらに、平安期に始まったとされる阿弥陀如来信仰にかかわる行事の一つ、「迎講(むかえこう)」が源流と言われる。
迎講では、来世から阿弥陀如来が現世へ衆生を迎えに来る場面を劇化、実際に演じられた。関さんは「迎講を演じることで、字が読めなかった人々に極楽浄土の存在を明確にし、極楽往生を信じさせる効果があったのではないか」と話す。しかし、「江戸時代になると宗教色が薄れ、興行的な意味合いが強くなった」という。
岡山では、誕生寺(久米南町)と弘法寺(瀬戸内市牛窓町)の2カ所の練供養が有名。県重要無形民俗文化財指定の両寺の練供養は、全国的に見ても奈良・当麻(たいま)寺、長野・十念寺などと並び、日本三大練供養にも数えられる歴史と伝統を誇る。凛(りん)としたたたずまいの仏像が放つ厳かな雰囲気もいいが、時にダイナミックな動きで周囲を圧倒する練供養には、また違う魅力がある。
□「中将姫伝説」□
誕生寺の練供養は「二十五菩薩(ぼさつ)練供養」と呼ばれる。起源は定かではないが、寺には「江戸時代に復活した」という記録が残っている。
県がまとめた「岡山県の文化財」によれば、その形式は浄土宗の開祖・法然上人の両親を、西方の極楽浄土に迎える--という内容。25種の菩薩の面を付けた信徒が法然上人の両親の像を輿(こし)に乗せ、練り歩く。太鼓や鐘を鳴らし、壮麗さが際立つ。久米南町が法然上人の生誕地ということもあり、全国から約1万人の信徒らが参集する。
一方、弘法寺の練供養は室町期以前に始まったと伝わる。寺が1967年に焼失した後は30年間ほど途絶えていたが、97年に地元の尽力で復活した。現在の形式は菩薩面が6種、地蔵面が2種、天童面が2種--という計10人の信徒が登場する。奈良・当麻寺に伝わる中将姫の伝説が劇化されているという。観音面を付けた信徒が、中将姫像を蓮(れん)台に乗せ、迎え仏である阿弥陀如来像のもとへ運ぶという物語。
前出の「岡山県の文化財」などによれば、中将姫は奈良時代の公卿、藤原豊成の娘。継母に責められたことに耐えかねて出家。阿弥陀信仰によって浄土の世界に導かれたという。当麻寺所蔵の絵巻物や室町~江戸時代にかけて成立した絵入り物語「御伽草子」にも、その記述がある。
□唯一の迎え仏□
弘法寺最大の特徴は、何といっても阿弥陀如来像。鎌倉時代の作と伝わる阿弥陀像は高さ約2メートル。内側がくりぬかれ、人がかぶれるようになっている。供養は、阿弥陀像の中に入った一人を左右から二人が支え、中将姫を出迎える。いわゆる“迎え仏”のスタイルで行われる。現在、この迎え仏形式が残っているのは全国でも弘法寺だけという。関さんによれば、こうしたスタイルの練供養は幕末に始まったとされ、それ以前は中将姫の代わりに行者像が乗せられていたという。
今年、誕生寺では4月18日、弘法寺では5月5日に練供養が行われる。時に太鼓や鐘の伴奏に乗り、眼前で実際に動く仏たちは、人々が抱いた「どうすれば極楽浄土へ行けるのか」「極楽へ往生したい」--そんな願望に応え、極楽を再現する内容だったのだろう。今風に言えば、神々しいまでの太古のミュージカルだったのではないだろうか。
福岡
あすから国際ツバキ会議 久留米
全国椿サミットも
2010国際ツバキ会議久留米大会と第20回全国椿(つばき)サミット久留米大会が20日、久留米市で始まる。国際ツバキ会議は24日まで、全国椿サミットは21日まで。古木や名木が一般公開されたり、様々なイベントが開かれたりして、市内はツバキ一色に染まる。
国際ツバキ会議は、16の国と地域から約300人のツバキ愛好家らが集い、研究発表や情報交換を行う。国内での開催は1999年の宮崎市に続き4回目。全国椿サミットにはツバキをシンボルとする13市町から約350人が参加、取り組みなどを紹介する。
久留米市の耳納北麓(ろく)地域では、江戸時代から植木、苗木の生産が盛んで、同市は全国一のツバキの苗木生産量を誇る。幕末にシーボルトが欧州に持ち帰ったとされるツバキ「正義(まさよし)」は同市が原産で、市内には約80本の古木、名木が残っている。約7割は同市草野町に集中。多くが住宅敷地内にあり、大会に合わせ、20~22日に4か所が公開される。
このうち、今村ヒトエさん(88)方には、樹齢300年を超え、「正義」の原木とされる古木があり、濃い紅色に白斑の花を咲かせている。今年は例年よりも2週間ほど早く満開となった。今村さんは「大会に合わせて咲いてくれたのでは。多くの人に見てもらいたい」と話す。
20~22日には「久留米つばきフェア」も開催。メーン会場の石橋文化センター(午前9時~午後5時)では、ツバキの歴史の紹介や切り花展、苗木やツバキをあしらったグッズや菓子の販売などがある。ほかの主なイベントは次の通り。
ツバキフォーラム 20日午後2時半、石橋文化ホール。市出身ミュージシャンの鮎川誠さん、シーナさんらによる講演会など。
まちなか椿めぐり 20~22日午前10時~午後5時、中心部の商店街。ツバキ関連グッズの販売やツバキをテーマにした料理などが試食できるカフェなど。
耳納北麓草野つばきまつり 20~22日午前10時~午後5時、久留米つばき園や同市草野町一帯。ウオーキングやバザー、ステージイベントなど。
問い合わせはいずれも大会実行委事務局の市みどりの里づくり推進課(0942・30・9165)へ。
(2010年3月19日 読売新聞)
長崎
長崎の「龍馬」が鹿児島へ…カバのお話です
長崎県西海市の「長崎バイオパーク」で飼育されていたカバの赤ちゃん「龍馬」(雄)が、鹿児島市平川動物公園にもらわれることになり、17日、トラックで移送された。
鹿児島は、幕末の志士で、「龍馬」の名前の由来でもある坂本龍馬が妻、お龍とともに新婚旅行に訪れた地とされる。「龍馬」も近くお嫁さんをもらう予定で、同パークの担当者は「坂本龍馬が楽しく過ごした場所で、夫婦仲良くしてほしい」と期待している。
龍馬の母親は、国内で初めて人工飼育され、一時、「泳げないカバ」として絵本にも描かれ、話題となった「モモ」(16歳)。龍馬は昨年4月、その第3子として誕生した。
この日は、職員10人が、体長約1メートル10、体重約200キロの龍馬を、池に設置した輸送箱に1時間半をかけて誘導。龍馬は、途中、モモの姿が見えたのか、名残惜しそうに暴れたが、午前10時過ぎ、職員や来園者に見送られて出発。同日夕、平川動物公園に着いた。
同公園では26日の改装オープンに合わせ、龍馬をお披露目し、今秋、神戸市立王子動物園から、雌のカバ「ナナミ」を受け入れる予定。
幕末の癒し「龍馬マッサージ」好評 文献からアレンジ、整腸など効果
長崎市浜町のマッサージ店「りらく庵」(北川めぐみ店長)に、江戸時代のマッサージを現代風にアレンジした「龍馬マッサージ」(3500~8500円)が登場。利用者に好評だという。
オーナーの島田猛さん(51)がNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、長崎活性化のためにと企画。通常のボディーマッサージなどに加え、当時の文献などを参考に頭蓋(ずがい)骨マッサージと整腸マッサージを取り入れた。
頭蓋骨マッサージは顔のゆがみを整え、片頭痛を軽減。整腸マッサージは胃や腸の調子を良くする効果があるという。島田さんは「幕末から現代にまでいたるストレスをマッサージでたたき切ってやるぜよ」とPR。
鹿児島
種子島特産の安納芋、「高級食材」で英進出へ
濃厚な甘さが特長の鹿児島県・種子島特産の安納(あんのう)芋が、高級食材としてイギリスに輸出されることになった。
ロンドンで民宿を営む藤田康子さん(66)(神戸市出身)が味に感動し、イギリスで農産物の生産販売関係者に紹介したところ、「食べたことのないおいしさ」と、高い評価を受けた。
「クリームのような口触りですごく甘い。ポテトとは思えない」。藤田さんが持ち込んだ安納芋を口にしたイギリスの農園経営者は「信じられない」と繰り返した。
安納芋はねっとりとした食感や強い甘さが特長。一般的なサツマイモの約2倍の糖度がある。銀座三越が焼き芋にして売り出したのをきっかけに、2004年頃から全国で人気が急上昇。JA種子屋久によると、出荷量は04年度に70トンだったが、09年度は50倍の3500トンに急増している。
計画では種子島・西之表市の西田農産が生産し、2か月以上熟成させた安納芋を、イギリスのケント州ブルックランドで高級食材を生産・販売する農園「オールドホールファーム」が輸入する。
藤田さんは2年前からイギリスで日本野菜の普及に取り組んできた。昨年11月に一時帰国した際、初めて食べた安納芋のおいしさに感動し、その足で種子島を訪れ、西田農産を見学。熱意に打たれた西田春樹社長(56)が約200キロ分を寄付した。
サツマイモはイギリス人にとって一般的な食材だが、今年1月、藤田さんがロンドンで開いた試食会では味の良さが絶賛された。なかでも同ファームは「ロンドンではレストランが厳しい競争を繰り広げ、料理人は独創的な一皿を支える新しい食材を求めている。安納芋は彼らのめがねにかなうだろう」とし、すぐに輸入を申し込んできた。
安納芋1本は200~300グラムで、日本では1キロが1000円前後で売られているが、ロンドンのレストランからは「1本3000円でも欲しい」との注文も入っているという。
4月から試験的に輸出を始める予定にしている西田社長は「生産者冥利に尽きる。将来的には、イギリスでも安納芋が作れるよう協力したい」。藤田さんは「薩摩藩士が幕末にイギリスに留学して維新の原動力となった。安納芋という食文化でお返しをしたい」と話している。(角亮太)
米国
カリフォルニア州サンフランシスコ
咸臨丸入港150年の記念碑除幕=サンフランシスコで式典
【サンフランシスコ時事】幕末の1860年に日本初の太平洋横断を果たした幕府の軍艦「咸臨丸」乗組員一行が米国に到着して以来、丸150年を迎えた17日、当地で地元政財界から約100人が出席し、両国友好親善のための記念プレートの除幕式が行われた。
約1カ月間の航海を経て咸臨丸が着岸したサンフランシスコ港にある観光スポット近くの歩道上で、「遣米使節団入港150周年記念」と日本語と英語で併記されたプレートを除幕。出席者を代表し、ニューサム・サンフランシスコ市長の代理人が「深い友情と親密な関係は両国民共通の目的と希望」とあいさつした。(2010/03/18-11:18)
文化
幕末の賢候・島津斉彬の鞍と鐙、大阪で発見
大阪府高槻市立しろあと歴史館が所蔵する馬具の鞍(くら)と鐙(あぶみ)が、篤姫の養父で、西郷隆盛や大久保利通らを登用したことで知られる薩摩藩11代藩主・島津斉彬(なりあきら)ら島津家の所有品だったことが判明したと、市教委が17日、発表した。
市教委は「伝来不明な馬具が多い中、その歴史や、大名家とのかかわりなどを知る上で貴重な史料」としている。20日から始まる企画展で展示する。
同市内の美術品愛好家が1989年、市に寄贈したもので、采配(さいはい)と龍文様の軍配を蒔絵(まきえ)で表現。鞍の裏には「延徳2年」(1490年)の年紀と花押(かおう)があるが、これまで製作時期や作者が特定できなかったという。
しかし、2006年頃、薩摩島津家のオークション目録に似た写真が掲載されているのを見つけ、島津家の伝来品と推測。同館が武具専門家に照会したところ、▽江戸時代、将軍家や大名家が中世の由緒ある鞍を塗り直す例が多い▽花押は、馬具製作の名門で室町幕府政所執事・伊勢貞宗のものと一致する――ことが判明した。
さらに、関連資料を調べ直す中で、「島津斉彬文書」に、島津斉興(なりおき)から子の斉彬への譲渡目録として、この「鞍」と「鐙」の名称が記され、作者と特徴も一致することが確認されたという。
5月16日まで展示する(月曜、祝日の翌日休館)。問い合わせは同館(072・673・3987)へ。
(2010年3月18日19時32分 読売新聞)
立派な鞍と鐙ですね。お宝だなぁ。
エンターテインメント
世は幕末!皇国と新政府の争いに参戦せよ「ブレイドクロニクル」
MMORPGといえば中世ファンタジー、というありきたりなパターンを打破する野心作が「ブレイドクロニクル」だ。黒船の来航と異世界の妖物に脅かされている幕末乱世の「日ノ本」で、プレイヤーは皇国と新政府に分かれ、敵陣営と争いつつ愛刀を鍛え武士の高みを目指す。
(以下略)
コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(54)東大教授・山内昌之 河井継之助
政治家の器、組織の器
鳩山邦夫氏が自民党からの離党を表明した。新党結成の話題がかまびすしいが、いつも話題の中心にいるのは、舛添要一氏である。その行動力に加え、周辺に放つ独特な発信力は確かに自民党内でも目立っている。
しかし、政治の難しいところは、いかに個人として精彩を放ったとしても、同志や部下がいないと政治意志を実現できない点にある。政治は集団の営みであることが多いからだ。この意味で舛添氏にとって自民党という枠は、驥足(きそく)を展(の)ばす上でしがらみになっているのかもしれない。
≪藩と河井の双方に不幸≫
しかし、小さな組織なら才能を発揮できるわけでもない。幕末でいえば、表高7万4千石の長岡藩の政治を河井継之助が仕切ったことは、藩と河井の双方にとって不幸な面もあった。河井は小藩を仕切るには気宇広大にすぎ、傑物を受け入れるには藩の器が小さすぎたからである。
内戦の勃発(ぼっぱつ)を見切っていた河井は、藩士の俸禄(ほうろく)や藩の出費を整理して新鋭銃2千挺はじめ近代兵器の購入をはかり、奥羽越随一の近代軍事力を完備した。
たとえば、手回し式の機関銃のガトリング砲2挺はいざ戦の火蓋(ひぶた)が切られるとすぐに威力を発揮した。7年前の南北戦争(1861~65年)に登場したばかりの最新兵器を自ら横浜へ買い付けにいき、3挺しかない現物のうち2挺を購入する手際の良さであった。軍と政の事実上の最高指導者の河井みずから、前線でハンドルを握って撃ちまくるわけだから凄(すご)い。しかし、防御板がなかった欠陥のせいで敵に狙撃されて死にいたる。
≪小藩の水準越えた発想≫
政治外交でも河井の発想は、小藩重役の水準を越えていた。彼は、藩論を武装中立に統一して新政府軍との談判を図り、旧幕府軍と新政府軍との調停によって紛争の平和解決をめざそうとした。あわよくば両者の間で漁夫の利を得ようとするか、戦後処理で長岡藩を実力以上に高く売りつけようとしたか、このいずれかであろう。
しかし、壮大な意図を隠して無血の解決を策した相手が若輩の土佐藩士、岩村高俊だったのは河井にとって不幸であった。せめて長州の山県有朋か、薩摩の黒田清隆であれば、河井とうまく折り合いをつけた可能性もあり、そもそも厄介な衝突を起こす危険のある河井を黙って帰す愚は犯さなかったであろう。実際、山県はじきに始まる北越戦争で盟友の時山直八(なおはち)を失う打撃を受ける。
戦略家、河井の冴(さ)えは、新政府軍の占拠した長岡城を裏手の沼地・八丁沖から深夜に奇襲した作戦にも発揮された。源義経の鵯越(ひよどりごえ)のように常識的にはあり得ない戦術を敢行したわけである。大参謀だった若き日の西園寺公望は寝巻きのまま逃げ出したらしい。
≪指揮官の重傷で士気低下≫
長岡城奪還作戦は日本戦史に残る快挙ではあったが、指揮官の河井がやがて重傷を負い、長岡藩兵の指揮能力や士気は低下してしまった。この小さな藩は河井がいなければ政治外交も軍事も思うにまかせない組織になっていたのだ。
スケールの大きな外交戦略が破綻(はたん)しても、もし長岡藩に西洋の最新鋭兵器で武装された兵力がなかったなら、他の中小藩と同じくひたすら恭順の低姿勢に徹して新政府の鋭鋒(えいほう)が過ぎるのを待てたかもしれない。器に不釣合いのリーダーをもったことが、長岡の士民を不幸にしたと言えなくもない。
さて、舛添氏にとって依然として大政党の自民党は格好の器であり、新党は小さすぎるのだろうか。あるいは、舛添氏の器にとり、自民党は大きすぎて手にあまり、小ぶりの新党で間に合うくらいなのだろうか。政党と政治家の器の比較較量(こうりょう)で見逃せない政治決断の時期が近づいている。(やまうち まさゆき)
◇
【プロフィル】河井継之助
かわい・つぐのすけ 文政10(1827)年、越後(新潟県)長岡生まれ。名は秋義。江戸で儒学者の斎藤拙堂や山田方谷(ほうこく)、佐久間象山らに学ぶ。長岡藩に戻り、家老などを務め藩政改革を断行。藩財政再建に取り組んだほか、洋式の銃砲を購入してフランス式の練兵を行った。王政復古で誕生した新政府に対し、徳川への大政再委任を建言、戊辰戦争では中立の立場をとろうとしたが、認められず、奥羽越列藩同盟に加わる。長岡城に籠城(ろうじょう)して政府軍を苦しめたが、負傷し、慶応4(1868)年、落城後に死亡した。享年42。
ブックレビュー
岩波新書「シリーズ日本近現代史」
2006年11月刊行の第1巻井上勝生『幕末・維新』から2010年1月刊行の第9巻吉見俊哉『ポスト戦後社会』まで本編9巻が刊行されてきていて、新書版だから手頃の分量だし、通して読むと近代から現代に至る通史ともなっていて、その大半を読んできた。ただ、当初はほぼ隔月の配本でリズムもよかったのだが、7巻以降は大幅に刊行が遅れてとぎれとぎれとなって間延びした。
また、楽しく読んだかというと必ずしもそうではない。つまり、新しい視点を示していて新鮮な興味をそそられもしたものの、概して説得力に弱いものが少なくなかった。
著者の多くは50代の少壮学者。力の入った内容のものが多かったのではあるが、国民を「人民」と呼ばれるとさすがに違和感がつきまとった。
シリーズの中でおもしろかったのは、第1巻井上勝生『幕末・維新』、第5巻加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』あたりか。
さて本書、シリーズ日本近現代史第10巻『日本の近現代史をどう見るか』である。
本書はシリーズの最終巻として各巻の筆者がそれぞれの担当分野で最も集約化されたキーワードを「問い」として執筆を連ねている。つまり、シリーズ全体の紹介である。だから、シリーズを何冊か読んだ後に読むのもいいが、シリーズを読み始める前に読んでおくというのも本書活用としてはよろしいのかもしれない。
本書を読みながら傍線を引いた気になる部分を少し拾い出してみよう。
・幕府の外交について、これまで私たちは、低く評価しすぎてきたのだと思います(第1章:幕末期、欧米に対し日本の自立はどのように守られたか)
・天皇の存在がなければ、幕藩制の解体と中央集権国家の確立を短期間に実現するのはかなり困難でした(第2章:なぜ明治の国家は天皇を必要としたのか)
・ロシアの韓国進出を防ぐために、日露戦争が始まります。(中略)朝鮮国の列国共同管理案が実現していれば、日清戦争も日露戦争もなかったのではないでしょうか(第3章:日清・日露戦争は日本の何を変えたのか)
・敵対する国家が行った戦争行為を、自らの国家が行った戦争行為と区別した上で、それは戦時国際法の規定する「戦争」ではなく「犯罪」だと認定できれば(中略)種々の法的しばりを受けることなく行動する自由を自国は享受しうるだろう、との予測が挙げられます(第5章:一九三〇年代の戦争は何をめぐる闘争だったのか)
・ともすれば大陸中国が中心になりがちなアジアの歴史像を、むしろ日本列島や朝鮮半島から琉球諸島、台湾を経てフィリピンやインドネシア諸島、マレー半島に至る長大な半島・島嶼地帯の視座から相対化していく役割があるという気がします(第9章:歴史はどこへ行くのか)
なお、終章:なぜ近現代日本の通史を学ぶのか、で本シリーズを貫くキーワードは「家族」「軍隊」「植民地」だとしていて、従来の歴史書が為政者たちの歴史だったものが、このシリーズでは「国民」とか「民衆」とかに立脚した歴史としたと述べている。
(岩波新書)
経済
龍馬記念1000円銀貨、受け付け始まる
造幣局(大阪市)は、幕末の志士・坂本龍馬の肖像をあしらった1000円銀貨の通信販売の受け付けを始めた。
実在人物を描いた記念硬貨は国内で初めて。
地方自治法施行60周年を記念して都道府県ごとに発行される硬貨の高知県分で、桂浜を背景に、懐に右手を入れたおなじみのポーズの龍馬を描いている。通常(6000円)、特製ケース入り(7400円)、記念切手付き(7800円)の3種類で、計10万枚発行する。申し込み多数の際は抽選。
はがきに住所、氏名、電話番号と、3種類のいずれが希望かを記入し、〒539・0052 郵便事業大阪支店 造幣局高知千円係。4月6日(消印有効)までで、問い合わせは050・5548・8686。
(2010年3月17日22時26分 読売新聞)
IT
国立公文書館:ネットアーカイブがリニューアル 検索機能を充実させ
国立公文書館が、収蔵する公文書や目録、重要文化財の画像をインターネット上で無料公開し、自由にダウンロードできる「国立公文書館デジタルアーカイブ」(http://www.digital.archives.go.jp/)をリニューアルした。アーカイブは2005年から公開しているが、今回は検索機能を充実させるなど、より使いやすくなった。
目録は約120万冊分、公文書の画像は869万点、重要文化財などが1170点。今のところ、同館収蔵の資料類のうち1割程度。今後、全資料公開に向けてアップしていく。一般的なキーワード検索の他、関連性の高いものを絞り込んでいく階層検索もある。省庁組織変遷図を使った検索は、組織名をクリックすると関連文書の一覧が出てくる。部局レベルまでの変遷図があり、絞り込みも楽だ。
文書には、天皇の署名がある憲法や法律、条約などの公布原本をはじめ、各省庁の資料がある。法案の検討過程が分かるものもある。戦前の特高警察のものや、旧陸海軍の文書で戦後いったん連合国に接収されたもの、旧琉球王国の最高機関、評定所の記録文書なども見られる。
重要文化財などの資料は、文化財自体の画像と解説を一緒に印刷でき、生涯学習などの教材にも使いやすい。拡大してかなり細かい部分まで見られるのも特徴だ。戊辰戦争で官軍が使った錦の御旗(みはた)の模写や板垣退助らによる民選議院設立建白書といった幕末、明治期の資料だけでなく、戦前の空襲啓発ポスター「防空関係資料全防空図解一般防空」、旧海軍の戦闘機、紫電改の取扱説明書などもある。都道府県ごとの検索もできる。
国立公文書館業務課は「研究者だけでなく、ぜひ、一般の方にも利用してほしい」と話している。【鈴木英生】
幕末維新関係も充実しているようで、検索閲覧してみようかな。
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