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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 3月3日ひな祭りの今日、予報では午後から雪とのことでしたが、私の住まい周辺は雨が降っています。これから雪になると思いますので、これからご帰宅される方々は、暖かくして足下にご注意くださいませ(自分が転びやすいもんで^_^;)。
 新暦と旧暦とでは季節感が多少違いますが「ふりながら 消ゆる雪あり 上巳こそ」という句を詠んだ俳人さまを思いつつ雪見を……したかったなぁ(苦笑)。関東でも山沿いは雪模様のようですね……明朝は都心でも積もっているでしょうか。

栃木
孔子さまもお引っ越し? 文化財盗難警戒で 栃木・足利学校
孔子さまもお引っ越し? 文化財盗難警戒
 仏像など文化財の盗難が相次いでいる中、国内最古の「孔子坐像」を所蔵する栃木県足利市の史跡「足利学校」は、孔子坐像の展示を実物からレプリカ(複製)に変更することを決めた。世界遺産登録を目指している足利学校にとって、貴重な文化財を守るためだ。
 孔子坐像は高さ約77センチ、ヒノキ製の寄せ木作りで、天文4(1535)年に制作。当初は足利学校の講堂に置かれていたが、寛文8(1668)年に孔子廟が造営されたのを契機に廟の正面に安置された。
 制作時期が明確なものとしては国内最古で、昭和40年には県の有形文化財に指定された。幕末の文人画家、渡辺崋山が銘文を確認するため孔子坐像を廟の外に持ち出して逆さまにした際、底板の一部を壊したというエピソードもある。
 レプリカは樹脂製。昭和61年、足利市教委が孔子坐像の保存修理と解体調査を行った際に文化財保護として作製、足利学校で実物の代わりとして展示した。
 調査後、市民に周知せずにレプリカを展示していたことが問題となったことがあった。平成2年に足利学校が復元されたことなどから4年、再び実物を展示し現在に至っている。
 レプリカへの変更は近く行う予定。今後、実物は国宝などの典籍が保管されている収蔵庫に置かれ、毎年11月23日に開催される儀式「釋奠(せきてん)」や文化財一斉公開などで公開される。
 史跡足利学校事務所は「文化財保護のため、市民の理解を得たい」と話している。

 そう言えば、京都建仁寺の観音像窃盗犯、金戒光明寺にも侵入していたそうで……(汗)。

東京
サントリー美術館にて「一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子」展開催
 サントリー美術館は、2009年3月28日から5月17日まで「一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子」展を開催する。
 江戸時代後期、日本にも虹色に輝くガラスが登場した。江戸切子や薩摩切子と呼ばれるカットガラスである。かつて、西洋からもたらされた無色透明のカットガラスは、その洗練された美しさから「ギヤマン」と呼ばれた。「ギヤマン」は、ポルトガル語の「ディヤマンテ」を語源とし、「ダイヤモンド」を意味する。日本で生まれたカットガラスの中でも、とりわけ鹿児島・薩摩藩が力を尽くして生み出した薩摩切子は、多様な色彩と豊富な文様とのハーモニーが最大の魅力である。
 弘化3年(1846)、薩摩藩主・27代島津斉興(しまづなりおき)が始めた薩摩のガラス産業は、息子・斉彬(なりあきら)の代に飛躍的な成長を遂げた。幼い頃からヨーロッパの書物に親しみ、一流の蘭学者と交流のあった斉彬は、外国文化も積極的に取り入れた。イギリスの力強い直線やボヘミアの優美な曲線など、その造形にはヨーロッパの影響が多々見られる。また、海外輸出も視野に入れた藩の特産品として開発されたこともあって、現存する器は、将軍家や大名家などに伝来するものも少なくない。しかし文久3年(1863)、薩英戦争によってガラス工場が破壊されると、その製造は衰退の一途をたどる。
 幕末の十数年の間に一気に興隆し、明治初期には制作されなくなり、はかない運命を遂げた薩摩切子。本展では、その成り立ちから終焉までを約160件の作品で一挙公開する。さらに、これまで存在が明らかにされてここなかった「無色の薩摩」にも着目し、近年の調査の結果も踏まえつつ、その一端を紹介する。西洋への憧れと日本的な美意識とが融合した、独自の美の世界を楽しめる展覧会である。




神奈川
横浜で両市長、開港150周年 互いに祝福
【横浜】横浜市とともに開港150周年を祝おうと、函館市の記念事業実行委員会(会長・西尾正範市長)は1、2の両日、横浜港に接岸した東日本フェリーの高速船「ナッチャンWorld(ワールド)」の中でパネル展や交流セレモニーを開いた。西尾市長と横浜市の中田宏市長、両市の経済界代表らが出席し、未来に向けたまちづくりを誓った。
 横浜を中心とした首都圏で函館をPRし、ともに開港150周年を迎えた2港間で交流を深めようと、函館市が企画した。高速船「ナッチャン」は昨年10月末まで青函航路で運航。和歌山県の造船所でメンテナンスを受け、2月28日に横浜港へ入港した。
 函館市実行委によると、2日の交流セレモニーで西尾市長は「函館、横浜の両市は開港150周年を機に、未来に向けてまちを開く取り組みを進めている。これを契機に両市の連携、交流を深めたい」とあいさつ。中田市長が「開港5都市というが、真に1859年に開港したのは横浜と函館。8月の記念イベントではぜひ函館を訪問したい」と述べ、互いの150周年記念ポスターに両市長がサインし、交換、握手した。
 船内では両日、函館の歴史や文化、観光地、150周年記念事業などを紹介するパネル展も開催し、1日だけで3850人が訪れる人気だった。高速船「ナッチャン」の人気も手伝い、家族連れや船の愛好者らが船を写真に収める姿も見られたという。
 西尾市長のほか、函館商工会議所の森川基嗣副会頭、函館国際観光コンベンション協会の沼崎弥太郎会長、函館港湾振興会の兵頭法史会長ら約15人が出席。セレモニーには両市の関係者約200人が出席した。


愛知
掘り出しニュース:瀬戸の窯元・加藤紋右衛門の便器を展示 INAX
瀬戸の窯元・加藤紋右衛門の便器を展示 INAX
<掘り出しニュース>瀬戸の窯元・加藤紋右衛門の便器を展示 INAX
 愛知県常滑市奥栄町のINAXライブミュージアム「窯のある広場・資料館」2階の常設展示がリニューアルされた。明治時代の便器を中心に展示し、便器の変遷や歴史を紹介している。
 86年に公開されて以来のリニューアル。かわやの写真のほか、瀬戸市の染め付け古便器や福岡県の赤坂焼、常滑市の常滑焼などの珍しい物など77点を展示している。中には畳の間に配した江戸城本丸の御用場(トイレ)を当時の絵図を基に復元した「樋箱(ひばこ)」や、便器に銘を刻んだ加藤紋右衛門の美しい逸品もある。紋右衛門は幕末から明治にかけて高い評価を得た瀬戸の窯元で、花鳥図を染め付けた花瓶や食器を海外に輸出した。1897年ごろから便器の生産を始めたとされ、ブランド名とも言える「還情園池紋製」の銘が入っている。
 ミュージアムは4月1日から最終入館時間が1時間繰り上がり午後4時半になる。休館は第3水曜日。問い合わせは同ミュージアム(0569・34・8282)へ。【河部修志】


大阪
ふるさと@おおさか:北海道 「寒地稲作の祖」中山久蔵 /大阪
◇太子町の誇り、石段に名刻む
 二上山ろくに位置する太子町。町役場から5分ほど歩くと光福寺という寺院にたどり着く。本堂に続く石段の右端に目をやると、そこには「石狩國月寒村 中山久蔵」と寄進者の名前が彫り込まれている。この人物。大阪ではあまり知られていないが、「寒地稲作の祖」として北海道では、有名だという。遠く離れた北海道とも大阪は意外な縁でつながっていた。
 中山久蔵(きゅうぞう)という名前を頼りに調べていくと、北海道北広島市のウェブサイトに久蔵のことが掲載されていた。早速、同市教委へ電話してみた。「中山久蔵さんってどんな存在ですか?」
 「地域の偉人といっても過言ではない人物です。地元では、小学校の社会科の副読本に登場するくらいですからね」。生涯学習部の学芸員、畠誠さん(39)が丁寧に教えてくれた。畠さんによると、久蔵は現在の太子町春日の出身だという。なるほど、それで太子町にも名前が残っていたのか。
 久蔵は幕末の生まれで、17歳でふるさとを後にし、江戸など各地を巡った後に、仙台藩へ。その後、藩の命を受けて北海道との間を行き来するうちに明治維新を迎え、北海道へ移住したという。
 1871(明治4)年。久蔵は現在の北広島市に腰を落ち着けると、本格的な稲作に取り組み始める。当時、北海道では函館など一部で作付けされていたが、寒さの影響であまり芳しい出来ではなかったという。久蔵は寒さに強いといわれる品種を使い、栽培技術に磨きをかけ、2年後には収穫に成功した。
 その後、さらに寒冷な旭川などにも栽培技術を伝え、北海道に稲作が普及する礎を築いた。「初めて稲作に成功したわけじゃないですが、無償で苗を分け与えたり、育て方を教えたりした。そんな人柄が『寒地稲作の祖』と呼ばれるゆえんだと思いますよ」と畠さん。ふるさとの誇りをうれしそうな口ぶりで解説してくれた。
 さて、太子町ではどうだろう。「久蔵はこの寺の門徒ですよ。寺の古い記録にも、久蔵が大正8(1919)年に亡くなったと書いてあります」。石段に名前が残る光福寺の前住職、津田尚文さん(77)と妻和子さん(73)が教えてくれた。
 津田さんによると、久蔵は明治に米2石、大正に入って当時としては大金の300円を寄進している。かつて本堂には、中山久蔵という名前とともに、寄進したことを示す大きな紙も張ってあった。「石段も寄進された300円で作ったのかもしれません。やっぱり生まれ故郷への思いがあったのでしょうね」
 近年も久蔵の子孫が北海道から寺を訪ね、自らのルーツを確認していった。「この太子町から出ていき、北の大地を耕し成功を収めた。そのハングリーさを思うと本当にすごいと思います」と津田さん。大阪にとっても、中山久蔵は郷土の誇りなのだと感じさせる一言だった。【曽根田和久】

 北海道が米の一大産地になっているのは、こうした先人の努力あってこそなんですね。

和歌山
紀州・社寺を歩く:報恩寺(和歌山市) 歴代藩主夫人らの墓所 /和歌山
◇頼宣の正室など12基
 一昨年、名勝・和歌浦に浮かぶ小島、妹背山にポツンとたたずむ海禅院の多宝塔を取材(07年11月6日付掲載)した際、お相手してくださったのが松本恵昌住職。海禅院のほか、同じ和歌山市内の信行寺、兵庫県篠山市の園林寺のご住職でもあるのだが、本拠地が紀州徳川家の菩提(ぼだい)寺として知られる日蓮宗本山・報恩寺と聞いて、いつかお訪ねしたいとお願いしていた。今回は、ようやくそれがかなった次第。
(中略)
 「幕末に貫首だった日禎上人という人は勤皇僧で、佐幕派の藩士に惨殺され、その際、寺も打ち壊されたということです。寺が荒れるのはまだ徳川時代、廃仏毀釈以前の話なのですよ」
 徳川家菩提寺の住職が勤皇僧? そうか、江戸から派遣された僧侶ならありうる話です。幕末の裏面史として興味深い話ですね。



福岡
ひな人形:麻生大浦荘と旧松喜醤油屋できょうまで展示--飯塚 /福岡
 飯塚市立岩の「麻生大浦荘」と同市勢田の商家「旧松喜醤油(しょうゆ)屋」で、ひな人形が展示されている。いずれも入場無料で3日まで。
 麻生大浦荘は、炭鉱経営で財を成した麻生一族の邸宅で、現在は麻生グループ各社が会合などに利用している。邸内には源氏物語の紫の上、末摘花、明石の君などの場面をひな人形や牛車などを並べて再現。
 旧松喜醤油屋は、幕末から明治初期に建てられたとされる木造2階建ての商家で、漆塗りの「箱階段」や舟を逆さにした形の「舟天井」などがある。
 問い合わせは麻生大浦荘が飯塚観光協会(0948・22・3511)▽旧松喜醤油屋が市歴史資料館(0948・25・2930)。【井上元宏】


苅田町:「名家老」小倉藩・島村志津摩で二崎活気付け 取り組み開始 /福岡
 幕末の小倉藩家老、島村志津摩(しづま)(1833~76年)が晩年を苅田町東南端の農業地帯、二崎(ふたざき)区(75戸)で過ごしたことから、同町は二崎を「名家老が暮らした地」として地域興しにつなげる取り組みを始めた。09年度の町農業振興計画にも盛り込む方針。
 島村は20歳で家老となり、庄屋の帳簿を調べて支出を抑制。小倉織りや養蚕を奨励して殖産興業を進める「安政改革」にあたった。小倉藩・長州間の小倉戦争(1866~67年)で士大将を務め、38歳で二崎に隠退した。
 二崎の屋敷跡は現在、草木がうっそうと茂るなど管理が行き届いていない。苅田町は「名家老が生きた地」をアピールしながら二崎を活気付け、生産拡大や農業後継者作りにもつなげる狙い。
 第1弾として2月28日、「小倉藩家老島村志津摩」の著作がある元行橋市教育長の白石壽(ひさし)さん(79)の講演会を公民館で開催。白石さんは「小倉藩の負け戦だった小倉戦争の中、島村は用兵の術に優れ『小倉藩に島村あり』と長州で恐れられた。屋敷跡に案内看板を立て、子や孫に語り継いでほしい」と語った。
 10日には、小倉北区に残る島村の墓や、小倉戦争時に島村が防衛線を敷いた香春町の金辺(きべ)峠を巡る見学会▽4月3~5日、二崎の屋敷跡近くの山桜を鑑賞する桜祭りをそれぞれ開く。
 崎田耕作区長(69)は「屋敷跡からは行橋の夜景も奇麗に見える」とPR。苅田町農政課は「新しいモノを造るのでなく、歴史を生かすことを農村振興につなげたい」と話している。【降旗英峰】


長崎
市民ボランティア:英文小説の翻訳、V・ファーレンの阿部選手も参加 /長崎
市民ボランティア:英文小説の翻訳、V・ファーレンの阿部選手も参加 /長崎
◇グラバーの功績を描く
 明治維新に活躍した英国人政商トーマス・グラバー(1838~1911年)の生涯を描いた英文小説を、物語の舞台となった長崎の市民有志がボランティアで翻訳した。翻訳メンバーにはサッカークラブ「V・ファーレン長崎」の阿部博一選手(23)も参加し、「長崎から日本を変えた人物の偉大な功績を知ってほしい」と言う。【錦織祐一】









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