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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨夜は結局雪にはならなかったのかな? 今朝は弱いながらも陽差しが出ているので、布団干ししてます。

群馬
六合村の思い出かるたに込め 28日に編入合併 群馬
 「愛と和と 人情厚き 六合の郷」-。今月28日、中之条町に編入合併され110年の歴史に幕を下ろす群馬県六合村で、村内の名所や特産品を取り上げた郷土かるたが完成した。小学生も絵札の作成に携わるなど、村民の力を結集した力作。村関係者は「由緒ある歴史と美しい自然の魅力を、かるたを通して語り継いでいきたい」と期待を込めている。(時吉達也)
 村教育委員会の呼び掛けでかるたの作成が始まったのは、合併が取りざたされた昨年2月。作成委員長の山本茂さん(71)は「今を逃したら作る機会を失う、という危機感があった」と振り返る。村民から題材を募集したところ、選定数の44点を大きく超える146点の応募があった。約3カ月かけて実地調査などを行い、「苦渋の決断」(山本さん)の末、題材が決まった。
 応募総数914点の読み句から選定された44点は、大自然を誇りキャンプ場としても人気の野反湖(野反湖の 豊かな自然 日本一)や、わらに布を巻いた特産品「こんこんぞうり」(名人つくる めんばしゃもじに こんこんぞうり)などのほか、村の歴史にも言及。「六合」の語源(天地四方を以って 六合となす)や、幕末に開国論を唱えた蘭学者・高野長英が隠れ住んだとされる史実(蘭学医 長英かくまう 湯本の館)も登場するなど、多彩な内容となった。
 また、絵札の作成には村内の絵画サークルなどのほか、児童・生徒も積極的に参加し、約8割の絵札を担当。村の総力を挙げた作品は2月、村内約700戸に全戸配布された。村民の反応は上々で、六合小6年の霜田唯さん(12)は「姉と弟と、家で何度も勝負した。半分くらいは知らない内容で、勉強になる」と笑顔を見せる。
 村教委では、郷土学習にかるたを活用していく方針。今月7日にかるた大会を開いたほか、今後はかるたに登場する名所旧跡を歩く「かるた巡り」も企画する予定という。
 山本さんは「合併すれば、人々の関心は町の中心部など便利な所に向きがちになる。かるたを通じて六合の魅力を再認識し、次世代に継承していってほしい」と話している。



千葉
史跡ガイドお任せを
年450人案内「感動伝えたい」 流山の有志グループ

 「明治の初期、千葉の県庁はここに置かれていたんです」-。流山市内の意外と知られていない歴史を伝えようと、市民有志が設立したボランティア団体がある。「流山史跡ガイドの会」。本格的な活動を開始してまだ1年半ほどだが、史跡を一つ一つ地道に歩いて訪ね、紹介。昨年は約450人を案内した。ガイドのコースや趣向を増やすなど、今年はさらに活動が活発化しそうだ。
 同会は2007年に同市などが主催した「史跡案内人養成講座」が母体。講座終了後に、有志らが自主的に活動を始めた。会員は現在5人。歴史の専門家集団ではなく、歴史好きの素人集団だ。もちろんガイドの経験もなく、手探りの状態での出発だった。
 市内の史跡や資料を丹念に調べ、ガイドコースの地図や歴史年表などをスケッチブックに手書きしてまとめた。ガイドの所要時間を測ったり、会員の役割分担を決めるなどして、おととしの夏からいよいよガイドを始めた。
 交通機関を使わない、徒歩で巡るスタイル。歩くのは健康に良いという側面もあるが、流山の史跡はバスが入れない細い道沿いにあることが多いという事情もある。
 ガイドしたのは、一般市民や各種団体、地元の小学生などさまざま。コースも依頼に応じて組み立てる。新選組の近藤勇の陣屋跡や俳人・小林一茶ゆかりの地「一茶・双樹記念館」、日本有数の運河「利根運河」など流山を代表する史跡は知名度が高く、人気があるという。
 同会では、そうした名所だけではなく、市民にさえ案外知られていない「埋もれた歴史」に着目。市内には県内初の史跡が多いことが分かり、これをガイドの特徴の一つにしている。
 青柳会長は「土地の記憶をどう感動的に伝えられるかがガイドの役割。でも、それが難しい。まだまだ勉強中です」と語る。同会の問い合わせは流山市中央公民館、電話04(7158)3462)。


御神楽:五穀豊穣祈り、香取・木内大神で奉納 /千葉
 香取市木内の木内大神で、市無形民俗文化財の御神楽の奉納があった。投げられたタイを観客が必死に奪い合う姿も見られた。
 神楽保存会によると奉納は江戸時代中期の1740年代の文献に記されており、それ以前から五穀豊穣(ほうじょう)を祈って奉納されてきたとされる。明治維新で一時途絶えたが、1882年に地元の有志が復活させ、1963年に保存会が設立された。
 3日の奉納では、銚子で取れたタイが観客に向けて投げ込まれ、見事につかみ取った市内の小学3年、菅谷侑真君(9)は「すごくうれしい。今年はいいことがある気がする」と笑顔だった。【駒木智一】



石川
弁吉の噴水模型寄贈 金沢・からくり記念館に
 大阪府柏原市の木型師西口邦夫さん(67)が7日、金沢市の県金沢港大野からくり記念館に、大野に住んだ幕末の科学者大野弁吉が作ったと伝わる木製の「自噴水」模型2種類を寄贈した。一つは内部の構造が分かるよう工夫が凝らされており、同館は弁吉の功績を伝える模型として4月から展示する。噴水の実演も予定し、来館者にものづくりへの興味を喚起する同館の「名物」の一つとする。
 寄贈された模型は高さ50.5センチの六角柱型で、黒く塗られたものと、木目が見えるものの2種類。黒く塗られた自噴水は気圧や位置エネルギーを利用して水を噴き上げるように作られ、もう一方は周りの板の一部を取り外して中の構造が分かるようになっている。
 西口さんは、おもちゃやからくり作りが趣味で、昨年8月に弁吉作と伝わる木製の自噴水を独自に入手、噴水の模型を製作した。11月に同館を訪れて職員に模型を見せたところ、展示の依頼を受けたことから、西口さんは新たに模型を作って寄贈することにした。
 この日、同館を訪れた西口さんは「弁吉は偉大な科学者。多くの人に弁吉の優れたアイデアを知ってほしい」と話し、伊林永幸副館長は「素晴らしい模型。茶運び人形などと実演の目玉になる」と感謝した。回すと笛のような音が鳴る竹製のこまも寄贈された。


富山
奥原晴湖の絵か、富山で発見 女性画家の先駆
 幕末から明治にかけて活躍した女性画家の先駆者とされる奥原晴湖(1837~1913年)と署名がある絵12点が7日までに、富山県高岡市の串岡弘昭さん(63)の自宅で見つかった。
 四季折々の自然を描いた水墨画で、伸び伸びとした画風に晴湖らしい特徴がある。これまで確認された署名とはスタイルが違うものがあり、専門家は「真作かどうかの検討は必要だが、研究資料として興味深い」と話している。
 晴湖は古河藩士の家に生まれ、幕末の文人や木戸孝允、岡倉天心らと交流があったと伝えられ、女性南画家として中央画壇で活躍。明治初期に男性のまげを落とすことを定めた断髪令で、自らざんぎり頭になるなど逸話の多い画家としても知られる。
 串岡さんによると、親せきから受け取った絵をそのまま保管、最近になって、晴湖の署名のあることに気付いたといい、「筆に勢いがあり驚いた。晴湖のことが知りたくなった」と話している。


京都
【龍馬ゆかりの地を行く・京都番外編】三条小橋 暗殺続いた背景
 三条小橋。東海道の起点であり終点でもある三条大橋の西すぐ、南北に流れる高瀬川に突き当たる。そこに架かる小さな橋。その周辺は現在、川沿いに桜並木が続き、春ともなると白い花の帯に川の流れも相まって古都の情緒を醸し出している。
 今から146年前の元治元(1864)年6月、橋の近くの旅館「池田屋」に集まった尊皇攘夷(尊攘)派が新選組の捜索を受け、肥後の宮部鼎(てい)蔵、土佐の石川潤次郎、杉山松助ら十数人が討ち死にし、20人が逮捕される事件が起きる。池田屋事件である。
 この前後、三条小橋の周辺で暗殺事件が相次ぐ。文久2(1862)年、越後の本間精一郎が殺害される。江戸に攘夷を促す勅使の人選をめぐって争う土佐藩の岡田以蔵の仕業とも言われる。岡田は土佐勤皇党の武市瑞山に剣の腕を買われて暗殺を繰り返し、「人斬り以蔵」の異名を持つ。
 この現場のすぐ北に、武市の住む料亭「四国屋丹虎」(当時)があったのは偶然だろうか。
 このほか、元治元年の佐久間象山、明治2(1869)年の大村益次郎ら。高瀬川沿いに歩くと3人が殺害された現場に石碑が建つ。
               ×  ×  ×
 高瀬川は、森鴎外の小説「高瀬舟」の舞台でも知られる。江戸時代の初め、京都の豪商、角倉了以・素庵親子が京都の中心地から伏見までの物資運搬用に開削した運河。それから200年後、高瀬川添いには各藩邸の蔵が軒を並べ、物資の一大集積地となる。
 例えば、二条通近くの一之舟入の近くには長州藩と対馬藩、さらに南には岩国藩、加賀藩、彦根藩、土佐藩の藩邸が続く。その藩邸を取り巻くように、三条小橋のすぐ北にあった「四国屋丹虎」の隣に、武市と同じ土佐勤皇党で後に天誅(てんちゆう)組の乱で戦死した吉村寅太郎の住居跡があり、それぞれ石碑で当時の様子をしのぶことができる。
 そして、四条河原町近くには、土佐の中岡慎太郎や池田屋事件の発端となった古高俊太郎の「桝屋」跡がある。
               ×  ×  ×
 池田屋事件当時、前年の八月十八日の政変で京都を追放された長州藩の尊攘派が、藩主の失地回復などを目指してひそかに活動。まさに尊攘派は過激な行動も辞さない構えで、新選組に逮捕された古高が、京都に火を放ち混乱させた上で、公武合体派を襲撃するとともに、天皇を長州に移す計画を自白している。
 隣の対馬藩は、長州藩とは藩邸同士で盟約を結んでいて、池田屋事件のとき桂小五郎は対馬藩邸にいて無事だった話も残る。しかし蛤御門の変で長州が劣勢にまわると、対馬の尊攘派も一時押されている。
 その隣の岩国藩は尊攘の活動はあったが佐幕的な態度を示し、加賀は外様とはいえ大藩として幕府側。彦根藩も井伊直弼が暗殺されて以後、発言力を失ったとはいえバリバリの幕府側。土佐藩は藩自体は幕府寄りながら尊攘派と公武合体派で大きく揺れ、極めて不安定な政情だった。
 まさに、諸藩のほか尊攘派と公武合体派と、いろんな思惑が複雑にうごめいていた。
               ×  ×  ×

 京都には当時、天皇が住む洛内では捕物をしない暗黙の了解があったという。都の東橋といえば寺町通で三条小橋は洛外だった。しかも京都の東の玄関口の三条大橋にも近い。
 ということで、世情が不安定の幕末時代、橋周辺はは捕物有り、切り合い有りの世界になったところで何の不思議もない。しかも諸藩の利害も渦巻く。
 一時、坂本龍馬も高瀬川沿いに住んでいる。高瀬川の先は伏見。そこにはあの寺田屋も…。何となくつながってきた。(園田和洋)


和歌山
元和歌山・新宮領主の子孫、独から里帰りへ
 和歌山県の元新宮領主、水野家の子孫でドイツ在住のモニカ・ベロイターさん(49)と息子の健・ヨアヒムさん(11)母子が9日から1週間、新宮市を訪れる。
 「自分たちのルーツを確認したい」としており、市を挙げて歓迎準備を進めている。
 水野家は初代、重仲が紀州藩主になった徳川頼宣の附家老として新宮に入り、築城した。新宮城は1633年(寛永10年)、2代城主重良の時に完成した。
 11代、忠幹の時に明治維新を迎え、城は廃藩置県後の1875年(明治8年)に取り壊された。市内に残る水野家墓所は2002年、市に寄贈された。
 モニカさんは14代目の娘、慈子さん(74)(横浜市在住)とドイツ人の父との間に生まれ、12歳まで日本に住んだ。現在、画家の夫ヨアヒムさん(64)とハンブルクに住み、日独語通訳として活躍している。
 今回の訪問は和歌山日独協会から市に連絡があり、市と水野家の墓所を守っている元新宮領主水野家顕彰会(松本吉殖会長)、新宮青年会議所などが迎える。
 モニカさん母子は9日に仁坂知事を表敬訪問し、同市に入る。健さんはホームステイし、市立千穂小学校に体験入学する。10日に歓迎式を行うほか、墓所参拝や川船下りなどを予定している。




鳥取
旧岡崎邸:幕末の2階建て屋敷 NPOが報告会--鳥取 /鳥取
 鳥取市馬場町の武家屋敷「旧岡崎邸」の修復に取り組んでいるNPO市民文化財ネットワーク鳥取(理事長、渡辺一正・鳥取環境大教授)は6日、地元住民らを交えて調査報告・検討会を鳥取市のとりぎん文化会館で開いた。修復に向け調査をしてきた専門家らが、いかに貴重な建造物かなどについて話し、住民からは盛んに質問が飛んだ。
 会は「皆で修復し活用しよう!岡崎邸」のタイトルで開かれた。冒頭、渡辺理事長が「解体工事中の昨年10月に屋敷を購入し、結果として解体修理することになった。好都合な面もあり、外からは分からないことが分かってきた」と水を向けた。
 文化庁の主任研究官として主に建築物の調査をした江面嗣人・岡山理科大教授が「2階建ての武家屋敷は、江戸時代の前期、後期では考えられない。幕末になって出てきた。旧岡崎邸も明治の建築ではないかとの声があったが、文書などの調査で天保期の建築であり、通し柱があることから当初から2階建てだったことが確認された」と報告した。
 屋敷のゆがみを直す応急処置を担当した渡辺隆さんは「屋敷は倒れる寸前だった。最大で45ミリ傾倒し、30ミリも沈下していた。昨年暮れの緊急避難的な補強で水平は確保されたが、傾倒はまだ25ミリ残っている」と話した。
 続く討論会で宮大工の鈴木和明さんは「屋敷は理由があって残った。大工からするといい教科書。どんなに立派でも壊れてしまったら意味はない」と指摘。使われているクリの板について「15ミリの厚みであれだけ幅があるのにまったく狂いがない。木目も素性もいい」とたたえた。
 一般参加者からは「天保年間には大飢饉(ききん)があった。そんな時に藩政を担う岡崎家がどうして立派な屋敷を造ったのか」「土台の石はどこから運んだのか」といった質問が出された。建造理由については、徳川本家から池田家に嫁いだ泰姫の江戸御殿の試作品との説明がなされた。石については周辺の河原石だろうとされた。用瀬が河原石の産地だったという。【大川泰弘】


文化芸能
超巨大な“桜田門”セットが水戸に出現!規模はなんと東京ドーム1個分
 大河ドラマ「龍馬伝」でも描かれている動乱の時代・幕末。この時代を象徴する大事件であり、明治維新のきっかけになったとも言われている“桜田門外の変”が、大沢たかお主演の歴史大作『桜田門外ノ変』となって、今秋、全国公開される。本作の撮影ため、茨城県水戸市にはなんと東京ドーム1個分という巨大オープンセットが建てられ、江戸城桜田門外周辺の町並みが丸ごと再現されたのだ。
 そもそも“桜田門外の変”とは、アメリカの外圧に屈して開国を決め、安政の大獄などで尊王攘夷派の弾圧を行った大老・井伊直弼が、1860年3月に水戸と薩摩の浪士らに江戸城桜田門外で暗殺された事件のこと。今回のオープンセットの建設は、昨年が水戸藩の開藩400年目という節目に当たり、茨城県が映画の撮影に全面協力してくれたことで可能になったという。
 ちなみにこちらのセットには、建築費用が約2億円、敷地面積が約1万3000平方メートルという莫大な予算と土地が使用されており、同県の人々から多くの期待が寄せられている作品であることをうかがい知ることができる。また、主演の大沢も「初めてこのオープンセットを見た時には、“水戸市ってすごいな”って純粋に驚きました」と、セットの壮大さに感嘆のコメントをこぼしている。
 ちなみに、映画のハイライトとなる桜田門外での襲撃シーンは、降り積もる雪を再現するため70トンもの“寒水石”という特殊な石を用意。これを削ってセット中に撒くことで、襲撃時の様子をリアルに表現することに成功している。映画がどこまで、この事件を再現できているのか“体感”するために、今から“桜田門外の変”について勉強しておくのもいいかもしれない。【トライワークス】





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