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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 また雨が降り出しました。朝、夕方、そして夜と雨が……さらに、先ほどから、稲光りと雷鳴(汗)。この寒さは明日いっぱいのようで、週末は暖かくなりそうなのが嬉しいです(ただ、花見にうってつけとなりそうな日曜日の予報が曇りのち雨……汗)。

静岡
勝海舟ゆかりの静岡・吉屋酒造 需要低迷、後継者なく258年の歴史に幕
 創業258年の歴史を持ち、駿府の地酒「忠正(ちゅうまさ)」銘柄で親しまれた酒造会社「吉屋酒造」(静岡市葵区)が31日、酒蔵を閉じ廃業した。清酒の需要低迷に加え、杜氏(とうじ)の引退が理由という。 (静岡総局・佐野太郎)
 同社などによると、忠正の酒蔵は江戸時代中期の1751(宝暦元)年に、現在の葵区材木町で創業。安倍川の伏流水を使って大吟醸や吟醸、純米吟醸などを生産し、よく熟成された深い味わいで左党をうならせてきた。
 酒蔵の酒造史には、明治維新後の数年を静岡で過ごした幕臣で政治家の勝海舟(1823-99年)が立ち寄っては愛飲したことが記されている。静岡市史にも、勝と、幕臣で政治家の山岡鉄舟(1836-88年)が忠正で酌を交わしたとある。
 伝統の地酒造りを続ける傍ら、同社は数年前から後継者不在について検討していたが、23年間にわたって味を守り続けた杜氏が体調を悪くして引退したため、これを機に酒蔵の歴史に幕を下ろすことにしたという。
 県酒造組合(静岡市葵区)によると、県内の2007年の清酒出荷量は、10年前より4割少ない4600キロリットルと減少が続く。酒造会社は1955(昭和30)年の75社をピークに減少し、吉屋酒造の廃業で31社になった。
 同組合の小沢康弘事務局長は「静岡の清酒は、灘や伏見などとは量や価格で勝負できないので、早くから高品質に特化して全国的にも評価が高くなっている。忠正さんは業績不振で廃業するわけではないので、銘柄が引き継がれる可能性もあるが、惜しい気持ちだ」と話した。



兵庫
散策路に幕末のロマン! 竜馬夫妻の壁画が登場
 幕末の志士坂本竜馬と妻おりょうを描いた壁画が、姫路市五軒邸二の不動産会社「ゴケンヤシキ」に登場した。歴史愛好家が集う「姫路幕末ファンクラブ」の会長でもある大谷充社長は「周辺は散策路なので、道行く人に見てほしい」とPRしている。
 壁画は縦二・五メートル、横四・五メートル。高知市の桂浜で、寄り添って海のかなたを眺める夫妻が描かれた。キキョウをあしらった竜馬の家紋もちりばめている。
 手掛けたのは加古川市在住の画家久保田裕美さん(26)。街角や店舗の壁にイラストを描く外壁アートを続けており、活動を知った大谷社長から依頼された。
 壁画は、桂浜と竜馬、おりょうが別々に写った写真を参考にペンキと絵筆で描いた。三月中旬に作業を始め、十日ほどで一気に仕上げた。イラストを得意とする久保田さんは「架空の場面なので、写実的な人物描写が難しかった」と振り返る。
 完成を祝い、竜馬と同じはかま姿になった大谷社長は「大好きな竜馬と毎日会えて感激。最高の出来栄えです」と喜んでいる。
(山岸洋介)




福岡
幕末の知将・島村志津摩を顕彰 3日から初の桜まつり ライトアップや神楽公演 苅田町
 1866年の第2次長州戦争で長州藩の攻勢から小倉藩を救った知将島村志津摩(1833‐76)を顕彰し、地域おこしを目指す初の「志津摩桜まつり」が3日から、苅田町二崎の天神池周辺で開かれる。地元の二崎島村志津摩顕彰会と二崎志津摩桜保存会主催、5日まで。
 志津摩桜は、志津摩の屋敷跡といわれる天神池近くに立つヤマザクラ。1日午後6時からライトアップする。3日午前10時にはもちつきをして無料配布。午後6時にかがり火の中で南原神楽(苅田町)公演がある。
 二崎地区の環境保全に取り組む「鯉(こい)クラブ」代表の田渕力三郎さん(67)は、桜周辺の雑木を切り開いて広場や道を造り、休憩所も設けた。二崎の高齢者による「天神クラブ」は棚田を整備した。
 田渕さんは「志津摩邸跡を生かし地域の活性化を図りたい。天神池には多くのサギが巣をつくり、山並みも見える。自然を壊さず遊歩道などを整備したい」と話す。
 島村志津摩を30年以上研究する元行橋市教育長の白石壽さん(79)によると、志津摩は20歳で家老職に就任。第2次長州戦争で農兵隊を率いて長州藩の進撃を食い止めた。武士や農民に慕われ、敵将山縣有朋も「小倉藩に島村あり」と称賛。二崎の屋敷に隠せいし、44歳で亡くなった。

 第二次長州戦争で、幕府側でそういう人物がいたんですね。興味深いです。

大分
【姫島新聞】「水産業と観光の島」創造
 「水産業と観光の島『姫島』の創造」をテーマに地域住民らで結成した「はりこもう会」(板井秀則会長)が、島の豊かな自然を生かした観光振興に取り組んでいる。
 組織は国の「地域再生マネージャー事業」で二〇〇六年十月に発足。観光、水産、広報の三部会に分かれて地域資源の再発掘、体験型プログラムの開発、特産品作りに取り組んだ。月に一度は国交省認定の観光カリスマ、山田桂一郎氏を招いてノウハウを学んできた。
 アサギマダラ飛来地を巡るウオーキング、クルマエビを使ったシューマイの開発、観光マップの作製、郷土料理作り体験を実施。取り組みはインターネットのブログで情報発信している。
 三月二十八、二十九日には周遊船で姫島灯台や阿弥陀牡蠣(あみだかき)(同島の七不思議の一つ)など島を一周するクルージングを初めて実施。幕末に勝海舟や伊藤博文らが訪れた「姫島庄屋古庄家」(村指定有形文化財)などを巡る「むら歩き」も行った。福岡県などから十人が参加し、島の自然と歴史を満喫した。
 板井会長は「会の結成当初は会員に戸惑いもあったが、試行錯誤を繰り返す中で次第に活動が本格化してきた。今後も魅力的なプログラムを開発して多くの人を呼び込み、村の発展に貢献したい」と意気込んでいる。



長崎
龍馬の茶わん復元
 佐世保市の「三川内焼」の陶芸家・藤本岳英さん(50)が、幕末の志士・坂本龍馬が愛用したとされる「亀山焼」の茶わんを、三川内焼の技法で復元した。5月から販売する予定で、「亀山龍」としての商標登録を申請中。来年のNHK大河ドラマが「龍馬伝」に決まるなど龍馬への関心が高まっており、藤本さんは「茶わんを通して亀山焼や三川内焼の良さも知ってほしい」と話している。
 亀山焼は、長崎市伊良林地区で焼かれていた磁器で、窯元は1865年(慶応元年)3月に廃業、この跡地に、龍馬が貿易商社「亀山社中」を設立したとされる。龍の絵柄が施された愛用の茶わんは現存し、山口県下関市立長府博物館に所蔵されている。
 藤本さんは2004年に神戸市で個展を開いた会場のオーナーから茶わんの存在を教えてもらい、昨年6月の大河ドラマの制作発表で長崎と龍馬のかかわりが話題になったのを機に、亀山焼を調べ始めたという。
 その結果、亀山焼が1804年に長崎奉行の指示で開かれた窯元で、平戸藩の「平戸焼」を元にしたことが判明。さらに、原料は佐世保市針尾地区産の「網代(あじろ)陶石」で、藤本さんが2006年に復元した三川内焼の高級品「卵殻手(らんかくで)」と同じものと確認できた。
 これらを参考に、今年2月、直径12・8センチ、高さ7・5センチ、厚さ3ミリの茶わんを完成させた。
 価格は、ふた付きで10万円程度を予定している。同じ絵柄と技法を使って、杯や飾り皿など8種類の商品の販売も計画している。


坂本龍馬愛用の茶わん、佐世保の陶芸家が復元
 佐世保市の「三川内焼」の陶芸家・藤本岳英さん(50)が、幕末の志士・坂本龍馬が愛用したとされる「亀山焼」の茶わんを、三川内焼の技法で復元した。
 5月から販売する予定で、「亀山龍」としての商標登録を申請中。来年のNHK大河ドラマが「龍馬伝」に決まるなど龍馬への関心が高まっており、藤本さんは「茶わんを通して亀山焼や三川内焼の良さも知ってほしい」と話している。
 亀山焼は、長崎市伊良林地区で焼かれていた磁器で、窯元は1865年(慶応元年)3月に廃業、この跡地に、龍馬が貿易商社「亀山社中」を設立したとされる。龍の絵柄が施された愛用の茶わんは現存し、山口県下関市立長府博物館に所蔵されている。
 藤本さんは2004年に神戸市で個展を開いた会場のオーナーから茶わんの存在を教えてもらい、昨年6月の大河ドラマの制作発表で長崎と龍馬のかかわりが話題になったのを機に、亀山焼を調べ始めたという。
 その結果、亀山焼が1804年に長崎奉行の指示で開かれた窯元で、平戸藩の「平戸焼」を元にしたことが判明。さらに、原料は佐世保市針尾地区産の「網代(あじろ)陶石」で、藤本さんが2006年に復元した三川内焼の高級品「卵殻手(らんかくで)」と同じものと確認できた。
 これらを参考に、今年2月、直径12・8センチ、高さ7・5センチ、厚さ3ミリの茶わんを完成させた。
 価格は、ふた付きで10万円程度を予定している。同じ絵柄と技法を使って、杯や飾り皿など8種類の商品の販売も計画している。



鹿児島
人気で開館期間延長の篤姫館が閉館
 昨年放映されたNHK大河ドラマ「篤姫」の撮影で使った衣装や小道具を展示した鹿児島市の「篤姫館」が31日、閉館した。昨年1月6日に開館してから、当初の目標の3倍以上の66万7535人が訪れた。
 施設は市や県などによる実行委(会長・森博幸市長)が1億7600万円かけて開設。ドラマは「篤姫ブーム」といわれるほど人気を博し、来館者も予想を上回ったため、開館期間を約80日延長した。
 31日夕、篤姫館前で行われたセレモニーで、森市長は「ドラマ放送を機に、観光、宿泊施設の利用者も前年に比べ大幅に増えた。この高まった市への関心を、2年後の九州新幹線全線開通に向けた誘客につなげたい」とあいさつ。また、最終入館者となった同市荒田の鹿児島大3年菅井克仁さん(24)は森市長から記念証を受け取り、「ドラマで知った歴史も多く、篤姫ブーム発祥の地にいる幸せを感じています」と話していた。
 ドラマで篤姫の輿(こし)入れのシーンに使われた駕籠(かご)などは1日から同市の黎明館で、パネルや小道具、江戸城大奥の篤姫居室を再現したセットなどは18日から、同市の維新ふるさと館で、それぞれ展示される。入館料などで得た収益の利用法は、今後、実行委が決めるという。


「篤姫館」惜しまれ閉館 鹿児島市 入館者 予想の3倍超
「篤姫館」惜しまれ閉館 鹿児島市 入館者 予想の3倍超
 昨年のNHK大河ドラマ「篤姫(あつひめ)」の放映に合わせて、鹿児島市などでつくる実行委員会が同市本港新町の商業施設に設置していた観光施設「篤姫館」が31日、閉館した。ドラマの人気を受け、当初予想の3倍を上回る約67万人が入館。関係者は「薩摩のすばらしさをアピールできた」と喜んでいた。
 篤姫館は、ドラマにあやかって観光客を呼び込もうと昨年1月に開設。島津家の歴史や人物を紹介するパネルをはじめドラマの撮影で使われた衣装、居室のセットなど、約60点を展示した。
 実行委は当初、篤姫という人物の知名度の低さから1年間の入館者を20万人とみていた。ところが、平均24.5%と、この10年の大河ドラマで最高となった視聴率を反映し入館者は予想を大きく上回り、開館期間も2カ月半ほど延長した。
 この日のセレモニーでは実行委員長の森博幸鹿児島市長が閉館を宣言。展示物のうち衣装など約40点は同市加治屋町の観光施設「維新ふるさと館」に引き継がれる。







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