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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 定期的に通っている整体院で、やっと人並みの肩凝りにまで軽減されたと太鼓判押してもらいました(苦笑)。一番ひどかった時に比べて、ずいぶんと首肩が軽くなりました。

東京
27日から「特別展 龍馬伝」江戸東京博物館
 高知や京都に伝わる坂本龍馬の遺品や書類、幕末の混乱を伝える歴史資料などを通し、龍馬の波乱の生涯に迫る「2010年NHK大河ドラマ 特別展『龍馬伝』」が27日から6月6日まで、東京都墨田区の江戸東京博物館で開催される。
 展示は4部構成。第1章は龍馬の思想の原点を探る「土佐に生まれて」。第2章は勝海舟との出会い「坂龍飛騰」。第3章は人間的魅力も紹介する「薩長同盟成る」。そして第4章「夢は世界へ」では、海援隊の本質に焦点をあてる。
 龍馬ら5人の若者が寄せ書きした胴掛(高知県立歴史民俗資料館寄託・個人蔵)や、重要文化財の龍馬が姉の乙女にあてた書簡(京都国立博物館蔵)などが展示される。
 また、慶応3年(1867)年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋の部屋を実物大で復元。27~29日の3日間は、高知県立歴史民俗資料館に収蔵されている、現存する唯一の龍馬像ガラス板写真が限定公開される(30日からは複製展示)。
 特別展専用券は一般1200円、大学生・専門学校生960円、高校生・65歳以上600円。問い合わせはTEL03・3626・9974。


神奈川
湘南の風 古都の波】希望の舞いに託す再生
■シーン1

 日本人はもともと権勢をほしいままにする者におもねったり、なびいたりすることを潔しとしない。最近の世の中の動きを見ていると、やや自信がなくなってくるが、本来はそうだったのではないか。
 たとえば、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉がある。ひいきされるのはもちろん、九郎判官義経である。幕末の坂本龍馬あたりと並び、最も人気の高い歴史人物の一人だろう。
(以下略)


静岡
鉄舟邸址の記念碑、9年ぶりに再建 静岡
 幕末に江戸城無血開城の礎を築き、明治維新後は静岡で役人を務めた山岡鉄舟の邸址(ていし)記念碑除幕式が18日、静岡市葵区水道町にある鉄舟の住居跡で開かれた。記念碑は9年前に老朽化で撤去された石碑を復元したもの。再建を心待ちにしていた鉄舟ファンや地域住民が完成を祝った。
 記念碑は25センチ四方で高さ1・2メートルの石柱。静岡・山岡鉄舟会(松本検会長)と地元の水道町町内会(伊東博会長)が昨秋から準備を進めてきた。以前の石碑は1924年に建立されたが、亀裂が入るなどして倒壊の危険性が生じたため、2001年に撤去された。
 式典には鉄舟会と町内会のメンバー計約70人が出席。伊東会長が「復元を心から感謝したい」とあいさつし、松本会長は「鉄舟の功績をしのんでもらえればうれしい」と話した。
 鉄舟会によると、鉄舟は1868年に徳川慶喜の指示を受け、駿府(現静岡市)で西郷隆盛と会談。官軍への江戸城引き渡しなど実質的な協議に当たった。翌年から2年間は今の副知事にあたる静岡藩権大参事を務めた。


京都
【龍馬を慕(おも)う】(3)京都・百万遍 白川陣屋に集う隊士の覚悟
 ひさしぶりに京都大学のキャンパスを歩いた。すっかりサマ変わりしていた。シンボルだった時計台本部は建てかえられ、「百周年時計台記念館」という建物になっていた。1階には、フレンチレストランが入っていた。
 道路を隔てた教養部の学舎もなくなっていた。「総合人間学部」という学部になっていた。「総合」という名前を冠した学部はあちこちの大学にできているが、たいていは意味不明である。
 東大路通に出た。左手にある京大西部講堂の木造建築は、見たかぎり、当時のままだった。すでに文化財的な建物になっているが、いまでも演劇やコンサート会場として使われているのだろうか。
 前衛舞踊や映画、コンサートなど、なんどか通った。先に亡くなった浅川マキの、ノドの奥底から微妙にバイブレートさせて出てくる暗くて低い歌声を、この講堂で初めて聴いた。

 ●「陸援隊」誕生の地

 百万遍(ひゃくまんべん)の交差点から今出川通に出て、さらに東に行くと、北側に理学部と農学部の広いキャンパスがある。
 江戸期、吉田キャンパス一帯は、尾張徳川家の京都屋敷であった。理、農両学部あたりには畑地がひろがっていた。幕末になって土佐藩が購入したが、京の中心部から離れていたため、放置されたままであった。
 これに目をつけたのが、中岡慎太郎である。死の年にあたる慶応3(1867)年7月、ここに「陸援隊」を設置した。白川陣屋と呼ばれた。坂本龍馬の「海援隊」に対する、陸戦用の部隊であった。
 藩の了解も取りつけ、慎太郎自らが隊長となった。隊員も土佐だけでなく、水戸、肥後、薩摩などから集まり、100人ほどにのぼった。副隊長は田中顕助、のちに宮内大臣として権勢をふるった田中光顕(みつあき)である。
 長屋ふうの兵舎で、1人に8畳の部屋があてがわれた。現在の農、理学部のどのあたりに建てられたかは不明だが、相当に大規模な建物群であったはずである。
 いつ戦が始まるか分からない情勢で、武闘訓練も欠かさなかった。慎太郎は「蛤(はまぐり)御門の変」で、長州藩兵として戦い、負傷もしている。高杉晋作の奇兵隊の活躍ぶりも目の当たりにしていた。
 それだけに、いつまで経(た)っても進まない土佐藩の兵制改革には、イラだちを覚えていた。9月には藩の同志にあてて、こんな手紙を送っている。
 「諸隊なる者は陪臣(ばいしん)足軽百姓を論ぜず、器(うつわ)により卒となり、長となり、全く有志家の心の儘(まま)に取立てたるもの故、将卒一致、追々(おいおい)強兵となり--」
 明治の軍制にちかい発想をしている。薩長同盟に対しても、龍馬が薩摩側を主に説得したのに対し、もっぱら長州側の工作に奔走した。

 ●岩倉具視の号泣

 土佐から10月9日に入京した龍馬も、さっそく白川陣屋をたずねた。龍馬発案による、徳川慶喜の大政奉還申し入れの5日まえである。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』によると、龍馬は陣屋を見てまわり、隊士の食事まで食べたうえ、
 「貧(ひん)なるかな」
 と大笑いしたという。たしかに慎太郎は資金に困っていた。食事は河原町にあった土佐藩邸で炊き出しし、弁当箱にいれて届けてくれた。おかずなどなく、香の物をそえている程度であった。隊員たちは、ちかくの村人から牛肉などを買っていたという。
 一方で、死を覚悟した隊員たちのカネ遣いも荒かった。先斗町(ぽんとちょう)に遊びにくりだす隊員もいたが、勘定など払わない。
 困り果てた慎太郎は、藩の重役、後藤象二郎らにカネを無心する手紙を送った。洛北・岩倉にいた岩倉具視ら顔見知りの公家たちからも融通してもらった。
 龍馬が白川陣屋をたずねてから1カ月半後、ふたりは暗殺された。幕府との戦いが始まるのは翌慶応4年正月からであった。
 慎太郎の死については、とりわけ岩倉が「自分の片腕をもがれた」と言って、泣いたという。慎太郎の尽力によって、幽棲(ゆうせい)中の岩倉は中央政界に復帰することができたからである。
 陸援隊の設置から100年後の1960年代後半、百万遍はへルメット姿の学生部隊に席巻された。京大パルチザンという遊撃隊も結成された。だが陸援隊ほどには根性がすわっていなかったためか、たいていはあっさりと蹴散らされた。
 --土佐高知には、いちども行ったことはない。龍馬、慎太郎というふたりの傑物を生み出した土地のにおいをかぐためにも、そろそろ重い腰をあげなければならない。(文 福嶋敏雄)

                   ◇

 ≪メモ≫
 百万遍は今出川通と東大路通の交差点を指し、法然ゆかりの百万遍念仏を伝統とする知恩寺があることから地名にもなった。京都大学の吉田キャンパスが東側一帯に広がる。交通は京阪鴨東(おうとう)線「出町柳」駅から徒歩5分。JR京都駅から、市バス銀閣寺方面行き「百万遍」下車。陸援隊の兵舎跡の正確な場所ははっきりしない。京大を見下ろすように、第三高等学校逍遥歌「紅萌ゆる岡の花…」で知られる吉田山がある。


 ≪きょうの「龍馬伝」≫
 ■NHK総合 午後8時~ ほか

 土佐を脱藩した龍馬(福山雅治)は、江戸の千葉道場に現れる。佐那(貫地谷しほり)は、龍馬をいちずに待ち続けていた。佐那の兄・重太郎(渡辺いっけい)も龍馬が戻ってきたことを喜ぶ。しかし、龍馬は軍艦奉行並の勝麟太郎(武田鉄矢)に会うため、江戸に来たのだった。重太郎と龍馬は前の越前藩主・松平春嶽(夏八木勲)に会い、勝への紹介状を書いてもらうことに成功する。龍馬は紹介状を携え、赤坂にある勝の屋敷を訪れる。龍馬は、勝の弟子になりたいと申し出るが、勝は拒否する。三条実美(池内万作)を警護して江戸に来た半平太(大森南朋)が、以蔵(佐藤健)と収二郎(宮迫博之)を連れて勝の屋敷を訪れる。


関西
造幣局 ハイテク機械と秘蔵貨幣にため息
 普段何気なく使っている貨幣はどのように造られているのだろうか。そんな素朴な疑問を胸に、貨幣の製造などを行う独立行政法人造幣局(大阪市北区)の見 学会に参加した。工場で全自動化された製造工程に驚いた後は、造幣博物館で貴重なコレクションを前に思わず嘆息。非日常感たっぷりの施設内をリポートす る。(林佳代子)

 ◆1日で11億9千万円分

 造幣局は明治4年、偽造貨幣の流通など幕末期に乱れた貨幣制度を立て直すため、明治政府によって設立された。本局は大阪市にあるが、東京都と広島市に支 局があり、それぞれ五百円〜一円までの6種類の貨幣を製造。ほかにも勲章や褒章など、多種多様な金属工芸品を手がけている。
 まず案内されたのは製造工場。広島支局で加工された板状の金属を丸く打ち抜き、機械で模様をつけて貨幣に仕上げた後、納入のために袋詰めにするまでの工 程を見て回った。
 工場内はすべてオートメーション化されていて、ハイテク機械がずらりと並ぶ光景は圧巻のひと言。見学した日は主に五百円玉を造っており、機械の間を銀色 に光る玉が次々にくぐり抜けていくのが見えた。
 とりわけ印象的だったのが、貨幣に模様付けをする「圧印」の工程だ。「五百円玉を1枚作るには、体重が80キロ近い人が1千人集まり、一斉に全体重をか けるほどの力が必要なんです」と案内役の山口志代さん(39)。それが、圧印機だと1分間に700枚以上製造できるというから、性能の高さには驚く。
 ちなみに、この日製造された五百円玉は実に238万枚で、金額に換算すると11億9千万円に及ぶ。貨幣が詰まった袋がひっきりなしに通り過ぎていくのを 見ていたら、いささか現実感が遠のいた。

 ◆太閤さんが造った大判も

 続いて向かったのは造幣博物館。展示室では、造幣局の成り立ちのほか、古代から現代に至るまでの国内外の貨幣の歴史を紹介しており、約4千点のコレク ションを見ることができる。
 間もなく、昭和10年に大川(旧淀川)で偶然発見され、大阪城が落城した際の遺物とされる「竹流金」に目が留まった。金の含有量が73%と高純度を誇 り、菊や桐の模様も繊細で美しい。実物は造幣局にしかないという貴重な品だ。
 ほかに豊臣秀吉が造った貨幣史上最も豪華とされる「天正菱大判」や、長さが17.5センチもある世界最大級の貨幣「天正長大判」も見どころ。材料の調達 が困難だった戦時中に瀬戸物で造ったという“幻の貨幣”や、世界のユニークな貨幣も多数展示されており、時間を忘れて見入ってしまった。

 ◆貨幣の重さを実感

 展示室を抜けると最後は体験コーナーへ。慶長小判が1千枚入っていたといわれる千両箱や、日本銀行に納入される際の貨幣が入った袋(中身はレプリカ)が 用意され、実際にその重さを確かめることができる。
 五百円硬貨が2千枚入った布袋を持ち上げてみたが、約14キロもあって両手でもなかなか持ち上がらない。やはり100万円は重かった…。
 最後に、博物館を案内してくれた塩川幸男さん(64)に、ずっと気になっていたことを聞いてみた。一円を造るのに原価はいくらかかるのですか?
 「具体的には言えませんが、たとえ一円でも造るのには相当な労力がかかります。多くの人に造幣局に見学に来てもらって、貨幣を大切に扱う心を学んでほし いですね」
 一円を笑う者は一円に泣く−。そんな教訓を学ぶためにも、造幣局見学をおすすめしたい。


山口
時空超える舞台に傾注
 日本舞踊と和ろうそくの明かりを組み合わせ、幽玄の世界を舞台で表現してきた。「現代とは違う時空に飛び込むための一つの鍵」。魅了されてやまない和ろうそくの明かりを、そう形容する。
 江戸時代末期に発展した花柳流の舞い手だった母の影響で、幼い頃から「気がついたら踊っていました」と言う。師範の資格を得て、弟子の指導に当たりながら「伝統を守るには、常に何かを追加していかなければいけない」と考え続けてきた。ろうそくに注目したのは、一般の照明器具に頼らない舞台を作りたいと考えたのがきっかけ。7年ほど前から和ろうそくを使ったイベントを試みてきた。
 当初は「ろうそくとは舞台を明るくするもの」という考えにとらわれていたという。だが、はぜの実から採ったろうや和紙を使って作られた日本古来のろうそくは、独特の炎の揺らめきをみせる。「和ろうそくは暗さを強調するもの。ゆったりとした世界を生み、時間の流れも変えてしまう」。次第にそう思うようになった。
 2006年には、山口市とゆかりの深いフランシスコ・ザビエルの故郷、スペインの聖堂で奉納舞踊を踊り、好評を博した。今年3月の山口市での公演では、幕末の思想家吉田松陰の辞世の句をモチーフにした創作舞踊も舞い、松陰の家族を思う心と、米国への密航を試みた行動力との葛藤(かっとう)に思いをはせたという。
 夜でさえ人工照明にあふれた現代社会。「踊りを見てくれる人が、つかの間、別の世界にいざなわれて遊ぶ。そういうことがとても大事だと思っています」と話す。
(青山直篤)


下関市文化協会:芸術色豊かに「海峡文化の華」 きょうまで40周年イベント /山口
◇舞台や展示、活動の成果披露--市生涯学習プラザ
 下関市文化協会創立40周年記念事業「きらめく海峡文化の華」(同協会主催、市・市教委共催、毎日新聞社など後援)が17日、細江町の市生涯学習プラザで始まった。合唱や詩吟、謡曲、ダンスなど多くの文化団体が最終日の18日まで、舞台や展示会場で日ごろの活動の成果を発表する。【尾垣和幸】
 市文化協会は1970年に「市の文化力向上」を目指し、58団体でスタート。現在、104団体が加盟する。
 オープニング式典で、野村忠司会長(73)が「40年といえば孔子曰(いわ)く『不惑』の年。下関の芸術文化に、更に貢献していきましょう」と、思いを新たにしていた。
 この日の舞台には下関少年少女合唱隊や舞踊、奇術愛好会など16団体が登場。繰り広げられるさまざまな舞台芸術に、観客は見入っていた。長州が生んだ幕末の思想家で、今年生誕180年となる吉田松陰の詩を吟じた「市吟剣詩舞道連盟」顧問の一木湖舟さん(80)=毎日吟士権大会審査員=は「創立40年を記念する品のよい吟詠ができました」と満足そうだった。
 また、開演前、会場ロビーで、下関市豊浦町室津下の書家、津田峰雲さん(75)が和紙(縦2メートル、横5メートル)に力強く「疾風怒濤(どとう)」と書き、オープニングを盛り上げた。
 18日は午前11時、開演。能楽や合唱、フラダンスなどの15団体が舞台で、練習の成果を披露。絵画や書、生け花、キルト、模型クラブなども作品を展示する。
〔下関版〕



高知
龍馬と啄木展:手紙と歌、結ぶ2人“共演” 岩手県との交流事業 /高知
 幕末の志士・坂本龍馬(1835~67)と、明治の歌人・石川啄木(1886~1912)の歌や手紙からその共通点を探る「龍馬と啄木展」が17日、高知市浦戸の県立坂本龍馬記念館で始まった。石川啄木記念館(盛岡市)との共催。7月16日まで、一般500円(高校生以下無料)。【千脇康平】
 昨年9月、啄木の父一禎(1850~1927)=岩手県出身=が晩年を過ごした高知市に、啄木父子の歌碑が建てられたことなどから、高知、岩手両県が今年度の交流事業を企画。その一環として同展が実現した。尾崎正直知事と達増(たっそ)拓也・岩手県知事の対談や、百貨店などでの物産展などが予定されている。
 「新しい時代を見つめていた所に共通点がある」(石川啄木記念館・山本玲子学芸員)という龍馬と啄木。会場では、龍馬の「日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候」との言葉と、啄木が詠んだ「新しき明日の来るを信ずといふ自分の言葉に嘘はなけれど--」(歌集『悲しき玩具』)という短歌を比較するなどした表が掲げられている。
 また、ピストルやブーツを持っていた龍馬とのもう一つの共通点として、当時では珍しい、カレーライスや牛鍋など、西洋料理を好んで食べていたという啄木のおしゃれな一面も紹介。時代を先取りした2人の一面が伝わってくる。
 このほか、坂本家が歌を好んだことがうかがえる資料や、啄木が友人らにあてた直筆の書簡など計約120点、石川啄木記念館の手作りというカレーライスやてんぷらといった料理の模型も展示している。
 坂本龍馬記念館の前田由紀枝学芸主任は「共に言葉が愛されている2人だから、合わせてみたらおもしろいと思う」と解説する。会場を訪れた広島県安芸高田市、会社員、繁村秀之さん(62)は「想定がつかない組み合わせ。お互いに自分の感情を、心を込めて表現していたことを感じた」と話していた。
 同展は、8月1日~10月17日、石川啄木記念館でも開催される。



佐賀
佐賀の大名行列、米で披露 「侍パレード」に歓声
【サンフランシスコ共同】幕末の軍艦「咸臨丸」来航から今年で150周年を迎えた米サンフランシスコで18日、佐賀市のNPO法人や地元日系人らが記念行事として大名行列を披露、威風堂々の「侍パレード」に沿道から歓声が上がった。
 大名行列は現地の日系人街ジャパンタウンで毎年開催されている桜祭りのパレードの中で実現。祭りの実行委員会が佐賀市のNPO法人「鍋島三十六万石大名行列まつり推進委員会」の理事長、野中弘義さん(65)に呼び掛け、日本から5人が訪米した。
 「下に、下に」の掛け声に合わせ、お姫さまや殿様、家臣など装束姿の約30人が坂の街サンフランシスコ市内の約2キロを練り歩いた。
 アイスランドの火山噴火の影響で足止めされている英国人ロバート・ロールズさん(50)は「本当は今ごろ帰国しているはずだったが来て良かった。侍の衣装が興味深かった」。行列の先頭を歩いた野中さんは「(咸臨丸で来航した)勝海舟になった気分。できれば毎年続けたい」と語った。


長崎
大村で「龍馬伝」パネル展始まる ロケ使用の伝馬船きょうまで展示
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」番組パネル展(NHKサービスセンター主催)が18日、大村市本町の浜屋百貨店大村店で始まった。30日まで。入場無料。大村湾ロケで使われた伝馬船もオープニングイベントとして同店前に19日まで展示、訪れた子どもたちが龍馬になりきり、乗船していた。
 大村湾での海上ロケは2月24、25の両日。坂本龍馬役の福山雅治さんや勝海舟役の武田鉄矢さんが咸臨丸(ハウステンボス所有の観光丸)に乗り込むシーンを撮影。18日から5月2日にかけて放映される。
 パネル展では、大村市街をバックに船上でロケをする様子や物語を紹介。ロケ誘致の記録写真や幕末から明治維新にかけて活躍した大村の偉人を紹介するパネル展も大村市と市教委が同時開催している。
 市商工観光部は「ロケ地として大村の知名度を高め、観光客誘致につなげたい」と意気込んでいる。




鹿児島
ひと・ヒト・人:薩摩琵琶弾奏者・島津義秀さん /鹿児島
 ◇伝統普及へ「歌集」復刊--島津義秀さん(46)=姶良市加治木町

 4本の弦を、手のひらほどの大きなバチで、たたくように激しく弾く。16世紀以降、武士のたしなみとして広まったという言葉通り「豪快で男性的」な演奏に、周囲の空気が震えた。
 「自分が明日死んだら、薩摩琵琶の伝統が途切れるという危機感があった。目の前で県民の宝が滅びるのはやるせない」
 加治木島津家十三代当主。東京で育ったが、祖父母が住む鹿児島を度々訪れ86年、薩摩琵琶に出会った。研さんを積み、現在は薩摩琵琶同好会、龍洋会の加治木道場主宰を務める。県内で弾奏者は十数人程度。その上、多くが高齢。伝統断絶の危機感が、普及に駆り立てる。
 薩摩琵琶の歴史は、郷中教育の基となった「日新公いろは歌」にさかのぼる。子供たちに歌を広めるために用いたのが起こり。薩摩琵琶は、薩長同盟でも大きな役割を果たした。薩摩と長州の志士は新撰組の目を盗むため、演奏会を口実に密会した。その後、東京に進出した多くの薩摩出身の政治家の影響で、国民的人気を博すまでになったという。
 だが戦後、一気に衰退した。「戦の際に士気を鼓舞することに使われたことで、GHQから危険思想として見られたことが大きな原因ではないか」と推測する。琵琶の作り手も次第に減り、材料となるツゲやクワも足りなくなった。「ないない尽くしが現状」と嘆く。
 普及の第一歩として3月、絶版となっていた『注解 薩摩琵琶歌集』を44年ぶりに復刊した。64曲の歌詞が収められており、薩摩琵琶のいわば教科書。「細かい弾き方や間の取り方は師匠からの口伝だが、教科書がないとどうしようもない」。絶版本がインターネット上で4万円で取引された形跡もあり、新たな弾奏者開拓の足かせになっていた。
 巻末には、県指定無形文化財保持者で、79年に亡くなった萩原龍洋氏の演奏を収録したCDも付けた。「余韻の渋さが伝わってくる本物の音。薩摩琵琶の勢いを知ってほしい」




ブックレビュー
京都・読書之森:イラストで歩く京都 風雲幕末、龍馬が走る /京都
(監修・木村武仁 イラスト・ながたみどり 淡交社編集局編 1365円)
 幕末に活躍した志士・坂本龍馬と、龍馬を巡る人々の京都での足跡を、霊山歴史館学芸員の木村武仁さんの監修で、京都・壬生出身のながたみどりさんのイラストを交えて分かりやすく紹介する。
 龍馬以外にも、薩長同盟の主役、西郷隆盛や桂小五郎、新選組の近藤勇など、幕末を語る上で欠かせない人物を明るく親しみのわくタッチで描写。カラーページも多く、描かれた名所のイラストを眺めるのも楽しい。
 京都を「三条-四条」「二条-壬生-島原」「伏見」など七つのエリアに分類。各章のはじめに当時の事件が起きた場所や、志士たちゆかりの旧跡などを現在の地図に重ね合わせて掲載している。「池田屋事件」「蛤(はまぐり)御門の変」といった歴史的事件以外に、逃亡中の西郷隆盛と入水(じゅすい)を図った僧月照の従者、大槻重助が始めた清水寺境内の「忠僕茶屋」の話など、さまざまなエピソードも盛り込んだ。愛らしいイラストだが、事件の背景や当時の世情などは詳しく解説している。観光ガイドとも、歴史書とも異なる仕上がり。市内のあちこちに龍馬ゆかりの地があることに気付かされる。幕末に思いをはせながらの市内散歩が楽しくなる一冊だ。【田辺佑介】








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