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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 午前中に用事があって出かけたら横殴りの雨……午後はカウチポテトして過ごしました。

秋田
桜田門外の変の記述も、日記刊行 秋田藩家老が記す、公文書館翻刻
 県公文書館は、幕末期に秋田藩の家老を務めた宇都宮孟綱(たけつな)(1801—91年)の日記「宇都宮孟綱日記」第6巻を刊行した。1858(安政5)年5月から60(万延元)年12月までの16冊を翻刻し収録。

 1858年当時、藩政の中心として秋田と江戸を行き来していた孟綱は、13代将軍徳川家定の死去や14代家茂の将軍就任、日米修好通商条約調印などについて記述。安政の大獄で処罰された大名についても触れている。

 60(安政7)年3月3日に起こった桜田門外の変については、事件後に秋田で報告を受け「天下の形勢がどのようになるのか、薄氷を踏む思いだ」と、世相の先行きに不安を抱いていたとみられる感想を記している。

 定価5千円(税込み)。問い合わせは秋田活版印刷TEL018・888・3500


茨城
彦根から水戸へ 震災支援で命友に 桜田門外の変150年 きずな深く
 彦根藩主で幕末の大老井伊直弼が水戸浪士らに暗殺された「桜田門外の変」後、両藩の流れをくむ水戸市と滋賀県彦根市は犬猿の仲とされてきた。その後、両市は関係を修復。東日本大震災では、彦根市が水戸に救援物資を送り、彦根市民もチャリティーイベントを企画するなど官民で水戸を応援している。 (堀尾法道)
 水戸市は震災で一万四千件以上の建物が損壊し、死者二人、負傷者八十一人、最大一万二千人の避難者が出た。すぐに彦根市は備蓄品と買い集めた救援物資を十トントラックで二度にわけて水戸市に送った。水戸市災害対策本部の川上悟さん(39)は「米を炊き出しで使わせてもらった。粉ミルクなどは避難所から要望が多く、たいへんありがたかった」と感謝する。
 チャリティーを提案するのは彦根城近くにある「花しょうぶ通り商店街」。映画を通して町づくりを目指す有志らによる「『桜田門外ノ変』映画化支援の会」(水戸市)と昨年十一月から訪問し合うなど交流している。水戸市内のロケセットで撮影された映画は昨年十月に封切られてヒット。同商店街も関連イベントを開いて映画を盛り上げた。
 チャリティーは五月中旬ごろで、商店街に募金箱を設置し、映画に出演した俳優を招いたり、水戸の特産品の販売を検討したりしているという。チャリティーを発案した商店街の目加田宗彦さん(43)は「昔は敵だったが、今は同志。被害が無かった側が支援するのは当然のこと」と話す。
 支援の会の谷田部智章さん(38)は「水戸のことを思ってくれて本当にありがたい。桜田門外の変がなかったら地方都市の市民がつながることはなかった。昔は敵対心があったかもしれないけど、映画化で交流のきっかけができ、地震で結び付きが強まった」と実感している。
 水戸と彦根は、事件後は報復をたくらむなど険悪な関係だったが一九六八年、水戸と姉妹都市の福井県敦賀市を仲介役に関係を修復し、親善都市となった。事件から百五十年を機に両市長が二〇〇九年と一〇年に互いの市にある事件関係者の墓を参るなど交流が深まっていた。
 水戸と彦根は百五十年の時を超え、命をつなぐパートナーとなっている。


東京
「新選組イラストコンテスト」ネット投票-150周年に向け作品募る
 新選組の隊士をモチーフにしたイラストを募集する「ひの新選組イラストコンテスト」で現在、最優秀作品を決めるためのインターネット投票が行われている。

 日野新選組同好会(日野市高幡)と日野市商工会が共催する同コンテスト。新選組の故郷として知られ、副長・土方歳三が武蔵国多摩郡石田村(現在の日野市石田)で生まれるなど縁が深い日野市。同好会は2000年に結成され、新選組の歴史や情報を市民と共有しようと活動を進めている。今回のイラストコンテストについては、「2年後の2013年には新選組が150周年を迎える上、東京国体も行われる。ここで盛り上げようと企画した」と同会の峯岸会長。

 イラストの応募は今年1月から3月にかけて実施。「成人の部」「小中学生の部」に分けて募集した。「成人の部」については新選組隊士の子孫に当たる宮川豊治さんなどが参加する実行委員会が既に「近藤勇賞」「土方歳三賞」などの各賞を決めているが、101点と数多くの応募があったことから、ベスト5を選出。最優秀作品はこのベスト5の中からインターネット投票で決めることにした。

 投票締め切りまでの間に最多得票数を集めた作品を最優秀賞として選出する。最優秀作品に選ばれた応募者には賞金1万円と土方歳三が使っていたことでも知られる刀・和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)のレプリカを贈呈。表彰式は5月7日、高幡不動尊(高幡)で行われるチャリティーイベント「がんばれ宮古!がんばろう日本! 新選組ファンの集い」の場で行う。各入賞作品や「小中学生の部」参加者の作品については同1日~15日、京王線・高幡不動駅の南北通路で展示する予定。

 投票は日野市観光協会のホームページに設けられた特設コーナーから行う。投票受け付けは4月27日23時59分まで。


岐阜
岐阜市歴史博物館で古地図の企画展
 古今東西の地図を通して当時の人の世界観を紹介する企画展「古地図~地域から世界へ」が22日から、岐阜市大宮町の同市歴史博物館で始まった=写真=。

 同展は、7月10日までの長期開催。前期(5月29日まで)は、1570年にベルギーの地理学者、オルテリウスが製作した「アジア図」や、幕末に来日したシーボルトの蔵書印がある日本地図など県図書館が所蔵する古地図計約70点を展示している。

 オルテリウスの地図に描かれた日本列島には北海道がなく、本州と九州が一つの島になっており、京都は「ミヤコ」と表記されている。吉田晋右(しんすけ)学芸員は、「当時のヨーロッパの地理的な関心がうかがえて興味深い」と話している。

 また、伊能忠敬が作製した「官板実測日本図」や、江戸時代に多く製作された美濃地域の国絵図なども展示されている。6月3日から始まる後期の展示では、美濃国や飛騨国など県内各地の絵地図や、岐阜市内の鳥瞰(ちょうかん)図など同博物館所蔵の古地図約70点を紹介する。

 入場料は高校生以上が300円、小中学生が150円。


高知
幕末の志士、吉村虎太郎の生家跡に資料館オープン
 幕末の志士で土佐藩を最初に脱藩した吉村虎太郎の人となりを紹介する「吉村虎太郎資料館」が、津野町芳生野甲の生家跡にオープンした。パネルや写真、手紙など約100点で足跡をたどっている。

 地元住民でつくる顕彰会や町商工会が、高知市の県立坂本龍馬記念館で3月末まで開かれた吉村虎太郎展を生家跡でも開こうと企画。展示物を借りて開いた。17日には生家跡近くの広場でオープニングイベントがあり、約250人がしし汁のふるまいや特産品の販売などを楽しんだ。

 虎太郎は「土佐勤王の四天王」に数えられながら、龍馬人気の陰に隠れ気味。顕彰会の豊田庄二会長は「虎太郎を多くの人に知ってほしい。そして龍馬に先駆けた虎太郎の思いを力にして、地域が元気になりたい」と話した。

 開館は5月31日までの毎日午前9時~午後4時。入場無料。問い合わせは町商工会(0889・55・2034)へ。(釘田寿一)

佐賀
佐賀県 幕末から明治にかけ活躍した七賢人紹介
 名前は聞いたことがあってもどんな仕事をしたのか、その人の少年時代は?など郷土の偉人について意外に知らないことが多い。郷土の偉人を改めて見直し紹介する取り組みが各地で目立っている。佐賀県では幕末から明治にかけて活躍した「佐賀の七賢人(しちけんじん)」がいる。県立佐賀城本丸歴史館のホームページなどによると次の人物だ。

 (1)鍋島直正(なべしま・なおまさ)(17歳で佐賀藩10代藩主となり、改革を実施。近代化を進めた)

 (2)佐野常民(さの・つねたみ)(「博愛社」を創立、「日本赤十字社」と改称し初代社長)

 (3)島義勇(しま・よしたけ)(藩主の命で蝦夷、樺太を探検。北海道開拓、札幌の基礎を築いた)

 (4)副島種臣(そえじま・たねおみ)(藩校・弘道館の教授を務め、明治政府で外務卿などとして活躍)

 (5)大木喬任(おおき・たかとう)(東京遷都建白。新政府で初代文部卿、学校制度をつくった)

 (6)江藤新平(えとう・しんぺい)(東京遷都建白。初代司法卿で司法制度の基礎をつくる)

 (7)大隈重信(おおくま・しげのぶ)(外務大臣、総理大臣など歴任。早稲田大をつくる)

 佐賀県教育委員会は日本の近代化をリードした佐賀出身の人物を広く知ってもらうため「佐賀偉人伝集」の出版事業を始めている。七賢人のほか洋画家で第1回文化勲章受章の岡田三郎助(おかだ・さぶろうすけ)らが登場。平成26年度まで15冊程度を刊行する予定だ。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】
(110)東大教授・山内昌之 徳川家定

“地震公方”の決断力

 政権の力が低下し、政治基盤の弱い統治者の時に限って、天変地異や政治不安が生じるのはどうしたことだろうか。

 幕末の徳川家定はつくづく不運な将軍であった。生まれつき身体が虚弱で判断力の鈍い最高指導者なら他にもいた。7代将軍家継(いえつぐ)は幼少のまま政務らしい日々の営みをせずに早世し、9代将軍家重(いえしげ)も家定のように政治を統べる言葉に不自由した将軍である。

 しかし、家継には間部詮房(まなべ・あきふさ)、家重には大岡忠光といった近臣がいて補佐に務め、弛緩(しかん)しながらも幕府の屋台骨を壊すまでには至らなかった。家定にも阿部正弘や堀田正睦(まさよし)のような老中がついており、平時ならさほどの問題がなかったかもしれない。

 ◆相次いだ大きな災難

しかし、家定の在職した安政年間は開国と通商にからむ外交内政の懸案に加えて、大きな災難が相次いだのだ。家定と幕閣は、社会基盤の回復と人心の安定にもエネルギーを割かなくてはならなかった。家定の時代、安政5年7月(1858年8月)には、インドや中国で猛威を振るったコレラが米艦経由で日本に伝染し、数十万人の死者を出している。

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 さらに不幸なことに、安政は日本で多くの大地震が発生した時代である。安政元年11月4日(1854年12月23日)にM8・4の安政東海地震(震源・遠州灘沖)、安政元年11月5日(1854年12月24日)にM8・4の安政南海地震(震源・潮岬沖)が発生し、安政2年10月2日(1855年11月11日)のM6・9の安政江戸地震(通称、安政の大地震。震源は一説に現東京湾北部・荒川河口付近)と合わせて「安政三大地震」と呼ばれるほどだ。さらに、安政元年11月7日には震源を豊予海峡とするM7・4の「豊予大地震」も起きていた。安政元年6月15日(1854年7月9日)にM7・4の伊賀上野地震、安政2年2月1日(1855年3月18日)にM6・8の飛騨地震、安政5年2月26日(1858年4月9日)にM6・7の飛越地震が発生したというから、将軍家定はよくよく不運な為政者であり、かりそめに“地震公方(くぼう)”といわれたとしても仕方がないほどだ。

 安政の大地震の被害規模はおよそ死者4700人から1万1千人ほど、倒壊家屋約1万戸といわれているが、幕府老中たちは深夜にもかかわらず即時登城、翌3日には被害情報の収集を命じ、老中役宅を情報収集の拠点とした。今日でいえば災害対策本部であり、主に老中堀田正睦が震災担当となった。

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 ◆幕閣は的確に震災対応

 今のようにリアルタイムで情報が入る時代ではない。阿部正弘は震災対策でも優柔不断だったといわれがちだが、幕閣はいまの菅政権と比べても、少ない情報から的確な決断を下していた。限られた情報でも下僚の補佐を受けながら決断と実行に責任をもつのがリーダーのリーダーたる所以(ゆえん)である。

 堀田は1週間後に老中首座となり内外の難局に当たるが、震災対策も手早かった。まず御救(おすくい)小屋をつくり、炊き出しを始めて、御救米を出すという「三仕法」に手を打った。仮設住宅ともいうべき御救小屋は、震災3日後の10月5日に早くも浅草雷門と深川海辺新田につくって、それぞれ延べで646人と1268人を収容した(北原糸子『地震の社会史』講談社)。

 その後も堀田らは、上野や深川に小屋をつくり被災民を入れている。いまの菅政権の対応と比べても決して遅くない措置である。窮民、転じて「暴民」と化すのを何としても抑えるべき幕府としては、あれこれ悠長な逡巡(しゅんじゅん)をしていられなかった。

 ◆君主としてのセンス

 目付の岡部長常のように、安政の大地震でも江戸城内を冷静に指揮し混乱を最小限に抑えた実務官僚たちもいた。かれらを使った老中たちの手腕と、官僚を信頼せず会議を乱立させるばかりの菅政権の比較評価は、いずれ歴史家の手で果たされるだろう。

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 安政の大地震が家定に与えたショックは大きかった。病弱な将軍をいただく幕府は、江戸の復興のために巨大な財政支出を余儀なくされ、基礎体力を弱めていく。薩摩や長州は安政の大地震の影響を受けず、ほとんど無傷で震災をくぐり抜けた。もし安政の大地震がなければ、幕府もあれほどむざむざと薩長に屈しなかったという説もあるほどだ。

 それでも家定は、政務を信頼できる老中たちに委ね、将軍継嗣についても一橋慶喜(よしのぶ)を嫌い紀伊慶福(よしとみ)(家茂)を指名する決断力と君主としてのセンスをもっていた。将軍独裁にこだわらず粘着質でなかった家定は、存外に実害のない為政者だったのかもしれない。(やまうち・まさゆき)



【プロフィル】徳川家定

 とくがわ・いえさだ 徳川第13代将軍。文政7(1824)年、12代将軍・家慶の四男として生まれる。嘉永6(1853)年、ペリー来航の直後に将軍襲職。生来病弱のため、老中・阿部正弘が政務を補佐する。安政4(1857)年、米国総領事ハリスを江戸城に招き、対面した。このころ病状が悪化し、子がないために将軍継嗣問題が表面化する。翌5年、紀伊藩主の徳川慶福(のちの14代将軍・家茂)を継嗣とする裁定を下した後、病没。享年34。



エンターテインメント
江戸でドーナツが大ヒット!『JIN-仁-』第2話のみどころ
2009年にTBSで放送され大反響を集めた日曜劇場『JIN-仁-』。4月17日(日)にスタートした続編の初回放送は、視聴率23.7%(瞬間最高視聴率26.0%)を獲得し、2011年の連続ドラマ最高のスタートを切った。

第1話では、咲(綾瀬はるか)の母、栄(麻生祐未)が脚気を患い、仁(大沢たかお)は栄えを助けるために道奈津(どーなつ)を食べさせることを考案。そんな時、京から龍馬(内野聖陽)がやってきて、勝海舟(小日向文世)の師・佐久間象山が新撰組に襲われ、瀕死の重傷を負ってしまい助けてほしいという。京都に向かった仁はなんとか象山の一命を取り止めた。その後、仁は新撰組が連れ去られ、薩摩の西郷吉之助、のちの西郷隆盛の手術を行うことに。仁が西郷の手術を終え、京都を離れ江戸に戻る。すると、咲は道奈津の作り方を覚え、幾度も栄のもとへ通う中で杏道奈津<あんドーナツ>を作りだし、なんとか栄に食べさせ、栄の病状は回復していた。

24日に放送される第2話では、脚気に効く菓子・安道名津〈あんドーナツ〉の評判を聞きつけた皇女和宮(黒川智花)が、仁に献上して欲しいと頼む。しかし、仁は歴史に影響を与えるのではないかと躊躇し悩むのだった。そんな時、仁は職を探しているという野風(中谷美紀)に出会う。そこで仁は仁友堂で働くことを勧めると、咲も快く招き入れる。一方、自分の着物を売ってまで切り盛りしている咲の思いに気づかない仁は、仁友堂の経営難を回避すれば野風も幸せになれると思い、菓子を献上することを決めるのだが、和宮が案道奈津を口にすると思いもよらない事態が起きるのだった...。

仁友堂に明るい兆しが見え始めたその時、仁に訪れた最大の危機。無事、切る抜けることは出来るのか?

■日曜劇場『JIN-仁-』
2011年4月24日(日)21:00~21:54(TBS系)

■関連リンク
2009年に放送された『JIN-仁-』1シーズンを配信
http://dogatch.jp/video/program/982619


永井大、辻本祐樹の殺陣を「天才的」とほめ殺し
 俳優の永井大、宅間孝行、辻本祐樹、前田亜季が21日、都内で行われた司馬遼太郎原作のBS時代劇『新選組血風録』(BSプレミアム)の会見に出席した。時代劇初出演の永井は「辻本くんの沖田総司の立ち回り、身のこなしが素晴らしい。辻本くんの殺陣は天才的だとほめ殺してる。僕が見てきた中で一番上手。僕も負けないように勉強したい」とこの日もほめ殺した。

 混乱の時代を懸命に生きた新選組隊士の人生を、毎回読み切りの形で各隊士にスポットを当てて描く同作。主人公の新選組副長・土方歳三を演じる永井は「土方というヒーローを演じるとまどいや不安があったけど、自分なりの土方を、自分のイメージでやれてるなって思う」と収録も佳境に入り、手応えをにじませた。

 局長・近藤勇役の宅間は「私たち無名の人たちがそろってますが、当時の新選組が成り上がろうとしている思いがリンクしてるよう」と自らをなぞらえて奮起。永井はじめ宅間からも「最高の剣客」と絶賛された辻本は「こんなに褒められるなんてビックリ。自分の中で沖田は素早いイメージがあったので。思い切りやりました」と謙遜しながら充実の笑みをみせた。

 宅間を中心に「常にけなしあってる」現場といい、永井は「コミュニケーションが取れてて仲がいい。普段接する関係も『局長の言うことが全て』というのが浸透してる」とチームワークの良さをアピール。東日本大震災を受け「心を一つにして、今の難を乗り越えるという意味を、新選組を演じて感じてる。決め事を作って動くという部分は、今の日本のチームワークの良さにも通ずると感じる」と語っていた。

 BS時代劇『新選組血風録』は毎週日曜午後6時より放送中。





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