新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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春爛漫……昨日今日の幕末ニュースです。今日は西日本のニュースばかりですね。
三重
亀山城:二之丸北側が復元 「幕末の姿、歴史遺産に」 /三重
「亀山市教委が同市本丸町の亀山城の二之丸帯曲輪(おびくるわ)と埋(うずみ)門跡で進めていた復元整備事業が完成し、8日市民を対象にした現地説明会が開かれた。亀山城跡は多門櫓(やぐら)(県指定文化財)だけが残っているとのイメージが強いが、市教委では『今回整備した二之丸北側は城の本来の姿をとどめており、幕末の1860年ごろの状態に復元した。これで面としての広がりを持つ歴史遺産になった』と話している」。
滋賀
時代超える江戸の風刺画──半数初公開、「大津絵の世界」展
「念仏を唱える鬼、藤の枝をかついだ娘など、親しみやすい絵柄で人気がある大津絵の展覧会が大津市歴史博物館で16日まで開催中だ」。
「幕末になると大津絵は風刺や教訓を離れ、迷信に基づく護符(お守り)となった。鬼の念仏は小児の夜泣き止め、藤娘は良縁を得るなど、画題ごとに効能が決められた」。
岡山
「山田方谷の世界」展:遺品など40点 来月14日まで、高梁市歴史美術館で /岡山
「高梁市歴史美術館(高梁市原田北町)が所蔵する山田方谷の遺品などを展示する『山田方谷の世界』展が5月14日まで、同館で開かれている」。
「山田方谷(1805―1877)は幕末、備中松山藩の藩政改革に成功し、幕政にもかかわった陽明学者」。
佐賀
花守翁をしのぶ小城春雨まつり 300人、芸者衆の舞に酔う
「『春雨にしっぽりぬるるウグイスの』の一節で始まる端唄(はうた)『春雨』の作詞者、柴田花守翁をしのぶ『第44回小城春雨まつり』(小城春雨会主催)が8日、小城市の小城公民館であり、市民ら300人が長崎検番の芸者衆のあでやかな舞に酔った」。
「花守翁は小城鍋島藩士で旧小城町の生まれ。幕末に長崎に遊学し、禅などを学んだ。『春雨』は長崎時代に料亭で作詞。長崎検番の踊りの師匠が振り付けし、全国的に親しまれるようになった」。
コラム
近江の春(4・完)彦根の名園、玄宮園。
ライブドアのPJニュースより。
「明治政府の廃城指令にもかかわらず、唯一残された名城・彦根城。国宝であるこの城の天守は大きくはないが、品ある姿をとどめている」。
「城の東部に延宝5(1677)年に造営された玄宮園がある。4代城主井伊直興が、中国唐の玄宗皇帝の離宮を模したものだと伝えられ、江戸初期の大名庭園の面影を残している。ここを居城とした幕末の大老井伊直弼は、江戸城外で水戸浪士一派に暗殺された」。
京洛の春(1)鴨の水、今日も流れて。
これまたライブドアのPJニュースより。
「長州藩士だったことを誇りとする義兄の母は、刀自(とじ)と呼ぶに相応しく、何時も凛としていた。一家は幕末に萩から京に移り住み、『蛤御門の戦い』で活躍した家柄が自慢だったが、義兄は一人で文具や喫煙具の卸業を営んでいた。話す言葉には、山口弁と京都弁が混じっていた」。
いるんですねぇ、蛤御門の戦いに参加された長州藩士の末裔の方。しかも幕末に萩から京都に移り住んだという経歴、どのような背景だったのか気になります。京洛の様子を探索するために移り住まれたのではないかと、想像を逞しくしてみたりして……。
三重
亀山城:二之丸北側が復元 「幕末の姿、歴史遺産に」 /三重
「亀山市教委が同市本丸町の亀山城の二之丸帯曲輪(おびくるわ)と埋(うずみ)門跡で進めていた復元整備事業が完成し、8日市民を対象にした現地説明会が開かれた。亀山城跡は多門櫓(やぐら)(県指定文化財)だけが残っているとのイメージが強いが、市教委では『今回整備した二之丸北側は城の本来の姿をとどめており、幕末の1860年ごろの状態に復元した。これで面としての広がりを持つ歴史遺産になった』と話している」。
滋賀
時代超える江戸の風刺画──半数初公開、「大津絵の世界」展
「念仏を唱える鬼、藤の枝をかついだ娘など、親しみやすい絵柄で人気がある大津絵の展覧会が大津市歴史博物館で16日まで開催中だ」。
「幕末になると大津絵は風刺や教訓を離れ、迷信に基づく護符(お守り)となった。鬼の念仏は小児の夜泣き止め、藤娘は良縁を得るなど、画題ごとに効能が決められた」。
岡山
「山田方谷の世界」展:遺品など40点 来月14日まで、高梁市歴史美術館で /岡山
「高梁市歴史美術館(高梁市原田北町)が所蔵する山田方谷の遺品などを展示する『山田方谷の世界』展が5月14日まで、同館で開かれている」。
「山田方谷(1805―1877)は幕末、備中松山藩の藩政改革に成功し、幕政にもかかわった陽明学者」。
佐賀
花守翁をしのぶ小城春雨まつり 300人、芸者衆の舞に酔う
「『春雨にしっぽりぬるるウグイスの』の一節で始まる端唄(はうた)『春雨』の作詞者、柴田花守翁をしのぶ『第44回小城春雨まつり』(小城春雨会主催)が8日、小城市の小城公民館であり、市民ら300人が長崎検番の芸者衆のあでやかな舞に酔った」。
「花守翁は小城鍋島藩士で旧小城町の生まれ。幕末に長崎に遊学し、禅などを学んだ。『春雨』は長崎時代に料亭で作詞。長崎検番の踊りの師匠が振り付けし、全国的に親しまれるようになった」。
コラム
近江の春(4・完)彦根の名園、玄宮園。
ライブドアのPJニュースより。
「明治政府の廃城指令にもかかわらず、唯一残された名城・彦根城。国宝であるこの城の天守は大きくはないが、品ある姿をとどめている」。
「城の東部に延宝5(1677)年に造営された玄宮園がある。4代城主井伊直興が、中国唐の玄宗皇帝の離宮を模したものだと伝えられ、江戸初期の大名庭園の面影を残している。ここを居城とした幕末の大老井伊直弼は、江戸城外で水戸浪士一派に暗殺された」。
京洛の春(1)鴨の水、今日も流れて。
これまたライブドアのPJニュースより。
「長州藩士だったことを誇りとする義兄の母は、刀自(とじ)と呼ぶに相応しく、何時も凛としていた。一家は幕末に萩から京に移り住み、『蛤御門の戦い』で活躍した家柄が自慢だったが、義兄は一人で文具や喫煙具の卸業を営んでいた。話す言葉には、山口弁と京都弁が混じっていた」。
いるんですねぇ、蛤御門の戦いに参加された長州藩士の末裔の方。しかも幕末に萩から京都に移り住んだという経歴、どのような背景だったのか気になります。京洛の様子を探索するために移り住まれたのではないかと、想像を逞しくしてみたりして……。
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