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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 おはようございます、白牡丹です。今日もいい天気ですね。
 昨日の幕末ニュースに山内教授のコラム(清河八郎について)をアップするのを忘れていましたので、今朝までにクリップした記事とあわせて早めにアップしておきます。

石川
カメラ探訪:富山・高岡市福岡町 国の重要無形民俗文化財「菅笠製作技術」 /北陸
カメラ探訪:富山・高岡市福岡町 国の重要無形民俗文化財「菅笠製作技術」 /北陸
 ◇手作りのぬくもり 保存会設立し、伝承

 富山県高岡市福岡町で400年以上前から続いている「菅笠(すげがさ)製作技術」が今年3月、国の重要無形民俗文化財に指定された。時代劇で武士がかぶっている姿は、誰しも一度は目にしたことがあるはず。同町は菅笠生産の全国9割のシェアを誇るが、後継者不足や、生活様式の変化で、生産量も作り手も年々減少している。昨年10月には「越中福岡の菅笠製作技術保存会」が設立された。同会や市は「文化財指定が需要増につながってほしい」と期待を寄せている。
 同町で菅笠生産が盛んになったのは江戸時代。幕末をピークに、昭和30年代まで年間約100万枚を出荷した。現在は、主にお土産やお祭り用などに約6万枚を生産している。
 作業は、男性が竹で骨組みする「笠骨作り」と、刈り取り後、約2週間干して乾燥させたスゲを女性が笠骨に結う「笠縫い」が、分業制で行われる。
 「保存会」の会長、木村昭二さん(81)は、町内唯一の笠骨作り職人。今も1人で年間6000~7000枚を作り上げる。注文の大きさに合わせて竹を割り、厚さを整え、笠の形に組み立てる。曲線が必要な時は、炭火であぶり、ひしゃげる。長年の仕事で、力を入れる右腕は「く」の字になり、人さし指も曲がっている。
 吉田ノブ子さん(85)は、7、8歳のころ、母親や祖母の見よう見まねで笠縫いを学んだ。かつて、ほとんどの女性が「嫁入り道具」として持っていた裁縫箱を傍らに、笠骨に一本一本、丁寧にスゲを結っていた。
 木村さんは「福岡の菅笠は手作りのぬくもりがあって、色あせない魅力がある。次の世代にも、伝えていきたい」と語った。【蒔田備憲】


愛知
岡崎の大樹寺に障壁画戻る 19枚が修復終え往時の姿に
 徳川将軍家の菩提(ぼだい)寺として知られる岡崎市鴨田町の大樹寺(堀田岳成貫主)に、京都の国立博物館で修復を終えた重要文化財の障壁画計19枚が戻った。幕末、上洛(じょうらく)途中に立ち寄った14代将軍家茂も眺めたという優雅な色彩がよみがえった。
 19枚は、幕末期に活躍した大和絵師冷泉為恭(ためちか)(1823-64年)が描いた「円融院天皇子(ね)の日御遊図(全31面)」の一部。王朝風大和絵の画風で復古調。平安中期の円融天皇(959-991年)が、公卿(くぎょう)たちを従えて若菜を摘む様子が描かれている。
 国立博物館での修復は、カビや汚れを取り除き、大和絵ならではの金箔(きんぱく)を押し直し、顔料も当時のものを復元し、修正したという。
 図は、幕末当時、同寺の客殿「大方丈」にあった将軍専用の「上段の間」をぐるりと取り囲んでいた。現在は管理面などから文化財収蔵庫に移し、当時のままを再現してある。
 大樹寺が所蔵する為恭の障壁画は、146面ある。近年傷みが目立つため、文化庁などが2006年度から6年間で、計69面の修復を進めている。大樹寺本堂の参拝は無料だが、文化財などの見学は400円必要。
 (中野祐紀)


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】東大教授・山内昌之 清河八郎
■スターか、ピエロか

 政治はドラマである以上、いつの時代もスターを必要とする。もっとも、舞台で晴れがましく颯爽(さっそう)と演技したスター政治家であっても、坂本龍馬や西郷隆盛、果ては近藤勇のように非業の最期を遂げる者も多い。

 スターも錦絵やブロマイドにふさわしい人物ばかりではない。清河八郎は悪役スターとまで言えないが、その印象はどうにも一陣の風がさあっと運ぶ爽(さわ)やかさと縁遠い。それでも清河は幕末を時代として動かしたスターであった。

 ◆“はったり”の迫力

 清河は出羽の郷士出身者でありながら、やがて新選組を生み出す浪士組を江戸でつくった首謀者である。清河には策士という表現がよくあてはまる。それは、公に徳川幕府への忠節を語りつつ、その実は尊王攘夷(じょうい)の過激派として各地の志士とつるみ、天下の騒乱を企てる表裏者だったからだ。

 京都で武装蜂起(ほうき)を計画しながら失敗し、薩摩などの志士を扇動する一方、寺田屋事件で義挙が挫折すると、上方の仲間を見限る。江戸に舞い戻り、新たな陰謀を画策するなど、とにかく落ち着きがなく、人間関係を長い目でじっくり育てることができない。至誠の志士となるには、どこかに私心がありすぎるのだ。

 江戸で幕閣に食い込み、浪士組をつくったのも、少し前に町人を殺した罪科を帳消しにする取引材料だったといわれても仕方がない。それでも、清河のスター性は、「懸河(けんが)の弁」としか言いようのない雄弁と意表をつく構想力、悪く言えば“はったり”の迫力で他を圧していた。


 清河は幕府の護衛となるべき浪士隊を引率し、京都に着くや否や本性を現し、今後は朝廷を奉じて尊攘の士になると弁舌をふるう。さすがの近藤や土方歳三も気おされて、血判連署したというから、彼の気迫はすさまじい。文芸評論家の野口武彦氏は「懸河の弁」とは平たく言えば、「立て板に水」だと清河の雄弁術を再現する。

 まず清河は自信たっぷりな男であった。自信過剰の男にじっと眼を見据えられ、その呼吸や発言のリズムに引き込まれると、相手はたまったものでなく、清河のペースにはまったに違いない。野口氏によれば、「これこれしかじかである。しかしながら」と話を途中で切って息継ぎをするのがコツだという。文末で切らないから、相手は口を挟むタイミングを失ってしまう。最後に「ご異存はござるまいな」とやる。これで一同は苦もなく押しかぶせられてしまった(『天誅と新選組』新潮新書)。

 しかし雄弁家は外交や政治でも時に訥弁(とつべん)や寡黙の士にかなわない。第一次大戦後にトルコ分割を策した英国のカーゾン外相の流暢(りゅうちょう)な口説にあっても、トルコの全権イスメト・イノニュ(後に第2代大統領)は平気で沈黙を守り、時には聞こえないふりをした。

 清河が江戸に戻って尊攘の決起をすると熱弁をふるっても、芹沢鴨や近藤らは将軍警固のために上洛したと愚直に突っ張ったのは正解である。雄弁に雄弁で対抗する必要はない。清河は自分の挙が生んだ新選組結成の皮肉な意味を理解できなかったはずだ。

 ◆時代の対決軸据える

 しかし幕府と反幕の双方に共通した尊攘の標語でなく、倒幕か佐幕かという明快な対決軸を幕末政治に据える結果をもたらした点で、清河は時代を動かしたのである。

彼が江戸に戻った後、暗殺されたのはもはや余談にすぎない。こうしてみると、清河にはスターというよりピエロの要素があった。現代の政治家にも男女を問わず、弁が立つ人をテレビで見かけるが、彼らにどこかピエロの役回りを感じるといえば酷か。

 しかし清河のような“張子のスター”をピエロと見切り、自分は舞台の袖で出番に備える本格派のスター(岩倉具視や大久保利通)も現代にいないとはかぎらない。このあたりが政治の怖いところなのだ。(やまうち まさゆき)

                   ◇

【プロフィル】清河八郎

 きよかわ・はちろう 天保元(1830)年、出羽国清川村(山形県庄内町)の酒造業を営む郷士・斎藤治兵衛の第3子として生まれ、本名は斎藤正明。同14年、清川関所役人の畑田安右衛門に師事する。弘化3(1846)年には、後の天誅組首領の藤本鉄石と知り合う。翌年、江戸に出て東条一堂、安積艮斎(あさか・ごんさい)に師事する一方、千葉周作の北辰一刀流の免許を得た。諸国漫遊し、紀行文「西遊草」も著す。安政元(1854)年、神田に文武塾を開き、名前を大河の河からとって清河八郎とする。尊王攘夷の運動にかかわり、外国人居留地の焼き打ちを計画したが、決行2日前の文久3(1863)年4月13日、上山藩重臣・金子与三郎宅で夕食し、帰る途中、幕府見廻組の佐々木只三郎らに暗殺された。34歳だった。







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