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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 小ぶりの鰯が6尾200円でしたので夕食に買いました。一部を包丁と手で裂いて生姜醤油で刺身(というか叩きに近い見かけ^_^;)に、一部を塩焼きにしました。どちらも脂が乗っておいしかったです。
 寒さで高騰していた野菜の価格もちょっと下がってきて、おかずにする野菜の選択肢が増えてきたことも嬉しいです。

北海道
14、15日に中島三郎助まつり
 第17回中島三郎助まつり(中島町商店街振興組合主催)が14、15日の2日間、函館市中島町の中島廉売で開かれる。今年もYOSAKOIソーランの演舞や「春のスイーツまつり」、「100円市場」などのイベントを実施。今年初めて同廉売のパン店と商店街の女性たちが共同開発した調理パンを限定販売する。同組合の川崎正博専務理事は「売り出しもやっているので、この機会にぜひ廉売に足を運んでほしい」と来場を呼び掛ける。
 14日は午後3時から、箱館戦争に散った中島三郎助父子を供養する祈願祭を行い、もちまきなどを実施。15日は午後1時から約50店による「100円市場」、同3時から5チームによるYOSAKOIソーラン大競演が行われる。
 2日間通したイベントでは、午前10時半から、市内の和洋菓子店やレストラン6店舗が参加する「春のスイーツまつり」が開催され、ケーキやプリンなどが並ぶ。限定販売の調理パンは、同廉売の女性グループ「ひまわり会」とフレッシュベークヨシダが考案し、2種類ともパンに福島町産の黒米と今金町産の小麦粉を使った。
 堂守豆腐店の「オカラ炒コロッケ」を使った「オカラ炒ポテコロサンド」は両日20個限定、1個180円で販売。パンに挟むパテにホッケのすり身などを使い、中村商店のしょうゆ味のキュウリの漬け物をピクルス代わりに入れた「春ホッケの照りマヨバーガー」は15日のみ35個限定、1個200円で提供する。
 問い合わせは同組合TEL0138・56・7615。


栃木
「梁田戦争」伝える地図作成 戊辰戦争、東日本最初の戦い
 【足利】江戸から明治へと時代を変えた戊辰戦争で、東日本最初の戦いとなった「梁田戦争」を広く知ってもらおうと、梁田地区史料調査委員会(長谷川有三委員長)は歴史マップ3千部を作成し、約2千部を同地区に配布した。長谷川さんは「地域の人々が家族みんなで手にとってほしい」と話している。
 1868年3月9日、江戸城陥落を目指す官軍約200人は、梁田宿(現足利市)に滞在する旧幕府軍に攻め込んだ。旧幕府軍は朝食の準備中で奇襲攻撃に対応できず、約900人の大軍はわずか4時間で敗退した。この戦いには後に海軍大将となる川村純義(官軍)らが参加し、会津、五稜郭の戦いなどにつながっていく。
 長谷川さんは、市職員時代に史跡足利学校遺跡図書館の館長を務めた。公民館や小学校などで梁田戦争の話をすると、後日、子どもたちから「お母さんやおじいちゃんも知らなかった」と聞かされた。
 そこで梁田地区の歴史を広く伝えるため1996年、同委員会を発足。梁田公民館に史料展示室を作るなど活動してきた。歴史マップは、自治会からの助成金などを使い、8年掛かりで完成させた。
 マップには周辺の寺院や石碑のほか、梁田戦争の解説や、坂本竜馬を暗殺したとされる今井信夫(旧幕府軍)など戦争に参加した人々が紹介されている。
 サイズはA3判、蛇腹折りの両面カラー。残りの1千部は梁田公民館などで無料配布している。
 問い合わせは梁田公民館電話0284・71・1872。



長野
象山ゆかりの地巡り ツーデーウオークを22・23日開催
 初夏の長野市を歩いて楽しむ「2010ながのツーデーウオーク」は、22日と23日に行います。5回目の今年は「坂本龍馬グランプリウオーク」の一環として開催。同市松代町を中心に、坂本竜馬の師であり、来年に生誕200年を迎える旧松代藩の幕末の先覚者・佐久間象山ゆかりの地を巡ります。
 実行委員会と信濃毎日新聞社、日本ウオーキング協会の主催。22日は、象山ゆかりの3コースと「奥裾花自然園コース」(7キロ)を開催。このうち「象山 砲術コース」は、佐久間象山が大砲を試射した跡地(千曲市生萱)、象山が電信の実験をした旧松代藩鐘楼(長野市松代町松代)などを訪ねる22キロの最長コースです。
 「象山 清滝コース」は14キロ。象山書の碑がある清滝阿弥陀堂、象山の墓がある蓮乗寺、象山神社など長野市松代町内を巡ります。「城下町松代コース」(5キロ)では、城下町の街並みと象山ゆかりの場所を歩きます。「奥裾花自然園コース」は、ミズバショウの群落を訪ねます。
 「象山 清滝」「城下町松代」の2コースは23日も実施。同日は、戸隠神社奥社や鏡池などを巡る「戸隠コース」(10キロ)も行います。
 「象山 砲術」「象山 清滝」「城下町松代」の3コースは長野市松代町の松代城跡に集合し、午前9時に出発。「奥裾花自然園コース」は奥裾花観光センター、「戸隠コース」は奥社参道入り口に集合して、それぞれ午前10時スタートです。
 参加費は、2日間が大人2000円、中学生以下1000円。1日のみは各半額。小学生以下は保護者、障害者は介助者の同伴が必要です。
 希望者は、住所、氏名、生年月日、電話番号、参加希望日とコースを明記し、ながのツーデーウオーク事務局へ、郵便(〒380-0935 長野市中御所1-53)か、ファクス(026・291・8614)で申し込み、参加費を郵便振替(口座番号00520-5-58816)で送ってください。当日参加も受け付けます。
 問い合わせは、平日午前10時~午後5時に事務局(電話026・267・5818)へ。

静岡
しずおか観光大賞に「黒船祭」 21日に表彰
 県観光協会はこのほど、観光地の新しい魅力づくりなど独創的な取り組みを表彰する「第11回しずおか観光大賞」に、下田市の「黒船祭」を選出したと発表した。21日に静岡市内で開く県観光協会総会で表彰する。
 「黒船祭」は歴史行事の継承のほか、幕末絵巻の仮装パレードなど工夫を凝らした参加型イベントを行い、国際親善やにぎわいづくりに貢献していることが評価された。
 また、奨励賞・ほろ酔いにぎわい賞に「藤枝居酒屋グランプリ」(藤枝市)、同・食のまちづくり賞に「富士山しらす街道事業」(富士市)、特別賞の伝統・文化継承賞に「島田髷(まげ)まつり」(島田市)がそれぞれ選ばれた。


山口
おお第九の友よ 独で再会/山口市
◆山口の合唱団と独の楽団 合同コンサート 今年も

 山口市の合唱団、第九を歌う会「アン ディ フロイデ」(上田美子代表)が今月、ドイツ・マンハイム市の「マンハイム青少年交響楽団」と合同でコンサートを開くことになった。両団体は昨春、山口市で合同コンサートを開き、きずなを深めた間柄。1年ぶりの合同のステージを、上田さんらは楽しみにしている。
(箕田拓太)
(中略)
 この交流コンサートの際、同楽団のメンバー約80人は日本に1週間滞在。「歌や観光だけではもったいない」と、同楽団から希望のあった原爆ドーム訪問のほか、箏曲、茶道の体験など大内文化に触れる機会も盛り込んだ。最終日の「別れの会」では、福島県に伝わる「白河踊り」を一緒に踊った。幕末の戊辰(ぼしん)戦争で戦った歴史のある長州藩と会津藩の友好を願って、山口市の平川地域で受け継がれる踊り。「この子たちは決して戦争をしないだろう」。説明に真剣に耳を傾け、体を動かす青年らを見た独楽団の関係者がそう漏らしたと通訳から伝え聞き、上田さんの胸にも熱いものがこみあげたという。


香川
高松城“石材工場”発見
屋島の東斜面

 高松市屋島の東側斜面で、高松城の修築用とみられる石切り場が見つかり、市教委が発表した。同城の石切り場が特定されるのは初めて。何らかの理由で使用されなかった加工途中の石も多数出土しており、市教委は「採掘から加工まで行う〈巨大石材工場〉だったのでは」とする。
 発表によると、標高60~120メートル付近の国有林で、縦横約1~1・5メートルの石約30個が見つかり、周囲には破片も散乱していた。石には割るためのくさびを打ち込む「矢穴」があり、一部は天守台などの四隅に使われる方形の「角石(かどいし)」と推定されるという。
 高松城の石垣は、初代藩主・松平頼重(1622~95)による1645年の工事を手始めに、南海地震で被災した幕末まで何度か修築された。しかし、石切り場については、小豆島などの島々や同市庵治町など諸説あり、文献資料もないため特定されずにいた。
 今回出土した石は、同城の石垣とほぼ同じ組成の花こう岩で、「矢穴」も残っていたことなどから石垣用に切り出されたものと断定された。市教委は「矢穴の大きさが微妙に違い、複数の工事でこの地の石が採用されたのではないか」と推測している。




高知
「人斬り以蔵」初の命日祭…ファンも祈り
 幕末に「人斬(き)り以蔵」と恐れられ、処刑された岡田以蔵(1838~65年)の初めての命日祭が11日、高知市薊野北町の真宗寺山の墓前で開かれた。
 地元住民らが約5年をかけて墓の周辺を整備。死後145年にして“光”が当てられた墓前には、坂本龍馬ブームもあって約50人のファンや住民らが訪れ、時代に翻弄(ほんろう)された若い志士の冥福を祈った。
 以蔵は土佐藩の郷士で土佐勤王党に参加。藩重臣・吉田東洋の暗殺を捜査していた役人井上佐一郎らを次々に暗殺したとして、慶応元年閏(うるう)5月11日(旧暦)、打ち首となった。
 墓は山中にあり、訪れる人はいたものの、竹やぶが茂って見つけにくかった。地元住民グループ「薊野コミュニティ計画推進市民会議」のメンバーらが、案内板を設置するなどして、史跡を巡るコースとして整備した。
 以蔵の本名「岡田宜振(よしふる)」と刻まれた墓石に、参加者が花を手向けるなどした。追悼の尺八演奏も行われた。以蔵の遠縁にあたる坂本正宏さん(72)は「人斬りと呼ばれ、歯がゆい思いをしてきたが、人一倍忠誠心の強い人だった。多くの人が集まってくれ、感激している」とうれしそうに話した。高知市塚ノ原の主婦近藤美那子さん(27)は「何度かお参りしようとしたが、場所が分からずたどり着けなかった。つらい生き方だったろうけど、今日は墓の下で喜んでいるはず」と話していた。


土佐の維新志士・吉村寅太郎、高知の生徒が東吉野で墓参
 高知県津野町立東津野中学校(竹田章男校長)の2年生24人が12日、同町出身で天誅(てんちゅう)組3総裁の一人、吉村寅太郎が眠る東吉野村の墓所を訪れ、明治維新の大業を見ずに27歳で生涯を終えた郷里の志士の遺徳をしのんだ。
 寅太郎は土佐藩出身の幕末の志士で、土佐勤王党に参加し、文久2年(1862年)に脱藩して討幕に奔走した。藤本鉄石(岡山藩脱藩)らと大和五條(現五條市)で挙兵したが政変で幕府軍に追われ、東吉野村内で最期を遂げた。同村や天誅組顕彰会などが慰霊碑を建立。同中学校は2003年から、修学旅行を利用して墓参りをしている。
 生徒たちは、墓前で同村の阪本基義教育長から、武士としての切腹を許されず、銃殺された寅太郎の最期の様子などを聞いた後、神妙な様子で手を合わせていた。上田颯(はやて)君(14)は「志半ばで最期を遂げ、さぞ無念だったでしょうね」と話した。



佐賀
佐賀の大名行列、再び米へ NYで幕末使節団再現
 佐賀市の佐嘉鍋島三十六萬石大名行列まつり推進委員会(野中弘義理事長)が、6月にニューヨークで開かれる「ジャパンデー@セントラルパーク」に参加する。4月にサンフランシスコであった桜祭りに次ぐ〝アメリカ出張〟で、マンハッタンの摩天楼を背景に日本伝統の大名行列を披露する。
 ジャパンデーは日米市民の交流促進などを目的に2007年に始まり、前回は4万5千人が「日本」を満喫した。ミニマラソンと日本の伝統文化を紹介・体験するフェスティバルの2部構成で、大名行列はメーン行事の一つとなる。
 日米修好通商条約批准のため、遣米使節団がニューヨークを訪問して150周年。「本物の日本文化を紹介したい」と考えた実行委員会が、ネットで桜祭り出演を伝える佐賀新聞の記事などを見つけ、出演を要請した。
 招待を受けて推進委からは3人が渡米。現地での参加者を加え、50人規模の行列となる見込み。6月6日の本番では正使、副使、目付の遣米使節団は烏帽子(えぼし)姿で登場。その後ろを羽織や陣笠(じんがさ)など江戸時代の装束に身を包んだサムライが1・5キロを行進する。正使は駐米大使がふんする予定。
 150年前の使節団を再現するため、鍋島藩の家紋の付いた提灯(ちょうちん)や掛け声などはなく整然とした行列となるが、野中理事長は足の運び方や目線の位置など「当時の大名行列を忠実に再現したい」という。
 思いがけない2度目の渡米に野中理事長は「日米友好の橋渡しになる一方、佐賀藩を代表とする正統なサムライ文化を伝えたい」と意気込む。

【写真】「侍パレード」を披露する野中弘義理事長(中央)ら=4月18日、米サンフランシスコ


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(61)東大教授・山内昌之 田宮如雲
■捨て身の忠誠心

 多くの人びとは、鳩山由紀夫首相の沖縄県知事や首長との会談、徳之島3町長の官邸招請に素朴な疑問を感じたに違いない。せっかく、現地に出かけて県民と対話し、首長とも面談するというなら、なぜもっと早いタイミングを選ばなかったのだろうか、と。
 地元の首長や住民がこぞって普天間基地移設に厳しい反応を示しているのに、わざわざ言葉を冗長に重ねるだけの旅に、なぜ出たのだろうか。普天間第二小学校で首相に向かって「くとぅばじゅんぢけ」(言葉を大事に使いなさい)と諭した女性の毅然(きぜん)とした表情が印象的であった。
 首相にも同情すべき点がある。それは捨て身で首相を守ろうとする人が周りにいないことだ。今更ながらに首相は、母親からの寄付疑惑の責任を沈黙とともに背負った勝場啓二・元公設第一秘書や芳賀大輔・元政策秘書の“捨て身の忠誠心”を懐かしんでいるかもしれない。かれらの鳩山家への尊敬心や信頼感とまで言わずとも、いまの官邸に“慇懃(いんぎん)恭敬”の念が乏しいことも普天間問題の混迷を深めた一因にほかならない。

 ◆どこまでも慶勝とともに

 幕末維新の危機に、捨て身で主君と藩の利益を守った人間として尾張名古屋の田宮如雲が挙げられる。8代将軍吉宗との暗闘に敗れ、一度も将軍を出せなかった徳川御三家の尾州(尾張)藩は、11代家斉の子などを押し付ける幕府に複雑な感情を抱いていた。支藩の高須松平家から本藩に徳川慶勝を迎えるために「金鉄組(党)」という同志集団をつくった如雲は、幕府寄りの家老や重臣に嫌われ、生涯に転補21回、解職6回、幽閉3回ともいわれる辛苦をなめた。
 その間に慶勝を尾州藩主に迎えることに成功しながら、主君が大老井伊直弼に嫌われ、隠居を命じられると、自分も隠居処分を受けるなど、どこまでも慶勝と浮沈を共にした。井伊直弼が殺害されると、慶勝と一緒に政局にカムバックした如雲は、尾張徳川家の矛盾した立場を調整しながら、幕末の難局に対処する。
 慶勝は御三家筆頭にして将軍・慶喜のいとこであり、2人の実弟たる松平容保(かたもり)(会津藩主)が京都守護職、松平定敬(さだあき)(桑名藩主)が京都所司代として佐幕派のリーダーだったことを考えれば、流動する政局で薩長に対抗する徳川の有力藩屏(はんぺい)になることは必至と思われた。

 ◆佐幕派14人斬首の粛清

 しかし、藩内では、「金鉄」を溶かす比喩(ひゆ)で名付けられた「鞴(ふいご)党」と「金鉄組」との政争も激しく、藩論は容易にまとまらなかった。京都に出ていた如雲は鳥羽伏見の戦い以後の政治情勢を観望しながら、藩論を勤王に統一することを慶勝に説いた。尾州藩の帰趨(きすう)を猜疑(さいぎ)のまなこで見ていた薩長の批判をかわすために、慶勝は佐幕派の元凶と思われた重臣3人を含む14人を斬首、20人を処罰した。この粛清がいわゆる“青松葉事件”にほかならない。
 如雲は、東海道を東下して倒幕に向かう新政府軍に中立や傍観をきめこむ難しさを痛感したのだろう。そこで、藩祖・義直(家康の九男)が尊王思想を語った『軍書合鑑』に兵乱が起きれば「官軍に属すべし」とあり、徳川一門のよしみで「朝廷へ弓を引くべからず」と戒めていた故実を引いて、藩論統一をはかったのだろう。
 そして、何事も如雲は慶勝第一という方針を貫いたのだ。尾州藩の幕府に対する近さへの岩倉具視の猜疑心、慶勝が総督となった第一次幕長戦争で重臣3人を入れた14人が切腹・斬首になった長州藩の報復感情の強さを肌で感じたのは如雲である。坪内逍遥が、如雲を木戸孝允や西郷隆盛にも憶(おぼ)えられた「傑物」だというのは、このあたりの機微も含んでいる。

 ◆認められなかった尾州藩

 これだけ新政府に忠誠を尽くしても、新政府は尾州藩を認めなかった。紀州藩ならまだ津田出(いずる)や陸奥宗光も出たが、尾州はまったく目立たない。時代を下げても大臣は田中不二麿や加藤高明くらいのものだ。
 とはいえ、如雲は、1871年に死ぬまで、まかりまちがえば幕長戦争の恨みで長州に報復されかねない慶勝を守り抜いた。如雲のような側近はすぐつくれるものではない。政治とカネ、普天間問題。鳩山政権を揺さぶる2つの問題は、ヒトの面でも搦(から)め手で結びついているといえよう。(やまうち まさゆき)

                   ◇ 

【プロフィル】田宮如雲

 たみや・じょうん 文化5(1808)年、尾張生まれ。12代藩主徳川斉温(なりはる)の死後、尊攘派・金鉄組の中心として、支藩高須松平家の高須秀之助(のち徳川慶勝)の尾州藩主擁立を目指す。活動をとがめられ左遷されたが、慶勝が襲封すると、側近として勘定奉行などを務め、藩政改革を補佐。慶勝とともに浮き沈みをともにした。大政奉還後、朝廷に参与として出仕。版籍奉還後、名古屋藩大参事となった。明治4(1871)年、死去。享年64。



文化芸能
NHK次期朝ドラ『てっぱん』追加キャスト17名発表 安田成美が『春よ、来い』以来2度目の朝ドラ出演
 NHKは12日、今秋からの朝の連続テレビ小説『てっぱん』(NHK総合・前8:00~ほか)でお好み焼き屋を開業する主人公・村上あかり役の瀧本美織 、あかりの祖母・初音役の富司純子に続く追加キャスト17名を発表した。急逝したあかりの母親に代わって、あかりを我が子同然に育ててきた母・真知子を安田成美が演じる。安田は『春よ、来い』以来、2度目の朝ドラ出演。あかりの父・錠には遠藤憲一、あかりの長兄に遠藤要、次兄に森田直幸が決まった。
(中略)
 一方の遠藤は「デビュー作が、以前のNHK大阪の建物で収録した新選組の話でした。それ以来のNHK大阪なので、新鮮な気持ち」と感慨深げに話したかと思えば、「20代前半で、東京の連続テレビ小説のオーディションを受けたこともあったのですが『朝の顔じゃない』って言われて落っこちた。今は、もっと恐い顔しているので、本当にオレでいいのかな?という感じがするのですが」と笑いを誘った。

 エンケンさん、デビュー作は『壬生の恋歌(リンク先はwikipedia)』なんですね。こちらは未見です。テレビ東京『壬生義士伝~新選組で一番強かった男~(リンク先は同じくwikipedia)』の永倉新八役がとてもよく似合っていたので、ちょっと気になる役者さんです。






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