忍者ブログ
新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日の東京は、晴れ間の覗く曇り。風は爽やかというより少し冷たいぐらいです。午後はもう少し晴れ間が増えるようで、過ごしやすい一日になりそうです。

北海道
「なりきり土方歳三」全国から函館に参集
 幕末の箱館戦争で戦死した新撰組副長の土方歳三になりきって「らしさ」を競うコンテストが15日、北海道函館市で開かれ、森町の会社員小川利人さん(30)が優勝した。
 コンテストは、この日から始まった「箱館五稜郭祭」の人気イベントで今年で23回目。明治新政府軍に包囲された仲間を助けに出撃し、壮絶に散る土方の最期を、自分なりに演出する。全国から過去最多の男女25人が集まった。
 優勝した小川さんは7回目の挑戦。精悍(せいかん)さを出すために約20キロ減量して臨んだ小川さんは「夢のような気分。男っぷりを表現できた」と感無量。

 土方さんを演じるために20キロ減量したって、凄い(@_@)。写真、とても決まっていると思います。

土方歳三全国コンテスト 森町の小川さん優勝
 【函館】新撰組副長の土方歳三になりきってパフォーマンスを競う「第23回土方歳三コンテスト全国大会」が15日、函館市五稜郭町の五稜郭タワーで開かれた。
 同日開幕した箱館五稜郭祭の名物イベント。地元函館のほか、札幌、東京、名古屋などから、18~50歳の男女25人が出場。最近の歴史ブームも手伝い過去最多となった。
 参加者は土方が新政府軍との最後の戦いに散る場面を熱演。容姿や思い入れなど5基準での採点結果、渡島管内森町の会社員小川利人さん(30)が優勝した。
 7回連続出場の小川さんは、昨年の大会後、20キロ以上も体重を絞って役作り。「まさか選ばれるとは。夢がかなった」と感激の面持ちだった。

 準優勝の函館市の佐藤実さん(50)とともに16日の維新行列に参加する。


なりきり土方歳三が競演 五稜郭祭でコンテスト
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で15日、「箱館五稜郭祭」が開幕し、新選組の土方歳三に扮して寸劇を披露、土方らしさを競う恒例のコンテストが開かれた。
 今回で23回目となるコンテストには道内のほか愛知県や岡山県から男女25人が参加。新政府軍に包囲された仲間を救うため出陣し、馬上で銃弾に倒れた壮絶な最期を演じた。
 赤いテープで血しぶきを表現したユニークな演出や、出場者が客席に「(せりふ)何だった?」と問い掛けるハプニングに、会場は歓声や笑いに包まれた。
 7回目の出場で優勝した北海道森町の会社員小川利人さん(30)は、りりしい土方を演じるため前年から約20キロ減量し、迫力ある立ち回りを熱演。小川さんは「生きてきた中で一番うれしい」と喜びを爆発させていた。



恒例もちまき、廉売にぎやか 中島三郎助まつり開幕
 第17回中島三郎助まつり(中島商店街振興組合主催)が14日、函館市中島町の中島廉売で開幕した。同町ともゆかりが深く、箱館戦争で散った中島三郎助父子の冥福を祈る祈願祭やもちまきなどが実施された。16日まで。
 祈願祭で同組合の二本柳秀樹理事長は「3月に4件が被災する火災の発生やスーパーなどの競合が多く厳しい現状が続いているが、くじけることなく祭りを契機に商売も気温と同じように温かくなるように頑張りましょう」とあいさつ。祭壇前で焼香し、手を合わせて父子の御霊を慰め、中島廉売の発展を祈念した。
 毎年恒例で人気となっているもちまきが引き続き行われ、組合関係者がもちや菓子をばらまくと、大きな袋を抱えた市民らがわれ先にと手を伸ばして「こっちにも」などと威勢のよい声が聞かれていた。市内の女性(68)は「にぎやかな廉売はやっぱり活気があっていい。大変なことが続いているようだが、頑張って欲しい」と話していた。
 15日は市内の洋菓子6店舗の味が楽しめる「春のスイーツ祭り」、午後1時からは食品や日用品などを100円で販売する市場も開催。同3時からはYOSAKOIソーラン大競演も行われる。16日には中島三郎助隊として約20人が参加する維新パレード(午後1時)も催される。


福島
只見の「いい話」1冊に
町広報のコラム16年分再編集

 只見町は、月1回発行の「広報ただみ」に16年にわたって掲載しているコラム「町史 とっておきの話」を再編集して1冊の本にまとめ、「只見 とっておきの話」として出版した。町史に未掲載となった興味深い内容やエピソードなどを紹介しており、同町の自然、歴史、民俗などを多面的に知る上で、貴重な資料となりそうだ。
 1994年7月号~2010年1月号に掲載された全186話で、町は昨年8月、町制施行50周年を迎えたことを機に、記念事業として再編集に着手。89~03年に行われた町史編集に携わった関係者のほか、同町に調査に訪れた専門家や研究者28人が執筆したコラムを自然、歴史、民俗各編に整理した。
 ブナの天然林をはじめとする多様な植物、イヌワシやユビソヤナギなどの絶滅危惧(きぐ)種などを紹介した自然編では、河野昭一京大名誉教授が「北半球における希少な固有植物の宝庫が只見町」と指摘。
 また、戊辰戦争を中心とした歴史編では、長岡藩家老の河井継之助が、亡くなった只見の地での空白の「最後の十二日間」について、飯塚恒夫同町文化財調査委員が、史実と聞き取りに基づいて足跡をたどり、読み応えのある文章に仕上げた。
 民俗編では、職人の免許状にあたる「巻物」が同町に数多く存在し、受け継がれているという全国的にも珍しい事実が取り上げられている。
 今回の出版について、目黒吉久町長は、「この本が、将来を担う子どもたちから歴史の体現者である高齢者まで幅広く愛読され、郷土を愛するよすがとして活用されることを期待したい」と話している。
 A5判で310ページ。2500部発行し、すでに町内全戸(約1900世帯)と関係機関団体に無償配布した。郵送希望者には、町内の米屋書店(0241・82・2778)が1500円(送料別)で販売する。



栃木
足利市・梁田地区の歴史マップ完成
元市職員らが資料200冊参考に

 足利市の梁田地区の住民で作る「梁田地区史料調査委員会」が「梁田地区 歴史マップ」を製作、地区の約2000戸すべてに無料配布した。戊辰戦争時に梁田地区で新政府軍と旧幕府軍が戦った「梁田戦争」の関連場所を示しているほか、両軍で戦った人物の説明も載っている。長谷川有三委員長は「自分たちの街の歴史を知ってほしい」と話している。
 梁田戦争は、新政府軍約200人が、旧幕府軍約900人に奇襲をかけ、勝利した戦い。戊辰戦争の東日本最初の戦いと言われている。
 自分たちが住んでいる街の歴史を詳しく知ろうと、長谷川さんらは梁田公民館が改築された約15年前に委員会を発足。梁田戦争の展示室が公民館にできることが決まり、資料集めを始めた。
 製作や発行にかかる約30万円は、地区の自治会連合会からの年間約5万円の助成金をため、資金の準備ができた昨年秋から、マップの製作に取りかかった。
 足利市職員だった長谷川さんは市史の編集をするなど、約40年前から梁田戦争に関する資料を集めていた。自宅には幕末史に関する資料が約200冊あり、資料を参考にしながら編集していった。製作には、長谷川さんのほか、5人の委員も加わり、元新聞記者の女性が校正を担当したり、ほかの委員も場所が正しいかチェック作業を手伝った。
 旧幕府軍側に坂本龍馬暗殺の真犯人と目されている今井信郎が参戦しているなど、人物に関する秘話を取り上げたほか、例幣使街道沿いの梁田の宿に陣を構えていた旧幕府軍に新政府軍が三方から攻撃を仕掛けたことについても書いた。現在の地図に当時の地名を加えて、興味を引くように工夫したという。
 長谷川委員長は「梁田地区は明治維新という日本が変わるきっかけとなった場所だということを知ってもらいたかった。今後も歴史を掘り起こしていきたい」と話している。
 マップは梁田公民館でも無料配布されている。問い合わせは(0284・71・1872)。



東京
津軽家上屋敷跡に石組み下水遺構/東京・墨田区
 現在の東京・墨田区にあった弘前藩主津軽家の上屋敷跡から、区が1月から3月まで行った屋敷跡の緊急発掘調査で、縦横無尽に張り巡らされた木製の水道管の遺構が確認された。特に幕末ごろとされる石組みの下水は過去の屋敷跡発掘も含めて初の出土となり、水回りが整備されていた当時の屋敷の構造がより鮮明になった。墨田区役所で27日まで、上屋敷発掘の速報展が開かれている。
 区教育委員会によると、上屋敷は江戸に出た大名が公邸として利用した施設。津軽家上屋敷は元禄元年(1688年)、弘前藩4代藩主信政公の時に江戸の別な場所から移転、4年がかりで完成させた。以来、幕末まで歴代藩主が居住した。
 区による上屋敷跡の発掘調査は1988年から数えて3度目で、これまでも木製の水道管である木樋(もくひ)が発掘されている。
 今回調査では屋敷跡西側の一部約600平方メートルを発掘。その結果、比較的古い年代に整備されたと推測される上水道の木樋を過去の調査に引き続き確認した。周辺には井戸や穴蔵も見つかった。
 さらに新しい地層には石を敷き詰めた石組みの下水を新たに発見。細やかに上下水道を巡らした屋敷の構造がうかがえる。このほか、敷地の水はけを良くするために利用されたとみられる大量の貝殻も出土した。
 また主な遺物には、津軽家の家紋をあしらった「津軽牡丹の鬼瓦」や瀬戸焼、伊万里焼といった量販品とは異なる高品質の焼き物が多数出土した。
 区教委は上屋敷の発掘成果について、都内の発掘で見られる一般的な江戸遺跡の域は出ないとしながらも、「区内のこれまでの遺構と比べ規模が大きく、良いものが出た」と話している。


静岡
まちかど:下田市・黒船祭公式パレード /静岡
 祭りのハイライト、公式パレードが15日行われた。午前11時半、ペリー上陸記念公園付近を出発。石井義徳・下田署長がパトカーで先導し、石井直樹市長、川勝平太知事、下田港沖に停泊中の米軍艦カーティス・ウィルバー号のポール・ホーグ艦長らのオープンカーなど約20台、総勢約450人が500メートル近い列を組み、中心街を行進した。
 米海軍第7艦隊の音楽隊、一輪車の小学生、市立下田中の吹奏楽部、侍やお姫さまの衣装を着た市民なども参加。沿道の観光客らが盛んな拍手を送った。
 最終日の16日は、にぎわいパレードや、初企画の「幕末コスプレショー&下田龍馬くんコンテスト」などが行われる。


三重
龍馬にエール?勝海舟の書 四日市
 大河ドラマ「龍馬伝」など幕末ものが人気になる中、勝海舟ら「幕末三舟」の書を表装した掛け軸が、四日市市文化会館(同市安島2丁目)で展示されている。表具師でつくる四日市表具内装研究会の「和を考える作品展」。和風建築を見直してもらおうと、ふすまや掛け軸、ついたて、びょうぶなど27点を並べた。
 特別出品として研究会の会員が表装を手がけた勝海舟(1823~99)、山岡鉄舟(1836~88)、高橋泥舟(1835~1903)の「二行書」を市内の個人宅から借り受けた。
 勝海舟の書は2行目に「老在人材望嘱只後生」とある。自分は老いても安心なのは人材があることで、後輩に託すのみ……と、自分を慕う坂本龍馬ら若者たちへの期待をしたためたようだ。16日まで。



京都
柴田是真展:幕末~明治の漆職人・絵師 描写力と小粋なセンス--上京 /京都
◇米からの初里帰り作品も--相国寺承天閣美術館
 幕末から明治期の漆職人で、四条派の流れをくむ絵師としても活躍した柴田是真(ぜしん)(1807~91)の米国からの里帰り品などを一堂に展示した「-江戸の粋・明治の技- 柴田是真の漆×絵」展が、京都市上京区の相国寺承天閣美術館で開催されている。【野宮珠里】

 是真は江戸・両国の宮彫師(社寺の欄間などに彫刻を施す職人)の家に生まれた。11歳で名工・古満寛哉(こまかんさい)に弟子入りし、蒔絵(まきえ)の技術を習うが、他人の下絵を元にした仕事に限界を感じ、その後四条派の画家の鈴木南嶺や岡本豊彦に師事、画技を磨いた。漆工・絵画の両方で才能を発揮。明治維新後は、欧米の万国博覧会へも積極的に出品して評価を得、日本の近代美術工芸の発展にも貢献した。
 是真の作品は、自ら生み出した「変塗(かわりぬり)」の技法を駆使、四条派の描写力と江戸の小粋なセンスを兼ね備えた独特の世界が魅力だ。
 実際には紙に漆で描いたものを、金属の砂張(さはり)の盆や紫檀(したん)地に描いた蒔絵の額に見せるなどの「だまし漆器」「だまし絵」は高度なテクニックとセンスの結晶だ。和紙に漆で描いた「漆絵」も、漆ならではの質感を生かした表現に加え、掛け軸にして巻いても割れない高度な技術が用いられている。
 同展では、米国テキサス州のエドソン夫妻が収集、今回初めて里帰りした漆工・絵画約70点のほか、20歳代に描いた、妙心寺塔頭・大雄院方丈のふすま絵(京都展のみ出品)など国内の優品も展示され、見応えのある内容となっている。
 今回監修を務めた板橋区立美術館の安村敏信館長は「幕末・明治という時代の狭間、あるいはジャンルの狭間で、国内での評価が進まなかった作家。しかし、欧米での評価は高く、多くの優品が海外で所蔵されている。この機会に日本でもコレクターが育ってくれれば」と話している。
 6月6日まで。入館料は一般1000円、65歳以上・大学生800円、小・中・高校生500円。問い合わせはハローダイヤル(電話03・5777・8600)へ。


アスニーセミナー「石碑を読む─京都の幕末史」
 6月18日(金)14時~16時、京都アスニー(京都市中京区丸太町通七本松西入ル。市バス「丸太町七本松」または「京都アスニー前」下車。有料Pあり)TEL075・812・7222。※ご来場の際は交通機関をご利用ください。
 京都の幕末の歴史が石碑にどう表現されているか。碑文を詳細に読みます。石碑の碑文も古文書におとらない「史料」ですが、読まなければはなしになりません。とくに蛤御門の変で敗走した長州藩士の遺跡の碑をとりあげます。
 講師=伊東宗裕(京都市歴史資料館歴史調査担当課長)。
 受講料800円。
 申し込み・問い合わせTEL075・812・7222/FAX075・803・3017(京都アスニー)。


佐賀
戦国末期の大名・龍造寺隆信 佐賀城内に居城遺構
 佐賀市教委は14日、佐賀藩鍋島家の居城・佐賀城の前身で、戦国大名龍造寺(りゅうぞうじ)隆信(1529-84)が拠点とした中世の平城(ひらじろ)「村中(むらなか)城」の関連建物遺構を、佐賀市城内1丁目で初確認したと発表した。佐賀城跡周辺は佐賀県が公園整備を進めているが、村中城の遺構は痕跡すら見つかっていなかった。同市教委は「九州で一大勢力を誇った龍造寺氏の実像に迫る重要な発見」としている。
 遺構が確認されたのは、佐賀城西堀に架かる西の御門橋付近の一角。約350平方メートルの調査区画から、東西に整然と並ぶ大型掘立柱(ほったてばしら)建物2棟の25の柱穴が見つかった。柱穴は江戸期の地層から約80センチ掘り下げた土中から、16世紀後半に製造された中国・景徳鎮や朝鮮半島産の磁器などと一緒に出土したことから、村中城関連遺構と判明した。
 同市教委によると、柱穴の直径は55-65センチで、当時、佐賀平野にあった建物では群を抜く規模。ただ、村中城に関する絵図や文書はないため建物の名称や用途は不明で、館や寺院など重要施設であることが推定されるという。
 龍造寺隆信は戦国末期の16世紀後半、薩摩の島津氏、豊後の大友氏と九州を三分する大名に成長。最盛期は肥前から筑後、肥後、筑前、豊前、壱岐・対馬に勢力を伸ばし、「五州二島の太守」と号した。隆信は島津氏との戦いに敗れ戦死するが、領国を継承した鍋島直茂・勝茂父子が江戸期の1608-11年、村中城を拡張。巨大な堀を有する佐賀城に整備した。
 丸山雍成(やすなり)・九大名誉教授(日本中近世史)は「幕末維新期に近代日本形成の一翼を担った佐賀藩のルーツを知る上でも、村中城関連遺構の確認は意義深い」と話している。



コラム
サムライNY席巻 150年前 使節団パレード
 百五十年前の六月、江戸幕府の遣米使節団は、ニューヨーク・ブロードウェーで、沿道に約五十万人を集めて堂々と行進した。史料から、当時の新興国だった米国が公式使節訪問を素直に喜んだ様子がうかがえる。 (ニューヨーク・阿部伸哉)

◆アイドル視
 沿道を埋め尽くす群衆、ビルの窓という窓を飾る日章旗、ちょんまげ姿の代表団を恭しく迎える市長-。当時の写真や新聞のさし絵は、米国の熱狂的な興奮ぶりを伝える。
 「この高揚感を逐一記録するのはわれわれの義務だ」。一行到着二日後の一八六〇年六月十八日付ニューヨーク・タイムズ紙は、この一文で始まる長大なルポを掲載した。
 記事によると、一行の行く先々の駅、ホテルで、サムライを一目見ようとする群衆が膨れあがり「ジャパニーズ」「タイクーン(大君=将軍)」などの掛け声が。ホテルの窓にちらりと人影が見えるだけで、路上から大歓声がわいた。
 特に使節団最年少の十七歳、通訳見習だった立石斧次郎は米メディアに「トミー」と呼ばれ、新聞の一面を飾る「アイドル」に。表情が乏しいサムライたちの中で愛想よく振る舞い、若い女性の「追っかけ」も登場したという。

◆詩人も感銘
 使節団は、正使(大使)四人をはじめとする約八十人。幕末に結ばれた日米修好通商条約の批准書交換のため派遣された。
 ワシントンでは、条約内容を変える権限がない使節団が「通貨交換比率が日本に不利」と突然、不平を申し立てて米側と再交渉に持ち込み、比率を改善させるハプニングも。
 その後、ボルティモア、フィラデルフィアを経て最大都市ニューヨーク入り。サムライへの好奇心で始まった新聞報道もやがて熱を帯び、関心は市民にも広がった。
 中でも最後の訪問地ニューヨーク市の歓迎ぶりは群を抜き、騎兵隊ら七千人を動員する大パレードを実施。一万人規模の舞踏会まで開催した。
 詩人ホイットマンは地元紙に「ブロードウェーの行進」という詩を寄せた。
 一行の肌の色は「赤銅色」と表現されたが、パレードで目立った妨害や差別的言動はなかったようだ。

◆一等国入り
 日米修好通商条約といえば、日本では治外法権を押しつけられ、関税自主権を否定された「不平等条約」として知られる。倒幕の動きも加速した。
 「黒船」の圧力で日本の鎖国をこじ開けたはずの米国だが、当時の報道によると、米国側は「武力によらず貿易を推進した」と、全く違う自己評価をしていた。使節団を英雄扱いした背景には、こうした評価もある。
 「平和の意思と善意で貴国を訪れたペリー司令官も、貴国での米国代表のハリス領事も、ここニューヨークの市民なのです」
 日本での混乱を知ってか知らずか、ニューヨーク市のウッド市長は歓迎式典でこうあいさつ。さらに「私たちに優越感をひけらかす欧州も、戦争や脅迫なしで貿易拡大は可能だと学ぶだろう」と続け、欧州の帝国主義政策を批判した。
 「米国の商業力は、列強の武力にも屈しない東洋に認められた」。ニューヨーク・タイムズ紙も社説で、日本が公式使節団を真っ先に米国に派遣した意義を解説した。
 当時、ニューヨークも、ロンドンやパリから見れば辺境だった。使節団は単なる東洋の島国からの訪問でなく、「一等国入り」を目指す米国のプライドをくすぐる大事件だったというわけだ。

    ◇
 使節団訪問百五十周年を記念し、ニューヨーク市博物館は在ニューヨーク日本総領事館と協力して、六月二十五日~十月十一日、当時の資料を集めた特別展「サムライ・イン・ニューヨーク」を開催する。


ブックレビュー
【書評】『幕末維新に学ぶ現在』山内昌之著
政界混迷にタイムリーな一冊

 永年「産経新聞」を愛読しているが、2009年3月から楽しみが倍加した。山内昌之氏の「幕末から学ぶ現在」の連載が始まったからだ。
 今回、再読したことになるが、巻を措(お)く能(あた)わず読了させられる著者の筆力と説得力に改めて驚嘆させられた。
 吉田松陰、岩崎弥太郎、松平容保(かたもり)、徳川慶喜(よしのぶ)、大久保利通、河井継之助(つぎのすけ)、坂本龍馬など53人の生き方を学びながら現代の政治家に重ね合わせて検証する本書に、読者はさぞや啓発、啓蒙(けいもう)されるのではなかろうか。
 以下に具体的な記述を引く。
 「小松の業績は、現代の政治改革にも剛胆さとともに緻密さが必要であり、多士済々の議論をまとめる政治家には変革への情熱を人格面でも分け隔てなく包容する大きな器が欠かせないことを教えてくれる」=小松帯刀(たてわき)=
 「彼の悟達は晩年に詠んだ句がよく示している。“琴となり下駄となるのも桐の運”。いま世襲議員の功罪がしきりに取り沙汰されている。社会で堅実な下積み経験を持たず官庁や企業の採用試験も受けずに二十代で家業として政治家を継ぐ若者には、世襲を擲った忠崇の心意気とまではいわぬが、せめて一時でも“桐の下駄”となる試練だけは味わってほしいものだ」=林忠崇(ただたか)=
 「ところで、尾去沢銅山事件は、旧南部藩つまり岩手県にまつわる事業である。政治的にはそれなりの人物だった井上は、ついに宰相の地位に手が届かなかった。小沢幹事長に『井上馨をどう評価するか』と尋ねてみたい有権者はさぞかし多いことだろう」=井上馨(かおる)=
 著者はイスラーム研究の第一人者として名高いが、古今東西の歴史に通じた碩学(せきがく)であることを本書は呈示して余りある。その蘊蓄(うんちく)、含蓄ぶりにはいつもながら感服させられるが、日本国の政界が混迷を深める中で、警鐘を鳴らすタイムリーな本書が一人でも多くの人々に読まれることを願わずにはいられない。
 上梓(じょうし)に際し加筆したことによって、格段と読み応えを増した。併せて評価したい。(中央公論新社・1890円)

 評・高杉良(作家) 

 毎週木曜日にニュース検索でかかってくるのを楽しみにしている連載が本になりました。
 昨日、歴史好きの針灸の先生と雑多な話をしていた時に幕末の歴史関係で面白い著作者を訊かれ、山内氏の著作を挙げました。



PR
この記事にコメントする
           
お名前
タイトル
メールアドレス
URL
文字色
絵文字 Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
コメント
パスワード   コメント編集用パスワード
 管理人のみ閲覧
この記事へのトラックバック
トラックバックURL:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新コメント
[12/14 白牡丹(管理人)]
[12/14 ゆーじあむ]
[11/08 白牡丹(管理人)]
[11/07 れい]
[01/21 ゆーじあむ]
[11/15 白牡丹@管理人]
[11/15 ゆーじあむ]
[05/25 長谷川誠二郎]
[07/23 白牡丹@管理人]
[07/23 伊藤哲也]
最新TB
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
プロフィール
HN:
白牡丹
性別:
非公開
自己紹介:
幕末、特に新選組や旧幕府関係者の歴史を追っかけています。連絡先はmariachi*dream.com(*印を@に置き換えてください)にて。
バーコード
Livedoor BlogRoll
本棚
Copyright ©  -- 白牡丹のつぶやき --  All Rights Reserved
Designed by CriCri / Material by White Board

忍者ブログ  /  [PR]