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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 去年は爆破予告でパレードが中止された「ひの新選組まつり」、今年は無事に行われたようで重畳です。そして今日は函館で土方歳三コンテスト、明日は五稜郭祭りパレード。蝦夷の今年の桜はちょっと遅いようで、パレードに花を添えられるかしら。
 そして、壬生浪士組の歴史に突如あらわれた谷右京って何者……そして、どのようにして壬生浪士組から消えたのか(汗)。

歴史
新選組前身のナンバー3か 壬生浪士組の谷右京、複数文献に
 新選組の前身「壬生浪士組」に谷右京という幹部がいたことを複数の文献から歴史研究家が確認した。局長の芹沢鴨、近藤勇に続いて名前が記載されたものがあり、「ナンバー3だったのではないか」とみている。砲術に秀でており、浪士組離脱後も研究を続け、自作の防弾盾を万国博覧会に出品したとされる。

 山口県文書館が保存する「上京有志姓名録」には、1863年に江戸から7組に分かれて京都に向かった浪士組隊士200人強の名前、出身、年齢などが記されている。谷は5番組の2番目に名前があり、丹波柏原藩(現兵庫県丹波市)元藩士で63歳とされている。

 京都での会津藩の動静などが書かれた「文久元治亥子太平録」(福島県会津若松市立会津図書館所蔵)では、「壬生浪士頭」として芹沢、近藤の次に「丹波産 谷右京」と出てくる。幹部として、名前が記載されているのは3人だけだった。

 谷が浪士組を離脱した理由は不明だが、1881年に漢学や医学などに詳しい学者蒲生重章が編さんした「近世偉人伝」に、かつて谷右京と名乗っていたとして、谷水石の名前で離脱後の活動が紹介されている。

 偉人伝によると、谷は黒船来航などをきっかけに独学で外国製と同じ仕組みの銃を開発したほか、車楯(くるまだて)という羽毛製の防弾盾を作った。幕臣・勝海舟の援助を受けて車楯を1873年のウィーン万国博覧会に出品したという。

 これらの文献を分析した歴史研究家あさくらゆうさんは「浪士組が砲術を用いていたことは分かっていたが、師範役は不明だった。谷がその役割を担っていたと十分に考えられる。志を忘れず、砲術の研究を続けた先見性のある人物だったのだろう」と話している。

 浪士組は薩摩、会津両藩と御所を警護し、長州藩などを追放した1863年の「八月十八日の政変」の功績が認められ、新選組を名乗ることが許された。新選組は今年で結成150年。〔共同〕


北海道
高3「土方」が優勝 五稜郭祭で寸劇競う
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で18日、「箱館五稜郭祭」が始まり、新選組副長の土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストが開かれた。26回目のことしは、北海道函館工業高校3年の河野憲嗣君(17)が初出場で優勝した。

 寸劇は、新政府軍に包囲され、敵に撃たれて倒れる設定。参加者は、独自のセリフや動きで土方らしさをアピール。実戦さながらの切り合いを演じる姿に、詰めかけた約400人の観客からはどよめきも起きた。一方で、倒れる直前に「死にたくない」とつぶやき、笑いを誘う出場者も。

 河野君は「多摩は今ごろ新緑が見事だろう。近藤さん、2人で見に行きましょう」という死に際のセリフを披露。「土方歳三の新選組に対する思いや近藤勇との友情を意識して、悩みながらセリフを考えた。優勝できて本当にうれしい」と満面の笑みだった。コンテストには道内のほか、東京都や愛知県、岡山県から男女計17人が参加した。

 その土方のセリフ、目頭がじわっときました……(;_:)

箱館五稜郭祭で寸劇競う 高3「土方」が優勝
 戊辰戦争最後の舞台となった北海道函館市で18日、「箱館五稜郭祭」が始まり、新選組副長の土方歳三になりきって寸劇を披露するコンテストが開かれた。26回目のことしは、北海道函館工業高校3年の河野憲嗣君(17)が初出場で優勝した。

 寸劇は、新政府軍に包囲され、敵に撃たれて倒れる設定。参加者は、独自のセリフや動きで土方らしさをアピール。実戦さながらの切り合いを演じる姿に、詰めかけた約400人の観客からはどよめきも起きた。一方で、倒れる直前に「死にたくない」とつぶやき、笑いを誘う出場者も。


土方歳三になりきるコンテスト
箱館戦争で戦死した新選組の副長、土方歳三になりきり、演技力や思い入れの強さを競うユニークなコンテストが北海道函館市で開かれました。

このコンテストは、戊辰戦争の舞台になった五稜郭の歴史を語り継ごうと開かれている「箱館五稜郭祭」のイベントの1つとして毎年行われています。
ことしは、北海道をはじめ東京や岡山などから男女17人の土方歳三ファンが参加しました。
参加者は、新選組の羽織や当時の軍服などに身を包み、土方歳三になりきって、銃弾に倒れる最期の場面を演じました。
審査のポイントは、セリフの独創性など土方への思い入れをどう表現するかで、ことしは、初出場の函館市内の高校3年生、河野憲嗣さん(17)が優勝しました。
河野さんは「やったという気持ちです。1か月ほど前から練習を重ねてきたので、仲間に感謝したい」と話していました。
優勝した河野さんは、19日に行われるパレードに、土方役として参加することになっています。


宮城
亀の子岩を新調 七ツ森・笹倉山の道しるべ
 宮城県大和町七ツ森の主峰、笹倉山(別名大森山、506メートル)中腹にある亀形の「亀の子岩」が新しくなった。従来の岩は約150年前に刻まれたとされ、風化による損傷がひどかった。地元住民が二つの亀の像を奉納した。
 亀の子岩は戊辰戦争(1868~69年)から帰還した地元住民の故吉川恭輔氏が、地域安寧を願って岩肌に亀の姿を刻み、山頂に祭られている薬師如来に献じたと伝わる。現在は登山者を和ませる道しるべとなっている。
 岩は軟質でもろく、地元住民が数年おきに修繕してきた。最近は急速に風化が進み、消滅が危ぶまれていた。
 新たな亀の像は硬い御影石で、一つが全長1メートル、もう一つが70センチ。ともに大和町宮床の無職草刈恒夫さん(83)、宮床郵便局長戸津光郎さん(64)が奉納した。
 いずれも8日の山開きで登山者に披露された。山頂を目指す途中に立ち寄った人たちは早速、亀をなでたり、甲羅に水をかけたりした。
 草刈さんは下見や設置作業で計10回、笹倉山に登ったといい、「憩いの像として長く愛されればうれしい」と期待。戸津さんは「先人の願い同様、これからも地域の安泰を見守ってほしい」と話している。


福島
県立博物館で「八重の桜」展が開幕
 
「ハンサムウーマン」と称された会津出身の新島八重と戊辰戦争の敗戦を乗り越えた会津人の姿を通して県民に復興のメッセージを伝える「NHK大河ドラマ特別展『八重の桜』福島展」は17日、会津若松市の県立博物館で開幕した。大河ドラマで大山捨松役を演じる水原希子さん、山川健次郎役の勝地涼さんが来場し、開会式に花を添えた。
 開会式では佐藤雄平知事は「新たな時代を切り開いた八重に復興へ歩む県民の姿が重なる。『八重の桜』を追い風に復興を加速したい」とあいさつ。水原さんと勝地さんもあいさつし大役を演じる意気込みを披露した。関係者がテープカットし、水原さんと勝地さんは開幕を待ちわびた市民や大河ドラマファンと握手を交わすなど、来館者を笑顔で迎えた。
 開会式に先立ち行われた来賓向けの内覧会では福島民友新聞で「京に咲く八重 息づく会津の心」を連載する同志社社史資料センター社史資料調査員の小枝弘和さんをはじめ特別展の企画委員が佐藤知事、水原さん、勝地さんを案内した。
 水原さんと勝地さんは報道陣の取材にも応じ、水原さんは「元気を与えようと思って福島に来たが、福島人の笑顔に逆に元気をもらった。ドラマでは皆さんにパワーを送れるような芝居をしたい」と話した。
 特別展は県立博物館とNHK福島放送局などの主催で7月3日まで開催。八重や八重が生きた時代の貴重な資料約200点を展示する。時間は午前9時30分~午後5時。観覧料は一般・大学生1000円で高校生以下無料。


<戊辰戦争>青龍隊袖章の絵柄わかった 子孫宅から采配など発見 会津若松市に寄贈
 福島県会津若松市は15日、戊辰戦争を戦った旧会津藩の青龍隊幹部の子孫から、同隊の印が入った袖章や、指揮に使った采配など史料約170点の寄贈を受けたと発表した。

 青龍隊は同藩が1868年に新政府軍との戦いを前に、少年兵による白虎隊などと併せて組織した部隊。36~49歳の藩士で構成し、国境守備に当たった。史料は同隊の士中三番隊長を務めた木本慎吾の東京在住の子孫宅から見つかった。

 袖章は絹布に赤や青の印をあしらったもので、青龍隊の袖章の絵柄が初めて明らかになった。同藩の一部部隊の旗や袖章の図を記した古文書も見つかったが、同隊などの結成前のもので、白虎隊の袖章の絵柄は判明しなかった。

 白い毛を長さ約30センチの柄の先に束ねた采配は、入っていた袋に「戊辰之役越後表戦場デ使用シタル」と記されていた。また、安土桃山時代に領主だった蒲生氏郷が使用したと説明書きが付いた木製の笛も見つかった。

 同市教委の担当者は「ドラマなどに想像で描かれてきた当時の会津藩士の本当の姿が明らかになった。古文書の内容などの研究をさらに進めたい」と話す。10月に同市での芸術イベントで展示公開する予定。【乾達】


会津藩士の「袖印」発見 戊辰戦争時に着用か
 旧会津藩士木本家の子孫から会津若松市に贈られた古文書や武具の中から、木本家9代目の木本成三(慎吾)が戊辰戦争時に身に着けていたとみられる袖印が見つかった。同市が15日、発表した。
 袖印は戦いで敵、味方や階級を識別するために身に着ける。見つかった袖印の包み紙に木本の名が書かれており、由来が分かる会津藩士の袖印が見つかったのは初めて。
 ほかにも夜間の戦いで使う提灯(ちょうちん)の仕様が書かれている古文書など貴重な品々が見つかり、市は「会津藩の武家の実生活を物語る重要な資料」と位置付けている。


暗殺の長州藩士世良修蔵まつる 福島稲荷神社が墓整備
 戊辰戦争の官軍参謀として会津藩討伐を強行に主張し、滞在中の福島市内で暗殺された長州藩士世良修蔵(1835~1868)をまつった墓の整備工事が、9日までに完了した。墓は同市の福島稲荷神社(丹治正博宮司)境内にあり、墓を管理してきた同神社が改修。NHK大河ドラマ「八重の桜」では世良の暗殺シーンが6月中に放送予定で、同戦争を通じた同市と新島八重を結ぶエピソードに、多くの来訪が期待されている。
 墓は、戊辰戦争後に福島入りした官軍が慰霊碑として建立した「官修墳墓」。世良のほか、長州藩士4人の名前が刻まれている。建立場所が同神社の隣接地という縁もあって管理を委託され、戦後は境内に移された。暗殺時に血がついた石を葬ったものという。同神社が今年3月から整備工事を始め、4月の半ばに完了した。門扉や塀などを改修し、新たに説明板を設置した。
 世良は会津討伐の強硬論者で、同市北町の旅籠(はたご)「金沢屋」に宿泊中、会津藩の救済嘆願をしていた仙台、福島の両藩士によって襲撃され、阿武隈川の河原で斬首された。
 同神社は毎年春と秋の彼岸に、慰霊祭を行っている。丹治宮司によると、墳墓に花を手向ける人は絶えず、世良の出身地の山口県から訪れる人々は、敵地で没した世良が手厚く地元の人々によって慰霊され続けていることに驚き、感銘を覚えるという。
 近年は「歴女」と呼ばれるような歴史愛好家が訪れるなどし、来訪者は増えているという。「八重の桜」のほか、6月1、2の両日、同市で開かれる東北六魂祭(ろっこんさい)効果で県内外からの観光客も増えることが予想される。
 丹治宮司は「亡くなった方には等しく慰霊し、墳墓を守ってきた。県外だけでなく、市内の人にも墳墓を再認識してほしい」と話している。


バス「新島八重と幕末歴史号」毎日運行スタート JR東、新白河-若松間で
 JR新白河駅と会津若松駅を結ぶJR東日本のびゅうばす「新島八重と幕末歴史号」の毎日運行が11日から始まった。同日、白河市の小峰城跡で歓迎セレモニーが行われた。
 首都圏からの観光客約30人を前に鈴木和夫市長が「歴史のまち白河の魅力を多くの人に広めてほしい」と歓迎の言葉を述べ、草野幸雄JR新白河駅長があいさつした。
 観光客には市内で使える1000円分の買い物券と観光パンフレットが贈られた。一行はツーリズムガイド白河のボランティアの案内で城跡や集古苑を見学した。
 バスは今年度から土日曜日の運行がスタートしていた。毎日運行は9月30日まで。小峰城跡のほか下郷町の大内宿、会津若松市の鶴ケ城などを巡る。運賃は4500円で、予約が必要。

( 2013/05/12 10:27 カテゴリー:主要 )


戊辰の袖章など170点寄贈 若松市に会津藩士の子孫
 市教委によると、袖章や采配などは敵兵が持ち帰ったり散逸したりしており、会津藩が戊辰戦争で使ったものが残されているのは珍しい。主力部隊の一つ、青龍隊のうち上級藩士による士中隊の隊長を務めた木本慎吾(1839~1903年)の遺品で、保管していた東京の子孫から贈られた。慎吾は会津戦争の「一ノ堰の戦い」で負傷し、その後、斗南藩(現青森県むつ市)に移った。
 袖章は所属や階級が分かるよう武士が袖に着けた布。寄贈されたのは縦16センチ、横7センチの絹製で、包んでいた紙に「明治元年会津戦争ノ折 木本成三青龍隊袖印」と記されている。慎吾が着けていたとみられる。鮮やかな模様や線が示す意味は不明だ。
 采配は隊長が軍の進退を指揮するために使う道具。会津塗とみられる柄や先端の白い毛をまとめる金具など、ほとんど会津で作られたという。包んでいた袋には「九代慎吾成章戊辰之役越後表戦場デ使用シタル采配」と記されている。
 このほか、古文書「新御備組目印麁絵図」は各隊の旗や袖章、ちょうちんの模様の違いを絵入りで解説している。慎吾らが書き写して出陣の際に参考にしたとみられる。
 市教委文化課の近藤真佐夫主幹は「当時の軍制や工芸技術を知る貴重な資料」と話す。今後詳細に分析し、一般公開を検討する。



千葉
流山の名物 並べてPR 商工会館に「棚ショップ」
 小さな棚スペースから物産品や手作り作品の発信を-。流山商工会議所は、商工会館(流山市流山二)一階サロンで、こんな「棚ショップ」を開設した。「流山市を訪れた観光客らに地元物産などを紹介し、街の良さも知ってもらおう」というのが狙い。 (川田栄)
 棚は職員が手作りした木製で、一つ当たりのスペースは幅六十センチ、高さ二十七センチ、奥行き三十センチ。この大きさの棚が縦横に五段ずつ計二十五個並ぶ。有料で提供し、商工業者は物産のPRと販売に、市民は趣味の作品を発表する場としても使える。一番下の一部以外は借り手がつき、ガラス工芸品や歯ブラシ、飲めるみりんなど、さまざまな品物が並んでいる。
 商工会館がある流山本町地域は、かつて江戸川の舟運とみりん製造で栄え、明治時代の土蔵などが点在している。こうした古民家が観光施設やレストランに活用され、近くに新選組の「近藤勇陣屋跡」などもあることから市内外から訪れる人が増えているという。
 このため会議所は、四月から一階サロンを観光客らの休憩場所として平日だけでなく、土曜と休日にも開放してきた。「せっかくサロンを訪れる人がいるのだから、流山を宣伝する場にもなれば」(担当者)と、五月から棚ショップの運営を始めた。
 棚を借りるには初回登録料千円のほか、賃貸料が一スペースにつき月額千円(一部除く)が必要。物品を販売する場合、売り上げの10%が会議所の手数料となる。


埼玉
越谷をPR・滝野川新選組まつりで
 越谷時代まつりの実現をめざす会(広瀬知也会長)が4月28日、昨年に引き続き、板橋駅前で行われた「滝野川新選組まつり」でブースを出展。越谷をPRした。地場産業のだるまやひな人形、越ヶ谷秋まつりの山車などの紹介をはじめ、伝統ある越谷をPRしようと「日本の心の聖地 越谷」と題し、ゴールデンウイークに行われた「越ヶ谷宿の甲冑めぐり」や、中野形染の灯篭、国民健康保険発祥などを会場で説明した。
 ステージでは忍術道場の越谷武神館の演武もあり、広瀬会長の娘の小学校4年生の鈴音さんが大人を投げる技を見せ、大いに会場を沸かせた。同めざす会は、日光街道沿いの自治体と協力して観光振興しようと各市と連携しており、草加市、春日部市、幸手市の観光パンフレットも配布した。


東京
「ひの新選組まつり」 パレードに最多1300人
 日野市の街おこしイベント「第16回ひの新選組まつり」(実行委員会主催)が12日、JR日野駅東側の甲州街道や高幡不動尊の参道などで開かれた。新選組結成150周年と市制施行50周年を記念し、初めて甲州街道の一部500メートルを歩行者天国に。市制50周年記念の参加者も加わり、過去最多の延べ1300人(主催者発表)がパレードした。 (阿部博行)
 恒例の隊士パレードには延べ八百人が参加。十一日の「隊士コンテスト」で応募者三十二人の中から選ばれた十三人が、近藤勇局長や地元出身の土方歳三副長、井上源三郎・六番組隊長ら幹部隊士に扮し、勝ちどきをあげながら行進。馬上の近藤勇役と土方歳三役にはファンが多く、沿道の市民らが盛んにシャッターを切っていた。
 市制五十周年記念パレードも行われ、中学生の合同ブラスバンド隊や隊士に扮(ふん)した保育園児たち、みこしや山車も繰り出し、約五百人が練り歩いた。昨年は爆破予告電話のため午後のパレードが縮小されたが、今年は無事に終了した。
 土方役を務めた笹田千尋さん(22)=新宿区=は「昨年は沖田総司役でしたが、爆破予告騒ぎでゴールできなかった。土方役はプレッシャーを感じたが、沿道の声援に励まされ、やり遂げることができました」と笑顔。
 実行委員長の三浦盛好さんは「ホコ天でみんなが伸び伸びと行進できた。昨年の騒ぎのことがあるので、例年以上に喜びが大きい」と話した。


甲州街道 ホコ天に 「ひの新選組まつり」
 十二日に日野市で行われる「ひの新選組まつり」のメーン行事「隊士パレード」が、初めてJR日野駅東側の甲州街道を五百メートル区間、全面通行止めにして披露されることになった。全国の新選組ファンら四百人が当時の衣装に身を包んで練り歩くとともに、殺陣や勝ちどきなどのパフォーマンスを繰り広げる。「ホコ天」にすることで祭りを一段と盛り上げようと、街を挙げて準備している。 (福岡範行)
 これまでは、土方歳三ら新選組創設メンバーが剣術を磨いた日野宿本陣に近い日野第一小学校から、日野市役所までの二・五キロをパレードしていた。途中の甲州街道は片側のみ通行止めにして通過するだけ。パフォーマンス会場は発着点など数カ所に分散していた。パレード参加者や地元の人からは、甲州街道を歩行者天国にして、イベントを一カ所に集約するよう望む声が上がっていた。
 昨年、街道北側に都市計画道路の迂回(うかい)路が完成。新選組結成百五十周年と市制施行五十周年を記念して、全面通行止めが実現した。
 日野ふれあい商店会の滝本光男会長(76)は「これまでは大勢の人が慌ただしく通り過ぎるだけだった。今回は甲州街道を観客で埋め尽くさないと」と意気込む。おでんやカレーを売り、抽選会も開いて盛り上げるつもりだ。
 ホコ天会場には、江戸時代の街並みも再現する。時代劇用の大手門や和傘付きの休憩所を業者から借りる手はずを整えた。地元の人も積極参加し、かごの担ぎ手やチラシを配る瓦版屋といった町人になりきる。
 心配なのは当日の天気。雨だとパレードも通行止めも取りやめになる。貸衣装は雨にぬらせないためだ。まつり実行委員会の三浦盛好実行委員長(55)は「雨は降らないと信じて突き進む。万が一、雨天中止になっても、活性化のために一丸となったことは無駄にならない」と言い切る。
 通行止めは午前十時から午後三時まで。パレードは午後零時半と午後一時十五分からの二回ある。雨天中止の案内は市役所や観光協会のホームページに載せる。雨でも隊士のパフォーマンスは市民会館で行う。まつりは十一日が初日で、パレードで土方歳三や近藤勇らの役になる人を決めるコンテストを開く。


日野で「新選組まつり」-結成150周年・市政50周年で大規模に
 日野市内の各所を会場に5月11日・12日、新選組をテーマとした恒例イベント「ひの新選組まつり」が行われる。

「ひの新選組まつり」の旗が数多く舞う八坂神社

 今年で16回目を迎える同祭り。毎年、新選組の副長で、武蔵国多摩郡石田村(現在の日野市石田)で生まれた土方歳三の命日である5月11日に合わせて開催。土方の菩提(ぼだい)寺でもある高幡不動尊(日野市高幡)などを会場にさまざまなイベントを繰り広げる。

 今年は1863年の新選組結成から150周年。日野市の市政50周年でもあることから、これらを記念して、日野駅に程近い都道256号線(甲州街道)を初めて全面通行止めにし、メーンステージとして活用。「日野宿会場」と銘打ち、休憩所などで江戸時代の雰囲気を再現するなど盛り上げる。

 土方歳三や近藤勇、沖田総司など新選組各組の組長などをコンテストで選び、各組の隊士と共に練り歩く恒例イベント「新選組隊士パレード」のほか、ライブやスタンプラリーなどさまざまな催しを実施。高幡不動尊では、2004年以来となる「新選組隊士総慰霊法要」が11日に行われるほか、12日には初開催となる「高幡参道きものクイーンコンテスト」も予定する。

 通行止め区間は日野駅前東交差点から川崎街道入口交差点までの約500メートル。両日とも10時~15時。


静岡
「江川邸」入館50万人達成 伊豆の国
 伊豆の国市の国重要文化財「江川邸」の有料入館者数が11日、50万人に達し、同所で記念セレモニーが行われた。
 50万人目となったのは浜松市西区の菅沼国次さん、和子さん夫妻。江川邸を管理する江川文庫の藤井孝俊統括主任らが、幕末に活躍した江川坦庵公の名前を冠した酒や江川邸の資料など記念品を手渡した。
 家族旅行で立ち寄ったという菅沼さんは、「まさかと思い驚いた。ゆっくり見学していきます」と笑顔で話した。
 江川邸は、歴代当主が江戸幕府の韮山代官を務めた江川家の屋敷で2001年から有料公開されている。主屋や蔵などが重要文化財に指定されているほか、所蔵する文書や写真約4万点も近く、重要文化財となる見込み。


京都
新選組の刀剣も展示 上京・生谷家、修理終え公開
 京都市上京区室町通鞍馬口下ルにある国登録有形文化財・生谷家住宅主屋の修理が終わり、10日まで一般公開されている。生谷家に伝わる古文書や刀剣、書なども展示している。

 同家は、青物問屋を営んでいた旧家で号は「万(よろず)や」。天明の大火(1788年)で被災し、2階建ての京町家の住宅主屋は明治初期の建立という。老朽化が進んでいたため、梁(はり)を補強し、土壁も塗り替えた。また、庭園を「光臨の庭」と名付けて整備した。

 公開中の主屋では、同家の所蔵品を展示している。幕末に新選組が発注した刀剣や地租改正の折に出された嘆願書など珍しい史料もあり、きれいに修復された住宅で来場者が見入っていた。

 所有者の生谷準之助さん(71)は「茶道やいけばななどの文化サロンとして貸し出し、地域の交流の場にしたい」と話している。

 午前10時~午後5時。入場無料。


橋本左内:処刑前年の書状 貴重な4通、26日まで公開--県立歴史博物館 /福井
 福井出身の幕末の志士、橋本左内自筆の書状4通が、県立歴史博物館(福井市大宮2、0776・22・4675)の特別公開「橋本左内書状-書状から見える幕末の福井と日本」で展示されている。残された自筆書状が少ない、安政の大獄で処刑される前年のもので、歴史的価値が高いという。

 大坂の適塾で蘭学を学んだ左内は、福井藩主・松平春嶽が設立した藩校「明道館(めいどうかん)」の経営に携わり、その後、春嶽の側近として江戸で幕府の改革を訴えるため奔走。しかし、幕府による弾圧、安政の大獄で逮捕され、26歳で斬首された。
 展示の4通は、左内が逮捕される直前の1858(安政5)年5~9月に明道館の元同僚に宛てられた。弾圧が春嶽に及び、福井藩別邸での隠居、謹慎に処された直後の同7月15日付の書状には「臣下の心は痛嘆に耐えかね誠に血涙の至りです」と主君への思いをつづっている。4通は一つの巻物にまとめられ、明治から昭和にかけて活躍した言論人、徳富蘇峰(とくとみそほう)による前文と奥書が添えられている。
 特別公開は他に、横井小楠(しょうなん)や梅田雲浜(うんぴん)ら同時代を生きた福井ゆかりの人物の書状なども展示している。入館料100円。26日まで(22日休館)。【山衛守剛】
5月11日朝刊


石川
前田家当主の寄せ書き発見 金沢の専光寺
幕末維新期の加賀藩前田家の藩主・当主3人が書画を寄せ書きした掛け軸が17日までに、金沢市本町2丁目の真宗大谷派専光寺で確認された。専門家によると、廃藩置県と同年の1871(明治4)年に書かれた可能性が大きい。明治維新で武士の世が終わり、旧藩主の境遇も大きく変わった激動期に、前田家の人々が抱いた心情を伝える貴重な資料という。

掛け軸は縦約1・8メートル、横約90センチ。金沢市玉川図書館近世史料館などが調べた結果、13代藩主斉泰(なりやす)が漢詩をしたため、最後の藩主である14代慶寧(よしやす)が梅、15代当主利嗣(としつぐ)がランの絵を描いていることが分かった。大聖寺藩の14代藩主利鬯(としか)(斉泰の七男)、富山藩の13代藩主利同(としあつ)(斉泰の十一男)、一族の女性も筆を振るい、計12人の筆跡が見て取れる。

軸の上部には清らかで香り高いという意味の「清芬(せいふん)」と「八才」の文字が記されている。石川県立歴史博物館の北春千代学芸主幹によると、斉泰の十二男利武(としたけ)が8歳を迎えた1871年に「清芬」と書き、当主らが寄せ書きしたとみられる。

加賀藩主だった前田家は1871年7月の廃藩置県で東京に去った。斉泰が軸に記した漢詩は「門があっても客は来ず、風が吹き、月が見えるだけである」との内容で、北学芸主幹は「明治維新で前田家の境遇が変わり、斉泰が寂しさを感じたことが読み取れる。病気がちな息子の慶寧を案じる気持ちもあったのだろう」と指摘する。

一方、軸にしたためられた和歌には「栄」や、長い年月を示す「千世」などの言葉が織り込まれ、利武の将来に期待を込めながら、新時代にも前田家が末永く繁栄することを願ったとみられる。

1871年には、慶寧の六女貞姫(とくひめ)が専光寺の養女となっており、軸はその際、寺に渡った可能性がある。吉藤雅人住職(52)が蔵の整理中、裏に「前田家一門」と書かれた軸を見つけ、南砺市の表具店「岩崎精正堂」が修復した。

軸は18、19日に同寺で営まれる親鸞聖人の750回御遠忌法要で公開される。


岡山
高梁ゆかりの偉人紹介冊子 市教委が作製
 高梁市教委は、市出身やゆかりの歴史上の人物をまとめた「歴史人物誌」を初めて作製した。古代から現代までの438人を収録。備中地域の中核として時を刻んだ郷土の奥深さを伝えている。

 幕末に藩政改革を成し遂げた山田方谷をはじめ、江戸期に備中神楽の礎を築いた西林国橋(こっきょう)、県内初の女学校を明治期に創設した福西志計子(しげこ)、明治・大正期に渡欧して絵画収集にも当たった洋画家児島虎次郎ら多彩な偉人の業績を紹介している。

 江戸の大相撲で活躍した関取熊ケ嶽(くまがたけ)、新選組近藤勇局長の養子に一時なった谷周平、中国の文豪魯迅の主治医・須藤五百三(すとういほぞう)ら知られざる人物の記述も興味深い。ゆかりの人物は、高梁で落命した戦国武将山中鹿介、大正期に少年時代を高梁で過ごした作家石川達三、昭和初期に備中松山城を訪れた歌人・詩人の与謝野鉄幹・晶子夫妻らを取り上げている。

 市文化財保護審議会委員ら9人の編さん委員会を設け、旧市史や旧町史などを基にまとめた。

 A4判、138ページ。2千部作った。市内の小中学校、図書館などに配布。希望者は市教委社会教育課(0866-21-1516)へ。


山口
長州ファイブ:渡航150周年企画展 “文明開化”の追体験を あす、紅茶と音楽で英国気分に--光・伊藤公資料館 /山口
 光市出身の初代首相・伊藤博文ら近代日本の礎を築いた「長州ファイブ(長州五傑)」が、幕末に英国へ渡航して今年で150周年。記念の企画展「伊藤博文と杉孫七郎」が同市束荷の伊藤公資料館で開催されている。5人が横浜を出港した12日は午後1時から、来場者に英国気分に浸ってもらう紅茶を振る舞い、音楽でもてなす。英国生まれのからくり人形も登場し、5人が触れた“文明開化”を追体験する一日になる。【蒲原明佳】

 長州藩士の伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三は幕末の1863年、藩命で先進技術を学ぶため英国へ密航した。きっかけをつくったのが杉孫七郎。1861年に幕府の視察に同行し、長州では初めて西欧を訪れた。帰国して藩に西洋の産業や軍事力を報告。5人の英国留学につながった。
 館内には、パネルや藩の公文書、手紙などを展示。杉が西洋で見たものを危機感を持って藩に報告する様子がつづられているほか、5人に力を貸した人々を紹介。5人の旅の様子やその後の人生は9月の展示で詳しく説明する。
 12日は入館無料で、午後1時から紅茶とスコーンをサービス。記念式典では、ひかり吹奏楽団が「威風堂々」「宇宙戦艦ヤマト」などを披露し、当時の命がけの旅立ちを演出する。午後1時半と午後3時40分からは映画「長州ファイブ」(2006年、五十嵐匠監督)を上映する。
 市出身の原田和明さんや英国製のからくり人形(オートマタ)は11日から最終日の26日まで展示。ユニークな動きに、子供たちも楽しめそうだ。
 市文化・生涯学習課は「一介の長州藩士だった伊藤博文の人生を変えた英国留学。子供たちやこれまで資料館に来たことがない方々にぜひ楽しんでほしい」と来場を呼び掛けている。
〔山口東版〕
5月11日朝刊


大分
郷土・偉人漫画本:幕末の剣豪・島田虎之助が登場 中津市、中学の武道必修化で /大分
◇5000冊出版、公立校などへ配布

 中津市が進めている「漫画で見直す郷土の偉人」の事業で、幕末の三剣豪の一人・島田虎之助(1814〜1852年)を取り上げた。12年度から中学で剣道など武道が必修化されたのを契機に、郷土の剣豪・島田をクローズアップさせた。

 島田は「剣は心なり。心正しからざれば、剣又(また)正しからず」の言葉を残しており、弟子の一人に勝海舟がいる。定価700円で5000冊を発行。市内の小中学高校や公民館などに無料配布するほか、一般にも販売する。

 同事業ではこれまでに西洋歯科医の始祖と言われる小幡英之助など3冊を出版している。問い合わせは市立小幡記念図書館0979・22・0679。【大漉実知朗】


熊本
展示会:見る人に新たな発見を 幕末期から現代の八代焼と西山宗因の色紙並ぶ /熊本
 八代に縁のある江戸時代の俳人・連歌師、西山宗因の直筆色紙12枚に、幕末期~現代の八代焼などの陶器を添えた異色の展示会「くまもと・やつしろ 温故知新」が、八代市萩原町の珈琲店「ミック」で開かれている。28日まで。

 西山宗因は八代城主加藤正方に仕えて連歌を学んだ後、関西を拠点に活躍した。色紙は、旅先などで詠んだ俳句を書き記したもので、同市本町の正教寺所蔵。「竹の子は うぢよりふし見 そだちかな」という句にはタケノコを描いた紙が使われるなど、色紙にもセンスが満ちている。
 また、象嵌(ぞうがん)の装飾で知られる八代焼(高田(こうだ)焼)は、幕末期前後の作品とみられる湯のみや小皿、400年の歴史を持つ上野窯の作品や若手作家の新作などが並ぶ。
 八代地域の埋もれていた歴史財産でもある西山宗因の色紙と、日常生活の中で使われている八代焼が並ぶことで、見る人に新たな発見をしてほしいというのが、展示会のコンセプトという。【笠井光俊】
5月17日朝刊

ブックレビュー
大河ドラマで容保ファンになった人には必読の書
王城の護衛者
2013年05月17日 読了
ジャンル :歴史・時代小説キーワード : 松平容保

著者:司馬遼太郎  出版社:講談社 価格:¥ 730
Amazon.co.jp楽天ブックス紀伊國屋書店BookWebTSUTAYA online
 歴史書などで見かける、会津藩第9代藩主松平容保の容姿は、いまだ少年の俤を残した初々しい青年である。
 会津のジャンヌ・ダルクと称され、のちに同志社大学創設者新島襄の妻となった山本八重の生涯をドラマ化したNHK大河ドラマ「八重の桜」でも当然重要な役どころとなっている。
 演じるのは、新鋭の綾野剛。写真で見る容保に、雰囲気はそっくりだ。
 容保役に綾野剛を配役したのはNHKの手柄といっていい。

 この物語は、松平容保の人間像を描いた司馬遼太郎の歴史小説である。
 雑誌「オール讀物」3月号に大矢博子の「この新撰組小説がすごい!」という記事があった。その中で、新撰組全体がわかる背景として推奨されていたのが、この物語だ。
 司馬の作品ではあくまでも容保の生涯を追っているが、大矢いわく、「どのような状況で新撰組が会津藩お預かりとなったのか、それが何を生んだのかがよくわかる」としている。
 但し、これはいささか過剰な評価だろう。
 この物語は純粋に、松平容保がいかに幕末という時代に翻弄されたかを描いたものとみていい。

 「オール讀物」のこの記事では、司馬がこの小説を書いて松平家ののちの当主からお礼の電話をもらったというエピソードが紹介されている。
 賊軍として会津藩の崩壊とともに降伏した容保だが、先の孝明天皇からどれほど慕われていたかが、司馬の感情を抑えた文章でもよくわかる。
 維新後、生き残った容保が孝明天皇からの書面を肌身離さず持っていたというエピソードを最後に持ってきたのは、司馬のロマン嗜好の現れだろう。
 徳川慶喜に対する恨みだけでなく、それほどに自分に信頼を寄せてくれた孝明天皇の期待に応えられなかった自身の不甲斐なさ。けれど、それにあまりある天皇の書面の温かさは、晩年の容保の拠り所だったにちがいない。

 司馬作品としては短編小説に属するこの物語は、容保の初々しさだけでなく、慶喜の性格の厭らしさをよく描いている。
 ちなみに、司馬は代表作の一つである『街道をゆく』の「白川・会津のみち」の中でも「容保記」という章を設けている。


エンターテインメント
近藤勇と龍馬が友人の大河ドラマ「設定」はデタラメではない
 NHKの大河ドラマの新シリーズが放映されると、必ず「事実と違う」と指摘される点がでてくる。しかし、一見、突拍子もないようにうつるドラマの「設定」も、実はデタラメとは言い切れない。みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が解説する。

 * * *
 NHK大河ドラマを見たのがきっかけで、歴史が好きになったという人は多い。よくよく聞くと、専門の歴史学者にも、その手の元歴史少年(少女)が少なくない。

 だからこそだろう。大河ドラマは「フィクションを描いてはいけない」という意見をよく目にする。しかし、歴史上の人物のすべての行動、発言、人間関係、思想がわかるはずがないのは、いまさら言うまでもない。あらゆる歴史書や記録に目を通しても、どんな歴史学者に学ぼうと、フィクション抜きにドラマを描くことは不可能なのだ。

 しかし、天下のNHK、天下の「大河ドラマ」なのだから、できるだけウソは描かないで欲しいというのは理解できる。制作者側もそれは十分に理解していて、歴史上の人物が「いつ、どこで、何をしたか」という確定的な事実はできるだけいじらない。

 ただし、どこで何をしていたのか確定できない部分、いわゆる史実の隙間に創作を盛り込んで、ドラマとしての独自性を打ち出したいと、〈篤姫〉や〈新選組!〉を担当したプロデューサーの屋敷陽太郎さんは折に触れ語っている。

 平成16年(2004)に放送の〈新選組!〉は、香取慎吾演じる主人公の近藤勇が、実は京都に上る前から坂本龍馬と親しい友人だったという「設定」だった。これはもちろんフィクションだが、いち早く新聞、雑誌などがこの「設定」に反応し、さまざま識者が「史実と違う」と発言したためか、〈新選組!〉には史実をないがしろにするデタラメなドラマだというイメージがついてしまった。

 確かに近藤と龍馬が友人だったことを示す資料や記録はない。しかし両者に接点はなかったのか、知り合いであった可能性は本当にゼロなのか。

 新選組は、幕府が浪士を集めて作った特殊部隊。その母体となった浪士組の結成に当たり、幕府は江戸の剣術道場などで名を挙げていた志士たちをリストアップし、浪士組への参加を募っていた。

 そのリストには、平野国臣(くにおみ)や真木和泉(まきいずみ)、久坂玄瑞(くさかげんずい)といった尊王攘夷派の志士たちと並び、坂本龍馬の名前も挙がっていた。

 この事実を指摘したのは、〈新選組!〉の時代考証に「資料提供」という形で参加した歴史学者の三野行徳(みのゆきのり)さんだった。

 結論から言えば、龍馬は浪士組には参加せず、独自の路線を歩んだわけだが、ひとつ間違えば浪士組に参加して、近藤勇と同僚になっていたかもしれないのだ。

 龍馬にしても近藤にしても、当時、黒船来航以来の国難によって覚醒した青年たちだった。彼らは剣術で腕をみがき、社会情勢に注目し、最先端の尊王攘夷思想を掲げるオピニオンリーダーでもあった。彼らは互いの交流の中で切磋琢磨し、人脈を築いていった。とすれば、彼らが友人だったという「設定」は、けっして突拍子もないデタラメなどではないのだ。

 従来、龍馬と近藤は「好敵手」として扱われてきた。だから友人だったとする「設定」に違和感が持たれ、「時代考証がなってない」とされたわけだが、より深く歴史を理解するならば、それが「あったかもしれない」可能性が見えてくる。時代考証は、一筋縄ではいかないのだ。

■安田清人(やすだ・きよひと)1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。

※週刊ポスト2013年5月3・10日号

 『新選組!』好きな人はたぶんその点については寛容だと思います。史実で否定されない限り、そういう設定でもフィクションとして説得力があれば「いいんじゃないでしょうか」と思う人が『新選組!』好きの芯にあると思います。

【注目アプリレビュー】『薄桜鬼』の真のトキメキは日常でこそ感じられる!
日常にあるトキメキで心をあたためませんか?

いきなりですが私たちの日常は、そうそう剣を握って戦ったりするような事件は起こりませんよね。真のトキメキは、日常で感じ取るものではないでしょうかっ! ……と、ライター岩崎ちょっとアツくなってしまいました。久しぶりに乙女ゲームのレビューなので、気合いがボーダーを超えているようです。今回ご紹介するタイトルは、『薄桜鬼 懐古録』です。多くの女性を泣かせた人気タイトル『薄桜鬼 ~新選組奇譚~』のファンに向けたアナザーストーリー。新選組隊士との日常が語られています。あたたかい、だけどちょっと切ない気持ちを味わってください。



●たまにはみんなでお茶でも飲みましょう

本作は、お話が数巻にわかれています。まずは序巻からプレイしてみましょう。何事もない、ごくふつうの一日。掃除の最中、主人公は山崎さんに呼び止められます。彼はこれまでの、新選組の活動や隊士たちの記録をつけようとしているとのこと。そういうことであれば、集まって話すのがいちばん早い! ということで、お茶を飲みながら思い出話をすることになりました。

▲指1本タッチで進む、1本長押しで自動進行、2本タッチでメニュー呼び出し……など、操作がものすごくスムーズです!

▲記録をつけるために、思い出話で過去を振り返るという形式で、本作は進んでいきます。

▲お茶を飲みながら話を……ということに。

▲続々とみんなが集まってきました。この雰囲気、つい目が細くなりますね。
こうやってみんなが集まり、お茶を飲みながらゆっくり話をするなんて、珍しいこと。主人公は、平助君や原田さんの手を借りて、お茶の用意をしました。穏やかで貴重な日常が始まります。

▲ここからは、あらすじを参考に遊びたい巻から購入することができます。

▲私は順番通り派ですので、巻ノ一を選びました。

▲読み進めると、ときどき選択肢が出現します。

▲それぞれ、別のお話に繋がっていますので、ぜひすべて読んでください!
巻ノ一は、主人公が屯所で暮らすようになってから数ヵ月のころのことが語られます。ただ居るだけというのも申し訳なく思った主人公は、屯所の手伝いを始めます。そんな主人公の様子を見守る隊士たちは……。まだ完全に打ち解けていない、手探りでお互いを理解しようとしている主人公と隊士たちが初々しいです!

▲俺の部屋へ来い? いきなり大胆なシーンが出て来ました! ええ行きます、行きますとも。

▲まだ信頼が得られず、外出を許されない主人公。そんなとき、沖田さんが主人公を、意外な場所に連れ出します。意外な一面が見られますよ!

▲巻ノ二では、池田屋襲撃の裏側を見てみましょう。

▲原田さんを追うと、秘められていた命を巡るドラマが展開されます。
●読み物以外のコンテンツでもドキドキ!

読み進める合間に、ぜひ動画や人物紹介といったコンテンツも楽しんでください。こちらは、メニュー画面から無料でいつでも見ることができます。人物紹介を眺めているだけで、かなり長い時間ニヤニヤできると思いますよ!

▲オープニング、クレジットムービーは吉岡亜衣加さんによる歌が流れます。私はダウンロード以来、毎日再生しています!

▲人物紹介では、サンプルボイスの試聴もできます! しかもこのサンプルボイス、セリフが甘~い。再生ボタンを連打です!

▲一巻クリアするごとに、懐古絵図に隊士が一人ずつ現れます。もちろん、全巻クリアすると全員揃うとのこと。全員揃った画像はそのまま、隊士たちとの思い出の証ですね。
分岐でいくつかのお話が読めるうえに、全編フルボイスですから、一巻でたっぷり楽しめますよ。本作とはぜひ、長いお付き合いをしてください。ゆっくり、隊士たちと思い出を振り返り、気がついたら懐古絵図が賑やかになっていた……という遊びかたをしていただきたいです!

 巻之三以降、楽しみにお待ちしております。
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