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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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 今日は箱館五稜郭祭のニュースが多めです。

北海道
雑記帳:5年ぶり3人目の女・土方歳三 五稜郭祭コンテスト
◇戊辰戦争最後の地、函館市で18日、恒例の「箱館五稜郭祭・維新行列」が行われ、前日の「土方歳三コンテスト」で優勝した東京都日野市の会社員、伊藤麗子さん(35)が「雄姿」を見せた=写真。
 ◇佐幕派だった新撰組副長の土方は最後まで旧幕府軍を率いて五稜郭に立てこもり、流れ弾に当たって最期を遂げたとされる。土方と同じ現在の日野市出身の伊藤さんにとって、土方はいわば「郷土の英雄」。
 ◇コンテストには4年連続で参加し、女性としては5年ぶり3人目の栄冠を手にした。「鬼の副長」をイメージしていた観客も優しい笑顔にうっとり。【昆野淳】


「箱館五稜郭祭」開幕
 戊辰(ぼしん)戦争の最後の戦地・五稜郭を題材にしたイベント「第39回箱館五稜郭祭」(同祭協賛会主催)が17日、開幕した。官軍にふんした一行が、戦没者の祭られている函館市内5カ所を巡る碑前祭を皮切りに、五稜郭タワー(同市五稜郭町43)の1階アトリウムでは「2008(第21回)土方歳三コンテスト全国大会」が行われた。新選組副長の土方になりきった名演技が、会場を沸かせた。
 碑前祭では、官軍総参謀の黒田清隆役を務める中野豊同祭実行委員長をはじめとする総勢約40人が午前10時、中島三郎助父子最後の地碑(中島町)を訪問。このほか、碧血碑(谷地頭町1)や土方歳三最期の地碑(若松町33)、「開城会見の地」・亀田八幡宮(八幡町3)、同タワー前の箱館戦争供養塔を巡り、祭文の奉上や献花をして戦死者の冥福を祈った。
 午後1時半からは同タワーアトリウムで、土方歳三コンテストが開催され、道内外から応募のあった女性5人を含む17人が出場。6人の審査員が出場者の容姿やアピール度などの選考基準に沿って、真剣な表情で見極めた。
 審査の結果、東京都日野市の会社員伊藤麗子さん(35)が、過去21回で3人目となる女性の優勝者に輝いた。土方の生誕地と同じ伊藤さんは4年連続の出場で、「思いを込めて演じ切れたのが評価されたのでは」と振り返り、「温かく送り出してくれた友人に、ようやく報いることができた」と感激の涙をぬぐっていた。
 最終日の18日は午後1時に、地元の中学・高校8校による音楽パレードが千代台公園を、維新行列が中島町廉売通をそれぞれ出発。行啓通では両軍による白兵戦が再現され、同3時ごろからは五稜郭公園内で開城セレモニーを行い、2日間を締めくくる。


箱館五稜郭祭閉幕 「維新行列」迫力の白兵戦
 第39回箱館五稜郭祭(同協賛会主催)は18日、函館市の五稜郭周辺でメーンイベントの「維新行列」や音楽パレードが行われ、2日間の祭りに幕を閉じた。榎本武揚軍や明治新政府軍などに扮(ふん)した出演者総勢約950人が街道を練り歩き、沿道の観客は目の前で繰り広げられる時代絵巻を堪能した。
 午後1時、行列は市内の中学・高校9校による吹奏楽の演奏隊を先頭に千代台公園を出発。陣羽織や軍服に身を包んだ両軍も中島廉売から後に続き、五稜郭公園までの約3キロを行進した。榎本軍の開陽丸やペリー艦隊のサスケハナ号の模型には西尾正範市長や畑秀叔渡島支庁長らも乗り込み、沿道の市民らに手を振った。
 本町の行啓通で行われた最大の見せ場「白兵戦」は、榎本軍と新政府軍が撃ち合う大砲を合図に幕開け。鉄砲隊の銃撃や迫真の殺陣(たて)を披露したほか、新選組副長の土方歳三の壮絶な討ち死にの場面では、沿道に詰め掛けた見物客からひときわ大きな拍手を浴びていた。
 最後に一行は、五稜郭公園に移動し、五稜郭明け渡しの模様を再現した「開城セレモニー」を実施。特設ステージでは祝砲や紅白のもちまきもあり、2日間の日程を終えて閉幕した。


福島
戊辰140年を顕彰し7月に企画展/二本松
 戊辰戦争で古里のため命を落とした二本松少年隊の悲劇の歴史がある二本松市で、戊辰戦争から140年目を記念した顕彰事業を、少年隊が奮戦し二本松城が落城した7月を中心に展開する。
 行政と民間が協力し、少年隊士の命を救った「奇跡の天保銭」の140年ぶりの“里帰り”をメーンとする企画展や、少年隊が学んだ藩校「敬学館」の復活など多彩な内容となっている。


熊本
発見!! 高瀬藩主の肖像写真 24日から公開
 リンク先は熊本日日新聞社の記事(閲覧に無料の会員登録が必要)です。
 幕末から明治初期にかけて、玉名に二年間だけ存在した「高瀬藩」の藩主細川利永(一八二九~一九一〇)の肖像写真がこのほど見つかった。玉名市岩崎の市立歴史博物館こころピアが十年来探し続けていた写真で、二十四日に始まる「古写真にみる明治・大正・昭和」展で公開される。六月十四日まで。
 発見されたのは、烏帽子直垂(えぼしひたたれ)姿の肖像写真(縦約十六センチ横約十一センチ)一枚。包んであった紙には「明治十三年三月印刷局において写す」との記述があり、本人直筆の年譜の内容とも合致することから、利永の五十一歳の時の写真とみられる。
 東京の古書展目録に入っていると情報が寄せられ、ほかの人物写真と合わせて計八十枚を八万円で購入した。元々は石州(島根)の松平家が所蔵していたという。
 高瀬藩は一八六八(慶応四)年七月、肥後藩の江戸の支藩「肥後新田藩」が維新の動乱で肥後へ下向した際に誕生した。利永は同藩の十代藩主で、高瀬藩初代藩主。
 廃藩置県前年の一八七○(明治三)年九月、熊本藩が高瀬、宇土の両藩を統合したことで、高瀬藩は藩邸の完成を待たずに短い歴史の幕を閉じた。玉名市には、当時の藩士宅などが残っている。
 利永は写真好きと伝えられ、同博物館が一九九八(平成十)年に開いた「高瀬藩展」の際に肖像写真や本人が撮影した写真などを探したが、見つけることができず、その後も探していた。
 同館職員の村上晶子さん(52)は「写真は玉名市民にとって身近な高瀬藩の藩主がどういう人物だったか、知るきっかけになる。なぜ松平家が所蔵していたのかは今後の研究課題」と話している。(内海正樹)
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