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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日はワンセグで『プチかげ』の先行放送があるので、それを楽しみにしています。前回の女性3人による「女は、好きなら好きとはっきり言って欲しいものなのよね♪」的な結論の後、品川柳次郎君とお有ちゃんの恋は果たしてどうなるのでしょうか……どきどき。

山形
スクスク育って、大獅子ガブリ 酒田まつり
 400年の節目を迎えた「酒田まつり」の本祭りが20日、山形県酒田市中心部で繰り広げられた。人出は約25万人(主催者発表)。沿道には市民や観光客らがあふれ、華やかな山車行列を楽しんだ。
 山車行列は旧松山藩荻野流砲術隊の祝砲に送られて出発。酒田ばやしが響く中、江戸時代の豪商本間光丘が京都の人形師に作らせた亀傘鉾(かめかさほこ)(高さ約5メートル)が6年ぶりに沿道に繰り出した。北前船や傘福の山車、みこしなどが続き、51団体約2500人が練り歩いて盛り上げた。
 酒田のシンボルで、頭部が縦横約2メートル、胴体が約10メートルある大獅子は各所で子どもたちを大きな口でかみ、厄除(やくよ)けをして歩いた。「怖いよ」と泣き出す子も。夜祭りでは高さ約20メートルの立て山鉾(やまぼこ)が約百年ぶりに引き回された。
 酒田まつりは、上(かみ)と下(しも)の日枝神社の例大祭「山王祭」として1609(慶長14)年に始まり、幕末の動乱期や戦時中も途絶えなかったという。


東京
幕府出品物が初の「里帰り」 東大博物館「維新とフランス」展
 明治維新前後の日仏交流を、自然史などの学術面から振り返る「維新とフランス――日仏学術交流の黎明(れいめい)」展が東京大学総合研究博物館(東京都文京区)で開催中だ。徳川幕府がパリ万博に出品した生物標本が初めて「里帰り」し、写真や書簡など初公開品が多く展示されている。

 アカテガニなどのカニ、タガメやカメムシなどの昆虫、イワユキノシタやイヌワラビなどの植物――今回、フランスから里帰りした標本だ。1867年のパリ万博後、現地で競売にかけられ、パリ国立自然史博物館に収められた。「購入台帳で徳川幕府の出品物とわかった」と西野嘉章・同博物館教授は話す。展覧会は昨年の日仏修好通商条約150年を記念して企画された。展示品500点のうち9割が初公開という。

 資料の多くを寄せたのが、日仏外交史研究者で日本で会社を経営するフランス人のクリスティアン・ポラックさん。一橋大学の学生時代から維新前後の写真や書簡、地図、書籍など8万点を約40年かけて収集。「フランスが日本の近代化に果たした役割に光を当てたい」と話している。

    ◇

 31日まで。月曜休み。無料。同館(03・5841・2818)。(小川雪)

 展示は今月いっぱいです……幕末維新に関心のある方にはお勧めです。
 拙ブログの感想記事はこちら↓。
『維新とフランス――日仏学術交流の黎明』展@東京大学総合研究博物館

長崎
【動画】竜馬ゆかり 長崎PR 観光宣伝隊が福岡訪問
【動画】観光宣伝隊が福岡訪問 竜馬ゆかりの長崎PR
 来年放送予定のNHK大河ドラマ「龍馬伝」によるブームを当て込み、「竜馬と縁が深い長崎の魅力を伝えよう」と長崎の観光キャラバン隊が21日、福岡市を訪れ、JR博多駅構内などでPR活動をした。
 長崎県や同県内の旅館組合など約140団体でつくる協議会が企画。坂本竜馬や妻のお竜(りょう)などに扮(ふん)した約20人が、JR博多駅のコンコースなどで観光ガイドブックなどを配った。
 長崎市では8月、竜馬が結成した日本初の貿易商社「亀山社中」跡(改修中)が再公開される予定で、幕末の志士の足跡をたどる、まち歩き「長崎さるく幕末編」も11月まで開催中。
 今回は新型インフルエンザの感染が確認された神戸と大阪、東京への訪問が中止になったが、キャラバン隊の1人は「早くインフルエンザが沈静化し、多くの観光客が長崎を訪れてほしい」と期待していた。


「龍馬伝」と長崎観光PR キャラバン隊、福岡から高知へ
 来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を契機に本県の魅力ある観光素材を全国にPRする県推進協議会(会長・金子知事)のキャラバン隊が二十一日、福岡市を皮切りにスタートした。
 キャラバン隊は同協議会を構成する自治体や観光関係者ら二十三人で構成。福岡、大分、愛媛県松山を経て、坂本龍馬の出身地高知に向かう。
 この日は福岡市内の旅行代理店やマスコミ各社を訪問し、JR博多駅で街頭キャンペーンを開いた。キャラバン隊のメンバーが扮(ふん)した龍馬と妻お龍、三菱財閥創設者の岩崎弥太郎のほか、同協議会のキャラクター着ぐるみが登場。長崎市で開催中の「長崎さるく幕末編」や県内の龍馬ゆかりの地を紹介した観光パンフレットを配布し、長崎観光を呼び掛けた。
 一行は当初、高知を経て神戸、大阪、東京なども訪問する予定だったが、新型インフルエンザの感染拡大に伴い計画変更を余儀なくされた。

 たまたまの角度でそう見えるのかよくわかりませんが、この着ぐるみキャラクターの目つき、「まりもっこり」みたいで微妙です(笑)。

コラム
革命と戦災が作った美術の森、阿修羅展で花開く
 リンク先は日経ビジネスオンライン(閲覧に会員登録が必要・無料)です。
 赤瀬川原平さんと山下裕二さんの対談、なかなか濃いです。
山下 上野は、東京国立博物館(以下東博)はじめ、国立西洋美術館、東京都美術館、上野の森美術館と、博物館美術館が集まっていて、まさに美術の森ですね。

赤瀬川 なんでこんなに集まっているんですか? 芸大だからですか?

山下 芸大も上野にありますけど、それだけじゃないでしょう。

明治政府が寛永寺境内をほぼ没収したことがはじまり
赤瀬川 芸大と東博はどっちが先にできたんでしょう?

山下 東博が先ですね。明治10年に内国勧業博覧会が上野で開催されました。要するに明治政府の「富国強兵・殖産興業」政策に則ったものです。この博覧会の展示館のひとつだった「美術館」とその後ジョサイア・コンドル(※1)の設計した煉瓦造2階建の建物とが、最初の東博になったんです。(※2)関東大震災で大破してしまったので、今の建物は昭和初期の建物ですけれど。

赤瀬川 博覧会が上野で開かれたのは上野を文化の山にという気分があったんですか?

山下 彰義隊の戦争で寛永寺全山が焼失して、維新後に寛永寺の境内地のほとんどを明治政府が没収したんですよ。東博は、寛永寺の本坊跡地ですし、東博前の噴水広場は、根本中堂があったところです。

赤瀬川 そうか……。やっぱり革命って気持ちいいんでしょうね。独裁の快感かな(笑)いきなり没収しちゃうんですから。

山下 それにしても皮肉な話ですよね、徳川の象徴である寛永寺の土地が召し上げられて、明治の殖産興業政策の場として使われるようになったというのは。

 そして、東博、当時は東京帝室博物館かな、そこに出品するようなものを作る人材を養成する学校として、東京美術学校(後の芸大)ができのが明治22年です。それからずっと時代は下って大正15年に東京府美術館(後の東京都美術館)ができて、その建物の最末期に赤瀬川さんたちが暴れていた(笑)。

赤瀬川 読売アンデパンダン(※3)の頃ですね。

山下 そして、黒田清輝が自分の財産を寄贈して、自分の作品の展示施設及び美術図書館を作ったのが、さっき行った東京文化財研究所です。

赤瀬川 芸大があったから、黒田はあの場所に研究所を造ったんですか。

山下 そうです。黒田は芸大のボスだったわけだから。

赤瀬川 そういうふうに、つながっているんですね。

山下 上野一帯が美術芸術の場になった裏にはそういう経緯があったんです。

誰でも知っているけれど、案外入ったことがない
山下 寛永寺は有名なお寺だけれども、ちゃんとお寺の中に入ったことは一度もないなぁ。

赤瀬川 僕もそうですね。

山下 では、早速行ってみましょう。

山下 あ、お寺の門扉に三つ葉葵の紋が入っているところからして、すごい。やはり徳川の菩提寺ですね。

赤瀬川 あの古そうな石塀も、ふつうじゃない力が感じられる……。

山下 立派ですね、ちょっと威圧されます。勝海舟が造ったものだとか。お寺の記録には残っていないそうですが、霊廟に塀を設けたと書かれた勝海舟の肉筆の書付を古本屋で読んだと浦井さんが仰っていました。

赤瀬川 勝海舟ですか。ということは維新後?

山下 明治18~23年にかけてだそうですよ。

 同じく徳川家の菩提寺である増上寺は、中世からあった寺院ですが、寛永寺は、徳川家が新しく建立した寺院ですから、江戸幕府の象徴でもあります。東京を訪れる観光客や修学旅行生がもっと見にきてもいいのに……。

赤瀬川 歴代将軍のお墓を公開してはいないんですか?

山下 徳川将軍家の墓所は普段は非公開で、年に1度の上野の山文化ゾーンフェスティバルのときに特別公開しているそうです。毎年人気が高いけど、昨年は特に、篤姫の墓所も公開するというので、200人の枠に7000人以上の応募があったそうです。枠を増やして80人ずつ4回、320人を案内したとか。でも寛永寺は、観光寺院ではないので、とても全員に見てもらうのは無理だということでした。

赤瀬川 テレビの影響はすごいですね。日本人はテレビが大好き。

山下 特にNHKの影響は大きいでしょう。

浦井 「八代将軍吉宗」や「元禄繚乱」の時にもお墓を訪ねて来る方がいましたが、篤姫は特別です。今でも問い合わせの電話がかかってきます。

山下 実は、2011年、法然上人の生誕800年で、増上寺所有の狩野一信の「五百羅漢図」全100幅を江戸博で展示することになっています。ぼくはその展覧会の監修を頼まれているんですね。寛永寺は増上寺と並ぶ、徳川の菩提寺ですが、寺院所蔵の品というのはどういうものがあるんでしょう?

お寺は「青く」燃えるのです

浦井 増上寺は明治28年の大火と昭和20年の空襲で焼けているのに、その羅漢図はよく全部残っていましたね。実は、寛永寺には、寺院所蔵のものはそう多くないんです。曼荼羅や四代将軍家綱の母・お楽の方の念持仏などがあるくらいです。

 うちは、彰義隊の戦いで全山焼けましたから。そして明治維新で残った宝物は、今度の戦争で消失しました。上野の山の下に軍需工場があって、それを狙った焼夷弾の逸れ弾が、御霊殿と蔵を直撃したのでね。

山下 それはものすごくもったいないことですねえ。

浦井 昔の住職に聞いた話では、天井板が厚くて下からいくらつついても全然天井板が外れなかったそうです。それで天井裏で焼夷弾が燃えるのをどうしようもなかったと。当時は水圧も低くて天井まで水がかけられないですから。燃えるのをただ眺めているしかなかったそうです。

赤瀬川 そうです、戦時中、民家では天井板を全部剥ぐように命令されたんですよ。僕は終戦が小学校3年でしたから覚えています。

浦井 じゃあ同い年ですね。

 お寺が燃えるとね、火が赤じゃなくて、青いんですよ。銅版の屋根が燃えるから真っ青なんです。あんな火事は後にも先にも見たことないですね。忘れないですよ。すごい迫力でした。

赤瀬川 それはすごいなぁ。お住まいもこの近くだったんですか。

浦井 そうです。東博の向こう側でした。5月の空襲まで東京にいまして、終戦直前の3ヶ月だけ、埼玉、群馬と疎開していました。

 戦争では、寛永寺にあった大仏様も供出したんですよ。

赤瀬川 え、上野に大仏さまが。

浦井 関東大震災で頭部が落ちまして、再建のために解体して保管してあったんですが、戦争の時に身体だけ供出したんです。お顔は、ケヤキの木にくくりつけて隠したと聞いてます。今は、上野公園の大仏山に安置されています。

山下 二度にわたって燃え、さらに大仏様まで供出……。

赤瀬川 受難の場所ですよね。明治昭和と二回にわたって傷を受けている。

山下 朝敵をかばったために、土地を没収され、殖産興業政策で美術館ができ、学校ができ……。寛永寺の繁栄、そして、寛永寺の没落が今の上野につながっているんですね。今のあのひっそりとした佇まいもいい感じです。

赤瀬川 そうですね。偉いです。

おしつけがましくない、オトナの観光地
山下 観光化していないのがいいですよ。門戸は開こうと思っているし、街との連携もしたい、でもあまり声高には言わない、というのがいい。

赤瀬川 野暮なことはしない、ということなんでしょうね。

山下 芸術濃度が高い町なんですよ。アート、アートと口先で言うのではなく、それがしみ込んでいる感じがします。地層みたいに何重にもなっている。

 東博も以前とは完全に様変わりしましたね。僕が通いはじめた1970年代は、ほとんど外国の観光客しかいないようなところでしたから。

赤瀬川 ああ、そうですね。

山下 それが今では、阿修羅展に何時間待ちという行列ができたりしている。

赤瀬川 昔じゃ考えられないです。

山下 それには、われわれ日本美術応援団も若干の貢献をしているのかもしれません。

 
深澤真紀の平成女子図鑑
【21】歴女(レキジョ)と和女子 これも日経ビジネスオンラインの記事ですので、リンク先の記事閲覧は会員登録(無料)が必要です。
 歴女はともかく、和女子には筆者のネガティブな評価が入っています……異論を持たれる方もいるかと思いますが、コメントはここでなくリンク先の記事にお願いします^_^;。
 最近の歴史ブームで、「歴女(レキジョ)」という言葉がよく聞かれるようになりました。

 以下は「新語探検」からの引用です。

歴女 「歴史好きの女子」という意味。『三国志』の登場人物や日本の戦国時代の武将に大きな関心を寄せるので「戦国乙女」ともいわれる。2008年11月に『三国志』の赤壁の戦いを映画にした『レッドクリフ』の公開イベントで『三国志』や幕末に興味をもつアイドルの美甘子(みかこ)を「歴ドル」(歴史好きのアイドル)と名づけたことから、歴史好きの女子を「歴女」とよぶようになったらしい。東京・神田小川町にある雑貨や書籍など戦国時代ものの専門店「歴史時代書房 時代屋」は、06年2月の開店当初は客のほとんどが中高年男性だったが、07年頃から若い女性客が増え始め、いまは約40%が女性客になっているという。歴女登場の背景には『三国志』や戦国時代をテーマにしたゲームや漫画が増え、それらのゲームや漫画に触れたのをきっかけに原作本を読み始めて「歴史通」になる女性が増えてきたと分析される。

【新語探検 著者:亀井肇/提供:JapanKnowledge】


 以前この連載で書いた「腐女子」や「マニア女子」、そこでも紹介した鉄道オタクの「鉄子」と同様、歴史好きの女の人は、昨日今日現れたわけではありません。

 「女に鉄道は分からない」「女に歴史は分からない」と言う人もいますが、そんなことはありません。


歴女が群がる城や時代ドラマ

 歴女が増えたことと関連があるのか、今年のゴールデンウイークも日本の城を訪ねた人の数は、軒並み例年を上回ったそうです。

 歴女が生まれる元となった「レッドクリフ」の原作『三国志』も、「男に語らせるとうるさい」と言われますが、『三国志』には女性の「萌え(注)ポイント」はたくさんあります。

(注)萌え(もえ)
オタク文化が発祥。今はオタク的に「魅力を感じる」ことに使われる。「○○が好き」を「○○萌え」と表現することもある。

 「やっぱり劉備が素敵!」「私は曹操!」と盛り上がるのは、「好きな男のタイプ」というような女性の話題につながりやすいからでしょう。

 『三国志』と同じように、男性で「幕末ロマン」好きは多いものですが、歴女も「幕末萌え」があります。

 例えば香取慎吾主演の大河ドラマ「新選組!」(2004年)が大ヒットしたのは、多くの歴女が見ていたからです。ちなみに「篤姫」の家定役が好評だった堺雅人がブレークしたきっかけになったのも、このドラマで山南敬助を演じたことでした。

 江口洋介主演で「木枯らし紋次郎」が三十数年ぶりにリメークされ、NHKでも山本耕史主演で佐伯泰英原作のドラマ「陽炎の辻」を放映し、「必殺仕事人2009」にはジャニーズのタレントが総出演しています。

 現在東京国立博物館で行われている国宝阿修羅展も大変な盛況ですし、江戸時代の奇想の絵師、伊藤若冲にはまったり、「伊達様に会いに仙台に行くの!」と言う歴女もいます。

 神田に歴史時代書房・時代屋という専門書店(雑貨店やカフェも併設)があり、ここは4割が女性客だそうです。店員は「奉公人」と名乗り、ユニークな和服姿で接客をします。

 このように、時代小説や時代ドラマ、城などが、若い女性の間で人気が高まっています。

 この背景には、欧米的な文化に対して若い世代が距離感を感じるようになったことがあるでしょう。彼女たちには欧米発の映画もドラマも面白いけれど、あまりリアリティーがないのです。

 日本という自分たちのルーツへの肯定感が強まっているし、その肯定した対象の末裔としての自分、というところに意義を見いだしているのかもしれません。

 歴女は今後もどんどん増えていきそうです。


「私が伝統を守る!」と鼻息の荒い和女子

 そんな歴女は腐女子の仲間ですが、それとは違った角度から歴史にアプローチする女子もいます。

 着物や歌舞伎や茶道などが好きな「和女子」です。

 和女子はたいてい、「着物には日本の伝統を守る心があるから」などと言うのですが、私は意地が悪いので「本当に日本の着物の伝統や歴史を守ろうと思うなら、縄文時代の貫頭衣も着なきゃいけませんね」と言ってしまいます(笑)。文化としては貫頭衣の方が古いのですから。

 もちろん、日本の服装の文化としていわゆる着物が優れているのだというのは分からないではないのですが。

 ただ、歴史をさかのぼっても、現在の着物好きの和女子が着ているようないい着物を、庶民が着ている文化はほとんどありません。多くの庶民は絹の着物ではなく、麻や木綿の着物を着ていたのです。明治時代に絹の紡績工場ができて、絹の着物が庶民に一般化したくらいです。

 別に着物が好きなのはいいのですが、それは趣味として楽しめばいいのです。「私が日本の伝統を守る」と鼻息を荒くする必要もありませんし、「着物は季節を考えなければいけない」と言う人もいますが、旧暦と新暦は違いますし、そもそも日本の気候も昔とはずいぶん変化しています。

 また「今の若い子の振り袖の着方はおかしい」とか「浴衣は室内で着るものだから、これを着て出かけるのはおかしい」などと、正論の顔をした小言を振りかざすのも、やめておいた方がいいでしょう。

 歴女にも、日本の歴史や文化に対する妄想や肯定感がありますが、和女子はさらに「私は他の人とは違う」ということに夢中になってしまうのです。

 この連載の「『極端女子』と『自然体女子』」で書いたように、「若い頃はブランド品を着てワインも極めたし海外旅行も堪能したけど、やっぱり私たちのルーツはここにあったわ」と日本の伝統に戻ってきて、「違いの分かる私」という自意識なのです。

 城好きも鉄道好きも、女性の場合はそれが少し自慢だったりするのです。「ちょっと変わってる私」が好きなのです。しかし「男の趣味」をする女がかっこいいと言うのも、ちょっとかっこ悪いような気もします。


伝統を趣味にするなら、歴史を学ぼう

 それに和女子は「伝統を守る」と言っている割には、自分の趣味について、歴史認識が必ずしも深いわけでもありません。

 茶道は明治以降は女性の習い事として取り上げられることが多いですが、もともとは織田信長をはじめとする戦国武将に利用され続けた歴史が長いですし、侘び茶の完成者である千利休は、豊臣秀吉の勘気に触れて切腹させられています。

 今は男性の役者しか登場しない歌舞伎も、創始者は女性である出雲阿国で、男装を取り入れることで人気も博しましたが、一方では差別もされてきましたし、売春をする若衆歌舞伎や遊女歌舞伎もあったのです。

 だから、これらが伝統にふさわしくないと言いたいわけではありません。「伝統」と言われるものには、いろいろな側面があるものです。和女子はこうした歴史認識もきちんと持つと、もっとその趣味を楽しめると思うのです。

 そして、和女子の追いかけている伝統は、ビジネスに取り込まれた伝統であることも多いのです。様々な「道」のシステムが一大ビジネスになっているのは、有名なことでしょう。

 ステータスを上げるにはいくら必要とか、試験を受けるとか、様々なシステムがあります。もちろん本人が納得していればいいのですが、自分が伝統という名のビジネスのシステムに乗っているという自覚は必要でしょう。

 和の道は趣味であるだけならば問題はありませんが、威張るものでもないということです。それに、伝統を守ると言うならば、自分の趣味について、史実に基づいた形で理解しておくとよいのです。

 NHK大河ドラマ『新選組!』『篤姫』やNHK土曜時代劇『陽炎の辻』に言及されている点が、自分の嗜好を言われているようで……ちょっと気恥ずかしいです(*^。^*)(このブログ記事を読まれる方にも同様に思う方がいらっしゃるでしょう^_^;)。

 でも『新選組!』ヲタの自分が言うのも何ですが、「例えば香取慎吾主演の大河ドラマ「新選組!」(2004年)が大ヒットしたのは、多くの歴女が見ていたからです」という紹介文の「大ヒット」にすごく違和感があります(苦笑)……何しろ期間平均視聴率は前作『武蔵MUSASHI』を上回ったものの歴代でも低いほうですから(汗)。
NHK大河ドラマ 過去の視聴率データ
 ただ、史実で切腹しているので避けられない山南敬助(堺雅人さん演じるところの)助命嘆願が殺到したとか、ドラマ放映中に完全版DVD発売が決定されたのは大河ドラマとしては初めてとか、大河ドラマとしては初めてスピンオフ作品『新選組!! 土方歳三最期の一日』が制作されたとか、トークショーやイベントに何千人も集まったとか、『スタジオパークでこんにちは』『土曜スタジオパーク』に関係者が出演した時にはメッセージが殺到したとか……様々な逸話を残した作品であったこと、コアで熱狂的なファンがいるドラマであったことは、自信を持って断定いたします(笑)。




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