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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日は夕方まで降ったり止んだりです……先ほど一旦上がったかと思えば、今また音がするほど降っています。

福岡
山あいに苔むす小京都 福岡・秋月(あきづき)
 まず、秋月という地名が気に入ったのだった。どことなく落ち着きがあって、風雅な響きではないか。
 「いいネーミングでしょ」。地元に残る史料や美術品を展示する「秋月郷土館」事務長の加峰満さん(62)も笑う。現在は朝倉市の一部として名を残すが、古文献によると、平安時代半ばの940年代にはすでにこう呼ばれていたらしい。由緒ある「ネーミング」なのだ。
 白壁、格子戸、瓦屋根。道路脇の溝には澄んだ水が流れる。最寄り駅から1時間に1本のバスに揺られて20分。こんな山あいにも、「筑前の小京都」と呼ばれる城下町がある。
 モミジの新緑が目にまぶしい。石段を上ると、小ぶりだがどっしりとした構えの門が現れた。変転を重ねた土地の歴史を象徴する「黒門」だ。
 元々は、鎌倉時代からこの地を支配していた秋月氏が、町を見下ろす古処山(標高860メートル)に築いた山城の門だった。江戸時代には福岡藩黒田氏の分家が治める秋月藩五万石の城館の大手門として移築。明治維新後に再び移され、今は初代藩主・黒田長興をまつる神社の山門になっている。
 半日あれば歩き尽くしてしまうほどの小さな町は、ひっそりと静かだ。ここに5000人が住み、「秋月千軒のにぎわい」とうたわれたとは思えない。士族が明治政府に反旗を翻し、鎮圧された1876年(明治9年)の「秋月の乱」以後、士族の多くは職を求めて去り、城下町は衰えた。「今は300軒ぐらい。900人を割ったのでは」(加峰さん)
 それでも、1950年代頃まではかつてのにぎわいの名残があったという。「子供の頃は町を通れば、三味線や琴の音がした。優雅な雰囲気のする町でした」と加峰さんは懐かしむ。
今年、秋月は山本周五郎賞の候補になった時代小説「秋月記」(葉室麟著)の舞台になった。町の入り口、野鳥川に架かる「目鏡橋」も小説に出てくる。長崎から石工を招き、1810年(文化7年)に完成。今でこそ、苔むした石橋は町の雰囲気になじんでいるが、当時の人々の目にはずいぶんとモダンに映ったことだろう。
 歩き疲れて、1819年(文政2年)創業の「廣久葛本舗」でくずきりを食べた。つるりとしたのど越しが涼やかだ。店のあるじは「高木久助」を代々襲名し、現在は10代目。先代が亡くなると、戸籍名まで変えるのだという。
 くずは和紙とともに、秋月藩の奨励産業だった。9代目に嫁いだ高木良子さん(76)は「昔は氷の張った水を割って、くずの根を手で洗っていました。義父は厳しくて、くずの粉を少しでもこぼしたら怒られました」と語る。くずの精製は手間がかかる上に、100キロの根から7キロしか取れない。「白い金」と言われるほどの貴重品だ。
 藩士の登城道だった「杉の馬場」を歩く。秋月中学校武道館の前を通りかかると、竹刀を激しく打ち合う音と、勇ましい気合が響いてきた。誇り高い武士たちの闊歩する城下町が、ふと眼前によみがえりそうだった。(堀内佑二、写真も)

(次回は那覇)
 ●あし 羽田から福岡空港まで1時間45分。空港から地下鉄、西鉄、甘木鉄道を乗り継いで甘木駅まで1時間半。秋月までバスで20分。
 ●問い合わせ 朝倉市観光協会=(電)0946・24・6758。


長崎
龍馬伝応援!「Ryomaトルコ」 長崎の喫茶店で売り出し中
 トルコライスで有名な長崎市油屋町の喫茶店「ツル茶ん」が来年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の応援メニューとして「Ryomaトルコ」(千百八十円)を売り出している。 
 大正時代生まれのトルコライスを“幕末版”として同店の川村隆男専務が考案。当時は豚肉を食べる風習がないため、カツに牛肉を使用。龍馬の故郷、土佐をイメージしてパスタはカツオ風味にした。
 三月には横浜市の開港百五十周年記念イベントに初出品して好評だった。川村専務は「懐かしい味がするソースには特にこだわった。龍馬もやみつきになるはず」と自信。



コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】東大教授・山内昌之 佐野常民
■政治は友愛か、博愛か
 ◆武士が作った赤十字
 民主党の鳩山由紀夫代表は、政治理念として友愛の精神を強調する。友愛といえば、似た言葉として博愛を思い浮かべる人も多いだろう。友愛が兄弟や友人への親しみの情だとすれば、博愛はすべての人を平等に慈しむことを意味する。そして、博愛は何よりも赤十字の精神を連想させる。
 それにしても、日本赤十字が幕末の戊辰戦争から明治の西南戦争まで戦禍の辛酸をなめ尽くした旧武士によって創設されたことはまことに興味深い。
 日本赤十字の創設者、佐野常民は佐賀藩士の家に生まれたが、医者を志し、江戸、大坂、京都に遊学し、緒方洪庵(こうあん)の適塾で学び、大村益次郎の知遇を得ている。長州人の大村が日本陸軍の基礎をつくったように、佐賀人の佐野は藩の海軍伝習を指導した。
 幕府の要請でボイラーも試作した佐野は、もともと幕府の長崎海軍伝習所で航海、造艦、砲術などを学び、漢学や蘭学はむろん外科を含めた医学、物理学や化学、冶金(やきん)学も幕末に修めたというから、今でいえばマルチ人間の名にふさわしい才人であった。
◆最初の博覧会を開催 
 慶応3(1867)年にパリ万国博覧会に派遣された佐野は、そこで初めて国際赤十字の存在を知ったらしい。兵部(ひょうぶ)省に入った佐野は、順調にいけば近代海軍の建設で才能を発揮するはずであった。
 しかし、薩長中心の政府首脳との折り合いも良くなく、同郷の江藤新平の起こした佐賀の乱の影響もあって、マルチ人間は別の世界で名をあげることになった。
 一つは、産業近代化のために日本最初の博覧会を湯島の聖堂で開催し、明治6(1873)年のウィーン万博の日本政府責任者の一人としてヨーロッパに派遣されるなど勧業への関心である。
 他方、大蔵卿や農商務大臣を務めた佐野は、西南戦争の悲惨さを目撃して、傷病兵を敵味方問わずに救済看護する赤十字社の理想を実現しようとした。佐賀の乱で江藤や島義勇はじめ同郷人が悲惨な最期を遂げた屈託もどこかにあったのかもしれない。
 そこで博愛社の設立を政府に請願したが、最初は容(い)れられない。それでも粘り強く働きかけた結果、ついに征討総督の有栖川宮熾仁(たるひと)親王から博愛社設立の許可を得た。やがて博愛社は日本赤十字社と名前を改め、佐野は初代社長となったが、有栖川宮その人も初代総裁となったのは奇縁であろう。
 佐野は、日本を万国赤十字条約に加入させ、保健衛生と人道福祉の両面で日本が欧米に伍(ご)する近代国家たることを内外へ示すのに功があった。国内では、磐梯山噴火災害や濃尾大震災に救護班を派遣し、日清戦争でも戦時救護活動に参加した。病院船のアイデアにも佐野の豊かな構想力が生かされている。
◆今も生き続ける理想 
 日本赤十字社の基本精神は人道、公平、中立、独立、奉仕、単一、世界性とされる。この理想は、明治23(1890)年のオスマン帝国海軍のエルトゥールル号遭難事件への救護班派遣や、佐野の死後も大正9(1920)年のロシア革命の犠牲者ポーランド孤児の救済に生かされ、スマトラ島沖地震(2004年)やパキスタン北部地震(2005年)の被災者の救援や復興の支援に結晶している。佐野は海軍でなく赤十字の分野でその名を不朽のものとした。人間万事塞翁(さいおう)が馬である。
 政治家は短期的に見れば不遇や不条理を強いられても、長期的に見れば高い評価を受けることも多いのだ。名を惜しむは武士の常であったが、それは政治家の誉れともいうべきだろう。佐野が現代の政治家なら、その抱負にふさわしい標語として、果たして友愛と博愛のいずれを選ぶであろうか。興味は尽きない。(やまうち まさゆき)
                   ◇
【プロフィル】佐野常民
 さの・つねたみ 文政5(1822)年、佐賀藩士の五男として生まれ、天保3(1832)年、藩医の佐野常徴(つねあき)の養子となる。その後、藩命で京都、大坂などで学び、嘉永6(1853)年、佐賀藩精錬方主任となり、蒸気船や蒸気機関車の模型製作を行う。文久3(1863)年、日本初の蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」を完成させた。パリ万博でスイス人が提唱していた赤十字精神を知り、西南戦争で救護の必要性を痛感。元老院議員の大給恒(おぎゅう・ゆずる)と救護団体「博愛社」の設立を政府に請願したが、同社規則の「敵味方差別なく救護する」ことが理解されず、有栖川宮に直接嘆願し、常民らの熱意により、即日許可された。日本美術協会の前身「竜池会」を創設、美術工芸発展に貢献した。明治35(1902)年10月、日本赤十字社創立25周年式典で最高栄誉の名誉社員に推薦されたが、2カ月後の12月7日、80歳で死去した。

 緒方洪庵の適塾門下生とは知ってましたが、恥ずかしながらよく存じてなかったので、改めて略歴と功績を知りました。医学→軍艦建築・海軍創設→近代産業振興→日本赤十字の前身設立と、マルチな才能ですね(@_@)。
 そして、敵味方の関係なく病人や負傷者を治療する医療従事者という考え方(すでに箱館戦争の時に高松凌雲先生が実践しておられましたが)を広め、根付かせたことを素晴らしいと思います。





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