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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 6月に入りました。昔であれば「衣替え」のタイミングですが、昨今は5月中から真夏日があったりして、とっくに夏物だったりしますね(汗)。
 先週からずっとぐずぐずしている空模様で、梅雨の季節も繰り上がっているような気がしなくもありませんし(汗)。

北海道
「いか天おろしそば」で開港150周年祝う
 函館市内のそば店で作る「函館そばや友の会」(佐々木武充会長)の9店が函館開港150周年を記念し、1日から「いか天おろしそば」を共通メニューとして提供する。同会は「各店の味を楽しんで」と呼び掛けている。
 同会は2004年の発足以来、旬の食材を使ったオリジナルメニューを定期的に考案している。今年は、開港150周年を記念したメニューを検討してきたが、函館の特産であるイカを使うことで一致。加盟店の一つ、丸京(豊川町)が元祖と言われる「いか天おろしそば」を提供することに決定した。
 同店の「いか天―」は、亀澤賀津雄店主(53)が「他店にはない独自の天ぷらそばを」と1981年に考案。肉厚のイカをサクサクとした衣で包んだ天ぷらに、大根おろしが添えられているのが特長で、インターネットなどを通じて観光客らの間でも人気となっている。
 同会に所属する9店では、天ぷらを一口サイズにしたり、具材にカラシ菜やもみじおろしを使うなど、独自のアイデアを披露しており、オリジナルの「いか天おろしそば」の食べ比べも楽しめそうだ。
 亀澤店主は「イカのまちならではのメニュー。食べ応えもあります」と話している。各店650円から700円で提供する。
 丸京以外の店は次の通り。
 やたら家本店(湯川町)、いがら志(柏木町)、東京庵支店(本通)、神山ふでむら(神山)、丸常長寿庵(亀田港町)、かしわ屋(若松町)、東京庵本店(末広町)、長寿庵本店(中島町)


函館開港150周年、商品やPRで企業も応援
 函館開港150周年まであと30日―。記念事業の準備が進められている中、函館市内では開港記念を祝うムードを盛り上げようと、市民への周知に協力する企業も相次いでいる。商品や接客などを通じてPRに務める企業の取り組みを紹介する。
 土産物の企画、卸の不二屋本店函館店(名取明昭彦社長)は函館開港150周年記念ラベルを使用した「天然アルカリイオン水 ナチュラルミネラルウォーター」を市内の土産物専門店で販売している。
 ラベルには記念事業のポスターとロゴマークを使用。七飯町大沼で採取したミネラルウォーターで150周年にちなみ、数量限定で価格も1個150円にした。名取社長は「150周年の記念に何か作りたいと思っていた。本州での物産展でも函館をアピールできる」と話し、「少しでも函館の活性化を応援したい」と話している。
 北海道コカ・コーラボトリング(札幌)は市内の人目につく屋外の自動販売機1000台にA3サイズの告知ポスターを掲示したほか、電光掲示板付きの自販機では記念式典までのカウントダウンを表示している。15日(予定)からは道内全域で「函館開港150周年」を印字した記念デザイン缶の2商品を発売する。同社は「市民への周知が大切なので記念事業への協力を通じて地域に貢献できれば」と協力する。
 市内・近郊でハンバーガーチェーン店を展開するラッキーピエログループ(王一郎社長)は14店舗と事務所を合わせた15拠点で、電話を取る際、冒頭に「おめでとう開港150周年」と付け加えて応対している。同社では1日1000件の電話を受け取るため、4月から応対時に一言添えて周知に取り組む。同社は「150周年を盛り上げるために何かできることを考え、告知が一番大事だと思い、お祝いの気持ちを表現しています」とPRしている。
 函館開港150周年記念事業実行委員会事務局は「事業は実行委だけでなく多くの皆さんの協力で成り立っている。宣伝経費にも限りがあるので企業がPRしてくれるのはありがたい」としている。


満開のフジ棚楽しむ
 函館の市民団体「五稜郭の藤の会」(山崎淳子代表)は31日、フジやツツジが見ごろを迎えた五稜郭公園で花見会を開いた。存続運動に携わった市民ら約30人が参加。小雨が白や薄紫の花房をしっとりとぬらしたフジ棚のトンネルで、甘く漂うほのかな香りを楽しんだ。
 五稜郭のフジ棚は、同会を中心とした存続運動が実り、昨年12月の市議会で保存が決定している。山崎代表は「今日の雨はフジ棚のうれし涙。1万を超えた署名、市民の声が届き、ずっとこれからも楽しむことができる。子孫にもきれいに残していきたい」とあいさつした。
 公園内では、同会の世話人鎌鹿隆美さんがツツジやフジの楽しみ方やスポットを紹介した。また、「五稜郭の藤の花」を作詞した千葉市のシンガーソングライター田口徹さんと埼玉県草加市の作曲家蓬田梓さんも参加。二の橋付近のフジ棚が見下ろせる城郭から、参加者全員で歌を歌い、満開の花に感謝をささげた。
 参加した市内の主婦小関千鶴子さん(69)は「昨年よりすき間なく咲き、きれいな花をみることができて感激しました。天気は残念ですが、これからもずっと残ってほしいですね」と話していた。

 五稜郭公園の藤棚、存続が決まったんですね。今年も花を見ることはかないませんでした(涙)が、いつか見に行きたいものです。

東京
日英条約の原本初公開 福沢諭吉の写真も、外交史料館
 幕末から明治初期の英国との交流をテーマにした特別展が、6月2日から都内の外務省外交史料館で始まる。初公開の日英修好通商条約(1858年調印)原本など、国の重要文化財5点を含む計17点を展示する。
 幕末の条約書の多くは関東大震災で焼失したが、日英修好通商条約の原本など数点が奇跡的に焼け残った。同時展示する同条約の日本側批准書(複製)には、徳川幕府14代将軍家茂の署名と印章が入っている。
 62年、新潟と兵庫の開港延期交渉などのため派遣された「文久遣欧使節団」がロシアで撮影した肖像写真の現物も展示する。若き日の福沢諭吉ら計24人分で、いずれも直筆の署名入り。
 このほか、駐日公使パークスを信任するビクトリア女王の署名入り国書などを展示する。9月30日まで。入場無料。

 展示内容を確認するため、サイトに行ってみました。
外務省外交史料館
外務省外交史料館 特別展示 日英交流事始―幕末から明治へ―
 今回の特別展示は9月30日までですね。
 展示資料の解説もPDF版で見られます。外交関係資料が多いので、ちょっととっつきにくいかしら(自分だけか^_^;)。
 『組!』ファンには、東禅寺のスケッチや東禅寺事件に功労のあった武士に英国から贈られたメダルとかがちょっと気になるかも(軍兵衛さん……汗)。
 文久遣欧使節団関係資料。文久遣欧使節団といえば「スフィンクスと侍」の記念写真が思い浮かびますが、今回の展示資料で比較的にとっつきやすいのが、使節団ご一行様の肖像写真でしょうか(苦笑)。
 この使節団に関して、いつもブログ記事を拝見しているAkiさんがブログ『Go Plain!』に記事を書いてらっしゃいます。
スフィンクスと27人のサムライ その1
スフィンクスと27人のサムライ その2
スフィンクスと27人のサムライ その3
 Akiさんの記事を拝見しつつ、今回の展示に行こうかどうしようか検討しようと思います……9月末まで開催ということで、急がないし^_^;。

神奈川
尾崎記念館:咢堂の偉業しのぶ 孫の行信さん、初来館--相模原 /神奈川
尾崎記念館:咢堂の偉業しのぶ 孫の行信さん、初来館--相模原 /神奈川
 “憲政の神様”と呼ばれる尾崎咢堂(本名・行雄、1858~1954年)の資料を展示する尾崎記念館(相模原市津久井町又野)を30日、咢堂の孫で元最高裁判事の行信さん(80)=写真左、東京都世田谷区松原=が初めて訪れた。
 尾崎さんは娘や孫ら3世代計8人で来館。咢堂の父で幕末に勤皇の志士だった尾崎行正の曽孫に当たる天野望・元津久井町長から、資料や写真の説明を受けた。明治・大正・昭和の政治史に大きな足跡を残した咢堂の偉業をしのんだ。
 尾崎さんは、元教師の西川圭三さん(76)が刊行した「咢堂・尾崎行雄の生涯」(論創社刊)の出版祝賀会に招かれ同町を訪れた。祝賀会のあいさつでは咢堂のエピソードを紹介しながら「本を読んで(咢堂が)大きな仕事をしてきたんだと改めて思った」と話した。【高橋和夫】


両陛下が開港資料館視察
 天皇、皇后両陛下は31日、横浜市中区の横浜開港資料館を視察され、幕末以降の横浜の歩みを展示しているコーナーや、開港150周年記念展「港都横浜の誕生」を見学した。
 午後2時20分すぎ、資料館に到着し、中田宏横浜市長らが出迎えた。中庭にある開港当時から残る「玉楠(たまくす)の木」を鑑賞。館内では、幕末に太平洋を横断した軍艦「咸臨丸」やペリー艦隊の模型などを見て回った。横浜港を通じて世界に輸出された生糸や養蚕に関する資料を見た陛下は「(幕末の)この時期から蚕の卵の輸出が始まったのですね」など話していた。
 両陛下はこの日午前、開港150周年記念式典に出席。休息の後、同資料館に足を運んだ。


石川
来訪者まばら「隠れた名所」 金沢・広坂「旧横山男爵邸」
 県文化財に指定されている広坂1丁目の県有施設「城南荘(旧横山男爵邸)」が、来訪者もほとんどなく、活用されないままになっている。かつては県職員施設として利用されたが、文化財指定後は希望者にだけ公開され、観光案内にも掲載されない隠れた名所に。県では「今後も外向けに広報する予定はない」としているが、一部で有効活用を求める意見も出ている。
 城南荘は加賀家老で明治維新後、尾小屋鉱山を経営した横山隆平が1894(明治27)年に建設した。江戸時代の伝統に明治の感覚を加えた武家建築最後の建物とされ、随所に北陸の鉱山王と呼ばれた横山家の財力をしのばせる技術が施されている。1949(昭和24)年に県が福利厚生施設として買収し、79(同54)年に文化財指定を受けた。
 県では嘱託職員1人を常駐させ、平日午前10時から午後4時まで見学者を受け入れているが、観光案内などで紹介していないこともあり、利用はほとんどない状況という。
 年間にかかる維持管理費は光熱費や樹木の剪定(せんてい)などで300万円弱。観光関係者などからは「市中心部に位置する施設として、催し物の開催など積極的に活用すべきではないか」との意見もある。
 一方で城南荘の向かいに建つ金沢ふるさと偉人館の松田章一館長は「文化財だからといって何でも公開すればいいというものではない」と指摘し、将来的に活用する場合は、加賀藩初の洋式武学校「壮猶(そうゆう)館」があった場所にちなんだ内容を検討してほしいとした。県管財課は「今の段階で今後の活用を検討しているわけではない」とし、現状のまま維持管理を続ける方針だ。


コラム
【連載】 今、歴史から元気をもらおう(24)佐賀の蘭学と英学
 九州企業特報というサイトの連載記事です。今回は佐賀の蘭学・英学を取り上げているということでキーワード「幕末」での検索にかかってきました。
 鎖国時代、わが国にとって唯一の海外情報源はオランダからのものだった。幕府を中心に蘭学の研究は次第に盛んになっていたが、佐賀藩で蘭学が研究されはじめたのは諸藩にくらべて必ずしも早い方ではなかった。天保5年(1835)には藩がかねてから予定していた医学寮が開設されオランダ医学教育が始まった。寮監に任命されたのは佐賀蘭学の先駆者・島本良順である。医学寮は後に好生館と改称され、やがてその中に蘭学寮が併設されて藩の蘭学研究の拠点となった。

 蘭学寮の研究は医学だけにとどまらず、物理学、化学、数学、語学などが研究され、やがて藩の科学技術部門の「火術方」の管理下に移されると、蘭学寮は西洋の最新技術を専門研究を主務とするようになっていく。このころ、朱子学重視の弘道館教育にあきたりなかった大隈重信が、二十数名の学生とともに蘭学寮に入学してきた。大隈らは、ほとんど手探りの状態から勉強を始め、やがて大きく羽ばたいていく幕末佐賀の洋学研究の糸口を開いていくことになる。

 万延元年(1860)渡米した咸臨丸には小出千之助ほか数名の佐賀藩士が乗り組んでいた。小出は藩主の鍋島直正にアメリカでの見聞をもとに世界の中心がイギリスとアメリカに移っていることを伝え英学の必要性を進言した。この進言によって直正は、蘭学寮の優秀な数名の学生に英語による洋学の研究を命じた。その後佐賀藩の英学研究は着実に進み、慶応3年(1867)には大隈重信や副島種臣らを中心とする英学校「致遠館」が設置された。英学においては他藩にさきがけての創設である。

 英学研究にとくに熱心だったのは大隈重信だった。彼は幕府の長崎英語伝習所のフルベッキ教授をスカウトして致遠館の校長に据えた。深い見識と懇切な指導で人気が高かったフルベッキには他藩の招聘の手も延びていたが、最終的には佐賀藩の知識吸収に向ける熱心さがフルベッキを動かした。勉学を通じて彼と藩士との絆はいよいよ深くなっていった。

 フルベッキの講義は一日おきにおこなわれた。宣教師のフルベッキは「新約聖書」を基本教本に「アメリカ合衆国憲法」を主教材として授業を行った。それ以外の授業は大隈重信と副島種臣が担当、欧米の政治や法制を講義し学生たちと議論しあった。フルベッキの在任期間はわずか2年だったが、この時期、学を通じて情報を吸収し議論によってさらに確かな知識とする佐賀洋学の手法が確立されていった。蘭医学に始まり科学技術の進展から英学にいたる佐賀実学は日本の先頭を駆け抜けていった。致遠館をリードした大隈は、後に東京専門学校(現在の早稲田大学)を創設する。  





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展覧会をいくつか
URL 2009/06/08 17:27
140年だったり150年だったり。
7月4日の幕末ニュース
URL 2009/07/04 16:55
北海道 著書とペリーの資料 中央図書館に寄贈…函館日米協会  函館日米協会(野田義成会長)はこのほど、同協会の井上能孝顧問が米国のペリー提督にかかわる資料を編集し、制作した本「いま甦(よみがえ)る!ペリー提督公文書第50号~函館英学の原点~」や資料の基となったマイクロフィルムを函館市中央図書館に寄贈した。  函館開港150周年を記念し、同図書館への寄贈を決めた。本では、箱館を訪れたペリー提督が箱館から本国のドッピン海軍あてに出した公文書第50号に関する資料を中心に解説。文書はペリーの直...
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