新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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連休最後の2日間はNHK朝ドラ『ちりとてちん』総集編を見て過ごしました。後編は実際に見ていただけに特に端折ったなぁという印象がありました(小草若君の失踪~復活エビは入れて欲しかったなぁ、前編クライマックスの草若師匠復活エビと重なるところなので……放送時間の長さを考えたら無理なんですけど^_^;)。
宮城
仙台藩士よ安らかに 戊辰戦没者あす慰霊祭
大阪
大阪城天守閣で「描かれた・写された大阪城」展―終了間近に迫る
山口
萩焼まつり始まる
鹿児島
小松帯刀の手紙 日置市の民家に保管
薩長同盟奔走時 妻・お近へ気遣いあふれ
米国マサチューセッツ州
米マサチューセッツ州で万次郎の家を修復、寄贈
宮城
仙台藩士よ安らかに 戊辰戦没者あす慰霊祭
戊辰戦争白河口の戦い(1868年5―7月)で戦死した仙台藩士の慰霊祭を前に、福島県白河市女石地区の住民が先月29日、「仙台藩士戊辰戦没之碑」周辺の清掃に汗を流した。
清掃活動を行ったのは女石供養会(石田絹子会長)の11人。碑に香華を供えた後、2時間近くかけて雑草を抜き、コケをかき取り、枯れ葉を集めて碑の周辺をきれいにした。
大阪
大阪城天守閣で「描かれた・写された大阪城」展―終了間近に迫る
大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城1)で5月6日まで、「描かれた大阪城・写された大阪城」の展示会が開催している。
同展示会は、大阪城天守閣が収蔵する関連資料を通じ、過去から現在に掛けての大阪城の歩みを辿り、豊臣秀吉・徳川家康など、各時代に表れる大阪城の歴史を紹介するというもの。展示物は、秀吉築造大阪城の威容を描いた屏風絵や、江戸時代に大阪名所のひとつとして描かれた大阪城の風景画、城に勤務した武士たちが用いた絵図、陸軍の管轄下にあった近代大阪城を撮影した古写真や絵葉書など。
開催初日の3月15日からの10日間には、幕末の慶応元年(1865)もしくは2年のものと推定される写真原版6点が限定公開された。その内の5枚は大阪城内を撮影したものとしては現存最古のもの。「この作品を目当てに来られる方も多く、とても反響が良かったです」(主任学芸員・宮本さん)と話す。
山口
萩焼まつり始まる
萩焼の作品を展示即売する恒例の「萩焼まつり」(実行委主催)が1日、萩市椿の市民体育館で始まった。5日まで。
窯元や販売店など59業者が、抹茶茶わん、水指などの茶道具類から皿、酒器、花入れなど多種多様の作品を販売。通常価格より2、3割安い上、店によっては値切り交渉にも応じる。会期中は、ろくろ体験や食卓をテーマにしたテーブルコーディネート展、特産品販売なども行われる。
これまで5、6回訪れている神奈川県相模原市の石渡智子さん(47)は「萩焼は微妙な色の変化がおもしろい。今回は茶道具を求めるつもり。何度来ても楽しい」と話していた。3、4日は明治維新140年記念の「萩・大茶会」が萩城跡・指月公園などで開かれ、流派ごとの薄茶席などが設けられる。
鹿児島
小松帯刀の手紙 日置市の民家に保管
薩長同盟奔走時 妻・お近へ気遣いあふれ
日置市の民家に保管されていた薩摩藩家老・小松帯刀(1835-70年)の手紙が、妻のお近あてで、貴重な内容も含むことが専門家の判読で分かった。明治維新の立役者としての活動をうかがわせ、優しい人柄もにじむ。大河ドラマ「篤姫」で脚光を浴びた歴史的人物の実像を知る手がかりとなりそうだ。
同市日吉町日置の内田大三さん(75)宅にあった手紙で、年号はなく、7月11日付とある。長崎に10日到着し、足の痛みは心配ないこと。お近の体を気遣い、薬と思われる「清心丸」を送ったことなどが記され、妻への思いやりにあふれる。
鑑定した鹿児島大学の原口泉教授(日本近世史)によると、ほかの記録から薩長同盟実現へ奔走中の1865(慶応元)年とみられる。長州藩士らに接触する直前に長崎から送付されたとみられ、「同盟成功に向けた小松の動きが見てとれる1級史料」と評価する。
鹿児島県史料集「小松帯刀伝」では、小松は長崎で長州藩の伊藤博文らと接触した後、井上馨を伴って薩摩に戻り、大久保利通らに引き合わせている。一方、手紙には「近々大坂に着いたら、詳しいことを知らせる」とあることから、原口教授は「小松は当初、長崎からすぐ京都へ上がる予定だった。だが同盟成功には、自らが井上らを伴い、薩摩藩幹部に目通しする必要があると判断。急きょ予定を変更した」と推察できるという。
米国マサチューセッツ州
米マサチューセッツ州で万次郎の家を修復、寄贈
江戸時代末期に日本人として初めて米国に渡ったジョン万次郎(中浜万次郎)が米東部の町、フェアへーブンで滞在した住宅の修復計画を進めている聖路加国際病院の日野原重明理事長らが6日、同町を訪れ、住宅を修復後、友好記念館として町に寄贈するという内容の合意文書を町との間で取り交わす。
家は万次郎を米国に連れ帰った米捕鯨船のホイットフィールド船長宅。修復後は「ホイットフィールド・万次郎友好記念館」と名付けられ、来年5月に万次郎の足跡を見つめ直し、日米の民間外交を再評価するための施設として生まれ変わる。
合意文書には日本側から日野原氏、フェアヘーブン側から町の理事らが署名。町は寄贈を受けた後、友好協会を設立し記念館の運営に当たる予定。
家は荒れ果てた状態で売りに出されていたが、万次郎の生き方に共感を持つ日野原氏らが聞き付け、募金活動を展開。昨年11月、約5000万円で取得した。修復費用は約3000万円かかるが、米国側からかなりの部分を無償で行うとの申し出もあるという。
フェアヘーブンはマサチューセッツ州ボストンの南約100キロの港町。(共同)
◆ジョン万次郎 土佐(高知県)の漁師の次男として生まれ、14歳だった1841年、仲間の漁師と一緒に出漁中に遭難し、無人島に漂着。米国の捕鯨船に救助され、43年、ホイットフィールド船長に連れられマサチューセッツ州フェアヘーブンに滞在し英語、数学、航海術を学んだ。51年に鎖国下の日本に帰国。幕末の激動期に通訳、教師などとして活躍。その生涯は井伏鱒二の小説にもなり、渡米第1号の日本人として日米友好のシンボル的存在として知られる。(共同)
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