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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日は旧暦と新暦の違いがあるものの土方さんの誕生日。新選組ふるさと歴史館佐藤彦五郎新選組資料館土方歳三資料館と日野を廻ってきました。レポはこれから書いて後刻本宅にアップする予定です。

大阪
「マイホームパパ西鶴」 一心寺がマップで史跡を紹介 大阪
 
多くの古社寺が残る大阪・夕陽丘、上町台地エリアを楽しく散策してもらおうと、エリア内にある一心寺(大阪市天王寺区)が、歴史のエピソードを盛り込んだイラスト地図「夕陽丘むかし話マップ」を作成した。「大坂のアイドル夕霧」や「大坂にも新選組屯所があった?」など、独自のキャッチコピーで寺院や史跡を紹介している。
 同寺長老で建築家でもある高口恭行師(68)が企画。昨年夏から準備を始め、「大阪人物辞典」(三善貞司編)などを参考に、編集スタッフとイラストレーターが現地を歩き、手描き風のマップに、周辺の墓や石碑などにまつわるエピソードと、味わいのあるイラストを盛り込んだ。
 とりわけ苦心したのが“宣伝文句”。好色物で知られる井原西鶴の像のエピソードには「マイホームパパ西鶴」、大坂で亡くなった松尾芭蕉の句碑は「大坂で芭蕉の旅も夢の跡」、二日酔いで戦に不覚をとった武将の墓は「一心寺本多忠朝の墓は断酒祈願の御利益」など、クスッと笑える話がいっぱい。
 高口長老は「大阪の街は戦争で焼けているので残ったものは墓ばかり。でもこの地図を見ながら歩けば、親しみを感じてもらえるのでは」と話している。
 A3判。5000部をカラー印刷し、一心寺三千佛堂と南会所「夕陽丘案内しま所」で無料配布している。

 夕陽丘、上町台地エリアといえば、土方さんを主人公にした某創作歴史小説の舞台になったところですなぁ……(苦笑)。
 「大坂にも新選組屯所があった?」とは、谷万太郎の道場のことかな。

徳島
「葉タバコの町」伝えたい
「資料館」入館低迷
三好市池田町で、かつて県内一の葉タバコ生産の町として栄えた歴史を伝える「阿波池田たばこ資料館」の入館者数が低迷している。同町の中心部に観光の目玉として開設されたが、入館者は当初から少なく、2008年度はわずか877人。喫煙者が激減してたばこに関心を持つ人が減っている上、江戸時代から400年続いた町内の葉タバコ栽培は、生産者減で今年が最後。資料館を運営する市は、強まるばかりの逆風に危機感を募らせ、新たな集客方法を検討している。(土井省一)

 資料館は旧池田町が、幕末~明治時代に刻みたばこ製造所として栄えた旧真鍋家を購入、改装して00年7月オープン。2階建ての作業棟に、製造工程を解説する模型や喫煙具、たばこの見本など約200点を展示している。各時代の帳簿類、製造の様子を撮ったパネル写真、タバコの葉も並べた。

 入館者は、市委託管理人の竹内勝子さん(65)の説明を聞きながら館内を巡り、展示資料から葉タバコ生産で栄えていた町の様子を知る。入り口では刻みたばこの喫煙を体験できる。

 開館時は「地元の子どもたちに郷土の歴史を伝えよう」との期待もあったという。しかし、資料館前の道路が狭くて車で訪れるには不便で、開館直後から期待したほど人は訪れなかった。

 市によると、有料入館者は最近では04年度の1166人が最高で、年間800人から1100人で推移。特に08年度は冬場が少なく、12月は19人、1月22人、2月20人で、入館者ゼロの日もあった。竹内さんは「訪れた人は素晴らしいと言ってくれますが、平日はあまり来ない」と残念そうだ。

 池田町の葉タバコ栽培は、江戸時代に同市山城町で始まったとされ、池田町内でも多くの農家が栽培。旧日本専売公社(日本たばこ産業)の工場が町の中心にあった。しかし、工場は1990年に廃止され、葉タバコの買い取りも、高齢化や価格低迷で栽培農家がかつての50戸から3戸に減り、今秋打ち切られる。

 たばこは、市民からますます遠ざかり、資料館を取り巻く環境は厳しくなる一方。市は、少しでも観光客や市民を呼び込もうと町内に案内板を置いたり、展覧会などの企画展を開いたりしているが、効果は見えない。「新たなPR方法を」と、夏の観光シーズンでの企画展開催も検討している。

 〈葉タバコの町〉を知らない人が多くなった今、「なぜたばこ資料館があるか」をアピールすることが必要だ。栽培が終わっても、町の歴史の伝承まで、あきらめてはならないだろう。



 入館料は一般300円、高校、大学生200円、小中学生100円。(20人以上の団体は各半額)。問い合わせは同資料館(0883・72・3450)。


長崎
長崎居留地研究会:市民有志が設立、外国人の事跡掘り起こし /長崎
長崎居留地研究会:市民有志が設立、外国人の事跡掘り起こし /長崎
 江戸末期の長崎開港(1859年)後、現在の長崎市大浦地区を中心に栄えた旧外国人居留地を、市民有志が研究する「長崎居留地研究会」(会長・姫野順一長崎大教授)がこのほど設立された。今年の開港150周年を機に、横浜、神戸両市に比べて遅れていた外国人の事跡研究を、史料調査や関係者からの聴き取りで進め、埋もれた歴史に光を当てる。【錦織祐一】
 長崎市は07年、旧フランス領事館の洋館「東山手十三番館」(国登録有形文化財)を取得して改修し、4月23日に市民向け交流スペースとして再オープンさせた。研究会はこの2階を事務局として同日設立。観光客への情報発信にも取り組む。
 4月23日には、まち歩き観光キャンペーン「長崎さるく」の「幕末編」もスタート。古写真研究を進める姫野会長は「居留地への市民の関心が高まっている。かつての街角を再現するなど歴史の掘り起こしを進めたい」と話している。
 副会長のブライアン・バークガフニ長崎総合科学大教授は「居留地に洋館は残っているが、誰が住み、何をしていたかの研究は進んでいない。市民の皆さんで研究を進め、建物にもう一度、生命、魂を入れたい」と訴えた。
〔長崎版〕


コラム
【次代への名言】5月6日・坂本龍馬
■ゆく春も心やすげに見ゆるかな 花なき里の夕暮の空(坂本龍馬)

 歴史というものは動きそうで動かないし、動いてなさそうで動いている実例といえようか。幕末も佳境に入りつつあった1865年のきょう(正確には旧暦で閏(うるう)5月6日)、坂本龍馬と長州藩代表、桂小五郎が商都・下関で合流した。長州にとって「賊」であった薩摩藩の雄、西郷隆盛と会い、歴史を回天させる薩長同盟を交渉するためだった。
 「六日 桂小五郎来ル」と龍馬の手帳にある。しかし、肝心の西郷がついに来たらず、薩長会談は実現しなかった。面目をつぶされたかっこうの長州側、ことに小五郎は激怒する。
 「よく考えてみれば、この下関で西郷が来て君(小五郎)と握手し、いきなり薩長連合をとげる、というのははじめからむりさ」と『竜馬がゆく』で司馬遼太郎は、龍馬に言わせている。だが、さすが維新の主役たちだ。対幕府戦に備えた兵器を薩摩藩名義で長州藩が購入し、その仲介を龍馬が主催する亀山社中が行う、という現実的な漸進(ぜんしん)案が成立する。
 薩長ではなく、「天下(日本(ニッポン))」のために龍馬が奔走し、倒幕と維新を実現する薩長同盟が締結されるのはその8カ月後。冒頭は、そんな龍馬が小五郎に贈った和歌である。










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