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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 やっとMyClip機能が復活しました。ありがたや有り難や。
 毎週楽しみにしている山内教授の連載、今日は請西藩主・林忠崇です(旧幕府側に思い入れのある方には、この殿様のファンも多いかと……自分もです)。戊辰戦争後どう生きたかも含めて、文章は短いのに読み応えがありました。

北海道
中華会館、今年も特別公開 7月1日から2カ月
 函館市大町1の函館中華会館が、今年の函館開港150周年に合わせて特別公開することが9日、分かった。期間は7月1日から8月24日までの約2カ月間。同館を管理する社団法人「函館中華会館」の陳上梅理事長(81)は「清朝末期の中国文化を多くの皆さんに知ってもらい、開港150周年を盛り上げたい」と話している。

 同館は建物の老朽化などに伴い2005年から公開を休止していたが、昨年、四川大地震の被災者を支援しようと4年ぶりに公開され、7月5日から8月16日までの約40日間に約6000人が入館した。今年は函館開港150周年を応援しようと、2月に開いた函館華僑総会(会長=陳理事長)の総会で特別公開を決めた。

 函館と中国とのかかわりは深く、1859(安政6)年の開港とともに、中国広東省出身の陳玉松がコンブを買い付けるために来函したのが始まり。同館も1910(明治43)年、函館に住む華僑が出資して作られた。陳理事長は「開館当初は華僑が団結して商売をしていくための集会所として使われていた。開港の節目を機に公開する意味は大きい」と話す。

 建物は中国から大工や彫物師などの技術者を呼び寄せて建設。くぎを1本も使わない純中国式れんが作りの平屋で、2001年には国の登録有形文化財に指定された。館内には中国で最も強い神とされ、華僑の心の支えとなった三国志の英雄「関羽」をまつった関帝壇がある。

 陳理事長は「装飾品の一つ一つに、当時の中国の考えが詰まっている。館内を見て中国を理解し、日中友好のいい機会になれば」と、多くの来場を呼び掛けている。

 開館時間は午前11時半から午後4時半まで。入館料は大人600円、高校生350円、小中学生200円。


福岡
福岡にまつわる2つの歴史 「月形洗蔵」「玄洋社」学ぼう 西日本新聞天神文化サークル 14、25日に講座
 西日本新聞天神文化サークルは14日と25日、福岡市中央区天神2丁目・天神ビル10階の同サークルで福岡にまつわる2つの歴史講座を開講する。

 14日は「筑前勤王党月形洗蔵の生涯」で、講師は筑前藩維新史研究会主宰の力武豊隆さん。25日は「玄洋社と日中戦争」で、講師は福岡地方史研究会会長の石瀧豊美さん。いずれも午前10時半から正午まで、受講料各800円(資料代含む)。

 月形は幕末の福岡藩で筑前勤王党のリーダーとして奔走、薩長の倒幕派と手を結び藩論を尊王倒幕へリードした。だが藩内は勤王、佐幕両派の対立が激化。1865年、月形ら勤王派は前家老加藤司書を筆頭に180人余りが断罪された。西郷隆盛に「士気英果なる、筑前においては無双というべし」と評された月形の思想、行動をたどる。

 玄洋社は頭山満らが結成した政治結社。国家主義的団体として戦後、GHQから解散を命じられる。孫文の革命運動を支援したことは広く知られるが、日中戦争勃発(ぼっぱつ)後、両国の和平に側面から働きかけたことは歴史の中に埋もれている。頭山は孫文の後継者たちに信頼が厚く、近衛内閣はその名声によって蒋介石に和平のメッセージを送った。37年から終戦までの頭山を通した日中和平の軌跡を振り返り、知られざる史実を明らかにする。

 定員は各40人。申し込み、問い合わせは同文化サークル=092(721)3200。


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(14)東大教授・山内昌之 林忠崇
■高楊枝と“桐の下駄”

 

筋を通す意地や信念

 「武士は食わねど高楊枝(ようじ)」という言葉もほとんど死語と化したかもしれない。しかし、政治には筋を通す意地や主義主張への信念こそ大事であり、損得や“風”を勘定して政界を遊泳する人はどこか尊敬されないものだ。長い目で見ればブレない政治家の生き方に共感する有権者も多い。

 郵政解散時に選挙区へ公認対立候補を立てられ、落選した若い政治家もいる。自民党を離れて4年間、節を曲げずに「武士は食わねど高楊枝」と気張った元議員の返り咲きを期待する声も高い。

 幕末にも筋を通した武士(もののふ)は少なくない。なかでも脱藩大名と謳(うた)われた林忠崇は、その気概と信念で他を圧している。今の千葉県にあった請西(じょうざい)1万石の領地を朝廷に返上し、自ら脱藩浪人となって徳川の恩顧に応えるべく、新政府軍と戦った稀有(けう)の人物である。

 大名自ら脱藩した例は彼以外になく、いまや浪人となった家臣団とともに一藩あげて徳川家のために立ち上がったのだ。死を予期して明治元年に詠んだ辞世は凄絶(せいぜつ)である。

 「真心のあるかなきかはほふりだす腹の血潮の色にこそ知れ」

 林家は小禄とはいえ、正月元旦に徳川将軍より最初に盃(さかずき)を賜る名誉の家柄であった。「丸のうち三つ頭左巴に下一文字」の家紋は丸で賜盃、一文字で一番目を強調している。それは「献兎賜盃(けんとしはい)」なる儀式と関係していた。

 林家の祖先が貧窮を極めながら、徳川(松平)家の遠祖のために元旦の雪の野で兎(うさぎ)を捕まえ、麦飯と兎肉の吸い物で供応したことを歴代の将軍が徳としたからだ。
義と誇りかけ立ち上がる

 加えて林忠崇は、文武両道にすぐれ、将来の幕府を担う譜代大名として嘱目(しょくもく)された逸材であり、徳川を絶家にしようとする新政府の姦計(かんけい)を憎んだのであろう。

 義と誇りをかけて立ち上がった忠崇の颯爽(さっそう)とした姿は、中村彰彦氏の小説『遊撃隊始末』の冒頭にもリアルに描かれている。

 忠崇の凄(すご)みは、大名として家臣団への責任感や反抗への戦略眼に恵まれていた点にもある。頼った仙台藩も新政府に恭順降伏すると、折から徳川家の存続と最後の将軍慶喜の命が保障されたので、これ以上の抵抗は私戦にすぎないと判断した。これは凡(ぼん)な発想ではない。降伏した忠崇は切腹こそ免れたものの、甥(おい)の忠弘に家を相続させても旧大名としての華族礼遇を与えられなかった。こうして忠崇は、旧大名として政治家や官僚に転じる道を封じられてしまう。

 しかし、人間としての本当の凄みはここから始まる。明治5(1872)年に赦免された忠崇は、とても名門の末裔(まつえい)とは思えぬ人生を送る。まず旧領地で鍬(くわ)鋤(すき)を振るう開拓農民となり、東京府の学務課下級官吏、函館の物産商の番頭、大阪府の役所書記などの職を20年以上も転々とした。普通の没落士族でもつらい有為転変である。
 

世襲なげうった心意気

 忠崇のたくましい精神力には驚くほかない。これだけの人生体験をもった旧大名が政治家や官僚になっていたなら、多彩な経験をいかしてどれほどの業績を挙げたであろうか。

 天道是か非か、である。忠崇は、どの時代の政治家が望んでも得られない94歳の長寿をまっとうした。雅号は一夢。人生はまことに一炊の夢のようだというのだ。 彼の悟達は晩年に詠んだ句がよく示している。

 「琴となり下駄となるのも桐の運」

 いま世襲議員の功罪がしきりに取り沙汰(ざた)されている。社会で堅実な下積み経験をもたず、官庁や企業の採用試験も受けずに、20代で家業として政治家を継ぐ若者には、世襲大名を擲(なげう)った忠崇の心意気とまではいわぬが、せめて一時でも“桐の下駄”となる試練だけは味わってほしいものだ。(やまうち まさゆき)

【プロフィル】林忠崇

 はやし・ただたか 嘉永元(1848)年7月、上総請西(かずさじょうざい)=千葉県木更津市=藩主の五男として生まれる。20歳で家督を継ぎ藩主となる。林家はわずか1万石ながら、若年寄など徳川幕府の要職を務める家柄だったため、忠崇も忠誠心に富んでいた。戊辰戦争で、伊庭(いば)八郎らが率いた旧幕府軍の遊撃隊から協力を求められると、忠崇は徳川家や請西藩領民に迷惑をかけまいと脱藩し、出陣したが、敗北。新政府は脱藩を反逆とみなし、忠崇は江戸唐津藩邸に幽閉された。明治5(1872)年、釈放され、帰農した。同26(1893)年、林家の家名復興の嘆願により、華族の一員になった。その後は宮内省や日光東照宮に勤めたが、昭和16(1941)年、都内の次女宅で死去。94歳だった。最後の大名ともされる。





 
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