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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 録画しておいた『名将の采配』毛利元就の回を見ています。大河ドラマ『毛利元就』は割と最初の方で脱落してしまいましたが、「今だったら楽しんで視聴できたかも知れない」と思うほど陶氏との戦いにおける戦略戦術はとても面白いです!今後も面白いネタの本数を確保できるかなぁと思いつつも、『タイムスクープハンター』同様、深夜枠からの独立を期待する番組です。
(拙宅6月4日付記事「趣味の番組」で『名将の采配』ハンニバルの回に言及してますので、リンク&トラックバックしておきます)
 「昨日の放送」「大河ドラマ」つながりの余談ですが……今年の大河ドラマには脱落しました自分は、昨日の『歴史サスペンス劇場』スペシャルで直江兼続とお船のドラマで補習を受けた気になって満足しました(爆)。微妙に似てる俳優さん起用・何となく似てるような気がするBGM採用など、いつものネタではありますが……いつもだったら「また脚色入ってるよ」と苦笑しながらネタとして見ている番組、今年の大河ドラマ視聴から脱落した白牡丹をこのタイミングで救済してくれた制作陣の目のつけどころに感謝です(大苦笑)。


神奈川
日本新聞博物館で「開港5港と新聞」展-新聞は開港場に生まれる
日本新聞博物館で「開港5港と新聞」展-新聞は開港場に生まれる
 「日本新聞博物館 ニュースパーク」(横浜市中区日本大通11)は、開港5都市に生まれた新聞の歴史をたどる企画展「開港5港と新聞」を開催している。
 同展示は、横浜が今年6月に国際貿易港として開港してから150周年を迎えたことを記念して企画されたもので、1858(安政5)年の日米修好通商条約により開港した横浜、長崎、函館、神戸、新潟で発行されている新聞6紙の協力を得て実現。開港5都市に生まれた新聞の歴史に焦点を当て、幕末期に誕生した新聞を中心とする約200点の資料により、開港による人や海外情報、文化の流入など新聞誕生における開港の意味に迫る。
 関連イベントして6月20日に「開港5港と新聞」の開催記念講演会「新聞は開港場に生まれる」を開催。上智大学名誉教授の春原昭彦さんが「開港と新聞の誕生」をテーマに、上智大学文学部教授の鈴木雄雅さんが「外国人居留地と新聞」について講演する。会場は、2階ニュースパークシアターで定員120人(申し込み先着順・聴講無料、当日は博物館の無料見学可能)。
 入場料は、一般・大学生=500円、65歳以上=400円、高校生=300円、小・中学生無料。開館は10時~17時(入館は16時30分まで)。月曜日休館。企画展は2階企画展示室で7月20日まで。
 同展示担当者の平野新一郎さんは「記念講演会では、新聞誕生に開港が与えた影響や、居留地で発行された英字新聞が果たした役割など、幕末・明治期の新聞事情についてお話いただきます。あわせて企画展をご覧いただければ、開港と新聞との深い関わりについて、いっそう知識を深めていただけると思いますので是非ご来場ください」と話す。
 日本新聞博物館は日刊新聞発祥の地である横浜市に2000年10月に開館。常設展示として、新聞の歴史や新聞がつくられるまでを紹介するほか、企画展示室ではテーマに沿った展示を行っている。また、パソコンで新聞の製作体験ができる「新聞製作工房」や全国の主要紙を閲覧できる「新聞ライブラリー」が併設されている。同博物館がある横浜情報文化センターの8階には、放送番組を収集・保存して一般にも公開している「放送ライブラリー」が入居している。


開国当時の総領事室を初公開/横浜
開国当時の総領事室を初公開/横浜
 旧英国総領事館の建物にある横浜開港資料館(横浜市中区)で、当時の総領事執務室が特別公開されている。一般来館者への公開は初めてで、英王室の紋章なども見ることができる。開港150周年記念事業で12月27日まで。
 薄茶の壁と白の天井で囲まれた総領事執務室は約36平方メートルで、2つの大きな窓から木漏れ日が差し込む落ち着いた雰囲気。壁には、1972年まで実際に領事館正門に掲げられていた、ライオンとユニコーンを模した鉄製の英国王室紋章が飾られているほか、明治維新期に日本語書記官として活躍したアーネスト・サトウの木製トランクも展示。調度品が往時の荘厳な雰囲気を再現している。
 旧英国総領事館は、関東大震災で崩壊後、1931年に再建された建物。執務室は来賓用応接室として使用されてきたといい、横浜開港資料館は「貴重な資料を見られる絶好の機会」と話している。
 月曜休館で午前9時半~午後5時まで。資料館は一般200円だが、執務室の観覧は無料。問い合わせは横浜開港資料館電話045(201)2100。


愛知
今年は舟参宮実現
 豊橋青年会議所青年部(YEG)は9日、今年も「ええじゃないか行脚隊」を結成し、7月11・12両日、伊勢市でのPRや伊勢神宮参拝を行うと地元ラジオ局・FM豊橋で発表した。
 幕末の「ええじゃないか騒動」の発祥の地とされている豊橋を内外にPRし「ええじゃないか豊橋」のブランド化を進める試みの一環で、04年から取り組んでいる。「行脚隊」が伊勢に向かうのは今年で4回目。現地では、伊勢YEGメンバーとも交流する。
 権田のり子実行委員長によると、今回の伊勢行きは、江戸時代の「お伊勢まいり」ルートのひとつ「舟参宮」を再現する。当初、忠実に再現するため吉田湊(豊川橋付近)から伊勢に向かう案も考えられたが、実現性の問題から伊良湖岬でフェリーに乗って伊勢に向かうことになった。
 今年の行脚隊は、出発地の豊橋から伊良湖岬まで約50キロを自転車で移動。道中もええじゃないかのPRをしながら進む。11日は、出発前に牟呂八幡宮で道中安全の祈祷(きとう)を受けた後、幕末に三河の国・吉田の牟呂(豊橋市牟呂町)に伊勢神宮のお札が舞い降りたという故事にちなみ「お札まきイベント」を行う。


滋賀
彦根市長が萩の松陰の墓参り計画 因縁払拭 友好築く
 江戸時代末期、安政の大獄(1858~59年)で吉田松陰ら尊皇攘夷派を弾圧した幕府大老、井伊直弼(なおすけ)(1815~60年)の国元にあたる滋賀県彦根市の獅山向洋市長が8月下旬、市の人気キャラクター、ひこにゃんや市民とともに、山口県萩市を訪れ、松陰の墓を参る計画を進めていることがわかった。11月には萩市長らが彦根市を訪問する予定もあり、幕末の因縁が約150年の歳月を経てようやく晴れると期待されている。
 彦根市は「桜田門外の変」で直弼を殺害した水戸藩浪士の地元、水戸市と昭和43年に親善都市提携を結んでいる。しかし、直弼が処罰した尊皇攘夷派側の自治体とは、これまで目立った交流をしてこなかった。
 彦根市は昨年から開催中の観光イベント「井伊直弼と開国150年祭」を機に、獅山市長が尊王攘夷派の志士を生んだ都市との友好親善を発案。吉田松陰の墓参について萩市に打診したところ、萩市側は松陰ゆかりの団体の関係者らが出迎えることになった。
 墓参には公募の市民と井伊家18代当主で、彦根城博物館の井伊直岳館長も参加するという。
 獅山市長は「開国150年を機に心のわだかまりを解き、萩市や他の都市とも市民同士の友好関係を築きたい」と話している。


彦根市長がひこにゃんと松陰の墓参り 150年のわだかまり払拭へ
彦根市長がひこにゃんと松陰の墓参り 150年のわだかまり払拭へ
 江戸時代末期、安政の大獄(1858~59)で吉田松陰ら尊皇攘夷派を弾圧した幕府大老、井伊直弼(なおすけ)(1815~60)の国元にあたる滋賀県彦根市の獅山向洋市長が8月下旬、市の人気キャラクター、ひこにゃんや市民とともに、山口県萩市を訪れ、松陰の墓を参る計画を進めていることがわかった。11月には萩市長らが彦根市を訪問する予定もあり、幕末の因縁が約150年の歳月を経てようやく晴れると期待されている。
 彦根市は「桜田門外の変」で直弼を殺害した水戸藩浪士の地元、水戸市と昭和43年に親善都市提携を結んでいる。しかし、直弼が処罰した尊皇攘夷派側の自治体とは、これまで目立った交流をしてこなかった。
 彦根市は昨年から開催中の観光イベント「井伊直弼と開国150年祭」を機に、獅山市長が尊王攘夷派の志士を生んだ都市との友好親善を発案。吉田松陰の墓参について萩市に打診したところ、萩市側は松陰ゆかりの団体の関係者らが出迎えることになった。
 墓参には公募の市民と井伊家18代当主で、彦根城博物館の井伊直岳館長も参加するという。
 獅山市長は「開国150年を機に心のわだかまりを解き、萩市や他の都市とも市民同士の友好関係を築きたい」と話している。


テーマ展:湖東焼の民間絵付師・自然斎 多彩な作品紹介--彦根城博物館 /滋賀
テーマ展:湖東焼の民間絵付師・自然斎 多彩な作品紹介--彦根城博物館 /滋賀
◇幕末~明治初期、茶道具や燭台--23日まで
 彦根市金亀町の彦根城博物館でテーマ展「湖東焼絵付師 自然斎(じねんさい)」が開かれている。彦根藩領の中山道鳥居本宿で湖東焼の民間絵付師として活動した自然斎(岩根治右衛門)をテーマにした初の展示で、幕末から明治の作品や資料計40点を公開している。23日まで。会期中無休。【松井圀夫】
 湖東焼は江戸末期に始まり、彦根藩窯(はんよう)として焼かれた。自然斎は1856(安政3)年に絵付師仲間3人とともに藩の許可を得て、藩窯とは異なる体制で湖東焼を手掛けた。鳥居本宿で旅籠(はたご)を経営しながら作品を仕上げ、藩に納入したほか、旅人にも販売した。1877(明治10)年に57歳で死去。茶の湯や煎茶(せんちゃ)の道具から飲食器、燭台(しょくだい)や置物まで、多彩な作品を残している。
 展示は個人の所蔵品が中心。菊を主体に秋草や月、コウモリなどを描いた「赤絵秋草蝙蝠図燭台(あかえあきくさこうもりずしょくだい)」、女郎花(おみなえし)などの草花を配した茶道具「色絵花卉図蓋置(いろえかきずふたおき)」は秀作という。
 彦根藩が自然斎らに発行した、民間で絵付けを行うことを許可した「焼付絵窯元鑑札(やきつけえかまもとかんさつ)」や、急須などに絵付けをする43歳当時の自然斎の肖像画、湯飲みの下絵などを描いた自然斎の印章を押した画帳などもあり、同館は「彦根が生んだ絵付師、自然斎の活動を知ってもらえる」としている。
 観覧料は一般500円▽小・中学生250円。問い合わせは同館(0749・22・6100)。



京都
龍馬ゆかりの資料紹介
文化博物館 寺田屋あての手紙など

 海援隊などについて触れた龍馬の手紙(中京区の京都文化博物館で)  幕末の志士、坂本龍馬(1836~67)ゆかりの資料を紹介する特別陳列「龍馬からの手紙~坂本龍馬書簡集と龍馬ゆかりの品々~」が中京区三条高倉の京都文化博物館で開かれている。14日まで。
 龍馬が懇意にしていた寺田屋(伏見区)にあてて送った5通の手紙が一つの巻物にまとめられたものや、寺田屋で襲撃を受けた際に持っていたと伝わる刀のつばなどを展示している。
 手紙は、いずれも寺田屋の主人伊助や妻の登勢あて。伊助への手紙は、龍馬が海援隊長だったことの根拠とされているもので、航海中に紀州藩の船と衝突し、紀州藩の対応に腹を立てたことなどが記されている。
 一方、登勢にあてた手紙は、妻おりょうの母が寺田屋で世話になっていることの礼や、妻の妹の行方を気にかけるなど、龍馬の細やかな心遣いが現れている。
 また、才谷梅太郎や取巻抜六など、偽名を用いており、龍馬が緊迫した状況に置かれていたことも伝わってくる。刀のつばは、寺田屋に残された物とされる。卍形をつないだような「紗綾形紋(さやがたもん)」が地紋として施され、金や銀で装飾した跡もある。
 月曜休館。入館料は一般500円、大学生400円、高校生以下無料。


高知
幕末土佐の絵師・絵金の作品が商店街の軒先に並べられる。おどろおどろしい屏風絵に目が釘付け!
 幕末から明治にかけて土佐で活躍した町絵師・絵金。鮮やかな色彩で描かれた凄惨な絵は、独特の雰囲気を醸し出す。
 「絵金祭り」は、絵金の描いた屏風絵を間近に見られる年に1度の貴重な機会。宵闇迫る頃、商店街の軒先にずらりと絵金の作品が並ぶ。おどろおどろしい作品が百匁ろうそくの灯りの下に浮かび上がり、見る人を妖しげな世界へといざなう。また、特設会場では屏風絵を題材とした「土佐絵金歌舞伎」も上演。
 今も多くのファンを魅了して止まない絵金ワールドを、存分に堪能しよう。


山口
メモ帳から:長州ファイブ /山口
メモ帳から:長州ファイブ /山口
 幕末の長州藩の若者5人に光をあてた映画「長州ファイブ」を見た。密航は死罪という幕府の国禁を侵して英国に留学し、最も進んでいる文明を知って国造りにいかそうという若者だった。
 蒸気機関車、造幣技術。建ち並ぶビルに目を見張る。それが後の国造りをリードしていく。明治維新から140年。長州の血が流れる萩の若者はと考えた。
 市広報5月号の学校だよりで「高校卒業生が萩に残るのはわずか約1割。9割以上が市外・県外へ」とある。萩市と阿武町の今年3月の卒業生535人。市内に残るのは大学5人、就職28人、専修学校など17人の計50人だった。
 萩は明治維新後に夏ミカンが産業になり、お菓子なども発展した。城下町の保存で観光客も多い。若者が旅立ち、地元の1次産業に大きな影響を与える日がくることを期待したい。【川上敏文】




長崎
龍馬から庶民まで 幕末の写真家彦馬
 日本写真術の開祖と呼ばれる上野彦馬の足跡を訪ねて長崎へ。薩摩の御用商の家に生まれた彦馬は、1862年(文久2年)、営業写真師になった。
 しかし開業当初は「写真は寿命を縮める」などと言われ、誰も写しに来なかった。迷信を恐れなかったのは、幕末の志士たちだった。坂本龍馬の写真はとても有名だ。
 彦馬の作品(レプリカ)は、東山手地区の古写真資料館で見ることができる。路面電車を降りて、オランダ坂をのぼる。私と柴田さんの横を、地図を持った修学旅行生が元気よく追い越していく。この辺りはプロイセン領事館や礼拝堂が立ち、領事館の丘と呼ばれた居留地だ。古写真資料館は当時の洋館で、丘を吹く風が気持ちいい。
 彦馬の写真は、龍馬、高杉晋作、桂小五郎、ニコライ2世など有名人から市井の人々、眼鏡橋など地域の風景まで幅広い。私が心惹かれたのは、幕末から明治の女性たち。えくぼを見せる可愛い少女やきりっとした芸者さん。みなイキイキしている。
 彦馬の家族写真もあったが、本人の笑顔はなし。細面で目も細く、意志が強そうだ。彦馬は西南戦争に従軍し、記録写真も撮った。危険なこともあったはず。彦馬のおかげで、幕末の志士の素顔も歴史の一端も知ることができる。写真の力を実感した。(ペリー荻野 コラムニスト)


コラム
【元気のでる歴史人物講座】(23)坂本龍馬
■歌にも詠んだ尊皇の心

 今日、最も人気の高い維新の志士、坂本龍馬は尊皇の心が深かった。坂本家は代々、国学、神道、和歌を学ぶ伝統、家風があり、その感化を受けた龍馬の精神、行動の根本にあったのは、強い皇国意識、神国思想である。これが分からなければ、龍馬は当世風の民主主義者になってしまう。
 和歌を愛し自ら詠んだ龍馬は、宗良(むねなが)親王(後醍醐天皇皇子)が編纂(へんさん)した新葉(しんよう)和歌集を愛誦(あいしょう)した。龍馬は手紙でこう書いている。
 「新葉集とて南朝、楠木正成(くすのきまさしげ)公などの頃(ころ)、吉野にて出来し歌の本なり。これがほしくて京都にて色々求め候えども一向手に入らず。かの吉村よりお借り求めされ、おまえ(坂本家の元お手伝い)のだんなさんにおん写させ、おん願いなされ、何とぞ急におこし下さるべく候」
 新葉集は南朝の天皇及び南朝に忠誠を尽くした人々の歌集で、志士たちの座右の書となったものである。
 龍馬と志士たちが最も尊崇(そんすう)したのは楠木正成である。「月と日のむかしをしのぶ湊川(みなとがわ) 流れて清き菊の下水(したみず)(楠木家紋)」。龍馬の楠公(なんこう)仰慕の歌である。
 「この数ならぬ我々なりと、何とぞして今上(きんじょう)様(孝明天皇)の御心を安めたてまつらんとのこと、朝廷というものは国(土佐藩)よりも父母よりも大事にせんならんというはきまりものなり」。この深厚な尊皇の至情の中に龍馬の真の姿がある。(日本政策研究センター主任研究員 岡田幹彦)



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