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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 昨日のオランダ戦、終わって「負けは負け」と言い切る何人かの日本代表選手に頼もしさを感じました。デンマーク戦も力いっぱい応援します(午前3時半キックオフですが・汗)。

福島
しゃちほこ間近に鶴ヶ城
 会津若松市の鶴ヶ城のしゃちほこ2体が天守閣頂上から下ろされ、19日から城内の走長屋(はしりながや)で一般公開が始まった。
 幕末の姿を再現しようと始まった赤瓦へのふき替え工事に伴うもので、取り外されるのは1965年の天守閣再建以来、初めて。
 高さ1メートル55センチ、重さ約200キロで、歯に金箔(きんぱく)、うろこに銀箔(ぎんぱく)が施され、両目には2カラットほどの人工ダイヤモンドがはめ込まれている。再建工事の請負業者が市に寄贈した。菅家一郎市長は「天守閣が工事で隠れている間、観光の目玉として多くの人たちに見てもらいたい」とPRしている。展示は11月23日まで。


東京
<その30>新選組(上)
 忠臣蔵と新選組は「東西と~ざい」にとって絶好の題材だと、ずっと思ってきた。東にも西にも舞台を持ち、ドラマ性に富むからだ。しかし、ちょっと触れるくだりはあっても、今までテーマとして取り上げるのは避けていた。とにかくファンが多い。本を書いたりブログを設けたりと玄人はだしの人もかなりいる。古人いわく「生兵法はケガのもと」。間違いを指摘されたり、薄っぺらな解釈をバカにされるのが怖かったからだ。しかし、私も物書きの端くれ。上田正樹さんの「悲しい色やね」じゃないが、「逃げたらアカン!」と反省した。思い直して、新選組のふるさと東京都日野市へと足を運んだ。
 歴史上の人物は、光の当てようによって日なたにも陰にもなる。新選組はその代表格だと思う。NHKの大河ドラマひとつ見てもそうだ。5年前、香取慎吾が握り拳を口に入れながら近藤勇を演じた「新選組!」の明るさに比べ、今年の「龍馬伝」での陰湿な暗さはどうだ。もともと、内には拷問と処刑、外には襲撃と暗殺を繰り返した一種のテロ組織である。でも、この根強い人気はなぜか。時流に逆らって滅び行く若き魂の悲劇性もあろう。桜を愛するニッポン人は、とかく散り様に引かれる。また、テロリストといっても、支配者が命じた組織ではない。自主組織をお上が追認したという成り立ちも人気の要素かもしれない。「混迷の時代を救うにひと旗あげたい」という青年らしい動機も純粋である。そんなことを考えながら、JRで日野市へ向かった。行くなら第1か第3日曜日がいいと、何かに書いてあった。土方歳三、井上源三郎、佐藤彦五郎の三つの資料館が、その日に開いているからだ。

 *

「歴女」らで賑わう資料館の中 新選組といえば、近藤勇、土方歳三、沖田総司が人気の三羽ガラス。さらに、沖田総司とともに「近藤四天王」とされる長倉新八・藤堂平助・斎藤一あたりが続く。また、脇役としては清河八郎、芹沢鴨、伊東甲子太郎、山南敬助は欠かせない(ここまで書いただけで、ところで○○を忘れちゃあいませんか?とおしかりを受けるのが新選組だが・・・)。私は、井上源三郎という人物について日野に行くまでは、「そういや、名前を聞いたことがあるなぁ」程度の認識でしかなかった。私が新選組の"教科書"とする司馬遼太郎の「燃えよ剣」(新潮文庫)でもほとんど触れられておらず、必読書といわれる子母沢寛の「新選組始末記」でもサラリと書いてあるだけだった、ということが大きいと思う。
 「燃えよ剣」で井上源三郎が登場する件は、文庫下巻、「鳥羽伏見の戦い・その三」。次のように触れられているだけである(171ページ)。

歳三は、隊士を集めた。
「みな、いるか」
弾雨のなかで、顔の群れを見た。そこに六十数名が立っている。
原田左之助、永倉新八、斎藤一、結党以来の組長たちの元気な顔があった。
が、故郷から一緒に出てきた天然理心流の兄弟子で六番組長井上源三郎の姿がみえない。監察の山崎烝(すすむ)も。

 それが小説というものだろう。中心人物は土方歳三なのだ。

 *

 白壁の土蔵を思わせる井上源三郎資料館は、日野駅から歩いて約10分。手紙類や刀剣などを展示する。ご存じ「誠」の隊旗が揺れているのですぐ分かる。梅雨入り前の空に、ツバメが飛び交っていた。
 井上家を語るには、まず八王子千人同心から始めねばならない。千人同心は徳川家康の江戸入府に際し、甲斐からの侵攻に備えるため、近在の下級武士や豪農などで組織された。その後太平が続くと、東照宮を警備する日光勤番が主な仕事になる。千人同心が配置された多摩地方は幕府の厚い庇護(ひご)を受けたので、住民はとりわけ徳川恩顧の気持ちが強く、その精神が新選組の礎となる。源三郎は千人同心の家に生まれ、兄の井上松五郎と一緒に、近藤周助(天然理心流3代目宗家。やがて近藤勇の養父となる)に剣を学んだ。兄弟は木刀の打ち込みで柱の一部が細くなるほど剣に熱心で、その柱は1964(昭和39)年に井上家が家を建て替えるまで残っていたという。「剣術ばかりで、百姓仕事が遅れて困った」という話も今日まで伝わっている。
 源三郎は、将軍家茂の上洛に際して警護名目に結成された清河八郎率いる浪士組235人の一員として、1863(文久3)年、近藤勇の配下で中山道を京へ向かう。京へ着いた途端に清河が「浪士隊は尊王の義軍とする」と翻って正体を現し、驚いた幕府が帰還命令を出した。しかし、源三郎は近藤勇らとともに京に残留。京都守護職の会津藩主・松平容保預かりの京都治安部隊「新選組」の副長助勤・六番隊長として命運を近藤に委ねる。

 *

 資料館の当主、井上雅雄さん(55)は源三郎の血脈を継ぐ。本業は建築・不動産業。松五郎の子が泰助→泰助の子が覚太郎→覚太郎の子がキヨ子→キヨ子の子が雅雄さん。従って源三郎の兄の松五郎から五代目井上家当主ということになる。天然理心流も修行している。その雅雄さんに案内していただいた。次の話が印象に残った。
 1868(慶応4)年1月5日、鳥羽・伏見の淀千両松の戦いで源三郎ら10人以上の隊士が戦死し、新選組は大坂へ敗走する。その時、源三郎のそばで仕えていたおいの泰助は、叔父の首と刀を羽織に包み抱えて逃げる。しかし、12歳の少年に大人の首は重い。同行の隊士が「遅れると敵に捕まってしまうぞ。残念だろうが置いていけ」と言われ、仕方なく途中にあった廃寺の門前に埋めた。
 これは1927(昭和2)年まで生きた泰助が、息子・覚太郎の嫁のケイさんに語り継いだ話である。同時に、「京都、大阪の方へ行くことがあったらお参りしてこい」と首級を埋めた淀の「欣浄寺(ごんじょうじ)」という廃寺の名前を教えていた。ケイさんは1977(昭和52)年まで生き、寺の名前も家族に話していたそうである。ところが、たまたま日野の自宅の向かいにも同じ字を書く欣浄寺という寺があった。だから家族は、ケイさんが高齢のために、混同しているのだと思っていたという。
 資料館の斜め向かいの「欣浄寺」。鳥羽・伏見に同じ名の廃寺があった。 ところが2年半ほど前、新選組ボランティアガイドの女性が京都や大阪の新選組の史跡を訪ね歩いた時、伏見の淀城跡にあった絵図に「欣浄寺(ごんじょうじ)」という名を見つけた。女性は雅雄さんにそのことを報告。雅雄さんはハッと気づいた。「泰助は故郷の寺と同じ名前の寺をたまたま見つけ、安らかに眠れるだろうと思ってそこに埋葬したのではなかろうか。祖母の言っていたことは正しかったんだ」
 雅雄さんはその女性らと伏見に行った。「場所を特定したい」。そんな中、鳥羽、伏見両街道を結ぶところにあり激戦を物語る弾痕なども残っているという妙教寺を訪ねた時、住職が古地図、古文書などを持ち出して欣浄寺跡の位置をていねいに説明してくれたという。うどん店や駐車場になっていたが、近所の人に聞くと、昔、たくさんの墓石と人骨が見つかった場所ということだった。雅雄さんは確信し、土を持ち帰った。
 ところで、雅雄さんには娘さんが3人いる。「娘3人は、土方さんの(子孫の)ところと一緒なんですよ。でも、あちらさんは結婚されて、記念館も継いでちゃんとやっておられるようです。うちも私で終わらせたくないんですが・・・まあ、何とかなるでしょう」。笑顔で話された。

 ツバメ交う ますらをの空 日野を往く             (編集局次長)   


静岡
伊豆の国の市民劇団、森町と交流深め記念公演
 森の石松の没後150年を記念して、女優藤田弓子さんが座長を務める伊豆の国市の市民劇団いず夢が26日、同市のアクシスかつらぎで、時代劇「おっとっとっと三度笠」(静岡新聞社・静岡放送後援)を上演する。森の石松にゆかりのある森町の町民が観劇に訪れる予定で、劇をきっかけに交流が生まれている。
 同じ劇を上演した3年前、森町の喫茶店に立ち寄った劇団員が、経営者の金指琉美子さん(68)と森の石松の話題で意気投合したのが交流の始まり。金指さんら町民から再演の要望があり、没後150年に合わせて実現した。当日は森町からバスで約40人が観劇に訪れるほか、森町特産のトウモロコシ「甘甘娘(かんかんむすめ)」を会場で販売する。金指さんは「森町の英雄でもある石松を演じてもらい、ありがたい。伊豆の国市が身近になった」と喜ぶ。
 森の石松は清水次郎長の子分として活躍したとされる幕末の侠客(きょうかく)で、墓が森町にある。今回の劇は、悪徳商人に身内を殺された町娘のあだ討ちを描く喜劇。主人公の森の石松にタレント入山学さん、侠客の親分役にコメディアン小松政夫さんを迎えるほか、劇団員27人が出演する。けいこに励む小松さんは「多彩な出演者がそれぞれ見せ場を持っているぜいたくな劇」と見どころを語り、藤田さんも「おなかの底から笑って元気になってほしい」と強調する。
 2回公演で開演は午後1時と午後5時。チケットは2500円(中学生以下千円)。問い合わせは同劇団<電080(3684)1168>へ。


京都
志士の息づかいを感じて 中京・18日「龍馬伝」開幕
 京都市中京区の京都文化博物館で18日、坂本龍馬の生きざまを紹介する2010年NHK大河ドラマ特別展「龍馬伝」(京都新聞社など主催)の開催を前に、関係者向け内覧会が開かれた。19日に開幕する。
 東京や高知など4会場で巡回の予定で、京都は2会場目。龍馬や志士の息づかいや、幕末の雰囲気に迫ろうと現物展示を増やした。全国約50カ所から集めた姉乙女(とめ)あて書簡、愛用の刀など約180点を披露する。
 この日、関係者約400人が龍馬着用の紋服、三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎が貧しかったころの借用書などの展示品、パネル解説に見入っていた。7月19日までで展示替えあり。最終日を除く月曜休館。有料。


嵯峨の念仏狂言 装束優雅に 右京で初の一般公開
 京都の三大念仏狂言の一つ「嵯峨大念仏狂言」(重要無形民俗文化財)に奉納された装束などを紹介する展示会が、京都市右京区の京都嵯峨芸術大付属博物館で開かれている。装束の一般公開は、一部を除いて初めて。20日まで。無料。
 同狂言は、鎌倉時代に円覚上人が始めたとされ、現在は清凉寺(右京区)で年2回演じられている。展示会は、地元の保存会が協力して昨年から開かれている。
 保存会の所有品の中で最も古い1817年に奉納された「田中氏奉納装束」や、現在も使用しているすりこぎや鬼の棒など計34点が並んでいる。
 和宮(かずのみや)に徳川家茂への嫁入りを説得したとされる幕末の女官高野房子の装束は、経年変化で傷みもあるが、秋草などの刺しゅうが施されており、優雅な雰囲気を醸し出している。


高知
後藤象二郎を激励 龍馬の手紙の複製見つかる 高知
 幕末の志士、坂本龍馬が土佐藩の重臣、後藤象二郎にあてた直筆の手紙の複製が見つかり、高知県立坂本龍馬記念館(高知市)が18日、発表した。手紙の実物は写真は残っているが行方不明で、手紙の下書きが最近、同県いの町の民家で見つかっている。同館は「非常に精巧で、実物の所在が不明なので貴重な資料」としている。
 手紙は大政奉還前日の慶応3(1867)年10月13日付。土佐藩が提出した大政奉還建白書の採決を決めるため、幕府が京都・二条城で開いた会議に出席する後藤象二郎にあてた。決死の覚悟の象二郎を激励した内容になっている。
 複製は縦26・6センチ、横43・3センチ。実物よりも余白部分が多い。今年3月に亡くなった大阪市内の自営業者が昭和40年代後半ごろに取得したとみられ、複製の手法や時期は分かっていない。実物は象二郎に渡った後、海援隊の同志だった中島信行の子孫が所蔵していたが、現在は行方不明になっている。
 同館の三浦夏樹主任学芸員は「実物に近い複製が出てきたことで、実物が見つかることを期待している」と話した。
 同館は7月17日から始まる企画展で下書きと並べて展示する。


佐賀
佐賀の『八賢伝』 「三重津海軍所跡」加筆版を出版
 佐賀県教委が今秋出版を予定している『幕末明治佐賀偉人伝集』に関連して、佐野常民記念館名誉館長で郷土史家の福岡博さん(78)が著した『佐賀の幕末維新 八賢伝』の改訂版が、出門堂(福博印刷)から出版された。世界遺産の暫定リスト入りで注目を集める「三重津海軍所跡」(佐賀市)に関する記述を加え、佐賀の人材の豊富さや技術力の高さを紹介している。
 『八賢伝』は2005年に出版。「佐賀の七賢人」の鍋島直正と島義勇、江藤新平、大木喬任、佐野常民、副島種臣、大隈重信に、人材育成に尽くした枝吉神陽を加え、〝八賢人〟として取り上げている。
 改訂版は三重津海軍所を中心にした産業遺産関連の記事を追加し、海軍所跡出土品の写真も掲載。佐賀藩の近代化が進んだ理由として「藩外からスカウトとしてきた人材が存分に活躍できるような柔軟な組織だった」と指摘している。
 初版は9千部以上を販売しており、改訂版は当初、2千部を出版する。A5判、120ページ。価格は千円(税込み)。県教委は今秋出版する『偉人伝集』の〝入門書〟と位置づけ、帯には古川康知事が推薦のメッセージを寄せている。福岡さんは「若い人がふるさと佐賀に誇りや自信を持てるように、と執筆した」と話している。

【写真】『偉人伝集』の刊行に向けて、『佐賀の幕末維新 八賢伝』を改訂した福岡博さん=佐賀県庁


長崎
【動画】なりきりコンや音楽祭にぎわう ながさき龍馬フェスタ2010
 幕末の志士、坂本龍馬と本県とのかかわりや、長崎の歴史と文化をPRする「ながさき龍馬フェスタ2010」の2日目が20日、長崎市魚の町の市公会堂であり、「なりきりコンテスト」や「龍馬の歌音楽祭」などのイベントに多くの人でにぎわった。長崎龍馬会(馬渡善裕会長)などでつくる同実行委主催。
 龍馬や妻・お龍など幕末のヒーローになりきってパフォーマンスをする「なりきりコンテスト」には事前審査を通過した11組が次々と舞台に登場。龍馬とお龍の会話劇や剣舞などを披露し会場を沸かせた。グランプリを受賞した島崎理恵さん(31)=島原市=は「演技中より、結果発表の瞬間が緊張した。京都出身の友人に京都弁を習い、お龍に関する資料を16冊くらい読んで、勉強した」とうれしそうに感想を語った。
 坂本龍馬をテーマにしたオリジナル楽曲を披露する音楽祭には9曲がエントリー。「アカツキ」を歌った千葉市の松尾貴臣さん(31)がグランプリを受賞した。
 このほかNHK大河ドラマ「龍馬伝」で後藤象二郎役を演じている俳優・青木崇高さんとドラマのチーフプロデューサー、岩谷可奈子さんのトークショーなどもあった。音楽祭の模様は、7月16日午後6時からNHK-FMで放送される。

 【編注】島崎理恵さんの崎は、大が立の下の横棒なし


ながさき龍馬フェスタ:長崎で始まる 旧長崎街道や史跡「さるく」楽しむ /長崎
 県、長崎市などによる「ながさき龍馬フェスタ」が19日始まり、長崎市内の坂本龍馬らゆかりの史跡を巡る「『長崎龍馬の道』リレーさるく」に市民ら約110人が参加した。
 NHK大河ドラマ「龍馬伝」の舞台が幕末の長崎となるのを前に企画。龍馬が1864年に初めて長崎を訪れた際に通った旧長崎街道▽龍馬が後藤象二郎と会談した料亭・清風亭跡▽岩崎弥太郎が主任を務めた土佐藩の商社・土佐商会跡▽龍馬の活動拠点・薩摩藩蔵屋敷跡--などを市民ボランティアガイドの案内で巡った。
 市内の主婦、岸下利絵さん(40)は「初めて知ることばかり。また歩きたい」。鹿児島県霧島市の前田終止市長も遠路参加し「長崎独特の歴史を生かし、まち歩き観光が工夫されている」と話した。最終日20日にはオリジナル曲を募った「龍馬の歌音楽祭」などがある。【錦織祐一】







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