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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 三遊亭白鳥の落語をダウンロードして楽しんでいるのはいいんだけど、電車の中でとか、書店でとか、いきなり吹き出してしまい、廻りにざっと引かれてしまうのは困りものです(苦笑)。

岩手
観音堂再建で結束 岩泉で一揆中心人物示す木板確認
 江戸時代末期、盛岡藩で起きた国内最大級の一揆「三閉伊一揆」の中心人物とされる安家村俊作らの名前を、岩泉町安家字大平の観音堂などの再建協力者として記した木板が町内に保存されていることが分かった。観音堂の再建は一揆の前年で、専門家は「一揆前の中心人物の動きを示す貴重な史料」と評価。今年は俊作の生誕200年に当たり、町は一揆の講演会を開くなど郷土の歴史に光を当てている。
 木板が確認されたのは、観音堂と天照(あまてらす)大(おお)神(みかみ)をまつる神明堂を納めたさや堂。壁にくぎで打ち付けられた板に、1846(弘化3)年の再建の際の寄進者名の一覧と寄進額が墨で書かれていた。再建を記念した棟札なども確認された。
 縦50センチ、横約170センチの板には安家村俊作を示す「林ノ下 俊作」のほか、一揆の中心人物である淀屋敷の忠太郎の父「定助」、大鳥の辰之助の父「甚五郎」ら100人以上が名を連ねている。
 本紙で「幕末維新を駆けた男たち 南部三閉伊一揆」を連載し、木板を調査した民族芸術研究所(秋田県仙北市)の茶谷十六さんは「観音堂再建などを通して、一揆の中心人物らが結束を固めていた様子が分かる史料」と指摘。
 当時、再建するだけの財力があったことから「三閉伊一揆が、凶作による困窮を前提としたのではなく、政治、経済体制の変革を要求する民衆運動であったことを立証する貴重な史料だ」と語る。
 三閉伊一揆は、盛岡藩の度重なる重税に耐えかね、1847(弘化4)年と1853(嘉永6)年に沿岸地方の民衆が決起。嘉永の一揆では「小○(困る)」ののぼり旗を立て、仙台藩に越訴するなどの戦術で、49カ条のうち39の要求を認めさせた。
 岩泉町は今年、俊作の生誕200年を記念し、11月まで計5回の講演会を開いている。伊東勝幸教育委員長は「地元では三閉伊一揆に対する理解がまだ進んでいない。人口減少が続く中、自分たちの古里に誇りを持ち、厳しい時代に頑張っていくという気持ちの高揚のきっかけとしたい」と語る。
 安家村俊作とは 1810(文化7)年、安家(現岩泉町安家)に生まれた農民。弘化の一揆では盛岡藩への願書案文を執筆するなど中心的な役割を果たした。弘化の一揆後は、捕らえられて下北半島に流された。嘉永の一揆後は解放され、北海道に移住した。

【写真=三閉伊一揆の中心人物とされる安家村俊作を示す「俊作」の名前が入った木板を調査する茶谷十六さん】


兵庫
京都・龍馬の足跡をたどる
 「竜馬は京に入った。京は雨である」。昭和の日本に坂本龍馬ブームをもたらした司馬遼太郎の「竜馬がゆく」(文春文庫)の中で、龍馬と京都のかかわりには雨がつきまとう。龍馬が凝縮した時を過ごし、満32歳で最期を迎えた京都は今、大河ドラマ「龍馬伝」の影響で空前のブームに沸く。雨の一日、龍馬の足跡をたどりませんか。(竹山栄太郎)

 幕府側に命を狙われた龍馬が身を隠し、龍馬が率いた海援隊が屯所(本部)を置いた酢屋(京都市中京区)は、1721(享保6)年創業の材木商。今も同じ場所にある。1階でおわんなどの木製品を販売し、2階で龍馬関係の資料を展示する。当時の主人・6代目酢屋嘉兵衛の玄孫にあたる10代目の中川敦子さんは「龍馬をかくまうのは大きなリスクだった。6代目は何か心に響くものを感じ、決断したのでは」と話す。
 龍馬には、酢屋の2階から、向かいの高瀬川の舟入(船着き場)に向けてピストルの試し撃ちをしたという伝承がある。中川さんは「6代目は、人の迷惑も考えんとなんちゅうことするんや、と思ったでしょうね」と苦笑いする。
 酢屋がある河原町三条の一帯は今、飲食店やカラオケ店などが立ち並ぶ京都一の繁華街。しかし、酢屋に代々受け継がれた「木は売っても龍馬は売るな」という言葉に従い、中川さんは家を守ってきた。
 1867(慶応3)年11月、龍馬は醤油(しょう・ゆ)商・近江屋で中岡慎太郎とともに刺客に襲われ、亡くなった。
 「この夜、京の天は雨気が満ち、星がない」(竜馬がゆく)
 遺体は海援隊隊士らにより約1・5キロを運ばれ、倒幕派志士の墓所に葬られた。現在の京都霊山護国神社(同市東山区)だ。
 「ここは龍馬を感じられる場所です」。5代目宮司の木村隆比古さん(45)は2人の墓の前で話す。京都は学生の街でもある。6月には墓参りの大学生の姿が目立つという。「慣れない街で苦しさや望郷の念を感じたとき、龍馬の生涯を思って自分を奮い立たせるのでしょう」
 中川さんも毎月、龍馬の墓参りを欠かさない一人だ。

◇記者ナビ◇
 千年の都・京都に住む人々にとって、幕末は「ちょっと昔の話」。とはいえ、新しい日本を目指して奔走した若き志士たちは人をひきつけてやまず、ゆかりの地は京都の大きな観光資源の一つだ。10月22日に開催される京都三大祭りの一つ・時代祭の行列にも、龍馬ら志士たちが登場する。
 龍馬にとって京都は、薩長同盟、大政奉還という目標を達し、お龍と出会い、生涯を終えた場所。しかし、当時のまま残る龍馬関係の史跡は意外と少ない。道の端に建つ石碑がなければ、歴史の舞台だとは想像できない場所もある。
 それでも、龍馬の足跡をたどって京都を歩くと、誰もが知る幕末の英雄を身近に感じ、感慨深かった。


◇アクセス◇
 京都霊山護国神社へは、JR京都駅、京阪祇園四条駅、阪急京都線河原町駅から市バスに乗り、東山安井バス停で下車、徒歩10分。酢屋へは、阪急河原町駅、市営地下鉄東西線の京都市役所前駅から徒歩5分、京阪三条駅からは徒歩3分。河原町三条の交差点を南に進み、1本目の通り(龍馬通)を東に入った北側にある。


島根
教育に尽力、松江藩/幕末の資料紹介
◆26日には「藩校サミット」/松江郷土館◆

 松江藩が財政難を克服するため教育に投資し、明治期の産業革命の土台をつくった「松江の教育」を紹介する企画展が、松江市殿町の松江郷土館で開かれている。全国でも有数の教育先進藩だったことを示す、江戸から明治初年までの藩校・私塾・寺子屋関連の資料130点を展示している。26日には、「第9回全国藩校サミット」が同市内で開かれる。(藤井満)
 松江藩は財政危機に陥った6代藩主・松平宗衍(むね・のぶ)の時代、人材を育成するために武家の教育機関である「藩校」を創設した。毎日午前7時から午後5時まで授業があり、漢学や洋学、医学を教えた。9代藩主・斉貴(なり・たけ)は洋書を数千冊取り寄せ、藩校でフランス語やオランダ語も学ばせた。
 松江藩の医学教育は特に進んでいたとされ、長崎のシーボルトのもとに留学して、当時最先端医療だった乳がん手術を実施する医師も現れた。
 また城下各地には「私塾」も開かれた。雑賀町の培(ばい)塾などは特に有名で、「平民宰相」と呼ばれた若槻礼次郎首相らが輩出した。庶民の子どもが読み書きや、そろばんを習う「寺子屋」は城下に50カ所以上あったという。
 企画展では、シーボルトから授与された修業証書や杉田玄白の「解体新書」の5冊セット、1890(明治23)年に教育勅語が発布される以前に使われた、福沢諭吉がヨーロッパの書籍を翻訳して作った道徳の教科書なども展示している。
 安部登館長は「幕末の日本は世界一の識字率。そういう教育の底力があって、短期間で産業革命を成し遂げた。当時の人々の教育への強い意気込みを見習うべきです」と話す。無料。10月3日まで。
 「全国藩校サミット」は26日午後1時15分から、松江市西津田6丁目の市総合文化センターで開かれる。全国51の旧藩の藩主の子孫や藩校の研究者らが集う。
 問い合わせはサミット実行委員会事務局(0852・55・5632)へ。



山口
花ショウブ:雨に映える--下関・東行庵 /山口
 下関市吉田の東行庵で花ショウブが見ごろを迎え、美しく雨にぬれている。幕末の志士、高杉晋作(1839~67年)の菩提(ぼだい)寺で、花鳥風月を味わえる庭園に100種6000株が咲いている。
 宇部市出身の菅直人首相が新内閣を「奇兵隊内閣」と命名。折からの幕末ブームと相まって、晋作や奇兵隊にも注目が集まる。今月オープンした東行記念館では所蔵品展「幕末維新期の下関」も開かれている。【取違剛】


高知
生まれたまち記念館30万人
 坂本龍馬が生まれ育った幕末の町並みなどを紹介する高知市上町2丁目の市立龍馬の生まれたまち記念館の入館者が19日、30万人を突破した。
 30万人目になった山形県酒田市の団体職員、小林英夫さん(62)と妻礼子さん(58)に龍馬にちなんだ記念品などが贈られた=写真。英夫さんは「びっくりした。龍馬のことは若いときに読んだ本で覚えている」と喜んでいた。
 同館は2004年3月に開館。昨年は年間で過去最高の約7万1千人が入館し、同年8月に20万人を突破した。今年は5月までで約3万6千人が入館。昨年を上回るペースで増えている。上野和英館長(60)は「今年は平日でも団体客を乗せたバスがやって来る。今年中に35万人突破を達成できればありがたい」と話した。



長崎
私が「おりょう」なりきりお見事
長崎で龍馬フェスタ

 長崎龍馬会などが20日、「ながさき龍馬フェスタ」を長崎市の市公会堂で開いた。幕末の志士に扮する「なりきりコンテスト」などのイベントがあり、約800人が訪れた。
 コンテストには、県内外から11組30人が参加した。龍馬の妻おりょうに扮した島原市の島崎理恵さん(31)=写真=がグランプリに輝いた。島崎さんは「約15冊の本を読んでおりょうを研究し、京都の友人に京都弁を教えてもらった成果が出ました」と話した。


龍馬ぐっと身近に、感動・発見 地元ガイドと歩く
 その土地に住む人の案内で観光地を歩くという旅のスタイルが広がっている。隠れた名所や逸話を教えてもらったり、ガイドのもてなしの心にふれたりしながら、訪れた地域をより身近に感じられるのが魅力のようだ。

 長崎
 威風堂々たる坂本龍馬の銅像が、日差しに照り輝く長崎湾を見下ろしていた。

 長崎市の中心部からバスで10分ほど、風頭山を訪れたのは6月9日だった。

 「長崎さるく」と銘打った同市のガイドツアーのうち、幕末の志士たちの軌跡をたどる「龍馬が見上げた長崎の空」というコース(参加費500円)に同行した。

 「左足が台座からはみだしているでしょう。これには意味があるんですよ」

 ガイドの松尾修さん(67)が指さす方を見ると、龍馬像のはかまのすそからのぞくブーツの先が台座から少し出ている。龍馬の、物事にとらわれない性格や進取の気性を表しているそうだ。

 放映中のNHK大河ドラマ「龍馬伝」のファンだという西田美香さん(21)、山本真世さん(21)は「龍馬はかっこいい」と感激。2人とも長崎市で生まれ育ったが、風頭山を訪れたのは初めてという。

 像の後ろではためいていた、白地に2本の赤い線を配した旗は、龍馬が率いた「海援隊」の船印だ。「この赤を黄色にしたら何でしょう。プロ野球ソフトバンクホークスの球団旗です」。松尾さんの解説に、福岡市から参加した前田美穂さん(30)も「へえ~」。

 龍馬も食器として愛用した亀山焼の窯跡を見ることができたのは幸運だった。公民館の1階駐車場にあり、シャッターが閉じられていることが多いが、この時はたまたま開いていたのだ。駐車場にいた近所の女性が、さるくガイドの黄色いTシャツを着た松尾さんに、「よかったら見て行って」と声をかけてくれた。中に入ると、一角に窯跡の一部が露出していた。

 龍馬が創設した日本初の商社「亀山社中」の建物を復元した記念館では、龍馬の妻お龍が得意だったという月琴をスタッフが爪弾いてくれた。この後、参加した面々は、月琴を手に、龍馬にふんする市のスタッフと一緒に写真に納まった。

 「地域の人と思わぬふれあいがあり、一人でも楽しいですね」と前田さん。約2時間半のツアーを終え、西田さんは「いろんな発見があり、地元のことをもっと知りたくなった」と話した。

 「歩く」という長崎弁「さるく」にちなんだガイドツアーは、2006年4~10月に長崎市内で繰り広げられた「まち歩き博覧会」を機に始まった。現在は35コースあり、昨年度は3万3000人余りが参加。約420人のボランティアガイドが支えている。松尾さんはその一人。「長崎の歴史や人情を知ってもらえたらうれしい」と力を込めた。

 山口・仙崎
 童謡詩人・金子みすゞの出身地、山口県長門市仙崎では、毎週日曜午後1時から、JR仙崎駅を拠点に、地元ガイドがゆかりの地を案内するツアー(予約不要で無料)が行われている。

 ボランティアガイドの上田義人さん(78)の案内で、約3キロ、2時間のコースを歩いてみた。あちこちの民家や商店の軒先に、みすゞの詩を書いた板が掲げられている。10年ほど前、市や市民の有志が板を配り、それぞれ好きな詩を書いてもらったという。

 地域の神社や八百屋、祭りなどを表現したみすゞの詩を、住民は身近に感じているようだ。

 〈……みんなちがって、みんないい……〉。銀行のシャッターには、有名な詩「わたしと小鳥とすずと」がイラスト付きで書かれていた。夫との離婚話が出たつらい時期の作品だと聞かされた。

 「詩を書くみすゞと、商売を営む夫。お互いを認め合いたいという思いが込められていると専門家は解釈しています」と上田さん。

 ツアーに加わった松本裕美子さん(57)(山口県防府市)は「仙崎は何度も訪れているけれど、初めて知ることばかりでした」と話した。

 鹿児島・指宿


かつお節工場では製造工程を見学できる(指宿市の「大丸鰹節」で)
 鹿児島県指宿市の旧山川町では、「いっど、いっが、山川港の会」(岡村利行会長)が昨年4月、まち歩きガイドを始めた。

 かつて薩摩と琉球の交易拠点として栄え、中国から琉球を経て甘藷(サツマイモ)が伝わったという逸話が残る町だ。そうした歴史や文化について住民らが勉強を重ね、四つの案内コースを考え、14人のガイドを養成した。

 このうち「琉球ゆかりの地」コースでは、琉球から伝わり同地区に点在する魔よけの石碑「石敢當」などを見て歩く。

 「地元食紹介コース」ではかつお節工場などを訪ねる。削り節と味噌にお湯や茶を注いで飲む「茶ぶし」の試飲や、伝統のちまき「あくまき」や大根を甕漬けする「山川漬」の試食も。

 試飲や試食の内容は季節や時間帯で変わり、実費が必要な場合もある。ツアーの参加費は300円。土日、祝日のみで、前日までに予約が必要だ。

 あれこれ情報
 日本観光協会(東京)によると、全国に1500団体を超えるボランティアガイド組織があり、増えつつあるそうだ。ツアー情報は同協会による「全国観光ボランティアガイド」のホームページ(http://www.nihon-kankou.or.jp/vg/index.html)で検索できる。

 九州観光推進機構(福岡市)も、こうした観光スタイルを根付かせようと、「九州さるく」と題して九州各県のツアーをホームページ(http://www.welcomekyushu.jp/saruku/)で紹介している。

 鹿児島県観光ボランティアガイド連絡協議会(099・223・5771)は2月、ガイド団体やコースなどを紹介する冊子「かごしまよかとこ案内人2010」を作成した。





エンターテインメント
今秋、再び『薄桜鬼』第二期
 恋愛アドベンチャーゲームとしてリリースされた『薄桜鬼 ~新選組奇譚~』は2010年4月からアニメも放送されていますが、全12話で構成されており先日、最終回を迎えました。
 アニメ『薄桜鬼』の最終回では第二期が放送されることが告知されていました。ファンにとっては再び薄桜鬼が楽しめるとあって朗報でしたね。薄桜鬼の第二期のアナウンスはテレビアニメだけでなく、公式WEBサイト上でも確認ができます。オンエアは今秋からのようです。
 DVDの方も人気を集めています。薄桜鬼の第二期に合わせた連動コンテンツのスタートなど、今後も何かしらのアクションが期待されているアニメのひとつです。

 TOKYO MXでは次回が最終回です。第二期も楽しみです。

コラム
質問なるほドリ:奇兵隊はどんな組織だったの?=回答・取違剛
<NEWS NAVIGATOR>

 ◆奇兵隊はどんな組織だったの?

 ◇倒幕で活躍の長州藩部隊 身分問わず農民も参加
 なるほドリ 菅直人首相が自らの内閣を「奇兵隊内閣」と名付けたね。

 記者 奇兵隊はもともと幕末の文久3(1863)年、諸外国の侵略から馬関(現在の山口県下関市)を守るよう長州藩主から任された志士、高杉晋作(1839~67年)がつくった民兵部隊です。「少ない兵力で敵の虚を突き、神出鬼没、常に奇道で勝利する。故に奇兵隊」との結成趣旨の下、3日間で60人余が集まり、1年半後には300人を超えました。4割が農民出身で、それまでの世襲武士団とは違いました。下関市内には晋作や奇兵隊にまつわる史跡が数多く現存しています。

 Q 「草の根から生まれた政治家」。菅首相は就任会見で自分をそう称したよね。

 A 首相経験者を祖父や父に持つ「世襲首相」が4代続いたけど、菅首相はサラリーマン家庭に生まれました。新内閣と身分を問わず集まった奇兵隊を重ね合わせているのでしょう。出身は同じ長州の山口県宇部市ですし。

 Q 奇兵隊はどんな働きをしたのかしら?

 A 奇兵隊が注目され、長州藩には同様の部隊が400以上できたそうです。これらは「諸隊」と呼ばれ、やがては幕府との長州戦争や戊辰戦争で中心的役割を果たしました。特に1866年の第2次長州戦争「四境戦争」では、約4000人の兵力で幕府の長州征伐軍15万人を打ち破りました。この勝利が倒幕につながりました。

 Q そんなに強かったんだ。

 A 高杉晋作という天才軍師が率いたのはもちろんですが、幕府から長州を守ろうと一つになったのが大きいですね。奇兵隊ほか諸隊への通達には庶民を思いやる姿勢が手厚く盛り込まれました。だから大衆の支持を得たようです。

 Q 毎日新聞が実施した世論調査で新内閣への支持率は66%を記録するなど、奇兵隊内閣への期待は高いようだね。

 A 菅首相は「高杉晋作は逃げるのは速いし攻めるのも速い。果断な行動で明治維新に力を発揮した。日本の停滞を打ち破るため、わが党国会議員も奇兵隊のような志で勇猛果敢に戦ってもらいたい」とハッパをかけました。菅首相が晋作のように腕を振るえるか、新内閣が奇兵隊のように成果を残せるか。政権交代後も「政治とカネ」の問題がつきまとってきただけに、庶民の側に立った政治ができるかどうかにかかっているでしょう。(下関支局)










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