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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 今日の東京は、ぎりぎりで最高気温が30度に達しなかったそうですが、いや蒸し暑い一日でした。

北海道
武四郎の探検再現 支笏湖いかだ渡りレース
 いかだで支笏湖を縦断する支笏湖温泉地区活性化協議会の「支笏湖いかだ渡り大会」が20日、湖西岸の幌美内から支笏湖温泉までの約7キロで行われ、出場20チームが熱戦を繰り広げた。
 いかだ渡りは、幕末の探検家、松浦武四郎が湖をいかだで渡った故事を再現しようと、1977年に地元の青年たちが挑戦。昨年は、協議会がJ8サミット千歳支笏湖を盛り上げようと、こぎ手を公募した。今回は優勝賞金10万円を用意し、レース形式に。
 出場チームは、千歳と恵庭の自衛官や専門学校のアウトドア部、高校生も。午前7時17分にスタートした。
 雨こそ降らなかったものの、スタート時の気温11度、水温も11度前後。寒さ波、風にも悩まされながらのレースとなった。
 制したのは、陸自第7師団第11普通科連隊第2中隊の「ミカドン2号」。3時間8分でゴールの山線鉄橋に到着した。リーダーの江部良彦さん(27)は「初めて使ったろの要領が分かるまで苦労した。分かった後は順調で、途中、2そうを抜きました」と笑顔で話していた。2位は同師団第7施設大隊の「強引なメリーgoo」だった。


長野
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
松本城の「太鼓楼」再現 来月18日、式典で披露
 松本市の松本城管理事務所は、国宝松本城の太鼓門の復元10周年を記念し、「太鼓楼」を模した建物を期間限定で設置する。来月18日の10周年記念式典で披露するほか、市民に太鼓を打ち鳴らしてもらう体験会も開く。
 太鼓楼は、太鼓門の石垣上にあり、天守閣築造後の1595(文禄4)年ごろ、太鼓門とともに築かれた。火事の発生や武士の登城時間を知らせる際などに鳴らされたとされる。
 明治維新の旧物破壊運動の中、いずれも1871(明治4)年に取り壊されたが、太鼓門は1999年、約6億8000万円をかけて復元された。
 一方、太鼓楼は位置や高さなどを正確に示す写真がなく、復元は見送られたまま。このため、太鼓門復元10周年を機に「太鼓楼にも関心を持ってもらい、松本城の歴史的価値や文化財の大切さを再認識してほしい」と、同事務所が企画した。
 設置する建物は、縦横約4メートル、高さ約5メートル。軽量鉄骨材を組み上げ、木材で囲うなどして仕上げる。記念式典前の2日間で設置する。
 式典では、松本古城会のメンバーが建物に上がり、登城の合図の太鼓打ちを実演するほか、音がどこまで聞こえるか確認する調査も実施。松本城から北に約500メートル離れた市重要文化財高橋家住宅付近と、南に約400メートルの千歳橋付近に待機した小学生が、実際に聞き取れたかを携帯電話で式典会場に報告する。
 一般の太鼓打ち体験会は、8月1日-同23日の毎週土日曜。時間は午前9時-同11時。体験会が終わると建物は解体される。
 問い合わせは、松本城管理事務所=電0263(32)2902=へ。
(宿谷紀子)


高知
四国ミュージアム回廊:三十四館目 別子銅山記念館/2 /四国
四国ミュージアム回廊:三十四館目 別子銅山記念館/2 /四国
◆別子銅山記念館(2)愛媛県新居浜市

 ◇17世紀末、世界最大の生産量--湧水、御用銅廃止 危機乗り越え近代化
 別子銅山は海抜1200メートルの銅山峰上部から海面下1000メートル、東西は1500メートルに達する世界有数規模の銅山だった。1698年に当時世界最高とみられる1590トン超を採掘するなど生産量は多かった。しかし、経営難に直面していた。当時の江戸幕府が18世紀後半から長崎での貿易に使用する銅の割り当てを全国主要銅山から別子など3銅山のみにして別子に全体の4割を担当させたうえ、幕府が銅の統制のために設置した銅座に低価格で買い上げられていたためだ。
 さらに、採掘につきものの、湧水(ゆうすい)による水害が何度となく施設に大打撃を与えた。燃料も電気もない当時は作業員の力のみが頼りのポンプによってくみ出された。採掘ものみとげんのうを使用した手作業で、採掘の機械化は明治時代を待つことになる。
 採掘された鉱石は、山中の炭などで製錬し、純度80%程度の荒銅にした後、仲持ちと呼ばれる人々によって山道を運ばれた。当時、仲持ちは約200人おり、男性が約45キロ、女性は約30キロの荒銅を背負い、浦山(愛媛県・旧土居町)までの23キロを運んだ後、港のある天満浦(同)までの約12キロを馬によって輸送された。このルートは別子銅山から恩恵を受ける人々から、住友家の屋号にちなみ「泉屋道」と呼ばれた。
 現在の新居浜市内を通過することができれば海まで18キロの道のりだったが、当時は西条藩の領地で通過することが許されなかった。しかし、1701(元禄14)年に西条藩に年間200両を上納することを条件に最短ルートの通行を認められ、翌年には幕府から永久に通行を許されることになった。銅は新居浜の港から精錬所のある大阪へと運ばれ、このルートは明治時代まで使用されることになる。
 別子銅山の経営危機は幕末に顕著になる。湧水による鉱脈の水没に加え、長崎御用銅の廃止が追い打ちをかけた。1868(明治元)年には、財政危機に陥った住友家を救済するために売却する案が浮上。別子銅山が江戸幕府と密接な関係にあったため、明治政府が没収することも検討したが、いずれも当時の別子銅山総支配人、広瀬宰平(1828~1914)が阻止した。以降、別子銅山は広瀬によって近代化が進められ、最盛期を迎えることになる。【高谷均】=つづく

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 ◇ミュージアムガイド
【住所】愛媛県新居浜市角野新田町3の13
【電話番号】0897・41・2200
【観覧料】無料
【開館時間】午前9時~午後4時
【休館日】月曜日、国民の祝日、10月17日、12月29日~1月3日
【行き方】JR新居浜駅からせとうちバスで山根グランド下車、徒歩3分




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