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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 朝はかなり強い雨が降ってましたが、上がりました。気温があまり上がらなかったのはありがたいです。
 明日からは30度近い暑い日が続きそうですね(汗)。

徳島
幕末の遠眼鏡(美波町)
海防の一端担った遺物

 幕末の1829(文政12)年、海部郡沖に外国船が現れた。海部郡代は牟岐港を拠点に厳重に警備を堅め、半鐘やほら貝を鳴らして警告するも立ち去らず、出現から3日目にして大筒、小筒を一斉に発射。距離が遠く命中しなかったが、船は帆を上げ沖合に去ったという。
 「日和佐町史」によると、ペリーの来航から約20年前のこのころから、阿波沖にも頻繁に外国船が出没していたらしい。美波町の日和佐図書・資料館で保存している遠眼鏡は、幕末の混乱期に県南の海防の一端を担った貴重な歴史遺物だ。
 遠眼鏡は全長90センチ。紙製の3本の筒で構成され、筒の縁は真ちゅうを巻いて補強している。先端のレンズが欠落し、筒同士が外れるなど傷みは激しいが、1847(弘化4)年の日付が記された箱が現存し、箱書きから来歴が分かる。
 それによると、遠眼鏡は07年、徳島藩から海部郡代に移管。沿岸警備の第一線である牟岐浦の大島番所や、宍喰浦の竹ケ島遠見番所で使用されたとみられる。レンズの曇りを修繕した43年以降は、現在の美波町役場の位置にあった郡役所・日和佐御陣屋で保管、使用されたようだ。
 当時は「異国船打ち払い令」のもと、同町にも多くの砲台が設置されたとされるが資料はほとんどない。遠眼鏡だけが、鎖国から目覚めようとする幕末の地方実情をわずかにしのばせている。


山口
【ふるさと便り】松陰を描く「獄に咲く花」クランクイン、山口・萩
 近代日本の礎を築いた幕末の思想家、吉田松陰の没後150年にちなんで制作される映画「獄(ひとや)に咲く花」が23日、松陰ゆかりの山口県萩市でクランクイン。キャストやスタッフらが松蔭神社に参拝したあと、市内で撮影が始まった。
 映画は、同県下関市在住の直木賞作家、古川薫さんの小説「野山獄相聞抄」が原作。密航計画が発覚して投獄された松陰が、獄中で出会った女囚に恋心を抱くストーリー。今年が松陰の没後150年に当たることから、地元の映画制作会社などが企画した。
 この日は、石原興監督をはじめ、古川さん、松陰役の前田倫良さんや女囚・高須久役の近衛はなさんらが松陰神社を参拝。玉ぐしをささげたり、手を合わせたりして映画のヒットと撮影中の安全などを祈願した。このあと、東光寺や松下村塾などでロケに臨んだ。
 「萩のすばらしさも、映画で表現できればうれしい」と石原監督。前田さんは「松陰の偉大な思想家、教育者とはまた違った側面を演じたい」と話していた。
 24日は下関市内でもロケを行う。7月下旬まで撮影し、松陰の生誕180年に当たる来年春に公開する予定。


佐賀
唐津城で名護屋城と同じ瓦 通説裏付ける史料に
 佐賀県唐津市東城内の唐津城本丸跡から、名護屋城跡(同市鎮西町)で出土した瓦片と同一の文様が入った瓦片が出土した。「唐津城は名護屋城の解体資材を使って建てられた」とされる通説を裏付ける史料になる。豊臣秀吉が建物に使ったとされる金箔(きんぱく)瓦も見つかり、唐津城築城の歴史を解明する手がかりになる。
 瓦片は、唐津城天守閣がある公園の東側の石垣(幅12~28メートル、高さ12メートル)の裏側の全域から約1000点が出土した。大きさは15~39センチほどで、豊臣家の桐文様や唐草文様などの意匠が入った軒瓦が数十点あった。名護屋城のものとみられる瓦片は1995年に3個が見つかっていたが、大量に確認されたことで、解体資材使用を強く裏付ける材料になる。
 市教委は、これらの文様が名護屋城跡から出土した瓦の文様と合致し、大量に見つかったため「名護屋城の解体資材が現在の唐津城のある場所に運ばれ、相当数の建物が建てられていたと考えられる」とみる。
 唐津城築城については幕末に書かれた複数の庄屋文書の記述から「寺沢広高が名護屋城の廃材を使い1602年から1608年にかけて築城した」と伝えられてきた。
 また、金箔が張られた瓦片1個も見つかった。大きさは10・5センチ×8・5センチで、表面に彫られた無数の溝などに金箔が残っていた。市教委は、飾り瓦の「しゃちほこ」のひれの一部とみている。
 金箔瓦は、豊臣秀吉の権力を示すもので、全国約40カ所の城郭で確認されている。県内では秀吉が滞在した名護屋城に続き2例目。
 ただ同型の金箔瓦は名護屋城の出土物にはなく、市教委は「寺沢の時代に名護屋城から運んだものかはわからない。それ以前に、豊臣政権が名護屋へ至る拠点として金箔瓦を載せた建物を作ったとも考えられ、唐津城以前に別の城があった可能性もある」とみている。
 瓦片は、唐津城の石垣再築整備事業に伴う文化財調査で発見した。事業は2016年度まで15億円をかけて行う。
 市は28日午前9時半と午前11時から現地説明会を開く。





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