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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 『モーニング』今週号を読んでいたら、見るつもりだったNHKハイビジョンスペシャル『城 王たちの物語』「女王イサベル 終(つい)の楽園~アルハンブラ宮殿~」の前半を見逃してしまいました……一番見たかった回なのに、そういう時に限って予約録画していない自分orz。
 再放送をチェックしなければ(^^ゞ。

滋賀
舟橋聖一顕彰:「青年文学賞」「文学奨励賞」の作品募集--9月8日締め切り /滋賀
◇青年文学賞--全国の18~30歳、小説など対象
◇文学奨励賞--近畿などの小・中・高校生対象
 彦根市は、30歳以下対象の「第21回舟橋聖一顕彰青年文学賞」と高校生以下対象の「第24回舟橋聖一顕彰文学奨励賞」の作品を募集している。近年はレベルの高い作品も多く寄せられ、市は舟橋氏の姿をあしらったポスターを配布して応募を呼び掛けている。

 舟橋氏は、彦根藩主で幕末の大老・井伊直弼を描いた「花の生涯」の作家で、彦根市の名誉市民第1号。同賞は、遺族や一般からの寄金で創設された基金で運営されている。

 青年文学賞は、全国の18~30歳が対象。小説、随筆、戯曲、評論で400字詰め原稿用紙50枚以内(随筆は10枚以内で可。ワープロは1行40字で印刷)。優秀作1点に正賞(賞状と舟橋聖一色紙)と副賞50万円。佳作1点は副賞10万円。選考委員は、98年に芥川賞を受賞した藤沢周さん、95年に野間文芸新人賞を受賞した佐藤洋二郎さんら4人。

 奨励賞は、近畿6府県と福井、岐阜、三重県に居住・通学する小学生から高校生が対象。小学生は作文▽中学生は紀行文と作文▽高校生は創作、随想、紀行文。400字詰め原稿用紙30枚以内(作文は小学生3~5枚、中学生は5枚程度でも可)。各部の優秀作品に5000円~5万円分の図書券。選考委員は舟橋聖一氏のひ孫の舟橋結子さんら4人。

 両賞とも作品は縦書き。作品に部門、題名、住所、氏名(ふりがな)、性別、年齢、電話番号を明記した別紙を付ける。応募締め切りは9月8日(当日消印有効)。応募は〒522-0001 彦根市尾末町8の1、彦根市立図書館内「舟橋聖一記念文庫」事務局(0749・22・0649)。【松井圀夫】


奈良
「大仏もっこり」に待った 奈良・東大寺がカンカン
 下半身が膨張した人気キャラクター「まりもっこり」の関連商品「大仏もっこり」について、東大寺(奈良市)は24日までに「信仰対象の尊厳を踏みにじっている。販売を中止してほしい」と、発売元に抗議文書を送付した。

 「大仏もっこり」は東大寺の近くや鎌倉でも販売。東大寺の庶務担当者は「タグに東大寺大仏殿の絵が出ており、(無関係と)言い逃れはできないはず。徹底的に争う」としている。

 発売元のキョーワ(札幌市)は「ジョークのつもりだったが、もっこりの場所が場所なので致し方ない。手だてを考えないと」と困惑顔だ。

 元祖まりもっこりは、キョーワが2005年2月に発売。北海道・阿寒湖に生息する国の特別天然記念物マリモがモチーフの人形で、下半身の盛り上がりが特徴。フィギュアスケートの安藤美姫選手が携帯ストラップを愛用していたことで人気に火が付いた。

 08年からは全国に広まり、鹿児島の西郷隆盛や京都の新撰組、秋田のなまはげなど、昨年までに各地で800種類以上の関連商品が登場。累計2千万個以上が売れた。

 もともとがきわどいキャラですからねぇ(苦笑)……やっぱ、仏様はまずいっしょ。


高知
土佐・龍馬であい博:高知駅南側の観光情報発信館、愛称は「とさてらす」 /高知
土佐・龍馬であい博:高知駅南側の観光情報発信館、愛称は「とさてらす」 /高知
◇「高知の魅力を照らす」「テラス」に
 来年放送予定のNHK大河ドラマ「龍馬伝」関連の観光イベント「土佐・龍馬であい博」で、JR高知駅南側のメーン会場に設置する観光情報発信館の愛称が「とさてらす」に決まった。イベントを主催する推進協議会が公募していた。

 5月19日から約1カ月間に全国から958件の応募があり、同協議会で審査した。「とさてらす」は、東京都の保岡直樹さんが考案。南国の太陽のように高知の魅力を照らす▽観光客がゆっくりと過ごせる「テラス」がイメージできる--との理由で選ばれた。

 イベントでは、ドラマのストーリーや出演者などを紹介する「テーマ館」も設置。メーン会場とサテライト会場(安芸、土佐清水両市、梼原町)の名称もそれぞれ同協議会が決定し、高知・龍馬ろまん社中▽安芸・岩崎弥太郎こころざし社中▽土佐清水・ジョン万次郎くろしお社中▽ゆすはら・維新の道社中--となった。

 坂本龍馬は、長崎で貿易商社「亀山社中」を結成。協議会によると、社中とは当時「仲間」を意味したとされ、協議会は「であい博の会場を仲間との出会いを見つけてもらう場にしたい、との意味を込めた」と話している。【服部陽】



山口
着物:萩の街歩いて 元銀行員の関さん起業、レンタル始める /山口
 旧城下町の旧宅が多く残る萩市の江戸屋横丁の一角に、着物をレンタルする「キモノスタイルカフェ」がオープンした。元銀行マンで市出身の関伸久さん(35)が起業。インターネットでの貸し出しも検討しており、「日本の民族衣装でもある着物を、世界の人に広く紹介したい」と夢を広げている。【川上敏文】

 関さんは、萩高校から立命館大に進んだ。大学生の時から事業を興すことに魅力を感じていたが、ひとまずあさひ銀行(現りそな銀行)に入行。「13年間考えた」末、着物に着目。「高額で経済的負担も大きい一方、着る機会は成人式などに限られる。このままでは着物文化が廃れる」。これまでも貸衣装屋はあったが、利用は結婚式など「晴れ」の場に限定されてきた。「もっと気軽に利用できるおしゃれな店を」と、ついに今年2月に退職、古里で会社を設立した。

 店は城下町の中心地・呉服町にあり、旧宅や土塀が連なり歴史を感じる場所だ。幕末に活躍した武士・政治家の木戸孝允旧宅の向かいにのれんを構え、日本の民族衣装として外国人観光客の目を引き、年配の家族や若い女性たちが浴衣をレンタルして街を歩くなど、評判は上々だという。

 店にはカフェを併設し萩焼の商品も展示。今後はインターネットでのレンタル開始も検討している。関さんは「色合いが多彩な着物は、他国の人からみれば、着物としてだけでなく、オブジェ(飾り)にもなりうる。アジアなど輸出できないか。日本文化の底上げにもなると思う」と意気込んでいる。問い合わせは、キモノスタイルカフェ(0838・21・7000)。


吉田松陰:郷土の先人没後150年 学ぶ取り組みを、県教委が教頭会に要請 /山口
吉田松陰:郷土の先人没後150年 学ぶ取り組みを、県教委が教頭会に要請 /山口
 県内の公立小中学校教頭会の春季研修大会が23日、萩市の市民館で開かれ、約500人が参加した。県教委の中村哲夫・審議監が「今年は吉田松陰の没後150年になる。それぞれの学校で、子どもたちが松陰先生の生き方を学ぶ取り組みを厚めにしてほしい」と呼び掛けた。県教委は今年度、郷土の先人を学ぶ教育の一環として全県下で幕末の思想家・吉田松陰を授業などに取り上げることを奨励している。

 大会は教頭会の主催。中村審議監らが来賓出席した。県教委が教育基本法改正で盛り込まれた「伝統文化の尊重」の教育目標や、学力向上対策などについて説明した。

 また、元教員で「史都萩を愛する会」の松田輝夫会長(83)が萩出身の松陰の生涯について講演。25歳の時に「海外に渡ろう」と伊豆半島沖に停泊中の米軍艦に乗り込もうとして失敗した下田事件に触れ「(鎖国中の)幕末にあって松陰先生は国際人の感覚を持っていた。その上、礼儀正しく、誇り高い日本人だった」と解説した。【中尾祐児】

〔山口版〕


佐賀
日本CATV大賞:番組コン 武雄のケーブルワンに奨励賞--3年連続入賞 /佐賀
◇「葉隠墓苑-先人たちに想いを馳せて-」
 武雄市のケーブルテレビ「ケーブルワン」(原隆司社長)が第35回日本ケーブルテレビ大賞番組コンクールで奨励賞を受賞した。3年連続の入賞となる。【原田哲郎】

 受賞番組は、同社クリエイティブ事業部アナウンス室長の小杉裕子さん(34)が担当した企画番組部門「葉隠墓苑(はがくれぼえん)-先人たちに想(おも)いを馳(は)せて-」。

 番組は戊辰戦争で武雄から約1000人が秋田に援軍として赴いた史実を取り上げ、先人に思いをはせる内容。企画やシナリオから撮影、編集、ナレーションまでを一人で担当した。制作は昨年8~10月。今年の正月番組で放送された。

 小杉さんは秋田県出身だが、武雄市は第2の故郷という。自身のこうした背景もあり、「視聴者に地域の歴史を再認識してほしい」と考えたという。

 審査では「ケーブルテレビとして地域メディアの役割を果たしている」と評価された。

 今回は全国から81作品の応募があり、9作品が入賞。ケーブルワンは過去にグランプリと準グランプリをそれぞれ3回など14回の受賞歴を誇る。

 原社長は受賞に「よく頑張ってくれた」と満面の笑顔だった。

 受賞記念の再放送は7月9、10日。


長崎
島じま:街づくり /長崎
島じま:街づくり /長崎
 かつて「日本三大花街」の一つとして栄えた長崎市の丸山地区。ここに幕末の志士、坂本龍馬の銅像を建てようと地域住民らが立ち上がった。「今度こそは」と有志は願う。

 89年、やはり市民有志が風頭公園に龍馬像を建立したが、当初は丸山公園に決定。だが当の丸山地区の住民が反対して頓挫した。龍馬が起こした海援隊が商社だったため、長崎の商人から「商売敵」と思われていた影響があったという。

 その後、丸山地区は花街の歴史や、長崎検番など豊かな文化に注目した街づくりを続け、06年の「長崎さるく博」で一気に脚光を浴びた。龍馬への認識も「丸山を舞台に日本を変えたのでは」と変わっていったという。

 丸山の歴史を掘り起こす料亭「青柳」の山口広助さん(39)は「住民が街を知ることで、地域として成長した」と言う。龍馬像がその象徴となることを願う。【錦織祐一】

〔長崎版〕




コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(16)東大教授・山内昌之 前島密
■国民の利便第一の原点

 「かんぽの宿」の一括譲渡に端を発した鳩山邦夫前総務相と日本郵政の西川善文社長との確執は、大臣の辞任に終わったが、余燼(よじん)がまだくすぶっている。監督責任のある大臣のほうが更迭されたのは、その現象だけを見るなら、日本の憲政史上未曾有の事態である。あたかも大臣の地位が軽いかのような決着の仕方は国家機構の根本を揺るがす問題であるのに、政治家たちには危機感が薄いのではないか。

 ◆「郵便の父」への運命

 いずれにせよ、「郵政」という歴史的な名前が汚辱にまみれるのは先覚者たちにも辛(つら)いことだろう。国民生活と密接に結びつく「郵便」「葉書」「切手」などの名称を定めた人物は、「郵便の父」と呼ばれる前島密(ひそか)である。今も1円切手にその肖像が描かれる幕末明治人にほかならない。

 前島は、今では上越市となった越後国(新潟県)頸城(くびき)郡の豪農の家に生まれた。遊学と努力に明け暮れた青年時代である。江戸に出て医学や英語を学んだ後は、航海術を学びに箱館(函館)の諸術調所で武田斐三郎(あやさぶろう)に学んだ。五稜郭を設計した大洲藩の洋学者である。

 前島は薩摩の洋学校でも英語を教えたが、すぐ幕臣の前島家に養子へ入った。前島来輔(らいすけ)がその名乗りである。明治3(1870)年に新政府へ出仕したのは、鹿児島で大久保利通らの知己を得ていたからでもあろうか。

 前島が駅逓権正(えきていごんのかみ)になったのは運命というほかない。郵便や切手の本場イギリスの事情をつぶさに視察した前島は、他国と違って切手に国名を明記しない本場の自負に接して学ぶ点も多かったであろう。明治4年に帰国後、駅逓頭(えきていのかみ)としての郵便事業は、江戸以来の飛脚制度の廃止から始まった。

今とは逆に、郵政事業は民営の飛脚業者による自由競争から全国一律に国営化されたわけだ。時代状況によっては、民営であればよいというものでもないのだ。

 ◆同一料金の大原則

 前島は、政府役人の旅行や、公用の手紙や品物の逓送だけでなく、日本国内どこでも一般人の手紙を相手に届ける制度をつくろうとした。時間のかかる信書のやりとりをどう工夫するのか、急用時にはどうするのか、手紙が届いたか否かをどう確認するのか。前島の偉いのは、官尊民卑の時代に、政府も民間も区別なく同一料金で利用できる大原則を立てた点である。彼を悩ました問題も、やがて「速達」や「書留」といった制度で解決されることになった。

 やや古めかしい名称が民営化後の今でも使われていることは、実にうれしいことではないか。

 ◆鉄道や海運にも貢献

 郵政事業を東京と大阪だけでなく次第に全国に広げ、新聞雑誌の郵税を低減したのも前島の功績である。オスマン帝国でも治外法権の代名詞だった開港場の外国郵便局を撤退させたのは、不平等条約撤廃に取り組んだ明治の政治家らしい気骨である。明治8(1875)年には郵便為替や郵便貯金を創業している。この年は、アメリカとの取り決めで外国へ手紙を出せるようにもなった。開業式で前島が述べた挨拶(あいさつ)が素晴らしい。

 「わが菊花、今日よりその秀麗なる光輝を世界の人民に映射せん」と。こうして世界の人びとの目を喜ばせる日本の美麗な切手の伝統が始まったのである。

 幕末を生き抜いた日本人はたくましい。大隈重信とともに一度は野に下り、東京専門学校(早稲田大学)の校長にもなったが、やはり天職への使命感もだしがたく、逓信次官として復職し、電話の開設にもあたった。鉄道や海運の事業にも貢献し、国民の利便と社会の能率を第一に考えた前島の志こそ、郵政民営化の賛否両派ともに今一度たち返るべき原点であることは間違いない。(やまうち まさゆき)

【プロフィル】前島密

 まえじま・ひそか 天保6(1835)年1月、越後の豪農、上野家の次男として生まれる。幼名は房五郎(ふさごろう)。13歳で江戸に遊学、慶応2(1866)年、幕臣前島家の家督を継ぎ、維新後は静岡藩に仕えた。明治3(1870)年、新政府に出仕し、近代郵便の制度を立案、駅逓局長、駅逓総官を歴任し、通信や運輸行政の基礎を確立した。また、三菱会社を助成して外国航路を開設するなど海運の振興につとめた。同14(1881)年、憲法制定に関する意見の対立から伊藤博文が大隈重信を政府から追放、前島も大隈とともに下野し、同20(1887)年には東京専門学校(現・早大)の校長に就任。同21(1888)年、内閣制度の発足に伴い逓信次官として復職し、退官までの3年間に電話の開設事業などを手掛けた。同35(1902)年、男爵に叙せられ、貴族院議員となり、大正8(1919)年4月、85歳で死去した。「郵便の父」は海運、鉄道、教育と多方面に業績を残した。

 今は1円切手を使う機会が限られているからなぁ……子供の頃は郵便料金が安かったから1円切手を目にする機会もあったけど。使う機会が限られても1円切手のデザインはずっと「郵便の父」であって欲しいですね、イギリスの女王陛下の肖像が描かれた切手と同じようにクラシックで落ち着いたデザインがいいと思いますし。





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