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新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
 ただいま図書館から借りた『御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち』三遊亭円丈を読んでます。面白いです。

北海道
高知の記念館全面協力、広尾で今夏に坂本龍馬展
【広尾】幕末の志士・坂本龍馬のおいの孫で、広尾町ゆかりの自然画家坂本直行が広尾に来町して80周年になるのを記念し、今夏、町海洋博物館で開催予定の特別展(町教委主催)に、龍馬の故郷・高知にある同県立坂本龍馬記念館(高知市)が史料提供などで全面協力することが決まった。

特別展示開催に向け、坂本龍馬記念館から届いた龍馬の全身写真ポスター
 特別展は「北海道への軌跡〜龍馬の夢と気骨を受け継いだ者たち〜」と題し、龍馬から直行に至る坂本一族がなぜ北海道開拓を志し、いかに根付いていったかの解明を目指す内容。同博物館が収蔵する直行真筆の油絵60点とともに、史料のパネル展示などで構成する構想だ。
 高知の同記念館からは、1863年に龍馬が姉の乙女に「日本を今一度せんたくいたし申候」と書き送った書簡や、薩長同盟盟約の裏書き、龍馬が設立した海援隊の約規といった史料画像のデジタルデータ20点以上が提供される。町教委は画像を90センチ×150センチ大のパネルに印刷して展示したい考えで、パネルの台紙に龍馬の故郷の特産品・土佐和紙も使うという凝りようだ。
 このほか、イラストで龍馬の一生を紹介するパネルも記念館から借り受け、大人から子供まで楽しめるよう工夫するという。同記念館からはこのほど、龍馬の全身写真ポスターが届いた。
 直行生誕100年の2006年、同記念館が開いた坂本直行展に町海洋博物館が直行の絵画を貸与して以来、両館の交流が続いており、今回の史料データ貸し出しにもつながった。
 特別展は夏休み期間の7月下旬から8月末までを予定しているが、町教委は「龍馬ブームも再燃しており、なるべく前倒しで開催できるよう準備を進めたい」としている。


宮城
■興味津々ペリー来航時資料
2010.06.03
石巻・田道町 梅圃文庫で展示会
当時の”港町”に思い/

 石巻市田道町の自宅資料館「楊慮原梅圃(うつぎはらうめばたけ)文庫」で、ペリー来航(1853年)前後の資料を集めた展示会が開かれ、市民の関心を集めている。
 林子平の無人島之図を張った「ペリー来航絵貼交巻付無人島之図」のほか、安政2年(1855年)にアメリカ船石巻渡来時の停泊場所だった船魂神社の写真や渡来図巻の文章コピーなど渡来時の記録の参考資料を展示している。
 1869(明治2)年8月から1年間、石巻県知事を務めた山中献(1822~85年)の短歌が目を引く。明治初期の石巻の多彩なデザインのマッチラベルも来場者の関心を呼んでいた。
 ほかに二晶、石芝ら石巻の俳人の短冊、巻物、儒者や書家の漢詩、扇面書画など幕末から明治初期の石巻に関する資料も。
 来場した市民は、石巻へのアメリカ船渡来が何をどう変えたのか?と当時に思いをはせながら見入っていた。
 旧石巻ハリストス正教会創建当時の資料や、昭和初期の石巻に関するさまざまな展示物もある。
 展示会は8月9日まで。開館は土、日、月曜の午後1時~4時半。無料。問い合わせは伊藤智子さん(22)2563へ。

【ペリー来航時の資料を集めた展示会=石巻市田道町】


福島
鶴ヶ城を幕末時の姿に…寄付者名は赤瓦に残る
 福島県会津若松市は2日、鶴ヶ城天守閣を幕末時と同じように赤瓦にふき替える費用として、1口2000円の寄付を募り始めた。
 寄付者には赤瓦の裏に名前を記してもらう。
 鶴ヶ城は幕末時、寒さで割れることを防ぐため、上薬を塗った赤瓦を使用しており、この姿を再現しようと、来年3月の完成を目指し、今年3月から工事が始まっている。
 改修費は国の補助金と市の基金計4億3000万円。基金は将来、鶴ヶ城周辺整備に使うため、支出を抑えようと、使用される赤瓦約10万枚に名前を書いてもらうことで寄付を募ることにした。
 記名は、寄付1口につき1枚で、1枚には家族や団体客などを想定して5人まで一緒に記名できる。1人で何枚でも可能。赤瓦が納入される7月中旬までに、鶴ヶ城本丸内の受付所を訪れて寄付した人には、永年保存する芳名帳に記名してもらう。
 その後、市職員が赤瓦に代理記名する。赤瓦納入後は、11月頃まで直接記名できる。受付は日、月、水、金曜の週4日の午前10時~午後3時。郵送などでの受付はしない。
 菅家一郎市長は2日の記者会見で「100年後の街づくりを見据えたもので、多くの人に参加してもらいたい」と話した。問い合わせは、市観光課(0242・39・1251)へ。


鶴ケ城の赤瓦ふき替え、寄付を募集/若松
 会津若松市の鶴ケ城天守閣などを黒瓦から幕末当時の赤瓦にふき替える工事で、市は2日から赤瓦に名前を記すことができる特典付き寄付の募集を始めた。
 寄付は1口2千円で、赤瓦1枚の裏側に名前を書き入れることができる。
 芳名帳にも記名し永久保存する。
 赤瓦は7月中旬ごろに焼き上がる予定で、それまでは寄付の受け付けだけを行い、その後に職員が代理で記名する。
 赤瓦が完成した後は寄付者に直接、名前を記してもらう。
 受け付けは鶴ケ城本丸の特設テントで毎週日・月・水・金曜の4日間、午前10時〜午後3時に行う。
 問い合わせは市観光課電話0242(39)1251へ。


安積艮斎の漢詩集出版
ゆかりの神社の宮司ら 現代文訳付き

 幕末の志士らに影響を与えた儒学者・安積艮斎(ごんさい)(1791~1860)が記した漢詩集に、郡山市清水台の安積国造(くにつこ)神社第64代宮司、安藤智重さん(42)が学者と一緒に訳を入れ、今月、この本が出版される。艮斎は同神社第55代宮司の3男。安藤さんは「NHK大河ドラマ『龍馬伝』にも名前は出てきたが、改めてその存在に光を当てられたら」と話している。(佐藤雄一)
 艮斎は、若くして江戸へ向かい、1814年に私塾「見山楼」を神田駿河台に開設。昌平坂学問所教授にも登用され、全国諸藩の武士らに学問を教えた。私塾で学んだのは約2300人に上るとされる。艮斎自筆の門人帳(県重要文化財)には、吉田松陰や高杉晋作、岩崎弥太郎らの名も記されている。
 安藤さんは、神社が生んだ偉人の資料が神社にほとんど残されていないことを知り、艮斎の書物の収集を始めた。「艮斎がどんな人物でどんな考え方をしていたのか知りたい」と思い、その時々の気持ちが表現される漢詩を読み解こうとした。2003年からは、漢学を専門とする早稲田大文学部の名誉教授の指導を受け、漢学を訳注するポイントや当時の文化的背景などを学び始めた。
 知識を深めたうえで、08年7月から、艮斎の研究を行っている菊田紀郎・岩手大学名誉教授と一緒に、漢詩集「艮斎詩略」を訳す作業を始めた。艮斎が40~60歳代に記した100以上の漢詩をまとめて1853年に出版されたもので、これまで訳されたものは一部だけだった。
 漢詩の中には、江戸幕府の政治を批判したもの、西洋の列強諸国によるアジア進出に危機感を抱くもの、また、故郷の郡山から訪れた知人と酒を飲み交わし、故郷への思いを一層強くした漢詩もあった。安藤さんは訳しながら、「海防論などで幅広い知識があったことが再認識できた」という。
 漢詩集を訳し終えた今年1月。人文学系の書籍を扱う明徳出版社(東京)に声をかけられ、出版が決まり、タイトルは「安積艮斎 艮斎詩略 訳注」とした。
 専門的な知識がない人でも読めるように心がけ、当時の文化的背景を交えた現代文の訳にしたという。本はB6判、381ページで、3150円(税込み)で、今月上旬には各地の書店に約1000冊が並ぶ予定。
 安藤さんは「原文は難しいものだが、数多くの偉人を輩出した艮斎が漢詩に込めた思いを知ってもらいたい」と話している。

(2010年6月4日 読売新聞)



神奈川
幕末の志士に学べ「さがみ龍馬先生顕彰会」5日発足/相模原
 幕末の志士、坂本竜馬の生き方を学ぼうと、相模原市内の有志らが「さがみ龍馬先生顕彰会」(溝渕誠之会長)を発足させ、記念講演会を5日、相模原市中央区中央の市立産業会館で開く。入場無料。
 同会顧問で前大和市長の土屋侯保大正大学招聘(しょうへい)教授が「不世出の偉人 坂本龍馬先生」と題し、記念講演する。竜馬をテーマにした日本舞踊なども披露されるほか、収集家が所蔵する肖像画(複製)なども展示される。
 同会は4月、幕末の動乱期、思想家や政治家、実業家として多方面で活躍した竜馬の人物像を学ぼうと設立された。
 竜馬ゆかりの地である高知県出身で相模原市議の溝渕会長は「名誉や地位などにこだわらず、自分の生き方を貫いた竜馬の生き方は、現在の行き詰まった日本の中で学ぶことが多い」などと話している。
 講演会は午後0時半開場、同1時開演。先着200人。問い合わせは、事務局電話042(770)7358。





福井
本県ゆかり荒川区住民が福井へ 養浩館など見学、歴史満喫
 福井県と歴史的なゆかりがある東京都荒川区の住民らが4日福井市を訪れ、養浩館や同市郷土歴史博物館など福井の豊かな文化や歴史を満喫した。
 同区の回向院には幕末の福井藩士・橋本左内や小浜藩士・梅田雲浜の墓がある。同市出身の作家津村節子さんの夫で作家の故吉村昭さんが同区民栄誉賞を受賞しているなどの縁があり、県と同区は交流を続けている。
 訪れたのは、同区勤労者サービスセンターの呼び掛けでツアーに参加した30~70代の区民17人。解説ボランティアの黒田智津子さん(55)の案内で、養浩館と同市郷土歴史博物館を見学した。
 養浩館では、黒田さんの解説に耳を傾けながら建築様式や歴史について知識を深めた。「月見の間」では池を望む美しい庭園を楽しんでいた。
 同市郷土歴史博物館では、足羽山古墳の石棺などの出土品や、橋本左内が記した啓発録の複製などを見学。展示品を興味深く眺めていた。
 参加者の平野美智子さん(60)は「養浩館はすごく工夫された建物。庭園も趣がありすてきだった。来てよかった」と笑顔。夫婦で参加した北村たつさん(71)は「知人から福井の土産をよくもらっており、一度福井へ来てみたかった。歴史や文化を大切にしているのがよく分かった」と話していた。
 一行は永平寺町の大本山永平寺や勝山市の県立恐竜博物館なども訪問。本県には6日まで滞在し、一乗谷朝倉氏遺跡や三方五湖などを訪れる。


三重
三重津海軍所跡:木杭護岸から特注磁器 佐賀市教委「幕末期のドック裏付け」 /佐賀
 佐賀市教委は3日、昨年9月に見つかった三重津海軍所跡(佐賀市川副町)のドック跡とみられる木杭護岸で、同海軍所で使われていた特注品の磁器が発掘されたと発表した。同委は「護岸が幕末期のもので、三重津海軍所のドックであることが裏付けられた」とみている。6日午前9時半から一般公開される。
 昨年9月に見つかった護岸周辺を掘ったところ、護岸が3段以上の階段状になっていることが確認された。丸太や木板を組み合わせ、護岸が崩れ落ちないよう頑丈な造りとなっていた。
 また、護岸付近からは、三重津海軍所特注品とされる「海」「役」の銘のある皿や杯、チョウが波間を舞う絵柄の皿などの破片が出土した。
 同委によると、これらの磁器は1850年末から60年初期に作られた三重津海軍所の特注品であることが史料で裏付けられており、護岸が同海軍所のものであることが確認できるという。
 三重津海軍所は、幕末期に佐賀藩が建造。佐賀市は世界遺産リストへの登録を目指し、発掘調査を進めている。【田中韻】


滋賀
「鬼神と霊」展:異界へのいざない 能面など名品25点--彦根城博物館 /滋賀
◇井伊家十五代・直忠さん収集
 彦根市の彦根城博物館で、テーマ展「鬼神と霊-能にみる異界」が開かれている。自らも能を演じた井伊家第十五代当主・直忠さん(1881~1947)が収集した鬼や神、霊に関する能面など25点を公開している。15日までで会期中無休。
 直忠さんは幕末の大老で、第十三代彦根藩主・直弼の孫。能に打ち込み、能を演じる役者目線でさまざまな演目が演じられるように能道具を収集した。
 展示品のうち、大きく開いた口と鋭いまなざしが特徴の能面「獅子口」は演目「石橋(しゃっきょう)」などに使われた。室町時代の面打ち「赤鶴(しゃくづる)」の作と伝えられる能面の古い形式を伝える名品とされる。
 能面「泥眼(でいがん)」は桃山時代の面打ち「是閑吉満(ぜかんよしみつ)」の作で女性の霊を表す面。能装束「縫箔(ぬいはく) 黒地丸紋尽し文様」は箔と刺しゅうで文様を表し、鬼女が身につける装束。降矢淳子学芸員は「暑い日々に、異界へと誘う能面を通じて涼しさを楽しんでもらえれば」と話している。
 観覧料は一般500円▽小・中学生250円。問い合わせは同館(0749・22・6100)。【松井圀夫】



奈良
黄金茶碗:寧楽美術館で特別展示--奈良、14日まで /奈良
 国名勝の庭園「依水園」(奈良市水門町)にある寧楽美術館で、収蔵品の「黄金茶碗(わん)」の特別展示が開かれている。長州藩・毛利家から伝わった品で、由来について講演会も開かれた。14日まで。
 黄金茶碗は木製の碗に、薄い金の板を張り付けたもので、口径12・6センチ、高さ7・5センチ、重さ299グラム。毛利家が借金の利子軽減などを大口債権者に説得するよう依頼した際、毛利家から大阪の両替商、加島屋(広岡)久右衛門に贈られた。4年前に史料から由来が分かり、特別公開されている。今回は、平城遷都1300年と同美術館を運営する財団法人の設立70周年を記念して再び展示された。
 講演会では、毛利家伝来を解明した大阪市史料調査会の野高宏之調査員が「幕末に長州藩と密接な関係にあった加島屋は幕府から取り調べを受けた。謝罪の気持ちなどもあって黄金茶碗という特別な品が贈られた」と時代背景を解説した。【山田宏太郎】




広島
ほうじゃね:ご当地検定問題より /広島
問 幕末、京都で尊皇攘夷(じょうい)による倒幕を目指していた公卿(くげ)7人が公武合体派に敗れ長州に落ち延びた後、再上洛を図ったとき投宿した鞆の宿で、現在、国の重要文化財になっている住宅の名前は何か。

 (1) 太田家住宅

 (2) 岡本家住宅

 (3) 入江家住宅

 (4) 八田家住宅

      ◇

 <答え>

 (1) 太田家住宅
 ※「福山知っとる検定」から出題


高知
龍馬ファンの空手家、ニコラス・ペタスさんが高知訪問
 幕末の志士・坂本龍馬ファンというデンマーク出身の空手家、ニコラス・ペタスさん(37)が3日、龍馬の故郷である高知県を訪れ、尾崎正直知事らと交流を深めた。
 ニコラスさんは18歳の時に来日し、極真空手の創設者、故大山倍達さんの内弟子になった。以来、空手のけい古に励み、人気の格闘技大会「K-1」にも出場。流暢(りゆうちよう)な日本語を話し、最近はタレントとしても活躍している。
 今回は開催中の観光イベント「土佐・龍馬であい博」を応援するため高知を訪問。県庁では龍馬にふんしたスタイルで登場し、学生時代に合気道などを習っていたという尾崎知事と格闘技談義を交わした。
 ニコラスさんは「明確なビジョンを持ち、それに向かって走った龍馬を尊敬している。若者に空手を伝える時は龍馬の精神を心がけている」と話した。


山口
幕府・長州激戦 写真で解説
 山口県田布施町麻郷の写真愛好家南野繁さん(68)が、幕末に江戸幕府と長州藩の間に起こった第二次長州戦争大島口の戦い(1866年)をテーマにした写真展を町郷土館で開いている。27日まで。
 ゆかりの神社や史跡に説明文と地図を添えた約60点を展示。第2騎兵隊が本陣を置いた専福寺(同町波野)の碑文、麻郷神社(同町麻郷)に残る志士世良修蔵たち43人の墓標などを切りとっている。浄西寺(山口県周防大島町油宇)では、幕府軍の艦船「富士山丸」が放った砲弾跡を撮影した。
 南野さんは2008年10月、大島口の戦いを紹介する写文集を自費出版し、モノクロ約200枚を掲載。今回はこのうち田布施町内と近郊を選び、カラー写真を展示した。無料。月曜休館。

【写真説明】大島口の戦いをテーマに写真展を開いている南野さん


佐賀
佐賀藩蒸気船に運航記録 佐賀市教委確認 遺構に木組護岸も 三重津海軍所建造「凌風丸」 
 幕末佐賀藩の海軍基地「三重津(みえつ)海軍所」跡(佐賀市川副・諸富町)の調査を進めている佐賀市教委は、海軍所で建造された蒸気船「凌風丸(りょうふうまる)」が江戸幕府要人を移送するなど、国産蒸気船として実用運航されていたことを初めて裏付ける「運航記録」を確認した。市教委は「日本の近代化を先駆けた佐賀藩の先進性を証明する貴重な確認」としている。
 記述があったのは、佐賀藩の記録文書「白帆注進外国船出入注進(しらほちゅうしんがいこくせんでいりちゅうしん)」(鍋島報效(ほうこう)会所蔵)。1866(慶応2)年3月、幕府大目付(おおめつけ)の田澤対馬守の来航に際し、佐賀藩が凌風丸で有明海から海軍所がある早津江(はやつえ)川まで送迎したとする「運航記録」を確認した。市教委によるとこれまでは大正期など後世の編さん物から、凌風丸は、幕府製造の蒸気船に先立つ国産初の実用蒸気船(全長約18メートル、10馬力)とされていたが、今回の運航記録の確認でその史実が実証された。
 市教委は佐賀大や佐賀県と、幕末維新期の文献史料や絵図の調査を実施。これまでに運航記録のほか、1854(安政元)年11月に佐賀藩が蒸気船建造を意思決定したことなども確認している。
 また、市教委は3日、本年度初回となる海軍所跡の発掘調査成果を発表。船のドック遺構から、階段状に設けた大規模な木組(きぐみ)護岸を確認した。ドック幅は30メートル前後と推定され、佐賀藩がオランダから購入した軍艦「電流丸」(全長約50メートル、幕府の咸臨丸(かんりんまる)と同クラス)などの艦船を収容し、修理する機能を備えた修船施設だった可能性が高まった。
 海軍所は世界遺産登録を目指す「九州・山口の近代化産業遺産群」構成遺産候補。10月以降の調査では、凌風丸を建造した造船遺構の確認にも取り組む。


IT
戦国時代の武将や幕末志士があなたのメールを彩る! 『歴史メール 戦国武将の密書・幕末志士の密書』レビュー
 株式会社ジャストシステムより、戦国武将と幕末志士の気分が味わえる、一風変わったPCメールソフトが発売されました。

 その名もズバリ『戦国武将の密書』『幕末志士の密書』。歴史好きとしては押さえねばなるまい! と、いうわけで早速使ってみました。

■起動してすぐの伏兵攻撃! 音とアニメーションで歴史の舞台へ!
 「歴ーっしゅ!」。突然の伏兵攻撃に一瞬たじろいでしまいました。
 そう、このソフト、起動時・終了時、またメールを捨てた時などに、ボイスや効果音が流れるのです。
 歴ーっしゅ! とは歴ドル美甘子さんの決めセリフ。もはや歴史ファンの間で定番化しつつある「歴っしゅ」の伏兵。侮れなし戦国武将の密書!
 美甘子さんの他に、俳優の唐橋充氏のボイスも収録されており、「出陣」「わしに続けい」「退却じゃ」「討ち取ったり」など、戦国気分を味わえるセリフも充実しております。
 『幕末志士の密書』でも同様の動作をしたところ、ゴミ箱にメールを捨てる際に「天誅!」というセリフが。ゴミ箱の中に潜む人斬りを想像すると笑えます。
 そして“隠しボイス”といった遊び心も盛り込まれております。この隠しボイス、隠しておくにはもったいない内容です!

 効果音も充実しております。『戦国武将の密書』で受信アイコンをクリックすると、騎馬武者が駆けるアニメーションと合戦を髣髴とさせる効果音が流れます。これがなかなかリアル!
 『幕末志士の密書』では、船のアニメーションと波風の効果音が流れます。
 どちらも実際はネットワークを通してメールが配信されているわけですが、馬や船といったアナログな手法でメールが送られていく感覚が思い起こされ、新鮮な気分に浸れます。まさに戦国武将・幕末志士の気分でメール(密書)が送れるということです!

 それにしても、こんなにも簡単に世界中の人にメールが送れる時代になったと知ったら、龍馬さんはなんて言うでしょうか!?

■背景イラストは人気イラストレーターの諏訪原寛幸氏
 本ソフトの最大の目玉は、イラストレーターの諏訪原寛幸のイラストによる背景イラストです。
 起動して早速登場されたのは伊達政宗殿。眼光鋭い伊達殿に射抜かれて、もやはメールを打つどころではありません。
 メニュー欄には、他のメーラーでは絶対にお見かけすることはできない「武将」メニューがあり、背景のデザインを変更することが可能です。
 『幕末志士の密書』では「志士」メニューになっております。些細なことですが、こういった心配りが歴史ファンにとって嬉しいところです。
 以下の武将・志士の背景デザインが、計24種類収録されております。

【戦国】
伊達政宗 真田幸村 織田信長 明智光秀 武田信玄 上杉謙信 前田慶次郎 直江兼続

【幕末】
坂本龍馬 龍馬ゆかりの人物(岩崎弥太郎、中岡慎太郎、岡田以蔵) 新撰組(近藤勇、土方歳三、沖田総司) 薩摩藩士(西郷隆盛、大久保利通、島津斉彬と島津久光)

長州藩士(高杉晋作、木戸孝之) 幕府の要人達(勝海舟、井伊直弼、徳川慶喜) 日本の夜明け(幕末の名場面など)

 まずは戦国時代の代名詞ともいえる「織田信長」をクリック。炎に包まれ、本能寺の変を髣髴とさせるデザインに思わず絶句。
 「人間五十年…」と信長おなじみの幸若舞 『敦盛』 の一節までデザインされ、織田信長ファン涙モノです。
 それぞれ武将の名場面をイメージしたデザインが施されており、デザイナーさんの武将にかける並々ならぬ情熱が感じられます。
 また『幕末志士の密書』で特筆すべきは、薩摩藩士の島津斉彬と島津久光。こんなに緊張感のある背景デザイン、見たことありません! メールを打つ手にも自然に力が入ります。

 私の好きな武将・志士がいない…とお嘆きのあなた、ご安心召され。なんと全9回にわたり、毎月新しいデザインが追加されるそうです。
 収録された人物のマニアックさから察するに、通好みの人物がセレクトされる予感です。

■メーラーとしての機能の充実
 本メールソフトは株式会社ジャストシステムが開発・販売しているメールソフト「Shuriken(しゅりけん)」をベースにしているため、メーラーとしての機能が充実しております。
 使う前は歴史グッズの一つとしてメーラーに毛が生えた程度と思っておりましたが、その機能の使い心地に驚きました。「しゅりけん」という商品名も戦国にぴったりですね。
 密書だからといって、メール送信中に敵の忍者の手に落ちて届かない…なんてトラブルはありませんからご安心を!

■歴史ファンだけでなく、ビジネスの現場にも
 歴史好きのための仕様が施されたメーラーですが、歴史ファンならずとも、先人達の熱い心意気を感じながら仕事をしたいビジネスマンにもオススメです。
 あの坂本龍馬も、熱くてユーモアあふれる手紙をたくさん残しています。龍馬に倣いたくさん熱いメールを書けば、ビジネスが成功すること間違いなしです!


コラム
【幕末から学ぶ現在(いま)】(64)東大教授・山内昌之 辻将曹
地方政治家の現実感覚

 仲井真弘多(なかいま・ひろかず)沖縄県知事は、米軍普天間基地の辺野古近辺への移転を定めた日米共同声明(5月28日)に寄せて、県や地元の了解を得ずに決めたことを遺憾とした。受け入れを「極めて厳しい」と語ったのである。現在の日本政治でいちばん難しいポジションにあり、苦しい胸の内を十分に明かせない政治家といえば、まず仲井真知事であろう。
 鳩山由紀夫首相は2日、辞任を表明したが、もともとギリギリの決断から、辺野古近辺への移転を受け入れたのは仲井真知事である。知事からすれば、満足に問題の経緯や本質を精査した形跡もなく、沖縄県民と何度も向かい合ったわけでもない首相が普天間基地を「最低でも県外」に移すと見えを切ったときから、その政治姿勢に困惑していたにちがいない。言葉を軽く翻してきた首相と違って、現実の埋め立てにゴーサインを出せるのは知事だからである。
 民主党政権は、政治リアリズムと民意との緊張関係に苦吟してきた知事に最大限の支援をすべきだが、いったん県民の信頼感を失った政策の実現はますます険しい道のりになる。しかし、期待したいのは、地方自治の担い手として慎重かつ筋を重んじる知事の一貫した政治姿勢であろう。今では辺野古移転に賛否を言わない苦渋の重みに、首相にはなかった強い現実感覚を感じるのは私だけではあるまい。 

長州に味方する正論

 幕末にも陪臣(ばいしん)でありながら、政治の転回に大きな役割を果たした地方の藩重役がいた。その一例として辻将曹の名を逸することはできない。芸州(広島)藩上士の家に生まれた辻は改革派として執政に抜擢(ばってき)された。
 彼は、第2次幕長戦争を「無名の師」と非難し、外国との攘夷(じょうい)戦争に踏み切った長州藩に日本国内あげて制裁する挙に反対する正論を展開した。隣国の政治指導者として、長州藩への寛典(かんてん)を主張したために、幕府に睨(にら)まれ、謹慎を命じられる気骨もあった。

 彼は第1次戦争でも、幕府軍の出陣拠点となった広島の重役として、長州藩の利益代弁者たる岩国藩の吉川経幹(つねまさ)らをパートナーに、ほぼ無血で紛争を処理する手際の良さを見せた。陪臣ながら中央政治をリードした辻の得意の絶頂は、慶応3(1867)年に薩長芸三藩の同盟を結び、徳川慶喜に圧力をかけて大政奉還を実現させたあたりであった。

 
勝海舟も高い識見評価

 第2次戦争で長州藩の広沢兵助(真臣(さねおみ))や井上聞多(もんた)(馨)との会談を厳島で調停した辻について、勝海舟は高い識見と周旋家たる能力を評価している。
 将軍慶喜が二条城で大政奉還を議した際、辻は薩摩の小松帯刀(たてわき)や土佐の後藤象二郎と一緒に陪臣の身ながら堂々と弁舌をふるった。慶喜は辻らの意見をいれて、大政奉還を決意したのである。大政奉還は坂本龍馬や横井小楠(しょうなん)だけの専売特許でない。
 とはいえ、辻の鋭さや芸州藩の幕府への共感は、倒幕に傾斜する薩長両藩の疑心暗鬼を刺激することになり、芸州藩は倒幕勢力の中心から外された。芸州よりも後から旗幟(きし)を鮮明にした肥前佐賀藩のほうが新政府で優遇されたのだから、辻には割り切れない思いも残ったかもしれない。実際に、新政府では参与や知事としてわずかの期間、出仕した後すぐ辞任した。

政治を動かした自負

 辻は政治の中枢から去って戻らず、困窮する旧芸州藩士族の授産事業を進めた後、明治23(1890)年に漸(ようや)く元老院議官に任じられたくらいで官途には恵まれなかった。しかし、失意の晩年を送った辻にしても、幕末政治を大きく動かした自負はもっていたに違いない。
 ますます硬化する県民世論と民主党政権との間に立つ仲井真知事の仕事ははかりしれぬほど難しい。幕府と長州と薩摩といった複雑な3変数を処理した辻の調停能力こそ、寡黙な仲井真知事が政治家として真骨頂を発揮する上で参考になることを願っておきたい。(やまうち まさゆき)

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【プロフィル】辻将曹

 つじ・しょうそう=まさとも 文政6(1823)年、広島生まれ。本名、維岳(いがく)。安芸広島藩の年寄役(執政)に登用され、藩政改革を推進。第1次幕長戦争では幕長間の周旋に当たる。第2次戦争に反対し、幕府から謹慎処分を命じられるが、ほどなく解除。慶応3年、藩を代表して薩摩、長州、土佐と折衝し、大政奉還を勧告する建白書を幕府に提出、王政復古実現に貢献した。新政府では内国事務局判事などを歴任。のちに元老院議官、男爵。同進社を設立し、旧藩士族の授産に当たった。明治27(1894)年、死去。享年72。
                   


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