新選組・土方歳三を中心に取り上げるブログ。2004年大河ドラマ『新選組!』・2006正月時代劇『新選組!! 土方歳三最期の一日』……脚本家・制作演出スタッフ・俳優陣の愛がこもった作品を今でも愛し続けています。幕末関係のニュースと歴史紀行(土方さんに加えて第36代江川太郎左衛門英龍、またの名を坦庵公も好き)、たまにグルメねた。今いちばん好きな言葉は「碧血丹心」です。
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『八重の桜』、とうとう奥羽越列藩同盟まで来ましたね。ここから先がしんどいなぁ……慶喜さんが「わしに家臣はいたろうか?」と勝海舟に訊いた瞬間、この人は英明だけど臣下がついてこねぇと思いましたけど(^_^;)。
熊本
幕末の玉名で西洋銃製造 詳細な古文書見つかる
山口
<奇兵隊>黒い上着にズボン 幕末の制服を復元 萩博物館
コラム
幕末「日米修好通商条約」対米屈服だったか?名外交官・岩瀬忠震「最良の選択」
幕末のお城にタイムスリップ
慶応元年(1865年)撮影の「大坂城 本丸東面」や、尾張藩主・徳川慶勝が元治元年(1864年)に撮ったという広島城の写真などが、ずらり134城720点――『レンズが撮らえた 幕末日本の城』(山川出版社)が、近年各地で新たに発見された古写真を一挙紹介している。
「再興」の城とは気品が違う
レンズが撮らえた 幕末日本の城
現在では、鉄筋コンクリート造などで再興された「天守」を見ることができる城もある。しかし、同書監修者の一人である広島大大学院の三浦正幸教授は冒頭解説で、古写真と再興天守を見比べると、「大なり小なり相違している」として、「古写真に見られる気品のある外観が大きく損なわれていることをぜひとも確認」してほしいとしている。
本書の「主役」は貴重な写真の数々だろうが、解説やデータも充実している。各城の築城年や慶応3年時の城主と石高などを紹介。写真についても撮影時期のほか、場所の解説もある。たとえば「江戸城」の「二の丸大手三之門と下乗橋」では、「明治初期の撮影」「御三家以外の大名諸侯はここで乗り物を降りて徒歩で登城した」とある。
北海道から沖縄までの城が登場しており、故郷や地元にある城の「昔の姿」を探す楽しみ方もできそうだ。
2013年4月に発売された。編著・來本雅之、監修・小沢健志、三浦正幸。1890円。<モノウォッチ>
熊本
幕末の玉名で西洋銃製造 詳細な古文書見つかる
玉名古文書の会(森高清代表)は、刀工集団「同田貫[どうだぬき]」が幕末、玉名市亀甲で西洋銃の製造に取り組んでいたことを詳細に示す古文書を発見した。これまでも同田貫が玉名市亀甲と南関町で西洋銃を造っていたことは分かっていが、玉名市歴史博物館の村上晶子学芸員(57)は「南関町で開発、製造が盛んだったことを記した文献はあったが、玉名市での製造について詳しく書かれたものはなく、実像は不明だった。非常に価値のある発見」と話している。
古文書は1858年、坂下手永(玉名市)の惣庄屋だった関忠之允が熊本藩で地方行政を監督する郡代にあてた「御内意申上覚」。長洲町の町中央公民館に所蔵されていたのを今年3月、同会の洲崎勝さん(68)が見つけ、西洋銃を研究している同会の平田稔さん(69)が読み解いた。
同田貫は加藤清正の保護を受け、玉名地域で日本刀を作っていた刀工の一派。古文書には、西洋銃の製造に特に尽力した刀工や地方役人ら10人の名前が列挙され、それぞれの役割や功績が詳しく記されている。同田貫の名工として知られる小山寿太郎が、西洋銃製造の総責任者として職人たちを指揮していたことや、寿太郎の屋敷(玉名市亀甲)近くに工場があったことなども古文書から分かった。
平田さんは「当時西洋銃は輸入物が多く、独自に製造していた藩は全国でも珍しかった。ペリー来航で洋式軍備の必要性を感じた役人と刀工が、力を合わせて西洋銃づくりに励んだ様子がありありと分かる。この発見で少しでも多くの人に同田貫銃について興味を持ってもらえれば」と喜んでいる。(東本由紀子)
山口
<奇兵隊>黒い上着にズボン 幕末の制服を復元 萩博物館
山口県萩市の萩博物館で7日、幕末の戊辰戦争で活躍した奇兵隊の制服が披露された。戦後の1869(明治2)年9月に撮影された写真を基に復元した。
【戊辰戦争】殉難者慰霊 春季祭典に市民ら100人
黒いコート風の上着にズボンの洋装。復元調査にあたった山口県立大の学生がモデルとなり、写真通り、模造品の日本刀や鉄砲、懐中時計などを手にポーズを決めた。
高杉晋作が下関で奇兵隊を結成したのは150年前のこの日で、隊長服を着込んだ竹松侃(すすむ)さん(18)は「奇兵隊がいなかったら今の日本はない。身が引き締まります」。【川上敏文】
コラム
幕末「日米修好通商条約」対米屈服だったか?名外交官・岩瀬忠震「最良の選択」
【先人たちの底力 知恵泉 天下無敵の交渉術「幕末の外交官 アメリカと対峙する 岩瀬忠震の交渉術」】 教育/デジタル教育1 06月11日(火) 23:00 ~23:24
開国か攘夷かで揺れていた幕末、日本はアメリカと日米修好通商条約を結んだ。いままでこの条約はアメリカ側の全権・ハリスの強い圧力に政府が屈した「不平等条約」とされてきたが、最近の研究では「当時の日本が選択できた最良の結果」で、後の経済的発展を導いたと再評価されている。
ハリスとの交渉に挑んだ日本側全権のひとりが、今回取り上げる岩瀬忠震(いわせ・ただなり)だ。圧倒的な不利の中でも、岩瀬は脅しに屈することなく冷静に国際情勢を分析し、堂々と渡り合い日本に有利な条項をいくつも勝ち取った。後年のハリスに「彼のような全権を持ったのは日本の幸福だった」と言わしめたほどの岩瀬の交渉術は、どのようなものだったのか。
*先人たちの底力 知恵泉 天下無敵の交渉術「幕末の外交官 アメリカと対峙する 岩瀬忠震の交渉術」
幕末のお城にタイムスリップ
「新発見」古写真にみる「本物の城」の迫力
慶応元年(1865年)撮影の「大坂城 本丸東面」や、尾張藩主・徳川慶勝が元治元年(1864年)に撮ったという広島城の写真などが、ずらり134城720点――『レンズが撮らえた 幕末日本の城』(山川出版社)が、近年各地で新たに発見された古写真を一挙紹介している。
「再興」の城とは気品が違う
レンズが撮らえた 幕末日本の城
現在では、鉄筋コンクリート造などで再興された「天守」を見ることができる城もある。しかし、同書監修者の一人である広島大大学院の三浦正幸教授は冒頭解説で、古写真と再興天守を見比べると、「大なり小なり相違している」として、「古写真に見られる気品のある外観が大きく損なわれていることをぜひとも確認」してほしいとしている。
本書の「主役」は貴重な写真の数々だろうが、解説やデータも充実している。各城の築城年や慶応3年時の城主と石高などを紹介。写真についても撮影時期のほか、場所の解説もある。たとえば「江戸城」の「二の丸大手三之門と下乗橋」では、「明治初期の撮影」「御三家以外の大名諸侯はここで乗り物を降りて徒歩で登城した」とある。
北海道から沖縄までの城が登場しており、故郷や地元にある城の「昔の姿」を探す楽しみ方もできそうだ。
2013年4月に発売された。編著・來本雅之、監修・小沢健志、三浦正幸。1890円。<モノウォッチ>
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